さぬき市地方は、強い冬型の気圧配置のため概ね曇っていた。気温は2度から5度、湿度は86%から58%、風は4mから7mの西の風が一時は強かった。明日の1月1日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置が続くため概ね曇る見込み。
112/54/78 36.7c-96% 63.4Kg 20.4c-37%-1017hPa 体調に変化はない。
昨夜、寝ようとベッドに入ったら、雲間から満月が見えた。これが話題の「コールドムーン」かと、一眼レフカメラを取り出したら雲間に隠れたり、出たと思ってカメラを向けると、こんな満月になったり。あげくにはカメラの電池が切れてしまったり。
ようやく撮れたかなぁと思うと冷えすぎて身体がガタガタと震えだした。このコールドムーンというのは、ネイティブアメリカンのモホーク族による呼び名だとされている。呼び名の理由は、寒さがより厳しさを増すシーズンの到来を意味する満月だからだそうだ。ちなみに一月の満月は「ウルフムーン」というのだそうだ。
お仏壇のお花も入れ換えたし、おロウソクも交換しておいた。
廊下のお花も奥方が入れ換えてくれた。これでお正月さが増してきた。
私のダイアリーも今日で書き納め。今年もいろんなことがあった一年だった。1月は香川大学医学部付属病院での年明けになり、生死をさまよいながら救命救急センターのICUにいた。2月にはペースメーカーの増強手術が行われたが、これ以上の治療は不可能と最後通告を受けた。こんなところでは死にたくないと自主退院をしてきた。
3月には県立病院で尿道開削という手術を受けた。これでずいぶんと楽になった。4月には介護保険の申請をして要介護2をもらって介護ベッドの「お世話になった。パソコンや事務デスクも一階に下ろした。
5月には右目の白内障の手術で視力は回復した。メガネも新調して世の中が変わって見えた。6月には臍帯ヘルニアのオペも受けてすっかりと元気になった。7月には草刈りや剪定作業も可能になった。まさに地獄からよみがえったような思いがした。8月には1階からPCやデスクを元の二階へ戻した。9月にはその様子を闘病記にまとめて関係者の医師や看護師に贈った。
10月には余裕も生まれてガンダムのプラモデル造りにもいそしんだ。11月には奥方とフルムーン旅行で函館~指宿までを新幹線で駆け抜けた。12月にはその旅行記も完成した。
強風で荒れた芝生広場の掃除もできたし、
玄関周りの落葉も片付けておいた。特にお正月という意識はない。子どもの時のようなわくわく感もない。
奥方のおせち料理もできたみたい。奥方には奥方の仕切りというものがあるらしい。奥方は明日の1日もお仕事で出勤する。
今日のお昼はしっぽくうどんになった。ニンジンを入れ忘れているみたいだ。
今日の掲示板はこれ。「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」という小林一茶の俳句から。浄土真宗の門徒の家に生まれ、念仏者としても知られる俳人小林一茶の句である。「ともかくもあなたまかせ」と阿弥陀如来の救いにすべてお任せしている私だから、この人生は、何があっても心配のない人生だというのである。つまり、ただ人任せにして何もしなくていいというのではなく、自分の命の帰る場所を心得え、本当におまかせのできる救いをしっかりと心に持っているからこそ、どんな苦しみや悲しみに出合っても、人生を安心と安堵の中に生きていけるのである。思うようにならない人生だからこそ、悲しみや苦しみの尽きない人間だからこそ、自らの力に頼るのではなく、如来様のご本願にお任せをしていくのが、本当の念仏者であろう。年の暮れに一年を振り返った時、たくさんの方々のご援助、ご協力ご尽力のお蔭で、今の私が生きている事への感謝と、いつでも私の傍で、浄土へ生まれていく道を照らし続けていてくださる、阿弥陀如来への報謝のお念仏とともに、新しい年を迎えていきたいものである。
ねがわくは、この如来の呼び声が、あらゆる人のこころに届き、大いなる励ましとなり、ともに命を輝かせ合う、よろこびの世界に集えますように・・・(Anカレンダー)
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。