まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

旅線表 論争疲れて 福笑い

2011年01月31日 | 自然

 昨日の雪が凍っているような朝・・・。今日も厳しい冬の朝になった・・・。

 けいこばぁは・・・介護研修のために・・・丸亀市飯山町の介護施設に出かけて行ったが・・・、道路凍結も事故もなく・・・なんとか施設に着いたみたい・・・。

 

 孫達は・・・土曜日に授業参観があったとかで、今日は振り替え休日。朝から・・・凍った川で石投げをしたり、雪投げをしたり・・・。とにかく・・・川が凍るなんていうことは・・・山の旧宅でもなかったことだから大喜び・・・。

 

 なぎちゃんは・・・手袋ラッセル車で、雪集めだけれど、さすがに今朝は・・・さらさらの・・「アスピリン・スノー」状態・・・。雪だるまにはならない・・。

 愛犬ゴンの散歩から戻ってみると・・・。

  

 はやてちゃんが・・・川の中に立っている・・・。小学生だから・・30キロくらいの体重だろうか・・。それでも持ちこたえられるっていうのだから・・・二センチか三センチくらいにはなっていたんだろうか・・。でも、川面全体が凍っていないと・・・氷面が沈んでしまうしね・・。

 

 だったら・・と、なぎちゃんも氷の上に立ってみたけれど、こちらは軽いから何ともない・・・。私らの子供の頃にも寒い日は多かったけれど、川の氷の上に立ったっていう経験は一度もない・・・。第一・・川の表面が凍ったていう記憶がないのだもの・・・。

 で、今日のお昼は・・・いつもの・・手近なところで、さぬき市長尾の「笠堂や」になった・・・。こう、寒いと・・・あちらこちらに出かけるのもおっくうになってしまう・・。

 

 今夜の夕食は・・・みんなで・・「すき焼き」にしようか・・ということで、母のさっちゃんのおごりで・・・豆腐やらこんにゃくやら・・・・の食材を買っての帰りだった・・・。

 で、私は・・・相変わらずのマイ・ブームの「しっぽくうどん」というても、二・三日・・・しっぽくうどんはご無沙汰だもの。

 

 ここも・・・「ゆでてから30分以上経ったおうどんは出しません・・・」ということで、二玉か三玉ほどを無料でサービスしてくれるのだけれど、さすがに今日は・・・・一袋も置いていなかった・・・。だから・・、このしっぽくうどんの370円のみ・・。

 

 午後からは・・・なぎちゃんと工作教室だ・・。昨日からの「メリーゴーランド」とか、「カエル・ゲコゲコ」だとか「鼻息ぷ~・・」とかと、妙な工作ばかり・・・。それらに飽きると・・・、今度は・・・「ふくわらい」にチャレンジ・・・。

 

 色画用紙に書いた、眼や鼻や口やまゆげを・・・段ボールに貼り付けて・・・。それをはさみで切り出して・・・。

 

 で、それをタオルで目隠しをして置いて並べて・・・大笑いをするという・・・昔からのあそび・・・・。

 

 ま、これはマシなほうだな・・・。

 でも・・・そういう時間の合間を縫って・・・二月中旬の「レキ研究会」用の資料も少しずつだけれどできているし、塩飽史談会の「さぬき廣島実地研修会」用の資料も少しずつだけれど、形になってきている・・・。

 なんというても・・・一月は今日でおしまい・・・。明日からは・・・二月だからね。うかうかしていると・・早くも三月が迫って来る・・・。

 

 ようやくに・・・三月末の横浜研修の帰路の飛行機便の予約をしてくれた・・・。なにせ、時間的な距離を弟は何も言わないものだから、いつに新幹線に乗ればいいのか、いつの飛行機に乗ればいいのかの計画がまるでできない・・・。

 どこから乗って、どこに着いたらいいのかくらい、教えてくれてもよさそうなものなのに・・・「来たらどうにでもなる・・」というのでは・・・こちらの予定がまるで成り立たないってことだ。

じゃぁ、また、明日、会えればいいね。

 


蹴り飛ばす 思いの丈の 雪ボール

2011年01月30日 | 自然

 朝の五時半に起きて・・・メール確認なんぞを済ませてから、六時過ぎには家を出た・・。まだ、外は薄暗く、空にはきれいな三日月みたいなお月さんとかきらめく星空が・・・。

 けいこばぁが・・・善通寺市の尽誠学園高校でのケアマネの試験があるとかで、そのために送って行くことになって・・・。

 

 JRの善通寺駅でトイレ休憩したのが・・朝の七時半だ・・。試験は九時からだというのに、四国中から受験生が集まるから・・・早く行かないと道路が混むからとかで・・・。実際には・・・日曜日ともあって・・・道路はがらがら・・・。早くに着きすぎたのだけれど・・・心配性なのかどうか・・・早くに着きたいというもので・・・。

 結局は・・・九時前まで寒い中で待っていたのだとか・・・。慎重過ぎるのも・・・善し悪しやね。

 

 我が家の近くの川も池も凍っていて・・・、少々の石を投げても割れない・・・。石は・・・氷の上を滑って行くばかり・・・。こういう現象も久々に体験した・・・。

 

 まごのはやてちゃんが石を投げても・・・石は氷を破れない・・・。

 

 なぎちゃんが石を投げても・・・氷はびくともしなくて、石を跳ね返してしまうばかり・・・。氷の厚さも・・・17ミリほどにもなっていた・・。寒いはずだ・・・。

 さて、今日の・・・朝昼兼用のおうどんは・・・高松市香川町大野にある「こがね製麺所空港通り店」に寄った・・・。

 

 ここも・・・朝の七時から開店しているもので、朝食がわりにはいいかなぁと思って。それだし、朝の間は・・・かけうどんが100円だという・・・モーニングサービスもあるっていうことで・・。

 

 で、かけうどん小+揚げ(100円)+いなり寿司(100円)の合計・・・370円。昨日と全く同じパターンやね・・。ところが・・・、今日は・・日曜日だということで、モーニングサービスがないから・・・370円そのまんまってことになった・・・。そうか・・・世の中は・・・今日が日曜日なのか・・・。

 私の場合は・・・毎日が日曜日だものね・・。

 

 そんなことで・・・我が家に戻ったのは・・・九時過ぎのこと・・。それからは・・・孫達に遊ばれているのか、お守りをしているものだか・・・。「じぃぃじ・・・」「じぃいじぃ・・・」の連呼・・・。

 昼からは・・・・「雪」だ・・・。

 

 まぁ・・讃岐の雪なんて・・・たかが知れてるとは思ったのだけれど、こう、激しく降られたら・・・お庭もベランダも屋根も・・・真っ白になってしまう・・。

 戦場カメラマンをまねて・・・雪上カメラマンのなぎちゃんは・・・デジイチを片手に雪の様子をカメラにおさめるが・・・。

 はやてちゃんは風邪気味だということで、おこたで木工細工だけれど、なぎちゃんは元気そのもの・・・。

 

 お庭で雪だるまを作ったり・・・ベランダで雪合戦の玉を作ったり・・・と、雪をものともせずに・・・大活躍・・・。

 

 あたりは・・・見る見る間に・・・白銀の世界になってしまった・・・。

 でも・・・道路にはさすがに雪は積もらないので、けいこばぁのお迎えには困らない。それも、隣町のJRの駅までのお迎えだから・・・10分もあれば充分だし・・・。明日の朝になれば・・・橋の上なんかは凍るかも知れないけれど・・・。

 そういうことで、今日の予定の・・・ラジオ講座は・・後日に延期と言うことで・・。ま、予定は未定で・・・決定ではないだからして・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


山頭火が 歩いた峠の 梅の花

2011年01月29日 | 自然

 今日も冷たい朝になって・・・大霜の様相だったのだけれど、日中になっても温度は上がらず・・・冷たい一日になってしまった・・・。

 

 突然だけれど・・・これを・・このあたりでは「ケタツ」という・・。子供の頃から、「ケタツに乗って取ったらええが・・」とか、「「ケタツが邪魔やのぉ」とかといいながら育った・・・。

 神戸勤務から・・地元の電話局に転勤になって・・・あるお宅へ電話工事に言った時・・、先輩社員が「けたつ、かしていただぁ~」と言うのを聞いた・・・。「それって、何やねん・・」という気持ちと、「あ・・、あの・・けたつかぁ・・」という懐かしさを感じた事が印象深い・・・。当時のお仕事はのどかやったねぇ~・・。

 

 今は・・こんな風になっているらしいのだが、形は似たようなもの。今は・・「踏み台」というらしい・・。本来は・・家を新築したときに、その廃材を利用して、棟梁が弟子に練習作品として作らせたものらしい・・。台形という簡単なようで難しい宿題を与えて・・・練習させて、その家の新築記念として作られたものということだ。

 讃岐で言う・・「ケタツ」というのは、「脚立:きゃたつ」が転化したものだと思う・・・。その頃には・・・脚立も持たずに電話工事に言ったのかと言われると困るのだけれど、重い物だから・・・おうちにあるものを借りて済まそう・・みたな部分は大いにあったと思う・・・。ある先輩は・・「蹴込み」とかというてた記憶も少し残る。

 

 しかしのかかし、ここのところの冷え込みは・・異常ではないのかと思う・・。東日本とかでは豪雪らしいし、東京でも道路が凍ったとかと言うてるし・・。

 讃岐は・・ほんらい・・瀬戸内気候とかというて、暖かいものらしいが、こう、寒いと身動きができないなぁと・・思ってしまう。

 

 朝の間は大霜だったもので、今日は・・暖かくなるぞぉ・・と思っていたのだけれど、気温は上がらずじまいの・・・4度ほど。数字を見てどうこうというのではないのだが、思わずに・・・「はぁ~・・・」となってしまっている。

 

 さて、今日のお昼は・・さぬき市志度の「こがね製麺所・志度店」になった・・・。ここに行くと・・・「30分を過ぎたおうどんは出しません・・・」ということで、おうどんの無料サービスがあるかも知れない・・・ってことで。

 

 で、見事に・・うどん3玉無料分をゲット!。で、一番安い・・「かけうどん小:170円」+おあげ:100円+いなり寿司:100円=370円なり。それに、うどん玉三つ・・・。ラッキィ・・。

 麺は・・・こがね製麺所だから・・安心安全・・。お出汁もおいしかった・・・。で、「おろしショウガが間に合いませんでしたので、お持ちしました・・」と、おろしショウガの出前サービスまで・・。

 

 これがお店の様子だけれど、11時前だから・・・誰もいない・・・。私がお店を出る頃には続々とお客様が来て・・・無料おうどんはあっという間に消えてなくなった・・・。

 で・・・、注目点は・・・カウンターの上部・・・。メニューの横に並べられ、積み上げられているのが・・「ラジオ」。見えるかな・・・。ということで、明日のテーマは、この・・ラジオ・・・。

 

 気分直しに・・・山茶花のお花・・。多分・・・サザンカだと思う・・・。まだ、ツバキには早いと思うし、ツバキらしくないし・・。でも・・サザンカにすれば遅い時期かも・・・。

 

 で、いつもの掲示板・・。日本昔ばなしで有名な・・「一休さん」が言うたのかどうかは知らないが、「なるほどなぁ・・」と思わせる歌ではあるな・・。鬼も悪魔も天女もお釈迦さんも、みんな、この私の胸の内しだいやね・・。良くも悪くも・・・賢くにも愚かにも・・・どう生きていくのかは・・この私のこころしだいってことやね・・。

 

 そういうお話を見て・・・少しばかり・・・こころが・・「狼狽・・・蝋梅・・・」するわたし・・・。

 

 「うめぇことをいうなぁ・・・」と感心してくれたらありがたいのだけれど、そんなにうまくはいかないか。

 明日は・・・奥方のけいこばぁが・・・善通寺の「尽誠学園高等学校」で、ケアマネの講習会があるというので、早朝から送っていかないといけないらしいので、今晩は早めにお休み・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


サル団子 解けて一家は 遊行に出

2011年01月28日 | 自然

 今日は晴れていて、しかも朝は霜の朝になったもので、風もなくて穏やかな暖かい日になったように思う・・・。暖かいからか・・・おさるの親子も散歩を楽しんでいるみたい・・。

 

 午前中には・・・ゴミ出しとか、空き瓶を集会場まで運んだり、昨日の東かがわ市の観光パンフレットなんぞの整理とか製本の準備とか・・・、まぁ、雑用と言えば雑用・・・。ま、私の生き方自体が・・・雑用なのかも知れないし・・。

 

 アイロン掛けというか、「シワ伸ばし」とは、繊維に熱を加えるか水分を与えて柔らかくして、絡み合った繊維を元に戻りやすくしてから、外力を掛けて元の状態に強制的に戻し、熱を加えて繊維の水分を取り除きその状態を持続させるようにする必要がある。したがって、アイロン掛けには適当な湿り気と圧力と熱が必要というわけ。

 

 昔から、底が平らな金属容器に炭火を入れた「火のし」と呼ばれる器具でシワを伸ばす方法が用いられていたが、綺麗な洗濯物を汚さないように炭火を取り扱のは大変で、電熱を使用できるようになると電気アイロンが一挙に広まった。 アイロン掛けには最初に良く乾いた布に霧をかけてから、しばらく置いてアイロンをかけるときれいに仕上がることを経験的に知ってた。

 紀元前1世紀ごろに中国で金属性の鍋に火の付いた木炭を入れて加熱し、鍋の底で布を滑らかにしたことが知られている。17世紀には鋳鉄製の塊を3角形にし、取手を付けたものを炎で加熱して使用するするものや、鉄製の枡に火の付いた石炭を入れて使用するもの等があった。日本でも、炭火アイロンは、金属製の容器に炭火を入れ、この熱と容器の重みで布の皺をのばすもので、火のしと言われ、江戸時代中頃より使われるようになったという。

 

 これを開くと・・、こう、なる。

 

 炭火が直接・・底板に当たらないように工夫されているのがわかる。最初の「火のし」も同様に筋が入っている・・・。

 アイロン掛けに蒸気を使用することで早く仕上がることから、アイロン自体の熱を利用して蒸気を作くるスチームアイロンは水タンクから小さな穴を通して電気で加熱された底板に水滴が落ちると蒸発して蒸気が作られる。ハンドルを持ってアイロンを持ち上げ、布の上に置くと蒸気が小さな穴から噴出して衣類に湿り気を与え、アイロンを押し付けるとシワが伸びた。その時の温度は布の材質にダイヤルを合わせると適切な温度に調整される。

 

  で、今日のお昼はここになった・・・。

 

 高松市新田町・・。新田街道沿いにある一般店だ。大きな久米池というゴルフ練習場のある池の脇にあるから・・「久米池うどん」というのかも知れない・・。何気ない・・・普通のありふれたうどん屋さんだが、時間が来れば・・・続々とお客さんが集まってくる・・・。

 

 で、いつもの・・・しっぽくうどんを注文した・・。あの・・NHKドラマの「てっぱん」の・・「鉄平」みたいなお兄さんが、どこに座れとか・・何にしましょ・・と、取り仕切っている・・。

 だから、いつもの・・しっぽくうどんを注文した・・。480円だった・・。麺も・・お出汁も・・・野菜の煮込み具合も「バッチ・グゥ~」だ。さすがに・・お客が集まってくる筈だ・・・。

 

 このうどん屋さんの店先には・・こんなものが置いてある・・。イノシシの親子みたいなんだけれど、何の意味があるんだろうかね・・。店長さんがイノシシ歳なんやろうか・・。

 

 でも・・・、なんだかんだというてても・・、確かに・・時期は移って行ってて、春が静かに静かにやってきているのだという・・・雰囲気にはなってくるね。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


手袋を はめたままなり うどん店

2011年01月27日 | 歴史

 今日も気温が1度・・・という寒い朝になった・・。ま、暦的には寒い時期ではあるのだけれど、たまには暖かい日があってもいいのじゃないのかなぁと思ってしまう・・。

 

 さて・・、この怪しげなもの・・。一反もめん・・・みたいな不思議な物だが、決して妖怪ではない。実はこの白くて長いものは・・「日本一長い~手袋なのだ・・。こう、寒いと手袋は欠かせないが、こんな長い手袋ではどうしようもない。この手袋は12mあまりもあるんだそうだ。そんな腕の長い人がいたら・・それこそ・・妖怪だな。

 ここは・・・東かがわ市引田(ひけた)という町にある「手袋ギャラリー」の中の展示品・・。

 

 最初は・・・この・・東かがわ市の「歴史民俗資料館」を訪ねたのだが、こんな・・写真を見た・・。和服を着た男性が何か奇妙な機械を操作しているところ・・。

 東かがわ市の手袋産業は、明治21年(1888)に両児舜礼がメリヤス手袋を製造したことを始まりとしているが、その後、棚次辰吉が最初の手袋会社「積善商会」を設立し、本格的に経営が始まった。この和服の男性が、その「棚次辰吉」で、手回しミシンを使って手袋を縫っている様子らしい。

 

 それがこういうミシンらしい・・。で、こういうミシンの実物がないかと職員に聞いてみると、同市白鳥(しろとり)にある「手袋資料館」の資料を手渡された。で、その資料館で、このミシンに対面したという訳だ。ここには四台ほどのミシンが展示してあったが、その写真を撮っていると・・。

 

 その手袋資料館の案内役の女性から・・引田にある「手袋ギャラリー」に行けば、古い道具を専門的に展示してあるので、そちらへどうぞ・・という。本来・・・女性物の手袋には興味もないし、ゴルフ手袋も野球選手用の手袋も興味はないものだから、その案内に従って、再び・・引田の町へ向かった・・・。

 その途中の・・「権平(ごんぺい)うどん」で今日のお昼になった・・・。

 

 有名な・・・「やってます」という看板だ・・。案外と・・上の大釜には興味がないらしい・・。「やってます」か「おやすみです」か・・・だな。

 

 で、毎度おなじみの・・冬季限定メニューの「しっぽくうどん」を注文した。480円は少々お高いが一般店だから仕方がない・・。それだし、麺の量が少し多め・・。だから、野菜の具が・・山盛りになっている・・・。おうどんも最初は・・・「硬いうどんやなぁ・・」と思っていたが、具の山盛りがなだらかになる頃にはやさしい麺になっていた。かというて、ベチョベチョのおうどんにはならない・・。さすが・・「実演」で現場打ちの麺やね・・。

 

 だからか・・、十一時を過ぎると・・続々とお客がやってくる・・。釜揚げが有名らしくて・・・やがてには行列までできるようになった・・。今日は・・平日やのにね・・。

 

 お昼を食べてから・・・引田(ひけた)の讃州井筒屋敷近くの・・「手袋ギャラリー」に寄ってみた。ここだって、初めてというわけではない・・。三月の「引田ひなまつり」の時期には、ここにも足を運んで・・お雛さん展示を楽しんでいる。

 

 ここは・・手袋ギャラリーだから・・手袋をメインとして、アート感覚で展示してある。最初の・・日本一長い手袋をはじめ・・・数々の手袋を使ったアートとか・・・。

 こうした・・・業務用ミシンも、それなりにアート感覚で展示してある・・。

 

 飾り縫いミシンとか・・・電動ミシンとか、単環ミシンとか・・・。よくわからんのだけれども・・。

 

 ミシンもアートなんだなぁとかと、ついつい・・シャッターを押してしまう・・。

 

 業務用ミシンになると外国製の物も多い・・・。それらを自由に見て回っても無料だ。ただし、水曜日が定休日らしい・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


北風を 追い払うように 山が揺れ

2011年01月26日 | 自然

 今日も底冷えのする朝ではあったが、霜もなく、氷もない朝だった・・。北風や西風が強いために体感温度が「寒い・・」って、感じさせるのだろうか・・。でも、近くの山では森林組合の職員が伐採をやっているし、近くの川の中では土建屋さんが河川改修工事やブロック積みなんぞを黙々とやっている・・・。だから・・、身体が動かなくなるような寒さではないんだな・・。

 さて・・、昨年の夏頃から・・私のデジイチ(デジタル一眼レフ・カメラ)のPentaxーK200Dが動かなくなった・・。動かないというても、写真撮影はできるのだ。でも、肝心なときにはどうにもならん・・。だから・・サンフランシスコに行った時にも・・ピンボケの写真が多かった・・。

 

 電源を入れて、シャッターボタンを半押しすると、「グルルル・・・」という音がして、レンズが前後に動いて焦点を合わしてくれていたのが、いつ頃か・・・動かなくなった・・・。「何もしてないのに・・壊れたのかなぁ・・」と、そのまんまになっていた・・。カメラを買った高松の電気屋さんまで行くのが面倒なせいもあったし、修理費の問題もあったし・・。

 ところが・・本棚の古い本を整理していると、このカメラのトリセツ(取り扱い説明書」が出てきて・・・何気なく眺めていると・・・「マニュアル・フォーカス(MF)になっていませんか?・・・というのが目に付いた・・。

 

 なんだなんだ・・・MFから、AF(オート・フォーカス)に切り替えたら、カメラは元通りに動き出した。たった、これだけのことだ・・。知らない人は・・知ってる人の半分も知らない・・・って、子供の頃に教えられたことばだけれど、こんな・・簡単なことで・・半年近くも思い悩んでいたんだ・・。まさに・・「宝の持ち腐れ」ってことだ・・。

 

 ちょうどやってきた・・香川県警のヘリコプター「さぬき」を狙ってみると・・・

 

 半年あまりの心配事は一瞬のうちに吹き飛んでしまった・・・。しかしのかかし、こんな所に、何の用事があってやってきたんだろうか・・。小学校の運動場にでも降りるんだろうか・・・。ぐんぐんと高度を落としてきたが・・・やがて・・思い出しかのように高度を上げて北の瀬戸内海の方角に飛び去ってしまった・・・。

 今日は・・・文化財防火の日とか言うとったけれど・・。

 さてだ・・、お裁縫に使う・・「へら」が製本するのに便利らしいので、あちこちのスーパーやらホームセンターを回ってみるのだが、そういうものは意外と置いていない。最近は・・へらなんぞ使うことはないのやろうかね。

 そこで、屋島にある大型ホームセンターに行ってみた。そこには「手芸コーナー」があって、小物から布からけっこうな品揃えがある・・・。全くの趣味の世界が広がっている売り場だ・・。

 

 だから・・・針でも・・大きなものから小さいものまで、用途も大きさもさまざまなものがある。皮でも帆布でも絨毯でも、ぬいぐるみでも、イスでも畳でもマットレスでも・・・何でも縫えるんだそうだ・・。

 

 で、ヘラと・・帆布用の長い針のセットとかも買った・・・。あとは・・・腕が問題だな・・・。なんでもできる腕を売ってたら便利なんだろうけれど・・。

 市内のホームセンターに行くと・・退職した夫婦とかがあちこちにいる。田舎だから百貨店はないもので、こうしたお店に行くとあれこれと見て回れて楽しいらしい・・。もちろん、お買い物なんぞしないのだが、それでも一時間以上は楽しめる・・・。

 私もここで・・三時間近くを費やした・・・。何でもあるんだけれど、いるものがない・・・っていう感じかな・・。植木とかお花とかは季節的なものだし、めだかや金魚は時期的に育てにくいし、オムツはまだ必要ないし、電気製品は今のところ必要ないし・・・みたいなことで・・。

  

 で、今日のお昼はここになった・・・。

 

 西村ジョイというホームセンター内にある讃岐うどん「七五家:しちごや」という・・一般店で、店裏にある自動券売機で食券を買ってからお店に入る・・・。あれこれと選ぶのが面倒だからと・・「かけ小」210円を選んだ・・。お店では「ぬくめ一つ」というらしい・・。「ぬくめる」というは、「温める」ということだ。

 

 ま、愛想のないおうどんだ・・・。でも、210円だから仕方が無いか・・・。でも、麺は確かにおいしいと思った。麺にツヤがあってなめらかで・・・柔らかいけれどべちゃべちゃ麺ではないし、芯がない・・・。

 で、帰り道を変えて、山道を通っていると、同じ町内だが、一つ谷が違う・・「みなみがわ」という地区を走ってみると・・・。

 

 こんなものが・・・できている。田んぼの周囲から家の周囲から・・・こうしたフェンスで取り囲んである・・・。昨年暮れあたりから・・盛んに田んぼの周りの雑木を切ったり、山裾の片付けをやってると思ったら・・・こうした「イノシシ対策フェンス」を張り巡らせているみたい・・。でも、こんな細い網戸みたいなもので大丈夫なんやろうか・・。むろん、お猿さんには全く通用しない・・・。

 で、帰ってみると・・おじょもさんから絵手紙が・・・。

 

 センセの方が先になった・・・。昨夜の私の作品は・・・文字を入れると・・全くの駄作になってしまったが、せっかくだからと、うちの絵手紙の山下先生と、おじょもさんセンセには・・朝に投函したのだけれど・・。ま、明日には届くと思うけれど・・・どうにも・・文字があかんね・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


底冷えの 倉庫の中の 獅子頭

2011年01月25日 | 歴史

 1902(明治35)年のこの日、北海道旭川市で、日本の最低気温の公式記録・-41.0℃を記録したということから、「日本最低気温の日」になっているらしいのだが、今朝の香川県東部はそんなには冷え込まなかった。だから、愛犬ゴンの飲み水も凍ってはいなかった・・。

 

 ダイハツ ミゼットの生コマーシャル

 これは、ダイハツ社のR360という軽自動車の小型三輪自動車で、愛称が「ミゼット」と言った。そうそう・・、少し前に流行った・・「三丁目の夕日」の中に出ていた・・・車だ・・。

 

 これ・・、少し・・ライト周りとかが少し違うね・・・。この資料館にあるものは、マツダのK360かも知れない。その違いがあんまりわからないのだけれど・・。

 町内の歴史資料館には・・・その頃のものと思われる品物がずいぶんとあった。

 

 モノクロのテレビとか・・・FM受信機、ステレオ受信機とか・・・、当時に大流行して、競ってこういうものを買いそろえた家があった・・。応接間と称する部屋には・・こうしたステレオ受信機とか洋酒棚とかを並べるのが流行った頃やった・・・。

 

 この頃の主力ラジオ・・真空管式の五球スーパーかな・・・。電源コードが布被覆というもの懐かしい・・。まだ、テレビを買えない家庭ではこれで紅白歌合戦を聞いていた・・・。肝心な時に音声が聞こえなくなって、思わず・・・ラジオ本体を叩くと・・不思議なことに音声が聞こえることがあった・・・。

 

 氷冷蔵庫とか・・は、電気冷蔵庫に切り替わる時期やった・・・。村の食堂のかき氷屋では、この木製の氷冷蔵庫を使っていたが、我が家には電気冷蔵庫があったのはうれしかった。でも・・中身は・・・漬け物くらいしか入っていなかったけれど・・・。

 

 電気洗濯機とかもうれしいものだった・・・。このハンドルを回して・・洗濯物を絞るのだが、これがなんとも不気味だった・・・。寒いときには・・・これを回すたびにタオルとかシャツとかがイカのように凍って出てきて驚いた記憶がある・・・。

 、私らが子供の頃・・・、そう・・昭和の30年代の頃のものがわんさかとある・・お宝展示場・・。。農具とか民具とかも・・・雑然と積み上げられている。ま、手間も暇もないものか・・・ただ、倉庫風に並べてあるだけ・・。

 

  これは・・初期の「原動機付き自転車」で、名前の通り、普通の自転車にガソリンタンクとエンジンを取り付けたもの。おやじも早速にこれを買って乗り回していたものだから、おやじのいない間に、これを持ち出して走ってみたものだった。

 その後・・ホンダからスーパーカブなるものが発売されて、誰もがそれを乗り回すようになった・・・。

 この頃から・・・技術革新というか、高度成長期というかがものすごい速度で進むことになる・・・。

 さて・・、今日のお昼はここになった・・。

 

  讃岐うどん・おくちゃん は、香川県高松市由良町で、この地図ではわかりにくいけれど、高松市インテリジェントビルの少し南東にあたる場所にある・・。

 

 お店も駐車場も広くなくて、車も数台、店内の席数も・・十数人程度やろうか・・。メニューも少ない・・・。ここは・・珍しく・・一般店で、ご夫婦でやってるらしかった・・。

 

 こうしてみると、メニューが多そうやけれど、上の四つがメインで、それに「エビちく天ぷら」が着いただけのもの・・・。今回は・・・きつねうどん(400円)を注文したが、かけうどんに揚げが入ってるだけのものなのに・・それで400円というのは、揚げが120円って計算やね。

 

 で、ご丁寧に・・・小皿に、ネギ、天かすを載せてどんぶりと一緒に持ってくる・・・。あらかじめ、入れてくれたらいいものを・・・と思ってしまうけれどね・・・。どっさりと持ってきてくれたら、自分の好みの量を入れるのだけれど、少量だから全部入れてしまうな。

 壁には・・こういうものが貼ってあった。再来週の二月七日の月曜日、夕方6時16分から、西日本放送TV(RNC)で、このおみせのことが放送されるらしい・・・。

 

 

 夜・・・2時間ほど・・おじょもめぐさんの真似をして・・「絵手紙」を書いてみた・・。我ながら・・・見事だと思ったけれど、これに字を書くと・・・とたんにゴミになる・・。その兼ね合いが難しい・・・。

 

 お習字の練習は苦手なんだ・・・。センセ・・、できたらおくるけんね・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


冬桜 今日も達者で つつがなく

2011年01月24日 | 歴史

 今日は薄曇りで太陽の見えない一日で、しかも底冷えのするような天候のままで終わった・・・。

 そういうことだから・・犬の散歩くらいで外にも出ず・・・朝から・・パソコンと格闘していた。というのも、山の旧宅が被災して以降の日記帳が物置にあったもので、それを整理してみようということで、縦軸に一年の月日を振り、横軸に2006、2007、2008・・・と2011年まで振って・・、そこに・・その年の出来事を記入するという・・・経年日記・・みたいなものを作ろうかと・・。

 

 ただ・・2006~2007年あたりはお仕事の内容ばかりで全く意味がない。2008年になると、うどん屋の情報ばかりで・・・これまた意味がない。どこの店で何を食べて料金は幾ら・・・みたいな日記は・・・記録的には面白いかも知れないが、私の人生の記録としては全く意味がない。

 ま、とりあえず・・2011年の1月下旬までの基礎データはできた。これに・・プログを参照しながら、総合日記を完成させようとする冬期大プロジェクトだ・・。

 それはさておき、昨日の旧恵利家住宅だけれど、玄関脇に少しだけ張り出した部分があるが、そこが便所だ。今は形だけ保存してあるが、元は便所のあった場所・・。

 

 この・・畳一畳分くらい張り出した部分が・・・トイレで、右手が大で、左手から入れば小になるのだが、この家には・・風呂がない・・。我が家の場合にはここに風呂があって、その下が便所になっていた。だから、この家では・・・別棟に風呂があった筈だが、昔の農家に風呂があったのかどうかということが気になった。

 で、この建物近くにあるさぬき市歴史民俗資料館を訪問したってことだ・・。

 

 昔には・・こうした桶に、夏場は水で行水し、冬場にはお湯を沸かして身体を洗ったらしい・・。ものの本によると・・蒸気浴だとか温泉浴だとかと書いてあるが、この地方の農家ではそんなものに入れたはずがないし、街のように銭湯があった訳ではない・・。

 夏場には・・川で水浴びをして汗を流しただろうし、冬場は何日も身体を洗う必要もなかったのかも知れない・・・。

 

 これは・・・木の桶に熱源となる釜を取り付けたもの・・。これも昭和に入ってからだろうね・・。

 

 これは「鉄砲風呂」と言われたもの・・。関東では鉄砲風呂、関西では五右衛門風呂・・と歴史の本には書いてあったが、四国にもこうした鉄砲風呂があったらしい・・・。

 

 ここでは・・「へそ風呂」と説明されているのだが、その「へそ」の意味がわからない・・・。で、この風呂を担いで移動して「風呂屋」をする人がいたとかと、説明版には書いてあるが、「もらい風呂」とかで、自宅に風呂がない家が多い時代には、けっこう繁盛したのかなぁとは思った・・。

 

 これは・・昭和の中期のものらしく・・・ガスバーナーで湯をわかす方式になっている・・。こういう・・・木桶の中に熱源を持つものを・・「鉄砲風呂」というたらしい・・。

 一方・・・。

 

 こういう・・・鉄製の釜を直接熱して・・(ということは、下から火を焚いて・・・)お湯を沸かすという・・お釜みたいな風呂を・・「五右衛門風呂」という。あの・・・盗賊の石川五右衛門が「釜ゆでの刑」に処せられたという話から・・・そういうのだと思うのだけれど・・。

 

 記憶がはっきりとはしないのだけれど、私が小さい頃には・・・、母屋の玄関脇にお風呂があって、下がトイレだった。その後、別棟に・・・お風呂とトイレが建てられた・・・。そのどちらも・・・、こうした五右衛門風呂だった。お隣さんは、屋根のない・・こうした釜だけのお風呂で、傘をさしてお風呂に入っているのが・・・うらやましかった思い出がある・・。

 昭和の50年代になって、ようやくに・・我が家を新築して内風呂になって、別棟のお風呂に雨の中を傘をささずにお風呂に入れるようになったが、自然の川の水を水源にしていたもので、お風呂の中にメダカが白くなって浮いていることはままあった・・・。

 

 こうした・・ドラム缶風呂を・・・孫のはやてちゃんは作りたいらしいのだけれど、ドラム缶の中の脂分が除去できずにそのまんまになっている・・。今年の夏には実現したいなぁとは思っているのだけれど・・・。

 さてだ・・。今日のお昼は久々に・・・さぬき市長尾の「みさと」に行ってみた・・。

 

 で、マイブームになっている・・「しっぽくうどん小」を注文した。380円だった。ここは昨年の日記・・・、例の「デスク・ブロック2010」の中のデータを把握してきたからね・・・。

 

 野菜も麺も柔らかい・・・。これはあかんやろ・・・みたいな。硬ければ「硬いがな・・」というくせに、柔らかくっても「柔らかい(ほんまは・・やりこい・・ていうんやけど)」っていうのは我がままかな・・・。正直な感想やと思うのだけれど・・・。

 

讃岐うどん みさと
さぬき市長尾西1160-2
香川県東部地方卸売市場(東部流通センター)内 地図
0879-52-5133
6:00~15:00
不定休(市場が日曜日が休みのため、日曜日になるだろうと・・・)

 ふと思ったノは、お店の半分に・・鉄板セットが導入されていて、お好み焼きとか、焼き肉料理も可能になっている風・・・。その現場を見たわけではないのだけれど・・・。まぁ、いろんなニーズに応えるのも、卸売り市場ならではのお店だろうしね・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


霜柱 残しておきたい 命かな

2011年01月23日 | 歴史

 今日はまた、底冷えのする肌寒い一日になった。風が強くないので楽ではあったが、足下からじわじわと「冷え」が上がってくるような感じだった・・。

 で、町内にあるさぬき市歴史民俗資料館に資料画像になるものを探しに出かけたら、今日は・・・旧恵利(えり)家住宅 が開放されていたので寄ってみた・・。

   

 この旧恵利家住宅というのは、19世紀初めに現在のさぬき市大川町新名(しんみょう)に住み着いて、以降、農耕に励み、安政年間(1854~59)の頃、かつて集落の「長:おさ」百姓を務めていた旧家の建物を譲り受けて住居にしたもの。

 この恵利家に住居を譲った旧家がいつ、この地に入植したかは定かではないが、初代が没した記録が元禄12年(1699)で、この建物の構造や手法などがその時期に該当することから、建築年代も17世紀末に建築された香川県内最古の農家住宅とされ、その後、国の重要文化財に指定されている。

 

  恵利家住宅はもともと大川ダムの東方、津田川支流域に所在する「新名」という谷あいの集落に建っていたが、昭和40年代になって老朽化が進むのと、周辺の農家も近代的な住宅に建て替えられていく中で、恵利家でも主家の建て替えを計画した。それを聞いた地元では貴重なこの建物の保存運動が起こり、当時の大川町が寄贈を受けて解体保存し、同町砕石(われいし)地区、大川ダム東側に移築されていた。しかし、当時は管理人もいないため風を通すこともなく雨漏れやシロアリなどが発生し、建物の大幅修理が考えられた。そこで、その機会にと、平成13年に現在の場所、みろく自然公園内に再移築された。

 

 屋根は装飾性の少ない簡素な茅葺きの寄棟造で、屋根周囲を瓦葺の庇とせずに軒先まで茅で葺き降ろした「つくだれ」というこの地方には珍しい屋根をしている。天井は大和天井という、半丸竹を敷き、つづらで編み、その上に藁を敷き詰め、土を塗り付けたものになっている。柱は主に栗が使用され、木材、竹、つた、赤土などそのあたりにあるものをうまく使って建てられている。

 

 主屋は寄棟造り・茅葺で外観が大壁で閉鎖的であり、土間が大きく、土間上手の床上部が手前が一部屋だが、ミナミザ(南座)には囲炉裏が切られており、竹を並べた竹座にムシロが敷かれていて応接間兼リビングであった。キタザ(北座)が台所兼食堂であった。そこに北座から火を焚くようにかまど「おくどさんが」つながっていたが、今はその姿はない。

 『土間』は、三方を土壁で囲まれ開口部は二箇所出入り口で窓はない。広々とした土間では、収穫した農作物の仕分け作業や保存をしていた。

 間口は広く障子が入ってなく広々としているが、本来はここに障子戸があった。ここで日常の生活を営んでいた。 下は足踏みカラウス(唐臼)で、左手上の踏み板に子供が乗って、シーソーのように米や麦をこなした。

 

  旧恵利家は、日本を代表する三間取り形式の住まいで、奥には、座敷と納戸があり、「座敷」には畳が敷かれ床の間があり、南側には、障子戸その外側には、縁側が付いていて、この家では、一番立派な部屋で、客間として使われたり、仏間があり、法事や葬式もここで行われたが、ここは普段には使うことはなかった。

 

 「納戸」は、座敷の北側にあり板式で櫃・箪笥などが置かれていた。昔はここも竹座にムシロ敷きだった。現状の「ツノヤ」部分は、当初からあったものではなく、後に納戸を拡張したもの。ここが夫婦の寝室で、子供らや親たちは・・・ミニナミザで寝た・・。

  四方寄せ棟の茅葺住宅を讃岐では「ツクダレ」又は「ツクダリ」というが、正面から見て棟中央にちょこんと乗る煙出しが大変柔らかなイメージを醸しだしており、民芸的な美しさがある。棟の押さえに「ガップリ」(瓦)が渡してある。住宅の左側に設けられた「座敷」前に、造り付けの「縁側」が付くのも江戸期の農家住宅では珍しい。座敷奥の増築された「納戸」は単純な家周りに変化を与えている。

 

  屋内に入り、「土間」に立って天井を見上げると、木の曲がりや太さの大小をそのまま生かした梁の美しさに、昔の人たちの巧みな技に感動してしまう。

所在地 香川県さぬき市大川町富田中3277-1(みろく自然公園内)
TEL 0879-43-0622
開館時間

9:00~16:30

休館日


12月29日~1月3日 水曜日が休日:水曜日が祭日は翌日

入館料 無料
Web さぬき市文化財保護協会大川支部 


 記事は、『旧恵利家住宅』パンフレットより転載。

 

 で、今日のお昼は・・手近な・・・ところでここになった。

 

 今日はのれんが上がっていないが・・・開店中。さぬき市大川町富田中にある「手打ちうどん・すぎもと」に行った。久々のお店だった・・・。

 

 で、注文したのは・・しっぽくうどん・・。前回は・・・野菜がよく煮込まれていなくておいしくないイメージがあって、しばらくここはスルーしていたのだけれど。こう、寒いと・・・遠くへも行けないもので、「安い」「近所」「短距離」みたいなことで、ここに落ち着いたが、それなりにおいしいと思った・・・。ただ・・、麺が・・・硬いかなぁとは思った・・・。単なる体験者の感想だけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


曇る日も 確かに日脚は 伸びてくる

2011年01月22日 | 自然

 今朝も冷たい朝になった・・・。だから・・・NHKの朝ドラの「てっぱん」が終わるまでは・・・外に出る勇気が出なかった・・・。ドラマが終わる頃になると・・愛犬ゴンが「お散歩に行こうよ~」とお誘いの声をあげる・・・。

 

 さて・・、けいこばぁが・・来週に・・・ケアマネになる研修を受けるために・・・丸亀市の「紅山荘」に数日・・通わねばならないのだとか・・。さぬき市からだと・・ほぼ一時間少しかかる距離・・・。

 

 で、そこまでの道順を教えて欲しいというので、けいこばぁと、さっちゃんとを乗せて・・丸亀市飯山町上法軍寺・・・という所まで行って来た・・。この近くの・・・富士見坂・・・という所に、私の弟の家があったもので、土地勘は九割方ある・・。そこから・・この施設までの方向性と距離感・目標物の把握みたいなものか・・。

 

 で、手続きというか・・事情を把握して・・・、一時間少しでここに来られると言うことを確認したらば、今度は・・私のご用事・・・。

 

 私のブログ友達の・・「しわくさん」に、製本用の針のお届け・・・。今すぐでなくともいいのだけれど、とにかく・・・早く届けなければ・・みたいなことで。最初は・・郵送する積もりだったのだけれど、今日の土曜日・明日の日曜日は郵便局がお休みだからと・・・・ものはついで・・だと、持って行ったわけ。

 

 ま、そんなに急ぐご用ではないのだけれど、この私が・・いつ、どうなるのかわからんものだから、できることはその日のうちに・・・みたいなことだ。

 

 で、今日のお昼は・・けいこばぁのリクエストで、ここになった・・。丸亀市綾歌町栗熊になるのかなぁ・・。国道32号線脇にある・・・本格手打ちうどん「香川屋本店」。ここで、私の弟の息子・ケイゴが皿洗いをやっていたというお店だ。ま、駐車場も多いし、お店の席数も多いので、混んでいても大丈夫だろうと言うことで寄ってみた・・。

 

 で、私は・・「温泉玉子ぶっかけ小」、けいこばぁは・・いつもの・・「かけ小+おすし」・・・ほか。さっちゃんは・・「山かけぶっかけ小」・・・。お値段は・・・けいこばぁが支払ったからわからない・・・。

 でも・・、土曜日だということだろうか・・、小さな子供を抱いた若夫婦が続々とやってくる・・・。子供を抱いて、お盆を引きずりながら・・・ご飯もの・・、天ぷらなんぞをチョイスするのもたいへんなことやね・・・。お水もコップに注がないといけないし、ネギやらおろしショウガも入れないといけないし・・。

 子供を席に置いてから・・・と思うと・・・子供は泣きじゃくって待ってはくれない・・。仕方がないので、子供を夫婦でだっこしながら・・・おうどん・天ぷら・ご飯もの・・そして・・会計へと行列するのも大変なことだな・・。

 

  ま、我が家の三人も似たようなものだから・・・大きなことは言えないのだけれど・・。

 

  午後からは・・・お昼寝したり・・のんびりとしたり・・。比較的・・暖かな午後になっていた・・。

 そうそう・・・今日は・・母のさっちゃんの誕生日だと言うことで・・・さっちゃんは自分のために赤飯を炊いたらしいのだけれど・・・・。母のさっちゃんは・・大正15年1月23日生まれだから・・・85歳ってことらしい・・。

 

 話はころりと変わるのだけれど・・・。昔の人は・・・簡単ですばらしい・・ファイリングをやっていたのだなぁと思う・・・ということで、午後からは・・・「和綴じ」を楽しんでいた・・・。

 興味のある方は・・以下の動画をどうぞ。興味のないかたは・・そのまま・・・お通りください・・。

 写経 和綴じで綴じる Part2

写経 和綴じで綴じる Part1

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


寒月の けもののような 鋭ささ・・・

2011年01月21日 | 自然

 今朝もまたよく冷え込んだようで・・・愛犬ゴンの飲み水も板のように凍っている・・・。散歩に出かけると・・・川も凍っている・・・。川が凍るなんて珍しいのじゃないのかと思ってしまう・・・。

 

 でも、上流を見ると川は普通に流れているし、その下流も普通に流れている。このあたりは・・表面の流れがないのかも知れない・・・。難しいことは知らないのだけれど、流れている水は凍らないのだとおもうのだけれど。

 

 笹や草にも白い霜がおりていて、指先の感覚がなくなってしまう・・・。分厚い手袋をはめているのにね・・・。早々にゴンの散歩を切り上げて・・・こごえる手の感覚を元に戻さなくては・・・。右手の指先の感覚がないっていうことは、何をするにも不自由で・・・・。

 10時過ぎには・・けいこばぁが泊り勤務から戻る時間。それから夕方の15時くらいまではお休みの時間だから、邪魔をせぬように我が家を空けておく・・・。物音がすれば落ち着いて休んでもいられないだろうし・・。

 ということで、あちらこちらのホームセンターを回ってみるが・・・肝心の製本用の長い針は見当たらない・・・。

 

 あちらこちらのホームセンターを探して回るのだけれど、普通の裁縫用の短い針はどこにでもあるのだけれど、たこ揚げに使うような「たこ糸」が通るような大きな穴を持っていて、しかも・・・8センチ以上はあるような針というと、そんじょそこいらにはない・・・。

 「手芸屋さんでお調べすれば?」などというが、手元の空き容器には・・「補修用セット」と印刷されているから、ホームセンターで見つけたものに違いないのだけれど・・。それだし・・こんな田舎には・・「手芸屋」さんが成り立たないと思うのだけれど・・。ある所にはあるのだろうとは思うのだけれど・・。

 ホームセンターというても・・・東讃地方には数えるほどしかない・・・。私もそんなに遠くに行くこともないし・・。

 

 とあるお寺さんの「伝道掲示板」にこんな言葉が書いてあった・・・。時期的に・・・節分会(せつぶんえ)が近いから・・・こころの鬼退治・・・・という発想なんだろうけれど、それを追い払うことのできない私がいるわけだ。そんな私でもすくわれる教えでないと・・・私はすくわれない・・・。心に鬼を持ったまんまで・・・すくい取っていただかねば・・・こんな怠惰な私は救われないではないか・・・。と、思ったものだった。

 で、今日のお昼は・・・ここになった。東かがわ市三本松のJR三本松駅に隣接する・・・セルフ系のお店「えい吉」

 

 お店に入って・・・メニューを見ると・・。

 

 かけうどん・・、肉うどん、カレーうどん、ぶっかけうどん、肉ぶっかけうどん・・しかない・・。入ってしまった以上・・・どれかに決めなければ・・・ということで、カレーうどんに決めた。仕方が無いじゃないの・・・。それでも・・350円だった・・・。

 

 ここは・・・セルフとは言うものの・・かけうどんでも・・・製品が出る。だから・・プチセルフってイメージ。店員さんが厨房から外に出ない・・・って感じかな・・。

 で、食後に行った・・・ホームセンターでようやく見つけた・・・針のセット・・。

 

 左側が・・・私の持って行った空き箱。右側がその製品・・・。これだこれだ・・これだ。これを・・「しわくさん」の分と二つ買った・・。

 

 あと・・東かがわ市東山になるんかなぁ・・。曹洞宗のお寺って珍しいからお邪魔したのだけれど・・・、なかなかに難しそうなお寺さん・・・。

 

 山門を入ると本堂前にお釈迦さんが鎮座してはる・・。こういうときのお作法はどうしたらええんじゃろうかね・。まさか・・・「なんまんだんぶぅぅ・・」とか、「なむだいし・・・」でもおかしいだろうし・・・。「南無・釈迦牟尼佛」というのも不自然だし・・・。

 

 これは・・・塀の隅に刻まれたもの・・・。なかなかに情緒があるね・・。

 

 でも、こうした廃棄物がそのあたりに残されているのは・・・ありがたさが半減するね。「信は荘厳より生じる・・」と、昔から言われていることだしね。寺院境内は・・そえれなりの「お荘厳:おしょうごん=おかざり」は、信仰心を厚くする意味で大切なことだと言われている・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 

 

 


寒けわし 五臓に沁みる 実の赤さ

2011年01月20日 | 自然

 今朝もまた冷たい朝になった・・。今日は大寒でもあり「望:満月」だけれど、月齢的には16.06。潮汐上では「大潮」で、昔ふうに言えば「立待月」というらしい・・。

 

 働いている間は・・・厚さ寒さをいとわずというか、そういうものを度外視しなければ仕事にはならなかったのだろうし、そういう冬の風景に一喜一憂していられなかったのかも知れない・・。

 それが・・退職して・・・落ち着いてあたりを見回してみたら・・・「あ、寒いはずだ、霜が降りてる・・」とか「あ、氷ができている・・」とかと、季節を感じる余裕ができたのだろうし、「戦うスーツ」「気力のスーツ」の制服を脱いでしまうと・・・その暑さ、寒さが身にしみるのかも知れない・・・。

 

 さてだ・・・、朝の間は風がないからと・・庭先の落ち葉とか紙くずとかを裏の畑で燃やしていたら・・・「こちらは大川広域消防署です。香川県下には乾燥注意報が発令されていますので、たき火や下草などを燃やさないでください・・・」というアナウンスとともに・・・消防車が数台もやってきた・・・。大慌てでホースを伸ばして水を掛けて消火した・・・。これにはびっくりしたなぁ・・。どこかで見てたんやろうか・・・。多分・・・偶然やろうとは思うのだけれど・・。

 

 島の家で・・・こういう和綴じの製本をやっていたら、無理矢理・・・ペンチで針を引き抜いたとたんに針が折れてしまった・・・。こういう・・製本用の大型針はどこにでも置いてあるものではない・・。とにかく・・針がないと・・・製本ができない・・・。そこで、あちらこちらのホームセンターを探して歩いた(というても車で走ったのだけれど)のだが、どこにもそんなものは置いていないという・・・。

 で、今日のお昼はここになった・・・。

 

 ご存じ・・木田郡三木町鹿伏(ししぶせ)にある「讃岐うどん寒川」になった・・。あそこはこの前に行った、あそこは開店前、あそこは定休日・・だとしたら、ここだな・・・みたいな安易な選択で・・・。

 で、久々のマイブームうどんの「しっぽくうどん小」を注文した。320円だった。

 

 最初は・・味が薄いかなぁと思ったけれど、後半は味に慣れたものかおいしくてお肉も野菜もやわらかくてまろやかだなぁと思った・・・。さすが・・寒川さん・・。

 

 今日は11時少し前だったせいもあってか・・・私の貸し切りみたいなお店になった・・・。ここも一応は・・・製麺所系・・・ということで、かけうどんは自分でテゴで温めて、自分で、正面のずんどうから出汁をかけて、ネギなんかのトッピングをして、左端のレジで会計をして席について食べる方式。

 でも・・・しっぽくうどんなんかは九割方・・・製品が出されるので・・・ネギを乗せるくらいなものか、で、会計しておしまいだから・・・プチセルフみたいなもんだ・・・。

 

 その後は・・・宿題の・・さぬき広島の資料の整理なんぞをやっていたら・・・。

 「 子曰く 朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。」

 多分・・読めないと思うので参考までに・・「し、のたまうく ともあり、えんぽうよりきたる。また、たのしからずや」という中国の「論語」の中にある言葉。

 老子先生は心境をこう表された。突然、友人が遠い遠いところから[私を忘れないで]訪ねてきてくれる。懐かしくて心が温かくなるではないか。(世間に私の能力を見る目がないとしても、耐えて起らない。それが教養人というものだ、)と。

  

  東かがわ市三本松の「メガネのカワイ」のカワイ店長さんがやってきた・・。今日はお店が定休日だというので、情報交換にやってきたというわけ・・。

 私の話は・・・あんまり参考にはならんと思うけれど、若さ故のひたむきさ・・みたいなものは感じたなぁ・・・。私も・・・ああいう年代のころには・・・「通信を守る」みたいな・・・無我夢中の時代もあったなぁと・・・遠い日の青春の日々を思い出してしまった・・・。

 

 で、今日は私のおばあちゃん、祖母の21回忌だというので、久々に・・ころもをつけて・・「仏説阿弥陀経」を拝読した・・・。もう・・、そんなにもなるのかねぇ・・・。私も年取るはずだ・・・。

 「にゃくいちにち・にゃくにぃにち・にゃくさんにち・・・」

 ふじえばあちゃんにおしえてもろうたお経を・・よみあげている私・・・。おばあちゃの背中で教えられたお経やねぇ・・・。

 

 でも・・この前にお正月だ、お正月だと大騒ぎしたのに、一月も早くも20日が過ぎた。うかうかといしていると、あっという間に一月もおしまいになるね。最近は・・・・1日もあっという間に終わってしまうし、一ヶ月もあっという間に流れ去ってしまうね・・・。

 「少年老い易く学成り難し」誰が言うたのかは記憶にないが、若いと思っているうちにすぐ年をとってしまうが学問はなかなか成就しない。寸暇を惜しんで勉強せよということらしい・・・。そういうことをこころにはかけてきたのだけれど、やっぱり・・光陰矢のごとし・・・やね。あっという間の・・・60年余だな・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


眠る山 凍てつく瀧の 大笑い

2011年01月19日 | 自然

 今朝も冷たい朝になって・・、おまけに風も強い・・・。昨夜・・・自治会長さんが・・「明日は帰る前に・・船のエンジンを回して調子を見ときなよ・・」と言うたのだけれど、こんな風の日に船に乗ったら海に落ち込みそうになるなぁ・・と思ってやめた・・・。しばらく・・エンジンを回していないのは気になってるのだけれど・・。

 

 海は風で大波が打ち寄せている・・・。その泡立った波を見ているだけで鳥肌が立ってくるような・・。なにせ、山奥の一軒家で育ったもので、広い海とか波立つ海を見ると鳥肌が立ってしまう・・・。

 そこで・・・予定を繰り上げて・・・急いで室内を片付け、電気・ガス・お風呂なんぞを点検して・・・九時過ぎには帰り支度を済ませ・・・島を一周してみた・・。

 

 見落としているところはないか・・、確認できていない場所はないか・・と、丁寧に島を回ってみた。さぬき広島の西半分・・・、江の浦から茂浦に抜けて・・・茂浦から市井浦へ・・。

 

 ここは道路が狭いもので三月にはここには来ない・・・「正福寺」。広島八十八カ所霊場発祥の地なのだが、ここは見るべきものはないし・・・。咸臨丸に乗り組んだ水夫四人の内の二人まで・・・お墓は見つけることができたのだけれど。

 ここにあった貴重な資料のレプリカが保管されている場所は・・交渉して開けてもらうことにした・・。

 市井浦から青木浦も確認して周り・・・・十時半前にはフェリー乗り場に着いた。ここのポンツーン(浮き桟橋)から高速艇が10時45分に出る。それに乗れば・・・11時前には丸亀港に着く。

 

 で、10時45分の高速艇に乗ったらば・・・。

 「せんせ、鹿の墓が載っとる本てあるんなぁ・・」という声・・・。私は記憶にないのだけれど、向こうさんは私のことをご存じみたいだ。「草創の会の本も読んだでぇ・・」という・・・。これは通な人やなぁと思った。

 「あ、この本のこのページに載っとるよ・・」と、私の本を見せると・・「あら、ほんまやな、横瀬に言うて、もらわないかんな・・・」などと・・・。歴史好きな丸亀の水道屋さんだと思うのやけれど・・。

 

 で、11時過ぎに丸亀港に着いてからだ・・。どこでうどんを食べようかと・・・あちらこちらに走ってみたけれど、丸亀市内には・・・「定休日:水曜」というお店が多い・・・。で、ユーターンして、お店に行けばそこも定休日。その近くに行けば・・・そのあおりをうけて行列・・・。そこも休み、ここも休み・・・。そうそう、例の・・・「味見亭」も定休日・・・。

 「こら、あかんでぇ・・・」ということで・・・郊外に出たのだけれど・・・運の悪いときには定休日か、「閉店しました」「移転しました」とかばっかりや・・。

 

 結局の薬局で・・・昔でいうところの・・・「塩江」まで戻ってしもうた・・。丸亀から塩江いうたら・・・けっこう、距離もあって、お店に入ったのは・・・12時半過ぎやった・・。つまりは・・・車で・・・1時間あまりも走ったということや・・。単純計算で・・・50キロくらいな移動かなぁ・・。もっとかもしれん・・。

 

 ここも不運なお店で・・・鶴市町とかで営業してたら・・目の前に大型のチェーン店のうどん屋が進出してきて、静かな山あいの里に移転したんやけれど、そこにもうどん屋ができて・・・結局・・・追い出される格好で・・、今の・・・コンビニ店が撤退した跡に入ったんだそうだ・・。それが・・この「田吾作」だ・・。データーは旧のものだけれど。

 そういうお店は応援せなあかんな・・ということで、はるばると・・お店に入ることができた・・・。

 

 しかしなぁ・・、言うといわんと・・、落ち着きのないお店やね・・。前もそうやったんだけれど、品のない骨董品があちこちにあるし、テーブルの高さはまちまちやし、「これって、どないか、ならんのか・・」と言いたくなるようなお店・・・。

 でも・・・どこかの工場か事務所かの女工さんみたいな制服姿の女性が10人ほど・・・味噌ラーメンを食べている・・。あんな若い娘さんでも・・・このお店に入るんか・・・と思ったけど、おなかがすいてれば・・仕方ないわな・・。

 内緒やけれど、先日の・・広島の「おかの」みたいなもので、「おなかさえおきたらええがなぁ・・」みたいな気分にはなったなぁ。味は保証できんけれど、けなげに・・どんくさい家族が頑張って生きていこうとしている姿に拍手やな・・・。おっちゃん、こんなん好きやな・・。

 

 そら、食べ物はおいしいのがいいに決まってる。でも、おいしぃなかっても、おいしぃなぁと言うて食べてみるときもあるもんや・・・。食べ物は・・・舌で食べるんやのうて、「頭」で食べるもんや。おなかがおきたかどうかは・・・頭が満腹するかどうかや・・・・。つまりは・・食べ物は・・・「こころ」で食べるちゅうことやなぁ・・。

 

 いくらおいしいフランス料理でも・・・こころが凍っていたらば・・ちっともおいしいとは感じられない・・。凍った池に・・・ソフトボール大の石を投げ込んでも・・・この凍った氷はびくともせんかった・・・。

 満ち足りたこころには・・・どんなおいしい料理を投げ込んでも・・・びくともせんのかもしれんなぁと思った・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


吹き抜ける 風の冷たさ 寺の庭

2011年01月18日 | 自然

 今日はこころもち・・・暖かい朝になった。風が柔らかいので冬特有の冷たさがなかった・・・・。朝が来るのも、夜が来るのも少しばかり・・・早くなったり・・遅くなったり・・・。

  さて・・・、昨日、塩飽史談会の一行と・・・「鹿の供養塔」を探しに行ったのだけれど、四人で探したのだけれど見つからなかった・・・。だから・・今日・・・再度・・・現地確認に行って来た・・・。

 しかしのかかし・・・、そんな「鹿の墓」だの「鹿の供養塔」というものが見つからない・・・。あれれ・・・だな。

 

 昨日よりは暖かいとはいうものの・・・浜辺近くの里道は風が強くて・・・冷たい空気の機関銃みたいに喉を狙い撃ち・・・。なんたら肺炎というものにかかったらさぁ、大変・・。そうこうしている時に、地元の石材屋さんに出会ったもので聞いてみたらば・・・あっさりと・・・見つかった。そうか・・・、道路の反対側だったんか・・。

 

 これが・・・鹿の供養塔で、その後ろに・・・小さな「鹿の墓」もあった・・・。その昔には・・このあたりには鹿がいたらしい・・・。それが・・今のイノシシやクマのように・・・里に下りてきて里人の野菜なんぞを荒らして困ったらしい。

 あんたがたどこさ 島さ
 島どこさ ひろしまさ
 ひろしまどこさ もうらさ
 もうら山には めじかがおってさ
 それを猟師が 鉄砲でうってさ
 煮てさ 焼いてさ 食ってさ
 それを木の葉でちょいとかぶせ~・・・。そんな歌をうたいながら・・・。

 

 そのメス鹿にはおなかにこどもがいて・・・、撃った漁師の家では不幸が続いて・・・やむなく・・・ここに子鹿のお墓を作ったそうな・・。それをかわいそうに思った島の連中が・・・この・・「鹿の供養塔」を建てたものらしい・・。

 だから・・・山の中には・・「鹿垣:ししがき」が残されているし、鹿を縁として・・・、あの・・・安芸の宮島さんから分霊をしてもらって、この島にも壮麗な・・・「厳島神社」があった・・・。

 その後は・・・「塩竃神社」ほかの取材も行った・・・。

 

 これは塩竃神社の瓦製の狛犬だが、なんともいえない表情が楽しい・・・。この塩竃神社も、塩田があったから・・・塩竃神社が勧請されたと思うのだけれど、そういう塩田とか製塩事業とかを知ってる人はいなくなって手がかりが全くなくなってしまっている・・・。

 

 今回の「鹿の供養塔」とか「鹿の墓」なんかも・・やがてには廃材に埋もれ、誰も場所さえ知らなくなってしまうのかも知れないなぁと思った・・・。

 その後・・・市井浦という集落、青木浦という集落を調べて・・・ポイントを押さえて歩いてみて・・・。午前中はここまでで、ここでお弁当を食べてから・・・咸臨丸乗組員のお墓参りなんぞをする予定・・・。

 

 ここの厳島神社の狛犬は不敵な・・・「熊本型」という狛犬・・・。これでも・・犬なんだろうかね・・・。

 その後は・・・そういうことを・・・文章にまとめたり、整理したりしたりして・・・。自宅で・・・冷えた身体を・・お風呂で温めてから昼食・・・。今日は自宅での・・・カレーうどん・・・。

 

 午後からは・・・私らの住んでいる・・「江の浦」という集落の案内ポイント確認・・・。普段・・・見慣れているから・・・どこを案内すればいいものかがわからない・・・。ま、打ち合わせ会で指定された場所をマーキング。

 

 神社・仏閣は外せないなぁと思ったり・・、そういうものではおもしろみがないので、隠れた灯籠とかにも注目するか・・・みたいな意地悪も考えてみたり・・・。

 で、江の浦から立石という集落に行って・・・。

 

 こういう・・目印のあるお墓は、誰でも見つけられるのだけれど、お墓のほとんどは無印良品ばかり・・。お墓を探して歩くという趣味の人はほとんどいない・・。

 

 こういうお墓は誰のお墓かわからない・・・。これもまた、咸臨丸乗組員のお墓なのだけれど・・・。こういうのもマーキング。

 

 そうそう・・、ここも見逃せないポイント。当日は、ここの中にも入れてもらうように交渉をしておかねば・・・。江戸時代末期に活躍した船持ち衆の・・・尾上(おのえ)家住宅・・・。まるでお城みたいな建物だけれど・・。

 

 そんなこんなで・・、ひとまず・・今回のお仕事は一応おわり・・・。明日の午後には島を出て・・・山の家に戻る予定・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 

 

 


水仙の 花の白さや 峠道

2011年01月17日 | 歴史

 今朝も冷たい朝になったが、島だからか・・・霜も雪もない普通の寒い朝になった。少しばかり西風がよわくなったかなぁと思った・・・。

 今日は、あの阪神淡路大震災から16年目、仏教的に言えば十七回忌。あの日もこんなに冷たかったのだろうか・・・。

 我が家・・・山の家では・・・朝食なんぞほとんど食べないのだけれど、この・・・海の家に来れば何故か三食をきちんと食べる・・。それも作ったものを完食する・・・。好き嫌いのないものを作るからだし、生ゴミを捨てるのが面倒なこともあって・・・。だからか・・・ここに来れば・・・肥えるような気がする。

 

 で、朝から・・・部屋中に掃除機をかけて、和室部分は開け放って空気の入れ換えというか冷気乾燥というか・・・。締め切ったまんまでは・・・家中がかび臭くなるように思えて・・・。真冬なのだから・・かび臭くはならないのだろうけれど・・・。

 で、丸亀港発・・・9時25分だかのフェリーでお客さんが来られるというので港までお出迎え・・・。十時過ぎにフェリーがやってきた・・・。お葬式のために丸亀に出ていた自治会長さんや、塩飽史談会の事務局の方二名が、三月の「広島歴史探訪」の事前打ち合わせにやってきた・・・。

 

 で、港近くにある・・・丸亀市役所広島支所の会議室をお借りして・・・打ち合わせ。広い・・・さぬき広島のどこを見て回るのか・・・、どういう資料を用意するのか、誰がガイド役を務めるのか・・・みたいな打ち合わせだった・・・。

 どこから・・・見て回って・・・、どこで昼食にするのか・・・、その後・・・どこどこを見て回るのか・・・という事前検討なんぞをお昼までやって・・・。

 

 これは・・・・開校前(建設中)の・・広島小学校の写真らしい・・・。

 その後・・・さぬき広島唯一の食堂・・・ふる里食堂「おかの」でのおうどん・・・。

 

 塩飽史談会の加藤先生と中西さんと、自治会長さんと私の四人・・。皆さんは肉うどんで、私は・・・「きつねうどん小」を注文した・・・。ここは・・平日のみで、金曜日は午前中のみの営業。土日は・・・お客さんがほとんどいないためにお休み・・・。

 

 麺は・・・冷凍うどんなのは島だから仕方が無いが、少しばかり・・・出汁が辛かったかなぁと思う・・・。これで、300円だったと思う・・。自治会長さんのおごりになったもので、それぞれの単価までは覚えていない・・・。

 

 味は保証できないけれど、島で働く石屋さんや工事関係者のお昼をサポートする岡野さんの心意気に拍手。

 

 その後、四人は軽自動車で島を一周して・・・事前の雰囲気調査と順路確認、バスの進入コースやら停車位置、転回場所などの確認などを行った・・・。

 

 この広島現地研修会は三月の中旬の土日あたりを予定しているらしい・・・。なお、広島は広くて・・集落が分散しているために、琴参観光の27人用バスをチャーターして移動する計画らしい・・・。だから・・・最小公倍数の27人を計算して・・・9mのバスをチャーターするのだという。それでも、いくらかは歩いてもらわないといけないところもできる・・・。

 

 歴史通の集まっている「塩飽史談会」の例会だけに・・・普段には見られないもの、普段にはわからないものなどを選りすぐってお見せしたいなぁということで・・・あれこれと・・。

 

 私と・・・自治会長さんの合作で・・・どんな資料ができて、どんな現地研修会になるのか・・・。これからの私たちの大きな宿題になりそうだ・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>