孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

『歌丸、まだ生きてます』報道を考える

2017年01月23日 | マスゴミ関連
いくら長寿国だからといっても、人間には寿命というものがある。日本では、それまで病気一つしたことがなくても、高齢者の仲間入りをすり頃になれば、嫌でも医者が悪いところを見つけてくれる仕組みになっているのだ。

有名人だろうが、八百屋だろうが、百姓だろうが、みんな平等に時がくればあの世に旅経つようにできているので、その時分になってもさほど恐怖感は感じないものだと、私は想像している。

特に特定の宗教を信じているわけでもない私は、物心ついた頃からずっと、人間は死ねばスイッチが切れたように、「ハイ、それまで」となって終わりとなり、天国だのあの世だの地獄だの極楽だのというものの存在は、まったく信ずる気にはならないできた。

よく有名芸能人が他界したりすると、テレビでは司会者やレポーターが取って付けた様に神妙な顔つきをして、「信じられない」とか、「思いもよらなかった」とか言って、その意外性を強調するのが常のようだ。

同僚の芸人達もマイクに向かって、「早過ぎる死で、驚いている」などとありきたりのことを言うのだが、なに前から病気であったことは承知のことで、内心は「そろそろ・・・」と思っていたはずであったりするものだ。

   わたし、落語家なんですが・・

長寿番組「笑点」の司会を担当していた、桂歌丸さんが腸閉塞だったかで入院したと報道された時は、その風貌からさほど驚かなかったのだが、その後「歌丸さん、無事退院  高座に復帰」とか、「歌丸さん、インフルエンザで入院」「歌丸さん、元気に退院」「歌丸、肺炎で入院」「桂歌丸、笑顔で退院 高座復帰目指す」

数ヶ月の間に、次々と似たような報道が続くと、不謹慎かもしれないが「しぶといなあ」と思ってしまうものだ。

それは、私に限ったことではないのではなかろうか。

世に落語ファンはたくさんいるだろうが、桂歌丸の落語が天下一品の名人芸であるとは、私はまったく思わない。私が認める「名人」は、なんといっても、五代目古今亭志ん生と六代目三遊亭圓生である。

お二人の私生活のことは、嬉しいことに私はまったく知らない。知らないどころか、知りたくも無い。純粋にお二人の落語だけを愛する次第である。

   今度も笑顔で復帰宣言。

テレビ業界が、それほど歌丸のことが好きなら、入退院の報道だけではなく、彼の芸を知らしめる時間を作ってやったら如何なものだろう。

それをしないで、ただ「歌丸、まだ生きてる」報道を続けるのは、落語家・桂歌丸に対して失礼ではなかろうか。



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