孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

多文化共生はどうもなあ・・・。

2015年02月20日 | 日記
異文化と触れ合うことは大好きだが多文化共生と言われると、私は腰が引けてしまう。それは今に始ったことではないが、シンガポールに1年弱住んだ結果、ますます腰が引けてしまうようになったと思う。

特に恨みなどないが、真夏の海岸で見かけるラテン系の集団などは、喧しいし女性の格好などまるでリオのカーニバル並みだし、私は直視できない。彼らは集まってみんなでバーベキューなどで盛り上がるのが大好きなようで、ちょっとした日陰さえあれば、鉄橋の下でも大音響のラジカセで大騒ぎしているのを良く見かける。

老人介護施設などでも、人手不足からかフィリピン人やインドネシア人を雇う制度が進行中だ。フィリピンの女性は皆明るいし、きれい好きなことからメイドさんとして世界中に出稼ぎに出ているのは有名だ。シンガポールには、あの小さな島国にも関わらず、フィリピン人が20万人働いているらしい。

メイドさんとはいえ、週末は休みのようで、繁華街にあるラッキープラザというビルは、フィリピン人の溜まり場になる。話には聞いていたが、初めてそこに行ったときは、飛び交うタガログ語にまるでフィリピンに戻ったような錯覚を起こした。それどころか、大きな植物園のあちこちのベンチはフィリピン人たちに占領されていて、まさに休日のシンガポールは街中フィリピン人で溢れかえっている。

シンガポールには、リトルインディアという名前の街があり、そこに行くとまさにインドを満喫できる雰囲気だ。ヒンズー教寺院も多く、通りを歩くと香辛料の香りが鼻をついてくる。ここは街中インド人だらけだ。

ひときわ大きなモスクがそびえる地区は当然ながらイスラム系の人が集まっている。ペルシャ絨毯の店が軒を連ね、巧みな話術で道行く観光客に絨毯を売りつけようとする。

2~3日の観光なら異国情緒を満喫できるだろうが、実際に当地で生活しているシンガポール人たちは、決して共生しているようには見えなかった。職業選択の自由はあるのだろうが、いわゆる3Kの仕事は、インドやバングラデシュ人が担っているようだ。

つまり、住み分けが明確にある。いわゆる外国人労働者は、それを承知で出稼ぎに来ているのだが、様々な不満が蓄積していき、あるときそれが爆発しているようだ。シンガポール政府はそれを、罰金と禁固刑とムチ打ちの刑で容赦なく取り締まるのである。

バスの中などいたるところにそういう内容のポスターを見るに付け、私は多文化は見るに限ると思ったものだ。