デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

コペンハーゲン市立博物館

2009-09-27 05:52:48 | デンマークのあちこち
 コペンハーゲンにはたくさんの美術館があるのですが、実はあまり訪ねてなかったことに気づき、去年からあれこれ行ってみることにしています。今年の夏、まず訪れたのがコペンハーゲン市立博物館 Koebenhavns Bymuseum です。博物館の建物の前に、コペンハーゲンの昔の町を模型で再現している写真をガイドブックなどで見かけた人も多いと思います。夫と、それから去年デンマークの国会議事堂見学に一緒に行ったトーマスと一緒に行きました。

 この博物館はキルケゴールの著作などが展示されていることでも有名ですが、私が今回一番興味を持ったのは、1807年のコペンハーゲン爆撃の展示でした。当時、ナポレオン戦争で慟哭のときにあったヨーロッパですが、デンマークはできるだけ中立を保とうとしていました。けれども、デンマークの強い海軍が災いし、イギリスがデンマーク艦隊をフランス側に渡さぬよう、デンマークへの無理な要求を行います。イギリス側に入って、海軍をすべてイギリスの指揮下に置くか、あるいは中立を保ち、その代わり艦隊をすべてイギリスに渡すか、という無理な選択を迫るのです。

 そしてこの無理な要求を飲めなかったデンマークは、すでに首都に上陸して備えていたイギリス軍に、1807年9月2日、3日間にもわたる大攻撃を受けたのでした。そのときのコペンハーゲン市民のショックは相当なものだったと想像します。それまで戦争とはどこか離れた場所で行われるものだったのに、いきなり首都を、その当時の最新の武器で攻撃されたのです。よく書店でも1807年についての本を見かけますし、そのときの絵画もたくさん残っています。

          
          瓦礫と化したコペンハーゲンの一部

 この爆撃で完全にイギリスに屈したデンマークは、すべての艦隊とできる限りの商船をイギリスに持っていかれてしまいます(正確には確か戦艦2隻だけ他の場所にあったりして免れました)。また、ドッグ入りしていた戦艦はすべて破壊されました。

 これによってデンマークはフランスと手を結ぶこととなり、本来はナポレオン戦争において中立を望んでいたにもかかわらず、図らずもフランスとともに敗者側になってしまったという、大ターニングポイントになった爆撃でした。(これによって、デンマークはノルウェーを失うことになり、海軍と海上交通も失い、国家は破産し、小国に転落!)

          
          これが当時の最新兵器コングリーヴ火炎砲
          こんなのが燃えて落ちてきたら、怖いです。

          
          わかりにくいのですが、コペンハーゲンが攻撃されているところ

 他の常設展やセクシュアリティについての企画展も楽しみ、博物館を出ると、さっきまでは晴れていたのに、いきなりの雨。隣の広場に並ぶカフェのひとつに入りました。そこで、トーマスの「マリッジカウンセリングのおすすめ」を聞いたので、次はその話を書きますね。




ボルドーは素敵でした その②

2009-09-22 10:41:15 | 日記
 2日目は夫も私も写真で見てすっかり行きたくなってしまった、サンテミリヨンへ。インフォメーションセンターでワイナリーツアーに参加するつもりだったのですが、あいにくその日はツアーは他の場所へのものしかありませんでした。一時はあきらめてそっちに行こうかと話したのですが、それでは公共のバスで自分達で行ってみようということになり、翌朝、駅付近でおいしいチョコクロワッサンとカフェオレの朝食を食べてから(これがシンプルだけど、本当においしい。あんなにこってりの夕食だから、朝は軽目でちょうどよい感じ)、1日に2本くらいしかないバスに乗り込みました。

          

 町を抜け、1時間ほど走るとサンテミリヨンに着きます。着くとそこはぶどう畑と青空の広がる、気持ちのいい景色!ちょうど着いてすぐにワイナリー巡りのトロリーが出発するところで、私たちは迷わずチケットを買って乗車。でこぼこ道をゆっくり進み、サンテミリヨンのワイナリーを紹介するアナウンスがあります。しばらく行くと、Chateau Rochebelleという1軒のシャトーの前に停まり、希望者だけが降りて案内してもらえました。

          
          地下のセラーの入り口。厳重に鍵がかかっている。

 ここで年毎に寝かされている大量のワインを見せてもらい、説明をしてもらいました。中はひんやりしていて、あとで見学したカタコンベとまったく同じ環境・・・。何かを寝かすには、この温度と湿度がよいようです。説明をしてくれたオーナーがワインのボトルを触り、「ちょっとぬれているので、明日は雨かもしれません」と言ったときには、思わずほほー、と尊敬のまなざしで見てしまいました。終わってから試飲させていただき、またトロリーに乗って町に戻ります。

          
          サンテミリヨンの中央の広場

          
          広場に行くときにはこんな急坂を下ります。

 広場のレストランで、ランチをし、またもやワインを堪能し、そのあとはサンテミリオンの町を見学しました。カタコンベと地下教会のガイドつきツアーに参加し、外はものすごい暑さなのに、中はひんやり、遺体の入ったいた穴を見て気分もひんやりです。

 サンテミリヨンの大聖堂では、キリストがくるまれていたという布のコピーが展示してあり、いかにして、キリストが包まれたのか、そしてその布のしみがキリストの体のどこに当たるのか、などということをとても丁寧に展示してありました。デンマークでは感じることのない、宗教の重み、宗教と信者の一体化というようなものを、感じさせる大聖堂でした。

          
          ワインやさんで6本購入、喜んでいる夫

 2泊3日で飛行機と電車を乗り継いで、というのは少々無謀でしたが、子どもがいない分、好きなように過ごせた3日間でした。パリでちょこっとお買い物をしただけで、時間がなくて私はボルドーでは買い物ができなかったのが、本当に残念。でも、久しぶりに夫と2人で過ごし、ワインも堪能、フランスの雰囲気も堪能、食事も堪能、ということで楽しい小旅行でした。やっぱりフランスって素敵ー!(デンマークと比べても!)

ボルドーは素敵でした その①

2009-09-22 09:48:29 | 日記
 
 だいぶ遅くなってしまいましたが、私たちの今年の夏のデンマーク滞在について、少しずつ書きはじめたいと思います。が、その前に、まずは2泊3日で行ったフランス旅行のことを・・・。

 デンマークに着いて4日目、今回は初めて夫と私で子どもを義母に預けて、ボルドーへ旅行に行ってみました。パリまでSASで飛び、そこで慌しくランチを食べ、そのあとTGVに乗って3時間でボルドーに到着です。ボルドーの駅前から出ている、路面電車に乗って、町の中心部へ出ます。ホテルは予約してなかったのですが、どうせ寝るだけなので安めのホテルをインフォメーションセンターで予約してもらい、荷物を置いて、夕暮れのボルドーへ。

 ちょうどお店の閉まる時間で、ショッピングはできませんでしたが、歩いてあちこち回り少々観光をしました。ベージュの町並みは古すぎず、でも新しすぎず、とても落ち着くいい感じです。北から来た私たちには、町全体がとても洗練して見えました。こじんまりしているけれど、ニースのようなわさわさした感じもなくすんなりとなじめる雰囲気です。市庁舎やサンタンドレ大聖堂などを見ました。

 適当にレストランを見つけ、子牛の頭のお料理を食べ、こんなのデンマークでは気軽に食べられないなぁと感嘆。そしてそして、何がおいしいってボルドーで飲む赤ワインは本当においしい!

 帰国してから友人となぜボルドーで飲むとおいしく感じるのかという話をしたのですが、①やっぱり現地のものはその気候にも適しているわけで、もっともおいしくいただける、②外国に輸出するものは防腐剤が入っているが、フランス国内のものは入っていないので、おいしい(と友人が言っている。ほんとかな?)などが挙がりました。どうなのでしょうね?

 食事の後、暗くなってきた町を少し散歩しました。上の写真はブールズ広場前の「水の鏡」というところです。昼間はものすごく暑くて、子ども達が半裸でここで水遊びをしたり、大人も足浴していました。夕方一度水が全部排水され、そして夜になるとまた水をはっています。夜は夜で、周りの建物や街灯が反射して、人々がシルエットになっていて、ものすごく美しい光景でした。しばし、その光景にうっとりしてから、靴擦れになった足に泣きつつホテルに戻り、第一日目は終了です。

デンマークでの心温まる小さなこと

2009-09-11 06:34:56 | デンマーク人
 ちょっと私の心が最近がさがさなので、デンマークでの、小さな心温まる出来事を今回はひとつ書いてみたいと思います。

 夏のデンマークではあちこちでちょっとした無料のイベントがありますが、今年はラッキーなことに、2度もデンマークロイヤルバレエ団の無料のバレエに遭遇してしまいました。そのひとつがチボリででした。(バレエのことやチボリのイベントについてはまた後日書きたいと思います。)

 夕暮れ、家族は皆「バレエはいいや」と言うので、私は一人で見ることにし、野外劇場に行くとすでにベンチにはぎっしり。デンマーク人はバレエが好きで、自国のバレエ団に誇りを持っているように見受けられますが、そのときもみんながとても楽しみに待っている雰囲気でした。
 
 運良く一席空いているように見えたのですが、両隣のおばさん2人が、隣同士でそれぞれのご主人を差し置いてたまたまおしゃべりを始めていました。そこを割りいっては座りにくく、どうしようかなと困っていたところ、後ろの列に座っていたほかのおばさんが「ほらここ、座りなさい、空いているわよ」と指をさし、私が座るのを促してくれ、察した両隣のおばさんたちも、あら失礼という感じで私を手招いてくれました。座ってほっとしている私に両隣のおばさんたちは、にっこりしてくれました。

 バレエが始まると徐々に日が暮れて、急に寒くなり、バッグからそっとスカーフを出して肩にかけようと思いました。でもがさがさ、ばたばたすると悪いので、そっと後ろに手を回してかけようとしていたのですが、なかなかスカーフの端っこが捕まえられず、手間取っていました。と、隣のおばさんがさっとそのしわのある、ぼってりした手を伸ばして、私の肩にかけてくれたのです。ありがとうございます、と小声で言うと、またにっこり。

 こんなこと、たいしたことない話かもしれません。でも、いつもデンマークで人に関心を払われず(デンマークでは徹底した個人主義で、他人に過剰にかまうことはないため。過剰にかまうのはかえって失礼と思っていると思います。)、どこかで私もちょっぴり気が張っているところで、こういう小さな親切に出会ったのはほとんど初めてで、本当に嬉しく感じてしまったのです。

 「68年の世代」、そのころはデンマーク人は今のデンマーク人とは違ったと聞きます。その当時のデンマークを知る人は、デンマーク人は人懐っこくあったかい人達だというのを何度も聞いたことがあります。私に親切にしてくれたおばさんたちは、ちょうどそのくらいの世代に見えました。そして、私はそのときどき聞かされていた、見知らぬ他人に関心を持つ、他人を気にかける「人懐っこいデンマーク人」に初めて出会い、心がゆるんで温かくなったのでした。(もしかしたら、初めてというのは少し大げさな表現かもしれませんが・・・笑。)

新生活始まりました & 選挙

2009-09-04 06:11:42 | 日記
 デンマーク滞在記を書きたいのに、このところブログを書く時間がなく、残念です・・・。それはもう少ししてから書くとして、今日は少し、近況を書きたいと思います。

 9月1日付けで夫が転勤となり、我が家も新生活が始まりました。その直前に9日間、夫はブラジルに出張に行っていたので、慣らし保育ならぬ、慣らし単身赴任期間があったので、1日にはすっかり夫のいない生活に慣れていましたが。

 夫は週2回のペースで帰るそうなので、まあ、そんなにみんなが寂しくもならず、よかったです。が、私としては今まではいつも一定だったのが、今週からは夫が帰る日と帰らない日とで、微妙にいろいろと違ってくるので、そこがちょっと面倒なところ・・・。

 何が違うかというと、夫がいて一人増えると、なぜか夕食の時間が長くなったりするのですが、夫がいないとけっこうさくさく進みます。で、時間配分が変わってくるのです。またはメニューも、ピッキーで和食を続けて食べたくない夫に合わせなくてはならないし、野菜不足になるかなと思うと野菜料理を増やしたり、といろいろと変わってきます。洗濯物も3日分が一気に来るしで、今までよりも、考えることが増えました。

 さてこの新生活、メリットは夜、私一人の時間を持てるようになったこと。といっても疲れて寝ちゃうことが多いのではありますが、それでも子どもが寝た後、たまには一人暮らし気分も自由でいいものです。

 一方、デメリットはこれで平日の夜、私が自由に出かけられなくなったこと!ちょうど大学のスクーリングは全部終わっていたので、それは本当によかったですが(7週間にわたって、平日の夜の授業を受けたりしていたので)、遊びに行きづらくなったのは、ちょっと残念です。その分、週末か夫が東京にいるときに行けばいいのですが、まあ、しかたがないので、これはこれでうまくやりくりしていきたいと思います。

 今、夫はホテル暮らしですが、アパートを探しているので、そのうち御殿場方面にも私たちの居場所ができそうです。そうしたら、学校の休みのときに、向こうに滞在したりするのもいいかなと思っています。楽しくなるといいなと思います。

 さて、そんな折に行われた総選挙。結果はご存知のとおり民主党の圧勝でしたね。言われている通り、日本人が変化を望んだ結果ということだと思いますし、もっと透明でフェアな社会を望んだ結果だと思います。

 でも今回のあまりの圧勝ぶりに、ちょっと怖さも感じました。日本人だな、と。大物の自民党の政治家が落とされてしまったこと、その中には落とされるべき候補者もいたとは思います。でも、何が何でも自民党の候補者はだめ、それなりの実績がなくても民主党なら誰でもOKと多くの日本人が投票したことは、どうなのでしょうか?(ある民主党の候補は別に衆議院議員になるつもりは全くなかったのですが、たまたま頼まれて候補者名簿に名前を乗せたら当選してしまったそうです。)

 このような、一気に雪崩のようにそのときの流れで右向け右になれてしまう日本人、というのはどうなのかな、と考え込んでしまいました。候補者それぞれのことを深く知ることは無理ですが、中にはどんな人かも知らず、民主党だからと投票した人も少なくないのではないでしょうか? 私も民主党に期待を持っていますが、日本人の右向け右的な今回の行動は、やはりこわいなと感じています。

 今でも言葉の意味を把握しきれてはいないのですが、ポピュリズムとか衆愚政治ってこういうことなのかも、と思った今回の総選挙でした。