11月23日 八王子市子ども会育成団体連絡協議会の設立55周年記念式典が開催されました。
八王子の子ども会は、市民と教育委員会の二人三脚で、戦後各町会ごとに作り、地区の協議会、市の協議会と
組織化を進めてきたものです。
教育はもともと「学校教育」「家庭教育」「社会教育」が教育の三本柱と考えられていました。
当然対象は「子ども」、子供の健全育成が目的でした。
ところが、「自らデザインし、自ら学ぶ」、「自分で学ぶ」という行為も教育の本来の姿として強調されるようになってきた。これは、子供に限らず成人についても当てはまる。と、
「社会教育」ではなくこれからは「生涯学習」の時代だ!と中教審が叫び、それが広まり、市でも「社会教育課」という部署は無くなり、生涯学習部・生涯学習センターに変わってしまいました。
しかも「生涯現役」などという言葉があるように、「生涯」という言葉は人生の後半を指す言葉のようで、「生涯学習」とは、高齢者の生きがい教育にすり替わってしまいました。
学習という概念から、「子供」が抜け落ちてしまったのです。その余波は地域にもおよび、一人一人が自ら学ぶという学習概念からは、地域の学習力は消え去られてしまったのです。
近年子供の悲惨な事件を通じ、「地域の教育力は必要、地域の再生」などと叫んでも、自らが壊してしまった地域のボランティア組織である「子ども会」などは、一度いらないといって壊した
後では、再生は難しいのです。
基本を考えず、古いものは捨て、新しい事業に予算をつける、スクラップ・ビルド方式で、新しい組織はオレの手柄、みたいな考えの市長や国の役人には、良いものの継続は自分の功績にならないので、やりたがらないのです。
ハコものも、新しく建てたものは、時の市長等の功績になるが、既存の建物の修理・修繕・設置機械の更新は功績にならないと、片手落ちなのです。
そして、子ども会担当が社会教育課から切り取られ、学童保育所等と同じ課に担当が変わり、子ども会活動は「教育」では無く「福祉」に分類されてしまって寄り十数年。
若い役員や、育成会長は、「子ども会は、教育委員会から始まった、教育活動だ。」という事を知らない人も多く。
子ども会の誕生と、社会教育課の活動の歴史を、簡単にまとめて冊子を作り。配布しました。理解してくれるかどうか心配です。
しかし、今回は子ども会の発展に寄与された4人の指導者に感謝状が出せて良かったです。
八王子の子ども会は、市民と教育委員会の二人三脚で、戦後各町会ごとに作り、地区の協議会、市の協議会と
組織化を進めてきたものです。
教育はもともと「学校教育」「家庭教育」「社会教育」が教育の三本柱と考えられていました。
当然対象は「子ども」、子供の健全育成が目的でした。
ところが、「自らデザインし、自ら学ぶ」、「自分で学ぶ」という行為も教育の本来の姿として強調されるようになってきた。これは、子供に限らず成人についても当てはまる。と、
「社会教育」ではなくこれからは「生涯学習」の時代だ!と中教審が叫び、それが広まり、市でも「社会教育課」という部署は無くなり、生涯学習部・生涯学習センターに変わってしまいました。
しかも「生涯現役」などという言葉があるように、「生涯」という言葉は人生の後半を指す言葉のようで、「生涯学習」とは、高齢者の生きがい教育にすり替わってしまいました。
学習という概念から、「子供」が抜け落ちてしまったのです。その余波は地域にもおよび、一人一人が自ら学ぶという学習概念からは、地域の学習力は消え去られてしまったのです。
近年子供の悲惨な事件を通じ、「地域の教育力は必要、地域の再生」などと叫んでも、自らが壊してしまった地域のボランティア組織である「子ども会」などは、一度いらないといって壊した
後では、再生は難しいのです。
基本を考えず、古いものは捨て、新しい事業に予算をつける、スクラップ・ビルド方式で、新しい組織はオレの手柄、みたいな考えの市長や国の役人には、良いものの継続は自分の功績にならないので、やりたがらないのです。
ハコものも、新しく建てたものは、時の市長等の功績になるが、既存の建物の修理・修繕・設置機械の更新は功績にならないと、片手落ちなのです。
そして、子ども会担当が社会教育課から切り取られ、学童保育所等と同じ課に担当が変わり、子ども会活動は「教育」では無く「福祉」に分類されてしまって寄り十数年。
若い役員や、育成会長は、「子ども会は、教育委員会から始まった、教育活動だ。」という事を知らない人も多く。
子ども会の誕生と、社会教育課の活動の歴史を、簡単にまとめて冊子を作り。配布しました。理解してくれるかどうか心配です。
しかし、今回は子ども会の発展に寄与された4人の指導者に感謝状が出せて良かったです。
皆様、こどもの為に いついつまでも