まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

五月雨を 流れのままに 田を起こす

2010年06月30日 | 自然
 今日は涼しいかなぁと思ったもので、朝の五時起きで、六時出勤で木村株式会社へ出かけ、七時過ぎから作業開始・・・。旧宅の一部で草刈りをやったり、水道の修理をこなしたりの雑用から・・。

 

 その後、田んぼの耕運作業・・。草を刈った後を・・耕運機で耕して置く。そうすれば草が生えるのが少しでも抑えられる・・・。だから、先日に草刈りをした四枚の田んぼ、約18アールを耕した。
 

 それだし、毎年の七月最初の日曜日には、地区の「女体山」のおまつりで、この山頂にある神社にお参りをする。そこから・・、我が家のこの田んぼが丸見えになってしまう。だから、草ぼうぼうというのはカッコ悪いもので・・、田んぼを耕してさっぱりとしておきたいというもの。だから・・、毎年の恒例の行事みたいになっている・・。

 

 で、そういうことだから、お昼は近くの「杉本」で、あっさりとしかもすばやく「かけうどん」を食べることになった。

 

 なにせ・・汗まみれのどろどろ状態・・・。すばやく食べて・・すばやく戻る・・・みたいな感覚で・・。おあげ(90円)を乗せて、270円。

 

 ここのお店では、これがマイ・ブームやね・・。その後、農機具屋さんで草刈り機の修理・・・。簡単なことなんだけれど、我が家の工具ではどうにもこうにも動かない。下手にいじくると、機械自体を壊してしまいそうになってしまう・・。草刈り機もブラックボックス化してるんだ・・。

 


 さて、今日は「ハーフタイムデー」ということで、一年も残す所あと半分となる日。この前に・・・お正月をやって、年賀状を数えたと思うのに、早くも今年も半分が過ぎた・・・ってことやね。七月二日が、今年の折り返しデーになるらしい・・。

 それとか・・「トランジスタの日」というのもあった。1948(昭和23)年のこの日、アメリカ・AT&Tベル研究所のウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンが発明したトランジスタが初めて公開された。

 

 トランジスタは半導体を用いて電気信号を増幅・発振させることができ、真空管と同じ働きをしながら小型・軽量・長寿命で消費電力が小さい等の利点があり、急速に普及して行った。今は・・・真空管を使っている機器なんてなくなったものね・・。

 私が、アマチュア無線の試験を受けたころ・・昭和の40年代ごろには、トランジスターの問題が多かったような気がした。真空管も少しはあったけれど。「2B94バルブ」とか。

 それから・・・、「アインシュタイン記念日」というものもあった。

 

 1905(明治38)年のこの日、アインシュタインが相対性理論に関する最初の論文「運動物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌『アナーレン・デル・フィジーク』に提出した。当時、アインシュタインはスイス連邦特許局の無名の技師だった。

 

 調べてみたらば、こんな記念日もあった。「集団疎開の日」なんだって。1944(昭和19)年のこの日、東条英機内閣が集団疎開の促進要綱を閣議決定した。

 

 かつては軍事用語であったが、日本においては第二次世界大戦末期に、攻撃目標となりやすい都市に住む学童、老人、女性、又は直接攻撃目標となるような産業などを分散させ、田舎に避難させるという政策を指す言葉として一般化した。都市計画学者の越澤明は著書において、この言葉は元来防空都市計画用語で、当時の内務省の技師北村徳太郎がドイツ語「Auflockerung」を訳したものとしている。

 学童疎開「疎開」と単独で使用される場合のほとんどが、この学童疎開を指す。日本において政府は「縁故者への疎開」を奨励したが、学校毎の集団疎開(学校疎開)も多く行なわれた。日本では、労働力の中心となるべき成人男性が戦地に赴いている間、子供は重要な労働力として家計の助けとなっている世帯も多く、疎開させたくても出来ない家庭があった。集団疎開に際しては保護者から疎開免除の嘆願書が提出された例も存在している。


じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

山あいの 棚田に鷺の 白ばかり

2010年06月29日 | 自然
 今日も梅雨らしく、小雨が降ったりやんだりしながら、蒸し暑い一日になった。ということで、今日もぐうたらな一日になった・・。とは言うものの・・朝の五時には起きて、愛犬ごんの散歩には行ってきた・・・。

 

 で、午前中は、母のさっちゃんを歯医者さんに連れて行って治療・・・。それが終わると・・・ホームセンター巡り・。草刈り機の部品が消耗してるもので、その・・補修用部品の調達・・・。夏休みの工作(秋の文化祭用)部品の下調べ・・・。金具とか板とか・・。

 で、今日のお昼は・・・マンネリだけれど、ここになった。東かがわ市湊の「元匠・東かがわ支店」。

 

 早い・うまい・やすい・・をモットーにしているセルフのお店。その日・その日によって、麺とか出汁とかにムラはあるものの、相対的においしいと思う。この日も・・・冷たい・・ぶっかけうどんか、生醤油うどんを食べようと思って入ったのに、「かけ小!」と注文をして、生卵を乗せてもらてお出汁をかけてもらって、その上から・・おあげを乗せて・・・200+50+100=350円という明朗会計・・・。

 

 このお店での、マイ・ブームみたいなものかね・・・。

 

 

 外は・・、相変わらず・・・むしむしとしていて・・。こういうときには何もしたくにし、何も考えたくなくなるね・・・。

 

 で、今日は「佃煮の日」の日なんだと・・。「全国調理食品工業協同組合」が2004(平成16)年に制定したもので、佃煮の発祥の地である東京・佃島の氏神・住吉神社が創建されたのが正保3(1646)年6月29日であることかららしい・・。そうか・・、「つくだに」の「佃煮」と言うのは、江戸の「佃島」で生まれたので「佃煮」というんだ・・・。

 それからだ・・。この人ら・・覚えてるやろうか・・。

 

 そ!。「ビートルズ」が我が国にやってきた日という記念日なんだとか・・。1966(昭和41)年のこの日、人気絶頂のイギリスのロックグループ・ビートルズが初来日した。翌日から東京・日本武道館で3日間5回の公演を行ったが、学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導されたと大騒ぎになった。うちの高校からも何人かが上京して・・・大目玉を喰う事件があった。私が高校二年か三年かのころやったと思う・・。

 

 それから・・こんなことも話題になった・・・。「星の王子さまの日」。『星の王子さま』で知られるフランスの作家・飛行士のアントワーヌ・ド・サンテグジュペリの誕生日。おとなたちがこぞって、この絵本を買ったものやった・・。

 

 それから・・、こんな記念日でもある。「聖ペテロの祝日」というのは、イエスの最も傑出した弟子で、イエスの死後は使徒たちのリーダーとなった。長寿・キリスト教・教皇職の守護聖人。

 

 それから・・「荒城の月」で有名な・・「廉太郎忌」でもあるらしい・・。作曲家・滝廉太郎[たきれんたろう]の1903(明治36)年の忌日だ。
荒城の月(日本歌曲) 藤山一郎




 これは・・・おまけなんだけれど・・。個人的に名言だと思った言葉集で、なかなかにおもしろいなぁと思ったので、紹介しておこうと思って・・。



じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

青梅の 落ちて転がる 不動坂

2010年06月28日 | 歴史
 今朝はよく晴れて気持ちのいい朝になったものの・・、すぐにまた湿度が上がってきて・・蒸し蒸しするような一日になった・・。

 

 さて、幾分か古くなった話だけれど、先日の土曜日・・26日に、坂出市櫃石島で、咸臨丸乗り組み水夫の顕彰碑の除幕式があった。ご案内はいただいていたのだけれども、雨が降っていたし、天候がよくないみたいなのでパスさせてもらった・・。行けば良かったのになぁと思ったけれど、あかつき丸を出す勇気はなかったもので・・。

 

 江戸幕府の軍艦・咸臨丸(かんりんまる)に乗り組んだ塩飽(しわく)出身の水夫35人の功績をたたえる顕彰碑が、坂出市の櫃石島に建立され、関係者ら約100人が集まって、除幕式が行われた。咸臨丸の渡米から今年で150年になるのに合わせ、県内の歴史愛好家のグループ・「讃岐龍馬会塩飽社中」が、全国的にはあまり知られていない塩飽諸島出身の水夫たちの活躍に光をあてようと企画したもの。 碑は花こう岩で高さ2メートル、幅2・5メートル。咸臨丸難航図の姿とともに、35人の名と「郷土の誇りとして その名を永く 後世に伝えん」との文字が刻まれている。

 
 
 式典には、坂出市長や、市議会議長、自治会の方々が揃い、その間だけ奇跡的に雨が上がってくれ、35名の塩飽の水主たちの名前が刻まれた石碑に住職さんによって開眼供養が行われ、これにより、塩飽に帰れなかった水主たちが、故郷に戻れたような嬉しい気持ちになったそうだ。

 

 除幕後、全員で35人の冥福を祈ったが、大阪市から駆け付けた子孫の1人、藤本増夫さんは「水夫の半数は、墓の場所も分かっておらず、碑に彼らの名が記されたことは意義深い。過酷な航海を支えた塩飽の男たちのことを多くの人に知ってほしい」と話していたらしい。

 

 そういう情報が・・今朝一番のニュースだった。

 で、朝一番に・・郵便局(今は・・JPっていうんだろうが、なんだか馴染めない・・)に行って、郵便物の発送が六件・・。画像データだとか、アメリカ行きの保険の申し込みとか、なんだかんだのと・・。

 それからだ・・。さぬき市からの「特定健診」。今までの会社でやっていた定期健康診断みたいなものかな・・。これを受けていないと・・保険税が上がる・・とかと書いてあったもので、しぶしぶ出かけた。ま、一年に一度は受けておいてもいいかなぁと思って。

 

 さぬき市内の医院や病院ならばどこでもいいみたいだったもので、空いていそうなところに寄ってみた。ま、県立病院で治療中だから・・特に問題はない・・。

 で、その後、本屋さんで俳句の本を買ったり、ホームセンターで、メダカのえさを買ったりして昼食になった・・。

 

 さぬき市志度のホームセンター近くの「亀城庵・志度店」に寄った。ここはセルフのお店。 席数100の店内は、とにかく広い。半セルフ方式で、メニューを注文し、うどんが手渡されるとずらりと並んだ天ぷら類を取りながら進み、最後に会計。何ともアットホームな雰囲気ではある。

 

 今日は・・暑いもので、さわやかな「ぶっかけうどん小」を注文した。それだけだと・・300円。最近は小食だから・・それでも十分すぎるくらい・・。大根おろしがさっぱりとしておいしかった・・。当然・・おうどん自体も十二分においしいのだけれど・・。

 

 時期的には・・冷やしうどんとか、ザルうどん大・・・とかの注文が多かったように聞こえた・・。ま、好き好きなんだけれども・・。ここも・・100席ほどの広いお店なんだけれど、お昼を過ぎると・・近くの会社とか事務所から・・大勢のお客さんでいっぱいになる。だから・・早々に・・お店を出て・・ホームセンターに向かった・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ここに来ても 蒸し暑き庭 うどん鉢

2010年06月27日 | 自然
 昨夜・・娘家族が・・・「カエルのジョウロが欲しい・・」と言い出して。言い出しっぺは娘なんだけれど、その子のなぎちゃんとか、はやてちゃんがPCで検索を始めて・・・。

 そういう・・ジョウロは・・100円ショップか、ホームセンターにでもあるものだろうとたかをくくっていたらば・・・、それがそういうジョウロじゃないことがわかってきた・・。

 

 こういうものだとか・・・、

 

 こういうものならば・・、そこいらのホームセンターの園芸コーナーあたいにあるだろうと思ったのだけれど、それが・・・意外と・・・見つけられない・・・。それだし、こんなものみたいなんだけれど、二千円以上もするらしい・・。それも、インターネットでの通販みたいに・・・。

 昨夜は・・・あきらめて、それで寝てしまったんだけれど、朝・・・起きてみると・・思ったより以上にいい天気じゃないか・・。娘となぎちゃんは・・・テニスの練習にお出かけ・・。けいこばぁも日勤でお仕事・・。私とはやてちゃんは・・木村株式会社へ出勤。ドラム缶風呂の手入れとか、水道設備の修理だとかをやっただけで・・汗まみれ・・・。

 

 おうちに戻って・・・シャワーを浴びて着替えをして・・・徳島の石井町にある・・「ロッタ・ハウス」に行った・・・。もちろん・・カエルのジョウロ探しのためだった・・。

 

 我が家から・・・一時間もかけて行ったのに・・そういうものは置いていないとのこと。がっかりだね。四国ではまだまだ・・ブームになりきっていないのだろうかね・・・。

 

 さぬき市から・・東かがわ市を抜け、阿波市から・・吉野川市を経由して・・。あと、鳴門市を経由して・・・戻ったのだけれど。でも・・、何をしに行ったんだかね・・・。何の収穫もないままの帰宅・・・。

 で、あそこはいっぱい・・。ここも行列・・・みたいなことで、おうどんをようやくに食べられたのが・・東かがわ市松原の・・「陣内うどん」。ここにわずかに空きがあって・・。

 

 というても、店内は・・満席だったのだけれど、わずかに・・四人分くらいのスペースがあって。ちょうど・・・12時半くらいやったからね。

 

 で、私は・・天ざる(700円)を、はやてちゃんは・・ぶっかけうどん(420円)を注文して・・・。それはそれでおいしかったように思う・・・。冷たくて・・涼しくて・・。でも・・、はやてちゃんは・・「おうどんが固い・・」という・・。仕方がないわね・・・。

 

 で、娘夫婦から・・誕生祝いの祝い金をもらっていたもので、そのまあ・・・呑んで食べてしまっては申し訳ないと思って・・。最新式のデジタルカメラを買ってしまった。これからの夏用として、防水型の顕微鏡付きの・・・すばらしいカメラを買った・・。

 

 さてさて・・、明日から・・どうやって、このカメラを使いこなすかじゃね・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

枇杷の実の 甘さなつかし 雨の音

2010年06月26日 | 自然
 今日は梅雨らしく・・一日中・・雨になった・・。

 朝の間はそれでも・・普通の川の流れだったし、そんなにも大雨になる気配でもなかったのだが・・・。



 午前中は・・こまかな雨だったし、ポチの散歩も困るほどの雨量でもなかった。午前中には・・「咸臨丸と塩飽諸島」の原稿をほぼまとめて・・・、担当のMさんにメール送信しておいた。注文は・・1ページ500字で20ページの1万字から1万5千字見当というものだけれど、どう、削っても1万6千字までにしかならない・。あとは・・編集者にお任せするしかないなぁと・・。

 

 午後からは・けいこばぁとお買い物・・。ホームセンターなどを回って歩いて・・。ついでに夕食の買い物などもまとめて・・・。その合間にも・・雨は降り続いていて・・・。

 で、今日のお昼は東かがわ市田高田(たこだ)にある「藤屋」さん。

 

 お店には「間嶋製麺所」って書いてある。こちらが本名で、「藤屋」は屋号なんだろうな。ここの名物は「たらいうどん」早速にそれを注文した。

 

 とりたてて・・・おいしいというおんではないが、素朴な田舎のおうどんという感じでなつかしい香りがする・・・。

 ふと、気がつけば・・東側の津田川の水量が大幅に増加している・・・。

 

 それだから・・・朝方の水の流れだって・・。

 

 色の変わった急流となって流れている・・。周囲の山から流れ出た雨が・・こうして集まってきて、こんな水量になってきたものらしい・・。

 さて、今日は孫のはやてちゃんがパスポートを持ってきたので、そのコピーを添えて、8月末のサンフランシスコ行きの書類が整ったので、早速にFAXで申し込みを済ませておいた。あと、関連の書類作成もすませたし・・。

 

 夕方に・・、思い出したように郵便物がどっと届いた。市の健康診断の申し込み用紙とか、お寺関係の書類とか証券会社からの事務電算化の手続き用紙とか・・。

 

 その中に・・・待ちわびた書類があった・・。早速に・・・OKのメールをしておかねば・・。サンフランシスコに持って行く・・・石に刻む字についての原稿だ・・・。

 

 いよいよ・・来週から石に字を刻む作業が始まるようだ・・・。少しずつだけれど、アメリカが近づいてくるような気がする・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

中村ブン/かあさんの下駄 と、その歌詞

2010年06月25日 | 自然
 今朝は曇っていて、今にも空から雨が落ちてきそうな朝だった・・・。だから、作業用のつなぎの服に着替えて・・・山の田んぼに向かった・・・。雨の降らない間に、草刈りを済ませておきたかった・・・。朝の七時前だった・・・。作業開始は七時半。

  

 昨日に四枚の畑の二枚は刈り払っておいたのだもので、今日はこの畑とその上にある小さな畑との二枚・・。およそ・・10アールほどの畑である。この畑と、その間にある小さな桑の木を伐採するなどして、作業が終わったのが10時半。

 

 ちょうど・・・10時半前後か小雨が降り出してきて・・。キリがいいので作業終了・・。家に戻ってシャワーを浴びて着替えて・・・。

 近くのうどん屋さんを探しながら走って、今日は三木町の「麺喰:めんくい」三木店に入った・・。ここはセルフのお店。で、夏らしく・・「生醤油うどん」を注文した。240円であったような・・・。最近はすっかりと記憶が薄らいでしまう・・。

 

 ここはショッピングセンター「ベル・シティー」の敷地内にあって、時間帯にはけっこうのお客さんが押し寄せて来る・・・。

 

 さて、最近・・静かな人気になっているのが、あの「トイレの神様」と、この「かあさんの下駄」だ。この「中村ブン」さんていうのも耳なじみのない方なんだけれど・・。

 

中村ブン かあさんの下駄 Nakamura Bun - kaasanno geta


  かあさんの下駄   詩・曲 中村ブン
 

 世界中で一番きらいなものは かあさんの怒った顔
 世界中で一番うれしいのは かあさんの笑った顔
 世界中で一番つらいのは かあさんの泣いた顔

 隣のおばさんと出かける時も 父兄会で学校へ行く時も
 かあさんはいつもすりへった男ものの下駄をはいて行った
 「これしかないんだから仕方ない」って
 大きな声で笑ってたけど
 ぼくにはどうしてもかあさんのように
 笑うことができなかった

 新聞紙に包んだ新しい下駄を 両手にかかえて息をきらして
 「ただいま」ってえばって戸を開けたら かあさんは今日も内職してた
 「かあさんこれ・・・」って包みを渡したら
 「何だい」って少し頭をかしげた
 「いいから早く開けてみてよ ぼくのプレゼントだよ」

 包みを開けるとかあさんは こわい顔してぼくに言った
 「お前これどうしたの この下駄どこからもって来たの
 いくら貧乏してても人様の物に
 手をかけるような子に育てたおぼえはないよ
 情けない・・・」って ふるえながら 下駄とぼくをにらんでた

 

 「違うよかあさんぼく買ったんだよ」
 「嘘をつきなさい お前に どうしてそんなお金があるの
 小遣いだってあげたことないのに」
 「弁当代ってもらう中から毎日五円づつためてたんだよ
 タコ糸に通してずっと前から ためてたんだよ」

 「赤い鼻緒の下駄を買いたくて かあさんをびっくりさせたくて
 内緒にしていただけなんだ 悪いことなんかぼくしてないよ」
 下駄を包んだ新聞紙の上に 大きなしずくがボトボト落ちた
 「悪かったね」って言って子供のぼくに 何度も何度も頭を下げた
 「すまなかったね」って も一度言ってあとは言葉にならなかった

 ぼくが初めて 生まれて初めてかあさんの涙を見たのは
 それは小学六年生の冬

   


 午後からも細かなぬかさめのような雨が降り続いていて、午後からは資料整理なんぞの「晴耕雨読」・・・。

 ノートPCの日本語プロセッサーがおかしくなって入力不能になったもので、あれこれいじっくっていると、キーボードの中から・・・アリの死骸がポロポロ・・・と。まさか、これが原因でもないだろうにね・・。そうそう・・先日の「コンバット・アリ用」は効き目があるようで、このノートPC周辺には来なくなったようだ・・。

   


じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

梅雨めいて 草刈る額 神の息

2010年06月24日 | 自然
今日は朝方は涼しく感じられたもので、山の旧宅の草刈りの続きに出かけた。山の旧宅周辺はどこもかしこも草まみれ・・・。県道沿いの畑などは1mを越す草が伸び放題だ。

 寒いから・・・雨だから・・暑いから・・と、そのまんまにしてきたのだけれど、さすがにこのままでは・・・・と、思って、勇気を出して草刈りをする気になった。

 

 こういう畑が10枚ほどあるが、たってき・・4枚ほどを刈り取って、耕耘機で耕しておかねばならない・・。あとは県道沿いでもないので、草まみれであっても目立たなければそれはそれでもいいじゃないか・・・。

 

 今日は風も少しばかりあって、木陰に行けば汗がすぅぅっと引いていくような、そんなさわやかな一日になった。で、こんな感じで四枚の内の二枚の畑の草刈りができた。明日の天気はどんなだろうかね・・。

 

 その合間に、旧宅部分のあった空き地にも草が伸び放題だったもので、そこも少しばかり刈っておいたい、簡易水道の修理もやっておいたり、もう一本の草刈り機を修理に持ち込んだり、混合油を買い足しておいたりと・・こまごまな用事もこなしながらだ・・。

 

 さて、今日、6月24日は・・・「UFO記念日」、「空飛ぶ円盤記念日」なのだそうだ・・。いろんな記念日があるものやね・・。1947(昭和22)年のこの日、アメリカで初めてUFO(未確認飛行物体)が目撃された日なのだとか・・。。

(参考図)

 アメリカの実業家ケネス・アーノルドが飛行機で移動中に、時速2700kmもの速度で急降下や急上昇を行っている9機の見慣れない飛行物体を発見した。アーノルド氏はこの物体を「空飛ぶ円盤(flying saucer)」と呼び、全米で報道されると、同様の目撃証言が相次いだ。事態を重視したアメリカ空軍が、これを「UFO(Unidentified Flying Object:未確認飛行物体)」と名づけ、調査に乗り出したが、正体はつかめず、1969(昭和44)年に「目の錯覚の類」との報告を出した。

 

 この日、世界中のUFOマニアが一斉に観測を行うのだそうだ。

 また、この日は「ドレミの日」でもある。1024年のこの日、イタリアの僧侶ギドー・ダレッツオがドレミの音階を定めた。この日に開かれる「洗礼者ヨハネの祭」の日の為に、ギドーが合唱隊に「聖ヨハネ賛歌」を指導し、その曲の各小節の最初の音がドレミの音階ができる元になったのだとか。
 
 また、あの歌手・美空ひばりの1989(平成元)年の忌日で、「林檎忌」とか「麦の日」とかと呼ばれる。



 「ヒット曲『リンゴ追分』から「林檎忌」、「ひばり」という名前に因み、麦畑が鳥のひばりの住処となることが多いことから「麦の日」と呼ばれているのだそうだ。

リンゴ追分(美空ひばり)Misora Hibari


 同じように、歌手・村下孝蔵の1999(平成11)年の忌日で、「五月雨忌」。この人も亡くなったのか・・。



 これは、ヒット曲『初恋』の歌詞と、五月雨(梅雨)の時期であることから「五月雨忌」と呼ばれるのだそうだ。

初恋/村下孝蔵(石原さとみ編)


じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

重たいね 平和の礎(いしじ) 百合の花

2010年06月23日 | 自然
 今朝からすごい雨になっていた・・・。梅雨とは思えない雨で、東側の川(津田川)もごうごうと音をたてて流れているし、西側の水路にも思わぬほどの水位で水が流れている・・・。まるで台風のような雨だった・・・。

 

 しかしのかかし・・・八時過ぎからは雨も上がり、陽が差してくるようになり、母を歯医者に連れて行ったり、山の旧宅にあるお墓の周辺の草刈りや、我が家の入り口周辺の草刈りをやっておいた・・。でも、蒸し暑いのは蒸し暑くて・・・たちまちにして汗まみれになって、まるで水をかぶったようなありさまに・・。

 

 家に戻って・・シャワーを浴びて・・それから我が家でおうどんを食べて・・。

 今日は沖縄県の「慰霊の日」。昭和20(1945)年のこの日、牛島満大将らが自決し、第二次大戦の沖縄における組織的戦闘が終結した。ほぼ80日にもおよぶ地上戦で、住民を中心におよそ20万人もの犠牲者を出した。

 

 1961年、アメリカ施政下の沖縄で、日本の国民の祝日に相当する「住民の祝祭日」の一つとして定められたが、1972年の沖縄復帰後は休日としての法的根拠がなくなった。しかし、その後も、1991年に沖縄県の条例で休日と定められた。なお、沖縄戦終結の日は6月22日とする説もあり、制定当初から1965年までは6月22日が「慰霊の日」とされていた。

 

 1945年4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官牛島満大将(当時は中将)をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされている。この自決がいつあったのかについては、6月22日説と6月23日説があり、現在、沖縄県では6月23日説を採用している。どちらが本当に自決があった日であるかについては議論があり、1961年に当時の琉球政府が慰霊の日を定めた際にも、当初は6月22日としていたものを、1965年に6月23日に改めた経緯もある。現在は1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。

 

 一方で、司令部が壊滅してもそれを知らされなかった兵士たちが抵抗を続けたため、散発的な戦闘は司令部自決の日以降も続いた。このため、慰霊の日を司令官自決の日と定めることに対して疑問を投げかける立場もある。たとえば沖縄市では、慰霊の日を休日とする一方で、同年9月7日に降伏文書への調印が行なわれたことから、同日を「市民平和の日」と定めている。

 1962年から、この日には沖縄県が主催する沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、沖縄戦犠牲者の遺族やその子孫などが集まり、式典中の正午には黙祷が捧げられる。また、この日は沖縄県平和祈念資料館が入場無料となる。

 

 仲井真弘多知事は式典で読み上げた平和宣言で「基地負担の軽減、普天間飛行場の危険性の除去を早急に実現することは、沖縄だけの問題ではなく、国民全体が等しく取り組むべき課題だ」と呼びかけた。また、現在の日米安保条約と日米地位協定が23日で発効から50年を迎えることに触れ、「大きな節目の年を契機として、沖縄の過重な基地負担が県民の目に見える形で軽減されることを願ってやみません」とも訴えた。

 

 あいさつに立った菅首相は「いまだに沖縄に米軍基地で大きな負担をお願いし続けている。全国民を代表しおわび申し上げます。他方で沖縄の負担がアジア太平洋地域の平和につながってきたことにお礼も申し上げます。今後、負担軽減と危険性の除去に一層真剣に取り組むことをお約束致します」と述べた。

 式典では、普天間高校3年の名嘉司央里(なか・しおり)さん(17)による平和の詩の朗読もあった。

 

 さて、ここの書斎のノートパソコンの周囲に、小さなアリが集まってきている・・。まごのなぎちゃんが教えてくれたのたが、よく観察していれば、二階のベランダからサッシの隙間を伝わって入り込んでいるみたい・・。

 

 そこで、「アリ・コンバット」というものを買ってきて置いてみた。少しはマシになるものだろうか・・。それと・・寝室に・・蚊避けのための「アース・ノーマット」というものも買ってきた。昨夜も手足をさされて・・かゆくてかゆくて寝られなかったせいもあって。今夜は・・ゆっくりと寝られるんだろうか・・。夏やねぇ・・。 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

電気屋の 団扇頼もし 畳の座

2010年06月22日 | 自然
 昨夜も寝苦しい・・蒸し暑い夜だった・・・。布団をかぶれば暑いし、蹴り飛ばせば・・・山の中だから寒いし・・・。おまけに蚊とか虫が飛び込んでくるし・・・。これからの時期は寝苦しいね・・。特に田舎ではね・・・。

 

 エアコンは各室完備なんだけれど、今の時期に・・エアコンをかけて寝れば風邪をひいてしまいそう・・・。朝方は特に寒いからねぇ・・・。当分は・・こういう夜を過ごすしかないのかねぇ・・。

 さてだ・・。いよいよと、この夏にサンフランシスコに行くための書類を作成していたんだけれど、あれがない・・。これもない・・・みたいなことで、なかなかに書類作りも大変だ・・。

 私が「ご隠居さん」で、「助さん」「格さん」の「はやてちゃん」・「たつやくん」の水戸黄門漫遊記も・・・なかなかに準備が整わないのだ・・・。ま、それはそれで楽しいのだけれど・・・。私は何をするためにサンフランシスコまで行くのじゃろうかね・・。

 

 あたりは・・すっかりと・・梅雨空なのにね・・。気の早いひまわりなんぞに驚かされていたりする・・。時間はまだまだあると思うのだけれど・・・。でも、うかうかしてると・・アメリカ行きの飛行機に乗り遅れてしまうのかも・・。

 ♪「急がなきゃ遅れるわ~・・、おしゃれしなくっちゃ!」古い・・歌やね。最近では誰もしらないと思うけれど・・。

 60年代~70年代のアルバムには、よく外国の人気アーティストが日本語で歌う曲が収められていた。フランス・ギャルの日本語で歌った曲はどれもこれも、本当に可愛い。(もちろん、フランス語曲も!)一等好きな曲は「すてきな王子様」= UN PRINCE CHARMANT。

 夢に見た王子様 白い馬に乗って
 宮殿の森を抜け 迎えに来たの
 嬉しさと驚きに 胸がいっぱいなの
 急がなきゃ遅れるわ おしゃれしなくちゃ~・・・

 私も王子様にならねば・・みたいな気持ちになったことやった・・。さすがに・・「ユーチューブ」ではみつからんかった。きっと、ある筈なんやけれどもね・・。

 

 さて、今日のお昼は・・東かがわ市松原になるんだ・・。県立白鳥病院近くの一般店の「陣内うどん」さん。

 

 ここも珍しくはないのだけれどもね。でも、今日のおうどんは・・私的には珍しい・・。こういうのは・・注文したくても注文できないもの・・。

 

 これが・・「天ぷらぶっかけうどん」730円。こういうものは滅多に食べられない・・。 

 

 それはさておき、今日は・・「草創の会」の方がおいでになって、この夏に発行されるシリーズの「原稿依頼」にやってきた。約20ページ、一万字から一万五千字くらいだとか・・。中身は・・「塩飽諸島と咸臨丸」・・・。大丈夫かねぇ・・。

 

 明日か明後日には書き上げて・・メール送信しないとならないらしい・・。構想を練るとかという場合じゃないね・・・。ま、どうにかしなければだな・・。

 あの・・・NHKーTVの連続ドラマも・・いよいよ・・貧乏神さんから解放されるのかね。こっちにはまだまだ貧乏神さんがついていて、講演も原稿も・・・ノーギャラなんだけれどもね・・・あっっはっははぁ~・・・クシュン。



じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 

立葵 脇役のままに 今日も暮れ

2010年06月21日 | 自然
 今朝も蒸し暑い朝になって、ようやくにエアコンが始動した。暑くはないのだが、湿気が少しばかり多いような気がする。とはいうものの、室内の湿度計は70%程度。そんなに言うほどのものでもないなぁ。

 

 けいこばぁがご用があるので乗せて行って欲しいというもので、まずは・・高松のサンポートに出かけて・・パスポートセンターへ行ってパスポートの受け取り。

 

 高松駅近くでアメちゃんを買う。さっちゃんがお友達にアメちゃんをいただくので、そのお返しだとか・・。おばあさんらはアメちゃんが楽しいらしい・・・。

 その後、屋島の裾野をぐるっと回って屋島少年自然の家が見たいというもので、そのあたりをうろついて・・。


 

 お昼はさぬき市鴨部(かべ)の「門家(もんや)」で、けいこばぁのおごり・・。おごりというほどのものやないけれどもね。で、今日は・・冷たい「生醤油うどん」さすがに麺はおいしかった。醤油が少し多かったせいか・・。水が欲しいのだけれど、ここには冷えたお水がないとおっしゃる・・・。今時ねぇ・・・。

 

 これで・・500円だ。うちの家を建てた棟梁が建てたという建物だということで、けいこばぁはお気に入りらしいが・・。

 

 その後・・・さぬき市津田にある「香川県合同庁舎」によって、ケアマネの受験申し込みの要領をもらいに寄って・・・。

 午後からは・・・エアコンの効いた部屋で休憩をしながら・・・資料の整理やらをやって、一日が終わってしまった・・。私は汗っかきなもので、こうした湿気が多いと汗まみれになってしまう・・・。だからねぇ、今時は弱いんだな・・。

 

 ところが・・時期的には気温がそうは高くないもので、どこともエアコンを入れずに窓とか入り口を開けっぱなしにするもんだから、汗が噴き出して仕方がない・・・。困ったもんやね。最近は・・・「エコだ」「地球環境のためだ」などと声高に叫んで節約をするものだから・・私にはつらい季節になってしまう・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

あじさいも 花にかしわ手 諏訪の宮

2010年06月20日 | 歴史
 日曜の朝は七時半まで寝ていた・・。さすがに歩き疲れたものだろうか・・。で、八時前にはホテルを出た・・。

 

 ヤマダホテルかと思っていたらば、「ラマダ・ホテル」らしい。ホテルの中にはやたらと外国人が多い・・。だからか、テレビを見ようとしてもやたらと外国の放送みたいなものが多くて、見慣れているNHKの普通の放送なんぞはわからない・・。どうすれば「総合放送」を見られるわからないのだ。これではどうしようもないので、ホテルを出た。

 

 ホテルのまえにはこうしたバスが幾らも並んでいる。あの外国人たちが乗って観光するんだろうな。そこから地下鉄に乗ってJRの大阪駅に行く。それから・・JRの三宮駅に降り、そこでお迎えの車に乗り込んで・・・「神戸海軍操錬所跡」に行く。NTTの大きなビルの前にこの記念碑がある。

 

 勝海舟が神戸村に開いた海軍の操錬所の跡らしい・・。

 

 日曜の夜に・・坂本龍馬がどうたらこうたらとやってる学校やね・・。この学校も廃校になり、勝さんは江戸に呼び戻されてしまう・・。その後・・なんたらという小学校の校舎として移築されてしまうみたい・・。

 その後・・・諏訪山という山肌にある「諏訪大明神」したにある・・・「海軍営の碑」を見学に行く・・。

 

 そうそう・・ここからは神戸港が見えて、そこには練習船「日本丸」と「銀河丸」が停泊している。

 

 この「海軍営の碑」というのはほかにもあるらしい。どちらが本物で、どちらが複製なのかは知らないがよく似た石碑があるらしい・・・。

 

 これは諏訪大明神下にあるもの。最近に碑面が書き換えられたようで新しい・・・。

 その後・・・町におりて・・私の誕生日の昼食会になった。

 

 しばらく休憩して・・・我が家にもどったのでありました・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

雨の中 君の笑顔は ミントの日

2010年06月20日 | 自然
 6月20日(ろくがつはつか、ろくがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から171日目(閏年では172日目)にあたり、年末まであと194日ある。でも、まぁ、一年の半分近くが過ぎてしまった勘定になる・・。

 今日は・・大きな声では言えませんが、小さな声では聞こえません・・・(沈黙・・)実は・・・私の62回目の誕生日なのです。ですが・・、何のプレゼントも希望してはおりませんし、お返しの用意もできておりません・・・(お辞儀)。

 さて、今日は・・予定では・・・勝海舟が作ったといわれる・・「神戸操練所跡」を見学予定なのですが、天候はいかがなものでありましょうか・・・。

 

 夕方には帰宅予定です。

 さて、6月20日は「世界難民の日(World Refugee Day)」ということで、国連が2000(平成12)年12月に、それまでの「アフリカ難民の日」を改称して制定した日。1974(昭和49)年のこの日、「アフリカ統一機構難民条約」が発効した。

 

 「・・まだ、帰れるところはない。でも、希望がある」希望があれば人は生きられる。

 

  

 おまけに、今日は「ペパーミントの日」だという。ハッカが特産品の北海道北見市まちづくり研究会が1987(昭和62)年に制定したものなんだが、「はっか(20日)」の語呂合せだというのでは・・ねぇ。まぁ、6月は、この月の北海道の爽やかさがハッカそのものであるとのことから。

 

  この全国的な梅雨空のさ中で、少しはさわやかにしてくれればいいのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

上方の うどんの味や 桜桃忌

2010年06月19日 | 自然
 毎日まいにち・・うどんばかりを食べているもので、「たまにはうちくのうどんも食べてみぃやぁ・・」ということで、大阪くんだりやってまいりまして・・。大阪の・・「これぞ日本一やでぇ・・」という「すべらんうどん」というものを食べに来ております・・。

 

 学問の神様、菅原道真を祭る大阪天満宮(大阪市北区)の境内で営業するうどん双樹の「すべらんうどん」が、合格祈願に訪れる受験生に人気らしい。

 ユニークなネーミングはまさにすべらないうどんだから。平らなめんの中央に数カ所の切れ目が入っており、ゆでると穴が開いて、箸(はし)やフォークに引っかかりやすくなる仕組み。箸だとつるりと滑りやすいうどんも、これで「すべらん」というわけだ。

 

 何とも縁起の良いうどんだが、そもそも受験生を狙って開発されたものではない。「考えていた以上の反響があった」と、店の“看板おばちゃん”の岡計さん(72)は思わぬ人気に驚く。 きっかけは長男で店主の道信さん(49)の「うどんを食べたい」という思いだった。病気で目が不自由になった道信さんにとって、めん類は食べにくく、こぼしがち。食べたくても我慢することもあった。

 「障害者も普通に食べられるうどんを作れないか」。約7年前、母子二人三脚で開発が始まった。最初はきっぷ程度の大きさから。薄すぎるめんは、はしで持ち上げた時に切れてしまう。試行錯誤の末、「なんぼ力が無い人でもはしで一筋を持ち上げられるように」と、長さは一般的なうどんより約10センチ短い18センチに決めたという・・。

 で、その後は・・近くにある「繁昌亭」で落語のお勉強・・。一応・・、芸名はあるものの・・社会人になってからはあまり落語を披露する場もなかったもんで、話芸もさび付いて・・ぼろぼろになってますんやわ・・。せこで、みっちりと・・上方落語にもひたってみて、錆び落としでもしようかなぁと思いましてな・・。

 

 聞くところによれば・・NHKテレビの朝ドラで話題になった場所ちゅうやないですか・・。あのころは・・あんまし・・テレビも見てませんでん・・。ま、今もほとんどテレビをいることもないのですけど・・。

 

 そんなんで、ちと、大阪の町を歩いてみますわ・・・。

 ところで、今日は6月19日やね。「理化学研究所創設の日」と、カレンダーには載ってますが、1917(大正6)年、理化学研究所(理研)が、わが国で初めての基礎および応用研究を行う機関として、東京都文京区本駒込に設立されたらしいんですわ。1958(昭和33)年に「理化学研究所法」にもとづく特殊法人になり、1957年から1966年の10年間かけて、現在の埼玉県和光市に移転したというんですわ~。

 

•理化学研究所 http://www.riken.go.jp

 それからやね・・・。「京都府開庁記念日」というのもありまして・・、京都府が1985(昭和60)年に制定したもの。1868(慶応4)年閏4月29日(新暦6月19日)、京都府が開設された・・・というんですから、まだ・・明治になっていない時期にですよ。王政復古の4箇月後のことで、日本初の地方自治体だったというんですな。

 

 それから、こんな記念日もありまして・・。「ベースボール記念日」というのがそれ。1846年のこの日、3アウト・3ストライクなどの現行のルールの基礎となるA.カートライト編集の野球規則による最初の野球の試合がニューヨークで行われた記念日らしい。

 

 こういう記念日もある・・・。「朗読の日」というのは、日本朗読文化協会が2001(平成13)年に制定したもので、「ろう(6)ど(十)く(9)」の語呂合せ。

 「元号の日」というのは、645(大化元)年のこの日、蘇我氏を倒した中大兄皇子が、日本初の元号「大化」を定めたことに由来するらしい。以来「平成」まで247の元号が定められている。

 若い女性に人気のあるのが「桜桃忌」で、1948(昭和23)年のこの日、6月13日に自殺した作家・太宰治の遺体が発見された。

 
 
 6月13日、太宰治が戦争未亡人の愛人・山崎富栄と東京の玉川上水に入水心中し、6日後の19日に遺体が発見された。また、19日が太宰の誕生日でもあることから、6月19日は「桜桃忌」と呼ばれ、三鷹市の禅林寺で供養が行われる。その名前は桜桃の時期であることと晩年の作品『桜桃』に因む。

 太宰治の出身地・青森県金木町では、生誕90周年となる1999(平成11)年から「生誕祭」に名称を改めた。

 

 じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

青蛙 時期とばかりに 鳴いて飛び

2010年06月18日 | 自然
 6月18日は、「海外移住の日」で、国際協力事業団(JICA)が1966(昭和41)年に制定したもの。1908(明治41)年のこの日、本格的な海外移住の第一陣781人を乗せた笠戸丸が、ブラジルのサントス港に到着した。

 

•国際協力事業団 http://www.jica.go.jp

 で、さらに、「考古学出発の日」というのもおもしろい・・。「考古学の日」ではなくて、「考古学を考える日」でもなく・・、「考古学出発の日」というんだ・・。

 

 1877(明治10)年のこの日に、アメリカの動物学者、E.S.モース博士が来日した。6月20日、モース博士が汽車で横浜から新橋へ向かう途中に貝殻が堆積しているのを発見し、まもなく発掘調査が行われた。 これが日本で初めての科学的な発掘調査で、日本の考古学の出発点となった。これが後の・・「大森貝塚」であった。

 モースは、生物学を教えることになった東京大学の教え子たちと同年9月頃から同貝塚を発掘しました。さらに1879年(明治12)には日本初の発掘報告書である“Shell Mounds of Omori”を出版しました。博士の大森貝塚の発掘は日本初の学術的発掘であり、調査報告書の発行も初めてのことでした。このことから大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれている。

 モースたちの発掘した大森貝塚の出土品は国の重要文化財に指定され、現在東京大学に保管されており、品川歴史館では、その中で代表的な資料9点のレプリカを展示している。

 

 大森貝塚発掘風景(1877年)(“Shell Mounds of Omori”)より

 モースは“Shell Mounds of Omori”に貝塚の住所や地図を載せなかった。そのためいつの間にか大森貝塚の位置は分からなくなってしまっていた。特に、1929年(昭和4)に今の大森貝塚遺跡庭園(品川区大井6丁目)に「大森貝塚碑」が、翌年いまの大田区山王1丁目に「大森貝墟碑」が建てられ、貝塚の位置をめぐる「混乱」はさらに大きくなったが、1955年、両方の碑は、「国指定史跡 大森貝塚」として国の史跡に指定されてしまった。

 モースたちの発掘から100年目の1977年(昭和52)、大森貝塚発掘時の「発掘補償金」に関する文書が、東京都公文書館で発見された。そこに記された発掘地の住所「大井鹿島谷二千九百六十番地」は、現在の大森貝塚遺跡庭園の位置にあたり、これにより「モースの大森貝塚」の位置が明らかになったという訳だ。

 公文書から「モースの大森貝塚」の場所と判明した大森貝塚遺跡庭園付近は、1984年(昭和59)以降、数回発掘され、その発掘で、考古学的にもモースたちの発掘したのがその場所であることが明らかになっている。さらに、これらの発掘で、住居址や土器・装身具・魚や動物の骨などが大量に見つかった。これらの資料のいくつかは、品川歴史館に展示している。

 「大森貝塚遺跡庭園」 品川区は大森貝塚碑付近の土地に大森貝塚遺跡庭園を建設した。庭園内には貝層の剥離標本をはじめ、学習広場・体験広場があり、縄文時代・大森貝塚について学習できるようになっている。

■開園時間  7月・8月    午前9時~午後6時
         11月~2月   午前9時~午後4時
         その他の期間 午前9時~午後5時

■住所    品川区大井6-21-6

■交通    JR・東急大井町駅から東急バス「池上」「蒲田」行きで「大森操作場下車、JR大森駅山王北口から徒歩5分

 

 さらにこんな記念日もある。「おにぎりの日」は、町内の遺跡で日本最古の「おにぎりの化石」が発見されたことから「おにぎりの里」として町起こしをしている石川県鹿西(ろくせい)町(現 中能登町)が制定。これがその・・「おにぎりの化石」というのだけれど・・・。

  


「鹿西」の「ろく」と、毎月18日の「米食の日」からの命名らしい・・・。

関聯記念日•おむすびの日 <1月17日>

 



 今日から神戸・大阪へ出向いてきます。お天気が梅雨時だけに心配なんだけれど、ま、雨の大阪もいいものかも知れないし・・。

 じゃぁ、また来週、会えるといいね。

梅干して 今日の日記を 読み返す

2010年06月17日 | 自然
 日曜日あたりから風邪気味で・・・のどが妙にいがらっぽくて・・頭痛もするようで・・・、でも仕方がないなぁと・・・月曜日の会合には出かけたんだけれど、外はむしむしするし、中は冷房がきいているし・・・みたいなことで。それだし・・妙に眠たくなって眠たくなって・・・。何かおかしいんやろうか・・と思ったのだけれど・・。

 島でも・・・暑いからと・・網戸にすると・・今度は冷えてくるし・・みたいなことで、我慢我慢を続けていたのだけれど、昨夜はとうとう・・のどが痛くなってしまって、七時過ぎから病院に駆け込んで救急外来へ・・。そこで検査をしてもらったら異常がないという。熱もないし、血圧も正常だし・・。レントゲン検査からCTスキャンまでとって調べたけれど異常がないという。なんだこれは・・・。病院から戻ると・・もう、のどの痛みはすっかりと消えている・・・。

 

 で、「体温計がない!」「体温計はどこに置いたの!」とけいこばぁが大騒ぎしたものだから、ない筈がないと・・朝からマシン室を大掃除・・・。どこを探してもない・・。探し疲れて・・・血圧計をどけたら、その下に体温計が転がっていた・・・。捜し物ってそんなもんやね。

 で、娘んちへ書類を一枚投げ込んでおかねばと思ってお出かけをした。そのついでにおうどんを食べた。昨日の今日で・・・おなかがすいてぐうぐぅ・・とおなかが音をたてている。昨夜は夕食どころではなかったのだし・・。

 

 高松市牟礼町大町・・。国道11号線沿いにある「うどん商人 つゞみ屋」という一般店に寄った。するとここは、すっかりともう、夏模様の夏バージョンうどんのメニューが並んでいる。そこで迷いに迷ったあげく、「冷やしカレーうどん」という涼しそうなメニューがあったのでそれを注文してみた。

 

 ま、これが・・なんだかわからん・・不思議な味だった・・。鶏のからあげ、なすにたまねぎ・・・。なんとも和食風な・・・トロピカルな・・・珍味とでもいうんだろうか・・。これは少しばかり性格的には馴染まないかなぁと思った・・。480円だった。

 

 ここのお店って、うどんブームになる前の早くからあったお店なんだけれど、なんか、国道沿いにあるお店というものは高そうだったし、当時は・・高く見えたお店なものでずっとこの方、目の前を通り過ぎるだけだったのだが、少し前に・・勇気を出して入ってみたら、普通のお店なので安心はしたが、当時からの「びっくりうどん」というものが今もあるようで、これには少し驚いた。いや、なに、800グラムのおうどんをつけ出汁で食べると言うだけのことで、驚くほどのお値段ではない。580円だったかな・・。ま、普通が・・250から300グラムほどだから・・少しばかり・・ジャンボな釜揚げうどんになるかなぁ・・。

  


 さてだ・・。先日、丸亀の会合を終えてから、さぬき広島に帰ったという話はしたと思うけれど、そこにある梅の木になっている梅の実を持って帰ったという話はしただろうかね。ま、昨年と比べて、今年はどことも梅の実の数が少ない・・。裏作になるんだろうかね。天候の加減だったんだろうか・・。


うめぼしのうたアニメ


 この時期になると登場する歌なんだけれども・・。毎度おなじみの「うめぼしのうた」。この歌はリズム的になじめないけれど。行進曲風がいいかなぁとか思った・・。

 うめぼしのうたは、明治時代から大正時代にかけて、尋常小学校の国語教科書に掲載されていた詩である。この詩の初出は、1910年(明治43年)発行の『尋常小学読本 巻五』。

 作者は、芳賀矢一であるらしい。芳賀の弟子である井上赳の『国定教科書編集二十五年』(1984年、武蔵野書院)には、「かいぎゃく自在な『梅干』の歌などは、(芳賀)先生の面目躍如たるもので」とある、と書いてある。

 

 ♪~二月三月花ざかり
   うぐひす鳴いた春の日の
   たのしい時もゆめのうち

   五月六月実がなれば
   枝からふるひおとされて
   きんじょの町へ持出され
   何升何合はかり売り

   もとよりすっぱいこのからだ
   しほにつかってからくなり
   しそにそまって赤くなり
   
   七月八月あついころ
   三日三ばんの土用ぼし
   思へばつらいことばかり
   それもよのため、人のため

   しわはよってもわかい気で
   小さい君らのなかま入り
   うんどう会にもついて行く
   ましていくさのその時は
   なくてはならぬこのわたし

 
 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

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