まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

一応、戻りました。

2022年06月30日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 すみません。三日ほど留守して病院へ救急搬送されておりました。

 心配されたことだと思います。でも、なんとか自宅へ戻りました。しばらくは自宅で静養できると思います。

 明日からは平常更新ができそうです。今日は移動で疲れましたので休みます。

ごめんなさい。

 


雨の日は雨らしく睡蓮を見ている

2022年06月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 27日は、上空の寒気や湿った空気の影響で概ね曇り、午後から夜にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。明日の28日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 今日も又朝が来た。かけがえのない朝が来た。私のための朝が来た。それでも下腹部の痛みは消えていない。

 

 朝から、有料ブログを解消する方法を模索しているがわからない。台風があって、転居を繰り返し、電話番号もメルアドも変わってきた。カードも不明。とりつく島がない。

 

 向こうさんは本人確認したいらしいが、その本人がいつの本人かわからない。どこのだれかがわからないでは契約解除はできないのも道理。

 

 その合間に、ガイド仲間の見舞い客が来る。親戚筋のいとこ、はとこが来る。奥方は各種カードの名義変更ではしりまわっている。いらない客は呼ばないようにしてほしい。私はお接待やお茶も出せないからだなのだし。

 

 おなかに水がたまると呼吸が苦しくなる。見舞客はお断りのはず。

 

 dカード、スマホと名義変更はいくらでもある。銀行口座から給油カードとたくさんある。奥方は走りづくめだ。パンツが合わなくなった、パジャマが着られない。5Lサイズの下着やパジャマも欲しい。

 

 雷鳴とどろく中での留守番は不安だ。その証拠に、おやじギャグもジョークも出てこない。出るのは愚痴ばかりだ。それが生きている証拠でもあるのだが、きかされるほうはいやだと思うし。

 

 今日の掲示板はこれ「露の身は ここかしこにて 消えぬとも こころは同じ 花のうてなぞ」法然上人が今からちょうど八百年前に詠まれた歌である。当時は、法然上人の説かれた念仏の教えが大いに広まったため、比叡山、興福寺など旧仏教側が朝廷に働きかけ、浄土宗の弾圧を画策していた時代だった。

「私たちの命は、露のようにはかなく、いつ尽きるとも限りませんが、念仏を称える者は必ず極楽浄土に往生し、蓮華の座(台=うてな)で再び会うことができるのです。」と、浄土での再会をお約束されたのである。この別れの後、ひと月も経たないうちに五十四歳で兼実公は亡くなった。しかし、浄土三部経の一つ『阿弥陀経』で説かれた「倶会一処」(くえいっしょ)の教えが、法然上人と、離れ離れになった弟子や帰依した人々を結んでいる。誰しも家族や親しい人との別れは、言葉に尽くせないほどの悲しみだが、お念仏の生涯をおくれば、お浄土で再び会えることを法然上人は何度も説かれている。でも、私の口からはグチだけで南無阿弥陀仏は出てこない。
 
 
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

梅雨空は嬉しくもなし塩むすび

2022年06月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 26日は、上空の寒気や湿った空気の影響で曇ったり晴れたりとしていた。雨や雷雨とはならなかった。明日の27日は、上空の寒気や湿った空気の影響で概ね曇り、午後を中心に雨や雷雨となる所がある見込み。

 

 梅雨というよか「夏っっ」というような夏空になった。緑の葉っぱが美しい。

 

 さて、昨夜から神戸からお客さんがお見舞いに来られて、まるでこれがお通夜なのかという賑やかさ。本当のお通夜もこんなだろうかと思いながら眺めていた。私のお通夜に涙はいらないと思う。

 

 明けて今朝は、エアコンの掃除やら調整やらをやってもらった。これからの時期、エアコンは必需品。

 

 奥方の野菜畑からはこうした夏野菜がとれたと大騒ぎ。とにかく賑やかなことだった。

 

 で、肝心のカードのことで相談してみた。

 

 この三井住友なんたらというところから、毎月、数千円の引き落としが何年も行われているが、何のおかねかわからない。そこで、みんなの知恵を出してもらった。「詐欺ではないのか」」「詐欺臭い」」という話だったが、結局の薬局で「有料ブログの電子遺産」ということになった。

 

 そう、このGooブログの使用料金らしいと判明した。家族からは清算をしておいてほしいといわれているが、これを解約すれば、このブログが止まる。それでは、このブログの意味がない。このアドバンス契約を解除してやめたらここがとまる。むつかしい選択だ。

 

 今日も腹水が溜まってきて苦しいい。早く楽になりたいが、当分は無理みたい。いつまで苦しみ続けるのだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「乗れば人 歩けば車 邪魔になり」というもの。狭い道で自動車と出くわした時、自分が徒歩だったので、道を譲ると、あいさつもなく走りさった時、「なんてやつだ。本当に車は邪魔なものだ」と腹を立てるだろう。かと思えば、自動車で出かけたが、遅刻しそうになった。ところが、狭い道の真ん中をご老人が悠然と歩いている。どうやらこちらには全く気 がつかない様子だ。クラクションを鳴らしてびっくりさせてもと思い、結局イライラしながら後ろを付いていった。内心は「まったく邪魔だ、もう少し気をつけて歩いたらいいのに」と腹を立てるだろう。「済めば人 治れば病院 邪魔になり」病院では、会計が終わった患者は、もう他人。治った患者にすれば、もう、病院はいらない。とにかく、我々は「自分以外は全て邪魔」・・・なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


梅雨さなか花は咲けども実は遠い

2022年06月25日 | 時にはぼぉっ~とする時

 25日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。その後も、雨や雷雨となる所がある見込み。明日の26日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 相変わらず生かされている。胸から上は元気いっぱいだが、下半身は水ぶくれ状態で歩きにくい状況。

 

 ミミズにおしっこをかけるとあそこが腫れてくるという学校伝説があった。先日、遍路墓調査の時に2匹のかんたろうみみずが現れた。それにおしっこをかけた記憶はないが、あそこが大きく腫れてきて歩けなくなった。これが原因で不整脈が出たという証拠はない。

 

 とうとう、二階の事務所からPCを一台、ベッド近くへおろしてもらった。身辺整理のためでもある。

 

 実は、カード類の大幅整理のためである。私がいなくなればカード類は不要になる。いらぬ課金や年会費は支払いたくないらしい。そういう確認用である。

 

 午後からは「遺影」の撮影である。私にだって写真はたくさんあるのだけれど、満足できるものは少ない。

 

 それを本格的なスタジオで、お坊さんの衣装を着ての撮影になった。撮影料3,300円、額が11、000で14,300円だった。

 

 これでお葬式の準備はできた。遺影、会館は大川セレモニー会館、坊さんと法名の手配もできた。だから、明日に死ねるかというと、そう、かんたんにはいかない様子。よほどのことがない限り数日、十日は大丈夫な気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなに辛くても生きること 幸せだけの世界はどこにもない」というもの。これはまた、なんとも突き放されたような厳しいお言葉であるが、時には「どうして自分はこんなに不幸なんだろう」と考える時がある。人からは幸せそうに見えても、本人にとっては辛い思いをしている時もある。でも、誰しも、楽しいことばかりが続くわけではないし、自分一人だけが辛いわけではない。それぞれに、皆、辛いことも楽しいことも抱えて生きているものである。辛いことがあるからこそ、それを乗り越えて、初めて幸せがわかるということもあるもの。やまない雨がないように、やまない風がないように、どんなに雨が降ったとしても、いつかは降りやんで晴れて来るもの。それと同じように、今は辛くても、あきらめずに生きていれば、きっと幸せにめぐり合うことだろう。楽しいことに出会うことができるだろう。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


目を覚ますノウゼンカズラと空の青

2022年06月24日 | 時にはぼぉっ~とする時

 24日は、高気圧に覆われて晴れるが、湿った空気の影響で昼過ぎから曇り、雨や雷雨となる所がある見込み。香川県では、24日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごすよう呼び掛けていた。明日の25日は、梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、昼前は雨が降るらしい。夕方まで雷を伴う所がある見込み。

 

 今日は千客万来の日。午前十時には観光ガイド仲間がやってきてのお見舞いと形見分け。ガイドの制服やマニュアル、ガイド資料なんぞを引き渡しておいた。もう、私には必要でなくなったもの。

 

 こういう制服も引き渡しておいた。わがガイド生活に悔いはない。

 

 で、そのお土産の手作りのシフォンケーキらしい。二人のガイド仲間は泣きながら、ガイドブックやマニュアル類を提げて帰った。三男夫婦もお見舞いに来てくれた。こちらは水ようかんだった。

 

 午前中、奥方が友人の寺院に連絡してくれて、前住職がお葬式の導師をやってくれることになり、法名も準備してくれることになった。御経は短めに「讃仏偈」と「正信偈」、院号不要のお布施は安めにお願いした。

 

 私には友人・知人が少なく、どこへお葬式を頼めばいいものかと悩みの種だったが、一挙に解決。安堵である。とどのつまりはお坊さんなしでもと。

 

 葬儀は会館葬の家族葬。時流に乗っての「新しい生活様式」での葬儀になるが、奥方に一存。母の時のような、お供え物や生花はご遠慮いただく予定。いたって簡素になる予定。

 

 遺影は明日の土曜日の午後にする予定。額も100円ショップの額にしようかと考えたけれど、娘に却下されて母の時のような白い額(11,000円)に決めた。

 

 今日も暑いからオカベの麺での昼食。

 

 午後からは、その前住職(会社風に言えば取締役会長)夫妻がお見舞いに来てくれて、葬儀の段どりやら、法名の件なども一任しておいた。

 

 それが終われば、県立病院からの訪問看護師がやってきたが、腎臓病は治らない。透析なんぞは現状維持が精いっぱいらしい。だから、私の場合は「終末医療」に入ることになるらしい。つまり、痛み止めだけで死を迎えることになりそう。仕方がないな。

 

 今日の掲示板はこれ。「眼を開けば どこにでも教えはある」というもの。同じく道を求めても、先にさとる者もあれば、後にさとる者もある。だから他人が道を得たのを見て、自分がまだ道を得ていないことを悲しむには及ばない。眼を開けば、どこにでも教えはある。同様に、さとりへの機縁も、どこにでも現われている。香をたいて香気の流れたときに、その香気の、あるのでもなく、ないのでもなく、行くのでもなく、来るのでもないさまを知って、さとりに入った人もある。道を歩いて足に棘を立て、疼きの中から、疼きを覚えるのは、もともと定まった心があるのではなく、縁に触れていろいろの心となるのであって、一つの心も、乱せば醜い煩悩となり、おさ めれば美しいさとりとなることを知って、さとりに入った人もある。「心を平らにせよ。心が平らになれば、世界の大地もみなことごとく平らになる。」という教えを聞いて、この世の差別は心の見方によるものであると考えて、さとりに入った人もある。まことにさとりの縁には限りがない。(仏教聖典・夜の部より)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


梅雨空に控え目気味の箸を置く

2022年06月23日 | 時にはぼぉっ~とする時

 23日のさぬき市は、高気圧に覆われて概ね晴れてはいたが、大気の状態が不安定となるため、夕方まで雨や雷雨となる所がある見込み。明日の24日は、湿った空気の影響で概ね曇るらしい。

 

 先日、香川医大付属病院のCCU(集中管理室)にいた時のことである。急患で90才くらいのおばあさんが運び込まれてきて、私の隣のベッドに寝かされた。仕切りはカーテンだけである。「おばあさん、痛いところはああるんかいの」という若いドクターに「おつべが痛い・・・」を繰り返すが、若い医者はわからない。「おばあさん、おつべというのは頭ですか、おなかですか」と言っている。

 

 「おつべいうたらおつべじゃが!」を繰り返している。私はおかしくて大笑いしたかったが、こちらも重病人である。黙っていると「おいどじゃが、おいど!」というので医局は大混乱になった。これはただならぬ気配だと悟ったおばあさんが「尻じゃ、尻じゃ」で混乱は静まって大笑いになった。古いさぬき弁では、「尻」を「おつべ」」とか「おいど」」とか言ったものだった。多分、京の都人のことばだとか聞いたことがある。

 

 わたしも長いこと寝ていると、「おいどが痛くてたまらんようになってくる」。さて、私のベッドサイドには、このような酸素吸引機が用意されていて、暇さえあれば酸素を吸っている。

 

 近くには、こうした酸素ボンベや移動用タンクがおかれている。つまりは「臨戦態勢」にあるということらしいう。

 

 さて、これが私の母の「繰り出し位牌」である。なかなかに、こうした文字は書けぬものだ。

 

 ということで、私の法名軸の原稿を考えてみたが、カッコつけすぎである。「釈暁光法師」だけでいいなと思った。

 

 今日は孫の「なぎ」ちゃんがお見舞いに来てくれた。で、学校で練習中の童謡の演奏を弾いてきかせてくれた。保育士志望とのことだった。「カーラスなぜなくの カラスカラスからす・・・」と前には進まないのがかわゆいではないか。

 

 10時からはケアマネさんが登場。7月分の介護計画の策定だった。

 

 だんだんと文章も現実味を帯びてくる。ま、いつ、その時が来ても慌てないようにだけはしておかねば・・・。

 

だんだんと、お見舞いの品物がとどくようになってきた。私が子供のころには、桃やパイナップルの缶詰が当たり前だったような気がしたが、高知の温室ミカンとか熊本のスイカ、千葉からは桃が届くらしい。いや、別に催促をしとるわけではないぞ。

 

 辞世の歌の清書もしておいた。

 

 今日は蒸し暑いので、徳島の「オカベの麺」」という半田そうめんを食べてみた。冷やっこくておいしかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「朝の来ない夜はなく 乾かない涙もありません」という、やなせたかしさんのことばから。似たようなことばはいくらもある。「上がらぬ雨はなく、止まらぬ風もない」、山よりでっかい獅子は出ん・・。春の来ない冬もない・・・。でも、不幸の絶えない世界は続くし、悲しみの絶えない社会は止まらない。だからと言って打ちひしがれてもいられない。今が不幸のどん底だと思っても、やがてには、そんな悲しみや苦しさなんて忘れてしまえる日がやってくる。こんなに悲しくて仕方がないのにと泣き崩れていても、そんな日々があったことさえ忘れてしまえる日がやってくる。生きてさえいれば、やがてにはどうにかなってしまうもの。「この世で起きたことは、この世で片付いてしまう」。そう考えて、前を向いて歩いて行こう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


梅雨の河淡い光を運ぶ鳥

2022年06月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 22日は、梅雨前線や湿った空気の影響で概ね曇り、昼前は雨の降る所があった。明日の23日は、高気圧に覆われて概ね晴れりうが、気圧の谷の影響で昼前から夕方にかけて雨の降る所がある見込み。

 

 さすがに「梅雨だなぁ」と思える昨今。まだお迎えがやってこない。命が尽きると言うことは、こんなにも苦しいものなのか。楽なままで逝けたらよかったにと思うのだが、こればかりはしかたが無いらしい。かかりつけ医のドクターが何回も死の宣告をしてもニコニコとして病院に現れるのだからあきれ顔である。

 

 よく、「あの人はいい人だったのに早死にしてしもうたね」なんぞという話を聞くたびに、「そうか、オレはいい人じゃないからなかなかに死ねないのか」と陰口の一つも叩きたくもなるでは無いか。

 

 それにだ、例の「遍路墓学事始」が完成したとたんに良友が亡くなり、この私が病魔に取り憑かれたのだから、赤の他人のお遍路のお墓をいじくり倒したせいかも知れないと考え込んでしまうことがある。まさか、この科学の進歩した現代において、そんなことが起きるはずがないじゃないかと思ってみても、お墓にワイヤーブラシをかけられたお墓の主は喜んでいるはずはないな。

 

 さて、マクラはそのあたりにしておいて、今日の本題である。普通、浄土真宗の信者は「位牌」なるものを作らないとされている。私たち非力なものが「追善供養:回向」なんぞできる訳がないからである。でも、このあたりでも、立派なお墓を作ったり建てたり、こうした立派な位牌を作るようになったのは、葬儀社の意向が働いているのかもしれない。

 

 我が家の仏壇にも、このような「位牌」がある。中には薄い木の板が10枚ほど入っていて、そこに故人の法名やら俗名やらをお寺さんに書いてもらって納めてある。ご法事の時には、その繰り出し位牌を前面に出してお経を読む。でもだ、故人は「佛」となって極楽浄土に居てるのだから、こんな木箱の中にはいないのだ。

 

 で、過去帳という手もあるのだが、10数年前の台風で流されてしまったので昔の情報が残っていない。それを復刻するとなると大変だ。そこで、こういう「法名軸」というものを考えている。

 

 こういう風に、文字を書いてつるすらしい。でもだ、お葬式もしないのだから檀那寺に書いてもらうわけにもいくまい。かといって、カラープリンターではつまらんじゃろうに。はてさて、どうしたもんじゃろうかい。

 

 次にだ。観光ガイド用の制服も返納したいのだ。置いても仕方が無いし、ゴミ出すにも手間だし。で、あさってに、仲間に「形見分け」ということで、「一式」を分与したいと考えている。

 

 こういう「式章」とか、私の「南無阿弥陀仏」の文字入りの白衣とか。

 

 それに膨大な「大窪寺ガイドマニュアル」なんぞも。

 

 ざっと50冊以上はあるように思う。「あなたの持ち物は、私があなたを偲びながら泣きながら片付けするの・・・」とけなげに言うていた奥方だが、あきらめがついたのか、どんどんと準備をしてくれている。特に本は重いから仲間にあげたほうがすっきりとするではないか。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に回り道はあっても 近道はない」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。京都の永観堂さんのことばかも。人生の目的地がどこか・・という疑問もあるけれど、遠回りして気づくならば、それも悪くないし、遠回りするからこそ、気づくことだってあるように思う。「歳をとりすぎた!」「チャンスを逃した!」「今からでは遅い!」「もう手遅れだ!」と言うのは簡単だが、まずは一歩踏み出せば、見える世界が変わるもの。遠回りは、幸せへの近道なのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


雨の中濡れて凛々しく立葵

2022年06月21日 | 時にはぼぉっ~とする時

 21日は、梅雨前線や湿った空気の影響で雨となっている。明日の22日は、梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、明け方まで雨や雷雨となる見込み。

 

 野菜作りが好きな奥方にとっては待ちわびた雨になった。野菜やバラにとっても嬉しい雨らしい。

 

 奥方は野菜が採れると大騒ぎしている。

 

 今日は「夏至」。夏至は日本や中国で採用されている太陰太陽暦における二十四節気の一つ。夏至には「日長きこと至る(きわまる)」という意味があり、日本を含む北半球では一年のなかで最も昼の時間(日の出から日の入りまで)が長くなり、太陽の南中高度が最も高くなる日だ。一方、南半球では逆に一年のなかで昼の時間が最も短くなるらしい。知らんけど。

 

 さて、遺影の準備である。今日明日という話ではないが、近く予定されているその日のためにそろそろと準備を始めている。最近は「新しい生活様式」たらでお葬式も簡略されたり、お葬式を取りやめるおうちもあるように聞いている。だから、遺影なんぞは不要だとも思うし、跡継ぎがいないのだから子孫のために・・・という話も必要はない。

 

 最近は、こういう画像修正やら加工なんぞもできるからと、奥方に写真館に行ってもらった。

 

 娘が「これがいい」と言うんで相談したら、四つ切に伸ばすと画像が乱れて遺影にはならないという。

 

 ならば・・・ということで、同じような衣装で撮りなおすと3,300円だという。

 

 で、額が11,000円だという。葬儀もしないのだから百均の110円でいいじゃないか。向こうさんはカモがネギをしょってきたのだから少しでも多くを儲けたい気分はわかるが、「新しい生活様式」で押し通せばいい。それに家族葬で少人数の会葬者でお坊さんも不要。お経も必要ない。私は極楽浄土に転居届を出すだけだから。法名はお坊さんになったときに頂いている「釈暁光法師」である。 

 

 それに小学校からの同級生だからと言って安くもしてはもらえない。

 

 ま、いつかは必要だから考えておくことにしよう。

 

 今日の掲示板はこれ。「何かをしたい者は手段を見つけ・したくない者は言い訳を見つける」というもの。アラビアのことわざであるらしい。あなたが今、何かをしようと思っているとしよう。その手段を考えているのなら、きっと上手くいくはずだ。仮に、失敗を繰り返したとしても、必ず解決する。けれど、出来ない理由を探しているのであれば、それは叶わないことになるだろう。なぜなら、「やりたくない」からできない理由を探しているからだ。「忙しい」「時間がない」「疲れそう」「やっても無駄」・・・どれももっともらしい理由だけれど、不可能というほどの理由ではない。どんなに忙しくても、24時間365日ずっと忙しいわけではないはず。必ず休息の時間や空き時間がたぁんとあるはず。時間がないと言うけれど、意識していないだけで時間はあちらこちらにあるものだ。やっても無駄だというのは、やっていない人の常套句。とりあえず、やってみるしかないではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ねむの木の葉っぱのように眠りたい

2022年06月20日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 今日、6月20日は私の74回目の誕生日である。その瞬間(20日の午前0時)をトイレの中で迎えた。

 

 そんな、とんでもハップンな誕生日になった。本当ならば優雅な料亭なんぞで迎えたい時間だったが、よりによってトイレの中だったとは。 それが私らしい人生なのかもだ。

 

 で、今日はお坊さんらしく頭をさっぱりとしてもらい、伸び放題だったヒゲも剃ってもらった。いや、別に納棺の準備やないで、病院へ行くためである。県立病院でも香川医大でも、心臓の話しかしないので、業を煮やした私目は、訪問看護の看護師さんの口づてで泌尿器科の診察を受けるためである。

 

 この足のむくみも尋常ではない。この分だけの水分がたまっているのである。それが体重で言うと、約10リットルという計算である。

 

 でもだ、泌尿器科のドクターは、

 

 「おしっこはたまっていません」というばかり。で、「おしっこを作れていないのですよ」という。腎臓が悪くなって体液からおしっこにできないのだという。それでは困るのことよ。

 

 で、「導尿」の次の段階で、カテーテルの挿入になった。詳しくは自分で調べてくださいな。でも、これが痛いのだ。でも、少しずつは体液が抜けてきている。

 

 今日の掲示板はこれ。「あなたでなければできない仕事があるのです」というもの。これまた、誰の言葉かはわからない。それはそれとして、世の中にはいろんな人がいるもの。自分とは意見の合わない人、そもそも価値観の違う人、その逆に、とても気の合う人…。しかし、それは所詮「自分」という色メガネでもって分類しただけのことなのだ。「その人にはその人にしかできないその時の役割がある」。自分や相手が位置するポジションには必然や偶然もあることだろう。代わりの人だっていくらでも居るかもしれない。でもその役割は、その人でなければなし得なかった…。そういう時と場合がある。人生は、そういうことの積み上げであるし、その繰り返しであろうと思った。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


青ガエル飛べないままに日が落ちる

2022年06月19日 | 時にはぼぉっ~とする時

 19日のさぬき市は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは湿った空気や日射の影響で雨や雷雨となる所があるらしい。明日の20日は、梅雨前線や湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 まず、この10日のドタバタ劇を振り返ってみようか。ことの起こりは8日の早朝にやけに頭の中で鐘がなるなぁと思って脈拍数を図ったことからである。普段はペースメーカー設定で脈拍は80固定のはず。それがいきなりの「158」とかの倍数近くになっている。「これはタイヘン、大変だぁ・・」となるではないか。

 

 心室細動とは、不整脈の一種で、1分間に300回以上、不規則に心室がブルブルと震える状態を指すらしい。この状態になると心室が正常に機能しなくなり、全身に血液供給を行えなくなるという。全身への血液供給がおこなえなくなると、いわゆる心停止と呼ばれる状態となる。数分で呼吸は止まり、血流がないため脳、腎臓、肝臓など重要臓器に障害をきたしてくる。できる限り速やかに治療を行わなければ短時間のうちに危険な状態に陥ることもあり、心臓が原因で突然死する病気のなかでは多い疾患として知られているそうな。

 

 そこで最近有名になった「AED」。病院ではもっと大掛かりな「電気除細動器」いわゆる「電気ショック」である。これで一旦、心臓の脈を止める。池の波を一旦はなくしてしまう。その後、ショックを与えると水面にきれいな波が起こってくるという寸法らしい。私は知らんけど。

 

 それを過去にも一回、8日に1回、9日に2回、10日にも2回やったそうな。つまり、6度死んで7回目で生き返ったものの不正脈は収まらず、香川医大付属病院へ救急搬送されたわけだ。医大病院ではペースメーカー設定器で、脈拍を固定にして不正脈は収まったのになんだかんだと返してくれない。そこで強引に「自宅で看取ってほしい」ということでなんとか脱出したわけだ。

 

 で、今度は「医療保険チーム」が動き出して、訪問看護の看護師がきたので、「尿が出ない」と訴えて、「導尿」とかの処理をやってくれ、さらに明日の朝いちばんに泌尿器科」で診察を受ける手はずもつけてくれた。明日の診察で答えは見つかると思うのだ。

  

 きょうのお昼はまたしても「富山の氷見うどん」である。オカベの麺は太くても、しょせん「そうめん」であり、細くても氷見うどんはおうどんである。

 

 今夜も夕方には「訪問看護の看護師」が来る。明日は病院での泌尿器科の診察、21日は病院からの訪問看護、22日は安静日で、23日はケアマネの来宅会議、24日はまたしても訪問看護の日。

 

 今日の掲示板はこれ。「なんとかなる なるようになる なるようにしかならない 心配するな」というもの。一休和尚が弟子たちに残したとされる遺言が『大丈夫、心配するな、何とかなる』というものだった。トンチで有名な一休禅師のお話。 一休禅師が亡くなる直前に弟子たちに、「この先、私が亡くなった後、本当に困り果てた時、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と巻物を遺して亡くなった。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事になった。弟子たちは、知恵の限りを尽くしたけれど、妙案を思いつかず、どうしようもなくなった。そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出して、恐る恐る紐解いてみると、その巻物にはこう書かれていた。『大丈夫、心配するな、何とかなる』。それを見た弟子たちは、あっけにとられ笑い出した。ほどなく、一休禅師がまるで見透かしていたかのように、どうしようもないと思われていた寺の問題は、見事に解決してしまったと言う。ただ、医学では、そういうことは理解されない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


七度目の余生を生きると誓った日

2022年06月18日 | 時にはぼぉっ~とする時

 とりあえず退院しました。まだ原因も対処方法もわからず、「看取り」という形での無罪放免です。何日の余生があるのか、どういう暮らしをすればいいのかも手探り状態です。

 運がいいのか悪いのか、私を見ててそう思う。通信環境も新しくコンパクトになった分、短い文章になりますが、当分はごめんなさい。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


梅雨前はなぜかこころが濡れている

2022年06月07日 | 時には日々是日

 7日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は19度から23度、湿度は78%から62%、風は5mから1mの西の風が少しばかり。明日の8日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 収縮期74mmhg、拡張期61mmhg、脈拍165bpm、体温36.4c/酸素濃度99%/体重64.2Kg 室内気温23.0c/室内湿度59.9%/気圧1002hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:51分、日の入りは19:14分 月齢は7.6の小潮。

 

 今日の脈拍がおかしい。いつもは80固定になっているはずが、今日はその倍近い166から170あたりを示している。脈拍というのは心臓の鼓動である。心臓が倍近い早さで収縮運動をしている訳だ。これはただならぬ異常事態である。

 

 変わったところというと、例の篤秀先生の死亡とトイレに行っても尿が全く出ないことくらい。血圧はややひくいが問題になるような数値では無い。いったい、何が起こったというのだろうか。

 

 脈拍は通常60から100bpm(BPM. Beats Per Minute. テンポ の単位 - 一分間の拍数のこと)。私の場合はペースメーカーで80固定になっている。それ以下になるとペースメーカーが働くが上の場合にはこんなことになる。

 

 奥方はお休みだから朝早くから畑仕事。ソラマメの収穫をやっている。

 

 今日は月の第一火曜日と言うことで大窪寺のガイド練習日。心臓が心配だけれども班長としてのお仕事もある。一応、顔見せだけでもと出かけていった。でも、一通りの挨拶や注意事項をお話しておいてから、みんなの勧めで病院に行くことになった。

 

 後のガイド練習はみんなにお任せして大窪寺を後にした。

 

 だから、病院に着いたら10時過ぎ。予約診察日ではないので診察枠がないという。でも、血圧を測ったり脈拍を調べたり、体温測定をしたりしてくれて、15時からの診察になった。

 

 そこでひとまず帰宅することにした。とても4時間も5時間もは待てないというものだ。

 

 で、不本意ながら、今日はここでのお昼になった。

 

 で、今日は食欲もないし、心臓が心配だからとあっさりと「ぶっかけうどん小の温いん」をお願いした。おなかがすいていたのか、お出汁まで飲んでしまった。お値段は忘れた。350円くらいだったかと思う。

 

 で、帰ると早速に途中で見つけたハチクを調理しておく。脈拍が心配だけれども、心配してもどうなるものでもない。痛みもないし、胸が苦しいことも無い。ただ、数値が高いというだけなのである。

 

 いつものように縦割りにしてタケノコが破裂しないようにしておく。それを細かく切っておく。そうすれば熱がよく通るではないか。そうすると固くならずにおいしく食べられるというものだ。

 

 結局の薬局でお鍋二つ分になった。あとは奥方にお任せである。

 

 今日の掲示板はこれ。「一番わかっているようで 一番わからぬこの自分」という相田みつをさんの言葉で、いつもの町内の善楽寺さんの掲示板にあったものだが、つくづくそう思わされる場面がある。自分のことさえ分からないのに、人様のことや、周りで起きる出来事というのも、分かっているようでも、本当には分からない。ソクラテスが、「無知の知」ということを言っているが、自分は十分には分かっているわけではない、という謙虚さを持つことは大切だ、と改めて思わされたし、また知ったかぶりするのではなく、学ぶべきことが多くあるとも思わされたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


雨しきり濡れたこころにあまがえる

2022年06月06日 | 時には日々是日

 6日のさぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で終日雨が降っていた。気温は18.5度から22.9度、湿度は88%から74%、風は5mから1mの東の風が少しばかり。明日の7日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇る見込み。

 

 収縮期103mmhg、拡張期64mmhg、脈拍80bpm、体温36.4c/酸素濃度98%/体重63.2Kg 室内気温20.0c/室内湿度66.0%/気圧998hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:52分、日の入りは19:14分 月齢は6.6の小潮。

 

 天気予報で雨だとは聞いていたがやはり雨の朝になった。雨だからどうだこうだということもないが、やや、やる気が出ないというような気になってくる。

 

 で、昨日できあがったばかりの「遍路墓学事始」という本を贈呈する準備なんぞをやっていた。

 

 このようなお手紙も同封したりして・・・。

 

 で、奥方が神戸のお兄さん宛に空豆を送っておいてちょうだいといわれていたので、それを持って郵便局へ行ってきた。

 

 そのついでに、今週末から来週頭にかけての病院代なんかを引き出しておいたりして。

 

 へてから、民生委員の研修旅行の一部をJAバンクから引き出したりもした。

 

 とかく、月曜には忙しいのである。

 

 その後、スーパーへ寄って、アルミ缶とペットボトルを回収箱へ収めてきた。そのついでに飲み物やらトイレットペーパーなども買っておいた。我が家はどちらが主婦か主夫かわからんようになっている。

 

 その後、昨日に完成した「遍路墓学事始」の本の配達になった。テスト版だから早くに届けて意見を聞きたいものだという思惑ばかりが先に立ってしまって・・・。

 

 この方が、先のお手紙の相手さんである。この人の依頼で遍路墓を調べ出したという経緯があるからだった。このおうちの郵便ポストに封筒に入った本を押し込んで帰った。車がないなぁと思いつつ、また、どこかへ探検なのかなぁと思いつつ。

 

 次に美術陶芸家の及川さんちにも行ってきた。この及川さんが買った土地の外れに遍路墓地があって、「及川墓地」と名付けた経緯もあってのことである。

 

 その及川墓地についての説明もしながら本を贈呈してきた。ま、午前中は、そういうゴタゴタが並んでいたわけだ。

 

 で、今日のお昼である。奥方はカレーライスの準備をしてあった。でも、昨夜もカレーライスだったのになぁと思ったもので、ラーメンの上にカレーを載せたらどうじゃろうかと思いついた。「カレーラーメン」というのはあるようで聞いたことのないラーメンである。で、いつものように「玉子かけ」にして「玉子かけカレーラーメン」にしてみた。これはこれでおいしいと思った。

 

 昼食を食べ終わった時である。珍しく固定電話が鳴った。普通は特殊詐欺防止のために留守番電話にしてあって、電話には出ないことにしているのだが、何気なく受話器を持ち上げた。「今日は立派なご本をありがとうございます。篤秀の家内ですが、主人は今年二月に亡くなりまして・・・・」「ええぇぇっっ・・」と絶句した私。全身から力が抜けた思いだった。この人の依頼でお墓を調べだしてほぼ一年・・・。その完成を待たずしてお亡くなりになっていたとは・・・。

 

 「遅くなってすみません。あの本をご仏前にお供えしていただけますでしょうか。私にできる精一杯のお礼ですから・・・」そういうのがやっとだった。二月に亡くなったというから、そろそろ四十九日を過ぎたころだろうか。悔しさと無念だという思いが胸中を駆け巡った。

 

 今日の掲示板はこれ。「わが心がよくて 人を傷つけないのではない 傷つけていることを気付かぬだけである」というもの。人は傷つけあうのである。「私は人を傷つけたりなんかしたことがないわ・・」・などという人などいるはずがない。ただ、人を傷つけていることに気づかないだけのこと。悪気はなかったけれど人に嫌な思いをさせてしまったり、ついカッとしてひどい言葉を投げてしまったことなどは誰しも一度は経験があると思うはず。何度も繰り返さないためにも、感情的になる時には「自分の心がどんな状態なのか」をみつめてみることが大切。それを知ったうえで、できることを考えてみたいもの。ままならない人生だからこそ、学ぶことがきっとある筈。よくよく、胸に手を当てて考えるのにいい季節になった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


花菖蒲手荷物一つ片付けて

2022年06月05日 | 時には日々是日

 5日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、午後から雨が降っている。気温は19.5度から21.0度、湿度は86%から72%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の6日のさぬき市は、前線や低気圧の影響で昼前まで雨が降り、午後は湿った空気の影響で曇りとなる見込み。

 

 収縮期102mmhg、拡張期56mmhg、脈拍80bpm、体温36.4c/酸素濃度97%/体重62.2Kg 室内気温20.9c/室内湿度54.6%/気圧1014hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:52分、日の入りは19:13分 月齢は5.6の中潮。

 

 今朝も4時起きになったものだから、昨日のリベンジでお墓の位置とお墓番号を地図上に示すのに、○の中へ数字を入れるのはやめにして、横に数字を書いてみた。こっちのほうがわかりやすいというもんだ。

 

 これが私の電子血圧計。この数字がスマホに転送される仕組みになっている。あと、体重計と体温計もスマホに転送されている。脈拍が多いようだが、これはペースメーカーの設定値。血圧がやや低いのは心臓の劣化によるもの。

 

 今日は久々のお仕事。80歳以上のひとり暮らし老人を訪問する事業の日である。お年寄りだって忙しいらしくて土曜日もデイサービスなんぞがあるものだからと、日曜日に設定されている。

 

 で、トイレットペーパーを区分して担当地区ごとに分けていく。あらかじめ、そういうお年寄りを調べて報告してあるものだから、余ったり足りなかったりすることはない。さすがお役所的。

 

 で、きっかり9時になったら「出発式」がある。

 

 一応、さぬき市のお仕事だから、「食改」とか「婦人会」とか「日赤協力員」とかも参加しての行事になっている。私の担当地区は6軒だから20分もあれば回って配り終えてしまう。

 

 で、一応の「遍路墓学」の整理が終わったものだから、「テスト版」の印刷にかかった。協力してくれた人への「贈呈版」である。これでよろしいとなれば本印刷にかかる。ま、あれこれと文句を言われる筋合いはないので問題は無いはずだが。

 

 で、今回は三部だけの印刷・製本になった。カラー版の両面印刷で130ページほどの本になった。

 

 お天気を見ながら、明日にでも配達をやっておきたいものだ。でも、あくまで、これは「テスト版」。本チャンはまだまだデータの追加やら考察のやり直しやらをしなければならない。これは毎年の「夏休みの自由研究」なのである。夏休みまでにはまだまだ間があるというものだ。

 

 でも、これが終われば、次は何を調べようか、何を探しに行こうかと思案している。神社にある狛犬を調べだして、鳥居や灯籠なんぞを調べて、咸臨丸乗組員のお墓探しもやったし、法然上人の足跡調べもやった。葉たばこの乾燥室(ベーハ小屋)も調べたし、道標やら案内板も調べたし・・・。

 

 今日のお昼は手抜きの卵かけご飯。卵かけご飯にコロッケを乗せただけ。でも、これはこれでおいしかった。今はやりの「時短料理」だし「エコ料理」でもある。ま、「料理」と言えるかどうかは別問題だけれど。

 

 午後からはしっかりと雨になった。今日のバラ園への水やりはお休みになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「酒が人をアカンようにするのではなく、その人が元々アカン人だということを酒が暴く」というもの。いつものように、どこの誰の言葉かはわからない。どこかの酒屋さんに張ってあった言葉らしい。一説には立川談志さんの言葉だという話も合った。

 

 これを科学的に検証した人があるが、その詳細については触れない。酔う前と酔っ払った状態でこうした道徳問題に対する行動に変化が起こるかどうか?という部分を調査してみた。その結果、道徳的な考えによって左右されると考えられる行動には、酔った場合でも変化が現れなかったというのである。酔った勢いで、太った男性を線路に叩き落とすとか、酔うと行動をためらうというような変化はなく、お酒を飲んで酔っ払っていても道徳的な判断に影響はなかったらしい。こうした研究の成果は、アルコールが性格や人格を変えるという信仰が誤りである可能性を示している。酔って暴力を振るうなどの不道徳な行動は、お酒の影響で現れるわけではなく、もともとその人の道徳観がその程度であったということを明らかにしているに過ぎないのだという。どうやらこれは科学的に正しいことを言っていたらしい。お酒を飲んでセクハラする人も、そこら辺で平気で吐く人も、それはお酒のせいではなく、元々そういう道徳観の人だったということなのだ。こうした研究成果への認知が進んでいけば、悪いことをしてもお酒を理由にはできなくなるかもしれなくなるかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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