まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

年の暮れあなたまかせの風がゆく

2020年12月31日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、強い冬型の気圧配置のため概ね曇っていた。気温は2度から5度、湿度は86%から58%、風は4mから7mの西の風が一時は強かった。明日の1月1日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置が続くため概ね曇る見込み。

 

 112/54/78 36.7c-96% 63.4Kg 20.4c-37%-1017hPa 体調に変化はない。

 

 昨夜、寝ようとベッドに入ったら、雲間から満月が見えた。これが話題の「コールドムーン」かと、一眼レフカメラを取り出したら雲間に隠れたり、出たと思ってカメラを向けると、こんな満月になったり。あげくにはカメラの電池が切れてしまったり。

 

 ようやく撮れたかなぁと思うと冷えすぎて身体がガタガタと震えだした。このコールドムーンというのは、ネイティブアメリカンのモホーク族による呼び名だとされている。呼び名の理由は、寒さがより厳しさを増すシーズンの到来を意味する満月だからだそうだ。ちなみに一月の満月は「ウルフムーン」というのだそうだ。

 

 お仏壇のお花も入れ換えたし、おロウソクも交換しておいた。

 

 廊下のお花も奥方が入れ換えてくれた。これでお正月さが増してきた。

 

 私のダイアリーも今日で書き納め。今年もいろんなことがあった一年だった。1月は香川大学医学部付属病院での年明けになり、生死をさまよいながら救命救急センターのICUにいた。2月にはペースメーカーの増強手術が行われたが、これ以上の治療は不可能と最後通告を受けた。こんなところでは死にたくないと自主退院をしてきた。

 

 3月には県立病院で尿道開削という手術を受けた。これでずいぶんと楽になった。4月には介護保険の申請をして要介護2をもらって介護ベッドの「お世話になった。パソコンや事務デスクも一階に下ろした。

 

 5月には右目の白内障の手術で視力は回復した。メガネも新調して世の中が変わって見えた。6月には臍帯ヘルニアのオペも受けてすっかりと元気になった。7月には草刈りや剪定作業も可能になった。まさに地獄からよみがえったような思いがした。8月には1階からPCやデスクを元の二階へ戻した。9月にはその様子を闘病記にまとめて関係者の医師や看護師に贈った。

 

 10月には余裕も生まれてガンダムのプラモデル造りにもいそしんだ。11月には奥方とフルムーン旅行で函館~指宿までを新幹線で駆け抜けた。12月にはその旅行記も完成した。

 

 強風で荒れた芝生広場の掃除もできたし、

 

 玄関周りの落葉も片付けておいた。特にお正月という意識はない。子どもの時のようなわくわく感もない。

 

 奥方のおせち料理もできたみたい。奥方には奥方の仕切りというものがあるらしい。奥方は明日の1日もお仕事で出勤する。

 

 今日のお昼はしっぽくうどんになった。ニンジンを入れ忘れているみたいだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」という小林一茶の俳句から。浄土真宗の門徒の家に生まれ、念仏者としても知られる俳人小林一茶の句である。「ともかくもあなたまかせ」と阿弥陀如来の救いにすべてお任せしている私だから、この人生は、何があっても心配のない人生だというのである。つまり、ただ人任せにして何もしなくていいというのではなく、自分の命の帰る場所を心得え、本当におまかせのできる救いをしっかりと心に持っているからこそ、どんな苦しみや悲しみに出合っても、人生を安心と安堵の中に生きていけるのである。思うようにならない人生だからこそ、悲しみや苦しみの尽きない人間だからこそ、自らの力に頼るのではなく、如来様のご本願にお任せをしていくのが、本当の念仏者であろう。年の暮れに一年を振り返った時、たくさんの方々のご援助、ご協力ご尽力のお蔭で、今の私が生きている事への感謝と、いつでも私の傍で、浄土へ生まれていく道を照らし続けていてくださる、阿弥陀如来への報謝のお念仏とともに、新しい年を迎えていきたいものである。

 

 ねがわくは、この如来の呼び声が、あらゆる人のこころに届き、大いなる励ましとなり、ともに命を輝かせ合う、よろこびの世界に集えますように・・・(Anカレンダー)

 

 じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

 


黙々と一年の行く年の暮れ

2020年12月30日 | 時には日々是日

 さぬき市地方、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、雨や雪の降っている所があった。夜には雪の降る所がある見込み。気温は9.5度から1.1度、湿度は96%から60%、風は3mから11mの西風が強くなってきた。明日の31日のさぬき市地方は、強い冬型の気圧配置となるため曇り、明け方まで雪が降る見込み。

 

 114/65/80 36.3c-96% 63.4Kg 22.1c-41%-1004hPa 体調に大きな変化はないが、なんだか呼吸が苦しいときがある。またぞろ水分がおなかに溜ってきているのだるか。

 

 今日は奥方がお休みなので、我が家の餅つきの日になっている。下の弟、たっくんが8時には我が家にやってきて、それからが餅つきの準備開始。付近が汚れないようにビニールシートを敷いておく。

 

 奥方が餅米をむす間に、餅つき器の準備などをやっておく。

 

 この餅つき器は旧宅でも使っていたから、20年も前から使っているようなもの。ここに餅米を入れて機械でかき混ぜる方式。

 

 すると、このようなお餅になる。旧宅には石臼もあるにはあるのだが、重たいし、すぐに餅が冷えてしまって難しいので使うことはなくなった。

 

 これを私と弟で丸めるのだが、早くしないと冷えて固まってしまうので、すばやくやるから形はきれいな丸餅にはならない。ま、品評会に出すわけではないので、形や厚さや高さなんぞにはこだわらない。

 

 で、今年も二臼のお餅ができた。1時間ほどだっただろうか。その後は後片付け。弟も手伝ってくれて30分ほどで片付けも終わって元通りの台所に戻り、11時前からお昼ご飯になった。弟はそれでお餅をおみやげに帰って行った。

 

 来年の正月二日、我が家で「正月礼」をやるのだそうだ。ま、毎年のことなんだけれど。和室は仏間と客間があるが、この時には、このふすまを外して8畳+8畳の16畳続きにしてしまう。最近は、15~16人くらいが集まっているのだが、来年は感染症対策もあってか、10人程度になるらしい。

 

 このふすまを外してしまうと、これで、16畳続きの和室ができあがった。

 

 で、奥方に手伝ってもらいながら、12人用の準備ができた。ま、何人になるかわからんけれど。

 

 早速にお仏壇にお餅をお供えしておいた。

 

 皆川さんにいただいたガンダムのお菓子もお供えしてある。そうそう、このミルキーのペコちゃんのお線香も皆川さんにいただいたものだと記憶している。

 

 夕方からは雪交じりの雨になり、西風も強くなってきた。いよいよ冬本番という風景。

 

 今日の掲示板はこれ。「露の世は露の世ながらさりながら」という小林一茶の俳句から。この句は亡くなったわが子の傍らで悲嘆に暮れる妻の姿を見て、なんとも苦しく悲しい心境を一茶が詠んだもの。ひどい喪失感を感じながらも必死でうなだれた顔を上げようと頑張っている、傷ついた人たちの切ない気持ちにも同調し訴えかけているように感じる。それは最近の感染症問題でも同じ事。この世は露のようにはかないもの。いつ何が起きるか分からない。それは充分承知の上ではあるけれど、分かってはいたのだが、それでもやはり・・・と書いて一茶は筆を置く。心の中ではどうにも諦めきれないという悲痛な叫びを痛いほどに感じてしまう。そこから先の言葉はもう出なかったのかも知れない。今年も多くの著名人が亡くなった。身の回りのあの人が、この人が・・・と、露の世ながら、さりながら・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


郵便夫思わぬお菓子年の暮れ

2020年12月29日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方には曇り、夜遅くには雨が降る見込み。気温は5.0度から13.2度、湿度は94%から64%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、明け方まで雨が降るらしい。その後は、冬型の気圧配置が強まるため、夜遅くには雪が降る見込みとか。

 

 100/59/79 36.4c-95% 63.4Kg 21.0c-42%-1024hPa 体調に変化はない。

 

 ぼけ防止、認知症予防のためにクロスワードに挑戦してみた。初級編ならすいすいと解けるが、なかなかに言葉が出て来ない問題もあるが、それはヒントの言葉が下手だからだ、と、自己弁護。

 

 でも、それにもすぐに飽きて、今度は「ジグソーパズル」に挑戦。簡単そうなのだがなかなかにうまくいかない。

 

 完成したら、こんな風になる。そう、四国八十八カ所霊場結願所の大窪寺である。

 

 でも、眼が疲れてきて、なかなかに色合いがうまく組み合わせられなくて時間が掛かってしまった。きっと、子どもの方が早いに違いない。

 

 で、今日のお仕事はこれ。明日の餅つき用の道具を、二階の物置から下ろしておくことである。餅つきは年に一回だけのこと。こういう道具も日の目を見るのは明日だけ。

 

 餅つきに必要なものを一階のリビングに出しておく。あとは奥方のお仕事になる。

 

 今日のお昼はラーメンにした。おねぎとカニカマラーメン。

 

 アレルギーでお肉が食べられないとなると、食べ物にもずいぶんと気を遣う。ハムだチャーシューもたべられないのだからあっさりとしたものになってしまう。

 

 今日はFaceBook友人の皆川さんから遅れたクリスマスプレゼントが届いた。横浜ハーバーの「ガンダム・ファクトリー」だった。ガンダムファンにはたまらないプレゼント。

 

 これはお正月明けまでお仏壇にお供えしてお仏壇のお守り役をお願いしたいもの。

 

 そうそう、ウラジロも用意しておいた。

 

今日の掲示板はこれ。「運命は神の考えることだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ」という夏目漱石の言葉らしい。『運命についてあれこれ思い悩んでもそれは神が決めたことなのでどうしようもないと割り切り、それよりも、今、人間は人間らしく 働いて生きていくことが大切。』という意味らしい。自分の運命なんて、結局は誰にも分からないもの。私よりも若くして亡くなっていく人もいれば、あのひと、まだ生きてはるのか・・と思うような長生きの人もいる。そんな、運命についてとやかく考えるよりも、今の私にできること、今の私がやれること。そういうことを精一杯やっていけたら、それで十分じゃないか。道はきっと開いているはずだから。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


年の瀬に庭掃く箒の音が舞う

2020年12月28日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は朝方は小雨が降っていたが、やがて高気圧に覆われて晴れていた。気温は7.5度から15.3度、湿度は94%から62%、風は1mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の29日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、湿った空気の影響で次第に曇り、夜遅くには雨が降る見込み。

 

 113/59/78 36.5c-96% 63.4Kg 22.5c-41%-1022hPa 体調に変化はない。

 

 シトラスリボン運動は、リボンを胸元や持ち物につけることで、感染者や医療従事者への差別に反対する意思を示すというものだ。愛媛県の市民グループが「シトラスリボンプロジェクト」として4月から始めた。愛媛特産のかんきつ類(シトラス)にちなんで黄緑やオレンジといった色を使い、感染した人や医療従事者が「地域」「家庭」「職場や学校」で安心して過ごせることへの願いを三つの輪に込めている。

 

 こうしてみると簡単そうだが、実際にやってみると何がなんだかわからなくなってしまう。単に私がどんくさいだけなのかも知れないのだけれど。

シトラスリボンプロジェクト - YouTube

 

 9時前になったので、さぬき市役所寒川分館に行ってみた。今日は官公庁の「仕事納め」の日である。私が若い頃は、朝から挨拶回りをやって昼前には退社するという時期もあったが、退職前には午前中は普通にお仕事をして、午後からは車両の清掃や机周りの掃除や片付けをやって定時に退社するようになった。だから、どうかなぁと出掛けてみた。

 

 やはり、普通のお仕事をやっている状態。一階の市民課などには何人かの来客もあったが、二階の国保課あたりには人影がなかった。ま、こういう部署には駆け込みのお仕事もないのかも知れない。

 

 私は駆け込みで、高額医療費の支給申請をしておいた。ごく普通の対応だった。

 

 帰りにホームセンターに寄ってみたが、シトラスリボンになるようなテープやリボンは見つからなかった。黄緑色や黄色のテープなんて普通には使わないものらしい。

 

 で、やり残した所はないかと考えていたら、エアコンの掃除をしばらくしていないことに気づいたので、やってみた。思ったよりもきれいだった。

 

 お昼からは気になっていた芝生広場の掃除をすることにした。本当は月末の30日、31日あたりでないと落葉は山から当たり前のように降ってくる。だから早くしてもなぁと思ったのだが、あさってからは寒波がやってくるらしいので、早めにやっておくことにした。

 

 このあたりでは「がんじき」という道具で落葉をかき集める。意味. がんじき ( 農具) 熊手 (くまで)。. 雁 (がん)が、ななめ 一文字 になって飛ぶさまを「 雁字 」といい,その形に なぞらえ たことば「 雁字 器」だろうといわれている。

 

 二時間ほどでさっぱりとした。これがいつまで保てるやらだ。すぐにまた、枯れ葉、落葉が降り注いでくる。寒波とともに西風や北風が強くなるらしい。

 

 玄関周りもブロアーで落葉を吹き飛ばしたけれど焼け石に水みたいなもんだ。この頃から両足のくるぶしあたりが痛み出してきた。打ったり転んだりした訳ではない。足が吊るような神経性の痛み。冷えたらこうなるのかも知れない。早々に切り上げた。

 

 今日の掲示板はこれ。「手を合わせ 今日もいのちをいただく」というもの。町内の善楽寺さんの掲示板にあったもの。私達は生きていくために、日常的に生き物の命を奪って食べている。切り分けられ、綺麗にならんだスーパーの鮮魚・精肉コーナーには、そこに命が宿っていたことを 忘れてしまいそうな程に、「命をいただく」というイメージから遠くなっている。そしてその結果、食べ物が粗末に扱われ、日本での1年間の食べ残し食品は、 発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといわれているそうだ。ご飯を食べる時、手を合わせて、『いただきます』と言うけれど、これは生き物達への『命をいただきます』ということ。感謝のこころを失いたくないものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬めいて纏めきれない日記帳

2020年12月27日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で次第に曇り、夜は雨が降るらしい。気温は2度から11.8度、湿度は88%から60%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の28日の香川県は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、朝まで雨が降る見込み。その後は高気圧に覆われて次第に晴れる見込み。

 

 110/56/79 36.3c-98% 63.4Kg 14.4c-40%-1026hPa 体調に変化はない。

 

 今朝も足が動かないと思ったら霜の朝になっていた。この足もどこが痛いとか、ここがしびれるとかの問題ではなくて、全く気まぐれで動かなくなるのだから始末が悪い。

 

 だから、暖かくなるまで雑誌のクロスワードに挑戦してみたが、まるで頭脳が動いていないことに驚いた。まるで言葉が出て来ないのだ。これは痴呆が進んでいるような気がしてならない。こんな簡単なこともできなくなったのか・・・。

 

 朝方、何かにぎやかだと思えば、久々にサルが野菜を狙ってやってきたみたい。早速にジェット花火で撃退をしておく。まだまだ大根や白菜などは健在だから、これを食べられたら奥方に叱られる。

 

 最近、シトラスリボンというものが流行っているそうである。シトラスリボン運動は、リボンを胸元や持ち物につけることで、感染者や 医療従事者 への差別に反対する意思を示すというものだ。 愛媛県 の市民グループが「シトラスリボンプロジェクト」として4月から始めたものらしい。

 

 そこで、見よう見まねで、シトラスリボンなるものを作ってみた。これが簡単なようで案外と難しい。そうか、私のオツムが動いていないせいもあるのかも知れない。

 

 大きいものだとできるのだが、小さくなると、何がなんだかわからなくなってしまう。上の二つは失敗作。リボンでもやってみたが、リボンはあまりにも難し過ぎた。

 

 迎春準備の段取り表を見ながら、残りの仕事はないか、やらねばならないことは残っていないかを確認しながらやっていく。

 

 ウラジロも竹も準備ができた。室内の掃除もあらかたは終わっている。外回りは直前でないと落葉や枯れ葉がとめどなく降ってくる。

 

 今日は久しぶりに、富山の氷見うどん(細麺)にした。カニカマとうどん用揚げを載せてみた。お出しは地元鎌田醤油の「うどん出汁醤油」である。

 

 少しばかり量が多いように思ったが完食した。

 

 高額医療費請求事務の請求書を書いておいた。明日、市役所に行って見よう。さぬき市のホームページには12月29日から1月3日がお休みだと書いてあった。明日の28日は大丈夫かなと半信半疑。

 

 冷凍庫の奥に残っていた「白くま君デザート」。エアコンでのどが乾いていたのでおいしく食べた。

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日毎日が人生の大晦日」というもので、いつもお世話になっている町内の善楽寺さんのお寺の掲示板から。生は偶然、死は必然という。「人の生を受けるは難し、死すべきものの、いま命あるは有り難し」と『法句経』にある。人間として生まれてくることは、「爪の上の砂」ほどの確率しかないのだと、釈尊は教えている。それほど極めて稀な人間の生(いのち)を、自分はいったいどのように過ごしたかと忸怩(じくじ)たる思いに襲われるのは私ばかりではないだろう。もちろん私とて、他人に対して少しばかりは善も行い、仏法にも触れてきたつもりである。しかしながら、自分を守るため、あるいは自分の我や意見を通すうちに、誰しも人知れず測り知れない悪業も重ねて一生を過ごしているものである。こうして皆んな早かれ遅かれ、大晦日のあの忙しさにも似て、追い立てられるようにして死出の旅路につくことになるのだろう。年末の大掃除のように、もっと早くから準備を始めておけばよかったと思ってみても、もはや遅いというものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


何かしら遅し速しで年の暮れ

2020年12月26日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は2.5度から10.3度、湿度は70%から58%、風は1mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の27日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼前から雲が広がり、夜は雨が降る見込み。

 

 102/58/79 36.0c-96% 62.6Kg 9.4c-41%-1026hPa 体調に大きな変化はない。

 

 今日こそはお墓掃除をしなければ・・ということで、手始めに仏花用の「シキミ(樒)」を買おうと思ったのだが、近くのスーパーにも産直市場にも置いていない。このあたりではお墓にはシキミを供えないらしい。

 

 そこで、あそこに行けばあるはずだと、徳島県阿波市土成町に向かったのだが、車にガソリンが少ない。それをUターンして町内のガソリンスタンドで補充して再出発。で、県境の「鵜の田尾トンネル」を越える。

 

 で、JAグリーンどなりマルシェに着いたのだが、今度は財布がない。小銭でもないかと探したが、それさえもない。おとといの買い物の時、マイバッグに入れたまんま、机の横に置き忘れたのだった。

 

 あかんがな・・・。仕方がないのでUターンして帰ろうと思ったが、それではもったいないと、近くの郵便局を探して現金を引き出して、ここにまた戻って来た。でも、探すときにはなかなかに見つからないものだが、路地の奥の旧道沿いに小さな郵便局があった。やれやれだ。

 

 で、シキミを一対の半分を買った。200円だった。高いものは400円とかもあったが、少しあればいいので安いものにした。

 

 お墓の掃除はブロアーでゴミを吹き飛ばしただけである。真宗ではお墓はさほど重要ではない。ご先祖さんは石の下にはいないのだ。

 

 だから、一対の半分を、また半分にして両脇に供えた。心に松の穂をさしておいた。お花はまた誰かがお供えしてくれるだろうから、少しばかりのお供えにしておいた。

 

 で、昨日、大窪寺のことを調べている途中で、こんな写真を見かけたので、このお寺に寄ってみた。

 

 ええぇ~、昔には境内にこんなに松の木があったのか。それに元寇の時の経幢が本堂前にあったのか・・・。

 

 今はこんなに大切にされているのに、昔はそのまんまで立っていたのか。

 

 でも、よそ様の担当だからか、さほど、面白みがない。やはり、自分の担当のお寺でないと興味も湧いてこないというものだ。

 

 で、こういうものとか、

 

 こういうものとかを買って帰ってきた。

 

 帰ると、こんなお手紙が届いていた。高額医療費請求事務の書類なのだが、今日は土曜日、明日は日曜日、あさっては早くも28日ではないか。28日は官庁の御用納めの筈・・。それで、請求は1月8日までだと・・・。なんだかなぁと思った・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「待てば遅いが待たねば速い 年の瀬 人生お正月」というもの。どこの誰の言葉かわからかったが、あちらこちらで見かけることば。それは誕生日でも忘年会でも新年会でも同じ事。お花見やお月見だって同じ事なのだが、約束の待ち合わせだって、待っているとなかなかに来ないが、遅れてくる人には時間は速い。来年こそは余裕を持って人生を楽しみながら年の瀬やお正月を迎えたい者である。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


木枯らしに向かって郵便配達夫

2020年12月25日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は7.5度から10.0度、湿度は70%から52%、風は2mから7mの西の風が一時は強かった。明日の26日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 116/60/78 36.6c-97% 63.0Kg 14.7c-41%-1015hPa 体調に変化はない。

 

 昨年の今日は、県立病院でこんなものを食べていたらしい。でも、もう、こういう食事は喉を通らなくなっていた。あれから一年か・・・と感慨もひとしお。

 

 今日はお墓掃除やお花なんぞの準備を・・・と考えていたが、風が強くて、それに空気も冷たいのでやめにした。今頃、風邪でもひいて肺炎にでもなったら一大事ではないか・・・と考えて外出自粛の日になった。

 

 そこで、大窪寺に関する古い資料なんぞを探していた。これは多宝塔で本堂と繋がっているのだが、改修工事の時のものだろうか。

 

 これは大窪寺の二天門の写真で、「絵はがき」らしいが、こういう場合、「写真ハガキ」と言うのだろうか。写真であっても「絵はがき」と言うのだろうか。

 

 今日はお寺から離れて、門前のおうどん屋さんをまとめていた。これが「八十八庵(やそばあん)で、そうそう、確かにこうした松の木があったなぁ。今は枯れたのか切り倒されたのか姿は見えないけれど。

 

 ここの場所には、一軒の遍路宿があった記憶が残っている。床も何もなくて、土間の中央に囲炉裏があるばかりで、お遍路さんは雨露をしのぐ程度だったような思い出がかすかに。それが昭和34年に、こうしたうどん屋さんになった。私が11歳の時だった。

 

 一方、こちらは「野田屋」さん。野田屋さんは、先代が大窪寺の参道入り口で終戦後より縁日を出店していたのが始まりである。現社長は寿司の板前修業後、昭和44年に、この参道石段の横に店舗を構えた。

 

 ここの室内には、大窪寺の石垣をそのまま使っているところが面白い。道路と石垣の間の狭い空間を利用している店舗の知恵であるらしい。

 

 この石段の半分ほどのお店ということになる。お店は石垣にくっついているという感じ。

 

 開店当時は一日に数人程度しかお客さんはいなかったようだが、1960年後半からの第一次うどんブームやお遍路さんの増加などで、店内もにぎわいを見せるようになる。なお、お遍路さんの「白衣ブーム」も昭和30年代(1955)からである。

 

 そして昭和61年の瀬戸大橋開通によって第二次うどんブームが起こり、タクシー遍路も増えて、これまたお遍路ブームが巻き起こったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「欲や怒りの雨あられ そんな私であるけれど 南無阿弥陀仏の傘の中」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。自分が一番かわいいという因縁によって、患い、悩み、苦しむ(結果)のが私たちではないか。自分に対する執着心を我執といい、我執こそが患い、悩み、苦しみの原因なのである。我執が外の世界に関わる時、自分に都合よいものは、我がものにしようと欲となり、欲が満たされない時、怒りとなるのである。私たちは、お浄土を願いながら、お念仏することはない。そんな私共に沿いたいと願われて、声の仏となられ、私の口に届き、私の口と声を借りて、『南無阿弥陀仏』と出て下さり、私の耳に届いて下さっているのである。『南無阿弥陀仏』は、「我に任せよ、そのまま救う」という意味である。そのままとは、欲や怒りを持ったまんまの意味である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


正しさもそこそこでいい年の暮れ

2020年12月24日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は6.0度から9.6度、湿度は88%から66%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置となるが、概ね晴れる見込み。

 

 110/61/78 36.4c-95% 62.3Kg  16.8c-48%-1020hPa 体調に問題はないが冷えるからか足が動かない。

 

 体重はさほど問題になるほどではないが、奥方は「朝も食べないし、お昼も少しだし、夜も食べないのに、なんで体重が減らないの?」と言うのだが、食べないから体重が増えるってことはあるのだろうか。

 

 雨の降らない間にと、ホームセンターに行ってみたが、これというものもなくトイレを借りただけだった。この時期、灯油がよく出ているなぁと思ったが、我が家はガスストーブに切り替えたので昨年から灯油は必要ではなくなった。あれも考えてみれば面倒なものだったような気がする。

 

 帰りに郵便局で島の家の浄化槽管理料を支払ってきた。ま、丸亀市の島の家ということもあるのかどうか、12月1日付けの請求書を年末に送ってきて年内に支払えというのだからたまらない。

 

 今年は、我が家の浄化槽、自治会堂の浄化槽、島の家の浄化槽と三つの浄化槽の点検費用、管理費用を振り込んだものだから、すっかりと操作にも慣れた。こんなこと、自慢にはならんけど。

 

 あと、スーパーなんぞにも寄ってみたが、松の穂先とか仏花とかもすっかりと高くなっていて驚いた。この松や梅なんぞは大晦日を過ぎたらどうなるんだろうかと考えた。やはり捨てるしかないのだろうな。

 

 で、元屋敷あたりから松の枝を切り取ってきた。奥方がどんな松を欲しいのかわからんし考えたこともないが、ま、適当に切ってきた。

 

 本来ならば、雄・雌の穂先をそろえるのだろうが、そんな難しいことはできないというもので、赤松だろうが黒松だろうがわからんままに切ってきた。要するに松であれば何でもいいのだろうと思う。

 

 竹とナンテンも適当に切ってきた。それほどお客さんはそんなことには頓着しないもので、それより食べることに夢中になるものだ。

 

 お昼前から雨になった。雨にはなったけれど、今日も大窪寺に出掛けてみた。

 

 「此の二体の石仏は故松花ハナ様が建立し祭(り)しものである。地蔵菩薩は大正十二年八栗寺の三剣の中腹で子持ち地蔵として祭られた。昭和五十九年「此所に居ては参って来られる人は少ない。三年後には大窪寺へ水子地蔵として移して呉れ」とのお告げが有り八栗寺に願い出たが許してもらえなかった。昭和六十三年七月に新しく我の姿を造り八栗の地蔵の魂を移して大窪寺へ祭って呉れ」と再度お知らせがあった。修行大師は昭和十一年大窪寺奥の院の迫り割りの崖下に祭られて居た処高松市前田東町身禄教会会長大見進一先生のお導きと御尽力で大窪寺の許可を得てここに建立すに至った。

 平成元年五月吉日

 

 とある。さらに、

 追伸
 修行大師はここにいては我が膝前に来て手を合わしてくれる者はいない。せめて迫り割り岩の所まで出して呉れと一旦は出したが、又、大師堂の横に地蔵と共に祭ってくれと再びお告げがありここに祭る。

 とある。注文の多い修行大師ではないか。

 

 しかしのかかし、こういう声がよく聞こえるものだと不信心の私は思う。でも、親鸞さんだって「夢告」ということで観音さんや聖徳太子の声を聞いたらしいので、そういう世界があるのかなぁと思うばかりだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は正しい 自分は賢いというところに立っている これが人間の迷いのもとです」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあった言葉から。私たちは「迷い」と聞くと、右に行ったら良いのか、左に行ったら良いのかと迷っている様をイメージしがち。しかし、ここで言う「迷い」とは、「こうに違いない」「こうあるべきだ」という「思いこみ」のことを指すのである。思いこんでいる時に、その思いこみに気付くことはないし、気付かないからこそ「思いこむ」というのであろう。その思い込みをやめることはできない私たちだが、そのことに気づくことが大切だというているのである。迷いを断ち切ったりはできないが、その迷いに気づくことが大切だというのである。SNSを見ていると、そういう思い込みが激しいなぁと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬晴れて山の山茶花眼を覚ます

2020年12月23日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は4.5度から12.4度、湿度は74%から58%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方は雨が降る見込み。

 

 118/59/79 36.5c-98% 63.2Kg 17.4c-46%-1026hPa 体調に変化はない。

 

 今日も引き続いて大窪寺の謎を探そうと大窪寺にやってきた。時期的なものなのかお遍路さんの姿は全く見えないし、境内にはわたし一人きりだった。

 

 ま、ここに限らず仁王門には必ずと言っていいほど、こうした「大わらじ」がある。しかしのかかし、誰もこれを不審がる人は居ない。この大わらじは高松市の「檀紙わらじ会」や「檀紙一七会」が奉納してあるが、何のためにこんな大きなわらじを作って重いのに運んできて奉納するのだろうか。

 

 これは「二天門」という、梵天帝釈天がいる山門だが、ここには小さなわらじがたくさん奉納してある。この意味は何なのか。これまた、大窪寺ガイド班でも誰も疑問視していない。

 

 そういうことを、「あなたの知らない大窪寺ガイド:そうだったんな、お大師さん」にまとめてみた。この、「仁王さんがはだしだから、仁王さんのためにわらじを編んで奉納した」というのは、本当らしくておかしく思った。

 

 これは本堂の向背部分の「木鼻」の龍だが、爪が三本しかない。右手の三本の爪でドラゴンボールを掴んでいる。左手も三本しか爪がない。中国では五本爪は帝王を、四本爪は寺院仏閣用で三本爪は「一般庶民用」ということになっているらしい。うむ、ここは寺院仏閣なのにな。

 

 で、今日の「マイ・トレジャー」がこれ。長宗我部藩の正木修理が罪業消滅のために建てたという石仏である。「天正兵火謝罪並びに僧侶民衆兵士の御霊位結集追善菩提 長宗我部軍侍大将 正木修理亮 外正木家一門 高知 願主 正木長生 昭和五十二年七月建之」とある。

 

 ここ大窪寺も「天正の兵火で焼失・・云々」という話が残っているが、それを謝罪する石仏なんぞ初めて目にするものである。だが、侍大将正木修理亮」という名前はわからずじまいだった。

 

 これも短くまとめておいた。

 

 今日で牡蠣めしは三日連続。それに牡蠣フライもだ。とはいえ、朝食は食べないし、昨日のお昼はおうどんだったし、そんなに毎食牡蠣めしだった訳ではない。

 

 ほかにも日中友好の碑とか、もの言う修行大師石仏とかを調べてきた。こうしたものをじっくりと見るのも楽しいものだ。

 

 しかしのかかし、そういうお話が聞こえる人っているのだなぁというのが不思議だけれど、一方でスマホやラジオやらが聞こえるのだから、そういう石仏の声が聞こえる人がいても不思議ではないのかなぁとは思ったりする。

 

 今日の掲示板はこれ。「若い時学んだものを 年を取って理解していくものである」というもの。町内の善楽寺の掲示板にあったもの。どこのどなたの言葉かわからなかった。若い頃には全く何をいうとるのかわからんことが、最近になって、「ああ、そうだったのか。そういうことだったのか・・」と頭にひらめくことがある。若い頃には、「あの人・・、何をいうとるんじゃろう・・」と思ったときに、「いずれ、わかるときが来る・・」と言われたことが何度も何度もある。未だにわからんことは山ほどあるが、いずれ、それらもわかる時が来るのだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


山茶花に荷物下ろせぬ配達夫

2020年12月22日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.5度から11.5度、湿度は72%から56%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 114/69/79 36.3c-96% 62.4Kg 17.7c-40%-1028hPa 体調に変化はない。

 

 今朝は霜の朝になった。今年の霜は少しばかり遅いような気がする。ま、それでどうしたこうしたという話はない。

 

 でも、こうした霜を見ると冬らしくなったなぁとは思うのだ。粉雪は見たが、まだ本物の雪は今年はまだ見ない。

 

 今朝も7時前まで寝てしまっていた。夏場は4時半過ぎから起きたのに、これも冬のせいだろうか。で、朝ドラが終わればスーパーへ買い物に出た。年末年始の飲み物を補充するためだった。

 

 で、1万数千円の買い物をしたので、このクーポン券を出したらば、「お客様、これは明日からでございます」と言われてへこんだ。ああ、今日はまだ22日であったのか・・・。

 

 気分直しに旧宅方面に走って、お正月用の松の穂を探してみた。母や祖母が居た頃からの習慣で、年末にはこれが苦労の種だった。

 

 いいなぁ・・と思ったら枝が高くて届かない。これはいいぞと思えば、道路から離れていて手が届かない。毎年、そういう思いがしたものだった。

 

 で、久々に、こんなものを見つけた。子どもの頃には「松根油を取るためだ」と聞かされたように思うが、松根油は文字通り松の木の根っこから取るもので、これは「松ヤニ」を採取するものだった。戦争末期、航空機の燃料不足から、苦肉の策として松根油や松ヤニが採取されたが、これがその採取の傷跡。

 

 でも、松根油や松ヤニからは効率が悪くて航空機の燃料にはならなかったが、松ヤニはロジンとなって、野球の投手のロージンバッグとなって滑り止めや楽器の弦の補強材、弓道の弦の補強材なんぞに使われている。

 

 昼からは大窪寺を散策して、「あなたの知らない大窪寺編」のネタ探しをしてみるが、見慣れた風景だから大窪寺の謎は見つからない。

 

 この山門の上にある「龍」の彫り物。正式には何と言うのだろうか。片方は口を空けているが、左側の龍は口を閉じて「玉」を掴んでいるように見える。これの出拠はどこにあるのか。

 

 どういうお話から、こういう玉を持つようになったのか。これは少しばかり調べてみないとわからない。

 

 結局の薬局で、松の木も南天もいいものが見つけられずに終わったし、大窪寺の謎も見つからないままに日が暮れた。

 

 今日の成果は、我が家に入っている通信用の光ケーブルに接触していた雑木の枝を切り落としたことだけだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦労を ただ愚痴の種にするか 苦労を人生の師と考えるか それを決めるのは自分」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったことばである。これには解説も注釈も不要だと思う。でも、なかなかに、苦労を人生の先生だと考えるって言うのは難しい。ついつい、愚痴が出てしまうのが凡夫の私たちである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


笹の霜忘れた過去をひねり出す

2020年12月21日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.5度から9.5度、湿度は76%から56%、風は2mから5mの西の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 本日のバイタルサインは、血圧119/69、脈拍78、体温36.0c、サチュレーション(SPO2)98%、体重63.2Kg、意識清明、尿量やや多し、呼吸数22、室温21.8c、湿度36%、気圧1028hPa 体調に異常はないが内臓脂肪がやや気に掛かる。

 

 正月用品を探していたらば、ポトンと落ちていた写真集をスキャンしてみた。これはいつ頃のものだろうか。母もまだ若く見えるのだが。場所は小豆島の岬の分校らしいのだが。

 

 これは神戸市垂水区にある「五色塚古墳」らしい。この日付が正しいのならば1991年(平成3年)11月のものになる。だったら43才という計算になる。多分、奥方の親父さんが写した写真だと思われる。

 

 さて、FBで、どなたかが正月飾りを作っていたが、我が家にも正月飾りを飾ってみた。

 

 玄関の植木や、

 

 サボテンの植木鉢にも、

 

 ホウキにも正月飾りをつけてみた。

 

 これは玄関飾りである。みんな、百円ショップで買ったものである。ま、単なるお飾りである。

 

 このタコは一年中ここにある。奥方がどこかでいただいてきたものである。

 

 今日は奥方がお休みだから、一階のリビングにおこたを出していた。本来ならば、ここに私の介護ベッドがある筈なのだが、なんとなく元気になって元の二階へ移動したからおこたが置けた。手前はこの和室にあがるための手すりである。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない」という、ハイデッガーの言葉から。「ハイデッガー【Martin Heidegger】」[1889~1976]はドイツの哲学者。キルケゴール、ディルタイの解釈学の影響のもとに、フッサールの現象学を発展させた。哲学の対象である存在は、実存を通してのみ理解可能であるとする、基礎的存在論としての実在哲学を形成した。その後、1930年代以後の思索は、存在そのものの解明に向かった。著「存在と時間」「形而上学とは何か」など。

 

 仏教の教えの一つである「生死一如」という言葉がある。「生死一如」とは、私たちが「生きる」ということは、「死のある生」を生きているというあるがままの姿を教える言葉である。「生死一如」すなわち、「生きることと死ぬことは絶対に分けられない」という意味である。私たちは、「誰もが必ずいつかは死ぬ」ということを知っているはず。それなのに、死ぬことを恐れて、見ないようにして「死の無い生」、自分は死なない蚊のような気持ちで生きている。しかし、「生きること」だけを見ているから、見間違ってしまうのだ。死ぬことを受け入れることは、生きることを受け入れること。死ぬことを考えることは、生きることを考えることでもあることを覚えておきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


昼しぐれ日差しとぼしき実南天

2020年12月20日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は寒気の影響で曇っていた。気温は3.5度から8.8度、湿度は76%から58%、風は2mから5mの西の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 本日のバイタルサインは、血圧116/68、脈拍78、体温36.3c、パルスオキシメータ95、体重62.8Kg、意識清明、尿量やや少なし、呼吸数20、室温14.1c、湿度42%、気圧1025hPa 体調に異常はないが内臓脂肪がやや気に掛かる。

 

 今朝、今季初めての霜と初氷を見た。だんだんと冬らしくなってきたが、今年は少しばかり遅いのかなぁと思った。

 

 今朝の朝食のイチゴである。千葉のFB友人の高橋さんからいただいたもの。毎度、おおきにです。

 

 昨日は1階部分の北半分に掃除機を掛けた。私はホウキ派なんだが、奥方が、「それはホコリを散乱させるだけよ」というので掃除機をかけておいたが、「さっぱりとしたわよ、空気がきれいだもの」とお褒めの言葉をいただいた。ほんまかウソか知らんけど。

 

 これが北の勝手口方面から南を見たところ。

 

 これがリビングに置いたミニ囲炉裏である。

 

 主にバーベキューとか宴会用に使うもの。ここで一人湯豆腐なんぞをやってもむなしいばかり。

 

 で、これが旧宅に置いたままになっている大型の宴会用囲炉裏である。だいたい16人程度が使えるように作ってあるが、今の家には大きすぎて置く場所がない。

 

 こちらが一階の南半分である。今日はこの部分に掃除機を掛けておいた。設計とは違って、仏間の位置が変わっているし、左下の洋間も少しばかり設計変更になっている。

 

 お仏壇はこういう位置に変わっている。これは南から北を眺めたところ。上の設計図の下から上を見たところ。

 

 これが、元は母の部屋だったが、今は奥方のアトリエになっている。ミシンは工業用ミシンである。ここにも軽く掃除機を掛けておいた。

 

 夕方になって、ようやくに晴れ間がのぞくようになってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「私たちのいのちは、ただ不思議ということに支えられてある」というもの。石川県松任市にある真宗大谷派本誓寺の住職だった松本梶丸師のことばからである。私のこのいのちは、自分で作った覚えもなければ頼んで作ってもらった覚えもないままに、私は今こうして生きている。昨年暮れから今年の二月までには死線を何度も越えてきた。それは、今”不思議ないのち”が私を生きているとしか言い表せない確かな事実である。また、このいのちは、自分で作った覚えなど全くないのだから、「恵まれた」「与えられた」としか言い表しようがなく、その事実は「不思議」でしかない。私たちは、自分が生きていることを当たり前のことであるかのように錯覚し、日々をそのことを意識することもないままに生きているが、このいのちは恵まれたいのちであることに深く頷くとともに、今こうして生きていることの不思議さに心を寄せながら、人間として生まれ、人間として生きていくことの意味あいを考えたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


喪のハガキまだやってくるもう二十日

2020年12月19日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は寒気や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は7.5度から9.0度、湿度は74%から60%、風は3mから5mの西北西の風が幾分か冷たかった。明日の20日のさぬき市地方は、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 110/52/86 36.8c-97% 63.4Kg 8.5c-61%-1023hPa 体調に変化はない。

 

 昨年の今日は、県立病院でこのような食事を食べていたらしい。あれから、もう、一年になってしまったのか・・。おなかが張る。足がむくんで歩けない。右目が白内障で全く見えない。体重が77Kgもあったという状態での緊急入院だった。

 

 朝の間、ポータルサイトの更新をやっておいた。来年用のカレンダーである。

 

 来年の予定はルーティーンのお仕事くらいで、さほど大きなお仕事は予定していない。もう、講演会も法話会もおことわり状態。あとは気楽に生きてゆくばかりである。

 

 1月、2月の予定表もできているが、これという行事やイベントはない。来年の最大のイベントと言えば11月の金婚式だが、お祝いはあるんだろうか。

 

 さて、朝方に奥方が、「今日は一階に掃除機を掛けておいてくれるとうれしいな。」と言って出掛けて行った。一階は奥方の掃除範囲なんだが、最近はお疲れなのか寝てばかりいる。

 

 仕方がないので、リビングやキッチンなんぞに掃除機をかけておいた。

 

 ま、形ばかりのお掃除である。子どもや孫が居るわけではないので、そんなに汚れがあるわけではないので、一通り掃除機を流せば、それでおしまいである。

 

 で、肌寒いものだから囲炉裏に火をおこしてみた。火を熾して何をするというのでもない。ただ、囲炉裏の火が恋しかっただけのことである。

 

 若い頃には、こういうものを作るのが好きだったのだが、最近は何をするのもおっくうになってきた。面倒くさいのである。そういう気力も体力もなくなってきた。

 

 で、お昼からはさぬき市の広報ほかを8軒分配ってきた。しかしのかかし、土曜日だというのに、8戸ともに誰もいない。働きに行っているものかお買い物に出ているものか、物音ひとつしない集落である。

 

 さぬき市地方の天気予報はこんなだったが、お昼過ぎからは雨になった。

 

 大慌てで洗濯物を片付けたりして、一階の掃除はリビングだけになってしまった。ということで、掃除スイッチは入らずじまいになってしまった。

 

  今日の掲示板はこれ。「蓋ある水に月はやどらじ」という蓮如上人のことばからである。あるとき、一休禅師は蓮如上人の書かれた御文章を何度も読んで、蓮如上人の教えの中に矛盾と思われる点を見つけ、今度こそはと一首の歌を蓮如上人に送ったという。その歌とは次のような内容だった。
 「阿弥陀には まことの慈悲はなかりけり たのむ衆生をのみぞ助すくる」
 「阿弥陀仏は、あらゆる衆生を浄土に救うといいながら、まことの慈悲なんてないのではないか。たのむ衆生は救うが、たのまない衆生は助けないではないか。これでは不平等であり、本当の慈悲がある仏とは思えない。」ということであった。これに対して、蓮如上人は「一休のような者でも阿弥陀仏の救いは分らんとみえる。」と返歌を作られ、一休禅師に送ったのである。そこには、阿弥陀仏の本願の真髄が見事に表現されていた。
 「阿弥陀には 隔つる心はなけれども 蓋ある水に月は宿らじ」
 「阿弥陀さまのお慈悲は、まるで月の光のように、誰の上にも分け隔てなく平等に注がれている。綺麗な水にも汚れた水にも広い海の水にも、狭い池の水にも静かな水にも激しく流れる水にも隔てなく月の光を注いで下さっている。問題は阿弥陀仏の側にあるのではなく、光を頂く衆生の側にある。必ず救う、我にまかせよというお慈悲の光も、心に蓋をしていたのでは、映るものも映らない、宿るものも宿らない。」という意味であった。自力仏教の禅宗の一休禅師には、他力仏教の信心の神髄が見えていなかったのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


冬めいて暮れの挨拶二度三度

2020年12月18日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は、湿った空気や寒気の影響で曇っていた。気温は3.0度から9.9度、湿度は74%から60%、風は2mから6mの西の風が一時は強かった。明日の19日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 101/70/78 36.4c-96% 63.2Kg 5.2c-60%-1025hPa 体調に大きな変化はない。

 

 朝の間、空気も冷たいものだし動くのもイヤなもので、来年のカレンダーや暦を参照しながらダイアリーや手帳に予定を記入してみた。

 

 毎年、こうした民生委員児童委員手帳というものをいただくのだが、いままでは使うことはなかったのだ。でも、月に一度の定例会に行くと、みんながこれを使っていて予定表なんぞを書き入れていたりする。私もボケ防止と痴呆症予防のために使ってみることにした。

 

 私の通常の予定表は、このデスク・ブロックというダイアリーを会社員時代から使い続けている。だから来年も惰性でこれを使う予定。

 

 もう、来年一年分の予定表は記入してある。あくまで予定である。明日のことは誰にも分からんのだから、あくまで予定は未定なんだけれども、明日に向かう方向だけは定めておかねばならないというもの。

 

 9時を過ぎたので民生委員のお仕事の残り分を片付けておく。これは歳末助け合い募金の配分金をひとり暮らしのお年寄りにお渡しするもの。担当地区内のお二人が入院をしていて、ともに昨日、退院してきたと聞いたからである。

 

 で、お一人は動けないからベッドサイドまで持ってきてと言うし、もうお一人はお風呂に入っているので、介護士に渡してくれと言う。ともにイレギュラー対応だが仕方がないのでお渡ししてきた。

 

 それにしても、過疎と高齢のためか、今頃は誰もカキなんぞには見向きもしない。子どもでも居ればにぎやかにカキもぎでもやるのだろうが、この地区にはこどもなんて一人もいない。それをもぐおとなもいない。

 

 で、先日から工事をやってきた防災行政無線の工事も終わって、来週から本格運用に入るという通知がきたもので、そういう文書を作っておいた。

 

 これを、今日のさぬき市の広報類と一緒に各戸に配布周知することにしている。

 

 今日は奥方がお休みなので、昨日の夕食の牡蠣の土手鍋に富山の氷見うどんをいれてみたらしい。それをおいしくいただいた。やはり歯ごたえとかコシとかが違うのだけれど、すっかりと氷見うどんの味にも慣れてお取り寄せするほどになったくらいである。

 

 で、午後からはさぬき市の広報類が届いたので配布の準備をする。

 

 防災行政無線運用開始の案内文も入れておいた。これを明日にでも配布することにしようか。

 

 今日の掲示板はこれ。「徒(いたず)らに過ぎし月日のしのばれて 殊更をしき 年の暮れかな」という新渡戸稲造先生の言葉かららしい。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったものから。いよいよ今年も終わろうとしているが、過ぎ去ったこの一年に何をすることができたかと静かに振り返ってみると、入院・入院で明け暮れた前半戦。昨年と同じく、やはり後悔すべきことが多い のではないだろうか。しかし、悔いることは改めることのはじめなので、来年の暮れには、まさか同じ後悔をすることはないとは思うのだけれど、極悪非道のこ の身であるから、来年も又、同じような後悔をしているのかも知れない。

 

じゃぁ、また、あした、逢えると、いいね。


冬めいて囲炉裏火恋しき独りの日

2020年12月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で、概ね曇っていた。気温は3.5度から9.6度、湿度は80%から66%、風は5mから2mの西の風がやや強かった。明日の18日のさぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で、概ね曇る見込み。

 

 107/57/78 36.8c-97% 62.8Kg 6.2c-44%-1024hPa 体調に変化はない。

 

 島の家の片付けも済んだし、明日からはさぬき市の広報配布の準備が始まるというあいだの空白日。出掛けるには天候も悪いし気温も低いし・・・ということで、年末調整の医療費控除の準備を始めることにした。で、各種の領収書を集めてきた。

 

 ところが大切な今年初めに入院をした「香川大学医学部付属病院」の領収書がない。あちらこちらと探し回って、ようやくに別場所保管をしてあったのを見つけ出してきた。それでパソコン処理をやってみた。

 

 で、コツコツと入力をしていくと、

 

 香川大学医学部付属病院が入院70日で25万円ほど、もちろん血液透析やペースメーカーの取り替え手術も含まれている。

 

 香川県立病院も入院やら泌尿器科や外科なんぞの手術もあって、22万円ほど。

 

 さぬき市民病院の眼科での白内障手術なんぞで7万円ほど。あと、肉食アレルギーなんぞで3病院で1万円少々なんぞで医療費合計55万円ほど。

 

 医薬品代金が14万円ほど・・。それらを含めての医療費合計が68万6000円ほどになった。年金生活者にとっては多額すぎるほどの金額にはなったが、それでどうにか生き延びたのだから良しとするしかない。

 

 あと、保険料とかの計算があるが、目がじんじんとしてきて痛くなったのでやめにした。また、明日にでもしようかと書類を片付けた。ここまでできたら上等だ。

 

 古い画像を整理していたらば、こんなものが出てきた。いつ、こんな衛星に乗る日が来るのだろうか。近年、「はやぶさ」は有名になったけれど、「あかつき」という探査衛星はどうなったのだろうか。調べてみたら、まだ、金星の周りを回っているみたいだ。

 

 今日の内容とは全く関係ないが、今日の掲示板はこれ。「他人の不幸は小さく見えて 自分の不幸は大きく見える」というもの。誰の言葉だったか忘れたけれど、「人間って、双眼鏡みたいなのを持っていて、他人の幸せは、大きく見えるけれど、他人の不幸は、小さく見えるんです。逆に自分の幸せは、小さく見えて、自分の不幸は、大きく見える。そこが解ってないと、一生、幸せになれない」という言葉があった。また、「いつだって、自分に足りないモノばかり数えてしまう。そんなことより自分が持っているモノを数えるべき。」という言葉も思い出した。「本当の幸せって、それを感じ取れるチカラかも知れないな~」と思ってしまった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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