昭和50年代、まだ生涯学習ではなく「社会教育」と呼ばれていた時代。
八王子の社会教育を牽引していたのは、「教育委員会社会教育課」のメンバーでした。
あれから、40年にもなりますが、その時のメンバーとは、
いまだに「仲間」として集まりを持っています。
私も、9つくらいの職場を回りましたが、退職後もおつきあいあるのは
このときのメンバーだけです。
詳しくは、今執筆中の「八王子市子ども会史」に書かれていますが、
社会教育活動が好きで、情熱を傾けて仕事をしていたメンバーです。
その「やる気」がいまだに皆の心をつないでいるのです。
「市の職員は、ただの事務員で良い」と
専門家、ベテラン職員をとんでもない部署に異動させ
各部署に専門知識のないものばかりを集めてしまった
波多野・黒須市政の、市役所解体作戦以前の人たちです。
市長も教育長も、社会教育に理解のある人がやっていた時代でした。
八王子の社会教育を牽引していたのは、「教育委員会社会教育課」のメンバーでした。
あれから、40年にもなりますが、その時のメンバーとは、
いまだに「仲間」として集まりを持っています。
私も、9つくらいの職場を回りましたが、退職後もおつきあいあるのは
このときのメンバーだけです。
詳しくは、今執筆中の「八王子市子ども会史」に書かれていますが、
社会教育活動が好きで、情熱を傾けて仕事をしていたメンバーです。
その「やる気」がいまだに皆の心をつないでいるのです。
「市の職員は、ただの事務員で良い」と
専門家、ベテラン職員をとんでもない部署に異動させ
各部署に専門知識のないものばかりを集めてしまった
波多野・黒須市政の、市役所解体作戦以前の人たちです。
市長も教育長も、社会教育に理解のある人がやっていた時代でした。