孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

ノーサイド精神の胡散臭さ・・

2015年04月19日 | 日記
高級家具の会社の経営権をめぐって、父娘が世間に恥をさらしていたようだが、株主総会を終えて社長の娘側が勝利したという。高級家具には興味もないので、さほど関心もなかったのだが、勝利の後の記者会見で、娘さんが、「株主総会が終わればノーサイドです」と言ったそうだ。

つまり父親の見方に廻った社員を咎めることはないと言う趣旨だったと思うが、あまりにも聞いたようなお決まりのセリフで、鼻白んでしまった。

使い古されたこのフレーズは、英国の紳士のスポーツ、ラグビーで試合終了の合図のことだ。激しく戦った両者は、試合が終われば、どちらのサイドでもなく、お互いの健闘をたたえ合う精神で、家具屋姫もそういうつもりでこの言葉を使ったのだろうが、現実がこの崇高な理想とはかけ離れたことがかつてあった。

我が郷土には、本田宗一郎と並んで、もう一人の著名人古橋広之進がいる。言わずと知れた、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた自由形の水泳選手で、終戦後次々と世界記録を塗り替えていった。

敗戦後の1948年、戦後最初のオリンピックが紳士の都、ロンドンで開催されることになり、当時の記録から見て古橋ともう一人橋爪四郎は、世界でトップクラスの自由形の選手。メダルの期待を背負って、当然の如く五輪参加を申し込んだ。

ところが、ロンドン五輪組織委員会から届いた返事は、「参加拒否」であった。その電報は、「Remember Prince of Wales (プリンスオブウェールズを思い出せ)」とあった。

何のことかと言うと、日本が真珠湾を奇襲攻撃して三日後に、マレーシア沖で、日本軍が撃沈させたイギリス海軍東洋艦隊が誇る、新鋭不沈戦艦プリンス・オブ・ウェールズのことを思い出せ、という意味だった。この新鋭艦はチャーチル首相の大のお気に入りであったため、日本軍が撃沈させたという一報を受けて、彼は衝撃のあまり寝室にこもってしまったという。

当時、マレー半島を植民地支配していた英国は、この5日後にシンガポールに追い詰められて、とうとう白旗を掲げて降参したのだった。この怨念が日本の水泳選手のオリンピック参加を受け付けさせなかったと言うのだから、「英国紳士」の「ノーサイド精神」とはその程度のことだと言えよう。

さて、ロンドン五輪参加を拒否された古橋は、ロンドン五輪の水泳決勝と同日に日本で開催された日本選手権大会で、400m、1500m自由形ともにロンドン五輪の金メダリストの記録をはるかに上回る、当時の世界記録以上の記録で優勝したのだった。

やれやれ、今度はイースターかい・・

2015年04月19日 | 日記
何度も話題にしてきましたが、外国のお祭りだとか、祝祭日を意味も考えず真似したがる人が多くて、その節操のなさに嫌気が差すことが多々ある。

これは明治維新の後の政治家や政府高官たちが狂ったように舞踏会に興じたくらいだから、決して今に始ったことではないのだろうが、当時ですらその状況を見て、「亡国の兆しである」と憂慮した人達もいたようであるから、私の神経も、特に異常ではないものだと少し安心する。

そもそも、私はアメリカ文化の象徴といえるあのディズニーランドが大嫌いである。子供が小さいうちに行楽で連れて行くくらいならまだ許せるが、いい歳をした大人の男たちが、プーさんだのミッキーだの言ってはしゃいでいるのを目にした時など、「これぞ、亡国の兆しだ」と嘆息を漏らしてしまう。

朝の通勤時にカーラジオで、ディズニー・イースターが滑った転んだと解説していたが、ハロウィンの次はイースターかよと、もううんざりするのである。こんな私を、知ってか知らずか、カミさんは昨日から、職場のオバサン友達たちを誘って、大阪のUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)に出掛けている。

海外との付き合いが増えてきて、多くの外国人が日本にやって来るようになってくると、確かに英語の必要性も生じてくるのだろうが、それよりも増して、自分の国についての知識を常識として十分備えておくことが大切になってくる。

大人たちは将来を託す若者たちにこの点を十分認識した上で、啓蒙する義務があると思う。そう感じていた時、ある日の朝刊の読者の欄に高校生の投稿が目に付いた。日本人は英語が苦手だから、もっと外国文化をシジャンジャン入れたらいい、という主張だった。

腑に落ちなかったので、私はすぐに反論の投稿記事を送った。その時の原稿があったので、懐かしく読み返した。

『先月の「ひろば」に、異文化受入れに関する高校生の主張が掲載されていた。英語の苦手な日本人のために、外国文化をもっと積極的に受け入れるべきだという内容だったと思う。英語教育はかなり前からいろいろ議論されていたようで、私が中学生の頃は生徒全員がヘッドフォンをつけるLL教室という当時最先端の設備を備えた部屋で英語の授業を受けた記憶がある。その後普及したとは聞かないので、大した効果はなかったのだろう。

 日本人が何年勉強しても英語が話せないのは、その必要がないからである。多くの日本人は英語など話さなくとも、ほとんど不自由なく暮らしていける。大学まで8年間も勉強して話せないのだから、開始を低年齢化させたところで効果が期待できるとは思えない。それよりも、若い時こそ、母国語と自国の古典文化をしっかりと学ぶことに時間をかけるべきだと思う。英語など、強い必要性が生じれば一年もあれば話せるようになるものだ。』

民度の低さではかないませんな・・

2015年04月19日 | 日記
韓国で旅客船が沈没、船長が真っ先にパンツ一丁で逃げ出す、というまるでコントのような事故が起きてからもう1年経過したというから驚いた。

ついこの間のことのように感ずるのは、その事故の起きた日に韓国の女酋長が、男と密会していた・・・という朝鮮日報に掲載されたコラムを、「韓国の新聞に、こんなコラムがありましたよ」と伝えたことで、これが名誉毀損にあたるとして、加藤産経新聞ソウル支局長を起訴し、つい先週まで出国禁止処分にしたままだったからだ。

産経新聞は、日本のマスコミの中で最もまともに慰安婦問題に関して報道し続けている新聞であり、それが常日頃から気に入らなかった韓国政府は、ここぞとばかり腹いせに対応したと見るのが自然な見方だろう。民主主義も表現の自由も報道の自由もあったものではない、まったくとんでもない国だと思う。

更に、加藤前支局長の出国禁止措置解除についての、駐日韓国大使のコメントをニュースで見たときは、私は呆れて言葉が出なかったどころか、開いた口が塞がらず、危うく顎がはずれるところだった。何と彼はこう述べたのだ。「一つの国でいいことをして、相手国がまた一つ何かをしてくれれば、首脳会談につなげることができる。」

有り体に言えば、「出国禁止を解除してやったのだから、お返しに何かしてくれや」ということで、見返りを期待したわけだ。何とも卑しく、浅ましく、見下げた根性ではないか。

数年前に、私はこの国の目を覆うばかりの反日ぶりに、意外と暢気な我が同胞に不安を感じ、冷水を浴びせてやれとばかりに、精一杯の皮肉を含んで新聞の読者の欄に投稿したことがあった。あまり過激な表現で投稿すると採用されないので、自分の胃がシクシク痛むほど抑えた表現で投稿したら、採用され晴れて朝刊に掲載された。

探したら、原文が残っていた。

『韓国は、大統領が代わって少しは日韓関係が改善されるかと期待していた。しかし、依然として日韓首脳会談は行われず、それどころか、新大統領は、事あるごとに外国の首脳相手に、反日的な不満を喧伝している始末である。こんな折だけに、先日の朝刊の「日韓の草の根の民間交流を積極的に支援」という記事は、いたく興味を引いた。

日本の大衆文化への強い関心はあるが、アンケートを取れば「嫌いな国」は常に日本が断トツ一位となる。それもこれも、こちらの所為だ、謝罪せよ、と言われそうだが、地道な民間交流がどういう効果を産むか、推移を注目していきたい。若者同士の文化交流やスポーツ交流は奏功すればよいが、韓国の人は理性よりも情が優先する傾向があり、小学生の時から、徹底した反日教育を受けている。

ソフトムードに酔って、ウブな対応をしたり、大人の都合で子供を利用するようなことにならないか、少し懸念される。』