孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

要注意!ナンチャッテ評論家たち

2017年01月23日 | テレビ・ラジオ
アメリカ大統領が変わって、心機一転新たな船出かと思いきや、報道では国を二分するほど新大統領を認めまいとする運動が続いているそうだ。

日本の各テレビ局でも、判で押したように、「就任式の参加者がオバマ前大統領の時と比較して、極端に少ない。」「歌手のマドンナも集会に参加していた。世界中で反トランプデモが発生している。」と興奮気味に伝えていた。

しかし、オバマ大統領の時は、180万人が集まったからといって、今回と比較するのは結構だが、肝心の大衆の期待に応える仕事をしたのだろうか?テレビをみていても、この点を解説する評論家はいなかった。

どの評論家も、コメンテーターも、番組の司会者も、アメリカの主要メディア同様に反トランプ一色の報道に徹しているようで、報道の中立性もヘッタクレもなかった。

まるで、トランプは、アメリカだけが得するように、世界を変えようとしているかのごとく伝えていたのが印象的であった。

こういう時は、昔なら大衆もマスコミの扇動に載せられたであろうが、今はインターネットで、疑問に感じたら即時に他の意見や解説を確認でる。

しかも地上波ではほとんどお目にかからない、優れた評論家や学者先生たちが、独自のメディアで論評を公開していて、これがまたCMに邪魔されず、低俗なお笑い芸人も同席せず、実に冷静で知的で視野の広い番組となっている。


地上波テレビでは様々な報道番組や討論番組が繰り広げられているが、押しなべてリベラルというか、左翼的な範疇に属する、ナンチャッテ評論家、オチャラケ・ジャーナリストが目立つので、こういう人の話を聞くと、大抵時間の無駄となるだけだ。例えば、こんな顔の連中・・

 

 

 

そこで、私がお勧めする日本の知性派の保守論客をここに紹介させていただくことにしよう。

いずれも、名前を youtube で検索すれば、この方達が出演している動画にめぐり合うことが出来る。どなたも、豊富な経験と広い見識で世界を俯瞰で観察した上で、論評・解説をしてくれる。

私がこの方達の論評を好んで拝聴し始めた頃は、目からウロコがボタボタ音を立てて落ちてビックリしたものだった。

 国際政治学者・中西輝政氏


 評論家・日下公人氏


 外交評論家・加瀬英明氏


 評論家・西尾幹二氏


 元外交官・馬渕睦夫氏


よく、一流人になるには、身に付けるものから一流の物を選ばなければダメだ、などと言う成金趣味のオヤジがいるが、必ずしもそうとは限らない。

しかし、世相を見る感覚を養うには、こういった一流の、知性の塊のような方々の論評に耳を傾けることで、一層簡素で清浄なものに研ぎ澄ますことが可能になると思う。

是非、一度お試しを。


スポーツ新聞購入の日

2017年01月23日 | 社会観察
私は競輪競馬などのギャンブルにはまったく興味がないし、プロ野球などほとんど反社会的職業だと思っているので、スポーツ新聞などにはまったく縁が無いといってもいい。

しかし、今日はコンビニでスポーツ新聞を2紙買ってしまった。それほど、どんな情報でも知りたかったのだ。

情報とは、大相撲の稀勢の里優勝と、女子卓球の平野美宇優勝に関する情報のことだった。

大相撲の横綱は蒙古勢に独占されて久しい。しかもその中の白鵬にいたっては、成績は優秀にせよ、取り口や土俵態度は目をそらしたくなるほど酷いもので、大相撲の品格を貶めるにもほどがあった。これは、ひとえに親方に責任があると思う。

そういう状況で、日本人の横綱の誕生が如何に期待されてきたか。

その最短距離にあったのが、稀勢の里であった。毎場所、出身の茨城だけでなく、日本中の期待を一身に背負って辛かっただろうが、ついにその時が到来した。

  後は地位が人格を作ってくれる

しかも、千秋楽で白鵬を投げ飛ばしての優勝で、多くの日本人の溜まっていた溜飲を、一気に下げてくれたのではなかったろうか。

女子卓球界は、リオ五輪以来次々と若手が台頭してきて、こんなに底が厚い競技であったのかと、目を見張るものがあった。

中でも、「ミウ・ミマ」コンビで台頭著しかった若手の二人は、どちらも私の郷土・静岡県の出身であり、男子の水谷選手と併せて、私は誇らしく思っていた。

そのミウこと、平野美宇選手が日本のエースの石川佳純選手を負かして、全日本選手権を制したのだ。

「ミウ・ミマ」コンビは、中学生の頃からその存在が注目されていた。

   賞金に驚嘆するミウ・ミマ

女子卓球界は、福原 愛ちゃん以来、石川佳純、伊藤美誠、平野美宇と立て続けに有望選手が出てきたが、彼女達は皆幼い頃から母の愛情と厳しい指導に育まれて上達してきたという共通点をもつ。

  その可愛さは金メダル級だ!

卓球王国、支那の選手強化システムとは明らかに異なる、日本独自の形として定型化した感がある。

しかも、昨日の平野美宇選手に関しては、昨年のブラジル五輪のときの情景が記憶にあって、彼女のその後の活躍ぶりの素晴らしさに、感動を割り増しさせる効果があった。

  リオでは補欠だった美宇

稀にみる勢いを期待させる「稀勢の里」関。美しい宇宙の「美宇」選手。

心の底から拍手を送りたいと思った両者であった。

『歌丸、まだ生きてます』報道を考える

2017年01月23日 | マスゴミ関連
いくら長寿国だからといっても、人間には寿命というものがある。日本では、それまで病気一つしたことがなくても、高齢者の仲間入りをすり頃になれば、嫌でも医者が悪いところを見つけてくれる仕組みになっているのだ。

有名人だろうが、八百屋だろうが、百姓だろうが、みんな平等に時がくればあの世に旅経つようにできているので、その時分になってもさほど恐怖感は感じないものだと、私は想像している。

特に特定の宗教を信じているわけでもない私は、物心ついた頃からずっと、人間は死ねばスイッチが切れたように、「ハイ、それまで」となって終わりとなり、天国だのあの世だの地獄だの極楽だのというものの存在は、まったく信ずる気にはならないできた。

よく有名芸能人が他界したりすると、テレビでは司会者やレポーターが取って付けた様に神妙な顔つきをして、「信じられない」とか、「思いもよらなかった」とか言って、その意外性を強調するのが常のようだ。

同僚の芸人達もマイクに向かって、「早過ぎる死で、驚いている」などとありきたりのことを言うのだが、なに前から病気であったことは承知のことで、内心は「そろそろ・・・」と思っていたはずであったりするものだ。

   わたし、落語家なんですが・・

長寿番組「笑点」の司会を担当していた、桂歌丸さんが腸閉塞だったかで入院したと報道された時は、その風貌からさほど驚かなかったのだが、その後「歌丸さん、無事退院  高座に復帰」とか、「歌丸さん、インフルエンザで入院」「歌丸さん、元気に退院」「歌丸、肺炎で入院」「桂歌丸、笑顔で退院 高座復帰目指す」

数ヶ月の間に、次々と似たような報道が続くと、不謹慎かもしれないが「しぶといなあ」と思ってしまうものだ。

それは、私に限ったことではないのではなかろうか。

世に落語ファンはたくさんいるだろうが、桂歌丸の落語が天下一品の名人芸であるとは、私はまったく思わない。私が認める「名人」は、なんといっても、五代目古今亭志ん生と六代目三遊亭圓生である。

お二人の私生活のことは、嬉しいことに私はまったく知らない。知らないどころか、知りたくも無い。純粋にお二人の落語だけを愛する次第である。

   今度も笑顔で復帰宣言。

テレビ業界が、それほど歌丸のことが好きなら、入退院の報道だけではなく、彼の芸を知らしめる時間を作ってやったら如何なものだろう。

それをしないで、ただ「歌丸、まだ生きてる」報道を続けるのは、落語家・桂歌丸に対して失礼ではなかろうか。