孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

能弁な近所の人たち・・・。

2015年02月07日 | 日記
個人情報保護のためで、今やこんな田舎でも、隣近所の家族構成すら分からなくなってきています。隣組の付き合いなどほとんどなくなっていますので、防災訓練をやっても、参加しない高齢者の健康状態など、突っ込んで聞かなければわかることはできません。

和歌山で起きた小学生殺人事件の報道を見ていると、まあ次々と近所の人が、つかまった犯人のことを喋っていますが、私はどうしても違和感を感じてしまいます。

私が子供の頃は、家の玄関に鍵をかけるなどという事は、ほとんどありませんでしたが、今やちょっと出掛けるだけでも鍵を掛けて出ます。実際、人目で外国人と分かる男が物置に入ってきて、片言の日本語で鉄くずはないかと聞いてきたときは、驚いて鳥肌が立ったことがあった。

和歌山に限らず、日本中の田舎で似たような事件が起き得るのが昨今の状況でしょう。そんな時、私の近所の人たちも、テレビのマイクに向ってベラベラ喋るのだろうかと思うと、おぞましい時代になったなあと寒気がする。

誰の所為でもないのだろうが、こんな状況で外国人労働者がなだれこんできたリ、移住者が海外から入り込んできたりしたら、簡単に共生などできるとは、到底想像できないのだが・・・。

マック開店に狂喜の市民。

2015年02月07日 | 日記
例によって昔の話です。今から大体35年位前のこと。もう完璧に職場の若い連中に話しても、相手にされない話題です。一言、「俺、生れてないし・・・。」と言って無視されます。

当時、私はある研修プログラムのメンバーとして、他の日本の若者たち約100人と共にアメリカの西部ワシントン州の真ん中片にある田舎町にいました。人口は多分2万人弱だったと思います。商店街があるわけでもなく、映画館もボーリング場もなく、若者達もあまり見かけない殺風景な街でした。私たちは郊外にある短大の学生寮に滞在して、一ヶ月間英語研修を受けました。

一クラス十数人に編成され、午前中は中学生レベルの英会話授業を受け、午後はアメリカの文化や産業の短編映画を観ました。プログラムの一環として、途中一回市民の家に週末ホームステイすることがありました。3~4人が1軒に泊まりに行くわけです。ホストファミリーと夕食を共にし、食後は居間でおしゃべりに興じます。

始めに自己紹介をして、日本から持ってきたお土産を手渡しました。私は、益子焼のぐい飲みを持っていきました。確か、一個300円くらいの安物でしたが、なかなか渋い、味わいのある焼き上がりのぐい飲みでした。他の二人は浮世絵の扇子と3メートル位のこ鯉のぼりで、どれもこれも大好評でした。

ご主人は、昔三年ほど北海道で英語教師をしていた経験があるそうで、日本文化にはかなり造詣が深く、好きな映画は「セブン・サムライ」だと言ってました。何の映画かはじめ分かりませんでしたが、少し経って、「七人の侍」のことだと気がつきました。愛嬌たっぷりの中学生の次女が飼っている愛犬の名前は、「太郎」で、一家揃って大の親日家のようでした。

さて、我々の楽しみの一つは夕食で、前日は、分厚いビフテキが食いたいなあ、なんて話していました。ところが、夕方になっても奥さんは夕食の支度をするわけでもなく、我々も一体どうなるのかと少し不安になってきたところ、「実はネエ・・・」とご主人がニコニコしながら語り始めました。

実は、とうとうこの街にもマクドナルドがオープンしたんだよ。ハンバーガーは好きだろ?今夜はそこで夕食だよ。」次女と奥さんはもう大喜びで、早く行こうとお父さんを急かし始めました。マクドナルドと言えば、今でこそ知ってますが、当時は知名度も低く、私は知りませんでした。ただ、ハンバーガーはホットドッグと並んで、アメリカの典型的な食べ物ですから、当然知ってました。

漠然と、今夜はハンバーガーか・・・と特に喜ぶわけでもなく、ついていきましたが、行って見ると、すごい行列にまず驚かされました。店内は満席で、店の外にも長い行列ができていました。20分ほど待って、店内に入り席を確保しました。ご主人が代表で注文しにカウンターに並び、我々は彼の合図を待ちました。

ハンバーガーとポテトとコカコーラの載ったトレイを各自テーブルまで運び、一斉に食べ始めましたが、店内の客は誰もこぼれんばかりの笑みを見せ、多分我々日本人だけが妙に無表情で沈んでたかもしれません。率直に言って、こんなお菓子みたいなもん夕食に食べて、アメリカ人は嬉しいのかね?これが、当時の私の偽らざる感想でした。

そんなにテレビに映りたいか?

2015年02月07日 | 日記
富士山五合目で、登山指導のアルバイトをしたとき感じたことです。山開き初日は、テレビ局各局、ラジオ局、新聞社など、取材陣で五合目はごった返します。お体裁程度に富士登山は無理をしないようにとか、装備をきちんと準備してとか注意喚起しますが、あくまでもお体裁程度で、横で見ていれば、心の底から訴えたいと思っていないのは簡単に分かります。

最近は、「弾丸登山」という言葉を使って、ご来光見たさに不眠で登山するのは避けましょうなどと訴えますが、ご来光、ご来光とはしゃぐレポーターの言葉には、まったく説得力が無く、むしろ「弾丸登山」を煽っているとさえ感じてしまう報道姿勢です。

どの局もレポーターとして五合目に派遣されるのは、キャピキャピの若い女性で、登山の怖さなどまったくどうでもいい感じのギャルですので、カメラマンを連れて登山客にインタビューすると、された方も大喜びでベラベラおしゃべりします。Tシャツにナップサック、運動靴姿というハイキングの格好で登山しようとする若者にインタビューしても、装備をとがめるわけでもなく、どこから来たのかとか、富士山が世界遺産になってどう思うかとか、下らない質問で時間を費やし、通行を妨げていることなどお構い無しの能天気レポーターです。

ところが、私の同僚の中にもカメラを向けられて、マイクを突きつけられると、人が変わったようにベラベラと、どうでも良い質問にご丁寧に答える輩がいました。大方の日本人はなぜテレビカメラを向けられると、ああやってベラベラ無抵抗に喋ってしまうのでしょうか?

事件があると、よく近所の住人が顔を映す、映さないに関わらず、ベラベラ知ってることを喋っているシーンが観られます。街の声にしても然り。喋った映像がどう使われるか分かったものではないのに、ベラベラ自論をまくし立てる通行人には、私はいつも眉をしかめてしまいます。

富士山のアルバイトのとき、一度こんなことがありました。それは、朝仕事を始めて一時間も経ったときでした。電話が鳴り、受話器をとった私はそれがNHKラジオの通信員と名乗る男と知り、嫌な気分になりましたが、用件を聞くと、山開きの五合目の様子を教えて欲しいと、気温とか天候とか、混雑具合とか、延々と質問攻めです。挙句の果てに、私の素性をあれやこれや問いただし始めました。

導火線の短い私は、「いい加減にしたらどうですか?一体あなたは何様だと思ってるんですか?私は今仕事中ですよ。取材をしたかったら現場に足を運んだらどうです?こんな風に電話で取材するのはNHKくらいなもんですよ。」そう言って受話器を置きました。

パーティー玩具、侮る無かれ!

2015年02月07日 | 日記
ヘリウムガスを吸うと自分の声がドナルドダックみたいになって、面白いですが、意識がなくなることもあるような危険性があることは知りませんでした。

食べ物に小さなビニール片が入っていたと、大騒ぎして報道していた各局が、この事件をサラッと報道してそれっきりという姿勢には、首を傾げてしまいます。この危険な商品は、今でも販売されているのでしょうかね?

新聞の捏造報道で耳目を集めた同系列のテレビ局の不祥事だから、あえて大騒ぎにならないように報道を抑えているのでしょうか?そうかんぐりたくなる現象です。

一方、台湾で起きた飛行機事故の報道は、朝から晩までこれでもかと執拗に報道しているのは、これまた違和感を覚えます。日本人が乗客にいたのなら、あるいは日本人観光客がよく利用する便なら少しは理解できますが、そうでもないようなので、あそこまで執拗な報道にはなにか裏があるように思えて仕方ありません。

ISILの報道姿勢も明らかにテロを擁護するものでしたから、ますます妙な報道機関だと感じさせます。何かと言えば、ソースは明かせない。報道の自由があると主張するのもいつものこと。私たちは洞察力を研ぎ澄ます必要がありますね。