で、はやてちゃんの希望で山の旧宅に行った。露天風呂が作りたいというし、工作がしたいというし、ツリーハウスも作りたいというし、ブランコや滑り台も欲しいと言うし・・。夢がいっぱいありすぎるなぁ・・・。
で、まずは・・ブランコを作った。板を切断して、両端に穴をあけてロープを通して、軒先の梁に通しただけのもの。私らが子供のころにはこうして遊んだものだった。
露天風呂用のドラム缶に灯油の残りがはいってたもので、それの片付けをやってから、おうち造りにかかった。
家を新築した時にブロックを運んできた木製パレットが残っていた物で、それでお部屋造りをすることにした。案外と大工さんも難しいもんだ。釘がまっすぐに入らない。コースレッドというネジ釘が入らない・・・。おうじょうしまっせ・・・。
いちおう・・基礎部分ができたところに携帯電話・・・。
「津波が来るっていうのに、何をやってるの!」とけいこばぁにお叱り・・。津波たって、瀬戸内海には津波は来ないって・・島のじいちゃんが言うてたのに・・。でも、一応、その場を片付けて帰宅・・・。家族みんなでおうどんを食べて・・・。
我が家が三人と孫が二人の計五人がおうどんを食べて・・・。食べ終わると・・私は丸亀に向かう・・・。13時半のフェリーは動くんやろうか・・。停船勧告が各地で出ているし、避難勧告やらと慌ただしい。JR四国も運転見合わせが相次いで発表されるし・・。ラジオは津波情報ばかり・・オリンピックどころやないのかね・・・。
ところがだ・・香川県民は・・津波のことなどまるで眼中にない・・。フェリーも漁船も釣り人も・・津波のことなんぞ少しも気にはしていない・・。フューリーの中でも津波の話題なんぞだれもしない・・・。のんびりと猫の話やらとなりのおばさんの悪口やらと・・極楽とんぼもいいところ・・。
この真ん中の船がうちの「あかつきⅡ」・・・。潮は干潮・・・。これで50センチの津波が来ても何ら問題はない・・・。市役所の支所に行ってみると、支所長さんがひまそうにしている。「津波注意報が出たもんで、支所は開けて待機中や・・。五時ちゅうと干潮やから心配はないと思うけど・・」それを聞いて、まずは一安心・・・。
島の軽トラが動かなくなったもので、家に置いたまんまだから・・歩いて・・家までお散歩・・・。すると、空き家になった路地に蕗の薹が・・・。これは・・帰りにいただいて帰らねば・・・と思ったのだが、30分後に船の点検に戻ったら、きれいさっぱり・・なくなっていた。私が写真に撮ったりしてたのを物陰から見ていたおばちゃんがいるに違いない・・・。ま、よそさまの宅地のことだから・・・仕方がないけれど。
島の軽トラ・・・。アクセルを踏んでも回転が上がらない・・・。俗に言う・・「エンジンが吹かない・・」だから、エンジンはかかるが・・車は動かない・・。30分ほどアイドリングをしていたら・・正常に戻って・・・島中を三週もできた・・・。しかし、一旦、エンジンを切ると・・・またも動かない・・なにやろ・・・。
今日は・・・「バカヤローの日」なのだとか。1953(昭和28)年のこの日、吉田茂首相が衆議院予算委員会の席上、西村栄一議員の質問に対し興奮して「バカヤロー」と発言した。これがもとで内閣不信任案が提出・可決され、この年の3月14日に衆議院が解散してしまった。この解散は「バカヤロー解散」と呼ばれている。確かに・・・大騒ぎしたあげく、津波は来ないし、車は調子が悪いしね・・。
津波の到達時刻の17時のプライベートビーチ(単に誰も来ないから我が家専用みたいなもの)の海・・・。
平穏そのもの・・。日曜日だというのに、駐在さんはバイクでパトロール。上空を香川県の防災ヘリが「つなみちゅういほうがはつれいちゅう・・・。かいじょれんらくがあるまではかいがんにはちかづかないように・・」と放送しながら・・・パトロール。
夜は・・自治会長さんがやってきて・・情報交換。ようやくに、県の広報誌「The かがわ3」を届けてくれた。それでまた、放牧牛貸します・・の話で盛り上がって・・。でも、レンタル料がいるんか・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。