まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

雨となり山にざわめく山桜

2022年03月31日 | 時には日々是日

 31日のさぬき市は前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎからは雨が降ってきた。気温は13.8度から15.5度、湿度は92%から86%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の4月1日のさぬき市は、気圧の谷や寒気の影響で明け方まで曇る見込み。その後は、高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 収縮期96mmhg、拡張期53mmhg、脈拍78bpm、体温36.4c/酸素濃度99%/体重63.1Kg 室内気温21.5c/室内湿度46%/気圧1023hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:53分、日の入りは18:24分 月齢は28.4の中潮。

 

 さすが、このエンレスト錠のおかげで、一時は70Kgもあった体重が十日ほどの間に63Kgにまで落ちてきた。体内に貯まっていた水分を放出したおかげである。このまま飲み続けたら、どこまで下がっていくものじゃろうか。

 

 さて、今日は雨だと天気予報が言うものだで、宿題となっている「遍路墓」の資料整理をやってみようと準備を始めたところ。

 

 奥方から、「お弁当を忘れたの。台所のテーブルの上よ。今日はホームセンターでラックを買う日でしょ。ついでだからお願いね」と言う電話連絡。いや、別に、ラックを買うのは今日で無くともいいのだし、あれは奥方が欲しいと言うものだから奥方の休日にでも買えばいいじゃないか・・・と思ったのだけれど。

 

 そうは思ったけれど、つい、先日にも私が入院をして、洗濯物だ着替えだのを届けてくれたばかりだったのを思いだして、「仕方がないなぁ・・」とばかりに出掛けてきた。奥方の勤務先は車でおよそ20分の距離。遠いと言えば遠いが、特段に用事もないので行って来た。

 

 で、ついでにと言えばついでだが、ホームセンターに行って来た。トイレ休憩も兼ねている。例の「エンレスト錠」のおかげで30分ごとにトイレに向かうので、トイレの場所はしっかりと覚えている。

 

 で、この「木製ラック」というものを一個買った。奥方のことだから、「もう、一個、欲しいわね」と言うのだろうが、こちらにも予算という物がある。年金支給日までにはまだ間があるのだから、ポイポイと買う訳にもいかないし、私の部屋にも欲しいのだけれど。

 

 で、こういう段ボール箱入りである。組み立てぐらいは奥方にやってもらわねば、私がいなくなっても困らないくらいには練習もしておいて欲しいもの。

 

 帰ってきて、体重計に乗ったらば、こんな数字になっていた。洋服をきたまんま、帽子もかぶったまんまで63.2Kgということは、お風呂上がりの裸ん坊だったら、何Kgになるんだろうか・・。62.2Kgにはなるんじゃろうか。今夜のお風呂が楽しみだ。それに、入院時の「BMI」は「26.62」だったものが「25.0」にもなっている。BMI(Body Mass Index)はボディマス指数と呼ばれ、体重と身長から算出される肥満度を表す体格指数で、成人ではBMIが国際的な指標として用いられている。計算式は、

  • BMI = 体重kg ÷ (身長m)2 適正体重 = (身長m)2 ×22 で、

 

 ということで、ようやくに普通体重に戻りそうな気配がする。

 

 で、今日の「TKG」玉子かけご飯は、「親子他人っ子・玉子かけおかゆ」になった。つまり、鮭の卵のイクラに鮭のほぐし身で「親子」になる。タラコは全く他人の子だから「他人っ子」である。おまけにあかの他人のニワトリの玉子まで載っているという超豪華さ。なお、赤い三つの玉はデザートのミニトマトである。

 

 彩りは「ブロッコリー」である。ミニトマトとブロッコリーの間に「ゆず胡椒」が載っている。味付けは味の素とダシの元を少々。これは「病人食」だなぁと思った。もちろん、お箸よりもスプーンのほうが食べやすかったからでもある。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は白黒で簡単に割り切れるものではありません。いろんな感情を味わいながら日々を過ごすところに人間の生きる意味がある」という小柳左門先生のことばから。先生は1966年、福岡県立修猷館高校卒、1973年に九州大学医学部卒。九州大学医学部循環器内科助教授、国立病院九州医療センター臨床研究部長、国立療養所福岡東病院副院長、独立行政法人 国立病院機構都城病院院長などを経て2013年から特定医療法人・原土井病院病院長を務めている。人生はマルかバツか、表か裏か、白か黒かで簡単に割り切れるものではない。赤もあり、青もあり、白もあり、灰色もあり、黄色もあって、人生の意味があるのだと言うているのである。「これが正義だ」、「これが悪だ」で片付けられる問題ではないということでもある。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


散る桜部屋の掃除を思案する

2022年03月30日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 30日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は7.0度から18.4度、湿度は98%から76%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の31日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、朝から昼過ぎは雨が降るらしい。

 

 収縮期96mmhg、拡張期49mmhg、脈拍79bpm、体温36.6c/酸素濃度98%/体重63.7Kg 室内気温19.7c/室内湿度39%/気圧1027hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:54分、日の入りは18:23分 月齢は27.4の中潮。

 

 今日は退院後5日目の確認診察日。入院中に投与された「エンレスト200mg」が体に合っているかの確認作業みたいな物である。「退院後、どうですか」というような感じだろうか。

 

 こういう薬を半分ずつ、朝夕に分けて飲んでいる。

 

 まずは胸部レントゲン検査である。これもワンパターンみたいなセットメニューらしい。これも座るか座らないかのタイミングで検査に呼ばれた。検査は1分足らずで終わる。

 

 で、これもワンパターンのセットメニューで、私の場合は、この後の診察とで「三点セット」である。

 

 ここも10分そこそこ待っただけでDrに呼ばれた。Drは、私の顔を見るなり、「あれ、すっきりしましたねぇ・・・」とびっくり顔。そんなに痩せたとも思えないのだが、確かにおなかは少しばかりすっきりとしたかも知れない。体重が5Kgほどは減ったのは事実だし・・・。

 

 今日は水曜日だからからか、患者さんの数は少ない。だから、検査も診察も会計も早くに済んでしまった。Drからは、「このままで、ずっと体調を維持して下さい」という言葉でおしまいになったが、原因がわからずに、利尿剤だけで良くなっただけだから、今後、どうすればいいのか、どんなことをしてはいけないのかがわからない。

 

 先日に、全自動のスマホ対応体重計を買った。この体重計に乗るだけで、体重計のデータがスマホに転送される仕組みである。

 

 それならば・・・と、スマホ対応の血圧計と体温計を探しに、この、電機量販店に寄ってみた。

 

 でも、スマホ対応の血圧計は少しばかりお値段するようなもので、少しばかり考えることにした。Amazonさんで調べなおそうと思った訳だ。でも、体温計はお安いお値段でスマホ対応になった。

 

 この、「conect omron」で、体重計と体温計が記録できる。

 

 と、まぁ、こんな具合だ。BMI というのは、基本情報に身長を登録してあるので、体重が分かればすぐさまBMIが計算できる。この体重計では、体内に電流を流して測定するものえはないように思っている。

 

 ついでに、奥方が物置の整理用に欲しいと言うていた木製ラックの下見をしてきた。これは、私も一個、欲しいなぁと思った。ベッドサイドテーブルの代わりにならないのかなぁと考えたからである。これもしばらく考えてみることになった。

 

 今日のお昼はまたまたお寿司になった。奥方お得意の「姿寿司」である。昔の農家は、これからの農作業に向けて、こうしたお寿司で苗代祝い、田植えはじめ、さのぼり、田休み、春魚などという一連のお祝い事のたびに、こうしたお寿司が作られたものだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「咲くときに 散るも覚悟の桜かな」というもの。いつもお世話になる善楽寺さんにあったものだと記憶しているのだけれど。いよいよ桜の時期も終わりになるのだろうが、桜に限らず、花は咲いて散るのがお仕事。「咲いた花なら散るのは覚悟・・・」という歌もあったが、生 まれたものは死んでいくように、咲いた桜もまた、散って行くのがさだめというもの。私たちに「命の尊さ」、「今を大切に」と教えてくれているような言葉でもある。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


薄曇る庭にきりりとチューリップ

2022年03月29日 | 時には日々是日

 29日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。気温は8.5度から13.5度、湿度は62%から88%、風は3mから1mの東の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるけれど、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で曇るらしい。

 

 収縮期90mmhg、拡張期43mmhg、脈拍78bpm、体温36.6c/酸素濃度97%/体重64.8Kg 室内気温20.1c/室内湿度41.7%/気圧1030hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:56分、日の入りは18:22分 月齢は26.4の中潮。

 

 昨年の剪定作業が功を奏したのか、今年のハクモクレンは見事なほどに花をつけて咲き誇っている。奥方は自慢そうに吹聴するが、その実は何もやっていないのだ。ほとんどが、このハクモクレンが自分で花を咲かせているだけのことだと、今朝の「ラジオ深夜便」で、甲南大学特別客員教授の「田中脩」先生が話していた。

 

 さて、昨年の夏から、東かがわ市の歴史研究家の「篤秀先生」から頂いている宿題の「遍路墓探訪」だが、私の体調不良やらなんやらで、手つかず状態で残ったまんま。どうにか動けるようになったので、来週の半ばから弟と二人で調査に出かけることになった。

 

 よく、「そんなもん、調べてどうするん?」と言われるが、考えてみれば、どうするのかはわからない。「じゃぁ、おじさんは、なんで、植木いじりなんかをするの?」と聞いてみたくなる。「じゃぁ、おじさんは、なんでタバコなんぞ吸っているの?」と尋ねたくなる。それぞれの時間の過ごし方はさまざまで、深い意味がなければやらなくてもいいようなものかも知れない。山登りだって似たようなものかも知れない。

 

 私は歴史学者ではない。考古学者でもない。あえて肩書きをつけるとするならば「郷土史家」あるいは「郷土民俗学者」になるかも知れない。大きく言えば「四国遍路研究家」、「四国遍路民俗研究家」になるかも知れない。ま、平たく言えば、単なる「観光ガイド」のはしくれである。

 

 そうこうしていたらば、「ねぇ~ねぇ~、ビデオちゃん~。久々におうどんに行かない??」と奥方の声。なんでか、今日と明日がお休みの日らしい。

 

 「ははぁん・・・、無料のおうどん狙いだな」と思ったが、言葉にしたら叱られる。「そ、そうだねぇ・・・」と、黙って付いていくことにした。もちろん、「運転手は僕だ、お客は奥だ・・・」。

 

 もう、時期的に「しっぽくうどん」はおしまいになっていて、今日は「玉子かけおうどん」ということで、「めんたい釜玉うどん」490円だかに、レンコンの天ぷら(100円)をチョイスした。会計は奥方である。で、私が無料のうどん玉(約3玉入り)を頂戴し、続いて奥方もうどん玉(約3玉入り)をそっといただいて席に着いた。

 

 ご存じだろうが、「釜玉うどん」というのは、釜からゆであがったばかりのアツアツのおうどんに生玉子を落としたもの。そのおまけに「明太子」でアクセント、味付けは特製のお醤油ダシである。ネギや天かす、ワカメ、おろし生姜などはフリートッピング。これぞ究極の「玉子かけおうどん」である。

 

 おうどんをご馳走になった御礼に、「マイ・桜ガーデン」の県営ダム公園に案内した。昨日も見たけれど、さらに今日は「極満開状態」。一昔前には、ここで盛大に町営の花見の宴があって、宝探しゲームやらのど自慢大会なんぞも行われたのだが、飲酒運転がやかましく言われるようになってからはバタリと花見が消えた。今は人っ子一人としてやってはこない。

 

 奥方は、桜の若木が育っていないか、挿し木になるような枝はないかと、そういう目でばかり植物を見ている。変わった草がないか、珍しい花がないか・・・とあたりを歩き回っている。

 

 私も若い頃には、「花見はやったかい・」とか「花見はもう済んだんな」というのが、この時期の挨拶だったけれど、もう、桜の花が珍しい年でもなくなった。

 

 今日の大サービス。今日の掲示板はこれ。「散ると見たのは錯覚であって、桜は大地に還るのであった。」 という武内洞達先生の言葉から。まさしく桜は大地に還るのであって、散る散らないは私たちの都合ではないか。似たようなお言葉に、「仰ぐ者には、月はあるが、仰がない者には月はない」という語がある。阿弥陀如来は、信ずる者にはあるが、信じない者には「ない」のである。阿弥陀には隔てる心はなけれども、仰ぐか、仰がないか、である。信ずるか、信じないかである。 「散る時が 浮かぶ時なり 蓮の花」も先生のおことばである。

 

 今日の掲示板はこれも大サービス。「散れば咲き 咲けばまた散る春ごとの 花のすがたは如来常住」という一休さんの歌である。春に桜の花が咲くと、人々は花の美しさを愛でて宴を張り、しばしの時を楽しむ。また花の散る風情を人の死に例えていたりする。しかしのかかし、それは花という表面に現れた現象であって花を咲かせる草木に変わりはない。散ればまた次の年には花を咲かせるだけのことである。そのような草木のように、人にもそれぞれ、開花する仏性は常に宿されている。人間が本当に「生きて」活動するということ、つまり「生きているということ」が素地にならない毎日は、ただ活動して終わりではないか、ということだというのである。言われてみれば、人より良いものを手に入れ、人より良いものを食べたいという欲求生活は、ただ活動をこなし、活動の充足を願うばかりのように見える。そして多くの宗教はこの活動を満たすことだけを応援しているかのように見えている。起きていても、寝ていても、私たちは「生きている」という素地の上にいることを忘れてはならない。そうして「散れば咲き、咲けばまた散る花」のように、かわるがわる願いを受け継ぎ、この世を生きてきたのである。それぞれの花(ひとりひとり)の願いはもちろん大切なのだが、その花を支えるより大きな願い、すなわち誰しもが等しく支えられている如来の本願の力に思いを寄せることが、真に生活を豊かなものとしてくれるのではないだろうか。

 

 で、本当の今日の掲示板はこれ。「骸骨の上を装うて花見かな」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。桜前線の北上と共にあちらこちらで 花を肴に賑やかな宴が催される頃である。この歌は上島鬼貫(うえしま おにつら)という、松尾芭蕉とほぼ同時代の俳人のもので、大阪の伊丹にこの句碑が建っている。若い娘さんたちにも結構な人気だそうで、どこか心の底で頷ける共感があるのだろう。骸骨のうえを装って、つまり、きれいにお化粧し、美しい衣装で着飾った娘さん、その娘さんをレントゲン光線で映してみると、 ごつごつした骸骨が見える。若々しい女性が美しい装いをこらして、お花見としゃれこんで浮かれているが、いつかは骸骨だけになる。 滅びの時はやがて来るんだぞと言っているわけだ。目にみえる美しい、好ましい姿の中に、変化し、崩れ、壊れ行く事実があり、その骸骨という、みにくく好まざる事実を見通してみる智慧、そんな智慧を持つことが大事なことだと考えさせらたことであった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


はや桜散り初めている無人駅

2022年03月28日 | 時には日々是日

 28日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。気温は10.5度から14.5度、湿度は66%から36%、風は4mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の29日のさぬき市は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇るらしいが、昼前からは高気圧に覆われるため晴れる見込み。

 

 収縮期94mmhg、拡張期53mmhg、脈拍80bpm、体温35.9c/酸素濃度95%/体重65.2Kg 室内気温21.8c/室内湿度42%/気圧1026hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:57分、日の入りは18:21分 月齢は25.4の若潮。

 

 そろそろ月末が近いし、入院騒動もあって通帳の残高が気になって仕方がない。そこで、町内のATM機で通帳記載をして残高確認。

 

 同じく町内の郵便局屋さんで二次帳簿から出金をして、メイン口座に振り込んでおいた。これで、来月中旬の年金支給日までは大丈夫な筈。それに、当座のお小遣いも残しておいた。

 

 で、市内のやや大きなスーパーに行って、「イクラ」を探してみても見つからない。案外と、こういうものはあんまり食べないのだろうか、見つからずじまい。で、そこにあった花屋さんで、奥方の誕生日祝いにとバラの花束の見積もりをしてもらった。でも、ここでは詳しいことは分からないという。バラの単価は分かるけれど、5,000円分というと、消費税やら作業代やらラッピング費用やらを差し引いて、バラの単価で割ると・・・5,000円の予算で何本のバラが買えるのか、計算ができないという・・・。

 

 そこで、さらに大きな三木店に行けというので、このお店にやってきた。大きなスーパーは駐車場が広くて遠いし、人混みは苦手なのだが、こういう場合は仕方がない。

 

 確かに、ここには品数も多いし、店員さんもテキパキとして対応も早い。実のところ、先月の小豆島での「金婚式記念旅行」の際に、奥方に感謝状を読み上げたのだが、その感謝状の中に、「あなたの大好きなバラの花束を贈ります」という一文があったけれど、そんな旅先でバラの花束なんぞ準備できないじゃないか。その時に、娘から「バラの花束はどうしたん??」と突っ込まれてしまっていたのだった。

 

 ところが、弟が「4月9日に、けいこバァの誕生会をやろうぜ」と言い出したので、その誕生会の席上で、お約束のバラの花束を贈ることにしたものだった。「50年間、長い間、ありがとう」という意味での花束である。私は真っ赤なバラを贈りたいというたのだけれど、それでは色がきつすぎてきれいじゃない・・とか、いろんな色を混ぜたり、かすみ草を加えて柔らかくしたいとかと、お店の方の助言を頂いて、6,000円の花束で契約をしてきた。

 

 こういう感じになるのじゃろうか。

 

 で、捜し物の「イクラ」も見つかったが、案外とお値段するものらしい。「ジェジェジェ・・・」と思ったが、「生き返って命を取り留めたのだから・・・」と、自分へのごほうびに、このイクラを買って来た。

 

 で、今日はお約束通りに「イクラ」と「もずく」で「海の宝石・玉子かけご飯」になった。少しばかり卵黄が崩れてしまったけれど、これはこれでいいお味になったものだ。ツマの代わりにと敷いたレタスとタマネギのシャキシャキ感ともずくの酸っぱさが相まって、「これぞ、至福の玉子かけご飯だ」というような「TKG」になった。

 

 うーむ、海の宝石か・・・。ちなみに、ご飯は炊きたての上に、さらにラップを掛けて30秒ほど加熱してある。右上には削り節も置いてみた。味付けには「味の素」と「柚胡椒」は欠かせないし、玉子かけ用の専用のお醤油を使っている。

 

 食後に、ご近所さんにある県営ダム公園に行ってみると、早くもすっかりと満開状態。病院から戻ったのが金曜日。その時にはまだ、チラホラ状態だったのに、土日の間に急速に開花したみたい。まるで浦島太郎状態になった。

 

 これでは、再来週の土曜日の奥方の誕生会には散ってしまうではないか。「遅くなった花見の宴と、奥方の誕生会」が、「散ってしまった花見の宴と・・・」になってしまうではないか。

 

 今日の掲示板はこれ。「さくらだといふ 春だといふ 一寸お待ち どこかで泣いている人もあろうに」という山村暮鳥さんの言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。山村は極貧の農家に生まれ小学校中退後、10代前半で家出。さまざまな職場を転々としながら放浪し、「肉から皮を剥ぐような暮らし」の中で、物を盗み、一椀の食物を乞うたことさえあったそうだ。その後、キリスト教と出会い洗礼を受けると、すぐさま伝道師となることを志願し、伝道学校へ入学。別科生として東京の築地聖三一神学校への編入を許された。一方、文学への想い断ち難く、大正3年には、萩原朔太郎、室生犀星と、詩、宗教、音楽の研究を目的とする『人魚詩社』を設立。伝道活動を続けながらも、詩壇に大きな波紋を投げかけ、『日本立体詩派の祖』と呼ばれるも、大正13年の師走。41歳の誕生日と詩集『雲』の刊行を目前に、生涯を閉じた。その山村暮鳥に桜をテーマにした詩がこれだ。能天気に花に浮かれる心をたしなめて、「泣いてる人」を思いやった、山村暮鳥の弱者に注ぐ視線が優しい。今年の桜は切な過ぎる。新型ウイルス蔓延を受けて日本中が泣いている。ロシアに侵略されたウクライナほか大勢の人々が泣いている。世界中の人々が泣いている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


彼岸冷え覚えた歌まですぐ忘れ

2022年03月27日 | 時には日々是日

 27日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は13.5度から19.4度、湿度は84%から50%、風は2mから3mの西の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込み。

 

 収縮期84mmhg、拡張期54mmhg、脈拍79bpm、体温36.1c/酸素濃度98%/体重64.7Kg 室内気温22.8c/室内湿度51.6%/気圧1012hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:59分、日の入りは18:21分 月齢は24.4の長潮。

 

 午前中は曇っていて、洗濯物は溜っているし、お布団も干したいのにと、ウズウズとしていたのだが、天気予報が晴れるというので洗濯もしてみた。ま、こんなところで言うべきことではないのだが、奥方も私がいないと「腑抜け」状態になってしまって、生ゴミは盛り上がっているし、燃えるゴミもゴミ箱からあふれている。このあたりでは、「セがない・・・」というが、「精が無い」、元気がない。体力気力がない。また、張り合いがないというような意味合いで、何もやっていないのだ。お風呂さえ沸かす気力もなくて入らずじまいだったとか。

 

 朝早くからお仕事に行って、仕事から戻れば缶ビールを飲んでバタンキューで寝てしまっていたらしい。だからという訳でもないが、洗濯物を洗って干して、お布団も干して、生ゴミや燃えるゴミ、空き缶やらペットボトルを片付けて・・・と走り回っていたというわけだ。

 

 今日は日曜日だから、誰かがおいでになるとまずいので・・・と外出は自粛。一ヶ月ぶりに、私のポータルサイトの更新作業もやっておく。更新するのは行事予定表のところ。

 

 ふと、気がつけば三月もおしまい。四月分、五月分のカレンダーも作って更新しておく。いや、別に来月まで生きるという保証はどこにもない。再来月まで生きてやるぞ・・という意欲もない。ただ、明日に向かって、どの方向へ歩き出すのかという方向性だけは失いたくないのだ。どうせ死ぬのだからとむやみやたらには歩き出したくないだけのことだ。のんべんだらりと生きていたくないだけのことだ。

 

 そうこうしていたらば、パソコン関係の周辺機器やらコード類がやたらと目に付いた。奥方は、「私が、あんたのことを偲びながら片付けるから、そのままにしておいてちょうだい」とは言うけれど、どうにもならぬものはどうにもならぬのだ。気がついたときに片付けておきたいと思ったまでだ。しかしのかかし、マウスの数の多いこと。少し感度が鈍くなればすぐに交換してしまうから、10個や20個ではきかないほどのマウスがある。

 

 それと、ノートPC用の電源コード。PC本体はすでに処分してしまっているのだが、その電源コードやプリンター用ケーブルなんぞがてんこ盛り状態。こういうものもビニール袋に詰めてまとめておいた。来週にでも処分してしまうつもり。

 

 お天気が良くなると、「言うたらいかんもの=去る=猿」が集団でひなたぼっこに山から下りてくる。この声がまたうっとおしいのだ。いつもならばジェット花火で追い返すのだが、今の時期には、我が家のベランダの巣箱にスズメがお宿をリニューアル中。だから花火は使えない。全く、見て見ぬ振りしかできぬのだ。

 

 ふと気がつけば、早くもあじさいの若葉・新芽が吹き出してきている。春はあっという間にやってきているのだ。うかうかとしてはいられない。

 

 そうそう、本日、新しい体重計が届いた。ご案内の通り、私の毎日のバイタルサイン(「生命徴候」のことで、「脈拍」「呼吸」「体温」「血圧」「意識レベル」の5つがバイタルサインの基本。病院では基本的に朝・昼・晩と1日3回測定し、記録している。)には問題がなく、ポイントは「体重」である。これを管理するために一階には置いてあるが二階の私の部屋用にと準備した物。私の場合、ペースメーカーが入っているため、体内に電流の流れる体脂肪計内蔵とかは使えない。これはスマホから管理できる物。

 

 で、今日は留守番をしながらだから、そのあたりにあるもので「玉子かけご飯」にしてみた。

 

 今日は「釜揚げしらす」+「もずく」で「磯の香・玉子かけご飯」になった。それに広島産の牡蠣醤油だし味付け海苔に下の方にはダイコンおろしで整腸作用を考えてある。卵黄の下にはマヨネーズを敷いてある。お出汁は味の元とダシ用パウダーと柚胡椒が入っている。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦の娑婆や 桜が咲けば咲いたとて」という小林一茶の俳句らしい。いつもの赤松先生の掲示板にあったもの。「世の中がいくら苦しいものだからと言って、桜が咲いたのに それまで「苦」だと思ってしまう…。人は愚かなものだねぇ。楽しいことまで「苦」の種にするこたぁないじゃないか。」とか、『この世は苦しみばかりだなぁ。桜が咲いてウキウキするはずのような季節でも、やはりその苦しみがなくなるわけではないのだ。』というような解釈になろうか。人は「幸せ」な事柄まで、ああ大変、ああ面倒、と思うことがよくあるもの。余分なことまで取り越し苦労をしなくてもいいものを・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


花桃や思い思いの時が行く

2022年03月26日 | 時には日々是日

 26日のさぬき市地方は、低気圧や前線の影響で夕方にかけて雨が降っていた。気温は14.0度から17.9度、湿度は76%から92%、風は1mから5mの西の風が少しばかり強かった。明日の27日のさぬき市は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 収縮期106mmhg、拡張期57mmhg、脈拍78bpm、体温36.3c/酸素濃度95%/体重64.9Kg 室内気温22.0c/室内湿度49.7%/気圧1005hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:00分、日の入りは18:20分 月齢は23.4の小潮。

 

 今年も、このシジュウガラが雀のお宿にちょっかいを出している。スズメはせっせと草の端っこや糸くずなんぞを拾い集めてくるのだが、このシジュウカラが「おいらも手伝おうか・・」とちょっかいを出すのである。仲がいいのか、縄張り争いなのか、私にはわからんことばかりだ。

 

 さて、この10日余りの日々、私が何をやっていたのかを記録しておくのだが、興味のない人は読み飛ばしてスルーすればいい。実は今年の2月あたりからおなかがどんどんと大きくなってきてズボンが合わなくなり、肌着も合わなくなってしまい、体重だけがぐんぐんと増えていって、64kg台から70Kgあたりまで行ってしまった。当然、おなかを圧迫するから動けないし歩けないし呼吸困難になってしまった。

 

 そこで、利尿剤は目いっぱい出しているし、これ以上はどうしようもないので、最終は、この「ハンプ」という「心不全対策」の薬を注射(点滴)するしか方法がないという。点滴をするためには入院が必要とのことで緊急入院した。一応、入院期間は四週間ということだった。

 

 ということで、点滴台を押しながらトイレに通うこと、日に十数回。とくに夜間は1時間ごとにトイレに向かう。で、最高は3,369cc/1日、通常2,570cc程度の水分を体外に放出した。これが7日間で、17,441cc 約17㍑である。単純計算で、17kgは体重が減る計算だが、実際には5Kg程度の体重減にしかならなかった。

 

 その間に、「腹腔穿刺(ふくくうせんし)」ということで、おなかに穴を開けて、パイプで腹水を抜いた。これが45分程度で1㍑が限度だった。動いてはいけないということだったが、無性にトイレに行きたくなって作業中止になったため。

 

 その結果、悪い病気(例:肝臓ガンなど)は全くなし。原因は心臓の劣化。病状を和らげるには量が足りなかった。※:肝臓ガンや肝硬変から腹水が溜るおそれがあるが、それはなしということで。

 

 ところが、6日目に、ハンプに替る薬として、この「エンレスト200mg」という薬があることに気がついて、即座に点滴中止。以降は、この薬の服用で様子をみることになって、10日足らずで開放・・・ということになって帰宅したという訳。

 

 ちなみに、病室にはノートPCを持って行ったが、wi-fi 接続禁止、病院内撮影禁止、画像のSNS掲載は不可・・・ということで、バイタルサイン記録用だけになってしまった。

 

 だから、病気が完治したとか、健康体になって退院したということではない。一応の危機は脱出したので、あとは自宅で静養するようにとのこと。ま、ぶっちゃけった話、心臓病はなおらん・・ということだ。だから、日々、一日一日をどうやって過ごすのか・・・ということだ。

 

 洋服のサイズというのはメーカーごとに違うようで、入院したときは、「EL」という最高腹囲の病衣を借りたのだが、退院する直前にはそれがずり落ちて、トイレに行くのにもゴムの部分を掴んで歩かねばズボンなんて役に立たなかったほど。入院時に着ていった5Lというズボンは、12cmも大幅に余ってしまって、レジ袋をヒモ代わりにして結んで帰らないとならなかったほどだった。それが腹水を抜いたせいか、尿を大量に排出したせいかは誰も知らないらしい。

 

 で、今日は退院したお祝いで、「海鮮丼玉子かけご飯」を作ろうと、近くのスーパーへそぼ降る雨の中を出掛けたのだが、いかんせん、田舎の小さなスーパーに、そんな気の利いたものは置いていない。「イクラ」がいくら探しても見つからないし、生のエビなんぞは置いてある筈もない。

 

 あの、さんまさんが、「玉子かけご飯は料理じゃない」と言うたらしいけれど、そんなことはあるものかと、今日は、こういうものを探してきた。「ねぎ塩焼きシーフードミックス」というもの。生でも食べられそうだが、フライパンで2~3分調理するらしいのでやってみた。

 

 フライパンで3分ほど強火で調理したものを、炊きたてのご飯の上に並べてみた。

 

 すると、イカもエビもアサリも、硬くならずに「コロコリ」とした、いい歯ごたえのおいしい玉子かけご飯になった。これはこれでいけるじゃないか。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去を追うな 未来を願うな 只 今日なすべき事を成せ」というお釈迦様の言葉からである。「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。未来はまだやって来ない。だから現在のことがらを、現在においてよく観察し、揺らぐことなく、動ずることなく、よく見きわめて実践すべし。ただ今日なすべきことを熱心になせ。誰か明日の死のあることを知らん。《釈迦の言葉「一夜賢者経経典より」》とある。必要な方は「一夜賢者経」で調べられたい。ここではすでに何回も紹介している。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


病み上がり春の陽射しは眩し過ぎ

2022年03月25日 | 時には日々是日

 25日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れているが、夜は気圧の谷や湿った空気の影響で曇りとなるらしい。気温は6.5度から17.5度、湿度は92%から60.1%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。強風・波浪の注意報が発令中。明日の26日のさぬき市は、低気圧や前線の影響で概ね雨となる見込み。

 

 収縮期94mmhg、拡張期50mmhg、脈拍79bpm、体温36.5c/酸素濃度98%/体重65.1Kg 室内気温21.1c/室内湿度47%/気圧1027hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:01分、日の入りは18:19分 月齢は22.4の小潮。下弦。

 

 昨日、高松市の栗林公園の標準木から五輪の桜の開花が見つかって開花宣言があったとか。それではと、ご近所の県営ダム公園に行ってみた。見た目はこんな感じ。

 

 でも、探せば五輪や六輪の桜の開花は見つけることが出来る。これで、我が家も「桜の開花宣言」である。もっとも、私が開花宣言をしようがしまいが誰も何も文句は言わないし、話題にもならない。

 

 例年だと、三月末の最終土曜日は「我が家の花見の宴」の日なのだが、今年は皆さん、忙しいのかどうか、そういう話は出てきていない。私は、この日をめがけて超特急で戻ってきたというのに・・・。

 

 明日は雨だと言うし、来週にでも、ここで一人花見とでもしゃれ込もうか。あまりにももったいない桜の花びらであることよ。

 

 そうそう、先々週だかに花が開いたと言うていた、東かがわ市湊川の土手沿いに植えられた「河津桜」だが、今日、見たところでは、このように「葉桜」になって、花見見物の人はいなくなり、広い駐車場はがらんとしたまんま。

 

 桜の花も咲くまでが「華」なんだろうか。たまたま、私が通りがかった時間帯だけが無人だったのかも知れないのだけれども。

 

 さて、一週間遅れで、今日が私の「ケアマネ担当者会議の日」になった。奥方も今日はお休みの日らしい。

 

 お茶を飲みながら、先月からの一ヶ月間の報告をして、ケアマネプランの更新を行うのだが、いつもと同じで継続更新となった。

 

 一時は、介護ベッドを二階から一階に下ろしたり、ベッドサイドテーブルの用意まで考えてくれていたらしいが、今まで通りのケアプランで治まった。

 

 そうそう、この3月1日には、おなかが大きくなって4Lから5Lにズボンや下着を交換したのだけれど、昨日、一昨日あたりから5Lのズボンがずり落ちるし、下着なんぞまるで用を足さなくなってしまった。ちなみに、冒頭にも書いたように体重は約4Kgほどの変化しかないが、おなか周りはぐんと減ったみたい。でも、見た目は少しも変りがないし、3Lあたりのもとのままんまのズボンに戻っただけ。何が何だかようわからん・・。

 

 今日のお昼は奥方の自慢作のお寿司である。多分、今夜もこれになるのだろう。知らんけど・・。

 

 ふっと気づけばすっかりと春・・・。まるで夢うつつのような一週間だったような気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「黙って咲いて、黙って散る。花は人の評価を気にしない」という東京のお寺の掲示板から。わたしたちは「いいね」の数やコメントの多さなど、他人の評価を気にするけれど、花は人の評価など気にしてはいない。花見に何人の人が集まろうと、人が見てくれようと見てくれまいと、全く頓着なんぞしていない。自然の営みを繰り返すばかりである。『仏説阿弥陀経』という経典の中に、「青色青光(しょうしきしょうこう)黄色黄光(おうしきおうこう)赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)白色白光(びゃくしきびゃっこう)」というフレーズが出て来るが、これは浄土に咲く花の様子を表していて、そこに咲く花は周りを気にせず咲き誇っている。わたしたちも本来、一人ひとりが違う色を持ち、その色で輝くべき存在。他の人との比較や批評、非難中傷を離れて、それぞれのありのままの色で輝きたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


ひとしきり春の足音を聞いてみる

2022年03月15日 | 時には日々是日

 15日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は15.5度から21.5度、湿度は98%から44%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の16日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 収縮期98mhg、拡張期53mmhg、脈拍78bpm、体温36.6c/酸素濃度98%/体重69.4Kg 室内気温20.5c/室内湿度45%/気圧1013hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:15分、日の入りは18:11分 月齢は12.4の若潮。

 

 今年は冬がなくて、いきなり春になったような気がするが、その春に植物たちはついていけない様子。かく言う私も季節の移ろいにはついて行けていない。

 

 昨日、かかりつけ医の内科のDrは、「もう、あんたに出す薬はない」と言ったのだけれど、「こんなものでどうだろうか・・」と処方されたのがこの薬。「フォシーガ10mg」という薬で、息切れ、むくみなどの心不全の症状をやわらげる薬で、過剰な糖を尿と一緒に排泄させて血糖値を下げる働きがあり、心臓の負担を少なくする働きがあるとのこと。薬剤師さんは、「おしっこがどんどんと出て、体重が激減しますよ」と言うてくれたのだが、いまのところ、そのような効果は見られない。

 

 で、またまた、ファッションセンターという衣料品店に行ってみた。おなかがどんどんと大きくなって、下着もシャツもズボンもきつくなってきたような。ゆるい衣料でどこまで我慢できるかが問題ではある。私的には、「できることなら入院はしたくない」。入院をしても根本的な腹水が溜ることを阻止できないと思うのだ。ただ単に、点滴などで水分を出すだけのことで、水分を出しても腹水は元のように溜ってしまうのだ。

 

 そろそろ年貢の納め時かなぁとは思いつつも、上半身には異常がない。ま、無駄な抵抗だとは思いつつも、できることからコツコツと。あんまり気にもせずに品物を選んだら、トランクスのはずがブリーフになっているし、丸首シャツのはずが「U字シャツ」になっている。ま、これまた、我慢して使うしか無いのか。

 

 今日も五月のような天候になったので、県営ダムにも寄ってみた。昨日の今日だから大きな変化があるはずもない。

 

 まだまだ蕾は固くて開花の気配もない。桜が開くまで我慢できるだろうか。

 

 頂き物のレトルト食品が残っていたので、今日はこれを片付けることにした。イタリアのシチアリア産レモンの入ったクリーミーな鶏肉カレーということらしい。これを袋ごとお鍋で7分間湯煎した。

 

 袋を開けると、こういう感じのカレーになるらしい。でも、これだけでは寂しいので少しばかりアレンジしてみた。

 

 言わずと知れた、「ふわふわ玉子かけチキンカレー野菜バージョン」である。でも、どうにもビジュアルがイマイチなのはセンスの問題。坊さんは扇子と言わずに中啓とか雪洞とかと教えられたのが関係あるかどうか。

 

 でも・・・、味というか食感は「クリーミー」そのもの。スープでなく、ポタージュでもなく、表現する言葉が見つからない。まだ、究極の味には遠く及ばないと思うが、「至福の玉子かけカレー」にはなった。

 

 春の小川はさらさらゆくよ~・・・。早くも田植え用にため池への水が流されていく。これがため池をいっぱいにして、早いところでは3月末には田植えが始まるらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなおとなたちも、一度は子どもだった。でもそのことを覚えている大人はほとんどいない。」というもの。サン:テグジュベリの「星の王子様」からの引用である。ああ。こんな当たり前のことを忘れてしまっていたなんて、、、。ものすごく考えさせられる一文である。仕事や家事に追われる毎日の中で大切なことを忘れてしまっている私がいる。自信や過信で埋もれてしまっていた瞬間があった。純粋だった子供の頃を忘れてはいけないのだけれど、仕事や暮らしぶりにかまけてしまって覚えてなんかいない私がいる。最近の自分は想像力がなくなったのかもしれないなぁ。よく感じることがある。絵を描く場合、自由に思いっきりかけない自分がいる。失敗したくないからだろうか?。下手だと思われたら恥ずかしいから?。子供の頃ってこんなにも周りの目なんて気にしていなかったのに。あの頃にあったエネルギーを復活させるためにも、星の王子さまに出てくる一言一言を心の片隅に置いておくことにしたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


タンポポや言い訳もあり愚痴もある

2022年03月14日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 14日のさぬき市地方は、朝方は小雨が降っていたが、午後からは高気圧に覆われて晴れてきた。湿った空気の影響で夜は曇り、夕方から雷を伴う所がある見込みらしい。気温は13.8度から21.2度、湿度は98%から76%、風は2mから1mの西の風が少しばかり。明日の15日は、前線や湿った空気の影響で明け方まで雨となり、雷を伴う所がある見込み。昼前からは高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 収縮期96mhg、拡張期58mmhg、脈拍78bpm、体温36.6c/酸素濃度98%/体重68.4Kg 室内気温22.8c/室内湿度40%/気圧1024hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:16分、日の入りは18:10分 月齢は11.4の若潮。

 

 雨が降る日は天気が悪い。天気が悪いと私の体も調子が悪い。ぐんぐんと体重が増えてくるようで体が重たくて歩きにくくなってきた。

 

 我が家の二階への14段の階段が昇れなくなってきた。先週に泌尿器科のDrに「腹水です」と言われたものの、腹水は抜いても抜いても元に戻るし、大量に抜けば死に至るとも聞いていたので、我慢するしかないのかと我慢をしていたのだが、「もしも、がん細胞による腹水ではないのか」という疑問が起こったので、重い腰を上げた。

 

 今日は月曜日だし・・・ということで県立病院へ行ってみた。どうせ、ダメだと言われるのは分かっているが、悪い病気でもあれば大変だと行ってみたのだ。

 

 で、内科の受付で、「何がどうしてどうなったので、こういうことになった・・・」とお話をすると、

 

 診察前の診察室に呼ばれた。まだ、9時にはなっていなかったのだ。そこで、先週の泌尿器科の診察の結果なんぞを説明して、「とにかくDrに相談しなければ・・・」というようなお話をした訳だ。でも、結果は同じで、「腹水は抜いてもすぐに元にもどってしまう。あなたには限度いっぱいの薬を出しているので、これ以上の薬は出せない。あとは注射しかなく、それには入院の必要がある」とのこと。また、定期的に診察を行っているので、ガンや悪性の病気なんぞは見つからないとのこと。

 

 つまり、入院をして、水分を出す点滴を連続で行って、体中から水分を出してしまう・・ということらしい。これは奥方との相談が必要になるので、今日は保留となった。

 

 で、これからの治療のための「採血」と、その水分を出す点滴の練習があった。

 

 今日は一時間だけの点滴だったが、その間に二度もトイレに立った。確かに水分は出るようだけれども、それで腹水が減るかどうかは別問題。はてさて、どうしたもんじゃろうか。

 

 帰り道に、東かがわ市の湊川沿い土手の河津桜並木を眺めながら戻って来た。満開の所もあれば七分咲きの所もあるし、それぞれだが、平日でも多くの人がカメラ片手に桜見物をやっている。

 

 今は花見どころの気持ちにはなれぬ。花が咲くのも散るのも勝手だと冷たいものだ。それほどに下腹部が重たくて辛い。

 

 今日のお昼は「海鮮玉子かけご飯」を予定していたのにご飯がない。で、テーブルの上には焼きソバがが置いてある。仕方がないので、それを電子レンジでしっかりと温めておいてから玉子かけにしてみた。「いたわさ・玉子かけ焼きソバ」である。カイワレは彩りに乗せてみた。

 

 食後に、処方薬を受け取りに行く前に、近くの県営ダムの桜を確認してみた。我が家の花見に間に合うだろか、桜の花まで元気でいられるじゃろうかと。ふと、思ったまで。

 

 このあたりは、県営ダムにしては掃除も草刈りもしておらず、荒れるのに任せているみたい。元気ならば草刈り機でお掃除してあげたいが、今はそういう元気もない。

 

  今日の掲示板はこれ。「くらやみの中で 宝があっても つまずくだけだ」というもの。前川五郎松という人の、阿呆堕落偈(あほだらけ)から。闇と光について、いつかこんな言葉をお師匠様から聞いたことがある。「暗闇の中で宝があっても、つまづくだけやぞ。燈明(あかり)をつけてもらうだけや、何にも変らぬが、見える見える、見えると安心や」。と。暗闇の中では、宝物もご馳走も有り難い仏様も見えぬ。仏法を知らぬ者には経典も仏像も何も見えぬ。光という智恵を頂いてこそ、宝物やご馳走が見えるというものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


山茱萸俳句の一つが出てこない

2022年03月13日 | 時には日々是日

 13日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夜遅くには雷を伴う所がある見込み。気温は11.0度から18.5度、湿度は90%から74%、風は1mの東の風が少しばかり。明日の14日は、前線や湿った空気の影響で曇り、明け方から朝は雨が降るらしい。

 

 収縮期99mhg、拡張期51mmhg、脈拍79bpm、体温36.7c/酸素濃度97%/体重68.0Kg 室内気温20.8c/室内湿度40%/気圧1022hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:18分、日の入りは18:10分 月齢は10.4の長潮。

 

 ご案内の通り、今日は集落内の「地神(じじん)さん」の例祭日ということで、地神宮の掃除を午前7時からとなっていた。でも、6時半から掃除をしている人がおり、「30分前」の風習が残っている。だから、7時過ぎにはおまつりは終わってしまう。

 

 本当は、今月16日が「社日」ということで、この日に地神さんのおまつりをするのが本来のしきたりだが、この集落では、その前の日曜日におまつりを済ませてしまう。まだまだ、働いている人が多いので、平日には参加できないという。

 

 おまつりと言っても神職さんが来るでなし、特別なことはなにもない。みんなで、「二礼二拍手一礼」するだけである。ま、古い記録を見ても、「掃除をし、のぼりを立て、世話役がしめ縄をしめる」というお作法だったようである。で、「神前にムシロを敷いてお供え物を下げて歓談する」というようなものだったらしい。今は、そういう風習もなくなって、そこに見えるペットボトルのお茶を1本ずつ頂いて帰るだけである。

 

 私が苦労をして作った、注連縄や幣束にも誰も注目もせず、感想の一言もなかった。

 

 そうそう、昨日、フェイスブックのお友達から、こんなものが届いた。普通の進物には、こうしたビールもどきのものは贈らないのが礼儀らしい。だから、勇気があるなぁと思ったし、ありがたいなぁと思った。私はアルコールは原則として禁止されている。ま、旅行に行ったり、ご馳走が出る場合なんぞにはいただくのだけれど。我が家では奥方ともどもノンアルコール・ビールになっている。

 

 で、昨日はラーメンだったので、今日はおそばにした。「剣山」というから、徳島県の「剣山(つるぎさん)」かと思えば、高松市内で作っている「剣山(けんざん)」という名前だけらしい。

 

 で、一人用だから、ダイソーで買ったハンドミキサーでメレンゲづくり。これにも慣れて5分ほどでできるようになった。その間におそばもゆがかないとあかんし、漢方薬も飲まないとあかんし・・と段取りがむつかしい。

 

 今日もおネギが多くて、肝心のおそばが見えなくなった。「玉子かけ納豆おそば」である。メレンゲの中に、お塩、味の素、だしの素が少量、入っている。ネギの間には柚子胡椒も入っている。で、全体に、「卵かけご飯用しょうゆ」を掛けまわしてある。

 

 で、お昼から、いただいた「龍馬1865」を試飲してみた。マイルドな舌触りだなぁと思った。余分な添加物が入っていないのが、本物のビールみたいに思わせるのかも知れない。もちろんプリン体も入っていない。

 

 ほら、確かにおそばが入っているのだと・・という画像である。お味は、どこにもない新触感・・という感じ。食べたことのない不思議な味。でも、マイルドでさくさくと食べてしまった。

 

 午後からは、観光ガイド活動の年度締め用の資料作成。

 

 なんだかんだとあって、昨年も感染症対策のために、メインになる活動はなし。ただ、個人的なガイド活動というのが数件あって、ま、こんなものだろうという活動報告。

 

 今日の掲示板はこれ。「傲慢になったり卑屈になったり 一喜一憂している我が人生」というもの。いつもお世話になっている町内の善楽寺さんの掲示板にあったことばから。あの人の奥さんはきれいで優しそうだから幸せな家庭だろうなぁと、うらやんでみたり、あの人は大きな会社の社長さんだから優雅な生活をしているんだろうなぁと考えてみたりするけれど、他人より優れている人が幸せか・・・というとそうでもない。その人たちも自分と同じで、傲慢になったり卑屈になったり一喜一憂してるのである。世の中に幸せだけの人なんていないのだし、不幸だけの人もまたいないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


タンポポや待ち人の来ぬ昼下がり

2022年03月12日 | 時には日々是日

 12日のさぬき市地方は湿った空気の影響で曇っていたが、昼過ぎからは晴れてきた。気温は突然に11.5度から21.2度、湿度は64%から94%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼過ぎから曇るらしい。

 

 収縮期106mhg、拡張期58mmhg、脈拍78bpm、体温36.5c/酸素濃度97%/体重67.4Kg 室内気温20.1c/室内湿度38%/気圧1022hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:19分、日の入りは18:09分 月齢は9.4の長潮。

 

 しばらくすれば落ち着くだろうと思っているのだが、一向に下腹の膨らみが変わらない。内臓脂肪だけでは、こんなに重くもないだろうし重苦しさもないだろうと思うし、腹水だって痛みが出るとは思われない。それが決まって土日に悪くなるのだから始末が悪い。

 

 で、寝たきりになった時用に、ベッドサイドテーブルを探してみようと思って、ホームセンターに行って来た。案の定、そんなものはホームセンターにはない。

 

 こういうものでもいいだろうと探してみるのだが見つからない。最後の最後はAmazonさんにお願いするのだけれど、「今からかい・・・」という思いもある。

 

 なかなかに急ぐときには間に合わないものだ。確かにここで見かけた筈なのだけれど。

 

 で、奥方が裏庭の草抜きに必要だからと言うていた、ガーデンチェアというものを買ってきた。1350円だった。ここにコシをかけて草を抜くのだが、これでは少しばかり高いだろうか。でも、このあたりでは、このようなものを使っているような気がしたのだが。

 

 今日も郵便受けに、この本が入っていた。入っていた・・・と言っても本が自分で入るはずがなくて、Amazonさんにお願いしたものだった。

 

 でも、中身はこんなもので、「究極の玉子かけご飯」というものには出会わない。

 

 ということで、ご案内の通り、今日は「玉子かけラーメン」を作ってみることにした。元ネタは醤油味のつけ麺にするものだったが、それではつまらないので、玉子かけラーメンにした。

 

 麺だけを鍋で4分間湯がいて水切りしただけのもの。そこにメレンゲにした卵白を置き、卵黄を静かに載せてみた。あとはネギとかまぼこを置いただけ。チャーシューはアレルギーで食べられないし、シナチクだけを買うというのもムダだから省いた。

 

 ついでだからと刻みのりを載せてから、玉子かけご飯用の醤油を掛け回した。味はシンプルで、ご飯とは全く違う食感。これだと夏場のそうめんにも似合うはず。

 

 この時、本物のラーメンを使わなかったのは、インスタントの方がゆで時間が短いからだけの理由。でも、食感はそのままのような気がした。

 

 チコちゃんに叱られるほど、ボォーと生きているから、我が家のすぐそばにツクシが生えているのにも気がつかなかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「幸せかげんはお湯かげん それぞれ違うあったかさ」というもの。これまた、どこの誰の言葉かはわからない。お湯加減というものは人それぞれの感覚で決めるもの。ぬるいものが好きな人、熱めが好きな人と千差万別。百人いれば百通りのお湯加減がある。それと同じように、幸せ加減も千差万別。千人居れば千の幸せかげんがある。「私がこの世で一番不幸だ」と打ちひしがれていたとしても、それよりもはるかに不幸な人はたくさんいる。自分の思い込みだけであれこれと考え込まないことだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


ぼったりと落ちてなお咲く藪椿

2022年03月11日 | 時には日々是日

 11日のさぬき市地方は、気圧の谷の影響で曇っていたが、夕方からは高気圧に覆われて晴れるらしい。気温は5.0度から14.0度、湿度は92%から60%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。乾燥注意報が発令中。明日の12日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で曇るが、高気圧に覆われるため、昼過ぎから晴れる見込み。

 

 収縮期114mhg、拡張期62mmhg、脈拍83bpm、体温36.3c/酸素濃度98%/体重67.6Kg 室内気温19.9c/室内湿度35%/気圧1025hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:20分、日の入りは18:08分 月齢は8.4の小潮。

 

 今日は3.11 大震災の起こった日。あれから11年目になるという。被災者に黙祷。

 

 さて、今日は奥方が待ちに待った日。植木屋の「いっくん」が9時前にやってきて、裏庭の芝生広場にバラ園を作る工事の打ち合わせの日である。朝からご飯を炊きぃの、牡蠣フライを作ったりとバタバタとやっていた。植木屋さんなら、裏庭対応でいいと思うのだが、お茶を出したりお菓子を出したりと・・・。

 

 本来は、こういう芝生広場であったものを、

 

 こういうバラ園にしてしまうのだそうだ。

 

 こういうものだとか、

 

 こういうものだとかと夢は広がる一方・・・。

 

 で、植木屋さんに夢をお話して現場で実測。いっくんも、それなりのプランを用意してきているみたい。

 

 孫たちも大きくなり、ここで遊ぶこともなくなったし、私のいのちも永くはないし、奥方の好きなようにすればいいさと、私はノータッチ。奥方も来年にはお仕事をやめて、専業のバラ園の世話をするのだという。

 

 その打ち合わせが終わったら、「はい、これでメレンゲを作って玉子かけご飯を作ってちょうだい」と言うではないか。へ・・・、我が家に、こんなものがあったのか・・・。それならば早く言ってくれればいいものを。

 

 さすがに電動マシンは速い。あっという間にメレンゲができた。

 

 それで、ふわふわ玉子かけご飯ができあがった。これに牡蠣フライとかも付いて、朝昼兼用のお食事会になった。普通の植木屋さんに、そんなサービスはせんやろ・・・。奥方の意気込みが感じられるではないか。

 

 そこへ注文してあった、この「たまごかけごはん」の本が届いたが、これはまるきり参考にもならんかった。この表紙の玉子かけご飯の横にハンバーグを置いたり、アジフライを置いたり、ローストビーフを置いたりする程度。なんじゃこれは・・・とあきれ顔。

 

 明日はラーメンの上に「ふわふわ玉子」を載せて、「ふわふわ玉子かけラーメン」に挑戦してみようと思っている。

 

 今日の掲示板はこれ。「こころみち足りたとき いつ死んでもいいと思う こころみち足りたとき いつまでも生きていいと思う」という木村無相さんの言葉から。時々、このあたたかいベッドの中にくるまれて、「もうこのままコトッて死んでもいいかな~」って思うときがある。奥方は「意地でも長生きしてちょうだい」とは言うけれど、心が満たされていて、穏やかな状態、幸せだと思える瞬間というのは、命がこのまま終わったとしても、続いたとしても、どちらでも受け入れられる心境になれるような気がする。でも、そんなふうに思えるようになったのも最近になってから。三年前の秋から二年前の二月にかけて、香川医大付属病院で治療を受けていた頃は、精神的にも一番辛くて、あまり振り返りたくないなぁと思うのだけれど。そこを乗り越えたから、今があるのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


花咲けど私の命は散るばかり

2022年03月10日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 10日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3.5度から13.6度、湿度は98%から58%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。さぬき市には乾燥と霜の注意報が発令中。明日の11日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期109mhg、拡張期56mmhg、脈拍79bpm、体温36.3c/酸素濃度99%/体重67.4Kg 室内気温19.8c/室内湿度34%/気圧1025hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:22分、日の入りは18:07分 月齢は7.4の小潮。

 

 ずいぶんと前からだが、おなかがどんどんと大きくなっていく。昨年春には2Lだったように思うのだが、昨年の暮れには3Lになり、今年の2月には4Lになったが、それももう限度になってきた。先日から、どうにも息苦しくなってきて、とうとうたまりかねて泌尿器に行くことにした。どうにも尿の出具合が少ないように思うし、下腹部が大きく張ってきたように思ったからだった。

 

 途中の東かがわ市の湊川堤防上にある河津桜並木がようやくに開花して、四分咲きから五分咲きみたいなイメージ。まだまだ、つぼみが多い。それでも大きなカメラを提げた人やテレビカメラを担いだ人たちも見える。

 

 で、いつもの県立病院に着いたのが8時40分ごろ。つい、先日に来たばかりなのになぁと思いつつ。

 

 で、今日は予約日ではないので受付で、「こうして、こうなった」みたいな話をして受付を済ませる。

 

 今日は木曜日だからか患者さんが少なくて、二番目に呼ばれた。そうそう、先月の28日に膀胱カテーテル検査をして異常なしだった。あれから10日目にしかならない。

 

 下腹部に尿がたくさん溜っているだろうと思ったのに、「残量ゼロですね」と言う素っ気ない返事。じゃぁ、このおなかは何ですか・・・と質問すると、膀胱エコー検査をしてくれた結果、「腹水ですねぇ」という。「採れないのですか」というと、「注射器で採れるほどではないないです。内臓の間に水が溜っていますからねぇ・・」という返事。

 

 「あとはわからんですから、内科の日浦Drに診察してもらってください」と言う。「心臓が悪いから腹水がたまるんだろうと思いますよ」という。私もそういう診断は聞いている。腹水を抜いてもすぐに元のように溜ってしまうのだとも。「腹水中にはがん細胞や細菌のほか栄養に関わるアルブミンや免疫に関わるグロブリンというタンパク質が大量に含まれていて、これを抜いてしまうと栄養状態が急速に悪化して全身状態が悪くなり、さらに腹水がたまりやすくなるという悪循環を招くのだそうである。だから、患者が腹水で苦しんでいても、こうした理由から医師は腹水を抜きたがらないのだという。

 

 この灰色の部分が腹水なんだそうである。腹水は一度に大量に抜くと血圧が下がり循環不全を起こして、ひどい場合はショック症状につながることもあるそうな。そのため、抜くとしても一度に少量に限られるそうで、少量を抜いても2、3日でもとに戻ってしまうのでに、抜いても意味がないと言われて、患者はひたすら我慢を強いられるという状況らしい。

 

 だから、おなかが大きくても食事は普通にできる。私は朝食抜きで夕食はわずかだから、お昼だけが楽しみなので、今日もこうして、「ふわふわ玉子かけ梅がゆ」を作ってみた。メレンゲでいっぱいになっている。

 

 「究極の玉子かけご飯には少しばかり物足りないが、「至福の玉子かけご飯」にはなった。こんな玉子かけご飯があったのか・・・という玉子かけご飯である。子どもの頃には毎日毎日「生物学的」に、ただむしゃむしゃと食べて来たが、こういう玉子かけご飯があったのかと思わせてくれる昼食になった。

 

 この日曜日の「地神さん」用のしめ縄・紙垂(しで)と、幣束もできあがっている。明日には、奥方のバラ園を作ってくれる庭師さんがやって来るので、裏庭の掃除もやっておかねば・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「砂をしぼっても水は出ぬ わたしをしぼっても信は出ぬ 真実信心 むこうから」という放浪の真宗詩人『念佛詩抄』木村無相著よりの言葉である。木村無相さんは、熊本県出身で複雑な家庭環境の中、少年時代を朝鮮半島や中国大陸で送ったが、17歳で単身帰国。このころから宗教に対する関心を深め、京都の一燈園で過ごしたこともあったという。その後、職業を転々とし、流浪の身になった。仏道を歩もうと決めたのは、2度の自殺未遂を経て、26歳からの4年間を過ごしたフィリピンの開拓地だったという。その後、四国などのお寺に世話になりながら放浪の生活を続けた。種田山頭火と親交を結んだのは30歳過ぎのころ。山頭火の俳句が好きで文通を続けていたところ、山頭火から「あなたをお訪ねします」との返信があった。二人は1週間ほど、愛媛のお寺で寝起きを共にして、杯を傾けながら俳句や旅について語り合ったという。その後、二人が出会うことはなかったが、放浪の旅に救いを求め続けた二人の詩人が触れ合った一瞬だった。救われがたい我が身の心境が信仰に向かわせたのか、70歳前に出版した詩集『念仏詩抄』(永田文昌堂)には「砂をしぼっても水は出ぬ わたしをしぼっても信は出ぬ 真実信心むこうから」など、凡夫の自覚に満ちた詩がつづられている。無相さんの心の闇が何であったかは分からなままだが、無相さんは亡くなる前、親しい友人に「結論はなんにもいらんのや、凡夫なりに信心も安心もなにもないまま、凡夫のままで死んでいけばよい」と語っている。私も、そうでありたいものだと思っている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


風受けて芽吹く花有り蕾あり

2022年03月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 9日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.5度から13.9度、湿度は86%から42%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の10日のさぬき市地方は引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期102mhg、拡張期53mmhg、脈拍78bpm、体温36.6c/酸素濃度98%/体重67.2Kg 室内気温18.7c/室内湿度33%/気圧1023hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:23分、日の入りは18:06分 月齢は6.4の小潮。

 

 昨日から尿が出なくなって苦しい一日になった。それでも、古本回収日だから重い古本を回収場へ運んでおいた。古本も片付けても片付けてもどんどんと出てくる。子どもも跡継ぎもいないからもったいないけど古本に出してしまう。

 

 で、今日のお役目はこれ。「御幣作り」である。正式には「幣束(へいそく)」というらしい。神様にお供えするときの目印らしい。

 

 正式には「奉書」という紙を使うらしいが、私は昨年から古い「障子紙」を使っている。これだと繊維が太くて丈夫で破れにくいのである。横に五分割、縦に三分割する。

 

 それを左右に開いて、折り込んでいくと、こういう「御幣」ができる。

 

 それを笹竹の軸に差し込むと「幣束」ができあがる。

 

 それができたら、今度は「しめ縄」作りである。最近の人は、この縄をなう・・・という作業を知らないし、作り方もわからないらしい。かくいう私も子どもの頃にはやったのだけれど、この地区に引っ越してくるまでは、そういう作業をやったことがないので、YouTubeで勉強しながらやるようになったもの。

 

 上が昨年の物。手前側が今日の作品。ここに来て10年余り。ようやくに縄らしくなってきた。最初の頃はヘビが玉子を呑み込んだみたいに、急に膨れたりへこんだりしたもの。

 

 しめ縄ができたら、今度は「下がり」をつける。下がりは、「七本、五本、三本」とつけるので、これは真ん中にあたるところの五本である。

 

 で、右から七本、五本、三本の下がりが付くと、「七五三縄(しめなわ)」ができる。これで、私の担当の御幣としめ縄ができた。この縄に挟み込む「紙垂(しで)」も切ってある。準備万端である。

 

 尿がおなかに溜って苦しいので昼食抜きにしようかとも考えたが、何か食べておかねば・・・と、「梅がゆ」にした。ここにも、「ふわふわ玉子かけ」を載せようかとも考えていたのだけれど、あっさりと、このまま食べることにした。

 

 で、お昼からは民児協の定例会。役所の方は人事異動があるものだから、お仕事を繰り上げ繰り上げしてくる。自分の担当の内に片付けたいこともあるのだろう。

 

 それに、次期民生委員の準備なども早め早めに進めてくる。そういう時期なのである。この会が終われば、今度は空き缶回収日で、空き缶を回収場へ運んでおく。だから、毎月の第二水曜日は忙しいのである。

 

 今日の掲示板はこれ・・・。「他人と過去は変えられないが 自分と未来は変えられる」というもの。これはカナダ出身の精神科医であるエリックバーンの言葉として有名である。他人を変える事ができないこと、過去を変える事ができないことを悩むよりも、自分を変える事、自分の未来を変える事に目を向ける方が良いというのは、なんとなく「そうなんだろうな」と思えてくるもの。例えば自分の子供に向かって「勉 強しなさい」とか「部屋を片付けなさい」と言っても、簡単には聞いてはくれないし、職場で人に迷惑をかけているような人に対して注意をしてもそれが治らなかったりするもの。過去を変える事も、過去に起こった出来事を変えるという事は出来ないけれど、自分の受け取り方を変える事で、その出来事に対しての見方を変えることはできるけれど、その事実が変わる訳ではないし、過去に何があったのかを秘密にした所であなたの過去の出来事がなかったことになる訳でもない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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