さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16.7度から25.6度、湿度は86%から525、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の6月1日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。
107/68/79 36.1c-99% 64.8Kg 18.7c-57%-1012hPa 特に変化はないが本調子でもない。
今日は二ヶ月(4週間*2=56日)ごとの検診日である。おなかが張るし、食べ物を食べるとおなかが痛くなるし、体重は微増しているし・・・と言いたいことは幾らでもあるのだが。
診察券がないないと大騒ぎをしていたら、「お忘れ物の中に残っておりました」と私の診察券が戻って来た。会計をしたときに、取り忘れて帰ってしまったらしかった。で、空いているレントゲン室からスタート。胸のレントゲン写真を二枚撮った。
その後、採血と採尿検査。どちらもスムーズに終わった。
それが終わると心電図検査。これも10分ほどで終わってしまった。午前9時過ぎに病院に入って、ここまでで9時半過ぎ。でも、ここからが永い・・・。
で、予約時間ちょうどくらいに泌尿器科の診察になった。ここもワンパターンで、自分の領域の検査しかしない。
この残尿測定器で、膀胱内に溜っている尿量を調べるもので、340ccほどが残っているらしいが、取り立てて問題になるような量ではないらしい。では、おなかに溜っているものは何なのかと聞くと、「内科で聞いて下さい」とつれない返事。
で、10時半からは、その内科のドクターの診察である。このドクターは心臓が専門だから内臓のことには詳しくない。だから、「水分を控えて下さいよ」を連呼するばかり。で、たまりかねてよその病院に行くと、「それは日浦先生に相談して下さいな」と言うばかり。そこで、私の心臓が家で止まった場合、死亡診断書は誰に書いてもらえばいいですかと聞くと、今度は流ちょうに、「この病院に全てのデータがありますから連絡して下さい。当番なりが対応します。その時にペースメーカーも切り出します」とのことだった。また、どうしても間に合わないときには、火葬場の職員に、「ペースメーカーが入っています」と告げておけばいいそうである。電池の破裂から職員がケガしないためだそうである。
で、ここまで来たが、その後は、
今度はペースメーカー外来で、ペースメーカーの電池量やら機能の検査をするもの。
こういう電極をペースメーカーの上に載せれば、ペースメーカーの状況がわかったり、速度を上げたり下げたりもできるらしい。だと、最近になって不整脈が見られるというので薬が追加になった。
で、そうした結果を、このペースメーカー手帳に記載しておいて、この手帳をいつも持ち歩かなければならないそうな。命の手帳という訳である。
で、11時過ぎに我が家に戻ってきたら、昨日、奥方が見つけてきた「馬ぶどう」の処理である。この葉っぱを切り落として乾燥する。
こうして乾燥しておいて、これを煎じて飲めば肝臓にいいという話である。これを昨年から呑まされている。
これが今日のお昼である。今日は本物の「冷麺」である。冷麺を食べたら、お隣の焼きめしみたいなものは入らなかったので、夕食に回すことにした。
お昼を食べると、今度は薬局に行って来た。泌尿器科と内科の処方箋を病院からファックスしておいたのを受け取りに行ったのである。
それが、この袋いっぱいになっている。
なにせ56日分の朝昼夜の三食だからすごい量になっている。数年前には薬代だけで3万6千円ほどになっていたのだが、70才を越えた頃からか、限度額いっぱいということで1万8千円均一になっている。
今日の掲示板はこれ。「大事なものが手に入らないのは 要らないものをもちすぎているからです」と云うもの。これは「中野良俊」さんの言葉らしい。服は捨てなければたまってしまうと分かりつつも、もったいなくて捨てられないのが実状である。さまざまな執着心をふり捨てて、「もちすぎている要らないもの」を、この春すっきり捨てたいものである。生活用品には「捨てるもの捨てないもの、要るもの要らないもの」が判断できるのだが、自分自身の生き方に於いて、人間として生きる上で「捨てるもの捨てないもの、要るもの要らないもの」とは一体なんだろうか。その事を教えてくださるのが仏教であるのだろう。「私の人生でしがみついている要らないものは何だろうか、本当に大事なものに出会ってきたのかな」と、捨てられないものと向き合いながら、断捨離をしてみるのも、面白いものがあるかもしれない。
じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。