お大師様大好きのあまり、ご本地の如意輪観音様の香合仏をお迎えしてしまいました。
香合仏、というのはお守りのように持ち歩く小さな仏様です。
小さなものは好きなので、かねてから気にはなっていたのですが、購入には至りませんでした。
高階良子先生の『はるかなるレムリアより』という漫画が大好きで、主人公が持って歩いている幼なじみから預かったナーガラージャの印とか欲しかった(笑)ので、「持ち歩ける」のはいいなと思ったものの、その頃はそれ以上ではありませんでした。
そして、あるとき、伊藤博文が持っていたという懐中仏を見てびっくりしたのです。
持ち歩いて、宿で拝んでいたそうなのですが、あの人そんなに信心深かったの?って。失礼な感想ではありますが、福沢諭吉が御札を踏んづけてみた、と自叙伝にあるのがインパクト強すぎて、明治のこの頃の人たちってそんな感じなのかと思いこんでしまっていたのかもしれません。
お守りとして仏像を持ち歩く、というのはちょっと自分がするのはどうかな、と思っていたのですが、持ち歩くだけでなく、行った先で拝むというなら、とここでちょっと揺らぎます。
持ち歩ける仏様。欲しいかも。旅先で拝む…うん、何かいいよね。でもでも…別に信心深くないのに持っていいのかな。とか。拝みたい、だけで買っちゃまずいかな、とか。
そもそもどなたを持ちたいの?とか。
何かいろいろ考えたあげく、先送りしました。
その後も何回か欲しい欲しいと考えては、諦める、を繰り返して。
一度は、お大師様のご本地の如意輪観音様、とまで決めたのに、今度は気に入ったご像がない、とかもありましたね。
その後、これ!という出会いもあったのですが、ちょっと悩ましいお値段だったこともあり、私みたいなのが持たなくても…と思って流してしまったのです。
が、先日、ちょっとしたものを購入しようかどうか悩んだときに。
ふと、「これを買うならむしろ前から欲しかった香合仏を買ったほうがいいんじゃないのか」という思いがよぎりました。
そう思った、ということはそういう時期なのかも、と思って購入しようとあちこちまた見始めた時に、あの、欲しかった如意輪観音様を思い出し。
たしかもう申込数が一杯だった筈、と見直したら…私が見逃した時期に、追加の募集があったのを発見。
あれ、これ、もしかしてまだお願いできる??
それで主人と話して、駄目元でご連絡してみたところ、無事拝受することができました。ご縁です。
しかも私の誕生日に到着して下さいました。感激。
大事にお祀りするんだ~♪(持ち歩かない時というか、家に居るときはお祀りしておくものだそうです)♪
今年は比叡山にも行けて、小さなお不動様のお守りも買ってきて、今はお大師様の側に置いてお祀りしています(お大師様の本地は不動明王とも言われているので)が、その側に置くようにしています。
天台展の時に購入できた如意輪観音様の小さな像の隣です。
…あれも、お大師様のご本地だから欲しい!天台展ならあるはず!と思って行ったら、最後の一つだったのです。ご縁です。
ありがたいです。