つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

最近の傾向。

2006-07-19 20:56:04 | SD
近所のSRが無くなったことも関係するが、最近、私の中でSD離れが加速化している。

綺麗なお人形が好き、なだけの私には、正直面倒な人形だった(好きな時はそれでも頑張っていたが)。
顔を描きかえたいとは思わないのに、そうしなければ黄変する。
ジェニーやリカちゃんより劣化が早い。

そして例のコンセプトノート。
これとあの聖母像(!)がなければ、教会の門を叩くこともなかっただろうから、私にとってはマイナスばかりではないのだが、最近出した『もうひとりのわたし』とかいう写真集で、またもや宗教まがいの設定を(こりもせず)載せたと聞いた。

ほとほと、ボークスが嫌になった。
「愛想がつきた」ではない。「嫌になった」のだ。

可愛い人形ではあるのだが、ボークス製品、と思うと不快感が走る。

ゆっくり整理をすることにしよう。
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複雑。

2006-07-19 15:44:49 | ジェニー
ジェニーにまた最近はまっている。
最近はネットオークションのおかげで、かなり古い子も手に入るので、ありがたい。
ありがたいのだが…。

かつて欲しかった子を手に入れて、可愛がって、それで満足か、というと、何だか切なかったり、ほろ苦い気分になったりする。

我が家は人形を買ってくれない、という家ではなかった。
が、父親の好みに左右されるのだった。
顔、髪型、髪の色、ドレス、全て父親の好みに合わないと買ってもらえない。
本当に欲しくて買ってもらった子は…いないと思う。
どこかを妥協して買ってもらう、のが普通だった(着せ替え人形限定。歩くとか踊るとか話すなどの変わったものは、親が欲しかった場合には買ってもらえた)。
親としては、「欲しいものは何でも買ってやった」と自負があったらしく、生前よく言っていた。
当の子供の方は、そんな気分のないまま、とりあえず相槌を打っていた。

今になると、本当に欲しい子は、大人になって自分で買った子しかいないことに改めて気づかされる。

買ってもらえなかった訳ではないから、他人には贅沢に聞こえる話。
でも、本当に気に入った子を子供時代に買ってもらえなかった、という今さらな話が、欲しい子を買えるようになった今になって、ちょっと痛い。

店であれこれ考えて、「これがいい!」と言って買ってもらう、というのは、もう決してできないから。

今になって、気に入って手に入れた子を眺めながら、そんなことを考えてしまう。

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