まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

木犀の 幹にアゲハの 昼休み

2016年09月30日 | 昭和レトロのお話なんぞ・・・。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、雨の降り出した所があった。気温は20.5度から24.6度、湿度は88%から72%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の10月1日は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼前まで雨が降るらしい。

 

 今日もすっきりとしない天候の一日だった。ま、朝の散歩はどうにか濡れずに済ませたのだけれど。

 

 愛用のインクジェットプリンターが壊れてしまったので、amazon.comで注文したプリンターが朝一番で届けられた。昨日の朝にクリックしたばかりなのに素早いことだ。

 

 このプリンターの無線LAN接続がうまくいかずに午前中が消えてしまった。今まではEPSONばかり使ってきたので、初めてのブラザーというもののシステムがわからなかったせいかも知れない。

 

 で、昨日からやっている家計簿の整理も印刷もうまくできた。

 

 さて、今日もしつこく「肥後守(ひごのかみ)」である。このナイフが禁止になったとかの記事を見た。”犯人の山口は少年だったこともあり、この事件をきっかけに「子供に刃物を持たせない運動」が始まった。それにより、それまでは鉛筆削りや工作に使用されていた肥後守を始めとする刃物が子供から取り上げられ、以後続く刃物規制の始まりの一つとなった。”というものである。

 

 それが、この「浅沼稲次郎暗殺事件」がきっかけだというのである。このシーンは、町の映画館でのニュースで何度も見た記憶がある。昭和35年10月のことらしいので、わが家にはテレビが入っていたのだが、テレビでは見た記憶がない。

 

 当時17歳だった山口少年が、銃剣で浅沼委員長を二度突き刺して殺害したという事件だった。このことから、不良がケンカに使う刃物と、イデオロギーに基づいて白色テロルを行う攻撃道具としてのやいばを一緒くたにし、これらの事態を重く見た警察庁より「飛出しナイフおよび携帯禁止の刃物」に関する通達が出され、刃渡り7センチ以上のナイフは製造禁止になった。肥後守を生産していたメーカーには各地の卸商から返品があいつぎ、三木市内にあった肥後守製造業者46軒が、倒産したという。

 

 それに代わって登場したのが、関東では「ボンナイフ」というものあり、

 

 関西では「ミッキーナイフ」とか「カミソリナイフ」とかと呼ばれていた。私たちの小学校では「ハガネ」と呼ばれていた。これは市販されていたカミソリの替え刃を金属で挟んだだけのものだった。これで、女子たちは鉛筆を削っていた。男の子は相変わらず肥後守を大事に持って使い続けていた。

 

 しかしのかかし、このことで、三木市の46軒の肥後守製造工場が倒産したというのは気の毒な話だなぁと思った。道理で、その後は「肥後守」が姿を消してしまっていたのか。

 

 午後からも、プリンターの設定とか、スキャナーとしての使い方とかOCRの使い方なんぞを試していたが、どうにもなじめないシステムであることか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「何かをしたい者は手段をみつけ、したくない者は言い訳を見つける」というもの。アラビアのことわざであるらしい。忙しいから・・、時間がないから・・・と、ついつい、後回しにしてしまいがち。本当はやる気がないだけのことらしい。本当にやりたいなら、本当に好きなことなら、寝る間も惜しんでやり始めるはずである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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見残した 昨日の夢の 金木犀

2016年09月29日 | 日常・・ありのまま。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇りで夕方まで雨が降り、雷を伴う所があるらしい。気温は23.2度から24.4度、湿度は96%から88%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の30日は、前線が四国南岸に停滞するため曇りで、夕方から雨の降る所がある見込みらしい。

 

 天気が悪いらしいので行くところがない。そこでいつもの県立図書館に行ってみた。このアキニレの葉っぱも少しばかり黄色くなってきて、小さな葉っぱを少しずつ落とし始めている。

 

 先週に借りた郷土資料の五冊を返却して、いつもとは違うコーナーを歩いてみた。情報通信、電気工学、美術、音楽・・・・・。

 

 で、こうしたものを借りて来た。楽譜集である。

 

 こういう本も借りてみた。「沖縄を返せ」とか「インターナショナル」とか「イムジン河」とか・・・。

 

 帰り道にホームセンターに寄ってみた。昨日のホームセンターにはナイフは置いてなかったけれど、ここにはあるかなぁ・・と。最近は、カッターナイフが主流で、まさにピンからキリまであって、業務用みたいな高級品まで並んでいる。

 

 そんな隙間から見つけ出したのがこれ。紛れもなく、「登録商標:肥後守定駒」、通称「カネコマ」と呼ばれるもの。刃物生産で有名な兵庫県三木市で作られたものである。

 

 この方が、カネコマこと、永尾元祐さん。明治27年ごろ金物問屋『重松太三郎氏』が鹿児島から持ち帰ったナイフを元に製品を改良。当時取引先の多くが九州熊本だったことから名前を『肥後守ナイフ』と称し販売したことにより大ヒットした。最盛期には登録製造業者40件、三木市で大きな産業に発展したが、様々なトラブル等、歴史経過の中で減少していった。現在『肥後守』登録商標を使用できるのは永尾駒製作所1件のみ。創業明治27年。100年の伝統を後世に伝える為、日々努力しておいでになる。ちなみに登録商標『肥後守定駒』は(ひごのかみさだかねこま)と言う。

 

 お昼からは雨が激しくなってきた。

 

 それでも、わが家の前の県道工事現場ではガリガリと工事が行われている。30年ほど前ならば、「ド○タ殺すにゃ刃物はいらぬ、雨が三日も降ればいい」といい、「電話屋殺すにゃ刃物はいらぬ、雨が三日も降ればいい・・」などと、喫茶店でアブラを売っていたが、すぐに、「雨具を支給しとるんだから仕事に出ろ~」などと言われて雨の中へ追い出されたものだった。

 

 ま、今の重機にはエアコンやらがついていて、雨なんぞへっちゃらだから、「なんだ、こんな坂、なんだ、こんな雨」と作業をやっているんだろう。

 

 それでは・・ということで、わが家の会計帳簿の点検やら分析やらをやっていた。

 

 奥方が会計を握っていたころの帳簿を引き継いだもんだから、どうにもこうにも勝手が悪い。そこをいじくりだすとつじつまが合わなくなったりして。どうにも数字には弱いのだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「葦と書いてもヨシと読む 勝手に決めるな人の善し悪し」というもの。葦(よし)は、葦(あし)のアシと読む音が「悪(あ)し」に通じるのを忌んで、「善し」に因んでヨシというようになったそうで、「悪し」の気持をもって葦の髄をのぞくともっと良くない結果になるのかも。ただ、ものごとの「音」や「ひびき」などで、勝手に、「あし」だの「よし」だのと変えられてはたまらない。人の善し悪しも気分次第で言い換えられたのではたまったものではない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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曼珠沙華 思い出さがしの 日が暮れる

2016年09月28日 | 昭和レトロのお話なんぞ・・・。

 さぬき市地方は湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方にかけて雷を伴って激しく降る見込みらしい。気温は23.5度から28.7度、湿度は94%から84%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。蒸し暑い一日になった。明日の29日も前線や湿った空気の影響で雨が降り、雷を伴う所があるらしい。

 

 少し前に、四国霊場87番札所長尾寺さんの山門前にある「経幢(きょうどう)」を紹介したが、「そんなものは見たことがない」というコメントを幾つか頂いていた。

 

 これは町内にある「向井の神明さん」と呼ばれているもので、「石幢」である、地元では「笠塔婆」と呼んでいるらしい。

 

 これも町内にある「石幢」で、「西教寺の六面石幢」と呼ばれているもの。

 

 これも町内にある「筒野の笠仏」と呼ばれている「石幢」である。これは長尾寺のものより背が高い。

 

 これも町内にある「古枝の六地蔵石幢」と呼ばれているもの。

 

 これも大川町内にある「下り松六地蔵石幢」と呼ばれているもの。まだまだあるのだが、このくらいにしておく。いずれにせよ、このあたりには、こうした石の柱がなぜだか多い。

 

 さて、先日の「なつかしの小学校図鑑」の中に、こんなイラストがあった。私らが小学生の頃には、鉛筆を削るのは「肥後守」という小型ナイフだった。

 

 男の子は、いつも、この、肥後守をポケットに入れていて、木の枝を払ったり、竹細工をしたり、柿の実の皮を向いたりした。だから、男の子の必須アイテムだった。当時は200円くらいだったと思うが、ネットで調べてみたら1800円から2000円程度らしい。

 

 春と秋のお彼岸の中日の日は、50円玉か100円札を握りしめて大窪寺に行くのが楽しみだった。今ではすっかりと姿を消したけれど、この参道の両側にはずらりと露店が並んでいて、珍しいおもちゃやくじ引きとかが並んでいた。

 

 こんな立派なものではなかったが、「十徳ナイフ」なども売っていた。なんでもできると得意になったが、その実、何の役に立たなかった。

 

 業務用では、この「電工ナイフ」が必須だった。電線の被覆を向いたり、切ったりと何かと役に立ったものだった。

 

 アウトドアでは、こうした「サバイバル・ナイフ」も持ってはいたが、実際になると、鎌やノコのほうが便利だった。弦や木の枝をさばくのに、こんなナイフでは間に合わない。しっかりとした「山ガマ」という鎌で一撃するほうが効果があった。

 

 今日の掲示板はこれ。本文とは全く関係ないが、「人生は、いつもいつも第一志望ばかり歩けるものでない。そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、自分にとって最良と言えないことだってあるのだ。」という渡辺和子さんの言葉から。第一志望を歩けなかった私である。これまでの私の道がベストなのかどうかはわからない。あれこれとさまよいながら、それでもやりたいことをやってきたような気もしないでもない。体が動くのであれば、これからもなお、あれこれと手探りながら、試行錯誤しながら年齢を重ねた方が返っていいことなのだと考えてもいる。だから、日々勉強だと思っている。色々な人に出逢い、いろいろな風景に出逢い、その時々を見ていきたいと考えている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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かまきりが たどり着いたら 金木犀

2016年09月27日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は湿った空気の影響で、昼過ぎから雲が広がり、雨や雷雨となる所があった。気温は23.7度から28.7度、湿度は92%から80%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。妙に蒸し暑い一日になった。明日の28日は、前線や湿った空気の影響で、曇りで時々雨となり雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 全く気づかなかったのだけれど、金木犀が花盛りらしい。奥方の鼻は敏感らしいが、私の鼻はメガネの滑り止めの役目しかしていない。

 

  毎日まいにち、窓から外を眺めているのに、全く、この花の事なんぞ知るよしもなかった。こんなにも満開状態になっているとは・・・。

 

 で、今日は火曜日だということで、さぬき市前山にある「おへんろ交流サロンに出勤した。先週の20日は台風16号来襲ということで急遽お休みになっていた。だから二週間ぶりの出勤になる。もちろん、ここには私たちの出勤簿が置いてある。

 

 と言うのも、ここでは、ここに立ち寄ったお遍路さん全員の記録を残しているし、ここを見学に来た人の数もカウントして記録しているからである。だから、私たちであっても、ちゃんと氏名欄に参加マークをチェックする。

 

 現在は「寒川家」の俵の中に入っていた、納め札以外の紙くずの調査をしている。

 

 前回に引き続いて「神符」の整理とナンバリングである。これが何を意味するものかは、誰もしらない。これには、細い「コヨリ」が結んであって、どこかに結びつけるものらしいが、意味がわからない。

 

 こんなもので、これには「蘇民将来子孫也」と書いてあるように見える。 「我蘇民将来之子孫也」という 八坂神社などののお札は、「私は蘇民将来の子孫です。だから、ご先祖さまと同様、あなたさま(疫病神)を手厚くもてなします」という意味が込められているというのである。京都の八坂神社の祭神のスサノオは疫病神(疫病の神様)で、スサノオを鎮めるために行われるのが祇園祭であるという。スサノオが疫病神になったのは、中国の伝承と結びついたためであるらしい。

 

 今日は男性が4名と女性が4人の8人態勢での作業になった。

 

 中島先生はパソコンでデータの整理中。奥の方で多田先生はデジカメで画像撮影中。私と会長は整理された紙くず(?)のナンバリングやら解析やらをやっている。女性たちは紙くずのしわ伸ばしやら分類やらを担当している。

 

 これなどは、こどもの落書きだとばっかり思っていたが、「きた(北)ふせる(伏せる)とら(寅)のとし(年)というまじない札なんだそうである。お医者さんのいない時代、いない場所では、なんとかして自分たちの身を守ろうとしてさまざまなことをやったんだなぁと驚かされる。

  

 そのあと、「大師像」を担当したが、掛け軸状態なものが多かった。各地で頂いたり授かったお大師さんの像も俵の中に詰め込んであった。いくら信心深いからと言って、そこかしこに「おだいっさん」を掛けてばかりもいられない。古くなったものをもったいないとばかりに詰め込んだものだろう。

 

 午前中は晴れて居たのに、午後からは曇ってきて蒸し暑くなってきた。お彼岸も終わったから、そろそろと彼岸花もおしまいになることだろう。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は凸凹道だ 平坦な道はない」というもの。良くないことの後には必ず良いことがある。人生において平坦な道などはない。山あり谷ありで、まるででこぼこ道だ。人生を楽しむと言うことは、道をどう歩むかを判断し、歩き方を楽しむことであるような気がしている。お釈迦さんは、「人生は苦である」と悟られた。平坦な道ではないことを学ばれたのだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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ちんちろりん 台風一過の 野をいやす

2016年09月26日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は湿った空気の影響で曇り、太平洋側を中心に雨の降っている所があった。気温は22.3度から28.5度、湿度は94%から82%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の27日は、引き続き湿った空気の影響で概ね曇りで、夕方から夜のはじめ頃は雨の降る所があるらしい。

 

 という本を借りてきた。取り立てての意味もなく、そのあたりにあった本を掴んで借りてきたもの。この表紙にガリ版印刷の絵がある。「なつかしの」のすぐ下の絵である。確かに小学校の印刷物やプリント、宿題、絵日記帳・・・なんでもかんでもガリ版摺りだったように思う。

 

 こんなロウ引きの用紙を鉄やすりの上に置いて鉄筆で字や絵を描いたものを、

 

 

 このスクリーンの下に貼り付けて、右のローラーにインクをつけて印刷したものだった。中学校(1963)までは、そのような印刷だった。高校になると和文タイプとか英文タイプで印刷されていた。

 

 その後、輪転機というものになって多量に印刷できるようになった。専用の用紙に鉛筆やボールペンなどで文字や絵やを書いたり貼り付けて原稿を造り、それをローラーに巻き付けてスイッチを押せばどんどんと印刷できた。

 

 設計図面などは、「青焼き印刷機」というもので青焼きした。

 

 会議用資料なども青焼きしたが、ものによっては、

 

 こういうカーボン紙を挟んで複写することもあった。やがてのことに、カーボンには毒があるとか、PCBが入っているとかで複写用紙というものがなくなった。

 

 そしていつの頃からか、ゼロックスのコピー機というものが現れて文書印刷が楽になったことを覚えている。

 

 私のいた部署では、「DT-9658」とか、オアシスとかいうワープロマシンが入ってきたが、この、JW-10 というワードプロセッサーが誕生したのが、1978年の9月26日のことから、今日を「ワープロの日」と呼ぶのだとか。当時のおかねで630万円もしたのだとか。

 

 あれから38年・・・。ワープロという機械はすっかりと姿を見せなくなった。今頃はパソコンの中にワープロ機能を持ったアプリが搭載されていて、いとも簡単に文章を作成できるし、安価なプリンターで簡単に印刷も複写もできるようになった。写真だって簡単に文書の中に貼り付けることができるようになった。

 

 スーパーや郵便局の前には、早くも「年賀状印刷承ります」の案内が・・・。まだ9月の末だというのに・・・。

 

 それだったら・・・ということで本屋さんに行ってみると、あるではないか・・来年用のノートと暦が。ま、来年のカレンダーは決まっているのだから、特別な法律改正とかがない限り印刷することは可能だけれど。

 

 会社員時代から使い続けている博文館から出ている「DESK BLOCK」というダイアリーで、近年はこのB5版だが、それ以前にはA4番を使っていた。

 

 中身はこんな感じで真っ赤っか。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分から回っている気の風車」というもので、いつもの赤松先生のお寺の掲示板からのおことばである。『仏説譬喩経』の「黒白二鼠のたとえ」がある。(以下概要)

 一人の旅人が悪ゾウに追いかけられ、木の根を伝って井戸の中に逃げ込んだ。ほっとするのもつかの間、目の前に黒と白のネズミが出てきて、代わる代わる木の根をかじり出した。下を見れば大きな毒蛇が口を開けて旅人が落ちてくるのを待ちかまえている。このままでは確実に根は切れて、大蛇に食べられてしまうことになる。そこに、木の根のミツバチの巣から甘い五滴の蜜が口の中に落ちてきた。その甘さに心が奪われ、もっと蜜をなめたいと思って、旅人は今にも切れそうな木の根をゆすりだした…。(以上)

 ゾウとは時間の流れ、井戸の中の大蛇は私を待ち構える死の影、木の根は自分の寿命のこと、黒白のネズミは夜と昼のこと、すなわち私のいのちが一日一日と死に近づいていることのたとえである。五滴の蜜とは、そんなきわめて危機的な状況も忘れて、食欲、色欲、睡眠欲、名誉欲、財欲という日常的な欲望にうつつをぬかしていることをいうのである。生きる目的は、金でもなければ財でも名誉でもない。「人身受け難し、今すでに受く」(よくぞ人間に生まれたものだ)と生命の尊厳と歓喜に目覚めて生きることなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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草深き 耕作放棄地の曼珠沙華

2016年09月25日 | 日常・・ありのまま。

 さぬき市地方は湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所があったらしい。気温は22.4度から25.3度、湿度は94%から86%,風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の26日は、引き続き湿った空気の影響で概ね曇り、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 昨夜は「九月は彼岸の墓参りで酒が飲めるぞぉ~」ということで、三人兄弟だけの飲み会になった。奥方は娘んちの留守番に出かけて不在。鬼の居ぬ間のなんたら・・・というところ。

 

 で、30分も飲んで食べればおなかが満腹状態。そこで、歌声喫茶風に「ロシア民謡」を歌おうよ・・ということになったが、ロシア民謡なんて出てこない。「カチューシャ」だって、最初の一節だけだし、「一週間」だって、月曜日に市場に行って・・・それでおしまい。「トロイカ」だって最初のワンフレーズだけ。

 

 おきまりは「カラオケ一番」でのカラオケ競演。

 

 来月は「十月はお月見で酒が飲めるぞぉ~」かな。

 

 朝の六時半に起きたら、もう、弟たちは昨夜の鍋物のお出汁で「オジヤ」を作って食べて帰った後だった。

 

 次男の「よっくん」がクリが欲しいと言うてたので、クリを売ってる農家を訪ねたが不在だった。そこで、あちらこちらと探してみたが、最近は高齢化とかでクリを売っている農家や道の駅とかにもクリがない。

 

 そのついでに、ここに寄ってみた。いや、お土産屋さんではない。

 

 ご存じ、四国霊場88番札所大窪寺さんである。ここで何やらやっていたのでじっと見ていた。外国人のお遍路さんのドラマ撮影だろうか。左端のおじさんが監督さんみたいだった。

 

 この人がお遍路さん役の外国人。ただ、黙々と歩いたり戻ったり体操したりを繰り返していた。

 

 手水舎(ちょうずしゃ)での撮影中。ここでも何回も何回も手を洗うシーンを繰り返している。この右端の娘さんが見習いカメラマンというかアシスタンとみたいでコマネズミみたいに走り回っている。

 

 で、白髪の監督さんがのぞき込んでいるのはディスプレーで、カメラのモニターになっている。撮影したものをモニターで確認して「OK!」を出している。「あ、デジタルなんだ・・・」と、妙に感心し納得した。

 

 昨日の志度寺さんの記事の中に「面向不背の玉」というのがあったと思うが、志度寺さんの資料の中にあったのがこれ。どちらから見ても釈迦三尊像の正面が見えて、背中は絶対に見えないという玉である。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間必ず死ぬ 病気にもなる この身の事実から目をそむける事 それを迷いという」というもの。生まれたものは必ず死ぬことになっている。しかし、死ぬために生まれてきたのではなく、死ぬために生きているのでもない。 未来のために現在があるのではないし、現在のために過去があったのではない。その時の「今」こそかけがえのない「いのちの時」である。 過去に縛られることなく、未来を追うことなく、過去によって成り、未来を生む「今」を大切にしたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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コスモスは 咲いてその日を 良しとする

2016年09月24日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇っていたが、昼過ぎからは大気の状態が安定したためか晴れてきていた。気温は20.9度から26.1度、湿度は88%から76%、風は1mから3mの東の風がすこしばかり。明日の25日は、引き続き湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎからは大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となるらしい。

 

 さて、今日は、さぬき市観光協会の「おへんろつかさ養成講座」第三回志度寺研修の日である。ご案内の通り、おへんろつかさの会というのは、四国遍路の知識を伝え、さぬき市を観光的歴史的側面から全国に発信する活動をしている市民団体で、主には、上がり三ケ寺(志度寺・長尾寺・大窪寺)の案内や春と秋に遍路道を歩くまち歩きイベントなどを開催している。

 

 志度寺さんの駐車場は広くないので、受講生はさぬき市役所の駐車場に車を停め、ここに集合して、志度寺まで役員さんがピストン輸送する。

 

 講義は志度寺さんの書院をお借りしてのお勉強になる。

 

 9時からの一コマ目は十河瑞澄副住職より「志度寺現地研修」ということで、志度寺の縁起やいわれ、伝承などや境内内の建物の説明や各種仏像の来歴などについての講義があった。

 

 推古天皇の 頃に創建され、天武天皇の時代に藤原不比等が堂宇を拡張し、持統天皇7年(692)に、行基菩薩が大伽藍を修築したと伝えられているが、現在の堂宇は、寛 文10年(1670)高松藩祖松平頼重公が建立したものである。四国霊場86番の名刹である。本尊は十一面観世音菩薩で、脇士不動明王・毘沙門天と、絹本 著色十一面観音像、絹本著色志度寺縁起図絵六幅、志度寺縁起等付属文書九巻は何れも国指定の重要文化財である。寿永4年(1185)2月、屋島の戦いに敗れた平家一族が、この志度寺周辺で繰広げた源氏との激闘にも敗れ、西国に落ち延びて行った哀しい遠いものがたりもある

 

 天武の昔、 淡海公藤原不比等は、唐の皇祖妃から送られた面向不背の珠が、志度沖で竜神に奪われたため、身分を隠して都から志度の浦を訪れ、純情可憐の海女と恋仲にな り一子房前が生まれた。淡海公から事情を明かされた海女は、瀬戸の海に潜り竜神と戦い珠を取り返したが、竜神の為に傷付き真珠島で命を果てた。房前はのちに藤原家を継ぎ、大臣となった。ある日父より母である海女のことを聞かされ、行基を連れて志度を訪れ、志度寺の西北一丁あまりの所に千基の石塔を建立し、法華八講を修して亡き母の菩提を弔った。中央の大きな五輪塔が海女の墓と言われ、左右の円柱形の二基の石塔は内部を空洞にして経典を収める経塔である。

 

  毎年海女の命日である6月16日には大法会が行なわれ、16度市が立ち、千三百余年の昔をしのぶ供養が今もなお続けられている。また、謡曲「海士(アマ)」、浄瑠璃「大織冠」、歌舞伎「面光不背の玉」などで今に伝えられている。

 

 こうした地図で境内の案内もされたのが新鮮であった。

 

 二コマ目は、渡邊会長による「志度寺縁起絵図の鑑賞」という講義だった。志度寺には、こうした縁起絵図が七掛ある。今回はその内の「御衣木(みそぎ)縁起図」と「讃州志度寺道場縁起図」の鑑賞だった。

 

 本寺の縁起によると、志度浦にたどり着いた霊木を凡薗子尼(おおしそのこに、智法尼とも)が草庵へ持ち帰り安置し、その霊木から本尊(十一面観音)を造立し、堂宇が建立されたという。創建は推古天皇の33年(626)のこととされている。天武天皇10年(681)には藤原不比等が堂宇を増築し、「志度道場」として名づけたという。不比等に関わる「海女の玉取り」伝説は謡曲などでも知られる。また、持統天皇7年(693)には不比等の子・藤原房前が行基とともに堂宇を建立したと伝えている。

 

室町時代には四国管領の細川氏が代々寄進を行って繁栄するが、そののち戦乱により寺院は荒廃する。藤原氏末裔の生駒親正による支援などを経てのち、寛文10年(1671)、高松藩主松平頼重の寄進(本堂・仁王門)など、高松藩主松平氏により再興されている。

 

 三コマ目は、片桐孝弘氏による「さぬき市内の石造物について」という講義であった。

 

 先生は何年も掛けて遍路道沿いの石造物を丹念に調べて歩いて記録されている。

 

 なかなかに、こういうものをガイドする機会はないけれど、石造物を鑑賞する眼というもの、石造物を見て、これは何か・・ということを理解する上では貴重な講義であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「念仏は悩みをなくすのではなく 堂々と悩んでいける道である」という曽我量深先生の言葉からである。妙好人といわれた庄松さんはまさしく安心して悩むことができる道を見出された。「(悩みを)持ったまま」「邪険という角を持ったまま」、安心して堂々と悩 んでいける道しか、私たちがすくわれる道がないと仰せになったのは法然上人さん。そこには、いのちを我が物にして苦しんでいたことから解放された法然さん の喜びがある。思いどおりにならない状況のなかに、実は光輝く世界があるもの。法然さんは、「真宗の教えは立派な人になっていく教えではない。人間は愚か であるがゆえに、はかりしれないいのちからの呼びかけを常に聞いていかなくてはならないのだ」と言われている。この呼びかけを忘れて、自分の思いにとらわ れてしまうのが凡夫とよばれる私たちのあり方なのであろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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菩提子に ただ合掌の 昼下がり

2016年09月23日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、東部を中心に雨の降っている所があった。気温は21.5度から24.3度、湿度は94%から88%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。ずいぶんとしのぎやすい陽気になってきた。明日の24日は高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今年の春先の頃には、こんな風だった山も・・・。

 

 今朝方にはこんな風になってきた。重機の力はすごいもんだ。

 

 方向を変えて見たならば、こんなだった山が・・・

 

 こんな風になってきた。

 

 ということで、ダム一周の散歩コースを歩いてきた。最近、どうにも腹が張って食事が少ししか食べられない。「それは運動不足やで・・」と言われるので、涼しくなったので歩き出してみた。まだまだ、寝込むような年でもあるまいと思いつつ・・・。

 

 早くも金曜日になったのか・・ということで、香川県立図書館へやってきた。少しばかりアキニレの葉先が色づき始めてきている。

 

 借りていた五冊の本を返却して、また、新たな五冊の本を借りてみた。さぬき市の観光ガイドをやるのだから、さぬき市の文化財ぐらいはしっかりと勉強しておかねばと思い立って・・・。

 

 こういう本の情報の中にもさぬき市の情勢とかも記録されているはずだし・・・

 

 こういう本にだって、さぬき市の歴史にも絡むものもありそうな気がしたし・・。

 

 お昼からは、文化祭用の俵札調査の論文整理をやっていた。これは「私家版」というような性格のもの。メインの教育委員会発行予定のものは提出済み。

 

 メインの論文はひとまず完成。あと、資料編とか、関連する論文を集めての論文集にまとめる予定。

 

 今日の掲示板はこれ。「秋彼岸 弥陀の本願 無窮なる」というもので、昨日の勝覚寺の掲示板にあったもの。私たちが正定聚の絶対の幸福に救われるのは、南無阿弥陀仏の名号のお働きによることを明らかにされたのが「本願の名号は正定の業なり」(正信偈)のお言葉である。ところが私たちは「生きている今、正定聚不退転(絶対の幸福)になれる」と聞いても、あまりにもすごい救いなのでピンと来ないのがあたりまえ。そんな私たちに親鸞聖人は、あの弥勒菩薩より幸せになれるのだよ、と次のように教えてくださっている。「本当にそうだったなあ~!あの弥勒菩薩と今、同格になれたのだ。全く弥陀の誓願不思議としかいいようがない。しかも弥勒は56億7千万年後でなければ、仏のさとりが得られぬというのに、親鸞は今生が終わると同時に、浄土へ往って仏のさとりが得られるのだよ」と。そんなことを秋のお彼岸に聞かされたのであった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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法水の 流れ豊かに 秋彼岸

2016年09月22日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は湿った空気や前線の影響で雨が降っていた。気温は21.7度から24.5度、湿度は92%から94%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。今日は弱雨の一日になった。明日の23日は、湿った空気や前線の影響で曇り、明け方まで雨が降る見込みらしい。

 

 今日も朝から雨の一日になった。どうにも食欲もなくおなかが張るような感じだったので、軽く散歩に出たが、やっぱり、しっかりと濡れてしまった。傘を差すような雨でもなかったが、40分も歩けばジャージの上下は重たくなってしまっていた。

 

 明日だとばかり思っていた秋の永代経法要が今日だと兄弟子の三好師に知らされて、大急ぎでお寺に入った。午前11時を過ぎていた。

 

  讃岐国名勝図会には、開基は明暦三年(1657)沙門正哲の草創とあるが、寺伝によると、天正四年三好氏 落城のとき、その家臣板西城主赤澤信濃守は中富川の合戦において討ち死にし、天正十年(1582)赤澤信濃守の一子正本法師が菩提を弔うため、大坂天満興正寺で証秀上人につき得度し、丹生の郷小砂村に小砂坊を開基したのが勝覚寺の始めとされている。古い安楽寺末寺帖にも小砂正覚寺とあり、追加の記事にも三本松正覚寺とあり、創建も寺伝による天正年間が正確といえる。安楽寺末寺となったのは、阿波三好氏の関係であろうと思われる。その後正覚寺と号した。九代目願故のときの貞亨元年(1684)三本松村に移り、海暁山勝覚寺となったとされ、港町三本松の発展とともにその勢力をひろめ、寺院としての体裁を整えたと伝えられている。

 

 正午の梵鐘は英海さんが撞いてくれた。正式には7分間に10回の鐘を撞くらしい。私は好きなだけ撞いていればいいと教えられてきたのだけれど。

 

 今日は久々に兄弟子の三好師が出勤してくれて受付をしてくれていた。

 

 空は曇っているし、ときおり雨が落ちてきていたもので、みんな、何人のお参りがあるのだろうと心配していたが、けっこうなお参りの方が集まってくださった。

 

 お勤めは13時30分から仏説阿弥陀経と現世利益和讃。

 

 今回の導師は三男の善海師。清楚な声がよく沁みた。

 

 今日のご法話は高松市の佐々木安徳師。「愛顔敬語」、良き言葉を聞きなさい・・・というようなお話だった。

 

 菩提樹は中国原産の落葉高木で高さは10mほど。花期は6-7月頃で淡黄色の花を咲かせる。我が国へは、臨済宗の開祖栄西が中国から持ち帰ったと伝えられ ており、日本では各地の仏教寺院によく植えられている。お釈迦様が菩提樹の木の下で悟りを開いたとして知られているが、お釈迦さまの菩提樹は本種ではなく クワ科のインドボダイジュ(印度菩提樹、Ficus religiosa)のことらしい。中国では熱帯産のインドボタイジュの生育には適さないため、葉の形が似ているシナノキ科の本種を菩提樹としたと言われているらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「人はみな 生まれて生きて死ぬ 何急ぐ なぜ急ぐ 死を問わず」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあった言葉である。「人はみな、生まれて、生きて、老いて、病を得て死んでゆく。人は、なぜに生まれたかを知ろうともせず、いかに生きるべきかを問いつつも、なぜに生きているかを問われ、作り上げられた理想は崩れ去る。生きているのは偶然、死んでゆくのは必然。されど人は思う。生は必然、死は偶然と。昨日死んでいても不思議でない私が、今生きていることの不思議さ。人は必然する死を忘れて今を生きる。けれど、死は一刻たりとも私を忘れてはくれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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彼岸花 寝ぼけ眼を 嗤われる

2016年09月21日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は20.7度から26.0度、湿度は88%から74%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の22日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 来月の1日2日が氏神さんの秋祭りらしい。で、うちの地区からは獅子と奴さんがいつも出ているらしい。その経費を集金して、大総代さん宅へ収めるのも自治会長のお役目なんだと。ついでに、獅子と奴さんのご祝儀も一緒に大総代さんに預けてきた。

 

 で、領収書をのぞき込んで思わず吹いた!!。「領収いたさいました」とはなんたるこっちゃ、サンタルチア・・・。

 

 昨日はこんなに流れていた水が・・・。

 

 すっかりと水位は下がっていた。大きな被害も出なかったみたい。

 

 台風も一段落したようなので、県道防災工事も再開した様子。こんな木を重機で引き抜いては処分している。一気に山の形が変わってしまった。

 

 散歩を兼ねて、町内にある「みろく自然公園」に行って来た。今日は水曜日と言うことで閉園日。閉園と言っても公園全体が施錠されるわけではない。温泉とか食堂とか民俗資料館などの施設がお休みになるのであって、公園自体はフリーになっている。

 

 そろそろ彼岸花の季節だろうなぁということで覗いてきたが・・・。

 

 おやおや、これは夏水仙。ナツズイセンは、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草である。 和名は、葉がスイセンに似ていて、花が夏に咲くことから。また、花期に葉がないことから、俗に「裸百合」とも呼ばれる。彼岸花と呼ばれたり水仙と呼ばれたり百合とも呼ばれるらしい。

 

 これは「黄色い彼岸花」とは言わない。ショウキズイセン(鍾馗水仙)という花で、ヒガンバナ(彼岸花)によく似た黄色い花を咲かせる。日本では、九州や四国、沖縄など温暖な地域に自生している。ヒガンバナ科の多年草。花弁が波打っている様子を鐘馗ヒゲに例えたようである。別名はショウキラン(鍾馗蘭)とも。

 

 これが「白い彼岸花」などと呼ばれているが、厳密には彼岸花ではなく、Lycoris albifloraという「リコリス」の一種。ショウキズイセンとヒガンバナの交雑種である。

 

 これも、よくみると花びらが波打っているのでショウキズイセンの流れのよう。じっくりと見てみると、彼岸花のようでもあるが微妙に違いが見えてきたりする。

 

 これは、はっきりと彼岸花ではなくてリコリスである。

 

 わが家の土手にもたくさんの彼岸花が生えてきた。これがあるとモグラが嫌って土手を荒らさないとかと言われてきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しみも悲しみも 自分の荷は自分で背負って 歩きぬかせてもらう わたしの人生だから」という東井義雄先生のお言葉から。人生の主役はやっぱり自分である。私達は今どこに向かって人生を歩み続けているのか、見失いがちの毎日になる。そして、人生に目標があるとするならば、その目標をしっかり定めて生きていくことが大切なことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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台風が 去ってバナナが 曲がってた

2016年09月20日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は台風第16号の影響で、雨や雷雨となり非常に激しく降っている所があった。気温は21.7度から23.2度と肌寒いほど。降雨量は1mm/hから27mm/hとやや大目だった。風は2mから6mの北北西の風が一時は強かった。明日の21日は、高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 ご案内の通り、西日本は台風16号の噂で持ちきり・・・。九州から四国の高知沖から和歌山県に再上陸というコースでゆったりと進んだ模様・・・。

 

 そんなにも降ったようには思わないのだけれど、わが家のすぐ東の津田川は水量が増してきた。音もすごくなってゴォゴォ~・・と流れている。

 

 仕方がないから、迷犬ごんを玄関に避難させた。雨がまともに犬小屋の中にまで吹き込んでいるものだから。ところが、そのあたりにオシッコはするわ、廊下のマットの上で寝転ぶわという傍若無人ぶり。すぐさま、元の犬小屋に連れ戻した。私は動物にはやさしくない。

 

 警報発令だ、避難準備情報だと矢継ぎ早に防災メールが飛び込んでくる。そしてやがてには避難勧告まで発令された。

 

 わが家の上流にはしっかりとした県営ダムがあるし、この水位ならばまだまだ安全。この川の下流の人は危険だなぁと眺めるしかない。とにかくお昼が山場である。お昼を越えたら風も弱まるし、雨も小降りになる。

 

 お昼過ぎになって風も収まったので、自治会長のお役目執行。

 

 まずは農協さんに行って、18日に集金した自治会費と山の神さんのお賽銭とを入金しておく。公金だから無くしても困るのことだ。その後、秋祭りの獅子や奴用の祝儀や、赤い羽根共同募金や年末助け合いのお金を引き出して、それを近くの福祉協議会の事務所に持参して払い込んでおく。いちいち、募金や集金などしないことになっている。

 

 本来の趣旨を考えれば、戸別に集金して領収書を発行しなければならないのだし、金額だって一定ではなくて、それぞれの金額をお願いすべきところなんだろうが、ま、面倒くさい・・ということらしい。それだし、年末助け合い運動の募金までやっつけてしまうなんて事務的過ぎるのだろうが、私にすればそのほうがありがたい。

 

 それから集金した会費の中から、氏神さんの祭典費をここから宮司さんの口座に振り込んでおく。大総代さん宅に獅子や奴のご祝儀を持って行く筈だったのだが、雨が激しくなったので明日のことにした。

 

 確かに、この水量は警戒水位を超えているような。下流の方の被害が出ないことを念じたいもの。

 

 ま、わが家は何の被害もなく、台風16号は過ぎて行った様子。

 

 そそ。この台風のさなかに、わざわざ、この本を届けてくれた郵便屋さん。でも、amazon.comで買った本やKindle版はなぜか読まないのだ。クリックしたら、それで読んだような気になってしまうのかもしれない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人がどう思うかより 自分がどう生きたいか 自分らしさが生き易い」というもの。自分は何をしたいのか、自分はどうしたいのかよりも、他人にどう思われるか、他人にどう評価されるかということを優先して生きているうちに、自分の本当の気持ちが分からなくなってしまっているもの。自己肯定感がとても希薄になって、自分に自信が持てない状態になっているのである。苦しいけど、相手の事を思ってしまったり、もめ事は怖い、人にどう思われるかも怖いし結果の自分の損も考えてしまう。そう思ってると、何も言えなくなり、何も行動が起こせなくなる。「何をやりたいか」「何を大切にしたいか」「どんな自分になりたいか」「どんな生き方がしたいか」のような自分の望みを知ること。「何をすべきか」だけでなく,その人らしさ(=「どうありたいか」)に焦点を当てることが大切である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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糸瓜忌に 子規の生きざまを読み返す

2016年09月19日 | 日常・・ありのまま。

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で、雨や雷雨となっている。気温は23.9度から24.7度と久々に涼しくなった。湿度は94%から89%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の20日は、台風第16号が接近するため雨や雷雨となり、非常に激しい雨の降る所がある見込みらしい。

 

 連休だからとキャンプに行っていた娘家族が避難をしてきて、昨夜は賑やかな一夜になった。おかげかどうか、今日はおなかの調子がイマイチである。

 

 弟から電話があって、お彼岸中にお墓参りに行きたいのだけれど・・というので、お墓の掃除や草刈りをやっておかないといかんのだけれど、雨ばかりではどうにもならん。

 

 雨が小降りになったスキをついてお墓にやってきた。そんなに草を刈り払うほどでもないが、お墓の周りだけでもと草を刈っておくことにした。

 

 でも、お墓の周囲だけを刈ってみると、なんかおかしい。ということで、畑部分もみんな刈り払うことになった。

 

 私が子供の頃には、ここはサツマイモ畑だった。でも、子供らが大きくなるとサツマイモの時代ではなくなってそのまんまになっている。

 

 で、お花もついでに投げ込んできた。

 

 30分ほどで草刈りが終わったけれど、作業服も下着も汗と雨とでずぶ濡れになっていた。

 

 今日(9月19日)は、「子規忌,糸瓜忌,獺祭忌」である。1902(明治35)年の今日(9月19日)は、俳人・歌人の正岡子規(まさおかしき)の忌日で、糸瓜忌、獺祭忌とも呼ばれている。子規は、洋画の写生の精神を文章表現に応用して、俳句、短歌の革新を試みた。しかし、若くして結核を患い喀血をくりかえし、20代後半からは結核の骨髄感染(脊椎カリエス)のため歩くことすらできなくなり、病に臥していた。病臥する子規の棲家であった東京・根岸の子規庵には多くの門下生が集い、明治以降の日本俳壇史にもっとも大きな影響を投げかけた場所と なった。

 

 この“子規庵”には、日覆いかわりに、糸瓜(へちま)棚がしつらえてあり、彼の随筆や句集の中にたびたび登場する。この糸瓜の茎からは、「ヘチマ 水」が採れ、この「へちま水」は「せきどめ、利尿剤の薬用もあるので、そのためにも植えられていたのであろう。「痰(たん)一斗 糸瓜の水も 間に合はず」/「糸瓜咲いて 痰のつまりし 仏かな」/「をととひの へちまの水も 取らざりき」 自分の死期を悟った子規は、ちょうど死の前日の18日、この三句を仰臥したままで記したという。痰を切るのに効果のある糸瓜の水は陰暦の8月 15日に取るとよいと言うが、もうとても自分には間に合わない。すでに仏同然と、病み呆けた自分を客観視しているのである。なんという強靭な精神力だろう か。忌日を「糸瓜忌」とよぶのは、子規の辞世(絶筆)の句となった、上記3句によるものだとラジオが報じていた。

 

 tenki.jpによると明日も終日雨になるらしい。16号台風(マラカス)は明日の正午ごろにさぬき市あたりを通るらしい。あさっては晴れる予想らしい。高知上空でしっかりと雨を降らせて欲しいものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「"人"の"為"と書いたら "偽り"という字になりました」というもの。「人の為」だと思って物事を為すことは尊いことである。「人の為」と思うからこそ、物事を為すことができるのかもしれない。しかし、たとえ純粋な想いで始めたことでも、いつの頃からか「お礼を言われなかった」「誉められなかった」「見返りがなかった」など、不平不満の気持ちが溢れて来るもの。そのことを否定する つもりは毛頭ないけれど、本当に「人の為」を想ってのことなのかどうか、自分を中心に考えていなかったか?不平不満が出たときにこそ、問い返されることである。「偽り」と表現すると、わたしの想いや行動を否定されるように聞こえるかもしれないけれど、そうではなくて鏡のことばとして受け止めよう。「偽り」とは、わたしの姿を映し出していることばなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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萩の花 恥ずかしそうな 赤である

2016年09月18日 | 日常・・ありのまま。

 さぬき市地方は前線を伴った低気圧や湿った空気の影響で雨となり、雷を伴って非常に激しく降っている所があった。気温は23.7度から27.5度、湿度は94%から88%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の19日は前線の影響で概ね雨となり、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 小雨の降る朝の6時半に集合して作業開始。公的案内時間は午前7時なのだけれど。今日は「地神さん」のお祭りの日。地神信仰というのは、「阿波淡路右両国之内、古代之天子葬之場所有之由云々」ということで、阿波国内の天皇陵や古代の遺跡を掘り荒らした蜂須賀氏がいた。その神罰を恐れた、阿波徳島藩第11代藩主の蜂須賀治昭が、神職早雲伯耆の建白を受けて、藩内全域に地神塔(塚)を建て、春秋の社日(戌の日)に地元の氏子や農民に「地神祭」を行うようにさせたことが始まりとされ、阿波徳島藩や淡路藩、讃岐の東部、北海道などに地神として祀る碑や祠(地神社)が、千数百基はあるといわれている。

 

 その形は「五角柱の心石」「五角形の祭壇」「屋根がない」という統一性があり、塔の五面には、①天照大神【農業祖神・皇祖】※必ず北向き。②倉稲魂(ウカノミタマ)命【五穀祖神・稲米(五穀)の神 】。③埴安姫(ハニヤスヒメ)命【土御祖神・埴土(はに《=土器や祭祀》)の神】。④少彦名(スクナヒコナ)命【五穀祖神・薬学の神】。⑤大己貴(オオナムチ)命【五穀護神・葦原中つ国の盟主神】の五神の名をそれぞれの面に刻んである。

 

 今年の社日は、9月23日(金)であるが、町内の幾つかの集落は前に引き上げての日曜日に行うようになった。

 

 これは今年、新調した五社のぼりである。

 

 お掃除が終わってのぼりを立てて終わったのが、開始予定時間の午前7時(笑)。

 

 小雨の降る中、町内を走ってきた。ほぼ集落ごとに、この地神さんはあるみたいだが、全く見えない集落もある。来週の23日の社日の日になればのぼりが立っていればすぐにわかるのだが。ここはしめ縄も紙垂も新しいしサカキも新しい。近くにのぼりも立っていた。

 

 ここは何もされていないし・・。

 

 ここは集会場の裏手にあるが、ここも何もされていない。

 

 ここは紙垂(しで)もしめ縄も御幣も新しいから今日が例祭日らしい。

 

 ここも何もされていない・・。結局の薬局、町内をざっと走ってきたが、今日が例祭日なのは十ヶ所程度だった。来週の23日にも走ってみよう。娯楽の多様化や信仰心の変化で、おまつりをされなくなった集落もあるに違いない。 

 

 で、3時(15時)からは集会場で「直会(なおらい)」が行われるのだが、これまた30分前の2時半には集合することになる。ここではパン二個とお茶での井戸端会議に終始する。ま、これも地域の団結力向上策であろうか。今風に言えば、「情報の共有化」。

 

 で、昨日に準備しておいたさぬき市の広報などを配布して、村の鎮守さんの祭典費や自治会費を集金する。

 

 これまた、昨日に用意しておいた敬老のお祝い金をお渡しする。

 

 昨日に、千代紙で包装しておいたものをお渡しするのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「ただいたずらにあかし いたずらにくらして年月をおくるばかりなり これまことになげきてもなお悲しむべし」という蓮如上人のお言葉から。先日、俵札調査の仲間から、「法然上人、親鸞聖人、蓮如上人やと言うけど、たかが上人でしょ。空海さんはお大師さんなんよ」というお言葉があった。世の中ではそういうことなんやね・・。「法然さんは8つも大師号があるんよ・・」と説明したけれど案外と知らないことらしい。法然さんは、圓光大師・東漸大師・慧成大師・弘覚大師・慈教大師・明照大師・和順大師と、今の天皇からは法爾大師という大師号を頂いている。親鸞聖人はご存じ見真大師、蓮如上人は慧燈大師という大師号を頂いている。さて、私も今年で68歳、前期高齢者の仲間入りをしている。母は88歳、父は46歳で還浄しているもので、今更ながら自分の歳の重みと、蓮如上人が「ただいたず らにあかし、いたずらにくらして、年月をおくるばかりなり。これまことになげきてもなおかなしむべし。」と申してくださっている言葉をありがたく いただく ばかりである。そういうことで、ま、あちらこちらと走り回っているという次第でもある。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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降り足らぬ 雲多くして 秋の暮れ

2016年09月17日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降るところがあるらしい。朝夕は涼しくなったが、日中は蒸し暑い一日になった。気温は24.0度から29.6度、湿度は94%から78%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の18日は、低気圧や前線の影響で雨が降り、夕方まで雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 世の中は三連休だ、シルバーウィークだと言うてるらしいが、ドーナツの「ド」が付く田舎には全く関係のない話である。

 

 さて、ご案内の通り、今日は高松市福岡町にあるRNC総合展示場「セトラ高松」というところで「市民が語る讃岐の歴史講座」にお招きを頂いての出講の日である。後援が草創の会ということで、その会長さんの依頼であった。

 

 先月には古川庄八・古川阪次郎・山口嘉次郎という三人のお話をしたが、今回の担当だった先生が急遽入院されたということで、今月もお招きを頂いて、「英国士官レキ」についてのお話になった。

 

 ところが、今回は、ここでイベントが行われている・・・ということで大型テレビを貸してくれない。

 

 前回は、スクリーンの代わりに、このテレビを使っての講演になったのだが、今回はそれがないという。私も今回はプロジェクターもスクリーンも持って来ていないのだ。これではせっかくのパワーポイントでのプレゼンができない。

 

 仕方がないものは仕方がない。「それではお話ができません」という訳にもいかないので、ごく普通の口頭によるお話にするしか手はない。今までの「英国士官レキ」についてのお話よりも、その後のお話をお話することにした。これは、英国を代表してレキの墓を守ってくださった広島島民に対して感謝の言葉を贈ってきた、駐日英国公使のアーネスト・サトウ氏である。

 

 この方は、お雇い外国人第一号、リチャード・ヘンリー・ブラントン技師である。この人は日本に26の燈台を設計し完成させた人である。この人が乗った船がマニラ号であり、レイク士官候補生は、その乗組員であった。

 

 これが瀬戸内海の坂出市沖にある鍋島燈台で、これをブラントン技師が設計したものである。

 

 一方、こちらは兵庫県淡路島にある「江崎燈台」で、これもブラントン技師の設計によるものである。見る方向が違うので感じが違うが、ほぼ、「同じ形をしている燈台である。

 

 今日はイベント開催中ということで、ピザ・フレンチトースト・たこ焼き・蜂蜜ソーダの中から一点サービスということで、蜂蜜ソーダを頂いたが、これが乾いた喉には冷たくて甘くておいしかった。

 

 毎月19日に送られてくる公報類。今月は19日が祝日だということで昨日、送られてきた。これを仕分けして戸別にまとめて袋に詰めた。明日の日曜日が「地神さん」のお掃除の日なので、そのときに皆さんにお配りする。

 

 わが家の前の県道防災工事。だんだんと山の形が変わっていく。

 

 あちらこちらでススキの穂が見られるようになってきた。確かに季節は秋らしくなってきている。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間の大きさは その人が出会っている世界の大きさ」であるという言葉。町内の善楽寺さんの掲示板からである。農業をやっている人はどこに旅行しても、稲のできばえとか野菜の育ち具合しか見ないという。会社の事務職員は自分の仕事の範疇しか知らないし、技術者は自分の担当している職場しか知らない。孫悟空がどこまでもどこまでも飛んでいったのに、お釈迦様の手のひらの中で遊んでいただけのように、「人間の大きさは、その人が出会っている世界の大きさ」なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

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手を合わせ 初心忘れな 曼珠沙華

2016年09月16日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は22.5度から28.7度、湿度は87%から70%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の17日は、前線が日本海に北上するけれど、湿った空気の影響で概ね曇り、夕方から雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝が来るのがすっかりと遅くなってきた。目が覚めたのは6時過ぎだった。小雨が残っていたので、今朝も犬の散歩はやめにした。で、朝ドラが終わったので香川県立図書館にやってきた。借りていた本を返却するためだった。

 

 マグロかカツオかのようにじっとしてはいられない性分で、走り続けていないと息が詰まってしまいそうになる今日この頃、今日はここまでやってきた。

 

 一昨日、自治会長さんとのお話の席で、「英国士官没後150周年記念祭」をやらないとアカン・・ということになった。英国士官レイクさんのご子孫も見つかったし、そのご子孫も来日したいと言うてるらしい。どういうセレモニーをやればいいのかと探してみたが、どういう部門を探せばいいのかもわからない・・・。

 

 二年後の2018年の八月の夏休み期間中に墓前にテントを張って慰霊祭を行いたいとか・・。命日の12月20日は寒いし、かといって8月の夏休み期間中は暑すぎるやろ・・・。

 

 私は体育館の中で、両国国旗を掲揚し、両国国歌を演奏して、献花して、来賓のスピーチがあって、レセプションになればいいなぁと思って居るが、予算的なものもあるしな・・・と。

 

 それはそれとして、明日は早くも「歴史講演会」の日。慌てて、泥縄方式でパワーポイントの調整とリハーサル。画面を追加したり削ったり・・・。

 

 タイムを計ってページを削ったり修正したりして・・・。ほぼ80分にまとめてみた。あとの10分間を質疑応答時間に充てることにする。

 

 明日もお天気はよくなさそう。台風16号もやってくるのだとか・・・。

 

 ま、明日は台風の影響はないと思うが、お年寄りはお天気次第で出足が変わる。

 

 それだし、配布用資料がまだできていない。歴史年表でも印刷しておこうか。

 

 畑の中に子犬がいるのかと思えば瓜坊ではないか。サルの姿が見えないと思ったらイノシシが急増しているみたい。最近、イノシシ捕獲用のケージも見かけない。ああいうものにも休猟期間というものがあるのじゃろうか。

 

 わが家の目の前での掘削工事。だんだんと下に下りてきた。でもまだ半分程度。重機のゴツン・ガツンという音が響いてくる。今年中には終わるんじゃろうか。

 

 今年は少ないな、今年は遅いな・・と思って居たが、時期が来れば出て来るから不思議なもの。ちゃんとお彼岸が近づけば花が出て来る。彼岸花/曼珠沙華/死人花/地獄花/幽霊花/剃刀花/狐花/捨子花/毒花/痺れ花/天蓋花/狐の松明/狐花/葉見ず花見ず/雷花/レッドスパイダーリリー/ハリケーンリリー/マジックリリーなど実に1035もの名前があるのだそうだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「みようみまねで合わす手に やどるすなおな菩提心」というもの。仏さまの眼から見れば無心に遊ぶ子供たちの姿の中にも、菩提心はあるということなのだろう。そういえば、幼い子供は、みよう見真似で小さな手を合わせている。それにどんな意味があるのか、なぜそうなるのか知らないままに合わせる両の手。それでいながら、そこには不思議なほど仏さまの世界との一体感が感じられる。言い方を変えてみれば、大人より子供たちの合掌の姿の方がずっと絵になるのである。子供は純粋無垢という点で私たちより仏さまの世界に近いのかも知れない。だから素直な心そのものが菩提心だと受け止めてみてもいいのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、合えたらいいね。

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