まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅咲いて はやカレンダーを 差し替える

2017年02月28日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は1.9度から10.0度、湿度は92%から56%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の3月1日は、はじめ高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で昼前からは時々曇る見込みらしい。

 

 あっという間の一週間が過ぎて、恒例の火曜日は「俵札調査」の日。いつもの「おへんろ交流サロン」への出勤。

 

 今年は雪を見ることなしに春を迎えてしまうんだろうか。二月末日だというのに春のような暖かさ。

 

 今日は二人ほどの歩き遍路の方がお休みだった。

 

 先週に引き続いて「ぱちぱちプロジェクト」のお話。高校生が考えた若いお遍路グッズの各種。高松工芸高校だから、いいプリンターがあるんだろうなぁと思うような作品が並んでいる。

 

 私らは、「輪袈裟」はお店で買うもの・・と思い込んでいるし、ここで作業している女性会員さんらも、「えっ、お袈裟って、自分で作ってもいいの??」みたいな感覚だった。若い高校生は、白衣でもお袈裟でも朱印帳でも、なんでも自分たちで作ってしまう。

 

 これは子供さん用の白衣と輪袈裟。これは安上がりだな・・と眺めていたら、これは高松の「保多織り」という織物で、子供用でも3,500円もかかっている。お店で買うと半分くらいで買えてしまう。手間や時間を考えれば、買う方が安いのか・・・。

 

 さて、こちらでは「役員会」をやっていて、3月4日のイベント、「ルンルン♪春へんろ」の打ち合わせやら参加者名簿の確認やら集計やら、なんやら・・・。

 

 私らは画像取り込みの最終段階。今日で全ての撮影が終わり、来月からの展示会に向けての資料整理。

 

 私の作った「おへんろつかさの会公式ホームページ」を会長に見て貰って「OK」を頂いた。

 

 バス会社の担当者さんにも来て頂いて、どのようなバスで、どういうコースで、どこにバスを駐めるかなどの打ち合わせもやっていた。

 

 私は早めに帰宅して、参加者用の名札作りを担当する。ウォークはこの週末の土曜日。忘れないうちに名札作成。

 

 頂いた名簿を確認しながら名札の作成。

 

 ま、難なく作業は終了。

 

 今月もバタバタとした一ヶ月になった。明日からの3月も予定がいっぱい・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生が行き詰まるのではない 自分の思いが行き詰まるのだ」という安田理深先生の言葉から。昔々一匹のウサギがいた。ウサギは秋の間中、ずっと木の実を集めては山の中に隠しておき、隠し場所を忘れないように何か目印はないかと探した。ふと見上げると雲が見える、この雲を目印にしようと考えた。そして冬、雲が動くことを知らなかったウサギは目印を見失い、そして蓄えを全て失った。ウサギは我々の鏡である。変わりやすく不確かなものを人生の目印にしてしか生きられないのが我々ではないか。家族、お金、健康、仕事…。自分を輝かせるために、それにしがみつき、生きがいを見出そうとする。人生が上手くいっているときは、自分が目印にしているものが不確かなどと思いもしない。しかし、どうすることもできない状況に出会ったとき、自分が人生の目印にしていたものは、何とはかないものだったかを思い知らされ、絶望と空しさで、どう生きていいか分からず迷う。そして、人間はそれを繰り返すのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


菜の花に 微笑む風が ついてくる

2017年02月27日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は4.6度から9.8度、湿度は82%から59%、風は2mから3mの北東の風が冷たかった。明日の28日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は、またしても神戸に向かって、奥方と高速バスに乗って走っている。というのも、奥方のけいこばぁのお兄ちゃんはすでにさぬき市に移住させている。今度は、その奥方、つまり、義姉をさぬき市に引き取る手続きのためである。

 

 私は、右目の白内障が進んできたために、車で高速道は走るのがこわい・・。そこで、今回は高速バスで神戸に向かうことになった。朝の7時半過ぎに我が家を出て、高速津田を8時過ぎに乗り、9時半に高速舞子に着いた。

 

 そこから、JR舞子駅からJR兵庫駅まで電車に乗り、奥方は垂水から名谷にある施設に向かい、移転手続きをするために向かった。私は、市営住宅の引き渡しのための手続き。

 

 駅から、この市営住宅までは徒歩で20分ほど。あの阪神淡路大震災の後、すっかりと街は変わってしまっている。私が20歳代を過ごした思い出はどこにもない。

 

 指定業者さんに引き渡しの見積もりをしてもらう役目。こうした畳やふすまなどは交換する契約になっているとか。そのほかに、タンスや冷蔵庫や不要な布団や衣類などの廃棄処分の依頼。これは10分ほどで済んだ。見積書は義兄のところに送られてくる。家の鍵も引き渡した。

 

 テーブルや不要品なども廃棄してもらうことにした。もったいないが、狭い介護施設ではどうしようもない。当面、必要なものや使えるものは先にトラックで運んでもらっている。

 

 その私が20歳代前半を過ごした「兵庫電話局」。建物はそのまま残っている。中は子会社が入って、見たような制服の社員が働いていた。この屋上にアマチュア無線のアンテナを上げて交信していたことから、義兄やけいこばぁとのつながりができた所。

 

 JR兵庫駅で奥方と待ち合わせ、その近くの中華料理店「芳仙閣」で昼食。

 

 マーボー豆腐が辛くて辛くて、生ビールをおかわりした。

 

 その後、兵庫区役所で義姉の転出手続き。義兄の時のように、国保だとか年金だとか介護保険だのの手続きには時間がかかった。

 

 こちらは、簡単に処理できたのだが・・・

 

 こちらでは、何カ所も席を変えて手続きして、それでも13時半には手続きも終わって帰れることに。

 

 今日の行程はこの往復。片道1時間半。15時半の高速バスに乗り、我が家には17時前に戻ってきた。

 

  今日の掲示板はこれ。「ふりつもる み雪にたへていろかえぬ 松ぞををしき 人もかくあれ」という昭和天皇のお歌から。国敗れ、まさしく山河だけが残ったのが昭和20年夏。わが国の姿であったそうで、食うや食わずの暮らしに始まる7年の歳月は、わが国の長い歴史に訪れた、初めての、そして、最も深い断絶であり、試練であったという。そのころのことを、亡き昭和天皇は、このように歌にしておられた。「ふりつもるみ雪にたえていろかえぬ松ぞををしき人もかくあれ」。雪は、静謐のなか、ただしんしんと降り積もる。松の枝は、雪の重みに、いましもたわまんばかりになりながら、じっと我慢をしている。我慢をしながら、しかしそこだけ目にも鮮やかに、緑の色を留めている。わたしたちもまた、そのようでありたいものだという御製である。昭和21年の正月、日本国民の多くが、飢餓線上にあえぎつつ、最も厳しい冬を、ひたすらしのごうとしていた時に、詠まれたものであるという。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春ひなた 一期一会の うどんかな

2017年02月26日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で概ね曇っていた。気温は1.7度から11.1度、湿度は85%から57%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の27日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 全く、穏やかな春らしい朝になった。

 

 朝、ブラウザを立ち上げて、「あれ・・」と思った。よく使うHP一覧だが、「おへんろつかさの会公式HP」のトップページが何か変・・・。

 

 で、そのページを開いてみたら・・・。これでは、トップページだけで、どこにも行けない。

 

 普通は、こういう画面で、「ご案内」とか「スケジュール」とかのバナーがないといけないのに、夜の間にバナーが消えた。バックファイルを開いても、複製ファイルを開いても同じ状態。仕方がないので、同じように最初から作り直すはめになってしまった。(泣)

 

 さて、FBFの福田さんという方が長尾寺においでになるというので、毎度おなじみの「長尾寺」にやってきた。今日はこういうイベントが行われるらしい。

 

 「NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク」さんの開催する「一日一斉おもてなし遍路道ウォーク」というものらしい。遍路道が安全か、不備なところはないか、トイレはあるか・・などを調べるウォークらしい。それに道ばたのゴミも拾いながら・・・。

 

 コースは、87番長尾寺から88番大窪寺までの約16キロ。10時前に長尾寺を出て、おへんろ交流サロンでお接待のおうどんを食べて12時出発、15時に大窪寺到着。

 

 参加者は約50人とかお昼のニュースでは言うていた。

 

 NHKの記者さんのインタビューを受けながらのウォークである。

 

 いやいや、私はそのNPOさんとは関係ないので、そのウォークに参加しとる訳でもなく、また、歩いている訳でもない。ま、よそさまは、どういう活動をしとるんじゃろうか・・という「野次馬」の一人なのである。しかも、マイカーで伴走しとるようなもの。

 

 先回りして、いつもの「おへんろ交流サロン」に着いたら、事務員さんやら、顔見知りの方々から勧められて「お接待」を頂くことになった。こういうお接待は断ってはいけないことになっているそうで。

 

 いつもの高松の大学生によるお接待である。彼女らはお遍路の勉強をしていて、年に何回かは、ここでお接待実習をやっている。

 

 かわいいランチョンマットの上におうどんのお接待。歩きもしないのに、お接待を頂いて感謝感謝。

 

  今日の掲示板はこれ。「何ものも「自分のもの」ではないと知るのが智恵である」というダンマパダからのことばである。「降れば濡れ 濡るれば乾く袖の上を 雨とて厭う人ぞはかなき」と一遍上人は言った。煩悩にまみれた自分でいいのだと腹をくくると光が見えてくる。「煩悩 を断ぜずして 涅槃を得るなり」と親鸞聖人も言った。人生さえも借りものである。清々しく生きられるコツがそこかしこにある。「何ものも“自分のもの”で はない、と知るのが知恵であり、苦しみからはなれ、清らかになる道である」と、『ダンマパダ』に書いてある。考えても仕方のないことを、あれこれ思い悩む のは愚かなことだ。「眠れぬ者に夜は長く、疲れた者に一里は長い。真実を知らぬ愚者に生死の道は長い」とも『ダンマパダ』に書いてあった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春の陽を 踏む毎日の いとおしく

2017年02月25日 | ひなまつり

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は1.7度から10.2度、湿度は82%から60%、風は2mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の26日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 この時期恒例になった「引田(ひけた)ひなまつり」が今日から始まった。例年だと、2月27日から3月3日までの期間だが、今年は2月25日からとなっている。このひなまつりも15周年を迎えることになる。

 

 今日は初日と言うことで、これから開店するお店も多く、朝の間はお客さんも少なかった。

 

 この人はまめに地元行事に参加される国会議員さんである。昨日か一昨日、国会で質問をしていたと思うのに、早くもここに立っている。

 

 元々、この地域では「初雛」ということで、盛大なひな祭りをしていた。それこそ、十畳間とか十二畳間とかを雛飾りで占めていて、家の者は狭い部屋で生活をしていた。子供たちは乳母車とか段ボール箱を提げてお菓子やみかんを頂くために「おひなさんを見せていたぁぁ・・」と、押しかけたものだった。

 

 それがだんだんとエスカレートしたために、申し合わせでやまってしまった。それを15年前から「まちおこし」ということで復活したもの。だから、初回には豪華な「引田ひな飾り」をそれぞれの家で展示したものだった。

 

 でも、近年は過疎と高齢化によるものか、展示の方法も変わってきたし、展示場所も減ってきたように感じた。

 

 こういう懐かしいラジオやテレビを並べたり・・・

 

 こういう骨董品を並べたお店もあるし・・・

 

 こうした石を積み上げ、貼り付けた精巧なひな人形まで登場した。この地には戦国時代後期の天正15年に生駒親正が引田城を築いたことがある。そのことを表現してあるとのこと。

 

 はまぐりとわけぎの飾り物。ともに子孫繁栄を願ってのものらしい。

 

 お昼は、かきあげうどん、450円を食べた。昨年はおいしいと思ったが、今回の感想はない。ま、開店直後だったからかも知れない。今日は全体の雰囲気を感じるために行ったようなもの。

 

 帰り道、湊川の土手沿いを走ってみた。木によってはきれいに咲いているものもあるが、全体的にはまだまだつぼみが多かった。

 

 早くも「お花見」をしている家族連れがあった。

 

  今日の掲示板はこれ。「まっすぐな木はまっすぐ使え 曲がった木は曲がったまま生かせ」という、いつもの荒了寛さんの言葉から。大工さんの基本中の基本の言葉。「上下を逆にはするな 木目を生かせ」。それは人間にも同じだろうし、金属でも同じ事かも知れない。しかし、世の中には不遇な人がいるもので、曲がった木は役に立たぬと捨てられてしまう。二宮忠八もその一人。「戦時中だから・・」と、言われ、「衛生兵の考えることではない」と却下もされた。ようやくに自費で飛行機を作り上げた時、すでにライト兄弟に先を越されていた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


生かされて 野生の蕗に 安堵する

2017年02月24日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、瀬戸内側では気圧の谷や寒気の影響で概ね曇りで、午後からは高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3.9度から9.1度、湿度は80%から64%、風は2mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の25日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 なんとなくあたりは春めいてきたように思う。ま、三寒四温などという時期がやってくるのだろうけれど。

 

 図書館で借りてきた「長尾町史」から娘遍路やお接待、へんろみちなどを調べていたら・・・

 

 こういうお坊さんが目についた。四国霊場87番札所、長尾寺さんの十五代住職を務めた「村岡俊嶽大僧正」さんである。

 

 これが、その村岡大僧正のお墓である。

 

 お墓には、こんな文字が刻んである。つまり・・・、村岡俊嶽師は、明治十一年南鴨村(多度津)村岡亀太郎の二男に生まれ、のち長尾寺に入り高田俊興の弟子となり、ついで第十五世住職となった。日露戦争で中絶していた大会陽を復活し、

 

 同四五年から大鏡力もちをはじめ境内南にあった墓地を現在地に移転し、

 

 境内を拡張して、参道に石を敷き、大師堂を再建し、

 

 客殿を修復するなど寺の面目を一新したほか、天台宗三井寺の要職も兼ね、四国霊場会、郡仏教会の役員や会長をつとめ長尾寺および仏教界の興隆に著しい貢献をした。また、自蔵園楠蔭と号して俳借をよくし、ことに長尾俳壇の中心として、いまにその流れを汲む者山下抱月をはじめ数多く、その命日には楠蔭忌として句会が続けられている。昭和三二年三月五日八〇歳で入寂。庭園には、「春風や 人あるかぎり いろは歌   楠蔭」という句碑がある。

 

 境内には大僧正の「頌徳碑」が建てられている。

 

 この門は、高松市栗林公園の北側にあった正門として、廷享年間に建築され、カイの口御門と名付けられた。「カイの口」とは、中国語で幽谷への入口を意味する。大正2年この門が改築されることになった時、当時の長尾寺村岡俊嶽僧正が門の原型をそこなわないという約束で払下げをうけ、忠実に再現したもので昔は長尾寺の正門であった。

 

 帰り道、ふと、思いついて、町内にある「雨滝自然科学館」に寄ってみた。この施設は、雨滝森林浴公園内にあって、自然の中で文化・自然が学べる体験型環境学習施設。室内外で自由に活動できるので、子供たちが主体的に五感を使い、楽しく遊びながら歴史文化などを学ぶことができるもの。

 

 少し前にテレビなどで紹介されていた、「シロナマコ」である。幸せを呼ぶかどうかは定かでないが、10万匹に1匹の割合で突然変異で現れるものらしい。近くの津田湾で捕獲され、寄贈されたものである。

 

 正式名称は「マナマコ」と言うらしい。こうした突然変異は白ヘビや白カエルのように他の生物でも現れるらしい。

 

 ここの、この水槽には、この四種類のナマコがいて、三年前に捕獲されたシロナマコも生きて動いていた。

 

  今日の掲示板はこれ。「いちばん身近な人のおかげが見えないようでは幸せにはめぐりあえない」という町内の善楽寺さんの掲示板にあった東井義雄先生の言葉から。東井先生が二十五歳の時、ある児童の質問のおかげで、自分の力で生きているつもりだったが、生かされて生きていたことに気付かれたそうだ。これが東井先生の第二の誕生であるといわれている。これを機に、ものの見方が変わった先生は後年、「同年輩や若い後輩の先生方にずいぶん育てて もらった。」「人格、識見、実力ともに抜群な教頭先生に恵まれ、ゆるしてもらいカバーしてもらったおかげで(三つの学校の校長として)勤めることができ た」と述べられている。また、いくつかの書物でも身近な人の恵みを語っておられる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春の風 ぐうたら午後を 見て通る

2017年02月23日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で曇り、弱い雨の降っている時間帯があった。気温は13.0度から10.4度、湿度は90%から70%、風は2mから7mの西の風が一時は強かった。明日の24日は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇りとなるらしい。

 

 雨だ、寒いぞ・・・と言いつつ、北海道から送られてきたチューリップが葉っぱを伸ばしている。春は静かにやって来ていると教えられた。

 

 さて、昨日から続けてきた「おへんろつかさの会公式ホームページ」だが、どうにか形になってきた。で、なんで、突然にホームページを作り直すことになったかと言えば・・・。

 

 こういうチラシやポスターを、ホームページに添付したい・・という会長からのオーダーである。今までのSP版では、こういうファイルを貼り付けることができないように思う。やればできるのかも知れないのだが、その方法がわからないし、とにかく、更新したソースデータがどこに格納されているかがわからないのが最大の問題点だった。

 

 で、基本的な「クラシック版」というものに乗り換えた訳だ。で、こうしたファイルをpdsファイルに変換して貼り付けた訳だが、パソコン側ではちゃんと見られるのに、送信すると、「ファイルが見つかりません」というエラーメッセージが出てくる。

 

 で、あれこれとやってみたが「file not found」ばかりが出る。確かにファイルは送信されてサーバー上にあるのに、ないと仰るのだ。おかしい・・。

 

 何気なく、取説を眺めていたら・・・「ファイル名は英数字小文字・・・」という語句が見えた。ファイル名を見てみたら、「H29-おへんろ-ルンルン春遍路♪大窪寺~切幡寺・・・」 それじゃぁ、ダメじゃん、春風亭昇太。簡単な記号にリネームしたらすっと表示された。

 

 一つ、会長からの宿題が片付いたので、やる気スイッチの切れたまんまになっていた「娘遍路」のスイッチを入れた。

 

 図書館で借りてきた本を並べてみた。

 

 嫁入り前の女性も一度は遍路を体験しなくてはならないという習慣は、江戸時代から戦前まで各地に見られた。昔の人の話によれば菜の花の咲く三月の初め、赤色の錫杖を持った老人の「先達」に連れられた十数名の娘たちが遍路道を歩いている姿は、四国の春の風物詩であった。とくに目を引いたのは、毎年訪れる腰巻き、手っ甲、脚絆、手拭い、などもすべて藍色に染め抜いた揃いの遍路姿をした「讃岐の伊吹島の娘遍路」や、伊予ガスリを着た、「宇和島の娘遍路」の一団だったそうである。

 

 しかし、こうした娘遍路も、昭和16年を最後に途絶えてしまった。太平洋戦争に突入してからは遍路どころではなかったし、物資がなくなればお接待もできず、また、受けることもままならず、四国遍路は衰退してしまった。終戦後、四国遍路は復活したが、なぜか、娘遍路は復活しなかった。そこにはどんな事情があったのだろうか。そんな研究である。

 

 昨年の10月、つかさの会の渡邊会長から、「娘遍路についての論文を提出せよ」とのオーダーを頂いた。この笠に「さ」の字を入れたものは讃岐の国の伊吹島の娘遍路である。伊吹島というのは観音寺市の西にある小さな島で、「イリコ」で有名な島である。昔は、嫁入り前の修養として、みんな、四国遍路に出たものだという。後方に二人の男性がいるが、会計・宿取り・納経取り・護衛警護役と先達も兼ねていた。

 

 これを3月18日までに完成しなければならない。もう、三週間ほどしかない。

 

 最近の時間の流れの速さに戸惑うばかりだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分に問うてください。一度きりの人生を どのようにいきていくのかを・・・」というもの。人間の生は、無目的ではあっても、無尽蔵ではない。タイムオーバーの存在する、束の間のものだ。しかも、いつ寿命が尽きるのか自分では判らない。そういう危うい条件のもとで自分の生が成立していると自覚すると、この一回きりの人生をどう料理してやろうか、死ぬまでの束の間をどのように過ごそうかという発想が生まれてくる。無目的に、たまたま生きているという巡り合わせを、どのように取り扱うのか?明日死ぬかもしれないとして、今日をどのように生きるのか?もし、あと十年ぐらい生きられるとしたら、その十年を使ってどのような事をやりたいのだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


草萌えて 確かな明日が 見えてくる

2017年02月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、はじめ晴れたけれど、湿った空気や前線の影響で次第に曇り、夜遅くには雨が降る見込みらしい。気温は0.4度から10.2度、湿度は96%から63%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。明日の23日は、湿った空気や前線の影響で曇り、朝までは雨が降るらしい。

 

 朝の犬の散歩に行ったとき、お参りの人が、「今日は飛行機がよく飛んでいるのねぇ・・」と言っていたが、確かに今日の飛行機雲は多いなぁと見ていると、どんどんと飛行機が飛行機雲を引きながら飛び交っていた。

 

 いつもは見えないので気がつかないだけで、こんなにも飛行機が飛び回っているんだ・・・。こんな雲が出ると、天気が悪くなるのだそうだ。午後からはすっかりと曇ってきて、今夜から明日の朝にかけて雨になるらしい。

 

 さて、昨日、会長から頂いた宿題の「公式ホームページ」であるが、はてさて、どうしたものかと頭を痛めていた。白紙から作るのも面倒だしと、テンプレート(ひな形)を開いてみたが、帯に短し、タスキに長し・・・と、あれこれとやってみたが、ぴったりのものはない。

 

 今度は、私のHP更新に使っている「ホームページ・ビルダー21クラシック版」での作業になっている。

 

 今の「おへんろつかさの会公式ホームページ」を開いて、各ページを、名前をつけてファイルを保存する。そのテキスト文をコピー&ペーストで、新様式に張り込んでいく。画像もファイルから引き出して再用する。

 

 すると、こうしたページができあがる。

 

 こうして、次々とページを作り込んで行く・・・。

 

 ということで、夕方までに一応のページはできた。明日あたりに細部をチェックして組み上げてみたいと考えている。慌てることではないので確認しながらの作業になる。

 

 一応は、それらしくできていると思うのだけれど。でも、これで完了したみたいな気分になって、忘れてしまうことが多いので明日中には完成させておかないと。

 

 湊川の河津桜も少しずつ。今年は暖かいと思うのだけれど、開花はまだまだのよう。

 

 いつもはたくさん生えてくる、お隣さんちのふきのとうも今年はこんなもの。いつもならば、たくさんのふきのとうが生えている時期なのに、今年は微妙。

 

  今日の掲示板はこれ。「いつも二つの道がある ここでやめるか ここからはじめるか」というもの。感動書家・風間宗佑の言葉から。私たちはいつもこんな問題を抱えている。生きるのか、生きるのをやめるのか。食べるのか、食べるのをやめるのか。前に行くのか、やめるのか。本を読むのかやめるのか・・・。その選択の歴史が私たちの人生だ。でも、その選択をふっとやめてみたら、どんなにか楽だろうなぁと思ったりする。全てを「一如から来るものにゆだねる」。そんなことができたらいいなぁと思ったりする。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


悔いもあり 未練も残し やぶつばき

2017年02月21日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は冬型の気圧配置が緩んで、概ね晴れていた。気温は4.6度から8.9度、湿度は68%から57%、風は4mから6mの西北西の風が冷たかった。明日の22日は、湿った空気や前線の影響で次第に曇り、夜のはじめ頃から雨が降る見込みらしい。

 

 なんか久しぶりのような気がするが、今日は確かに全国的にも火曜日の筈。いつもの前山活性化センターに出勤した。

 

 いつもの研修室に入ると見慣れないものがずらりと・・・。これはお遍路さん用の「お数珠休憩所」の模型。

 

 これは「ぱちぱちまんじゅう」・・・というお菓子の模型。香川県立高松工芸高校の三年生40人が一年をかけておへんろのお勉強をした結果の作品集らしい。ガイドブックもあれば納経帳やお遍路日記などもかわいく仕上げてある。「ぱちぱち」というのは「88」を、そう、読み替えたもの。

 

 中はお寺の案内などの情報も満載・・・。

 

 おへんろはファッションからと、白衣や輪袈裟もかわいく作ってある。おへんろポストカードやおへんろカレンダーもあった。さすが、工芸高校の作品だなぁと圧倒された。

 

 こういう作品展示をやっている。前山の「おへんろ交流サロン」にお立ち寄りの際には、ぜひとも研修室ものぞいて欲しい。

 

 さて、俵札の整理も大詰めに入ってきたが、女性陣は春のイベントのチラシを送付するお仕事をやっている。

 

 多田先生は護符などの資料を画像に取り込んでいる。中島先生は、その資料の確認と整理。これが終われば、四月からの展示の準備に入ることになる。

 

 私は、こういうチラシをホームページに添付せよと言われたのだが、SP版では、そのようなことができるだろうか。そろそろ、クラシック版に移行する時期かも知れない。

 

 現在の「おへんろつかさの会公式ホームページ」は、このようなSP版というもので作成され、更新されているが、更新データは特殊な場所に保管されていて、取り出したり、コピーしたり、共有することができない。

 

 確かに初心者には簡単で便利で、何も知らなくてもホームページが更新できる。しかし、このようなグループや団体などでは特定の個人だけに負担がかかってしまう。

 

 そこで、SP版のものを、クラシック版で使おうとすると、同じ会社の同じHPビルダー21なのに共有はできそうにない。つまり、最初から作り直さないといけないみたい・・・。困った困ったこまどり姉妹・・・。

 

 なんとかならないかと、分厚いマニュアルを開いてみたけれど、大きな池の中でメダカを捕まえるようなものだ。参った参った、マイケルジャクソン。

 

  今日の掲示板はこれ。「いがみ合うとおがみ合う 一字違いの大違い」というもの。いつもの「赤松先生」のお寺にあった掲示板。「いがみ合うとおがみ合う 一字違いの大違い」というもの。確かに・・・いがみ合うと拝み合うでは大きな違い。いがみ合うのは簡単だけれど、拝み合うのは難しい・・・。心して、拝み合うことができればいいのだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


すぐそこに サザンカがある 野の仏

2017年02月20日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響により曇り、昼過ぎからは雨が降ってきた。気温は5.2度から15.9度、湿度は79%から64%、風は1mから7mの西北西の風が冷たかった。明日の21日は、冬型の気圧配置となり、はじめは曇るけれど、次第に冬型の気圧配置も緩むため、昼前からは晴れる見込みらしい。

 

 懸案の「確定申告」をやっておかないと・・・ということで、税務署にやってきた。ここは9時からだと聞いていたので、9時ちょうどに着いたのだが、早くも駐車場は満車状態で、かろうじて、車いす用スペースを指示されて駐めることができた。

 

 9時過ぎには早くも10人が処理中。私は21番目という。それで1時間待ちだと表示されている。

 

 私は現役の頃の、「年末調整」というものが大嫌いだった。社会保険の証明書とか必要な書類を集めるのが面倒だったし、母の年金改定書とかがいつも行方不明になったし・・。特に数字が大嫌いだったもので、いつも総務担当のお姉さんたちから叱られたりもした。

 

 9時50分になって、ようやく順番が来て端末の前へ。こういうものも苦手なので、以前には奥方に任せていたんだけれど、ケアマネになってからは休めないとかで私の当番になった。

 

 それでも15分ほどかかって投入が終わったが、47万円もの医療費を支払ったのに、還付される金額は、わずか3万8千円ほど・・・。昨年よりも少ない・・・。

 

 お手伝い頂いたおねえさんに調べて貰ったら、奥方の給料が多くて、扶養者控除が削除されたものらしい。奥方は自慢そうに源泉徴収票を出してきたんだけれど、これが逆に「やぶ蛇」になってしまった。

 

 ま、毎年、なんだかんだと問題になる「医療費控除」も、そんなことで終わってしまった。

 

 やれやれ・・ということで、久々にお風呂に入ることにした。2月の行事は毎週火曜日の「俵札調査」だけで、後は何もない。

 

 こんな日でも利用者は多い。特に70歳以上のお年寄りが多い。一人暮らしだと、410円で利用できるこちらが安くて便利なのだとか。私ら一般は610円。

 

 私は心臓が悪いから長湯はできない。さっと浸かって、さっと洗ってすぐに出るタイプ。あの蒸し暑いような蒸気がどうにも我慢ならないのだ。

 

 今日のお昼はおうどんになった。

 

  今日の掲示板はこれ。「なんでもないこと どうでもいいこと 得にならないこと それを大切にする時 人は美しくなる」というもの。これも赤松先生のお寺にあったもの。私の研究や調査は、それこそ「なんでもないこと」、「どうでもいいこと」「得にならないこと」ばかり・・・。レキの墓研究でも、咸臨丸乗組員のお墓探しで も、二十四輩さん研究でも、法然上人の足跡探しでも、お遍路さんの納め札調査でも、それで誰かが幸せになることもないし、生活が豊かになるわけでもない。そんな「どうでもいいこと」「得にならないこと」を大切 にしてはいるのだけれど、それで「こころが美しくなる」訳でもなく、「生活や身なりが美しくなる」訳でもないのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雨水過ぎ 川穏やかに 日曜日

2017年02月19日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5.4度から10.9度、湿度は82%から60%、風は1mから3mの西北西の風が冷たかった。明日の20日は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方は雨が降る見込みらしい。

 

 ご案内の通り、昨夜は母の祥月命日ということで、兄弟たちによる「飲み会」が行われた。メンバーがそろうと、仏間でのお勤め。みんなで正信偈を拝読する。

 

 その後は、兄弟三人にいとこと娘、それに義兄と奥方の7人の食事会になった。この会では、自分の飲みたいものを持ってくることになっているし、特に食べたいものがあれば持ってくる。

 

 義兄と奥方はおこたでの食事と歓談。特別に外泊が認められている。

 

 やがてにはカラオケ大会になる。義兄もなんだかんだといいながら歌うのに夢中になってきた。

 

 三人兄弟での歌だが、何を歌ったのかは記憶にない。なにせ、午前0時まで歌っていたらしい。

 

 次男の「よっくん」はマイクを握ったら離さない。カラオケにないものは、自分のパソコンを持ってきてテレビにつないで歌い続けるのである。

 

 で、朝の7時前に、みんな蜘蛛の子を散らすように帰って行ってしまった。義兄も朝食が終わると奥方が送って行った。残った私は、恒例の「集落内パトロール」をしながら、一人暮らしのお年寄りに、お風呂に入るときの「ヒート・ショック」について注意するようにお願いもしながら・・。

 

 その後は、おへんろつかさの会のホームページに、三月、四月、五月の行事予定や、そのお知らせを追加更新しておく。

 

 このHPは、ホームページビルダー21のSP版というもので作られている。

 

 続いて、それを、私のホームページの行事予定ページにも反映させておく。

 

 こちらは、同じくホームページ・ビルダー21のクラシック版で作られている。

 

 このホームページ・ビルダは元はIBM社の製品だったのに、いつしか日本のジャストシステム社のものになっている。どんな経緯があったのかは知らないが。

 

 今日の掲示板はこれ。「再び通らぬ一度きりの尊い道をいま歩いている」という榎本栄一先生の言葉から。「一年は短いが、一日は長い」とはだれかの言葉であるが、その長い一日でも、一分一秒ずつ年をとっているのである。どこかの女優さんが「一年が一千万円で買えるなら、私、買いますよ」と言ったそうだが、お金を出して買えるものでもないし、女優だから、それができるという訳でもない。毎日毎日、明日がある、明後日が あると思って、ついうかうかと過ごしているのが私たちである。しかし、いずれにせよ、お互いに「再びは通らぬ一度きりの尊き道をいま歩いている」というわ けである。ややもすれば、いやなことは避けて通り、毎日、おもしろおかしく、押し流されているとも言えるのだが、尊いいのちをいただいている自分自身の本当の姿に気づいて、自分をみつめ直すことが求められているのではないかと思われる今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


追憶の 時間ばかりや 落椿

2017年02月18日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、概ね曇っていた。気温は5.6度から12.4度、湿度は88%から60%、風は1mから6mの西北西の風が少しばかり。明日の19日は、冬型の気圧配置が緩み、高気圧に覆われてくるため、概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は母の五回忌を行うらしい。本来ならば親戚一同に連絡して・・・というところなのだが、近年の事情で兄弟だけのささやかな法要にした。最近は、どういう訳だか、親戚筋でも法事奉賛にお呼ばれすることがなくなった。お葬式のご案内はあっても、その後は何もない・・という親戚が増えた。

 

 まずは、義兄を施設までお迎えに行って・・・。

 

 高松市牟礼町にある「牡蠣屋」さんに行って、むき身や殻付きのものなどをどっさりと買った。

 

 その後、さぬき市長尾にある「新鮮市場きむら」であなごなどの魚などを買った。野菜や果物も買った。仏壇へのお供え物も買った。

 

 同じく市内にある「ザ ビッグ」というスーパーでも食材とか缶ビールとかも買った。雰囲気としては、「母の祥月命日」を「縁」にした小宴会・・・という感じ。町内の鮮魚店でお刺身なども買った。

 

 おりしも、今日は母のお通夜だった日。母の希望で、「我が家で死んで、我が家のお仏壇の前で葬儀をし、我が家から送り出して欲しい」ということで、お同行さんや、会葬者には狭いところで不自由をかけた。

 

 近年は、葬儀会館やホールでの葬儀になってしまっている。でも、「母の遺志だから」ということで押し通してしまった。少し前ならば、当たり前だった「自宅葬」。祖母も父も自宅から送り出したものだった。

 

 ところが、夜半から雪が降り始めて大騒ぎになった。盛り籠のお供え物やお生花などを家の中に入れなければならなくなった。狭い室内がさらに狭くなった・・・。

 

 そんなことを思い出しながら、お仏壇の準備。

 

 お昼からは、さぬき市の広報を会員さん宅へ配達してきた。この広報に、私の担当するおばあさんが亡くなったと載っていた。たしか、一ヶ月前には元気だったのに・・と、その集落の自治会長さん宅へお伺いしてみたらば、その直後にお風呂で亡くなっていたのだとか。またしても、「ヒート・ショック死」だった。これで三人目だ。一人暮らしで、息子さんが気がついたのは数日後だったとか。

 

 今夜はまた、こうした兄弟だけの小宴会になって・・・

 

 こうしたカラオケ三昧になることだろう。

 

  今日の掲示板はこれ。「二度とない人生 一日一日が宝です」というもの。未来のために現在があるのではないし、現在のために過去があったのでもない。明日のために今日があるのではない。老後のために青春があるのではなく、大人になるために子どもがいるわけではないのである。それぞれが初めての今日、私の今日を生きているのである。かけがえのない今日を生きているのである。悔いることのない、輝ける今日でありたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春雨や 路頭に眠る 娘あり

2017年02月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は湿った空気の影響で曇り、夕方には雨が降る見込みらしい。気温は7.6度から15.7度、湿度は84%から79%、風は1mから5mの西の風が一時は強かった。明日の18日は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇るらしい。

 

 朝から雨になっていた。本来ならば雪になるはずの雨だろう。母の命日が2月の19日。この日はどか雪で会葬者も我々も大騒ぎをしたことだった。市の斎場にも雪で上れないとかと騒いでいたし、向かわれも、三回忌も雪の日になった。そういう時期だった。

 

 今年は暖かいので雨になったらしい。雨だから、確定申告に行こうかどうか迷ったあげく、最初は混むから来週にしようということで・・・・

 

 香川県立図書館に向かった。借りていた本を返却しておきたいと考えたからだ。いつ、心臓が止まるかもしれないので、用事が済んだものは、早め早めに返却しておこうと考えたのだ。

 

 駐車場はがらがらだったけれど、館内にはけっこうな利用者さんがいる。

 

 おじさんたちは新聞が好きだなぁと思う。職場でも経済新聞からスポーツ新聞まで多種多様な新聞があって、みんなはむさぼるようにして読みふけっていたものだ。私は一切、新聞は読まない。

 

 で、五冊の本を返却して五冊を借りた。別に十冊でも十五冊でもいいのだが、そんなに借りても読めないので借りない。私はさぬき市の観光ガイドだから、歴史や民俗などを勉強している。特に「仏教民俗学」的なものに興味がある。

 

 さぬき市は2002年の平成の大合併で、旧大川郡8町の内の西部5町(志度町・津田町・長尾町・寒川町・大川町)が合併して生まれた市だから、まだ、「さぬき市史」というものはない。

 

 こんな田舎の小さな村でも、調べてみればすごい歴史の上に成り立ってきたのだと知らされる。郷土は歴史の宝庫だとも言える。

 

 昨日は病院代と薬代とで四万円弱を使ったので、今日はささやかにラーメンで昼食。ま、」これだけではないのだが。

 

 さて、午後から、担当区域内のパトロールをやっていたら、こんなものを見つけた。これは人がしゃがんでいるところ。「もしもし、病気ですか?苦しいのですか・・」と、声を掛けたら眠そうな顔・・。眠たいからと言って、こんなところで寝ていたら車にはねられる・・・。

 

教育的指導でお帰りを願ったが、その後、どうしたやら。近くの自治会長さんに確認しても曖昧な情報しか頂けない。「言いたくないことは聞いてはいけない」のだが、市の福祉課に相談すべきか、地域包括か・・・警察か・・。今日の日誌はどうしよう・・。

 

 それと、誰もいない筈のおうちの乗用車が昨日はなかったのに、今日はあった。ここのご主人は入所中・・・。誰が車を運転しているんだろう・・・。

 

 さぬき市の広報は、毎月20日発行ということになっている。だから、前日の19日に自治会長宅に配達される。ところが、今月と来月は19日が日曜日のために、今日の17日に配達された。これを仕分けしたのだが、配達は日曜日の19日にしよう・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「それもこれも みんな当たり前だと思った時から 私の不幸は始まる」というもの。いつもお世話になっている町内の善楽寺さんの掲示板から。

自分の今の幸運を、
当たり前と思った時に、
不運は始まる。

自分と付き合ってくれている人が、心優しい。
そのことを当たり前と思った時に、
不幸は始まる。

気がついた時には、
酷い人に囲まれている。

自分のことを良くしてくれる人がいる。
それでずにのった時に、
地獄の入り口にきている。

一度去ったその人は、もう戻らない。
なぜなら、
その人は、さる前に、できる事を精一杯しているから。

(加藤諦三 金のたまごを生むから)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


菜の花に 今日の重さを 確かめる

2017年02月16日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷や湿った空気の影響で曇るらしい。気温は3.1度から14.1度、湿度は96%から62%、風は1mの西南西の風が少しばかり。まるで春になったかのような一日になった。明日の17日は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方にかけて雨が降る見込みなのだとか。

 

 今日は月に一度の県立病院での予約診察日なので、ゆっくりと出たのだが、病院の手前で忘れ物をしたことに気がついた。

 

 この、血圧や脈拍を記録した用紙である。これを毎日記録するようにと言われているもので、これを忘れたら記録にならない。すぐさま引き返して用紙をつかんで病院に向かった。

 

 9時30分過ぎに病院に入って、レントゲン検査室にファイルを入れたらすぐに呼ばれて検査室に入った。

 

 胸のレントゲン撮影だからすぐに終わった。

 

 中央処置室という採血室の前に座ったとたんに番号を呼ばれた。採血もスムーズに終わり、採尿も終わった。

 

 すると、すぐに「中待合」にすすめという表示が・・・。ま、ここで、数分は待たされたけれど、10時前にはドクターの診察が始まった。

 

 こんなことは初めてだ。だいたい、血液検査には1時間はかかると聞いたのに・・。だから、今日は30分ですべてが終わったことになる。

 

 やはり、胸に水がたまっているという診断。で、無呼吸用のマスクを着用してみないかと言われたけれど、それは何度もお断りしている。そしたら、来月は「栄養指導」が用意された。

 

 会計処理が終わって時計を見ると、まだ、10時5分。いつも、こんなに速いといいのだけれど。

 

 帰りに調剤薬局で薬を受け取って我が家に戻った。

 

 今日のお会計・・・。合計3万9020円。少ない年金受給者にはきついお値段である。

 

 どうにも、胸が苦しい・・と、薬箱を開いてみると、今朝の朝食後分を飲み忘れている。以前には三日くらい薬を飲まなくても平気だったのに、どうやら、これは重傷化しとるのかも知れない。

 

 90や80歳の人ががんばっているのだから・・と、ドクターは言うのだが、そんなに長生きしても仕方がない。やりたいことはやってきたし、好き勝手な人生を過ごしてきたのだから、思い残すことは何もない。

 

  今日の掲示板はこれ。「こんなはずではなかった と言って終わるか これでよかったと言える人生にするか それが仏法」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあった言葉から。人は死に直面して、はじめて過去の自分の無意味な生き方に気がつくのである。それまでの自分は、家族を守るため、お金を貯めるために生きてきて、「幸せ」 という夢想を埋めるためのものでしかなかった。自分で生きていなかったということに気がつくのである。「こんなはずではなかった・・・」その思いは、「自分だけは大丈夫」だと思い込んでいるために起こるのではないのか。そんな私たちに対して、すべての物事は必ず移り変わるということを、仏教では「無常」と 教えてくれているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


うすごおり 踏む毎日の いとおしく

2017年02月15日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は2.2度から12.2度、湿度は88%から60%、風は2mから3mの西の風が少しばかり。明日の16日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 よい天気の日には布団を干しておく。でも、これが大仕事。おなかに水がたまるものだから、うつむいたり、重い物を持つと心臓を圧迫して苦しくなる。布団を持ち上げるということが苦しいのである。

 

 その後は部屋を片づけて掃除機をかけておく。

 

 今日は年金支給日ということで、銀行とJAさんと郵便局とで一斉記帳したり、週末の母の五回忌用に現金を引き出したりするが、皆さん、同じようなことで、どことも大混雑。その合間に、87番札所の長尾寺さんに今日もやってきた。

 

 今日のターゲットはここ。自在天堂という建物である。自在天というと、ヒンドゥー教のシヴァ神を思い浮かべがちだが、ここはちと違う。ここは、「天満大自在天神」ということで、菅原道真公の御霊を神格化した神様のことである。

 

 長尾寺の鎮護神として、境内の西側に、こういう建物がある。

 

 で、紛らわしいのだが、「自在天」と表記されている。だから、祭神は、「天満大自在天神」ということになる。なんで、ここに菅原道真をおまつりしているのかと言うと・・・。

 

 こういう看板が立っている。平安時代、当長尾寺に明印という名僧がいた。讃岐国司であった菅原道真公と親交厚く、延喜2(902)年、道真公が九州へ左遷のときに志度浦に出て「不期天上一円月、忽入西方万里雲」の詩を贈って心を慰めた。公もまた詩と自画像を明印に与え別れを惜しんだが、後にこの古事により、宝永7(1710)年、天満自在天神宮として建立、当山鎮守として祀られている。

  

 祭事としては、1月25日の初天神祭で、併せて筆供養お焚きあげが厳修される。これが「筆塚」である。

 

 元慶( 877- 885)年中、菅原道真公の知識と言われた明印法師もこの寺に往持した。師、はなはだ博学多通にして、そのほまれは帝都にも達した。

  

 菅公筑紫左遷の砌、志度房崎の沖に、小舟でこぎ寄せて「不期天上一円月。忽入海西万里雲」という詩を贈り、公は幼時の自画像を呈せられ自在天堂に祠る。さらに屋島寺の覚遍法師等々名匠・硯徳相次いで往持した。

 

 ということで、丸瓦には「梅」の紋所、四隅の角には牛の焼き物が載っている。

 

 普段には何気なく通り過ぎる風景の中に、思いもよらぬ歴史が横たわっているものである。今度のガイドの時の話題に追加したいものである。

 

  今日の掲示板はこれ。「老病死は自然である その老病死する事実に向き合わず逃げ回っている我々の姿を無明という」という、赤松先生のお寺にあったことばから。生まれたいのちは、その瞬間から「老病死」を抱いて生まれている。それが全てのいのちに共通する自然である。その事実に向き合わずに、自分だけは死にたくない、老いたくない、病になりたくない・・と、逃げ回っている姿を「無明」というのである。無明とは仏教語で、邪見・俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知のことを言う。最も根本的な煩悩で、十二因縁の第一、三惑の一とされている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


静けさを 春の寒さと 言ってみる

2017年02月14日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は寒気の影響で概ね曇り、雨や雪の降っている所があった。気温は2.9度から9.8度、湿度は88%から58%、風は3mから6mの西北西の風が少しばかり冷たかった。明日の15日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 冷たい小雨の降る中、恒例の火曜日は前山活性化センターへの出勤である。これは県営前山ダム湖である。その湖畔に、この建物が建っている。

 

 「パソコンのできる人、いませんかぁ・・」というので、手を上げたら、毎週毎週、ここに通うことになって、あっという間の二年間が過ぎた。パソコン作業だけだと思っていたら、ホームページも作りたい、研究資料も作りたい・・と、どっぷりと、引き込まれてしまった二年間。今年の四月からは三年目に入る。

 

 屋根裏につり下げられていた汚い俵の中には多種多様な紙くずが押し込まれていて、主要な「納め札」の調査は終わって、今は、その他の紙くずの整理の最終段階。展示できるものと、それ以外に分類中。

 

 だから、メンバーもぐんと減って、今日は男性3人、女性2人になった。私のお仕事は、ほぼ、ない。単に、ホームページ用の資料の確認と打ち合わせくらいなもの。

 

 これは何かとよくよく見れば、「熊野三山」の護符で、八咫烏(やたがらす)だという。カラスで何かの字を書いてあるんだろうか・・・。

 

 私は日曜日に見た、この句碑が気になって仕方がない。「春風や 人あるかぎり いろは歌」と刻まれている。長尾寺と「いろは歌」の関係を聞いてみたが、誰も知らないという。

 

 現地に行こう、現物にさわろう・・・ということで、冷たい風のながれる中、87番札所長尾寺にやってきた。長尾寺の住職は9代宥意阿闍梨という近郷まれな高僧であった。宥意は静御前とその母磯野母子の上品さとなにか哀愁のある巡礼姿に気をうばわれて、庫裡に招いて悩みを尋ねた。

 

 事情を聞いた宥意が二人に諭したのは「いままでの出来事をすべて忘れて、いまから新しい人生の道をたどるのが最良」と語り、更に"いろは歌※3"を示して仏教的な無常観を解説した。 母子は虚心坦懐な気持ちになり得度剃髪を懇願した。と、この看板に書いてあるではないか。※3 いろは歌は、作者不明の七五調四句の手習い歌の一つである(空海の作は誤り)。仏教信奉者は無常偈の意味があると説明している。

 

 得度して静は〔宥心尼〕、磯野禅師は〔磯野禅尼〕と名乗るようになった。 剃髪した髪は本堂の近くに葬り石を重ねた。いまも護摩堂の前に〈静御前剃髪塚〉があり、凝灰岩の五輪塔のようなものが残っている。これが、長尾寺に安置されている「宥心法尼」、俗名「静」の位牌である。

 

 1191年11月20日 磯野禅尼が長尾寺でお参りを済ませ、薬師庵へ帰る途中、井戸川(鴨部川)のほとりで老衰と寒さもため倒れ、命を落とした。 69才であった。

 

 井戸川橋畔に磯野禅尼の墓があったが、1937年の県道改修工事のとき現在地に移転された。墓石の前に花崗岩の自然石で〈磯野禅尼之碑〉と刻まれた石碑が建っている。

 

 この小さな石碑が磯野のお墓である。家に戻って、養成講座の資料を開いてみると、そのくだりは、ちゃんと資料の中に印刷をされていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「占いに 迷い一層 深くなり」というもの。新年を迎えて、神社仏閣のお参りや 今年の運勢を見るために占ってもらう人が多かった。占いはこの「迷」があるから占いに走るという。一般的な迷いのほとんどが、お金や病気、仕事のこと、愛または欲かも知れない。迷いの「迷」は、「米」の八方に引かれた線が方向を表し、しんにゅうの「辶」は走るという意味で、行き先や方向がが分からず、とにかく四方八方に走り回ことを差していることらしい。私もそうだったけれど、お酒を呑む人が その店で満足せずに、次の店に、また、次の店に行くように、占いも、次から次へと「占いのはしご」をするものらしい。おみくじが気に入らないと言って、次から次とおみくじを引く人が居るようなもの。でも結果は、ご自分の中にすでに決めていることがあり、自分に納得できることを求めているからなのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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