私は、二十代のときアメリカ西部で2年間過ごした経験があるが、その時のことを色々思い出させてくれた大統領選挙選であった。
特に選挙戦中、トランプ氏がメキシコ国境に壁を造ると言い出したときだった。
アメリカに渡った年の夏から秋にかけて、私はオレゴン州の北部のワシントン州との州境を流れるコロンビア川近くの田舎町のりんご農家で3ヶ月間アルバイトをした。
たしか、パークデールという名前の、人口は多分数千人の小さな町で、りんごや桃、洋梨などの果樹園農家で成り立つ山沿いの町だった。果樹園脇に備え付けられた小型バスくらいのキャンピングカーが私の住処で、そこで私は三食自炊をしながら、収穫が始るまでペンキ塗りやら、摘果作業やら、様々な雑用をした。
10月の収穫期になると、白人のヒッピーやら、メキシコ人労働者やらがりんごの収穫作業の仕事にありつこうと農場にやってきて、全部で10人ほどが果樹園内に立てられた、木造の粗末な小屋に住み始めた。
国境の大河リオ・グランデを渡る
収穫が始ると、彼らはキャンバス生地の収穫袋を首に掛け、ジュラルミン製の高梯子を操って次々にりんごをもぎ取って、袋に入れていく。そして袋がりんごで一杯になると、梯子を降りて、一間四方くらいの木製の箱にりんごをあけていくのだった。
ピースワークといって、その木箱をりんごで一杯にすると、一箱当たり確か7ドルという出来高制の仕事だった。白人のヒッピー達は、その日暮らしの収入で満足するため、のんびりとマイペースで収穫作業をするのだが、メキシコ人たちは違った。
ひたすら砂漠を北上する
最初の頃は私も同じ仕事をやったが、昼食をとるのも忘れて無我夢中で一日収穫しても、木箱4~5箱だった。それをメキシコ人たちは、9~12箱くらい達成するのだった。
私の主な仕事は、彼らがりんごで一杯にした木箱をトラクタで集積場所まで運んでいき、代わりに空の木箱を要所要所に配置することだった。
夕方仕事を終えてから、彼らが寝泊りする掘立て小屋に遊びにいくと、メキシコ料理のトルティーヤなどを食べろ、食べろとご馳走してくれて、片言の英語やスペイン語で会話を楽しんだものだった。
後で農場主から聞いたところでは、彼らメキシコ人はみな不法入国者で、木箱一箱の収入が故郷の日当にほぼ匹敵するとのことだった。つまり、果樹園で三日も働けば、メキシコでの月収分が稼げるというわけだ。
そして、彼らはアメリカとの国境沿いを流れる大河、リオ・グランデを渡って密入国した後、カリフォルニアのレタス農家やイチゴ農家で収穫作業をしながら北上してオレゴン州まで来る。
この後、更に北上してワシントン州に入り、野菜収穫などをして、今度は順番に南下して行くのだそうだ。このように、アメリカ西部の農家は、メキシコ人不法入国者たちにかなり依存している現実があった。
彼らは稼いだお金で安い中古車を買って移動したりするそうだが、やはり取り締まりの警察官や国境警備隊の目は常に気にしているようだった。
不法入国者に注意!
しかし、取り締まる側も農家の労働力不足の現実は理解しているようで、そのあたりは臨機応変に対応していたのだと思う。
運悪く捕まった場合は、持ち金すべてを没収されて、メキシコに強制送還させられる。従って、彼らは現金を靴の底に隠しているのだ、と農場主が小声で教えてくれた。
試しに、「いい靴だね。売ってくれないか?いくらだい?」とメキシコ人に言ってみると、「ノー、ノー、これはダメだよ!」とムキになって断るのだった。
彼ら不法入国者のことを、英語でイリーガル・エイリアンなどと言うが、実際彼らは、ウェットバックと呼ばれていた。
Wet Back とは、「湿った背中」という意味である。
昔はリオ・グランデを泳いで渡って密入国し、砂漠を歩いて北上したメキシコ人たちだったが、びしょ濡れだった服も砂漠を歩くうちに前は乾くが背中はまだ湿っているので、不法入国がバレたということからくるスラングだった。
あの頃からもう40年近く経つが、今でもウェットバックという言葉は使われているのだろうか。
思わぬトランプ騒動が、当時を思い出させてくれた。
特に選挙戦中、トランプ氏がメキシコ国境に壁を造ると言い出したときだった。
アメリカに渡った年の夏から秋にかけて、私はオレゴン州の北部のワシントン州との州境を流れるコロンビア川近くの田舎町のりんご農家で3ヶ月間アルバイトをした。
たしか、パークデールという名前の、人口は多分数千人の小さな町で、りんごや桃、洋梨などの果樹園農家で成り立つ山沿いの町だった。果樹園脇に備え付けられた小型バスくらいのキャンピングカーが私の住処で、そこで私は三食自炊をしながら、収穫が始るまでペンキ塗りやら、摘果作業やら、様々な雑用をした。
10月の収穫期になると、白人のヒッピーやら、メキシコ人労働者やらがりんごの収穫作業の仕事にありつこうと農場にやってきて、全部で10人ほどが果樹園内に立てられた、木造の粗末な小屋に住み始めた。
国境の大河リオ・グランデを渡る
収穫が始ると、彼らはキャンバス生地の収穫袋を首に掛け、ジュラルミン製の高梯子を操って次々にりんごをもぎ取って、袋に入れていく。そして袋がりんごで一杯になると、梯子を降りて、一間四方くらいの木製の箱にりんごをあけていくのだった。
ピースワークといって、その木箱をりんごで一杯にすると、一箱当たり確か7ドルという出来高制の仕事だった。白人のヒッピー達は、その日暮らしの収入で満足するため、のんびりとマイペースで収穫作業をするのだが、メキシコ人たちは違った。
ひたすら砂漠を北上する
最初の頃は私も同じ仕事をやったが、昼食をとるのも忘れて無我夢中で一日収穫しても、木箱4~5箱だった。それをメキシコ人たちは、9~12箱くらい達成するのだった。
私の主な仕事は、彼らがりんごで一杯にした木箱をトラクタで集積場所まで運んでいき、代わりに空の木箱を要所要所に配置することだった。
夕方仕事を終えてから、彼らが寝泊りする掘立て小屋に遊びにいくと、メキシコ料理のトルティーヤなどを食べろ、食べろとご馳走してくれて、片言の英語やスペイン語で会話を楽しんだものだった。
後で農場主から聞いたところでは、彼らメキシコ人はみな不法入国者で、木箱一箱の収入が故郷の日当にほぼ匹敵するとのことだった。つまり、果樹園で三日も働けば、メキシコでの月収分が稼げるというわけだ。
そして、彼らはアメリカとの国境沿いを流れる大河、リオ・グランデを渡って密入国した後、カリフォルニアのレタス農家やイチゴ農家で収穫作業をしながら北上してオレゴン州まで来る。
この後、更に北上してワシントン州に入り、野菜収穫などをして、今度は順番に南下して行くのだそうだ。このように、アメリカ西部の農家は、メキシコ人不法入国者たちにかなり依存している現実があった。
彼らは稼いだお金で安い中古車を買って移動したりするそうだが、やはり取り締まりの警察官や国境警備隊の目は常に気にしているようだった。
不法入国者に注意!
しかし、取り締まる側も農家の労働力不足の現実は理解しているようで、そのあたりは臨機応変に対応していたのだと思う。
運悪く捕まった場合は、持ち金すべてを没収されて、メキシコに強制送還させられる。従って、彼らは現金を靴の底に隠しているのだ、と農場主が小声で教えてくれた。
試しに、「いい靴だね。売ってくれないか?いくらだい?」とメキシコ人に言ってみると、「ノー、ノー、これはダメだよ!」とムキになって断るのだった。
彼ら不法入国者のことを、英語でイリーガル・エイリアンなどと言うが、実際彼らは、ウェットバックと呼ばれていた。
Wet Back とは、「湿った背中」という意味である。
昔はリオ・グランデを泳いで渡って密入国し、砂漠を歩いて北上したメキシコ人たちだったが、びしょ濡れだった服も砂漠を歩くうちに前は乾くが背中はまだ湿っているので、不法入国がバレたということからくるスラングだった。
あの頃からもう40年近く経つが、今でもウェットバックという言葉は使われているのだろうか。
思わぬトランプ騒動が、当時を思い出させてくれた。