孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

ウソみたいな本当の話。

2015年04月01日 | 日記
4月1日と言えば、エイプリル・フールという嘘をつくのが許されるという日だそうです。普段から息を吐くように嘘をつく隣人たちの女酋長は、相変わらず、歴史を直視せよ、勇気を出して謝罪せよ、といい続けている。謝罪して金をよこせ、というのが本音なのだろうが、そこまでは言ってないか・・・。

私は、この日、嘘、嘘、嘘と何度も耳にすると、別のことを思い浮かべるようになりました。大好きなジャーナリストの、高山正之氏の本で読んだ話だが、ビルマの首相ウ・ソーのことです。ウというのは、Mr. というような言葉だそうだから、ビルマのソーさんのことです。昭和16年の秋にビルマ首相になった人です。

まだ、ビルマが英国の植民地だったころ、ソーさんは、はるばる英国まで行き、第2次世界大戦が始ったから、ビルマは英国のために戦います。そう当時の英国首相チャーチルに掛け合ったそうです。戦いますから、戦争が終わったらビルマを独立させてください、と言ったようです。ところが、白人はアジア人など人間扱いしていませんでしたから、まったく相手にしませんでした。

失意のソーさんは、その足でアメリカに渡り、当時の大統領、フランクリン・ルーズベルトに会いました。しかし、ルーズベルトもチャーチルに負けず劣らずアジア人嫌いですから、まったく相手にしませんでした。ソーさんは益々失意にくれて、アメリカ大陸を離れ、太平洋を横断して母国に帰る途中、ハワイに立ち寄ったのです。昭和16年12月のことでした。

ソーさんは、そこで日本の真珠湾奇襲攻撃を目撃したのでした。日の丸を掲げたゼロ戦が、アメリカの艦船を撃沈させ、飛び立とうとするアメリカ空軍の飛行機を次々と撃ち落しています。日本軍は強いぞ、と感激したソーさんは、日本にすがろうと思いましたが、西太平洋はすでに戦闘に入っていて、日本には行くことができません。

仕方なく、ソーさんは後戻りして、アメリカ本土に戻り、ヨーロッパの当時中立国だった、ポルトガルに入りました。日本大使館に飛び込み、ビルマの窮状を伝え、日本軍への協力をビルマは惜しまない旨を伝えました。しかし、インド経由で本国に帰る途中、イスラエルに降り立ったとき、ソーさんは、英国憲兵に逮捕されてしまいます。

ポルトガルの日本大使館が本国に暗号で打電した内容が、アメリカ軍に盗聴され解読され、チャーチルに伝えられていたのです。チャーチルはソーさんを生かしたままにしておくことにしました。暗号解読を悟られないようにするためです。

ビルマでは、そのころオンサン他、血気に流行る若者達が日本で兵隊訓練を受け、反英国運動を展開して日本軍と共に戦っていました。しかし、次第に日本軍の敗色が濃厚になると、オンサンは寝返って、英国軍側に付くことを決意します。

英国も気に食わなかったのですが、オンサンにも利用価値があるだろうと、一旦承知しますが、終戦後英国の手によって暗殺されてしまいます。直接手を下したのは、ウ・ソーということにして・・・。英国は、日本と手を組んだオンサンが許せなかったのです。今でもすべてのビルマ(ミャンマー)人達は、オンサンは英国が暗殺したと思っているそうです。

ウ・ソーはそのために殺さずにおいたわけです。オンサン・・・読み方はアウンサンというと、ああ、あのスーチーの??そうです。アウンサン・スーチーのお父さんなのです。英国は、オンサンの娘を抱きこんで、ミャンマーの反英感情をコントロールしようという魂胆なのです。

そう言えば、スーチーもノーベル平和賞を受賞してましたね。