孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

楽しみな台湾旅行・・

2015年04月21日 | 日記
どうも、家にいても他にすることがいろいろ出てきて、読みたい本や雑誌だけがどんどん増えていくという、極めて良くない状況になってきつつある。こういうときは、これまで時々あったが、その時は病気で入院だったり、野暮用で遠方に出かけたりして、何となく読書の時間が持てたのだった。特に電車や長距離バスの中では、たっぷりと時間が取れるので、それは至福のひとときだった。

そんなわけで、来るべき連休にどこかへ出かけようかと決断し、かねてから計画していた、親日国巡りの旅を連休にスタートしようと思い立った。ネットで格航空券とか、格安ツアーを検索して、適当なところへ電話で確認してみた。

すると、電話口に出た旅行社の担当者は、今頃申し込んでも、連休中は取れるわけないじゃないですか、と鼻でせせら笑って応えたのだった。クリックすれば「満席」と表示されると思いますが・・・、と言ってから、連休後なら少しは空いているかもしれませんが如何ですかと勧めるのだった。

連休の後はこちらも勤めがあるから、と電話を切って諦めたのだが、そうは言っても出かけたい気持ちは益々強くなってきていた。更に検索を続けた結果、来月16日から三日間なら割と安い航空券が取れそうだった。

一日悩んでから、その航空券を確保した。台北往復だが、のんびりしていると雨季に突入しそうなので、思い切って決断した。宿も二泊で5千円程度の安宿をネットで予約して、情報収集のためにガイドブックも購入してきた。とは言っても、お目当ては故宮博物館での名宝鑑賞と、京劇観劇、猫空(マオコン)での茶畑見物なので、三日あれば十分である。

生来、行列に並ぶことと人ごみは大嫌いなので、どこそこの小籠包は絶品だとか、どこそこののっぽビルは眺めがいいとか勧めてくれても、あまり気が進まない。早朝は公園に出かけて、地元の人達がのんびり太極拳や体操をするのを眺めたりする方が好きなので、楽しみだ。

両陛下に先を越されてしまった、パラオはまたこの次にすることにして、台湾の次は、秋頃にミャンマーに行ってみたい。最近は、youtube にアップされた海外の旅の動画を見るのが、毎晩の日課になっている。

ノーサイド精神の胡散臭さ・・

2015年04月19日 | 日記
高級家具の会社の経営権をめぐって、父娘が世間に恥をさらしていたようだが、株主総会を終えて社長の娘側が勝利したという。高級家具には興味もないので、さほど関心もなかったのだが、勝利の後の記者会見で、娘さんが、「株主総会が終わればノーサイドです」と言ったそうだ。

つまり父親の見方に廻った社員を咎めることはないと言う趣旨だったと思うが、あまりにも聞いたようなお決まりのセリフで、鼻白んでしまった。

使い古されたこのフレーズは、英国の紳士のスポーツ、ラグビーで試合終了の合図のことだ。激しく戦った両者は、試合が終われば、どちらのサイドでもなく、お互いの健闘をたたえ合う精神で、家具屋姫もそういうつもりでこの言葉を使ったのだろうが、現実がこの崇高な理想とはかけ離れたことがかつてあった。

我が郷土には、本田宗一郎と並んで、もう一人の著名人古橋広之進がいる。言わずと知れた、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた自由形の水泳選手で、終戦後次々と世界記録を塗り替えていった。

敗戦後の1948年、戦後最初のオリンピックが紳士の都、ロンドンで開催されることになり、当時の記録から見て古橋ともう一人橋爪四郎は、世界でトップクラスの自由形の選手。メダルの期待を背負って、当然の如く五輪参加を申し込んだ。

ところが、ロンドン五輪組織委員会から届いた返事は、「参加拒否」であった。その電報は、「Remember Prince of Wales (プリンスオブウェールズを思い出せ)」とあった。

何のことかと言うと、日本が真珠湾を奇襲攻撃して三日後に、マレーシア沖で、日本軍が撃沈させたイギリス海軍東洋艦隊が誇る、新鋭不沈戦艦プリンス・オブ・ウェールズのことを思い出せ、という意味だった。この新鋭艦はチャーチル首相の大のお気に入りであったため、日本軍が撃沈させたという一報を受けて、彼は衝撃のあまり寝室にこもってしまったという。

当時、マレー半島を植民地支配していた英国は、この5日後にシンガポールに追い詰められて、とうとう白旗を掲げて降参したのだった。この怨念が日本の水泳選手のオリンピック参加を受け付けさせなかったと言うのだから、「英国紳士」の「ノーサイド精神」とはその程度のことだと言えよう。

さて、ロンドン五輪参加を拒否された古橋は、ロンドン五輪の水泳決勝と同日に日本で開催された日本選手権大会で、400m、1500m自由形ともにロンドン五輪の金メダリストの記録をはるかに上回る、当時の世界記録以上の記録で優勝したのだった。

やれやれ、今度はイースターかい・・

2015年04月19日 | 日記
何度も話題にしてきましたが、外国のお祭りだとか、祝祭日を意味も考えず真似したがる人が多くて、その節操のなさに嫌気が差すことが多々ある。

これは明治維新の後の政治家や政府高官たちが狂ったように舞踏会に興じたくらいだから、決して今に始ったことではないのだろうが、当時ですらその状況を見て、「亡国の兆しである」と憂慮した人達もいたようであるから、私の神経も、特に異常ではないものだと少し安心する。

そもそも、私はアメリカ文化の象徴といえるあのディズニーランドが大嫌いである。子供が小さいうちに行楽で連れて行くくらいならまだ許せるが、いい歳をした大人の男たちが、プーさんだのミッキーだの言ってはしゃいでいるのを目にした時など、「これぞ、亡国の兆しだ」と嘆息を漏らしてしまう。

朝の通勤時にカーラジオで、ディズニー・イースターが滑った転んだと解説していたが、ハロウィンの次はイースターかよと、もううんざりするのである。こんな私を、知ってか知らずか、カミさんは昨日から、職場のオバサン友達たちを誘って、大阪のUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)に出掛けている。

海外との付き合いが増えてきて、多くの外国人が日本にやって来るようになってくると、確かに英語の必要性も生じてくるのだろうが、それよりも増して、自分の国についての知識を常識として十分備えておくことが大切になってくる。

大人たちは将来を託す若者たちにこの点を十分認識した上で、啓蒙する義務があると思う。そう感じていた時、ある日の朝刊の読者の欄に高校生の投稿が目に付いた。日本人は英語が苦手だから、もっと外国文化をシジャンジャン入れたらいい、という主張だった。

腑に落ちなかったので、私はすぐに反論の投稿記事を送った。その時の原稿があったので、懐かしく読み返した。

『先月の「ひろば」に、異文化受入れに関する高校生の主張が掲載されていた。英語の苦手な日本人のために、外国文化をもっと積極的に受け入れるべきだという内容だったと思う。英語教育はかなり前からいろいろ議論されていたようで、私が中学生の頃は生徒全員がヘッドフォンをつけるLL教室という当時最先端の設備を備えた部屋で英語の授業を受けた記憶がある。その後普及したとは聞かないので、大した効果はなかったのだろう。

 日本人が何年勉強しても英語が話せないのは、その必要がないからである。多くの日本人は英語など話さなくとも、ほとんど不自由なく暮らしていける。大学まで8年間も勉強して話せないのだから、開始を低年齢化させたところで効果が期待できるとは思えない。それよりも、若い時こそ、母国語と自国の古典文化をしっかりと学ぶことに時間をかけるべきだと思う。英語など、強い必要性が生じれば一年もあれば話せるようになるものだ。』

民度の低さではかないませんな・・

2015年04月19日 | 日記
韓国で旅客船が沈没、船長が真っ先にパンツ一丁で逃げ出す、というまるでコントのような事故が起きてからもう1年経過したというから驚いた。

ついこの間のことのように感ずるのは、その事故の起きた日に韓国の女酋長が、男と密会していた・・・という朝鮮日報に掲載されたコラムを、「韓国の新聞に、こんなコラムがありましたよ」と伝えたことで、これが名誉毀損にあたるとして、加藤産経新聞ソウル支局長を起訴し、つい先週まで出国禁止処分にしたままだったからだ。

産経新聞は、日本のマスコミの中で最もまともに慰安婦問題に関して報道し続けている新聞であり、それが常日頃から気に入らなかった韓国政府は、ここぞとばかり腹いせに対応したと見るのが自然な見方だろう。民主主義も表現の自由も報道の自由もあったものではない、まったくとんでもない国だと思う。

更に、加藤前支局長の出国禁止措置解除についての、駐日韓国大使のコメントをニュースで見たときは、私は呆れて言葉が出なかったどころか、開いた口が塞がらず、危うく顎がはずれるところだった。何と彼はこう述べたのだ。「一つの国でいいことをして、相手国がまた一つ何かをしてくれれば、首脳会談につなげることができる。」

有り体に言えば、「出国禁止を解除してやったのだから、お返しに何かしてくれや」ということで、見返りを期待したわけだ。何とも卑しく、浅ましく、見下げた根性ではないか。

数年前に、私はこの国の目を覆うばかりの反日ぶりに、意外と暢気な我が同胞に不安を感じ、冷水を浴びせてやれとばかりに、精一杯の皮肉を含んで新聞の読者の欄に投稿したことがあった。あまり過激な表現で投稿すると採用されないので、自分の胃がシクシク痛むほど抑えた表現で投稿したら、採用され晴れて朝刊に掲載された。

探したら、原文が残っていた。

『韓国は、大統領が代わって少しは日韓関係が改善されるかと期待していた。しかし、依然として日韓首脳会談は行われず、それどころか、新大統領は、事あるごとに外国の首脳相手に、反日的な不満を喧伝している始末である。こんな折だけに、先日の朝刊の「日韓の草の根の民間交流を積極的に支援」という記事は、いたく興味を引いた。

日本の大衆文化への強い関心はあるが、アンケートを取れば「嫌いな国」は常に日本が断トツ一位となる。それもこれも、こちらの所為だ、謝罪せよ、と言われそうだが、地道な民間交流がどういう効果を産むか、推移を注目していきたい。若者同士の文化交流やスポーツ交流は奏功すればよいが、韓国の人は理性よりも情が優先する傾向があり、小学生の時から、徹底した反日教育を受けている。

ソフトムードに酔って、ウブな対応をしたり、大人の都合で子供を利用するようなことにならないか、少し懸念される。』

教義は違えど、祈りは同じ

2015年04月18日 | 日記
シンガポールに赴任中、休日にはよくフラッと街に出て、寺院巡りをしたものだ。MRTという電車を利用すると簡単にどこへでも移動できる程度の狭い島なので、混雑する駅構内や電車内を我慢すれば、非常に便利だった。

寺院といっても、イスラム教のモスク、ヒンドゥー教寺院、仏教寺院が街中に混在していて、短時間でいくつも見て廻れるので、寺院オタクにはたまらない街だろう。私は、特に寺院オタクではないのだが、今思い出すと、何度も何度も同じ寺院を訪れていた。

何がそうさせたのかはよく分からないのだが、多分そこに行くと居心地が良くて、気分を和ませてくれたからだと思う。中でもいつ行っても参拝者が絶えない仏教寺院と、ヒンドゥー教寺院は多分、滞在中にのべ30回は訪れていると思う。

中に入って、特に何をするわけでもなく、私はいつも参拝者を眺めているだけだった。彼らのお祈りする姿を見ているのが好きだった。お祈りするときの姿は、宗教宗派に関係なく皆真剣で、その瞬間に精神を集中させている。一心不乱に何をお祈りしているのだろう、などと勝手な想像をしながら眺めていると、あっという間に時間が過ぎてゆく。

何かで読んだことだが、お寺をお参りしたときは、「○○しますように・・・」とかいった祈願を心の中で唱えるのが普通だが、神社の場合は、そうではなく、「○○します」とか、「○○をがんばります」とか言う具合に、心の中で誓いを立てるものだそうだ。

ああ、そういうものかと知って自分はどうだったかと思い返すと、私は墓参りの時も、神社を参拝した時も、お寺をお参りした時も、いつで「家族一同健康で暮らせますように」とか、「宝くじが大当たりしますように」とか、まさに我欲丸出しの、虫のいいことばかり呟いていた。

私が小学生の頃、隣家のお母さんは、息子の高校受験に際して、近くにあったお地蔵尊を祀る社にお百度を踏んだと、近所で評判になった事がある。祈願成就して、息子さんは希望の高校に合格した。私は「お百度を踏む」とはどんなことをするものなのか、よく理解できてはいなかったが、多分大変な苦行をしたのだろう位は分かっていた。

何の変哲もない地蔵尊なのだが、そのご利益を期待して、今でも遠方から訪れる人は多いと聞く。祈る力が希望を叶えてくれると考えるのだろうが、町の広報で、その地蔵尊ができた経緯が載っていて、社の中には近くの川の上流で見つかった大きな石が祀られていると知って、少し興覚めしたものだった。


文明の礎、言葉

2015年04月18日 | 日記
以前、日本に滞在中の外国人に街頭で、「あなたの好きな日本語は何ですか?」という質問をしている番組があったが、今でも記憶に残っているのが、確かドイツの方だった女性の言った、「なつかしい」という答えだった。

確か、「もったいない」を挙げた人もいたが、ドイツの女性が応えた「なつかしい」は、自分の経験を交えて説明してくれて、なかなか味のある回答だった。彼女によると、子供のころ訪れた場所に行ったときなど、一言で心情を表す適当な言葉がドイツ語には見当たらないのだという。

郷愁を誘う何ともいえないいい気分になれる心情を、一言「懐かしいなあ」と言い表せる日本語は何とすばらしい言語だろう。実は、この歳になって最近始めて覚えた日本語がひとつある。それは、「花筏(いかだ)」だ。小雨の中、船で川沿いの桜並木を鑑賞した観光客らしき老女が、「少し天気が悪かったけど、花筏がとってもきれいでした。」と、少し興奮気味に語っていた。

桜にからむ言葉は、この他に「桜吹雪」とか、「桜トンネル」、「花霞」など、たくさんあるが、日本人の感性の豊かさを表す言葉はまだまだたくさんあるだろう。

20年くらい前に、アメリカの政治学者、ハンチントンが著した「文明の衝突」のなかで、彼は世界をいくつかの文明圏に分けていた。西欧文明、イスラム文明、中華文明などに世界を分類していくのだが、日本はどの文明圏にも属さない、一国だけの日本文明と分類していた。

まるですべての文化が半島を経由して日本に伝来されたのだ、と主張をし続ける隣国があるが、無理なこじつけばかりで誰も相手にされないのは見ていて憐れである。それどころか、かの国の言葉は極端に語彙が少ないため、自分の感情をスムーズに表現できず、その鬱憤が蓄積してしまう「火病」という半島独特の風土病さえ生む結果になっている現実を彼らは直視した方がいい。

幼稚園年中組に進級した初孫のなっちゃんも、毎日新しい日本語を覚えているようだが、その過程を先日ひょんなことから垣間見た。

なっちゃんが、トランプ手品を見せるというので眺めていると、トランプを四つの山に分けて何やら細工をしているようだった。やがて、準備が整ったらしく、山の一番上にあるカードをめくれと言う。

ハートの5が出た。すると、次の山の一番上のカード、その隣の山・・・と順番に指図した。めくったカードはクラブの5、ダイヤの5、スペードの5、、、4枚すべてが5であった。実は手品のタネを知っていたのだが、そこは知らないフリをして、「えぇー!なぜだろう。すごいね!不思議だね!」と大仰に驚いてみせた。

なっちゃんは興奮して飛び跳ねながら、「ふしぎでしょ。ふしぎでしょ。」を大喜びで連発していた。しかし、考えてみるとなっちゃんがこの「不思議だ」という言葉を使ったのをこれまで耳にした事はなく、恐らくたった今遭遇した場面で覚えたまさに覚えたての日本語だったようだ。

別の部屋にいたおばあちゃんにまで、「おばあちゃん、ふしぎでしょ!!ふしぎでしょ!!」と、はしゃぎまくっていたなっちゃんは、この、普通ではあり得ない、説明できないような場面で使う「不思議だ」という抽象的な日本語を、見事体得したようだった。

「マジ?」「かわいい!」「ヤバイ」を連発するだけの若者が増殖する現代、大人たちはもっと真剣に、なっちゃんを見習って、この現象を食い止めるべく行動を起こさないと、誇るべき「日本文明」は消滅してしまうぞと、ジジ馬鹿はカンカンと警鐘を鳴らしたくなるのです。


疲れるけど楽しい孫の世話

2015年04月13日 | 孫ネタ
初孫のなっちゃんの成長が著しい。去年の今頃は、同級生たちと比べて言葉が出るのが遅いんじゃないか、もっと話しかけたほうが早く覚えるんじゃないかと、しきりに心配していたカミさんが、孫の遊び相手になるたびにヘトヘトになっている。心配したのがウソのように今ではのべつ幕なしに、大袈裟ではなく一日中何かを喋っている。

トランプを覚えたので、昨日は私も相手をさせられたのだが、昼過ぎから夕食をはさんで夜の8時ころまで、6時間ほど「7並べ」や「ババ抜き」、「ジジ抜き」、「神経衰弱」などにお付き合いさせられ、クタクタになった。子供の癖に集中力が途切れず、厄介なことに勝負に執着するので、終りにしたくてもなかなかできなかった。

ゲームの最中も喋りっぱなしで、孫の話し相手になるのがこんなにも辛いものだとは思わなかった。先週来た時、お母さんが話し相手で疲れちゃうとこぼしていたのが、よーく理解できた。

昨日はそのお母さんは来なかったのだが、家を出るときバランスを崩して足首を捻挫してしまったからだそうだ。なっちゃんは、痛がるお母さんを心配そうに見ながら、「今度から気をつけようネ。」と言ってみんなを笑わせたそうだ。

解説者にブーメラン!

2015年04月12日 | 日記
日曜日の朝、サンデーモーニングという報道番組があるが、毎週毎週ニュースの切り口が偏っていて、以前から気になっていた。嫌なら見なければいいのだが、怖いもの見たさというか、どこまで酷くなっていくのか見届けたくて、ついつい見てしまう。

いつも4~5人の「コメンテーター」と、毎日新聞の社員一人が司会の関口某氏に指名されて、順番に意見を披露するのだが、それが何とも味の悪い意見ばかりで、ほとんどの方が相当日本と日本人がお嫌いなのだろうなあ、と思ってしまうのだ。東京五輪招致が決った時など、番組としてはそれが気に入らなかったと見えて、番組冒頭からまるで御通夜のようなムードであった。

政治性のある話題と違って、スポーツの話題になfると雰囲気は一転して元野球選手だった解説者がはしゃぎまくって、「あっぱれ!」とか「喝だ!」とか結果についての勝手な論評をするのが、そのコーナーの売り物になっているようだ。

今朝のコーナーでは、サッカーの三浦選手が48歳でゴールをしたことに対して、その快挙が面白くなかったらしく、「もうお辞めなさい。若い選手に席を譲ってやらないと・・・」とか、「しがみつく必要はないでしょ・・・。」とか引退を迫るような発言をしていた。

野球自体があまり好きになれないので、この解説者が出るスポーツコーナーになるといつもチャンネルを変えていたのだが、今朝たまたま見ていたときにこの発言を耳にして、珍しく「私も同感だ」と思ったのだった。引き際の難しさは何にでも言えるが、いつまでも未練がましく地位にしがみついているのは、見る方も辛いものだ。

ただ、今朝の場合は、辛口の評論をした方も、自分が74歳という老齢であることは棚に上げていたようで、「人のことを言う前に自分のことを考えた方がいい」と思ったの人は私だけではなかったろう。

時々理性を失って感情的になる老人のようなので、他のコメンテーターたちが遠慮がちにしているのが、ありありと判る。彼らも今朝は、きっと三浦知良に代わって、「あんには言われたくはないよ」と心の中で叫んだに違いない。

許せない万引き高校生たち

2015年04月12日 | 日記
私の住むところは、サッカーに熱心な高校が多くて、私が高校生の頃などは、全国大会でもよく優勝していた。しかも試合がテレビ中継されたときなどは、試合運びやボール捌きのテクニックが違いすぎて、そのレベルの高さが一目瞭然であった。

人気の上では、当時はまだ野球には及ばなかったと思うが、私は当時から高校野球ばかりがなぜああも特別扱いされるのか、疑問に感じて不満だったので、特にサッカーというスポーツをやっていたわけではないが、野球よりはずっとマシだと思っていた。

特に、高校野球の選手たちがほぼ全員丸刈りであったことは、理由はどうであれ、私には異様な慣習に見えて、反面、サッカー部の多くが丸刈りではなかったことに非常に好感を抱いていた。

ところが時代は変わってJリーグができて、今や少年スポーツは野球とサッカーは人気を二分しているようだ。プロ選手も多くなり、今や子供達の憧れとなる選手も、髪を金色や銀色に染めたり、似合わぬヒゲを生やしたりして、ちょっと堅気には見えない人が何人も出始めた。

それでも、ほとんどのプロ野球選手が何年もアメリカに滞在しながら、英語でインタビューにも応じられないのに比べて、サッカー選手は意外とすんなり滞在先のドイツ語やイタリア語や英語を覚えているようなので、やはり野球よりもサッカーの方がスマートなイメージを抱いていたものだ。

そんな私のイメージを見事にぶち壊してくれたのが、先週の高校サッカー選手たちの集団万引き事件のニュースだった。しかも、その犯罪を犯した場所が遠征先の韓国で、人数は22人だったというから、呆れてしまった。

この埼玉県の私立本庄第一高校には、校長が存在しないのか、副校長が、「22人の選手は当面自宅謹慎処分とし、監督は1ヶ月の指導停止処分とする。今後はこのようなことがないように指導していきたい。」と話したそうだ。事の重大さをまったく理解していない印象をうけるコメントではなかろうか。

22人が万引きしたのはブランド品の財布など42点、27万7000円相当だったそうだから、子供が駄菓子屋でキャラメルを万引きしたのとは訳が違う、立派な集団窃盗犯罪といえる。盗んだものは返して、謝罪したそうだが、それで済むなら警察など要らないし、それで済ませようとするなら、教育者・指導者として失格であろう。

全国の高校生やスポーツ指導者・教育者たちは、今回の事の成り行きをじっと見守っている。いい加減な対応では、今回のような犯罪を容認することと同じになるだろう。相手は世界一の反日国家である。対応を誤ると、厄介なことになりそうだ。指導者や校長始め、犯人たちは、「地べたを3尺掘って、頭を突っ込んで謝った」位では済まない。


見とれてしまう所作だった

2015年04月10日 | 日記
観光立国を目指すのなら、確かに外国人観光客が年々増えていくのは喜ばしいことなのだろうが、最近のテレビ番組やニュースを見てどうも違和感を感じてしまうのはなぜなのかと思う。

この間も、東京のどこかの桜の名所だったと思うが、花見で賑わう中にも最近急増している中国の団体客がたくさんいて、中には桜の枝を折っているような輩もいた、と報道していた。それを聴いた瞬間非常に不愉快な気分を味わったのは、私だけではないだろう。

量販店で電化製品や紙おむつ、日本のお菓子などを一人で何個も「爆買い」している中国人たちのことを面白おかしく伝えていたが、あれとて、私は異常な、異様な光景にしか写らないし、決して愉快なことだとは感じなかった。

東京の人通りの多い通りで、子供に立小便をさせている母親らしき中国人がいたそうで、事を済ませた後、彼女はジロジロ見る道行く人たちに小便の入ったビニール袋を掲げて見せて、決して道路に小便をさせたわけではない事をアピールしたがっていたようだ。

中国政府も外国に旅行する人たちに、マナーやエチケットを啓蒙する努力はしているようだが、土台が酷すぎるのだから時間も相当要するのかもしれない。

以前、アメリカで主にアジアからの留学生に英語を教えている方と話をしているとき、「日本人はとても humble で、 sophisticated だ。」といわれたことがあった。「ああ、そうですか。」と言って返事をしたが、一緒にいた友人に、どういう意味かと小声で聞かれて、実はよく意味が分からなかったのだが、「多分、奥ゆかしいとかそんな意味じゃないかなあ?悪い意味じゃないでしょ。」とその場は答えたと思う。

後で、すぐに辞書で調べたところ、 humble は「謙虚な、腰が低い」、sophisticated は「洗練された、高尚な」と書かれていた。少なくとも悪い言葉ではなかったので、友人と共に安心したものだった。

私は、随分前に他界した明治生まれの祖父のいろいろな所作を見るのが大好きだったが、今思い出しても、あのときの英語の先生の言葉がピッタリするようで、懐かしくなる。

特に、祖父がご飯を食べ終えたときにする、茶碗にお茶を注ぎ、たくわんを一切れ箸でつまんで茶碗についた飯粒をきれいにしてから飲み干し、最後にたくわんをポイと口に放り込んでポリポリ音を立ててお終いとなる、あの一連の所作は、子供のころから眺めるのが楽しみだった。

また、野良仕事の合間に、あぜ道に腰をおろして、腰に挿した愛用のキセルで刻みタバコを吸い、まだ火の付いたままのタバコの玉を左手にトンと落として手のひらでコロコロさせながら、2服目のタバコをキセルに詰め、左手の上の火種で火をつける・・・というあの見事な手際いい所作は、ワクワクしながら見たものだった。

学歴も身分も、何も誇ることがないような田舎の老人だったが、カクシャクとしていて、気品が漂うっている様で、あれが humble で sophisticated という形容が当たるんだな、と今思うのです。そして、そう言ってくれた英語の先生の洞察力に敬意を感ずるのです。


太陽が照らす満月の国旗

2015年04月09日 | 日記
私は足腰が達者なうちに、まだ訪れたことがない国へ旅行したいと密かに計画している。そして、まず手始めに台湾からスタートしようと思い、今下調べをしているところだ。台湾は以前出張帰りに立ち寄ったことがあるが、ただホテルに一泊しただけで、旅行とは到底呼べないものだった。

そして、台湾の次に行きたいと考えていたのが、実はパラオだった。どうせ行くなら、どこかの国のように「日本人、大嫌い」と、大統領を筆頭に国中で大合唱するようなところはやめて、親日国といわれる国を訪れようと思っていた。思いついたのが、台湾、パラオ、ミャンマー、トルコだった。

昨日、天皇皇后両陛下がパラオに向けて出発されたと知り、恐れながら、「先を越された!」と、私は少し悔しい思いをしている。

パラオの親日ぶりは、日の丸に似たその国旗に表れている。水色の地に黄色の円が描かれ、その位置は中心より少しずれている。水色は太平洋を、そして黄色の円は日本の国旗の象徴である太陽に照らされて輝く満月だそうだ。

その満月を旗の中心においては、あまりにも日の丸と似すぎているということで、日の丸に敬意を表して少しずらしたそうだ。日本人としては、少々お尻がムズムズしてくる話しだが、悪い気はしない。よってたかって日の丸を口で引きちぎったり、路上で踏みつけたり、火をつけて燃やしたりする隣国もあることだから、そんな連中と比べれば、ずっとマシではないか。

パラオに行ってみたいと思ったきっかけには、パラオが大の親日国であるということ以外に実はもうひとつある。それは「日本・パラオ友好の橋」と呼ばれる島を結ぶ橋を見たかったからだ。

1977年、コロール島ともう一つの島を結ぶコンクリート橋の建設を韓国の建設会社が落札して完成させた。その時の入札価格は、日本の鹿島建設の提示額の半額だったという。心配した通りと言うか、予想通りと言うか、1996年橋は轟音と共に真っ二つに崩落した。2名の死者を出したそうだ。

パラオの大統領は、すぐに韓国政府に掛け合ったが、建設会社はすでに倒産していて存在しないと、ケンもホロロの応対だったという。見るに見かねた日本政府がODAで新たに建て直したのが、鹿島建設の造った「日本・パラオ友好の橋」だった。尚、鹿島建設は崩落した橋の一部だけでも利用できないか調査したところ、あまりにも劣悪な品質だったため、一から造り直したそうだ。

崩落した方の橋の入り口には今でも当時の完成記念の石碑が残っているそうだが、なぜか石碑にあった「KOREA」の文字の部分は何者かによって削り取られてしまっているそうだ。如何にも・・・という感じがする。

ポタポタこぼれる品の良さ

2015年04月07日 | 日記
彼女が国会議員になる前のこと、韓国に行って若いとき売春婦だった老女を、日本兵相手の慰安婦だったとでっち上げて日本に連れてきて、シナリオを作り、NHKの番組に盛んに売り込もうとした事が、最近元NHK職員だった人に暴露されている。

弁護士として手柄を立てようとしたわけではなく、慰安婦を既成事実化して、日本を貶める絶好のチャンスだと踏んだからであることは明白だ。あの反日新聞・朝日新聞ですらようやく慰安婦記事の誤りを認めたと言うのに、彼女は自分が犯したことを、恬として恥じてはいないようだ。

相変わらず、日本の社会に混乱を引き起こし、平和を望むような口ぶりで、結果としてスキあらば掠め取ろうと狙っているアジアの侵略国家にその機会を与えるような言動ばかりが目立っている。

話は変わるが、秋篠宮ご夫妻の次女、佳子様が学習院大学から国際基督教大学に移られたと、ニュースを見て知った。品の良さがプンプン発散しているようで、映像に見入ってしまったが、その大学では学生の多くが海外に留学するようで、講義の大半が英語で進められているという。

留学だけが方法ではないが、若いうちに暫くの間日本を離れて異文化に接して暮らすことは、大変意義のあることだと、私は自らの体験に照らし合わせてみて痛感する。それは早すぎても遅すぎてもいけない。自我が確立して、できれば社会経験を少し積んだ位のできるだけ若いうちがいい。

皇族の留学先というと、英国が無難なのだろうが、一般的な知識としてあの国がどういう歴史を持つ国かということを知った上で留学して欲しいものだ。過去に酷いことをしたからどうのこうのということではなく、事実は事実として知っておくのと、知らずにいるのとでは、現地でのものの捉え方に大差があると思う。

例えば、大英博物館の展示物を、ただすごい、すごいと見るのと、これらは戦利品なのだ、と知ったうえで見るのとでは、視点がまったく異なる。

佳子様もどこかに留学されるのかもしれないが、イギリスがなぜビルマを独立させた後、子供だったアウンサ・ンスーチーを英国に引き取って、大学まで卒業させたのか。それは、単に慈善事業で行ったわけではあるまい。深謀遠慮に長けたお国柄であることは、ご本人が十分認識しておくべきだと思う。

皇族の学校とも言える学習院を移ったのが、単に英語教育が盛んだからという理由ではないことくらい、すぐに分かった。どうも教える側の人間が以前とは変わってきたからのようだ。

そりゃそうだろう。ただのありふれた韓国の老女を従軍慰安婦に仕立てて、日本から賠償金を掠め取ろうとしたような悪徳弁護士だった国会議員が、学習院大学で若者たちに法律を講義するようでは、佳子様でなくとも移りたくなるのではなかろうか・・・。

虫のいい話は怖いです

2015年04月07日 | 日記
レタスの畑は家の近くにも見られるので、子供のころから馴染みのある光景であった。近所でも米の裏作として、ビニールのトンネル栽培で多くの農家がレタスを作っている。ただ、どの農家もみんな高齢者ばかりで、あと10年もすれば担い手がなくなって、光景は一変するかもしれない。

20代のとき、渡米して3ヶ月間カリフォルニア州のサリナスという小さな街で暮らしたときのことだった。その街にある短大で、特別講義を受講するため、ホームステイをしたのだが、行く前からその街は有名なレタスの産地と聞いていたので、レタス畑を見るのが楽しみだった。

比較的大きなサンノゼという街まで車で1時間ほどなので、ベッドタウン化して当時から人口が増えているとは聞いていたが、今私が住む町と同じくらいだと感じたので、多分人口は10万人前後だったと思う。カリフォルニアはどこに行っても同じだが、サリナスもメキシコ系の住民が当時から目だっていて、近隣のレタス農場などで働いて生活していたようだった。

その街で暮らし始めてすぐに、そこが映画「エデンの東」の舞台になったところで、さらにその原作者である作家スタインベックの生家があるところだと知った。さらにその家は当時も保存されていて、私はスタインベックは名前を聞いたことがある程度だったが、すぐに見に行った。

二枚目俳優のジェームズ・ディーンが出た「エデンの東」は当時一度見たことがある程度だったので、あまり記憶は定かではなかったのだが、確かにストーリーにはレタスが関係していたような気もしていた。

他の仲間たちと数人で、自転車を走らせて近くのレタス畑に行ってみた。その時の第一印象は、実に強烈なものだった。もう見渡す限りが一面レタスで、日本の実家の近所のレタス畑などと比較しても形容のしようがないほどのスケールだった。

聞けば、定植からすべてが機械化されていて、収穫のときは大型トラックが畑の中を移動しながら、メキシコ人ワーカーたちが収穫してダンボール詰めしたものを次々と積み込んでは、出荷していくのだそうだ。畝を作り、人間の手で腰をかがめて苗をひとつひとつ植えていき、畝ごとトンネル用の骨組みを作り、ビニール掛けしていく日本の農家の栽培方法は、野菜というより観葉植物でも作るような手間の掛け方だと感じた。

それよりも我々を驚かせたのは、レタスの畑に雑草が生えていないことだった。大袈裟ではなく、一本も生えていなかったのだ。あんな広い畑を手で草取りするなんて事はありえないから、明らかに除草剤を使用しているのだろうが、アメリカのことだから、何か特別な除草剤があるのだろうと、一緒に行った中間達と話したが、それにしても薄気味の悪いくらい見事な圃場だった。

後で、詳しい人に聞いたら、レタスは枯れないが、他の雑草を枯らすことができる除草剤があるとのことだった。当然成長中のレタスにも散布されてしまうだろうから、その除草剤は一体安全なのだろうかと一抹の不安を抱いたのだが、アメリカ人はそういうことには無関心なのだろう。

少し後には遺伝子を操作して、害虫がその作物をかじると死んでしまうトウモロコシとか大豆が出回ることになり、現在ではほとんどがその手の遺伝子組み換え品種が栽培されているそうで、聞いたところでは、アメリカではこの表示義務がないために、消費者には選択の余地がないそうだ。

猫いらずのような、殺虫剤なのか農作物なのか分からないようなトウモロコシや大豆を毎日のように食べ続けて、一体人間に害はないのだろうか。ベトナム戦争ではジャングルの地下に潜むベトコンに手を焼いたアメリカ軍が、空からすべての植物を枯らしつくす枯葉剤をまいていた。そんな国だから、その内、これさえ散布すれば、雑草も生えないし害虫も殺します、と言うような殺虫剤・除草剤兼用の薬剤を作り出すことだろう。

その点、我が家の家庭菜園のキャベツなどは、虫のために植えたような虫食いだらけの状態で、一見キャベツなのか何なのか分からないほど、原型を留めていないのだ。最近では、そういうキャベツや白菜を、必要数だけちぎってきて、料理に使っている。虫が食べつくすのが早いか、私が料理に使い切るのが早いか、そんな状況だ。

あまりにも衝撃的な孫の一言

2015年04月05日 | 日記
「来てうれし 帰ってうれし 孫の顔」 という一句は、なかなか含蓄があると実感した一日だった。初孫は8月で5歳になり、妹は昨日1歳の誕生日を迎えたばかりだった。初孫は言葉が遅く、一時心配したが、何それは単なる杞憂であった。

今日は朝来て、夕方の5時半ころ帰るまで、のべつ幕なし喋りっ放しであった。折り紙をやったり、迷路をやろうと誘われたり、粘土遊びに付き合わされたり、覚えたばかりのトランプは、神経衰弱、七並べ、とワイワイいいながら久しぶりに楽しんだ。

ババ抜きも彼女のお気に入りのゲームで、今日だけで何度やったことか。飽きたころ、「おじいちゃん、ジジ抜きもあるんだよ。」と突然言われたときは、「ドキッ」とした。ジジ抜きというゲーム自体は知っていたが、かわいい初孫に突然「ジジ抜き」と言われると、こんなに嫌な気分になって動揺するものだとは、今日言われて見るまで分からなかった。

高齢の女性は「ババ抜き」と言われるとこんなに嫌な思いをするものなのだろうか。何となく、高齢のご夫人たちに同情したくなってきた。ジジ抜きはあまり好きではないらしく、やろうとはいわなかったので、胸をなでおろしたのだが、実に恐ろしい言葉だ。

「おじいちゃんまた。来るからネエ」と言い残して孫たちは帰っていった。ショックの余韻が残る中で、今日を境に、これから私はセクハラまがいの「ババ抜き」と言う言葉は禁句にしようと決意したのだった。

皆様の受信料で捏造報道をお届けします

2015年04月05日 | 日記
よく、「何々がどうだこうだ」と偉そうに講釈した後、「この間NHKの番組で言ってたよ。」などと最後に付け加えられた日には、吉本の新喜劇じゃないが、ひっくり返ってしまいそうになる。私は、もう随分以前から、NHKという放送局は、かなり偏った見方に基いて番組を作っていると見てきた。

特に討論形式の番組などは、何人もの視聴者をスタジオに座らせて、賛成・反対の意見をそれぞれ述べさせて、如何にも公平な討論番組に見せかけているが、その一般視聴者というのが、何とも胡散臭い市民運動家然とした人が多く、NHKの司会者の進行の仕方もまともな意見を言っているのに、途中でさえぎってみたりして、実に偏っていることが多い。

一昨年の暮れ、安倍総理が靖国神社を参拝したとき、上空のヘリコプターから総理の乗った車を追跡してその映像と共に実況中継したのには、呆れてしまった。まるで留置場に向う犯人護送車扱いで、あそこまで騒ぎ立てる理由が理解できない。

2009年、NHKの看板番組「NHKスペシャル・JAPANデビュー」では、台湾に出向いて現地の老人たちのインタビューを都合のいいように切り貼りして、見事な捏造・偏向番組に仕上げて平然と放送した。台湾が反日国であると、視聴者に印象させる意図があり、内容はでたらめなものだった。

しかも、映像や使用された音楽は、悪い印象を植え付けようという意図のもと、極めて狡猾な手法で編集されていたことが分かっている。例えば、暗いネガティブな音楽を多用したり、モンタージュという手法で否定的な印象を植え付けようとしていることは明らかだった。

モンタージュとは、ロシアの映画監督のエイゼンシュテインがよく使った映像理論で、前後に映像を入れ込むことで見る側の印象が変わるという印象操作の編集手法である。例えば無表情の女性の顔を撮影しておき、その前に葬式でみんなが泣き叫ぶカットを入れると、女性の表情は悲しそうに見えるが、そのカットをカワイイ赤ちゃんがニコニコしながらおもちゃで遊ぶ映像に変えると、同じ女性の表情が、和やかな微笑ましい感じに見えるという理論であり、彼の代表作「戦艦ポチョムキン」というロシア革命を題材にした映画に多く使われている。

悪意に満ちたNHKの看板番組は、名誉毀損で訴えられ敗訴した。悪意に満ちた偏向報道をしたことを、反省して少しはNHKが良くなるかと思ったが、とんでもない。相変わらずウソで塗り固めた番組を垂れ流していたのだ。 

こちらもNHK看板番組「クローズアップ現代」で放送された「出家詐欺」に関する現状レポートで、何とインタビューした方も隠し撮りした場面も、すべてNHK記者が演出して演技指導までしていたと言うのだから、あいた口がふさがらない。当事者が演技指導されたと白状しているにも関わらず、NHKは「やらせや捏造はなかった」と回答しているが、台湾のケースでも当初同じであった。表ではきっぱり捏造疑惑を否定しておきながら、裏ではNHK関係者が台湾に出向き、内密に訴訟を取り下げるようしつこく当事者に交渉していたというから、悪質も極まれリと言ったところだ。

NHKは受信料で成り立つといいながら、その金で何をしているかと言うと、実はとんでもないことをその意図を隠して、平然とやっている反日機関であると断言できるのではないだろうか。お人よしの日本人は、そろそろ目を覚ました方がいい。