孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

見とれてしまう所作だった

2015年04月10日 | 日記
観光立国を目指すのなら、確かに外国人観光客が年々増えていくのは喜ばしいことなのだろうが、最近のテレビ番組やニュースを見てどうも違和感を感じてしまうのはなぜなのかと思う。

この間も、東京のどこかの桜の名所だったと思うが、花見で賑わう中にも最近急増している中国の団体客がたくさんいて、中には桜の枝を折っているような輩もいた、と報道していた。それを聴いた瞬間非常に不愉快な気分を味わったのは、私だけではないだろう。

量販店で電化製品や紙おむつ、日本のお菓子などを一人で何個も「爆買い」している中国人たちのことを面白おかしく伝えていたが、あれとて、私は異常な、異様な光景にしか写らないし、決して愉快なことだとは感じなかった。

東京の人通りの多い通りで、子供に立小便をさせている母親らしき中国人がいたそうで、事を済ませた後、彼女はジロジロ見る道行く人たちに小便の入ったビニール袋を掲げて見せて、決して道路に小便をさせたわけではない事をアピールしたがっていたようだ。

中国政府も外国に旅行する人たちに、マナーやエチケットを啓蒙する努力はしているようだが、土台が酷すぎるのだから時間も相当要するのかもしれない。

以前、アメリカで主にアジアからの留学生に英語を教えている方と話をしているとき、「日本人はとても humble で、 sophisticated だ。」といわれたことがあった。「ああ、そうですか。」と言って返事をしたが、一緒にいた友人に、どういう意味かと小声で聞かれて、実はよく意味が分からなかったのだが、「多分、奥ゆかしいとかそんな意味じゃないかなあ?悪い意味じゃないでしょ。」とその場は答えたと思う。

後で、すぐに辞書で調べたところ、 humble は「謙虚な、腰が低い」、sophisticated は「洗練された、高尚な」と書かれていた。少なくとも悪い言葉ではなかったので、友人と共に安心したものだった。

私は、随分前に他界した明治生まれの祖父のいろいろな所作を見るのが大好きだったが、今思い出しても、あのときの英語の先生の言葉がピッタリするようで、懐かしくなる。

特に、祖父がご飯を食べ終えたときにする、茶碗にお茶を注ぎ、たくわんを一切れ箸でつまんで茶碗についた飯粒をきれいにしてから飲み干し、最後にたくわんをポイと口に放り込んでポリポリ音を立ててお終いとなる、あの一連の所作は、子供のころから眺めるのが楽しみだった。

また、野良仕事の合間に、あぜ道に腰をおろして、腰に挿した愛用のキセルで刻みタバコを吸い、まだ火の付いたままのタバコの玉を左手にトンと落として手のひらでコロコロさせながら、2服目のタバコをキセルに詰め、左手の上の火種で火をつける・・・というあの見事な手際いい所作は、ワクワクしながら見たものだった。

学歴も身分も、何も誇ることがないような田舎の老人だったが、カクシャクとしていて、気品が漂うっている様で、あれが humble で sophisticated という形容が当たるんだな、と今思うのです。そして、そう言ってくれた英語の先生の洞察力に敬意を感ずるのです。