まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

侘び助が 明日の予定を のぞき込む

2015年03月13日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷の接近で雲が広がり、夜遅くには雨の降る所があるらしい。明日の14日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、明け方まで雨が降り、雷を伴う所がある見込みだとか。昼前からは高気圧に覆われて、次第に晴れるということだ。

  

 今日は天気がいいので、塩飽本島の小坂や泊地区を訪ねてみたいと考えていたのだが、奥方が「ダメよダメダメ。」と仰る。私が働いているのに、あなたが遊ぶのは不公平だと仰る。行くのならば一緒でないといけないと言うのだ。こういうことは最近になって言い出したこと。

 

 というので、仕方なく「塩飽小坂小誌」の続きで、今日は「丸亀市史」や、吉田先生の「塩飽史」をひもといてみた。丸亀市は通り一遍の史実らしいことを書いてある。

 

 吉田先生のは少し変わっている。土佐海援隊が塩飽人名の島を占領しようと、小坂の住民に働きかけた・・・というもので、目の付け所が違うなぁと思った。お話としては面白いかも知れないなぁと思ったが、史実としてはどうだろうか。

 

 これは、塩飽に残されている「塩飽検地之事」という朱印状で、「折り紙」という書状。田方屋敷方 のところで上下に折ってある。公的書類は、こうした「折り紙」であった。吉田先生の本の中には「切り紙を持たせ・・・」とか、「切り紙相違し・・」とある。今、切り紙や折り紙を検索しても紙で遊ぶ折り紙細工や切り紙細工しか出て来ない。切り紙とは普通の用紙に書かれた文書や手紙などである。

 

 ということで、「塩飽小坂小誌」の現代語訳が終わった。ま、誤字や下手な解釈はあるだろうが、それはこれからチェックするが、関係するものを印刷して並べてみた。

 

 そうすれば、このような本になる。一応、前書き、目次、現代語訳、原文、参考資料、あとがき、参考文書、奥書、裏表紙・・と、本らしい体裁は出来上がった。あとは、適宜に画像や資料、注釈なんぞを追加していく。

 

 これで大きな峠を越えた感触。表から眺めてみたり、裏から眺めてみたり・・・。

 

 今日も「木村食堂」のおうどん。外でもおうどん、家でもおうどんというのは少しうんざりするが、「働いていないんでしょ」と言われると・・・仕方が無い。

 

 今日は天気がいいものだから、わが家の前の畑には野猿が十数匹、悠々と歩いている。ジェット花火を発射すると一目散に山の中に逃げ込むが、花火くらいでは撃退はできない。すぐにまた、小猿などを引き連れて、ぞろぞろと、そのあたりを徘徊するのである。

 

 夕方の散歩に行くと、迷犬ごんが動かない。こんなところでどうしたんだろうかと、ふと目をやれば・・・。

 

 またしても、この捕獲器に親子(母子)のサルが入っている。この母親の首にはセンサーが取り付けられている。と、言うことは、一度はオリに入って捕まっているのだ。一度、学習したら身にしみたはずなのに、なんともはや、目の前のエサを見ると、食べ物が優先するのだろうか。この捕獲器は三月末日には撤去されることになっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「何千ものろうそくは一本のろうそくで灯すことができる。それでろうそくの命が短くなることはない。幸福も分かち合って減ることはない」という仏陀の言葉から。お釈迦様の時代にろうそくがあったんだろうかと素朴な疑問を感じたが、なにがしかの灯りははあった筈。そのあかりは一つの灯りで灯すことができたのだろう。ろうそくの命はだんだんと短くなるのだろうし、なたね油も少しずつは少なくなって行くようにも思えるのだけれど。それでも、幸福は分かち合っても減ることはないのだと思った。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


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