晴れ間の彗星

楽しく生きよう!

2017 社教会 夏

2017年07月06日 | 生涯学習気分
 昭和49年、私が就職して最初の配属先

教育委員会事務局社会教育課

その当時のメンバーで、年2回宴会を行っています。

 今回から、指導員として活躍されていた丸山先生をお呼びする事となりました。

当時、白樺湖に50人定員の青少年の家を作り

「テスト林間学校」や「子ども会指導者研修会」等で

毎夏、2泊3日のキャンプを、10回ほどこなすため、

課総出で2名づつ事務局として随行していました。

しかし、指導員の少ない中、事務局員も指導の一端を担い

新人で入った私も、翌年には、いっぱしの補助指導員ができる力が付きました。

10名ほどの課員総出ですから、7年間その課にいて20回以上のキャンプに参加しているので

課員全員と4~5回以上の、2泊3日を共にしていることになります。

 それこそ同じ飯ごうの飯を食った仲となり、40年を超した今も仲間感覚が消えません。


 社会教育の後、10ほどの職場を回りましたが、他の課で集まろうなんて気は微塵もわいてきません。

この「社会教育課」の一員として仕事が出来た事が、役所生活38年で、最も誇らしい気持ちになります。

「プロ」の集団で「プロ」に育てていただき、まがりなりにも「プロ」の仕事が出来たのですから。


 今の職員は、「専門家はいらない、ただの事務員であれば良い…」という上層部の意向で

各課にアマチュアしか置いていません。


「変に仕事に情熱を燃やさず、上の指示・命令だけ聞いていれば良い」という職員は、仕事がつまらないだろうなと思うし、

市民としての立場としては、福祉には福祉のプロが、戸籍には戸籍のプロが、教育には教育のプロが欲しいところです。

ぐるぐる変わる素人の、部長・課長の下に

プロがいてはやりにくいのでしょうが。

 市長も副市長も、市議会議員も 情熱を持っている訳ではないし…

 私の知り合いが、市議会の傍聴をして

議員が徘徊したり、読書をしたり、居眠りをしているのに怒り

注意したり、紙を丸めて投げつけたりして、傍聴席から追い出されたそうですが、

ネット中継も、国会のように議席を映さないのは、議員の態度が悪すぎるからなのです。

本当は、どれだけ真剣に議員をしているか、有権者には見せないといけないのでしょうが。

「きっと、私が投票したあの人は、まじめにやっているに違いない」と思うのは妄想です。

中でも態度の悪かった、議員ライオンズが、今回の都議選で落選したのは、本当に良かった。

前回自民党の2人が、八王子の恥だったので、今回受かってしまった市議から移った人が、恥をさらさないように願っています。

あれ、いつの間にか政治の話に…議会傍聴席を追い出された◎◎さんの怒りが…

社教会 2015夏

2015年07月11日 | 生涯学習気分
昭和50年前後の「教育委員会社会教育課」

当時の課長はもう無くなっているので

二人の係長以下当時のメンバーが勢揃いです。

民間の半分ほどしかない給料をもらいながら

好きな仕事に生き生きと立ち向かっていたメンバーです。

二泊三日のキャンプ研修を毎年10本おこなっていたので

どの人も1週間や10日は一緒に引率しています。

40年たっても課の宴会を続けているとこもすくないことでしょう。

社教会忘年会

2014年12月06日 | 生涯学習気分
昭和50年代、まだ生涯学習ではなく「社会教育」と呼ばれていた時代。

八王子の社会教育を牽引していたのは、「教育委員会社会教育課」のメンバーでした。

あれから、40年にもなりますが、その時のメンバーとは、

いまだに「仲間」として集まりを持っています。

私も、9つくらいの職場を回りましたが、退職後もおつきあいあるのは

このときのメンバーだけです。

 詳しくは、今執筆中の「八王子市子ども会史」に書かれていますが、

社会教育活動が好きで、情熱を傾けて仕事をしていたメンバーです。

その「やる気」がいまだに皆の心をつないでいるのです。

「市の職員は、ただの事務員で良い」と

専門家、ベテラン職員をとんでもない部署に異動させ

各部署に専門知識のないものばかりを集めてしまった

波多野・黒須市政の、市役所解体作戦以前の人たちです。

市長も教育長も、社会教育に理解のある人がやっていた時代でした。

池田組再び‥

2014年07月11日 | 生涯学習気分
昭和50年代、八王子の社会教育は活気にあふれていました。

八王子市教育委員会 社会教育課

池田課長の下 三係12~3名の職員で

各種 文化団体・青年団体・少年団体・婦人団体の所管から

林間学校施設の計画・建設、図書館の計画、建設。

遺跡の発掘と、とんでもない量の仕事をこなしていました。

そんなもんで、こっちの係が向こうの係を手伝ったり

逆だったり

メンバーもだれも役職ではよばれず愛称で呼び合っていました。

(言ってみれば「太陽にほえろ」のボスの下「テキサス」だ「殿下」だと

呼び合っていたようなものです。)

しかし、その仕事をこなすだけの「企画力」「実行力」を備えていた精鋭でした。

私も、新人でその仲間入りしてもみにもまれて、現在に至っています。

だもんで、郷土史団体や子ども会でも、何でも屋でいられます。

時代も時代だったのでしょうが

近頃の、ただの事務員になってしまった市の職員を見ると寂しくなります。

まあ、詳しくは現在執筆中の

「八王子子ども会史」で書いています。


ともあれ

その50年代のメンバーが「池田組」という親睦会をつくっており

昨日10年ぶりぐらいに集まりを持ちました。

まあ、課長は早世してしまっているのですが

9名のメンバーがそろいました。

みんな相変わらずのおもしろさです。

大久保長安 没後400年 記念イベントin八王子

2013年04月13日 | 生涯学習気分
大久保長安…どのくらいの知名度があるかどうか知りませんが、

元武田信玄の家臣で、武田家が滅んでからは、徳川家康の家臣となり

世界遺産となった石見銀山、また佐渡の金山、奈良…多くの領地の代官

八王子も代官頭として、徳川家が関東に移って後

町作り、治水工事と、現在の八王子の元の姿を造った人です。

かなり幕府内でも権力があったようで、敵も多かったのか

死んだ後、罪人として家族も罰された。

そのなくなったのが

1613年4月25日

八王子の「大久保長安の会」が中心となり

関係各地からの来賓も来ていただき

盛大に会が催されました。

基調講演とシンポジウムということでしたが、

シンポジウムで意見を戦わせるテーマもないので

それぞれ小講演のようなないようになってしまいました。

しかし、それぞれの地域のことを知り

長安のイメージがひろがりました。

懇親会では、桐生市からおいでのご夫婦と知り合いになり

八王子と桐生市の不思議な縁についての話も聞けました。

人との出会いは楽しいモノです。