まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

雛に寄せ こころすっかり 山頭火

2016年02月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 東かがわ市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があったが、昼前には概ね晴れていた。夕方からは気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、雨や雪の降る所があるらしい。夜は雷を伴う所もある見込みなんだとか。気温は6度から12度、湿度は80%から46%、風は1mから5mの西の風が冷たくなってきた。明日の3月1日は、寒気の影響で雲が広がりやすく、明け方まで雪の降る所があるのだとか。

 

 ここに来てから体温は36度から36.3度程度だったのが、昨日の19時過ぎから悪寒がし、体温が37.3度まで上昇し、鼻水が流れ、咳が出てきた。病院に居るからと言っても日曜日の夜になると看護師さんの数はぐんと減る。結局の薬局で、薄い掛け布団をかぶって寝ることにした。ここには毛布なんぞはないらしい。必要な人は自宅から持って来るものらしい。

 

 早めに寝たのが良かったのかどうか、朝になってみれば36.0度に戻っていた。咳も鼻水も止まっていた。ひとまず、やれやれである。

 

 朝食はこんなもの。味噌汁に切り干し大根の煮物、ほうれん草のお浸しに米飯の小に牛乳。

 

 エアコンのせいか、目玉が乾燥する。喉の乾燥は水を飲んでおけばいいのだが、目玉が乾くと本も読めないし、パソコンも辛い・・・。そこで、眼科にお願いをして目薬をお願いした。

 

 すると、一年ぶりだからと、目の検査を一通りされて、右目の視力が落ちていますし、涙の量が少なくなっていますね・・と言われた。

 

 一昨年の12月に左目の白内障の手術をして、昨年の2月に検査を受けて以来の受診らしい。それに、右目の白内障も進んできているらしい・・・。

 

 で、ヒアレインという目薬が処方された。それとは別に、左目に眼底出血もあって、それが進めば視力を失う・・という診断も頂いた。だんだんと、あちらこちらでガタが来ているものらしい。

 

 今日の昼食はこれ。蒸し鶏肉にだし割りパック掛け、豆腐あんかけ、焼き茄子のポン酢かけにパインアップル、米飯小。義務的に食べるだけのような気がする。おいしいとは感じない。

 

 午後からは胸部レントゲン検査。腹水の有無を確認するものらしい。

 

 今日は月曜日ということで、シーツ交換の日らしい。で、明日は病室着の交換があるらしい。それと、心臓エコー検査と頭部MRI検査もあるらしい。

 

 担当ドクターが「肝臓ウイルス検査」のデータを用意してくれた。肝炎ウイルスには感染していないというデータである。いつでもどうぞ>よっくん。

 

 ふっと気が付いたら、満室だった隣の部屋がからっぽになったり、患者さんが入れ替わったりと目まぐるしく出入りがあるらしい。私は14日のうち、4日が過ぎたところ。

 

 お部屋もベッドもきれいになって、今夜は気持ちよく寝られそう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「解決できんものがあるところに また人生の意義がある」という、曽我量深先生の言葉から。世の中には解決できるものと解決できないものがある。生老病死の問題や人生の苦悩の問題や後生の一大事の問題や・・・。その解決できないものがあるところにおいて、この「私の人生の意義があるではないか」という先生のお言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


菜の花に しぐれる明日が ついてくる

2016年02月28日 | 時にはぼぉっ~とする時

 東かがわ市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3度から13度、湿度は88%から60%、風は0mから4mの南南東の風が少しばかり。明日の29日は日本海の低気圧からのびる寒冷前線が通過するため雲が広がり、朝から昼前にかけては雨となり、雷を伴う所もある見込みらしい。

 

 昨夜も9時の消灯で寝てしまった。でも、利尿剤の影響で、1時間ごととか2時間ごとに目が覚めてトイレに行く。尿の量を測定して記録用に記入し、脱水症状にならないようにお茶か水を補給して、その量も記録する。おかげで一日中眠たい気分になる。

 

 目が覚めるのは5時半。6時半になれば部屋の電灯がともる。その間に尿の量や飲水量の記録の整理、体重や体温計の記録などもエクセル・シートに記入しておく。8時前に朝食が配られる。今朝の朝食は味噌汁・吉野煮・味付け海苔・牛乳に米飯少量。五分ほどで完食する。

 

 今日も春らしいいい天気。近くに見えるドームは個人宅のものらしい。ブログの確認やらフェイスブックのチェックやらをやっていると、早くもお昼ご飯になる。今日は日曜日だから、診察も検査もない。オシッコの量と、補給した水分量の確認やら記録で時間が過ぎる。

 

 これが今日の昼食。魚の沢煮風煮付け・キュウリの酢の物。冷や奴・米飯少量にぽんかん。はやくも冷や奴か・・・。これまた五分ほどで完食して容器を返却する。今回も一番乗り。食後の歯磨きをするが、トイレの洗面台で歯磨きをすると、「汚いなぁ、非常識だ」と言われるが、非常識なんだろうか。どこでだっていいじゃないか。

 

 町は春霞がかかったように霞んで見える。

 

 これは私のブログの検索項目だが、袈裟に関するもの、沈黙時間に関するものは毎日あるのだが、昨日から「ひけたひなまつり」が始まったので、ひなまつりに関するものが登場した。引田のひな祭りに何人来る・・・と聞かれても私はそんなことなんぞ知るよしもない。

 

 これのことだと思うが、これは「ネギ」ではないくて「ワケギ」で、周囲にあるものは「ハマグリ」である。ワケギとハマグリの意味は、ワケギは、1つのカブから、20から30カブに増えるため、多くの子孫に恵まれることを意味し、ハマグリは、口をしっかり閉じることから、家庭を治め、家族が大きく育つことを意味する。また、夫婦和合と子孫繁栄をも意味する。

 

 雛壇は、7段が一般的。女の子は、生まれてから七つの節目を乗り越えて頂点に登ると考えられてきたし、市松人形は段飾りの両脇には、市松人形を大小対にして飾るが、これは、早く美しく育つよう思いが込められている。桃の花を中心に、周りに扇形に餅花を付けた柳、椿を活ける。扇状に飾ることで四方八方に羽ばたけということを意味している。引田特産の「うずまき羊羹」は小さく大きく渦を巻き起こし、社会に羽ばたくよう願いがこめられており、巻き寿司は中身が充実し、社会に喜ばれる人となるよう願いが込められている。菱餅は一段一段昇華して、頂点にのぼれという意味が込められているし、垂れ幕は雛人形の屋敷内にけがれや厄(わざわい)が入らぬよう願いが込められているという。

 

 引田ひなまつりは、2月27日~3月3日まで、引田町内一円で開催されている。

 

 散歩から戻ってきたおじさんが言うには、「この先の堤防では桜のつぼみが開き初めとるぞ・・」ということだったが、それはなんでも早すぎるじゃろ。桜の花は三月下旬のはず。まだ一ヶ月は先じゃぞいな。

 

 ここの病院では、個人情報保護の観点から、部屋の入り口には、こういう表示になっている。私も数年間はこのようにしてきたが、誰もお見舞いなどにはやって来ないし、知り合いもほとんど出会わないので、今回からは実名で表示してあるが、今のところ、誰一名もお見舞いには来ていない。ずいぶんと影が薄くなってしまったことであることか。

 

 今のところ、毎日の排水量は3㍑から4㍑、飲水量は2㍑から3㍑、体重は63.5Kg、体温は36度程度に落ち着いてきた。さて、明日からの一週間はどうなることだろうか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の世はあせらず あわてず あきらめず」という、町内の善楽寺さんの掲示板にあったことばから。気になって調べてみたら「読み人知らず」の格言であった。「あせる → 焦る」は、焦=鳥が焼けこげついているさま。「あわてる → 慌てる」は、慌=心が荒れて落ち着かないさま。ということで・・・、慌てるということは、心が死んで機能していない状態と同じこと。何事も落ち着いて深呼吸してゆったり、そしてどっしりのんびりじっくりと取り組んでいけたらいいのだけれど。そして最後はあきらめないで・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春の日は 居眠りしている 猫ばかり

2016年02月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 東かがわ市地方は高気圧に覆われて晴れてたが、寒冷前線が夜に通過するため次第に雲が広がり、夜のはじめ頃には雨が降る見込みらしい。気温は0.7度から13.3度、湿度は76%から40%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の28日は高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の影響で午後には次第に雲が広がるらしい。

 

 二日目になると空気や騒音にも慣れたものか、昨夜はぐっすりと寝てしまっていた。酒やビールを飲まずにも寝られるのは本山での研修でも実践済みだが、騒音やいびきや寝言の中でもぐっすりと寝られたのはいいことだ。

 

 今朝の朝食。おかか煮、ドレッシングかけに牛乳と味噌汁にご飯小に牛乳。心臓食だから薄味で味はわからない。

 

 土曜日だから、今日は採血もないし、何もない。テレビは面白くないし、ラジオも楽しくもない。そこで、思い出したように俵札の調査結果のまとめ作業をやってみた。

 

 すると、早くも昼食がやってきた。永いはずの病室の生活もお年寄りのせいか、あっという間に時間が過ぎる。

 

 お昼は、千草蒸し、里芋の味噌かけ、野菜サラダにご飯の小に甘夏缶。食器は一番最初に返却した。でも、ご飯を食べると胃が重たくなるのはどうしようもない。

 

 土曜・日曜は静かなもの。お見舞いの人も見かけない。ドクターもお休みだし、開店休業状態。

 

 お昼からは読書をしながら、うとうととお昼寝気味。どうにも、こういう本を眺めていると眠たくなってしまうから不思議だ。

 

 あんまり、お昼寝が過ぎると、夜中に眠れなくなりそうだが、ついついと眠ってしまう。夏休みのこども科学電話相談で、「動物園の動物たちは、なぜ、眠ってばかりいるのですか」という質問が毎年あるけれど、おなかが起きて、用事がなければ、犬だってネコだって人間だって、寝るしかないのだなぁと体験的に納得した。

 

 さて、新しい利尿剤の「サムスカ15mg錠」だが、昨日、一昨日は効き目があったけれど、今日は全く効果がない。お茶やお水を飲んでみたが、おなかが張るばかりなので、お昼からはやめてみた。平日には、「どうですか?」と、うるさいほど看護師さんが来るのだが、土曜日のせいか、誰もやって来ない。はてさて、どうしたもんだろうか。

 

 ナースセンターにも人影はまばら。何もしてくれないならば、帰ってもいいようなものだが、それすらも相談にもなりゃしない。

 

 マスク姿で一階の自販機コーナーに行ってきたが、薄暗い一階は怪しい雰囲気の空気。自販機の灯りだけが異様に明るい。大塚先生の仰るように、”独生・独死・独去・独来”・・・本来一人。夕食まで、もうひとふんばり、論文でも見直してみるか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「やれ運命がつまらないの、人生がつまらないのって人は、その考え方がつまらないんです。」という中村天風さんの言葉から。『やれ運命がつまらないの、人生がつまらないのって人は、その考え方がつまらないんです。いいですか、幸福も健康も成功も、ほかにあるんじゃないですぜ。あなた方自身のなかにあるんだぜ。』中村天風、なかむら・てんぷう。日本初のヨガ行者。東京都出身。旧制中学退学後陸軍の特殊工作員となり満州へ行く。日露戦争前に活躍し「人斬り天風」の異名をとった。その後、アメリカ、イギリスを経てインドに至り、インドヨーガの聖人カリアッパに弟子入りした。2年半の修業後、孫文の第二次辛亥革命を手伝った後、帰国し、東京実業貯蔵銀行頭取などを務めた。その後、すべての財産を処分し天風会の前身である統一哲医学会を設立。政財界の実力者に大きな影響を与えた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春めいて 挨拶はずむ 待合所

2016年02月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 東かがわ市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は-0.6度から10.2度、湿度は70%から42%、風は1mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の27日は、昼頃まで高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の影響で次第に雲が広がり、夕方には雨が降る見込みらしい。

 

 昨夜は病院初日ということもあって、なかなかに寝付けなかった。寝たと思ったら奥方が「家の鍵を全部掛けてあって、入れないじゃないの」と血相を変えてやってきて、家の鍵をひったくるようにして帰って行った。あの人はあの人の鍵があるはずなのに・・・。そんなこんなで今日は眠たいことだった。

 

 今朝の朝食はこれ。野菜の煮物にブロッコリーのかか和えに味噌汁とご飯の小。それに牛乳。どれも柔らかいのだけれど味はほとんどない。

 

 おおざっぱに言えば、こういうことらしい。こんなふうに腹水が溜まるらしい。

 

 で、心臓や肺臓を圧迫して息切れや動悸が起こる。当然、胃も圧迫するからビールも飲めないしうどん一玉が入らない。食事は普通の人の半分も食べられない。

 

 で、昨日から、この「サムスカ15mg錠」を朝に一錠だけ飲んでいる。

 

 これが尿の量である。昨日は約3.49㍑を排出したことになる。これで体重が3Kgは減ったことになる。これと並行して、水分補給量も記録している。補給量はこれの半分以下。

 

 それと朝夕の採血による血液検査と胸部レントゲン検査で腹水の確認。

 

 左手は穴ぼこだらけになっている。

 

 今日のお昼はしっぽくうどん。鶏肉が入っていた。それに魚の南部焼きと和え物にリンゴのデザート。これも煮込みうどんみたいでベトベトのどろどろ状態。お世辞にもおいしいものではなかった。

 

 命をつなぐために食べているという感じ。

 

 この方が私の主治医のドクターである。はやくも「カテーテル検査をやりませんか・・」と言い出してきた。ここにいれば逃げられない。まな板の鯉同然である。

 

 今日はこの本を読んでいる。

 

 今日の掲示板はこれ。「何ものも「自分のもの」ではないと知るのが知恵である」というダンマパダからのことばである。『何物も自分のものでない、と知るのが智慧であり、苦しみから離れ、清らかになる道である。 』(『ダンマパダ』) 私が「私のもの」であると思い込んでいる「私のもの」とは、いずれ朽ち果ててしまい失われてしまうものである。あるいは、「私の 死」をもって、「私のもの」と思い込み、あるいは信じ込んでいるものは、「私のもの」ではなくなってしまうのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あれこれと 悩みもあって やぶ椿

2016年02月25日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は2度から8度、湿度は74%から48%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の26日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 奥方は6時半からケアマネ更新研修に出かけ、私は7時から空き瓶を回収場へ運び、7時半からポチの散歩を済ませ、朝ドラを見て、三男のたっくんに送ってもらって県立病院へ向かった。

 

 8時半過ぎに病院に着き、入院の手続きを済ませて病室に入る。

 

 毎度お馴染みの三階にある心臓病センター。私も一応は「心不全」の患者ということになっている。心不全の初期には、平地を歩く時にはなんともないのだが、坂道を上ったり、重いものを持ったりすると、息切れが激しくなる。私はこの段階にある。心不全が進行してくると、あお向けになって寝るとセキが続いたり、息苦しく、体を少し起こすと楽になったりするらしい。

 

 これが今日の私の寝床。ここだって、いつ、どの部屋に変わるかもしれない。

 

 ここで、ハタと気が付いたのだが、マウスがない。ノートPCはマウスなしでも動くのだが、慣れていないとものすごくストレスが溜まる。弟は帰ってしまった後だし、看護師さんにお願いしても「予備なんてありません」と言われた。ドクターに外出許可を得て、近くの電機屋さんに行くしかない。

 

 9時に新しい利尿剤を頂いて飲んで・・。ほぼ1時間ごとにオシッコを容器で採って、この機械に投入して、量と比率を測定して記録する。1時間毎に200ccから300ccほどの尿が出る。

 

 その合間に胸部CTとか腹部CTとかの検査や・・・

 

 心電図計の検査などもあるし、定期的に採血の検査もある。検査の連続である。

 

 今日の昼食はこれ。すき焼き風煮、きんぴられんこん、ほうれん草のおひたし、パインアップルにご飯小。普段はご飯なんぞ食べられないのだが、ここではこれしかない。「一粒一滴、みなご恩、感謝でおいしくいただきましょう。」で、不思議に完食してしまった。

 

 で、13時の採血が終わると外出許可を頂いて、徒歩で20分、1.5Kmほどの所にあるケーズ電機白鳥(しろとり)パワフル館まで行ってきた。地図の右端がしろとり病院。

 

 平坦地を歩くのはどうということはない。登り坂や上り階段は少しばかり苦手で、少し歩くと息切れがする。運動不足かと思って居たらそうでもないのだという。

 

 で、買ったのは、このマウス一個のみ。これのおかげで、今日もブログが更新できる。

 

 今回、適当に掴んできたのは、こんな本。ま、「積ん読」だけになるとは思うのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「物事には必ずそこに隠された理由がある。理由なくして物事は起きない」という指揮者・飯守泰次郎さんの言葉からである。飯守 泰次郎(いいもり たいじろう、1940年9月30日 - )は日本の指揮者。旧満州・東京生まれ。右派的な裁判官として知られた飯守重任を父とする。文部大臣、最高裁判所長官を歴任した田中耕太郎は伯父。桐朋学 園短期大学指揮科卒。斎藤秀雄に師事。アメリカ留学中にミトロブーロス国際指揮者コンクールに入賞。のちにカラヤン国際指揮者コンクールに入賞した。いままでの私の人生を振り返ると、私はどちらかというと、この身に降りかかってくるあらゆることを受け止めながらベストまで持っていくというやり方よりかは、目的を定めて何かを獲得するというやり方だったように思う。その過程において、物事には必ずそこに、隠された理由がある・・・と思ったし、理由なくして物事は起きないのだということも体験的に知った訳であった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


薄氷 踏む毎日の いとおしく

2016年02月24日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は4.7度から5.8度、湿度は80%から58%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の25日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 小雨の降る中、8時過ぎに県立病院にやってきた。内科の予約診察が9時。それまでに採血や検尿、レントゲン検査や心電図などの検査を済ませておかねばならない。その上に、「B型肝炎ではない」という証明書ももらわねばならないからだった。

 

 まずは放射線科で胸部のレントゲン検査だが、やはり病院で8時半からでないと動かない。早くやってきても意味はないのか・・・。8時半になって一番に検査をしてもらった。おなかに「腹水」が溜まっていないかどうかの検査である。

 

 内科の受付で「B型肝炎にかかっていないという証明書が欲しい」とお願いしたら、「何のために必要か」「どこの病院の何という医師に提出するのか」などと幾つもの質問を浴びせられて待たされて・・・。「ドクターの許可がいるのだけれど、ドクターがまだなので・・」と、しばらく待たされて。なんだのとあって、30分後にようやく採血。

 

 9時半過ぎになって、内科のドクターによる診察になった。で、入院の希望を申し出ると、「ようやく観念しましたか」と言われた。観念にはいろんな意味があるけれど、この場合は、「あきらめて、状況を受け入れること。覚悟すること。」というような意味である。別に覚悟をしたわけではなくて、単に暇になっただけのことなのだけれど。

 

 で、明日の朝、9時に入院することになった。腹水が溜まってきて心臓や肺を圧迫して「心不全」になる恐れがあるので、入院して効果的な利尿剤を確かめるのが主な目的である。その次に、

 

 睡眠時無呼吸症候群の検査である。私は自覚がないので、これは拒否していたのだが、入院中ならば仕方がないか・・・と観念した。ま、入院してしまったら、相手の土俵だからまな板の鯉みたいなもんだ。ということで、期間はおよそ二週間。温泉のない保養所みたいなもんだ。

 

  二週間というのが不都合な期間であって、図書館の本の貸出期間が二週間である。そこで、先週に借りた五冊の本を返却しておかねばならない。図書館に向かう途中、ここに寄って、朝昼兼用のおうどんにした。

 

 そこで、この、しっぽくうどんの一玉の味噌味仕立てをお願いした。400円だった。

 

 「なんだ、これは・・・」と思うような野菜の味噌煮込みみたいなものが出てきた。大根・人参・ゴボウ・こんにゃくをじっくりと煮込んだものである。腹水の影響かどうか、味はわからないし、おいしいとも思わない。

 

 一週間ぶりの香川県立図書館。寒いせいか人影はまばら。

 

 平日のお昼間だから、館内のお客さんは老人かご婦人たちが目に付く。

 

 本を返却して、郷土資料なんぞを見ていたが、今日借りても、二週間後に返却できるかというと、確約はできない。明日の入院になるのだから、一日か二日、すれ込むかもしれないのである。微妙な二週間という期間・・・。

 

 帰って、入院のための入院申込書や身元引受書や医療費等支払い保証書なんぞの書類書きやら持って行くものの準備。洗面道具やらタオルやらコップやらお箸やら・・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「老病死は自然である その老病死する事実に向き合わず逃げ回っている我々の姿を無明という」という、赤松先生のお寺にあったことばから。生まれたいのちは、その瞬間から「老病死」を抱いて生まれている。それが全てのいのちに共通する自然である。その事実に向き合わずに、自分だけは死にたくない、老いたくない、病になりたくない・・と、逃げ回っている姿を「無明」というのである。無明とは仏教語で、邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知のことを言う。最も根本的な煩悩で、十二因縁の第一、三惑の一とされる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あれやこれ 片付け終わって 梅の花

2016年02月23日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎまで雨の降っている所があった。気温は6度から11度、湿度は81%から66%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の24日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすいらしい。

 

 毎週火曜日はさぬき市前山にある「前山地区活性化センター」にやって来る。ここには「道の駅ながお」が道路を挟んで設置されている。

 

 この建物内に「おへんろ交流サロン」や「へんろ資料展示室」がある。サロンが開設されたのが1999年だったから、今年で17年目になるらしい。

 

 玄関を入った先にある、巨大な四国の立体模型。周囲にあるお寺のボタンを押すと、そのお寺の位置のランプが点灯する仕組みである。これを見ると、多くの札所が海岸沿いにあることが分かる。この右上部分が休憩室や交流サロンになっている。上部中央がへんろ資料展示室の入り口になる。そのさらに奥に、

 

 若き日の空海さんが訪れた中国の青竜寺の大きな模型が置いてある部屋がある。

 

 その部屋に入ってすぐ右手側の展示コーナーが私の担当の「田淵家納め札展示コーナー」である。

 

 先週に並べてみた納め札の状況・・・。

 

 で、昨日に買った和紙を置いてみた。少しばかり寸法が長かったり短かったり・・・。ま、世の中、不都合なことが多いのは浮き世の習い。そこは「ゆるぎたるぎ」でやるしかない。ちなみに、「ゆるぎたるぎ」というのは讃岐弁で、臨機応変・融通し合うということ。「ゆる気」は「ゆったりとした気持ち」のこと、「足る気」は「満足した気持ち」のこと。

 

 和紙の足りない所には、こうして本を置いた。もちろん、週間文春や平凡パンチではない。

 

 私の書いた、「田淵家の俵札調査集計報告書」と、「田淵家を訪れたお遍路さん」という調査状況をまとめた本である。

 

 和紙の上には、納め札と訳文を並べて置いた。

 

 もう一つの展示ケースにも同様に和紙を敷き、その上には「さぬき市内」からのお遍路さんの納め札を並べた。「あ、このおじさん、近所の方や」とか、「あ、このおばさん、隣の家の方かも知れない・・」という感想を頂きたいため。和紙のない部分には、私のブログからの抜粋で、作業の流れや手順などをまとめたものを和綴じにして展示した。

 

 女性陣から、天を揃えるとか、隣と少し間を空けるとかの意見が出たが、それは女性陣にお任せしたいもの。それと、オープンが三月中旬に伸びたそうだ。チラシとかパンフレットとかの印刷が間に合わないのだとか。ま、これで私はゆっくりと入院できそうだ。

 

 今日の作業とは全く関係ないが、今日の掲示板はこれ。「他人の不幸は小さく見えて 自分の不幸は大きく見える」というもの。誰の言葉だったか忘れたけれど、「人間って、双眼鏡みたいなのを持っていて、他人の幸せは、大きく見えるけれど、他人の不幸は、小さく見えるんです。逆に自分の幸せは、小さく見えて、自分の不幸は、大きく見える。そこが解ってないと、一生、幸せになれない」という言葉があった。また、「いつだって、自分に足りないモノばかり数えてしまう。そんなことより自分が持っているモノを数えるべき。」という言葉も、思い出した。本当の幸せって、それを感じ取れるチカラかも知れないな~」と思ってしまった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


菜の花の 岡にのぼれば 愁いあり

2016年02月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で午後からは雲が広がり始めてきた。気温は0.5度から8度どまり。湿度は76%から58%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。今日は体感的に冷たい一日になった。明日の23日は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、朝から昼前は雨が降る見込みらしい。

 

 久しぶりの霜の朝になって、犬の水飲み場もすっかりと凍っていた。

 

 朝ドラが終わってからお出かけをした。東かがわ市しろとりにある湊川堤防に植えられている「河津櫻」である。もう、そろそろかなぁと出かけてみたが、わずかに数本にはこのような花が咲いているが・・・。

 

 ほとんどの木は蕾状態ばかり。寒さが甘かったので開花が遅いのだろうか。ま、この花が咲こうが咲きまいが、私の暮らしには少しも影響ないのだけれど。

 

 その後、この文具店、文遊館に寄ってみた。私が会社員時代には、旧の商店街の中にあった「松下文具店」だった。文具の流れも相当に変わってきたなぁと思ったことだった。

 

 今回、買ったものは、こういう和紙。いつもならば、和綴じの本の表紙になるところなんだが、今回は、その前に、もう一仕事してもらう。

 

 そこで見つけた、この色紙。「見ない 聞かない 話さない」というもの。昔は空気を読まずに一方的にしゃべりまくったりする人のこととして「見ざる・聞かざる・言わざる」だったのだが、現代では、「三猿とは余計なことは見ない、聞かない、話さないという三ない運動の象徴」と考える人々も少なくなくなったそうな。通勤電車の中などはそういう世界らしい。

 

 で、いつもの「おへんろ交流サロン」に立ち寄って、この展示ケースの中の寸法を測ってきた。奥行き50センチ、幅140センチが二枚必要になる。

 

 さて、先週に並べてみたこの納め札。あんまり目立たないではないか。白い台紙の上に白を並べても、雪の中に打ち込んだゴルフボールみたいなもの。雪の中の白ウサギみたいなもの。これではつまらんだろうと・・・。

 

 この和紙の上に、これを置いてみた。うーむ。これはいい、アイディアだ。渡邊会長も「和紙を下に敷いて・・・」と言うていたのだが、和紙を準備してくれるのだろうか。

 

 うむ。明日は、この和紙を敷いてから、その上に納め札を並べてみよう。

 

 帰りに町内にある、エディオンさぬき大川店(多田ラジオ店)さんに寄って、エアコンを診てもらうことにした。プロが来て、いろいろやってみたが、動かなかった。基板が悪いのかも・・・ということだった。「ま、修理はしても損でっせぇ~。冷房が効くか効かんかやってみて、検討しておいてくださいな」ということだった。

 

 電機屋さんが帰った後、この室外機を軽く叩いてみた。すると、どうだ。ファンが回り出したではないか。

 

 で、室内にもどると、暖かい空気が出ているではないか。、ま、今回はそれでいいが、毎度、毎度、室外機を叩く訳にもゆかぬ。高松の社宅に入ってすぐに買ったもので、2005年製。11年目の機械だから、交換するしかないかな・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の思いを離れないと ひとの話は聞き取れません」という、小谷信千代先生のことばから。小谷 信千代(おだに のぶちよ)先生(1944年5月21日~ )は、仏教学者、大谷大学名誉教授。兵庫県生まれ。1967年大谷大学文学部仏教学科卒業。1975年京都大学大学院仏教学修士課程修了。1978年大谷大大学院博士課程満期退学。1999年「法と行 仏説の真意を求めて」で大谷大学文学博士。大谷大学短期大学部助教授、教授、大谷大学教授、2009年定年、名誉教授。(Wikipediaより)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


生かされて 白梅の香に 安堵する

2016年02月21日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、寒気の影響で瀬戸内側西部や山地では雲の広がっている所があった。気温は6度から10度、湿度は75%から42%、風は2mから6mの西の風が一時は強かった。明日の22日は気圧の谷の影響で雲が広がる見込みらしい。

 

 少しばかり春めいてきたかのような一日になった。風が冷たい・・・とは思わない。少しばかり風が温んできたかなぁと思うような朝になった。

 

 最近は奥方も仕事に慣れてきたのか、今日はお休みなんだという。奥方がいるのに出かけられない。「どこに行くの」「何をしに行くの」と言われるのがイヤだから、今日はお出かけができない日。仕方がないから、「納め札」についての論文をまとめていた。

 

 納め札のルーツは、修験道の行者さんたちが、山に入るときに、「こういう者が、何月何日から、お山に入りますよ」ということで、山の神や不動明王さんらに許可をもらうための「碑伝(ひで)」を打ったのが始まりだという。それが、それぞれのお寺や神社に「願文」を付けた札を打つようになったとか。

 

 現存する最古の納め札は、板東の足利氏ゆかりの寺「鑁阿寺(ばんなじ)」にあるもので、暦応二年(1339)という室町時代のものとされている。西国三十三観音霊場では、文安五年(1448)、秩父霊場では天文五年(1536)などが有名なもの。ちなみに、四国霊場最古のものは、慶安三年(1650)で、四国霊場58番札所の円明寺にあるものとされている。

 

 こうした古い納札が残ったのは、金属の銅板を使っていたためである。その後は、木製の板になっていくが、それは費用がかかるし、重たいためであった。そこで軽い紙札になると、ほとんど残されず、「札あげ」という「おたきあげ」されてしまって残らなくなってしまった。そこで着目されたのが民家に残る「俵札」「納札俵」であったという訳である。

 

 着々と、お勉強の方は進んでいる感じ。

 

 来週の天気予報を眺めて見たが、そんなに寒くはならない予想。今年は肺炎にもならずに済みそうだなぁと思うし、今年は雪らしい雪にも遭わず、冷たい木枯らしにも吹かれずに暖かくなりそうな予感。

 

 とにかく、三月一日の展示会オープンが当面の目標。あと九日ほど。忘れ物はないか、残した仕事はないかという思いが募る。あれもやったし、これもOKだしと・・・。

 

 昨年は、山頭火の句碑を探して走り回っていたのだけれど、今年は探し回るものが見つからない。狛犬は終わったし、鳥居や宝篋印塔は面白くないし、マンホールや橋の親柱も飽きてしまったし。ダムやトンネルも見て回って済んだし、廃校巡りも鉄筋コンクリートの校舎は面白くない。ベーハー小屋(葉タバコ乾燥室)も回って済んだし・・・。はてさて、今年は何を探そうか・・・。

 

 とにかく、三月中に何かを見つける用意をしておかなければ。

 

 今日の掲示板はこれ。「いちばん身近な人のおかげが見えないようでは幸せにはめぐりあえない」という町内の善楽寺さんの掲示板にあった東井義雄先生の言葉から。東井先生が二十五歳の時、ある児童の質問のおかげで、自分の力で生きているつもりだったが、生かされて生きていたことに気付かれたそうだ。これが東井先生の第二の誕生であるといわれている。これを機に、ものの見方が変わった先生は後年、「同年輩や若い後輩の先生方にずいぶん育てて もらった。」「人格、識見、実力ともに抜群な教頭先生に恵まれ、ゆるしてもらいカバーしてもらったおかげで(三つの学校の校長として)勤めることができ た」と述べられている。また、いくつかの書物でも身近な人の恵みを語っておられる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春の雨 思い出日記を めくられる

2016年02月20日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は前線を伴った低気圧が四国の南岸を発達しながら東北東に進むため雨が降り、昼過ぎから夕方にかけては雷を伴う所がある見込みとか。気温は9度から7度、湿度は70%から97%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の21日は冬型の気圧配置となるため、雲が広がり明け方まで雨の降る所があるけれど、午後は次第に高気圧に覆われて晴れ間も出るという予想。

 

 昨日が「雨水」で、空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になる、という意味らしい。草木が芽生える頃で、昔から、農耕の準備を始める目安とされてきた。しかしのかかし、本格的な春の訪れにはまだ遠く、大雪が降ったりもするそうで、三寒四温を繰り返しながら、春に向かって行くのだと言われている。

 

 しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん。雨が降る日は雨のよに、風吹く夜には風のよに・・・。

 

 香川県立図書館から借りてきた本をスキャニング。今年の夏休みの自由研究は、「納め札」についてのお話にしようかと。

 

 そもそも、何のためにこういう札をお寺に打ち付けることになったのか・・・みたいなところからの出発になる。昔は、金銀真鍮、銅板から板になり、紙になったという流れやら歴史やらを。

 

 これが四国霊場中、最古の納め札とされている「慶安三年(1650)」の銘がある四国53番札所・円明寺にある銅板製の邊路札である。つまり、江戸時代前期で、大雨で鹿児島城が大破した年、由井正雪の乱の前の年である。

 

 家の前では、雨の中でも掘削工事が続けられている。ここから見る限り、どんな工事をして、どんな形になるのかは全くわからない。

 

 さて、今日は土曜日ということで、奥方が12時半に帰って来て、すぐさま、市内の温泉に行くことになった。春日温泉という名前のお風呂である。緑あふれる閑静な山里にある、四季の美しい風光に恵まれた温泉で、良質のラドンを豊富に含んだ療養泉のびわ風呂などが楽しめる。

 

 まずは腹ごしらえと言うことで、肉うどんを食べることにした。私はこれだけで充分。奥方は一品料理やらおでんやらを注文していた。

 

 ここが食事室。13時前だったが、十数人の方が食事をしていた。ここは食券方式のセルフ形式。食券を買って、向こうのカウンターで注文する。うどんや定食などができたら呼んでくれるので受け取りに行く。食べて終われば、食器なんぞをカウンターへ返しておしまい。

 

 13時を過ぎるとお客さんは出て行ってしまって、私ら二人だけの借り切り状態になった。だから、ゆっくりとさせてもらった。 

 

 少し休憩をしてからお風呂に入る。14時少し前だった。お昼時だからか、お客さんは少ない。

 

 脱衣場にも人影はなかったが、休憩室や浴槽には何人かのお客さんはいる。

 

 奥方にすれば命の洗濯なんだろうが、私は暇・・・。どうにも、こういう場所は落ち着かない。その後、一週間分の買い物をして帰宅したが、奥方はすでに高いびきでおやすみ・・・。今夜はお風呂も夕食もないらしい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「心構えというのは、どんなに磨いても毎日ゼロになる能力である。毎朝歯を磨くように、心構えも毎朝磨き直さねばならない」という田中真澄さんのことばから。人は「能力」「知識」「技術」の三辺で出来ているが、中でも「心構え」が一番大事。「なんか嫌だなぁ・・・」、「面倒くさいな・・・」、「俺はやらなくても・・・」などと心構えが後ろ向きだと、「ゴホッゴホッ」とベッドに横たわる病的な感じだと、エネルギーが消えかけの燈火のようだと。心が健康的ではなく、イキイキとしていなく活力がないと、弱いと、どんな物事であってもそれを始めることもできない。または始められたとしても実行完遂ができない。たとえできたとしても精度レベルが低い病弱な商品サービスだ!と言うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春見えて 尊き道を 踏みしめる

2016年02月19日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で次第に雲が広がってきた。気温は1度から15度、湿度は79%から54%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の20日は、前線を伴った低気圧が四国の南岸付近を東北東に進むために雨が降る見込みらしい。

 

 昨日は少しばかり冷え込んで大霜の朝になった。そのせいか、奥方の勤めている事務所のエアコンが動かなくなって寒いので、わが家のリビングのファン・ヒーターを至急、持って来て欲しい・・・というので、それを運んでいた。その時、山の中のサル捕獲用ケージに何かが捕まっていた。

 

 今朝は、携帯電話を忘れたので届けて欲しい・・・というので、届けに行く途中で、そのケージをのぞいてみた。ネコかと思ったら・・・

 

 ハクビシン(白鼻芯・白鼻心)・・・だった。ハクビシンは、ネコ目ジャコウネコ科に属する動物である。その名の通り、額から鼻にかけて白い線があることが特徴で、日本に生息する唯一のジャコウネコ科の哺乳類で、外来種と考えられている。(Wikipedia) これが、このあたりの野菜や果樹を食い荒らしているのだ。

 

 例年、確定申告は奥方にお願いしてきた。私は会社員時代、毎年の「年末調整」に悩まされてきた。書類を何度も書き直されたり、修正させられたりしてきた。どうにも数字には弱いのだ。

 

 書類からパソコン処理になってもダメだって、いつも総務担当のおねえさんから呼び出しが毎年あったし、メールで修正要求があったりした。だから、奥方に任せていたのだが、今年はどうしても抜けられないので、「やっておいてよ~」と言われ続けていたが、とうとう、昨夜、「やっておいてね」ときつく言われた。

 

 で、しぶしぶ、パソコンに向かってやっていたのだが、どうにも次には進まない・・・。どこが、らくらく送信なんじゃい・・・と、さじを投げた。

 

 どうにも税務署と警察署はスキになれない。「お昼前が空いているからね」と言われていたので、お昼前にやってきたが、それでも20分は待たされた。

 

 アルバイトらしいおねえさんの指導で、言われた所に言われた数字を入力していく。でも、自分でやると、この画面がどうしても出て来ないのだ。

 

 10分ほどで作業はおしまい。わが家の場合は「医療費控除」が主目的。今年は5万円ほどが還付されるらしい。で、帰って来てから、再度、e-taxをやってみたが、どうにも前には進まない。来年もきっと、無理なんだろうなぁと思った。

 

 お昼からは、納め札や納札俵についての情報をスキャナーで読み込む作業をやっていた。県立図書館で借りた本だから、情報はデジタル化して残しておかないと。コピーする手間ならば、スキャニングがいい。

 

 不要になったら、削除すればいいだけのこと。紙の場合よりかはずっと便利だ。紙は場所もとるし、あとが困る。

 

 でもまぁ、面倒な確定申告が終われば一安心。今日も高いびきで眠れるぞ。

 

 今日の掲示板はこれ。「ふたたび通らぬ尊き道を 今 歩いている」というもの。正確には、「再びは通らぬ一度きりの尊き道をいま歩いている」という榎本栄一先生の言葉からである。榎本栄一さんは、少し前に亡くなられた方であるけれ ど、若いころから詩を書いておられて、途中20年ほど中断されたものの、再び60歳を超えて書きはじめ、その詩集は、7冊を数えているそうである。仏教語 をあまり使わずに、念仏の味わいを詩に書きつづられておられた。たった一度きりの人生、その行き先が分からず、ただ快楽を追い求め、あてにはならない地位 や名誉や財産を求めている人とは違って、お念仏に出会われた榎本栄一さんには、行き先がはっきり見え、方向が定まっている。すべてを如来さまにおまかせす ればよいのだ、今の一瞬に全力を注いで生きることの喜びに気づいておられたのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


たんぽぽは 気っぷの良さを 見せつける

2016年02月18日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は東シナ海に中心を持つ高気圧に覆われて晴れていた。気温は0.2度から10度、湿度は94%から62%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き高気圧の圏内で晴れるけれど、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がる見込みらしい。

 

 今朝は久々の0度ということで、あたりは白い霜の朝になった。だから、昼間は暖かくなるのかなぁと期待をしていたが、それほどにも暖かくはならなかった。

 

 さて、四月の講演会のために、パワーポイントで資料を作っていたのに、これがいきなり動かなくなってしまった。パワーポイントが壊れるなんて初めてのことだ。どんなにしても開かない、動かない、起動しないのだ。壊れちまったお袈裟の資料・・・。

 

 二ヶ月もあるさと、少しずつ思い出しながら作り直しているのだが、作り直すというのは気力もいるし、体力も要る。最初の物はやる気満々で作ったものだから、モチベーションが違う。ほぼ、出来上がっていたものが壊れて、再度、作り直すというのはガックリポンからのスタートだから、パワーが劣る。

 

 ドライアイが進んでいるのに、なおさら、ドライアイが進んできて、視力も急激に落ちている様子。眼がかゆい・・・ような感覚になってくる。

 

 そこで、例の納め札の「訳文」の差し替え作業。少し大きめの書体に書き換えて、それを短冊状に裁断して、それぞれのファイルに差し込んでいく。ファイルは100枚あるから差し替えも100枚になる。簡単なようで面倒な作業・・・。

 

 でも、なんだかんだのと言いながら100枚の訳文は差し替えが終わった。これはこれで作業終了。来週の火曜日に展示して一件落着の予定。

 

 展示開始は3月1日の予定で進んでいる。あと、説明用のパネルとか作業途中の写真展示とかも予定しているし。

 

 あと、田淵家の俵札調査の結果報告論文をまとめてみた。

 

 これも、できればスペースを作って展示しておきたいもの。

 

 わが家の裏庭に植えたふきのとうを、今日、探し出してみたら、まだ、こんなに小さい。栄養不足なのか温度不足なのか・・・。これは、もう少し先だなぁ。

 

 今日の掲示板はこれ。「世界には苦しみがあふれているが、苦しみを克服した人たちも 同じくらいたくさんいる」という、ヘレン・ケラーさんの言葉から。ヘレン・アダムス・ケラーさん(英: Helen Adams Keller、1880年6月27日-1968年6月1日は、アメリカ合衆国の教育家・社会福祉活動家、社会福祉活動家、著作家である。視覚と聴覚の重複障害者でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くされた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


すぐそこに 梅の花あり 野のほとけ

2016年02月17日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっており、寒気の影響で雲が広がりやすく、西讃では昼前は雨や雪が降っていたらしい。気温は6度から9度、湿度は76%から53%、風は3mから5mの西の風が一時強かった。明日の18日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨年の11月16日から防災設備改修工事を行っていた香川県立図書館だったが、ようやくに工事も終わって、昨日から通常開館したということで、三ヶ月ぶりにここにやってきた。

 

 で、昨日のニュースでは、香川県初の総理大臣になった大平正芳さんの愛読書など9,100冊がここに寄贈されて、大平文庫が開設されたということだった。

 

 香川県観音寺市(旧豊浜町)出身の大平正芳元首相の蔵書などを保存して、県民らが閲覧できる「大平文庫」が16日、香川県立図書館に開設された。大平元首相 の資料などを展示して業績を顕彰してきた「大平正芳記念館」(観音寺市坂本町)が老朽化のため昨年3月末に閉館したので、公益財団法人「大平正芳記念財団」が蔵書などを寄贈したもの。

 

 寄贈図書は9,135冊。「大平文庫」としては8,593冊で1階閲覧室の郷土資料コーナーに大平元首相の思想、活動、足跡などが分かる図書をはじめ著作・研究書、愛読書など約1千冊を展示し、残りは書庫で保存するという。

 

 さすが総理になっただけのお方で、難しい本をたくさん読まれた様子。見てもなんだかわからないような本ばかりであった。この「大平文庫」は閲覧はできるが、貸し出しはしないということだった。つまり、1冊だけしかないってことらしい。

 

 次にはこれ。歌人の与謝野晶子(1875~1942年)が満州事変(1931)後に書いた、国の将来を憂える内容の書簡などを、所有者の椎名さんが香川県立図書館に寄贈したもの。書簡は、明善高等女学校(現私立英明高校)教員で、歌人でもあった椎名六郎氏(後の県立図書館長)に宛てたもの。巻紙に墨で書かれており、封筒には32年2月1日の消印がある。図書館では2月16日から一般公開している。

 

 で、私が借りてきたのはこんな本・・・。何度も読んだ本なんだが、ついつい、借りて来てしまった。来週にでも返却してこなければ・・・。

 

 わが家から少し南に進んだところにあった大きな梅の木。さぞや満開なんだろうと言ってみたら・・・。

 

 あれ・・・。何にもない。上の写真にあったプレハブ小屋もなければ、古めいた空き家も、その手前にあった大きなクスノキもない・・・。きれいさっぱりとなくなっている。

 

 ここの路線の二つのカーブがきついので、この赤線のように削り取るのかも知れない。この図の黄色い部分は土石流危険エリアらしい。わが家は上部真ん中の赤丸の位置。少しばかり安心地域。

 

 お昼からは本を借りていた「さぬき市立志度図書館」へ行って、五冊の本を返却してきた。両方で借りていると訳がわからなくなってしまうので、さぬき市のものは返却しておくのがいいと思ったからだった。

 

 わが家のチューリップも葉っぱを伸ばし始めてきた。少しずつだがひたむきに生きている。

 

 そろそろ、おひなさんのイベントも近くなってくる。春の足音がひたひたと近づいてくる。

 

 今日の掲示板はこれ。「なんでもないこと どうでもいいこと 得にならないこと それを大切にする時 人は美しくなる」というもの。これも赤松先生のお寺にあったものかな。私の研究や調査は、それこそ「なんでもないこと」、「どうでもいいこと」「得にならないこと」ばかり・・・。レキの墓研究でも、咸臨丸乗組員のお墓探しで も、二十四輩さん研究でも、法然上人の足跡探しでも、お遍路さんの納め札調査でも、それで誰かが幸せになることもないし、生活が豊かになるわけでもない。そんな「どうでもいいこと」「得にならないこと」を大切 にしてはいるのだけれど、それで「こころが美しくなる」訳でもなく、「生活や身なりが美しくなる」訳でもないのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


たんぽぽに 明日の一歩を 確かめる

2016年02月16日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっており、日中は概ね晴れるけれど、夜は寒気の影響で雲が広がり、雪や雨の降る所があるらしい。気温は1度から7度、湿度は72%から60%、風は1mから5mの西の風が強くて寒かった。明日の17日は、冬型の気圧配置は次第に緩むけれど、寒気の影響で雲が広がりやすく、朝まで雪や雨の降る所がある見込みらしい。

 

 恒例の火曜日はここに出勤。さぬき市前山にある「前山地区活性化センター」という建物。ここに「おへんろ交流サロン」があり、「おへんろ資料展示室」がある。

 

 まずは、女性会員さんたちに、展示ケースの硝子拭きをお願いする。永年のほこりや脂などがしみついているので、それをまずもってお掃除しておいていただく。

 

 一方、こちらではどのように並べるかを実際にやってみて考える。その時に大切なのは、納め札が迷子になってしまう恐れがあること。台帳付きのファイルから出してしまうと、どこの誰のものかがわからなくなってしまう。そこで、裏側に番号を記入して貼り付けることになった。

 

 この白い板は展示ケースの底板。そこに並べてみて、何枚が並ぶのか、どういう順番で並べるのか・・・などを考えてみる。

 

 展示ケースの掃除が終わったようなので、私の調べた物を並べてみた・・・。

 

 これは仮置き状態。最後の最後でないと、ファイルからは出せない。出したら迷子になってしまいそう。

 

 で、実際に置いてみた。すると、訳文の白い用紙の文字が小さい・・という意見が出た。真ん中の主題分は「MS-P明朝太字の16ポイント、左右の文字は同字体の12ポイントと決めたが、2ポイントずつあげることになった。またしても、100枚を作り直しになった。

 

 A4用紙に5枚の納札分を打ってある。だから20枚の用紙が必要になる。14枚目で眼が痛くなってきた。ドライアイが進んできたようだ。今日はここまでにしておこう。

 

 こういう形で、

 

 こういう形になる。これだと年配者でも読めると思う・・・。

 

  このおへんろ交流サロンの前には、「道の駅ながお」があるのだが、塩江方面、徳島方面から下りてくる車の屋根には白い雪が乗っていた。このあたりには積雪はないのだけれど、10センチもの雪を乗せて、どこから来たんだろうかなぁと思ったことだった。

 

 作業中にも粉雪が舞い落ちてきていたが、あっという間に溶けて流れて消えて行った。

 

 今日の掲示板はこれ。「こんなはずではなかった と言って終わるか これでよかったと言える人生にするか それが仏法」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあった言葉から。人は死に直面して、はじめて過去の自分の無意味な生き方に気がつくのである。それまでの自分は、家族を守るため、お金を貯めるために生きてきて、「幸せ」 という夢想を埋めるためのものでしかなかった。自分で生きていなかったということに気がつくのである。「こんなはずではなかった・・・」その思いは、「自 分だけは大丈夫」だと思い込んでいるために起こるのではないのか。そんな私たちに対して、すべての物事は必ず移り変わるということを、仏教では「無常」と 教えてくれているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


水仙が 精一杯に 手を伸ばす

2016年02月15日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、弱い雨や雪が降っている所があった。気温は7度から4度と下がってきたし、湿度も68%から80%へと上がってきた。風は3mから4mの西の風が少し強かった。明日の16日は、引き続き寒気の影響で雲が広がりやすいらしい。

 

 昨夜は母、さっちゃんの祥月命日だということで、兄弟・いとこがやってきた。私らの子供の頃には、「法事奉賛孫子の正月」ということで、ほぼ毎月のように、「法事奉賛」を目的にした「宴会」が行われていた。これを「おきゃく」と呼んでいた。その名残で、こうして兄弟・いとこたちが集まってくる。

 

 これが私の兄弟。左から長男の「ひっくん」、二男の「よっくん」、三男の「たっくん」。ともに定年退職の年金生活者。だから、あんまり、豪勢な宴会にはならない・・・。

 

 わずかだが、蕗のとうの天ぷらもある。

 

 最後は、三人兄弟で「フォークソング合唱会」。オンチばかりのでたらめな歌ばっかりだ。

 

 あまりのバカバカしさにハエまでがよろけてこけた。

 

 で、弟やいとこたちは眼が覚めたら飛んで帰っていってしまった。そこで、朝方は気持ちの良い朝だったので、二日酔いの頭で、お泊まり客の布団を干したり、

 

 全ての部屋にも掃除機をかけた。そうそう、我が部屋のエアコンだけれど、「エアコンが止まったり、動いたりするのはどうして?」という質問に、兄弟・いとこが声を合わせて、「氷結!!」だって。「どうしたらエエのん?」と聞くと、「溶けるまで待つ!!」だって・・・。それはアカンなぁ・・・。

 

 ホームセンターで、発泡スチロール板を買ってきた。商品名は「デコパネ」と言うのだそうだ。

 

 これに、カラー印刷した、「納札俵」と「納め札調査」の写真を貼って、展示用パネルを作ってみた。なかなかにいいじゃないか・・と自画自賛。

 

 この、左から二人目の白髪のおじさんが・・・私。真面目にやっとるでしょ。案外と、私の写真ってないものなんだ・・・。

 

 なんで、こんな写真があるんだろう・・・と、よくよく考えていたらば、今日は「おねはん」の日。涅槃会(ねはんえ)は、陰暦2月15日、お釈迦さまの入滅(にゅうめつ)の日に、日本や中国などで勤修される、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要である。現在では、3月15日に行なわれているところもあるらしい。涅槃というのは、ニルヴァーナの訳語であり、迷妄のなくなった心の境地を指す言葉であったが、この場合には、釈迦が亡くなったという意味で用いられている。実際には、お釈迦さまが入滅した月日は不明であり、何伝仏教ではヴァイシャーカ月の満月の日と定められている。ヴァイシャーカ月が、インドの暦では第2の月であることから、中国で2月15日と定めたものであるという。

 

 なんだかんだと言うていたら、にわかに雪が降り始めてきた。大慌てで布団を取り込んでお片付け・・・。片付いたと思ったら雪は止んでしまった・・・。なんじゃらほい。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当の宗教心とは ただ一度の人生を 無意味なものにしたくないと 願う心である」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。「祇園精舎(ぎおしょうじゃん)の鐘の声、諸行無常の響きあり」とは平家物語の冒頭の有名な句であるが、お釈迦さまは諸行無常とは、「この世は無常である」 と説き、生あるものは必ず滅び、何一つとして変わらないものは無いと言っておられる。即ちあらゆる現象は変化して止むことがない、人間の存在もそうであり、つくられたものはすべて瞬時たりとも同一のままではないのであり、物事はすべて時間と共に移り変わるということでもある。そんなただ一度の人生を無意味なものにしたくないと願うのは誰しものことではあるまいか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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