まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

スイカ売る店先に子ら戯れる

2021年05月31日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16.7度から25.6度、湿度は86%から525、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の6月1日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 107/68/79 36.1c-99% 64.8Kg 18.7c-57%-1012hPa 特に変化はないが本調子でもない。

 

 今日は二ヶ月(4週間*2=56日)ごとの検診日である。おなかが張るし、食べ物を食べるとおなかが痛くなるし、体重は微増しているし・・・と言いたいことは幾らでもあるのだが。

 

 診察券がないないと大騒ぎをしていたら、「お忘れ物の中に残っておりました」と私の診察券が戻って来た。会計をしたときに、取り忘れて帰ってしまったらしかった。で、空いているレントゲン室からスタート。胸のレントゲン写真を二枚撮った。

 

 その後、採血と採尿検査。どちらもスムーズに終わった。

 

 それが終わると心電図検査。これも10分ほどで終わってしまった。午前9時過ぎに病院に入って、ここまでで9時半過ぎ。でも、ここからが永い・・・。

 

 で、予約時間ちょうどくらいに泌尿器科の診察になった。ここもワンパターンで、自分の領域の検査しかしない。

 

 この残尿測定器で、膀胱内に溜っている尿量を調べるもので、340ccほどが残っているらしいが、取り立てて問題になるような量ではないらしい。では、おなかに溜っているものは何なのかと聞くと、「内科で聞いて下さい」とつれない返事。

 

 で、10時半からは、その内科のドクターの診察である。このドクターは心臓が専門だから内臓のことには詳しくない。だから、「水分を控えて下さいよ」を連呼するばかり。で、たまりかねてよその病院に行くと、「それは日浦先生に相談して下さいな」と言うばかり。そこで、私の心臓が家で止まった場合、死亡診断書は誰に書いてもらえばいいですかと聞くと、今度は流ちょうに、「この病院に全てのデータがありますから連絡して下さい。当番なりが対応します。その時にペースメーカーも切り出します」とのことだった。また、どうしても間に合わないときには、火葬場の職員に、「ペースメーカーが入っています」と告げておけばいいそうである。電池の破裂から職員がケガしないためだそうである。

 

 で、ここまで来たが、その後は、

 

 今度はペースメーカー外来で、ペースメーカーの電池量やら機能の検査をするもの。

 

 こういう電極をペースメーカーの上に載せれば、ペースメーカーの状況がわかったり、速度を上げたり下げたりもできるらしい。だと、最近になって不整脈が見られるというので薬が追加になった。

 

 で、そうした結果を、このペースメーカー手帳に記載しておいて、この手帳をいつも持ち歩かなければならないそうな。命の手帳という訳である。

 

 で、11時過ぎに我が家に戻ってきたら、昨日、奥方が見つけてきた「馬ぶどう」の処理である。この葉っぱを切り落として乾燥する。

 

 こうして乾燥しておいて、これを煎じて飲めば肝臓にいいという話である。これを昨年から呑まされている。

 

 これが今日のお昼である。今日は本物の「冷麺」である。冷麺を食べたら、お隣の焼きめしみたいなものは入らなかったので、夕食に回すことにした。

 

 お昼を食べると、今度は薬局に行って来た。泌尿器科と内科の処方箋を病院からファックスしておいたのを受け取りに行ったのである。

 

 それが、この袋いっぱいになっている。

 

 なにせ56日分の朝昼夜の三食だからすごい量になっている。数年前には薬代だけで3万6千円ほどになっていたのだが、70才を越えた頃からか、限度額いっぱいということで1万8千円均一になっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「大事なものが手に入らないのは 要らないものをもちすぎているからです」と云うもの。これは「中野良俊」さんの言葉らしい。服は捨てなければたまってしまうと分かりつつも、もったいなくて捨てられないのが実状である。さまざまな執着心をふり捨てて、「もちすぎている要らないもの」を、この春すっきり捨てたいものである。生活用品には「捨てるもの捨てないもの、要るもの要らないもの」が判断できるのだが、自分自身の生き方に於いて、人間として生きる上で「捨てるもの捨てないもの、要るもの要らないもの」とは一体なんだろうか。その事を教えてくださるのが仏教であるのだろう。「私の人生でしがみついている要らないものは何だろうか、本当に大事なものに出会ってきたのかな」と、捨てられないものと向き合いながら、断捨離をしてみるのも、面白いものがあるかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


梅雨なかば草刈る肩ににじむ汗

2021年05月30日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16度から26.7度、湿度は94%から48%、風は1mの北西の風が少しばかり。明日の31日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 109/70/79 36.0c-99% 64.8Kg 20.7c-56%-1008hPa 体調に変わりはない。朝は5時前に起きて夜は21時には寝る。朝食は食べないが痩せたりはしない。

 

 スマートウォッチとiPhoneの連動で数値を見ているが、病院に提出する数値は通常の血圧計や体温計やパルスオキシメーターで計測している。明日が県立病院での予約診察日なので、今日の夕方にはデーターを整備しておく。

 

 今日は天気がいいものだから、少しばかり草刈りをやっておくことにした。で、今日は朝ドラがないものだから、午前8時からの作業開始になった。

 

 バッテリー充電よし!。電池セットよし!。一回の充電で一時間は草刈りができる。でも、そんなに永くは動けない。今は準備体操みたいなことだ。

 

 我が家の周りはどこもかしこも草まみれ。「♪雑草が伸びる ジワジワ伸びる そっても抜いても伸びる 伸びて縮んでまた伸びる~♪」

 

 今週頭に弟が枯れ草の処理に来てくれるらしいので、その前に刈り残した部分を刈り払っておくことにした。そういうと元気そうだが、実際には3分動いては5分休憩。5分動いては10分休憩するみたいなことで、すぐに息が上がってしまう。

 

 このあたりは奥方がお花を植えてあるので、それを刈らぬように草だけ刈るようにしているのだが、ついつい・わざとでお花ごと刈り払ってしまったりする。

 

 この梅の木は自然に生えたものらしいが、地主さんに寄れば我が家の物だという。まだまだ熟していないようなのでそのままにしておいた。

 

 この竹も我が家の物だと言うが、こんなものは使い道がないので切り倒しておいた。まだ、たなばたさまには早すぎる。

 

 これが、昔の「松尾村道」だが、これも我が家の物だという。ここまで固定資産税を取られたのではかなわない。この刈り払った草を、弟が片付けてくれるというのである。おまけでついてきた土地だから余分な労力が必要になってバカバカしい限りだ。

 

 こうしてみれば、昔の村道が見えてくる。小学生の頃には、ここを通って通学していたのが夢のようだ。

 

 今日のお昼は「そうめん」である。それを冷麺風にしてみた。

 

 そうめんは香川県小豆島の「島の光」というそうめんである。

 

 今日の掲示板はこれ。「後悔してもええねん また始めたらええねん 失敗してもええねん もう一回やったらええねん 前を向いたらええねん 胸をはったらええねん それでええねん それでええねん」というもの。ウルフルズの「ええねん」の歌詞である。後悔したっていいじゃないか、また始めたらいいじゃないか。失敗してもいいじゃないか、もう一度やったらいいじゃないか」と言うとるのである。それでええねん、それでええねん。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


振り向けば想いそれぞれ花しょうぶ

2021年05月29日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は17.2度から25度、湿度は76%から62%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 115/66/78 36.2c-99% 64.8Kg 21.3c-61%-1004hPa これという変化はない。

 

 今日はいい天気になったものだから、生ゴミ出しやら空き缶・空き瓶の片付けやら洗濯物を洗って干してお布団を干してと雑用三昧。そういう雑用はできるのだが、いざ、身体を動かす事になると、これが動かない。

 

 それはそうと、とあるアンケートに答えたところ、こんなものが届いた。届いたのはいいが、中身のマニュアルからカタログからが全て英語ばっかり。何が何して何とやら・・。自慢じゃないが、小学校から授業中は遊ぶことばかりを考えていて、授業なんぞまるきり覚えていないのだ。

 

 とりあえずはこうするものだろうと、ディスプレーの上に取り付けてみた。で、Skype やら Zoom につないでみた。全くの手探り状態。

 

 で、背景にベッドがあるのはいかがなものかと、背景を替えてみた。南国の浜辺にいるみたいになった。

 

 こういう風になるらしい。ということで、しばらくはウエブカメラで遊べるみたい。

 

 で、その後は、市内にある「花しょうぶ園」をのぞいてみた。ハナショウブ(花菖蒲)はアヤメ科アヤメ属の多年草である。アヤメ類の総称としてハナショウブをアヤメと呼ぶことも多く、間違いにはあたらない(あやめ園、あやめ祭りなど)が、花しょうぶとショウブとは全く異なる花であることには注意が必要。

 

 ま、我ら日本人は几帳面なようでも、このあたりはあいまいで、ショウブも花ショウブもあやめも一緒くたにしてしまう。

 

 すると、こんな看板が立っている。道理で人影が見えない訳か。

 

 ときおり、ウォーキングらしい人が見えるばかりで、花の数もまだまだ少ない。今年もまた、「花しょうぶまつり」は中止になったらしい。

 

 と、言うても、花の咲いている場所はあるもので、ほぼ、独り占めみたいにして写真を撮ってきた。

 

 その後は銀行で通帳記載をやったり、スーパーでビールを買ったり、郵便局でも残高確認をやったりと月末処理の準備をやっておいた。なかなかに「主夫」も忙しい訳だ。

 

 これが朝昼兼用の食事で、オクラの入ったおそばである。とろろの代わりにオクラが載っている感じのおそばだった。

 

 あと、豆腐ハンバーグ(上左)とハチクの煮物、手前はカボチャの煮付けである。

 

 今日の掲示板はこれ。「おれがおれがの「が」を捨てて おかげおかげの「げ」で生きよ」というもので、いつもの町内にある善楽寺さんの掲示板からである。この言葉は世の中で広く伝わり、言葉遣いに様々なバリエーションで使われている。一般的には、江戸時代後期、越後(今の新潟県)の曹洞宗の僧侶、良寬さんの言葉とされている。「おらがおらがの「が」を捨て、おかげおかげの「げ」で生きよ」という表現など、あまり出典にこだわることなく、その人が受け止めやすい語呂の良いものを、自分に言い聞かす言葉として胸の内に持っておくのがいいのかもしれない。もちろん、良寛さんは仏典から「お説教」のひとつとして、この言葉を使ったそうで、いろいろと調べると、座禅や己と世の中とを切り分けない世界観を説明する内容らしい。でも、うちの祖母の話では、「私が・・」「私が・・」という「我」を捨てて、「おかげ」「おかげ」の「下(げ)」で暮らして行けよ・・という話をしてくれたものだった。人の暮らしは上を見るときりがない。だから、下のほうの暮らしぶりをして行けよと諭したものだった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


梅雨冷えに脱いだ靴下を履き直す

2021年05月28日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は16.3度から23.6度、湿度は84%から56%、風は3mから1mの西北西の風が少しばかり。明日の29日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で明け方まで曇る見込みで、その後は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 110/60/78 36.0c-97% 64.6Kg 22c-60%-1007hPa 体調に変わりはない。でも天候のせいなのか気圧の関係なのか、草刈りや庭木の剪定をやろうという気にはならない。しっかりと寝ているはずなのに眠たいばかり。

 

 それに今日は奥方の定休日だから、出掛けることも出来ないし、何かをやろうという気にもなれない。奥方がゆっくりとしているのに、大きな音も立てられないし、当てつけみたいに掃除機も掛けられない。

 

 ということで、今日も観光ガイドマニュアルの作成である。地学や地質学にはうといのだが、この中央構造線と、先の淡路阪神大震災は関係したのだろうか。北淡町の野島断層というものが印象に残っているのだが。

 

 その和泉層群によって作られた泥板層の石から、この結願寺道の「丁石」は作られている。

 

 こういう白い石を切り出せば、それがすぐに石碑になったらしい。中央にハンマーがあるが、あれは忘れものではない。スケールの代わりである。

 

 こんどはおとなしい藍色を使ってみた。昔はこういう和綴じが一般的であったようだが、これはこれなりに納得できる製本方式である。

 

 ここまできたらほぼ大詰め。この針を抜いて、お隣の穴を通して絞めれば完成である。昔の人はよく考えたものであるなぁと感心するばかり。

 

 これは、近くにある墓地にあるお墓で、一見すれば何の変哲もないお墓のように見えるけれど、

 

 その下には、「ホルスタイン種 コーネルス号 年四才(四十(?)」と刻まれている。つまり、乳牛のお墓ということである。でも、牛に「法名」をどうやってつけたんだろうかと気にかかる。ま、恒吉さんの近くには真宗のお寺があるのだけれど、普通、犬や猫には法名はつけてくれないと思うのだけれど。

 

 だから、普通は、このように法名などは刻まれていない。

 

 我が家のシジュウカラは依然として変化はない。

 

 この子は、さえずるでもなく、エサを運ぶでもなく、パートナーを誘う訳でもなく、このあたりを歩き回っているばかりである。

 

 早くも恒例のお中元のキャンペーンの案内が来た。

 

 で、そのリストを作成していた。今までは手書きでリストを作っていたのだが、電話番号や郵便番号が記憶から外れて大騒ぎする物だから、今年は早めにエクセルシートでリストを整理しておいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「凡人は、行動を起こすのに完璧なタイミングを計っているうちに一生を終える」という、ジャック・キャンフィールドさんの言葉から。ジャック・キャンフィールド(Jack Canfield/1944年8月19日-/男性)は、アメリカ・テキサス州出身の自己啓発作家、モチベーションコーチ、講演家、経営者。世界的なベストセラー・シリーズ「こころのチキンスープ」の共著者として知られる人物であり、経営者や教育者向けの研修を行うセルフ・エスティーム・セミナーを設立。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


右に行き左に迷って花に遇う

2021年05月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で雨が降っていた。気温は16度から22.2度、湿度は96%から76%、降雨量は3mm/h 風は6mから1mの西南西の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 101/79/79 36.1c-97% 63.4Kg 20.6c-57%-1003hpa 体調に変化はない。今日は身体が軽いしおなかの張りもない。

  

 今日は大雨で、25mm/hくらいは降るだろうとの予想だったが、実際には3mm/h程度の雨で、すぐ横を流れる津田川の水量にも変化はない。こんな雨だから、どこにも出かける勇気はない。

 

 そんなことだから、観光ガイド用のマニュアル作りをやってみた。このお地蔵さんの横の小さな石碑は「牛の墓」である。農耕牛なのか荷役用の牛だかはわからないが、この地で亡くなった牛のお墓である。明治二年の銘があった。

 

 そういうものをまとめたものを、カラープリンターで印刷してみた。86ページになった。まだまだ追加できるものがあるはずだ。

 

 こういうものは地域の歴史であり文化である。これらもまた、誰かが語り継いでゆかねば消えてしまう文化であり歴史であると思うのだ。

 

 で、今日は和紙による和綴じで製本してみることにした。和綴じも久方ぶりで戸惑うことが多かった。これもまた、やり続けていないと忘れ去られてしまいそうになる。

 

 こうして裏・表の二枚の表紙ができた。この上からA4サイズの印刷用紙を張り付けておく。

 

 四等分か五等分する位置に穴を打っておく。上下には1Cm程度をあけておく。

 

 そこへ糸を通した針で綴じていく。この綴じ方はほかの資料で調べること。そこまでは私は説明しない。糸は凧あげ用の「たこ糸」を使っている。針も手芸用の大きな穴の針を使っている。糸を通すのが面倒だからだ。

  

 こういう具合に縦と横とで綴じながら糸を伸ばしていく。

 

 で、最後に「題箋」を張り付けて完成である。

 

 今回は、こんなかわいらしい図柄を使ってみた。

 

 今日の掲示板はこれ。「一輪の花 かけがえのないいのちを ありったけ 咲かせている」 というもの。金言や箴言や聖句に解説は必要ないし、どう理解するかは、読んだ人の知性の結果であると思う言葉に出会うもの。人によって感じるところが異なるのは当然かも知れない。「こう書いてあるから、こういう意味だ」ではなく、もっと意味の幅も広いものであり、個々人の人生にどう生きるかはその人次第であると思える言葉であった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


花しょうぶ静かにそっと咲き出した

2021年05月26日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で曇っていた。気温は16.5度から23.5度、湿度は84%から445、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の27日のさぬき市地方は、梅雨前線や低気圧の影響で曇り、昼前にかけて雨となる見込みらしい。

 

 110/62/80 36.3c-96% 64.8Kg 22c-55%-1010hPa 毎日、同じような生活をしてるのに、今日は無性に眠たいし、おなかが張るし、身体が重い感じがする。

 

 数字的には問題ないし変化もないので、気分的なものだろうか。それにしてもおなかが張ってくるのは苦しいものだ。

 

 これはスーパーのトイレに張ってあった言葉だと思うが、これは薬屋さんのPR用の張り紙である。だから、なんとかという薬を飲みなさい・・というような宣伝文句だが、昨夜は時間が永かった分だけ寝不足気味。

 

 シジュウカラにも変化がない。まだ、エサを運んでくる様子はない。

 

 盛んにパートナーを呼んでいるのだが誰も相手をしてくれないのか、それとも、もう、タマゴを抱いているのかも知れないが、そのあたりはわからない。

 

 朝方は、ソラマメの皮をむいたり、奥方の作業着を洗濯して干したり、空き缶を片付けたり、空き瓶を回収場へ運んだりしていた。そういう雑用の日になったみたい。

 

 その後、旧宅から山に入って、この淡竹(ハチク)を刈ってきた。孟宗竹はクワでタケノコの根元を掘るが、このハチクは鎌で刈り取るのである。昔は稲わらで束にして担いできたが、今は、そのまま車の中に放り込んで帰ってくる。

 

 それを孟宗竹のように半分に割って、中身だけを取り出す。一枚いちまい、皮をめくらない。

 

 そうして中身だけになるとこんな風になる。それを小切りにして鍋で湯がいておく。ハチク(淡竹)は中国原産の竹の一種。黄河流域以南に広く分布し、日本ではモウソウチク、マダケに次いで各地でよく植栽されている。北海道南部以南に分布し、モウソウチクよりも耐寒性を有するために特に日本海側に多い。川岸や山地では野生化しているものもある。別名アワダケ、呉竹(くれたけ)とも呼ばれている。

 

 で、これを一時間ほど湯がいておく。あとは奥方におまかせである。

 

 それはそうと、この下の段の「石原 義則」というのはこの我が家を建てた大工の棟梁である。職業柄、アスベストを扱っていたことから「中皮腫」を患っていたが、市の広報で知って驚いた。私と同じで72歳だった。それも、先月だかに香川医大に入院していると電話をもらってお話をした後だっただけに、少しばかり驚いた。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分らしくある必要はない むしろ「人間らしく」生きる道を考えて欲しい」という岡本太郎さんの「強く生きる言葉」からである。自分らしくある必要はない。自分に忠実と称して狭い枠の中に自分を守って、カッコよく生きようとするのは自分自身に甘えているに過ぎない。そういうのが岡本太郎さんの言葉である。でも、私には芸術家の言葉はわからない。岡本さんだって十分に「自分らしく」生きたと思うし、私は、思う存分、自分らしく生きていきたいと思っているのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


我が庭を花あじさいは独り占め

2021年05月25日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は17度から26.3度、湿度は92%から46%、風は2mから6mの西南西の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市地方は、はじめ高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で昼前からは曇る見込み。

 

 102/61/78 35.5c-98% 64.2Kg 21.2c-64%-1007hPa 体調に大きな変化はない。今日も、朝方は涼しくて冬衣装で、昼間は暑くて夏衣装になって、お昼を過ぎたら冬衣装に逆戻り。なんとなく落ち着かないことである。

 

 奥方は定休日だというので、朝の8時まで寝ていたが、私は外が明るくなると寝ていられずに5時過ぎには起きてしまった。で、8時まではクロスワードパズルで脳トレをやっていた。これはまた大きなクロスワードパズルで両面にある。奥方を起こさぬように騒がぬように・・・。

 

 さて、ベランダには二つの巣箱があるが、これは東の巣箱だが、今度はシジュウカラがやってきている。少し前にはスズメがいたのだが、無精卵を残していなくなってしまった。その後にこのシジュウカラがやってきたものである。

 

 で、しきりにパートナーを呼んでいるのだが、なかなかにお相手はやってこない。

 

 お好みでない人もいるのでわかりにくい色の物を選んでみた。人畜無害のアオダイショウである。アオダイショウと言っても青くはない。保護色で周りの色に変身するのだろうか。

 

 奥方はソラマメを収穫するのだと張り切って畑に潜り込んでいる。少し前には、お兄ちゃんや神戸の親戚筋にソラマメをどんどんと送っていたようだが、親戚筋も減ったし、お兄ちゃんも施設に入ったしで、数量は減ってしまった。

 

 それでも、我が家で食べる分以上には収穫できたようである。どうか、職場の仲間にあげてくれればいいのにと願っている。私は「いも、タコ、ナンキンにマメ」は苦手なのである。

 

 昨日はこんなだった、ガレージ横の水槽周りだったが、

 

 少しはさっぱりとしたみたい。今日は奥方が近くにいるものだから、小さな作業で軽めにやっておく。「あなたが入院でもしたら、私の生活は狂うのよ」と言われかねないのだからして。

 

 我が家の梅はまだまだあおい。「半分青い」くらいになったら収穫しようか。

 

 これは10年日記だが、昨年の明日から白内障の手術入院をした日である。おかげで今は両目ではっきりと見えている。あれから一年経ったのかという思いと、まだ一年しか経っていないのかという思いが交錯する。

 

 我が家のアジサイも咲き出してきた。明日には、この花の周りの草刈りでもしようか。あさっては大雨になるとかならないとか。

 

 今日の掲示板はこれ。「賢いものは学びたがり、愚かなものは教えたがる」というもの。ロシアの劇作家アントン・チェーホフの言葉だということになっているようだが、その言葉は、「愚者は教えたがり、賢者は学びたがる」というもので、チェーホフがロシアの格言を聞いてノートに書き留めたもので、チェーホフ自身の言葉ではないみたい。それをチェーホフの手帳に書き留めてあったものを、たまたま編集者が見つけて公開したらしい。確かに、どこにでも「教え屋」はいるもの。床屋でも風呂屋でも飲み屋でも、とくとくと自説を金科玉条のように語る人がいる。そう言えば、この掲示板もそういうものかも知れないなぁと、妙な納得をしたものだった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


切り捨てた槙葉のブラシが花咲いた

2021年05月24日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は梅雨前線や低気圧の影響で曇り、昼過ぎから夕方は雨が降っていた。気温は19度から21度、湿度は98%から76%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で朝まで曇るらしい。

 

 106/67/78 35.6c-98% 64.6Kg 22c-61%-1010hPa 体調にこれという変化はない。

 

 民放テレビで、「ポツンと一軒家」という番組がある。日本各地の人里離れた場所に、なぜだかポツンと存在する一軒家。そこには、どんな人物が、どんな理由で暮らしているのか。そんな番組風に我が家の記録を残しておくことにした。ここが我が家の旧宅だった。

 

 写真を拡大すると、こんな風になっている。入母屋の建物が昔の母屋。四角く見えるのが車庫兼物置だった建物。

 

 これがそこにあった建物である。白い二階建ての建物は台風で流されたもの。今は解体されて建物はない。物置と母屋だけが残っている。

 

 こちらが現在の我が家である。家の横(向かって左)を白いラインが通っているが、これが「みろく奥池」への水路である。この水路の両側の草刈りをやっていると言う訳である。

 

 これが上図上側、家屋側の水路である。この水路に沿って、昨日は草刈りをした部分である。

 

 で、道路上の作業だからと、充電式電動草刈り機を持ち出してきた。水平部分ならば、これで草刈りができる。

 

 行きは良いよい、帰りはこわい・・。この斜面部分になると、草刈り機の重さが左へ左へと掛かってくるので重くて支えきれない。三歩進んではひと休み、二歩進んではひと休みしながらでないと重たくて呼吸ができなくなってくる。

 

 こうしてなんとか道路側の草刈りは終わった。家屋側の向こうの方はどくだみや奥方の植えたお花なので残してある。今朝も確認したら、「刈ったらダメよ!」とピシャリと言われた。

 

 で、畑側の水路も手刈りで刈っておいた。

 

 ということで、この水路側の草刈りが終わったというわけである。で、家の東側(向かって右)の津田川に面した部分は、一昨日、三男のたっくんが全区間刈り払っておいてくれたもの。

 

 その後、こうして刈り残された部分も刈っておくことにした。

 

 草が乾燥したら、すっきりとするはずである。

 

 で、今日はさっぱりと「小豆島そうめん」。

 

 今日の掲示板はこれ。「明日の目的のために今日を生きているのではない 今日が全部だ」という安田理深先生のことばからである。私は子どもの頃から”今”を夢中でやってきた。後先のことなんぞ考える間もなかった。遊ぶに夢中。何か面白い物はないかと夢中で走り回ってきた。社会人になっても遊ぶことに夢中になってきた。飲むことにも夢中になった。「今を生きる」なんて大層なことは知りもしなかったが、「また明日」とか、「じゃぁ、またねぇ」とかということは考えなかった。「今が全て」、「今しかない」という一心だった。安田先生は、「”今”とは気づきである」と仰ったが、そんなたいそれたことは理解してはいないけれど、「今を生きる」というそのことだけで歩いてきたような気が、今頃になって理解できるようになってきた。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


花しょうぶ胸の雑草も刈ってみる

2021年05月23日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16.5度から28.4度、湿度は86%から52%、風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、梅雨前線や低気圧の影響で曇り、夕方からは雨が降るらしい。

 

 118/58/79 36.5c-97% 64.0Kg 21.7c-61%-1009hPa 体調に変化はない。

 

 「五月(さつき)」とは旧暦の呼び方で、現在の暦である新暦では6月に相当し、梅雨の間の晴れ間を「五月晴れ」と言ったものだが、時が経つにつれて、五月晴れの使われ方は変化してきて、言葉の響きから、誤って「新暦の5月のよく晴れた日」という意味でも用いられるようになり、この誤用も正しい意味の1つとして定着している。

 

 昨日は、この水路の南側(玄関への進入路の)の草刈りをやったのだが、片側だけでは釣り合いが取れないかなぁということで、北側にチャレンジしてみた。断っておくが、ここは私んちの土地ではなくて、水利組合のもので、「泥揚(どろあげ)場」、つまり、落葉や泥土などを置く場所である。

 

 で、鎌は、こうして普通の草刈り用と、少し柄の長い鎌とを使い分けている。

 

 だから、年に数回、水利組合のメンバーさんが草刈りをしたり、ゴミ掃除をやっているが、今の時期にはそういう作業はないらしくて草が伸び放題になっている。本来ならば、こういうドクダミなんぞも刈り払うものだが、奥方が「お花がきれいだから刈らないでよ」と言われているのでそのままにしておいた。

 

 ドクダミは、ドクダミ科ドクダミ属の多年草。別名として、ドクダメ(毒溜め)や、薬草としての効能が多いことに由来するジュウヤク(十薬 または重薬 )、ギョセイソウ(魚腥草)、ジゴクソバ(地獄蕎麦)、ウマゼリなど。湿った陰地などに群生し、草全体に独特の香りを持つ。古くから民間薬としても広く知られてきた。うちの祖母なんぞは、「じゅうやく」として、これを乾燥して保存しておき、腹痛や便秘なんぞの時にお茶にして飲んでいたし、飲まされたものだった。

 

 で、一時間ほどで20m往復の草刈りができた。道路側は、後日に草刈り機でなぎ払うつもり。なお、刈った草はそのまんまにしておけば、いつしかなくなってしまう。よそサマの草だからそのまんまでよかろうと、いつもこうしている。

 

 その途中では、トカゲやムカデやミミズなんぞも見たが、あまり気分のよくなるものでもないので省略した。これは「ナナホシテントウムシ」だと思う。数を数えた訳ではない。

 

 これは「オニヤンマ」だと思っているが、子どもの頃から、虫には余り興味がなかった。

 

 これは「トノサマバッタ」のようだが自信はない。小学生の頃には「昆虫採集」が夏休みの定番だったが、注射器などのセットは買ったものの、すぐに飽きてやめてしまった。まわりは虫だらけだったもので、珍しくも面白くもなかったように思った。

 

 お花や植物にしても同じだった。植物採集だと新聞紙に花や植物を挟んでおいたが、すぐに飽きてしまって捨ててしまった。まわりは草や植物だらけだから珍しく面白くもなかったように思った。これはあじさいの開花である。

 

 アジサイも間もなく開花するような時期になってきた。

 

 今日のお昼はまたまた、サワラの押し寿司である。奥方が献立に迷ったら、カレーかうどんかお寿司かである。最近の私は、この押し寿司一個で十分である。そんなにたくさんは食べられない。

 

 今日の掲示板はこれ。「行き先をググれば行き先が分かる 行き先を念ずれば生き方がわかる」というもの。広島市中区八丁堀にある浄土真宗大谷派の超覚寺さんの掲示板から。「ググる」というのは一般語化してしまった、グーグルを使ってインターネット検索することで、道案内の役割をグーグルマップがしてくれるという意味で、それに対して、生き方を教えてくれるのは浄土往生を念ずるという浄土系の教えなのだ、というお話である。 「お浄土に往けるんだと信じられたら、後は楽に生きていけるんだよ」ということを書いているのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


シャリシャリと新玉ねぎの重誓偈

2021年05月22日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は昼過ぎまでは気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていたが、その後は高気圧に覆われて晴れてきた。気温は17度から23度、湿度は78%から64%、風は2mから6mの西の風が一時は強かった。明日の23日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 113/69/81 36.0c-97% 64.8Kg 20.9c-67%-1006hPa 体調に変化はない。

 

 やっぱり、私のスマートウォッチ(F18(ID-6CEO)とスマホはbluetooth で接続されていた。上のDESKTOPなんたらが、作業中のメインPCであり、下のNMZK-W70D というのが、私の車らしい。その間の距離は10m程度らしい。それ以上になると未接続になるみたい。

 

 それはさておき、今朝は三男のたっくんが我が家の草刈りに来てくれた。雨が降って草が伸びただろうということで来てくれたらしい。

 

 そうなると、私だってぼんやりとはしていられない。「適度な水分と適度な運動と処方されたお薬は忘れずに」というドクターの指示だったから、少しは運動してリハビリもいいかもと、この水路脇の草刈りをすることにした。

 

 草刈りたって、こうした斜面のところでは草刈り機が重くて使えないので、今日は鎌での手刈りになった。でも、子供のころには毎日やらされていたので、草刈りくらいはできる。

 

 で、10m往復くらいを30分ばかり刈ってみた。水平運動は少しも苦にはならないし、重いものも持たないので平気だった。

 

 だと、弟は50m往復を1時間半ほどで刈り払ってしまっていた。で、10時過ぎに、今日はここまで・・というので、私も草刈りをやめた。無理して寝込んだら奥方さまに叱られる。

 

 で、この草が乾いたころにまたやってきて、この草を処分するらしい。

 

 その後、二人は山寺さんにやってきた。歩き遍路らしい人が一人、二人。家族連れがふた組三組。静まりかえっている山寺さんである。

 

 で、二人はこの野田屋さんの二階の喫茶店風の食事室に入った。当然のことだが誰もいない。

 

 こうしてみると、この通りも静かなもの。ときおり、自転車乗りの若者が何人かが立ち寄っていた。今の時期がシーズンなのか、このあたりにはサイクリストが多い。

 

 で、私は冷たい「天ザルそば」(1080)で、弟は温かいものがいいと、

 

 天ぷらそば(830)にした。こうした細くて長いお蕎麦は久しぶりだった。野菜はタケノコ、ナス、ナンキン、シイタケ、マメ(?)、それにエビの天ぷらだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分のことより ちょっと他人のことを考える こんな人を心豊かな人という」と云うもの。雪山隆弘著 『ブッド・バイ -み仏のおそばに-』より。最近、何かにつけて、車の運転や道を歩いていても、クラクションを鳴らしたり、すぐカッとなってイライラしている私を見かけるようになった。ほんの数秒のことなのに、お先へどうぞとは言えないのである。自分だけの世界しかみられないから、さらにイライラしてしまうのだ。それぞれがこの地球に共存しているし、自分だけの空間ではないのだが、ついつい、自分のことばかりを優先させている私がいる。なかなかに、「心豊かな人」にはなれないなぁと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


花菖蒲驚いたように生きてみる

2021年05月21日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は梅雨前線の影響で雨の降っている所があった。気温は20度から23度、湿度は94%から70%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 114/70/79 36.2c-98% 64.8Kg 23.6c-74%-1004hPa これという変化はない。

 

 ひょっとして、このスマートウォッチとiPhoneとは「ブルーツース」で接続されておるのじゃなかろうか。Bluetooth【ブルートゥース / BT】とは、携帯情報機器などで数メートル程度の距離を接続するのに用いられる近距離(短距離)無線通信の標準規格の一つ。USBケーブルなどを使わずにマウスやキーボード、スピーカーやプリンターなどを接続するものらしい。

 

 で、朝ドラが終わればすぐに「香川大学医学部付属病院」に向かった。駐車場が混まないうちに、出入り口に近い場所に駐車できるようにと。で、9時過ぎに、この医学部付属病院に着いた。雨のせいか、駐車場はさほどでもなかった。

 

 再診受付で予約票や診察券などを出して、内科受付へ回された。でも、一年と三ヶ月ぶりに来てみると見違えるようにさっぱりと改装されている。で、この内科受付へ書類を出すと、予診室に呼ばれて、どういう事情なのか、どういう症状なのかを確かめられて、それぞれのドクターの診察に振り分けされていく。

 

 この最上段にある「前回来院日 2020年3月1日」というのは、カレイのタマゴを食べて蕁麻疹が出て、救急搬送されてきた時の日付けである。このように、ここには、過去の私のデータがそっくり残っている訳である。

 

 で、これからが永い・・・。予約時間は10:00なのだが、こういうのはあってないようなもの。

 

 で、一時間待ちでようやくに診察に呼ばれたのが10時45分だった。

 

 だから、このドクターとは初対面だが、ドクターの手の中には、私の全てのデーターがある。血液透析を何回やって、幾らいくらの水分を抜いて体重がいくら減ったとか、水分の管理表とか、尿の排出量とか全てが見えている。で、先日の市民病院での検査データーもインプットされているらしい。

 

 結果・・・、「県立病院の日浦ドクターの指示に従って下さい」の一言でおしまい。『大山鳴動して鼠一匹』。つまり、”水分の節制と適度な運動、それに処方された薬を忘れずに飲むこと・・・”というごくあたりまえの結論。

 

 自動会計機が表示した本日の治療費は、「160円」。なんじゃ、それは・・・。

 

 時計は12時前だったので、このうどん屋さんに入って元気づけでもと。

 

 で、いつもの「おんたまぶっかけ小の温いん」を注文した。390円だった。で、あれ・・と思ったのはおうどんが四角いこと。讃岐では「エッジが立っている」というのだが、おうどんに角(かど)がある。しばらくは「氷見うどん」ばかりを食べていたので、角のあるおうどんは久々だった。

 

 相変わらず雨は降ったりやんだりを繰り返している。奥方は「神経痛」だかで安静中。今日は洋裁教室の日だったのだが、当分はお休みと言うことで、お布団をかぶって寝ていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生はいろいろあるから退屈せんでよい」というもの。いつもお世話になっている町内にある善楽寺さんの掲示板から。曹洞宗の僧侶、余語翠巖(よごすいがん)さん(1912-1996)の言葉から。確かに永い人生に於いて様々なことが起きては過ぎる。それを退屈せずに楽しむか、退屈しながら漫然と過ごすかで人生の味わい方は大きく違う。有り難いと思って過ごすのか、苦痛だと思って過ごすのかでも人生は大きく違う・・・。 その選択で、人生の味付けも変わってくるというもの。確かに確かに、私の今年は、いろいろありすぎて退屈するどころか、ブログに書ききれないほどの出来事の山である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


じんじんと梅雨降りしきり爪を切る

2021年05月20日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、梅雨前線が西日本を北上するため、雨や雷雨となっていた。気温は18.5度から23.8度、湿度は98%から86%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、午前中は梅雨前線が西日本を南下するため、朝まで雨や雷雨となる見込みで、昼前からは気圧の谷の影響で曇るらしい。

 

 114/63/79 36.2c-98% 64.8Kg 22.2c-69%-1013hPa 体調に変化はない。

 

 昨日の「ためしてガッテン(NHK)」で、COPD(慢性閉塞性肺疾患)のことをやっていたが、呼吸が荒くなるとか重いものを持てないとかいくつかの共通点はあったのだけれど、毎回、レントゲン検査を受けているのに、そういう指摘は一度もなかった。

 

 私の場合は、心不全で画像左のように肺が縮小しているために、呼吸困難になるらしいので、COPDとは関係ないなぁと眺めていた。でも、若い頃にはたばこを40本から60本もを吸っていたのだから、そういう症状にはなっているのかも知れない。

 

 ということで、今日も朝方は「エンディングノート」の修正作業をやっていた。多くの場合、記入日を今年の6月に修正するものだった。大勢にかわりはない。

 

 芸能人のどなたかが、「やりたいことはやって済んだ」というようなことを話していたようだが、そんな気分である。やりたい放題にやって済んだ。やり残したことは何もない・・・という思いである。

 

 財産目録もエンディングノートの修正作業も済んだ。

 

 今日の午前10時からは月に一度のケアマネさんの訪問日であった。で、近況報告から昨日の市民病院でのいきさつの報告をしておいたし、明日の香川医大付属病院での診察予定のお話もしておいた。

 

 このケアマネさんは3月からの担当なので、改めて私のことを話しておいた。私の心臓病、心不全症候群はステージDの最終位置にあること。今度、何かあれば心臓は回復しないこと。

 

 こういうことで、心臓移植や補助人工心臓は年齢的にもムリなんじゃないかということだったし、人生の最終段階のケアになるとの説明だった。もう、後はないのである。症状のコントロールを地道に続けるしかない。

 

 昨日の市民病院でも指摘をされたが、右のような「心膜炎」が進んでいるが、これに対する手術はできないし薬もないことを確認している。この心外膜の硬化で心臓が動きにくくなって水分処理ができないことも香川医大付属病院で告知されている。

 

 そんなことよりもである。昨日、市民病院の内科の看護師さんから携帯電話に連絡があったのだが、私の車のスピーカから着信音が流れ、応答したら、看護師さんの声が車のスピーカーから聞こえるのには驚いた。私は何も設定なんぞしておらず、何をどうしていいかわからずに右往左往したことだった。結局、車から降りて、車外から連絡し直して通話できたのだけれど、iPhoneにしたら、そんなことができるのかと、ケアマネさんと大笑いしたことだった。Bluetooth®が何なんだかまるで分かっていない私であった。

 

 富山からの氷見うどんは到着したが、今日はつつましやかにシラスご飯になった。右はアナゴ入りの卵焼きである。

 

 おうどんは、早速にののさまにお供えしておいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「金が欲しさにいのちを忘れ、いのちなくなりゃ金いらん」という毎田周一さんの言葉から。いつも御世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。毎田周一(まいだしゅういち)(1906-1967)は、日本の仏教思想家・詩人。金沢市出身。第四高等学校を経て、1929年京都帝国大学文学部哲学科卒業。1937年 長野県師範学校教諭、1942年石川県師範学校教諭。暁烏敏に師事し、西田幾太郎に学ぶ。雑誌『真』、『大雪山』主宰。仏教の教えを日常の言葉で語り、多くの解説書や詩を残した。没後「毎田周一全集」が纏められた。他にも◎愚禿とは最も鋭利なメスの切り先だ。◎自分とは、最も身近にある他人だ。自分を持て余すというぢゃないか。◎貧しさそのものは不幸ではない。富めるものと比較するとき、不幸になる。などがある。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


野いちごの実る藪にも日陰あり

2021年05月19日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、梅雨前線や気圧の谷の影響で曇り、昼前は雨が降っていた。気温は20度から24.7度、湿度は96%から66%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市地方は、梅雨前線が西日本を北上するため概ね雨となり、夜は雷を伴う所がある見込み。

 

 117/61/78  36.2c-98%  64.6Kg 22.9c-71%-1010hPa 数日前からおなかが張ってきてズボンやパジャマのゴムがきつくて痛むようになっていた。だから食欲もないし食べるに食べられない状態になっている。安眠すらできないし、朝の2時過ぎからは眠れない状態にもなっていた。呼吸が苦しくなってしまうのだ。

 

 だから、朝方(起きてから朝ドラまで)はエンディングノートの修正作業をやっていた。もう、いつ、呼吸不全になってもいいようにとの支度だった。いや、2020年版は出来ているので、それの2021年版というところだろうか。

 

 で、朝ドラが終わるとすぐに、隣町にある市民病院に駆け込んだ。その時間帯だと「身障者用駐車場」が空いているからだった。

 

 で、内科で受付をするるのだが、体温計、身長体重計、血圧計などの測定などは自分で測ってそのデーターを貼り付ける。ここへは二ヶ月前の3月17日にも来て同じようなことをやったことを思い出した。

 

 で、同じ診察室の同じ岡内ドクターだった。で、診察の結果も同じ事で、「おなかが張ったり足がむくむのは心臓が劣化しているせいで、食事をした、その水分を処理できずに体内に蓄積されるからで、これはどうしようもない」ということである。二回目だから驚きもしないが、やっぱりそうか・・・という落胆は抑えられない。

 

 でも・・・ということで、①採血 ②採尿を、この中央処置室で済ませ、

 

 ③心臓エコーと内臓エコー検査を、この生理機能検査室で受けてから、

 

 ④CT検査をレントゲン検査室で受けてきた。

 

 で、今週の金曜日に、あの「香川大学医学部付属病院」で循環器ドクターの診察を受けて、服用する薬の最処方をしてもらうことになった。私は昨年の2月に、「もう、あなたに施すすべはありません。今後、あなたがここに来ても私たちは受け入れしません」と冷たく追い出されてしまったのに、またしても、あそこへ行けというのか・・・。それで、私を診察してくれるのだろうか・・。

 

 「大丈夫ですよ。”心臓血管外科”ではなくして”循環器科内科”ですから・・」と岡内ドクターはいうのだけれど、こころおだやかではいられない。今日の診察検査費で8.670円、それに香川医大への紹介状代が500円という結果になった。

  

 今日は、そういうことで食欲もなかったが、食べないと衰弱するばかりだしと勇気を出して食べてみた。昨日だかで氷見うどんは食べ終わったので、またしても氷見うどんを注文しておいた。いやいや、讃岐うどんもいいのだが。

 

 先日に奥方が採ってきた「山ぶき」の伽羅蕗(きゃらぶき)もなんと言うことなく食べて済んだ。別におなかの張りも痛みもない・・。「なに、これ」・・という不思議な気分。でも、元気になった訳では決してない。たまたまの偶然である。

 

 今日の掲示板はこれ。「百萬の典経日下の燈」というもの。円覚寺初代管長・今北洪川(いまきた・こうせん)老師の「禅海一瀾」のことばから。言葉通りに、「百萬の経典を読み知っていても、実践を伴わない知識は、太陽の真下でロウソクの炎を灯すみたいで、何の役にもたたない」ということである。単に、「百萬典経日下燈=ひゃくまんてんきょう・にっかのとう」と言う。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


梅雨なれど雨には負けじと紅あざみ

2021年05月18日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、梅雨前線や気圧の谷の影響で概ね曇っており、昼過ぎからは雨となってきた。気温は21度から23度、湿度は80%から964%、風は4mから1mの北の風が少しばかり。明日の19日のさぬき市地方は、梅雨前線や気圧の谷の影響で曇り、昼前までは雨の降る所がある見込み。

 

 119/66/95 36.3c-96% 65.4Kg 24.7c-69%-1008hPa 数字的には問題ないが、気分的には寝不足気味みたいな状態。頭の中が「ぼよよ~ん・・」みたいなこと。

 

 昨日の朝には、あんなにもけたたましくさわいでいたスズメなのに、「スズメのお宿」が音をたてて壊れた一件から、全く、鳥の声がしなくなった。不思議なことがあるもんだ。

 

 今朝も5時前には起きてしまった。妙に胸を圧迫されるようで呼吸が苦しくなって飛び起きてそのまんまだ。気圧の加減なんだろうか、私の精神衛生上の問題なんだろうか。で、いつものように観光ガイドマニュアルの作成である。

 

 朝、目覚めてから朝ドラが終わるまでは気分的に動く気になれない。会社が8:30分始動だったからかも知れない。あ、別に朝ドラに興味があるわけでは決してない。朝ドラの中身なんぞは全く覚えては居ない。

 

 で、時間になったのでお出かけをしてみた。一人、パソコンルームに閉じこもっているからか自閉症みたいな症状が出るようになった。もともと、そういう病気があったのかも知れない。「総合神経失調症」みたいな・・。だから、少しでも屋外に出ないとオツムがおばかになってしまいそうになる。

 

 かと言って図書館で本でも借りようとすると「休館中」の表示が・・・。今月いっぱいはどこもお休みみたい。だからと言ってスーパーみたいな人混みはイヤだし、農協ストアでもつまらない。で、いつもの「へんろ道調査」である。こういう石仏を探して歩く人は全くと言っていない。

 

 今度は大窪寺から徳島県の切幡寺(十番さん)に向かうへんろ道である。こちら側は、「五名村払川」という、この土地周辺の人々の寄進になるものである。それでも、同じような石材に、同じような様式で、しかも時期を同じくして「宝暦12年」あたりの奉納である。

 

 この頃はまだ晴れ間も見えていて、雨の気配なんぞ全くなかったのだ。

 

 梅雨時だからか、このようなキノコが幾つも生えていたが、この時期の物には手を出さない。そんなに食生活に困っている訳でもないのだからして。

 

 で、体調が思わしくないので、今日のお昼はところてんとおかゆにした。少し食べればおなかが張って苦しくなるからである。これでもけっこう、おなかには負担になったみたいだ。

 

 だと、ガイド仲間から、「あなたの携帯、繋がらないわよ~」とお叱りの電話を頂いたが、このスマホにしてから電話が掛かってきたこともメールが届いたことも一度もない。でも、自宅の固定電話から電話してみたら、ちゃんとかかるし、メールだって届くのに・・・。

 

 相性がいいとか悪いとか、人はときどき口にするけど、そういうことって、確かにあると、スマホを見てて、そう思う・・・。

 

 そうそう、PayPay で買い物をすると、30%が戻ってくると言うので、電気屋さんで買い物をしたのだけれど、車に乗り込んで戻って来たらば品物がない。電気屋さんに連絡をしたが、そういうお忘れ物はありませんとのこと。あの、プリンター用のインクはどこに消えたのじゃろうか・・。30%が戻って来ても大損ではないか。

 

 今日の掲示板はこれ。「一人では何も出来ないが 一人から始めなければ何も出来ない」というもの。昭和の小説家、岸田国士のことばから。ボランティアや支援でも、すべて一人から始まることが多い。一人の力が集まって、大きな力になって行くもの。その一人が始めなければ確かに何も出来ない。私一人くらいが協力しなくても・・・と、これまではそっぽを向いていたけれど、私が誰かの役に立ちたいと思うことからはじめたいな・・・と思いながら、毎日の一歩が始まっている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


野いちごをカラスが食べている月曜日

2021年05月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響で、昼過ぎまで雨や雷雨となっていた。気温は21度から26.6度、湿度は74%から96%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の18日のさぬき市地方は、梅雨前線が四国の南に停滞するため曇り、昼過ぎから雨の降る所がある見込み。

 

 114/64/78 36.3c-98% 64.8Kg 24.5c-73%-1013hPa 昨日よりかはずっと楽になったし、足のしびれもひどくはない。でも、朝からすごい雨だ。

 

 数字的には問題ないが、この雨では出掛けられないし、感染症拡大では出掛ける場所もない。それに今日は奥方の定休日。まるで閉じ込められたかのようだ。

 

 梅雨というよりかは豪雨のような雨である。

 

 昔は、「田んぼの畦が切れるぞぉ」とか「畑が流されるぞ」とかと大騒ぎをしたが、今の家に来てからはそんな心配はないし、水道管が流されることも船が流されることも心配しなくてよくなった。

 

 雨がそのあたりを大掃除してくれているような気分でのんきに構えている。

 

 で、相変わらず、観光ガイド用のマニュアル作りである。見残したところ、忘れている箇所などを洗い出していた。どうでもいいような話だが、それなりに先人たちが残したものである。なんとかうまくガイドできないだろうかと考えていた。

 

 こうした讃岐と阿波の国境の山村だから、病気になっても医者も薬もない。ケガをしても治してくれる人はいない。だから、村人たちは神仏の加護を願ったものだろう。だから、小字(自治会みたいな集団)ごとに光明真言二百万遍供養碑やら庚申講を作ったり庚申塔を建てたりしている。

 

 それはそうと、朝からこのすずめがけたたましい。パートナーを募集しているのか呼んでいるのかチュンチュンとにぎやかなことだ。

 

 巣箱がきれいに掃除できているのをかぎつけてか、しきりにパートナーを呼んでいる。

 

 で、ようやくにパートナーを誘ったものの、オスが、この止まり木に載った瞬間、これを止めていた針金がゆるんで巣箱がずれて落ちた。そのとたんに屋根も外れて二つに割れた。

 

 こんな状態になってしまって、中にいたメスらしきスズメは驚いて飛び出して逃げたし、オスだってびっくりして飛び去ってしまって、二人は仲良くなれないままにどこかに消えてしまって寄り付きもしなくなった。

 

 午後からは巻頭を飾る主題論文をまとめていた。少しばかり元気になれたかも知れない。スズメの巣箱騒動も他人事だから面白い。

 

 今日の掲示板はこれ。「近くして見えがたきもの我が心なり」というもの。昨年の今日、高松市仏生山町にある法然寺の掲示板にあったもの。『近うして見難きは我が心 細にして空に遍ずるは我が仏なり 我が仏は思議し難くわが心は広にしてまた大なり』 (秘蔵宝鑰) 私はこの言葉の真(まこと)を理解していない。もっとも近くにある自分の心の姿が、実はもっとも見えにくいのだと解釈している。難しいことはわからんのだ。そもそもこの「心」とは何を指しているのか。心はどこにあるのかと聞かれると、ほとんどの人は胸に手をあてる。本当にそうだろうか。考える頭と心は近くにある気もする。仮にそれを「まんまるお月さま」に例えるならば、日々刻々と変化しているの私の心は、分厚い雲であり、一層、まんまるお月さまを見えなくさせている真の心。そういえば真心(まごころ)という言葉がある。なんとも優しく濁りないイメージの言葉。しかし、まんまるお月さまが見えないからといって、そこに善悪はない。分厚い雲も受け入れて、やまない雨風も受け入れて、雲が去り、そこから強く照らしつける陽射しも受け入れて、逆に不平不満を言ったって、それも自分だ。ありのままを受け入れる。その素直さはとても大切であり、しかしながら難儀なこと。そんな不完全な人の心を深くから支え、灯し続けてくれているのは、実は誰もが内に有する真心(まごころ)ではないろうか。それを「仏心」ともいうらしい。どなたの内にもこれがあるらしい。だから安易に人を傷つけてはいけない。自分を粗末にしてもいけない。「想え 心中に月輪あり」空海さんの言葉らしい。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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