まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

コスモスの その明るさが 欲しいとき

2018年09月30日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は前線や台風第24号の影響で雨となり、激しい雨の降っている所があった。気温は20.2度から22.9度、湿度は80%から90%、降雨量は3mm/h~31mm/h、風は3mから11mの北西の風が強かった。香川県では、30日夜遅くまで土砂災害や低い土地の浸水、暴風、高波に、30日夕方から30日夜遅くまで河川の増水に警戒するよう呼びかけている。明日の10月1日は、湿った空気の影響で曇り、未明は雨の降る所があるが、昼前からは高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 朝方の気圧は996hPaだったが、夕方には984hPaまで下がってきた。台風24号は950hPaだから、まだまだ遠いのかも知れない。15時過ぎには足摺岬の沖合を走っているようだ。

 

 雨は確かに降るのだけれど、ここ、さぬき市では強い風はまだない。

 

 うどん県でも避難準備があちらこちらで出ているらしい。県内全域に大雨・暴風警報が、沿岸地位置には高潮警報が出ている。

 

 台風ではおでかけもできず、散歩にも出かけられない。そこで、宿題の出ていた、「おへんろつかさの会公式HP」の更新作業をやっておいた。最近は、「やる気スイッチ」が故障していて、なかなかに手がつけられなかったもの。

 

 イベントの変更点とか秋のイベントの案内とかの情報の更新作業。

 

 私が子どもの頃・・・60年も昔のことだが、当時の電力線は裸線で、硬銅線むき出しだったから、台風になると木の枝や竹が触ると停電になったもの。雨戸を閉め切って、薄暗い中でろうそく一本で生活したもの。やがて、被覆線になると木の枝や竹が覆い被さってもショートもせず、アースにも落ちず、停電はめっきりと減った。

 

 今はこうして、平気でエアコンを効かせた部屋でテレビを眺めながらパソコン操作ができている。携帯電話やタブレット端末からエリアメールなんぞで避難情報やらダムの放流情報が飛び込んでくる。

 

 しかし、エルニーニョのせいか、近年の台風は凶暴になった。暴風もパワーが出たし、豪雨も量がすごくなったし、竜巻まで伴うようになった。

 

 いよいよ9月も今日でおしまいになって、朝ドラの「そよかぜ扇風機」も終わった。各種日記も整理をして次ページへ移行する。カレンダーも10月に切り替える。私の画像倉庫も入れ替える。

 

 ここには10年前から集められた 9月25日から10月10日までの画像が集積整理してある。9月が終われば、10月分を10日ごとに入れ替えていくわけだ。

 

 988hPa。16時、わが家の上流にある県営大川ダムの放流が開始された。茶色い水が葦茅(よしがや)や荻(おぎ)を押し倒して流れ出している。まもなく高知へ上陸だろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分というものをよくとらえないと 自分が生きていく方向が決まりません」という映画監督・新藤兼人さんの言葉から。母校の石内小に、新藤さんが卒業式に寄せた祝辞が残っている。「自分というものをよくとらえないと、自分が生きて行く方向が決まりません」。700字足らずの原稿に「自分」という文字が15回も顔を出す。悩み、もがき、追い込まれるたび、原点に立ち返ってきた。自分は何者か、何がしたいのかと。一世紀に及んだ人生の自問自答は、土壇場の日本でひときわ光を放つ。平成24年(2012)5月29日没。

 

じゃぁ、また。明日、会えたら、いいね。


見残した 昨日の夢の ススキの穂

2018年09月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で雨が降っている。雷の音はまだ聞いていない。気温は18.5度から20.9度、湿度は96%から92%、風は2mから4mの北東の風が少しばかり。明日の30日は、台風第24号が近づくため、雨となり雷を伴って非常に激しく降る見込みらしい。

 

 昨夜は安定剤を飲んで寝たために、今朝は6時半まで寝てしまっていた。それでもまだまだ眠たいので昼寝をしたが、それでもまだ眠たい。

 

 これは、四国電力さんの広報紙「ライトライフ」である。四国電力の事業活動をお知らせするとともに、四国の歴史や文化、伝統産業、地域の取り組みなどをご紹介しているものである。

 

 で、昨日送られてきた10月号の特集記事が、「俳人山頭火を愛する人たち」というもの。実は県立病院入院中の私に、おへんろつかさの会長から、「取材が入っているので対応するように・・」という連絡が入った。日浦ドクターに相談すると「よろしいですよ」と簡単にOKが出た。担当看護師の「ショーボブやち姐」さんにも相談したら、「外出だけならいいわよ」と言ってくれた。外出許可をもらって取材に応じたことがあった。4月の23日のことだった。

 

 前山のおへんろ交流サロンに着いたのは11時過ぎだったが、館長の六車さんや受付の秋友女史と雑談。一行は11時半過ぎにやってきた。女性3名に男性一名の四名という陣容。男性は運転手兼カメラマン。インタビューは女性のお姉さんが二人。あと一人は見習いみたいだった。

 

 なぜ、ここに山頭火なのか・・ということから始まって、地元の俳人・砂井斗志男さんのお話から始まって、長尾町種田山頭火顕彰碑などのお話などに続いて・・・私のお話があって、句碑の管理や保護活動までに話は及んだが、そこまではフォローできない。こういう活動もやったらやりっぱなしになるのは仕方がない。高齢化と資金不足。指導者がいなくなると熱意も継続はしない。

 

 私は、「上がり三か寺」の観光ガイドとして、山頭火の句碑やその周辺の歌碑などをお話するのが目的で、なぜ、句碑を建てるに至ったのかや、それを建ててどうしようと思ったのについては興味がない。また、75基にも及ぶ山頭火の句碑の面倒なんて見られるわけがない。それらのガイドをやってほしいと言われたらやることにやぶさかではないけれど。

 

 取材は12時前から始まって13時時過ぎまで続いただろうか。取材を終えて、病院にもどった。

 

 まぁ、いろいろとお話をしたのだけれど、結局はこの程度に収まってしまった。

 

 その後は、先日に頂いた「記録集」をスキャナーで読み込んでおいた。

 

 私がお話しているところも入っている。

 

 英国士官レキの「正体」である。しかし、この文章も英国人のトーマスさんの書いたもの。私の文章は論文集の中に掲載されたまんまである。その論文集は、当日参加されたみなさんにお渡ししている。

 

 こういう新聞記事もまとめられている。私的に何冊か増刷しておきたいからである。

 

 今日の掲示板はこれ。「葦と書いてもヨシと読む 勝手に決めるな人の善し悪し」というもの。葦(よし)は、葦(あし)のアシと読む音が「悪(あ)し」に通じるのを忌んで、「善し」に因んでヨシというようになったそうで、「悪し」の気持をもって葦の髄をのぞくともっと良くない結果になるのかも。ただ、ものごとの「音」や「ひびき」などで、勝手に、「あし」だの「よし」だのと変えられてはたまらない。人の善し悪しも気分次第で言い換えられたのではたまったものではない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


リコリスに 別の扉を 開けさせる

2018年09月28日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は17.1度から25.1度、湿度は84%から61%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の29日は、前線や湿った空気の影響で雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 さわやかな秋の空になったけれど、私の体調はよくない。今朝の体重は68.1Kgにもなっている。島で多くを食べたり飲んだりしたことはない。昨夜だって食べすぎたこともなければ飲みすぎたこともない。

 

 今日も全県的に晴れて寒くもなく暑くもない時候になった。

 

 それなのに、娘から、「砕氷艦しらせの一般公開」が中止になったとの連絡を受けた。台風だから、仕方がないといえば仕方がない。

 

 しらせ (JMSDF AGB SHIRASE (Second) class) は、文部科学省国立極地研究所の南極地域観測隊の輸送・研究任務のために建造された南極観測船。建造費は文部科学省の予算から支出され、艦の運用は海上自衛隊により行われている。艦番号AGB-5003。初代「しらせ」後継艦として2009年に就役した。文部科学省では「南極観測船」と表記しているため報道でも「南極観測船」や「砕氷船」と呼ばれることが多いが、防衛省では「砕氷艦」と表記している。

 

 それに、明後日の30日は、おへんろつかさ養成講座の長尾寺現地研修会の予定。

 

 30日午前中といえば、まさに台風24号、チャーミーが四国の上空を通過する時間帯。これでは研修はできんわなぁ・・・。

 

 後日に順延するしかあるまいなぁ。

 

 まもなく10月。こういう調査をやらねばならない時期になる。共同募金も関連する。

 

 それに、年末訪問の準備もあって・・・。

 

 担当地域も巡回しなければいけないし・・・。

 

 その合間に、市役所に行って、高額医療費の申請もやっておく。こうなると、全くの「お年寄り」だな。

 

 ま、できることからコツコツと。一日一日を大切に・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「幸せのひとつの扉が閉ざされたら、別の扉が開くもの。でも、私たちは閉じた扉を長いこと見つめていて、その開いた扉が見えないことが多いのです」という、ヘレンケラーさんのことばから。扉が閉まったからと、がっくりと肩を落とし、首をうなだれたまま下を見つめ続けていては、新たに開かれた扉(別のチャンスや希望)に気づくことができないというもの。哀しみや辛さを味わうことは大切だと思ってはいるが、その経験によって優しさや思いやりを学んでいく上では大切だとも思うのだけれど・・・。でも、いつまでもその感情に浸っているわけにもいかないではないか。いずれ、傷が癒え始めたら、頭を上げて次の扉を探しに立ち上がりたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


かまきりが たどり着いたら 彼岸花

2018年09月27日 | またまた・・やっちゃった・・。

 丸亀地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降っている所があった。気温は18.4度から24.8度、湿度は88%から65%。風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の28日は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、夜には前線や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。

 

 昨夜は20時から21時まで来客があったもので、片付けやらをやっていて、23時前に寝て、朝は5時半に起きたもので一日中眠たい感じだった。

 

 やることはいくらもあったが、何も体調の悪いときにやらんでもよかろうわい・・・ということで、8時半のフェリーボートで帰ることにした。

 

 今度は10月の6-7-8日あたりに、広島神社のおまつりに合わせて、弟二人で草刈りと剪定に帰るつもり。

 

 今の私は、一人いるとなんとも心もとない。誰かが近くにいないと不安で仕方ないし、かと言って、べったりと居られても煩わしい。

 

 港に着いて、駐車場に置いた車に乗ったら、「カラカラカラ・・・」という軽い音が・・・。この「音は聞いたことがあるなぁ」と考えていたら、そ、バッテリーがあがっている。

 

 で、いつもお世話になっている自動車屋さんに連絡したら、「1時間半くらいかかりますけど、いいですか」という。ここ丸亀港からJRの丸亀駅までもは歩けない。だから待つしかないではないか。待っている間にも駐車場料金は上がっていく。

 

 11時半になって、ようやく自動車屋さんがやってきて、バッテリー交換してくれた。しかしのかかし、ある日突然にバッテリーが上がるってことがあるんだ。別にライトの「消し忘れ」とかキーを抜き忘れていたとかという問題はない。

 

 やれやれ・・・ということで丸亀港を出て、さぬき市に向かって走り出した。

 

 ちょうど、お昼の時間で、どこも車でいっぱい。さぬきうどんは、11時から13時がピーク。この時間帯はどこもいっぱいになっている。ところが、ここには車が二台しかいなかったので、ここに入った。

 

 暑い時間帯だったので、肉ぶっかけ小の冷をお願いした。430円だった。

 

 今夜のNHKの「ゆう6かがわ」というローカル番組で、先月のレキ150周年慰霊祭の模様が放映された。次回は10月4日の松山放送局の朝の番組らしい。

 

 このレキの墓の「レキ」を探し出したのが英国の夫婦だというのだ。ふーん、歴史って、そういう風に作られていくのか・・・。

 

 なんか、私たちの「イギリス士官レキ研究会」が一言も出てこないで、いきなり、油揚げをかすめ取られた気分・・・。やはり、映像では、私が出るよか、この英国人が出るほうが「絵」にはなるのだけれど。

 

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は凸凹道だ 平坦な道はない」というもの。良くないことの後には必ず良いことがある。人生において平坦な道などはない。山あり谷ありで、まるででこぼこ道だ。人生を楽しむと言うことは、道をどう歩むかを判断し、歩き方を楽しむことであるような気がしている。お釈迦さんは、「人生は苦である」と悟られた。平坦な道ではないことを学ばれたのだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


愚痴まみれ 金木犀の 香の下に

2018年09月26日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降る所があるらしい。気温は20.1度から25.5度、湿度は82%から64%、風は2mから3mの北東の風が少しばかり。明日の27日は、気圧の谷や湿った空気の影響で朝まで曇り、明け方まで雨の降る所がある見込みらしい。昼前からは高気圧に覆われて概ね晴れるのだとか。

 

 今日も朝から身体が重い。それを引きずって迷犬ゴンの散歩に行ってきた。6時過ぎだった。本当にわたしの身体はどうなっていくのだろう。

 

 愚痴ってばかりもいられない。9時前に我が家を出て、10時半過ぎに丸亀港に着いた。途中で4回もトイレ休憩をしたが、少しも身体は軽くならない。

 

 11時10分発の高速艇「ニュービサン」に乗り込む。今日は何があるのか大勢の人が花束なんぞを抱えて乗り込んできた。若い人は缶ビールや飲み物をたくさん買い込んでいた。

 

 我が家、「暁光庵」に着いたのは11時半。いきなり、玄関に釣り具が散乱。リビングには碁盤や将棋盤がそのまま・・。台所は食器とナベやフライパンが盛り上がっている。夏休み中前半に社会人グループが数名と、後半に大学生グループ数名が二泊三日ずつ宿泊したらしい。

 

 昼飯にお湯を沸かそうとするとガスコンロに火が付かない。お風呂にはお湯が沸くかとやってみたが、お湯は沸かない。「またか・・・」。ガスの元栓を開きっぱなしで帰ったらしい。小さいガスボンベは空っぽみたいなので、ガス屋さんに行ってきたが、「配達中」とかで不在。

 

 卓上カセットコンロでお湯を沸かして、どうにか昼食は食べられた。しかしのかかし、このカセットコンロで、お湯を沸かして風呂にいれるのは大変だぞ。

 

 トイレに行くと、このありさま。和室には洗濯物の山・・・。物置には釣り竿やらバドミントンのラケットなんぞが乱雑に投げ込んである・・・。それを片付けるのに大汗をかいた。部屋を使うのは構わないが、遊んだものくらい片付けて帰って欲しいものだ。

 

 お昼からは、広島センターで、「英国士官レキ研究会」の最後の会議が行われた。

 

 いつものメンバーが集まって、8月5日の150周年記念慰霊祭の総括とまとめをやった。

 

 こういう記録集やこれまでの活動の振り返りと総括。決算報告も行われた。

 

 こういう写真集でカラー印刷になっている。この記録集をどこまで送るか・・・ということでひとしきりにぎわった。あの人にも、この人にも、地元にも、写真に写っている人に・・・などと。そんなにたくさんには送れない。

 

 夕方になってもガス屋さんは来ない。そこで、レバーをあれこれといじくっていると、この黒いレバーが横になっていたのを縦に切り替えたら、台所にガスが届いた。お風呂のお湯も沸くようになった。おもわず、やれやれである。

 

 今日の掲示板はこれ。「美しく老いるために 身体をいたわり 言葉やさしく そして 心はやわらかに」というのだが、言葉にはとげがあるし、こころは頑固に意固地になっていってしまう私がいる・・・。それでも、極楽往生は約束されているものだと・・これまた頑固なまんまである私・・・。今日も思い切り、愚痴を並べた私であった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


コスモスに 遠い記憶の 網代がさ

2018年09月25日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていたが、やがてのことに晴れてきた。気温は19.1度から24.9度、湿度は90%から70%、風は1mから4mの北東の風が少しばかり。明日の26日は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 何の加減か、今朝は午前6時過ぎまで熟睡をしていた。体重は66.1Kg、昨日とは2Kgも違う。今朝の気圧は1010hPa、気温は22度、湿度は75%。毎週火曜日は前山出勤の日。

 

 恒例の「前山地区活性化センター」に9時前には到着したのだが、まだ、誰も来ていなかった。ま、私的にはやるようなお仕事もないので、ここを素通りして、放浪の旅(?)というか、徘徊のドライブに出た・・・。

 

 参考までに、この「おへんろ交流センター」に立ち寄った歩きへんろの方や自転車へんろの方の数字である。歩き遍路は二千数百名、自転車遍路は百数十名、外国人歩きへんろは四百数十名というところ。アメリカ、フランス、台湾、カナダ人という地域かららしい。

 

 見にくい図になってしまったが、まずは大窪寺の方向に向かって走り出した。

 

 前山峠を越えてしばらくのところ、細川家住宅の西に、こういう標識が立っている。香川県道3号線沿いである。

 

 県道から少し上がったところに、住宅跡地か畑の跡地のような平坦な場所がある。そこに、この看板が立っている。そこからさらに細い道を登った場所に石碑があるらしい。

 

 これが、その石碑である。ここに紀州和歌山のお接待場所があったところらしい。紀州で集めた「一万五千人分」のおせったいを、この場所にあった建物でやっていたということらしい。そのお世話をしたのが、紀伊の国伊都郡加勢田の庄、東村に生まれた教翁義染房という人らしい。昔のへんろ道は高い場所にあったものらしい。

 

 これだけでは何がなんだかさっぱりわからん。

 

 で、大窪寺の門前を通過して徳島県に向かって走り出した。まだ、おうどんの時間には早いし、紅葉にも早すぎる。

 

 徳島県阿波市にある「犬の墓大師」を通過、金清温泉跡地経由して四国霊場10番札所の「切幡寺」山門前でトイレ休憩。

 

 参道にある「浅野屋本店・すもとり屋」で参拝用品のひやかし。参拝ルートの確認である。

 

 新しい道路ができていて、9番法輪寺を通過してしまった。このあたりの南北に走る道路と、東西に走る道路が複雑だ。

 

 ここも、新しい道路に迷い込んで遠回りをしてしまったが、8番札所の熊谷寺である。ルートだけを確認して、時間になったので今回はここまで。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分から回っている気の風車」というもので、いつもの赤松先生のお寺の掲示板からのおことばである。『仏説譬喩経』の「黒白二鼠のたとえ」がある。(以下概要)

 一人の旅人が悪ゾウに追いかけられ、木の根を伝って井戸の中に逃げ込んだ。ほっとするのもつかの間、目の前に黒と白のネズミが出てきて、代わる代わる木の根をかじり出した。下を見れば大きな毒蛇が口を開けて旅人が落ちてくるのを待ちかまえている。このままでは確実に根は切れて、大蛇に食べられてしまうことになる。そこに、木の根のミツバチの巣から甘い五滴の蜜が口の中に落ちてきた。その甘さに心が奪われ、もっと蜜をなめたいと思って、旅人は今にも切れそうな木の根をゆすりだした…。(以上)

 ゾウとは時間の流れ、井戸の中の大蛇は私を待ち構える死の影、木の根は自分の寿命のこと、黒白のネズミは夜と昼のこと、すなわち私のいのちが一日一日と死に近づいていることのたとえである。五滴の蜜とは、そんなきわめて危機的な状況も忘れて、食欲、色欲、睡眠欲、名誉欲、財欲という日常的な欲望にうつつをぬかしていることをいうのである。生きる目的は、金でもなければ財でも名誉でもない。「人身受け難し、今すでに受く」(よくぞ人間に生まれたものだ)と生命の尊厳と歓喜に目覚めて生きることなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


金木犀 お墓参りの 日が暮れる

2018年09月24日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。気温は21.1度から26.6度、湿度は90%から57%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の25日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、明け方から朝は雨が降る見込みらしい。

 

 今日の気圧は1012hPa、湿度は90%、気温は22度。今朝も呼吸困難で4時半に飛び起きた。体重は入院ベースの68.2Kg、もちろん、入院なんかしないけれど。同じようなものを食べて、同じようなものを飲んで、同じような生活を繰り返しているのに、なんで、そんなに体重ばかりが増えるのか・・・。

 

 今日も寝不足のようなドローンとした気分だから、何をする元気も意欲もない。やる気スイッチは故障したまんま・・・。この同じような配列に並んでいるように見えるが、左右の(両端の二枚)印刷幅が少ない。中二枚はやや広め・・・。

 

 いろいろと原因を調べていると、印刷の指定で、「写真をフレ-ムに合わせる」に自動設定されているみたい。この設定を外すと、同じ幅での印刷が可能になった。

 

 同じ幅に印刷できたら、それを張り合わせてみた。

 

 折りわせたものを今度は折り本タイプに折ってみた。これがまたむつかしい。指先が不器用なのか、認知が進行しとるものか、老化が進んでいるものか、きれいには折れない。でも、ボケ防止対策だと考えて折ってみた。

 

 経本が折りあがったらできたも同然。表紙付けはお手の物だ。

 

 正信偈の折り本が完成した。

 

 こうして、真宗用の四冊の経本が完成した。ま、これらは、こうすればできる・・・という練習作品。我が家に限らず、どこのお宅のお仏壇には、勤行用の聖典や経本は山とあるはず。

 

 いよいよ、金木犀が香るころ。

 

 今年もまた、こういう調査がやってきた。年末助け合いとか、年末訪問事業などで、お年寄りを訪問する準備である。

 

 寝たきりの老人はいないか、認知症老人はいないかなど各種の調査がある。

 

 ま、エリアは広いが過疎と高齢化の地域だけに数は少ないので、そんなには悩むこともない。

 

 ただ、昨年は歩いて、全エリアを回ったけれど、今年は悲しいかな、車で回ることしかできなくなった。歩かないと筋肉が衰えるのだろうけれど、歩けないのではどうにもならない。

 

 今日の掲示板はこれ。本文とは全く関係ないが、「人生は、いつもいつも第一志望ばかり歩けるものでない。そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、自分にとって最良と言えないことだってあるのだ。」という渡辺和子さんの言葉から。第一志望を歩けなかった私である。これまでの私の道がベストなのかどうかはわからない。あれこれとさまよいながら、それでもやりたいことをやってきたような気もしないでもない。体が動くのであれば、これからもなお、あれこれと手探りながら、試行錯誤しながら年齢を重ねた方が返っていいことなのだと考えてもいる。だから、日々勉強だと思っている。色々な人に出逢い、いろいろな風景に出逢い、その時々を見ていきたいと考えている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


宮掃除 会話も減って 秋彼岸

2018年09月23日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は21.9度から26.5度、湿度は88%から68%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の24日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。

 

 今日の気圧は1010hPa、気温は22度、湿度は86%ということで苦しい朝になった。眠たいのになぜだか寝られずに5時半に起きた。まだ、外は真っ暗けだ。

 

 今日が「社日」ということで、集落内にある「地神さん」の例祭日である。春分(3月21日頃)と秋分(9月23日頃)に最も近い戊(つちのえ)の日を「社日」といい、春の社日は「春社」、秋の社日は「秋社」とも呼ばれ、土地の神様をまつる日とされている。

 

 春の社日の頃は種まきの時期にあたり、秋の社日の頃は収穫の時期にあたる。そのため社日は重要な節目と考えられ、春は五穀の種子を供えて豊作を祈り、秋は初穂を供えて収穫を感謝するようになった。社日を祝う習慣は元々中国にあり、「土」という意味がある「戊」の日に豊作祈願をするもので、「社」とは土地の守護神のことを表している。この風習が日本に伝えられると、土地の神様を信仰する日本の風土に合い、重要な農耕儀礼として全国に広まったようである。

 

 神域の草刈りや掃除をすませ、しめ縄を張り、のぼりを立てたらできあがり。

 

 あとは、お供え物をして、お神酒をお供えし、長老が先導で二礼二拍手一礼して、おみきをいただいておしまい。昨年までは集会場でお茶とパンで、世間話をしていたのだが、それもやまった。夕方に当番さんが幟を片付けておしまい。ずいぶんと簡素化になったが、イノシシやサルの話題ばかりでもつまらない。

 

 朝の7時から・・・という案内だったが、7時過ぎにはすべて終了して解散になった。私は少し動くと呼吸困難になってしまうので、控えめのお手伝いになってしまった。

 

 先日、文具屋さんに行ったら、「お正信偈も作るの??」と言われたけれど、「いや、それはまだない・・」と答えてしまった。真宗のお経は長いしねぇ・・・。でも、やってみようか・・・ということで練習をやってみた。

 

 正信偈を印刷して、それを張り合わせてみた。ここまでは問題はなかった。

 

 ところが、折り本にすると、一ぺ-ジの幅が微妙に違っていて、きれいな折り本にはならなかった。明日は微調整と確認作業をやっておかねば・・・。

 

 表紙は前回に買った、ゴム状の和紙を使ってみた。むつかしいのだが、残しておいても無駄になってしまいそうだから。

 

 この折り本タイプは試作品ということになった。向かって左の鶴の絵のものは「礼拝聖典」どちらも中身はお正信偈である。

 

 こちらは、普通の製本形式で作ってある。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の辞書から次の言葉を消す。「ねばならない」「べきである」 あなたは誰に対しても「ねばならない」負い目などない。」という、ドミニック・グロシューの言葉からである。「ドミニク・グロシュー」は、1980年代に実業家と して成功し、著書『ボス・ジェネレーション:成功するための方法』がベストセラーになるなど一躍時代の寵児となった人物であり、その後、交通事故による 数ヶ月の昏睡状態とリハビリを経験して人生観を一変。これまでの経済効果至上主義を捨て、人生についてや幸せの方法論を伝える本を多数執筆している。主な著書に「心の翼を休めて」「子どもとハッピ-になれる魔法の言葉」「仕事でハッピ-になる魔法の言葉」「幸せはいつも素顔」「強い組織をつくるための小さなヒント」「幸福の予感」「バラ色の人生の送り方」などがある。 (参考文献:ウィキペディア+楽天ブックス)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


しっとりと しぐれて行くか 秋彼岸

2018年09月22日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で瀬戸内側を中心に曇り、雨の降っている所があった。気温は24.9度から28.6度、湿度は90%から65%。風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の23日は高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方は雨がぱらついたり、一気に降り出したりと不安定な秋の空。

 

 朝方は寒いくらいなものだが、昼間になると蒸し暑くなった。おまけに、車のエアコンが冷えなくなった。もう少しの我慢だから、このまま乗っていようか。暖房はしっかりと効くようだ。

 

 さて、最近、こんな言葉を聞くようになった。「うどん県 それだけじゃない 謎肉県・・・」。なんじゃ、そりゃ・・・。

 

 謎肉の生産量世界一は香川県! 日清食品は21日、香川県をアピールする「うどん県副知事」で、俳優の要潤さんと連携し、香川県応援サイト「うどん県それだけじゃない謎肉県」を公開した。同社の定番商品であるカップヌードルに入っている具材「謎肉」の生産量が世界一である香川を盛り上げようと企画した・・と日本経済新聞は報じている。

 

 謎肉県の誕生を記念し、高松市で讃岐うどんを提供する「中西うどん」では22~28日の期間に、謎肉をトッピングの具材として提供する。また、首都圏で謎肉県をアピールすべく、横浜市に22~24日の期間で謎肉直売所を開設。カップヌードル47食分の香川県産の謎肉を税込み300円で発売する。

 

 サンリオの人気キャラクター「ハローキティ」と謎肉がコラボしたタオル(864円)などのグッズも企画。10月1日から香川県内の土産店などで発売するという。

 

 どうやら、このカップ麺の上に乗っている具材が「謎肉」というものらしい。それを、うどんの上にトッピングしたら、「謎肉うどん」になるらしい。ある子どもは、味が濃いので、大根おろしをさらにトッピングしたら味がまろやかになったと言っていた。

 

 午後からは、気分転換に小砂(こざれ)説教所跡に行ってきた。今日も湿度が高いせいか、呼吸困難になる。今は、「庄松(しょうま)同行墓地」という方が通りがいいみたい。

 

 本人がお墓などいらぬ・・と言っても、後世の人はお墓を作りたがる。庄松さんでも親鸞聖人でも法然上人でもお釈迦様でも、立派なお墓が作られている。

 

 少し涼しくなったら、草刈りとか庭木の剪定をやらないと林のような家になってしまいそう。だから、少しでも歩けるように、少しでも動けるようにとリハビリを兼ねて。

 

 なんまんだぶつ、なんまんだんぶ・・・。

 

 南無阿弥陀仏ほか何もないと言われた庄松さん。なんまんだんぶ、なんまんだんぶ

 

 今日の掲示板はこれ。「人はみな 生まれて生きて死ぬ 何急ぐ なぜ急ぐ 死を問わず」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあった言葉である。人はみな、生まれて、生きて、老いて、病を得て死んでゆく。人は、なぜに生まれたかを知ろうともせず、いかに生きるべきかを問いつつも、なぜに生きているかを問われ、作り上げられた理想は崩れ去る。生きているのは偶然、死んでゆくのは必然。されど人は思う。生は必然、死は偶然と。昨日死んでいても不思議でない私が、今生きていることの不思議さ。人は必然する死を忘れて今を生きる。けれど、死は一刻たりとも私を忘れてはくれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


曼殊沙華 恥ずかしいほどの 赤である

2018年09月21日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は21.9度から27.9度、湿度は96%から78%。風は1mから3mの西北西の風が少しばかり・明日の22日は、前線が四国地方を通過する影響で、明け方は雨が降る見込み。午後は高気圧に覆われてくるため晴れるらしい。

 

 今日も湿度79%のせいか、体が重い。体重も67.1Kgとやや重め・・・。それに昨夜から今朝がたにかけてトイレに8回も行ったせいか眠たくてたまらない。私の体なのに、私がコントロールできなくなっている。「制御不能」状態。

 

 町内にある自然公園。1978年、昭和53年の開園だから、もう、40年にもなるからあちらこちらが古びたり壊れたりしている。なかなかにメンテナンスもできていないような公園。

 

 この時期になると、「白い曼殊沙華があるわ、わぁ~珍しい・・」とか、「あれ、黄色い彼岸花がある。突然変異じゃないのか・・」とか、「わぁ。ピンクの彼岸花なんて珍しいじゃないの・・」と大騒ぎする人が増えてくる。

 

 「わぁ・・。ピンクの彼岸花・・・!!」と大はしゃぎするが、これは彼岸花でも曼殊沙華でもない。これは、「ナツズイセン(夏水仙)」というもの。8月に咲くから時期的にも彼岸花ではない。学名: Lycoris squamigera)は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草である。 和名は、葉がスイセンに似ていて、花が夏に咲くことから。また、花期に葉がないことから、俗にハダカユリ(裸百合)とも呼ばれる。

 

 「わっ!オレンジの彼岸花・・」と驚く人も多い。これも彼岸花でも曼殊沙華でもない。これは、「キツネノカミソリ」というもの。学名は「リコリス・サンギネア」。キツネノカミソリは本州から九州に生育するヒガンバナ科の植物である。彼岸花と同様に、花が咲くときには葉がない。早春からスイセンに似た葉を展開し、夏草が茂るころには葉が枯れる。その後に花茎を形成し、花を咲かせる。キツネノカミソリはお盆ころに花を咲かせ、なにやらご先祖様と因縁のある植物である。

 

 これは「オオキツネノカミソリ」分類上は、キツネノカミソリの変種とされている。和名の由来は、葉の形を剃刀に見立て、花の色を狐に見立てたものである。ヒガンバナと同じように、花の咲くころには葉はなく、茎が伸びて花だけが咲く。属名の Lycoris はギリシャ神話の海の女神「リコリス(Lycoris)」の名からきている。花の美しさを称えて名づけられた。種小名の sanguinea は「血のように赤い」という意味である。変種名の kiushiana は「九州の」という意味である。

 

 キツネがあればタヌキもある。これは「タヌキノカミソリ」というもの。学名は「リコリス・インカルナタ」。タヌキノカミソリは、中国原産で、 湖北省から雲南省にかけて分布する鱗茎を有する多年草である。8月上~中旬に6~9花をつける長さ40~50㎝の花茎を伸ばす。淡いピンク色の花被片に、濃いピンクの縦ラインが入っている。 花の咲くころには葉は枯れている。面白い名前だが、狐の剃刀(キツネノカミソリ) を意識したネーミングと思われる。

 

 「わぁぁ・・。黄色いまんじゃしゃげ・・・」と驚く方が多い。。これも彼岸花でも曼殊沙華でもない。これは、「ショウキズイセン(鍾馗水仙)」というもの。学名は「リコリス・トラウビー」。10月上旬頃、彼岸花にちょっと遅れて、彼岸花によく似た、黄色いすっきりした花が咲く。(9月から咲くこともある)。花びらはちょっと「しわしわ」で、ぶ厚く幅が広い。 花から伸びるおしべの向きは、花の中央から一方向にまとまって伸びる。

 

 これは、「シロバナマンジュシャゲ」。学名は「リコリス・アルビフローラ」。白花のヒガンバナ(彼岸花)で、ヒガンバナとショウキズイセン(鍾馗水仙)の自然交雑種といわれている。ヒガンバナほど花びらが強く反り返らず、花びらの縁のしわも少なめで、ショウキズイセンは黄色の花でヒガンバナは赤色の花なのに、その交雑種のシロバナマンジュシャゲは白色の花というのが不思議なことである。

 

 「わぁ~、赤い曼殊沙華・・」と驚きはしないか。一般に言う「彼岸花」である。学名は「リコリス・ラジアータ」。仏教で伝説上の天の花。サンスクリット語 majūṣakaの音写。純白で,見る者の悪業を払うといわれ,天人が雨のように降らすという。日本ではヒガンバナと呼ばれ鮮紅色の花を咲かす。

 

 今日の掲示板はこれ。「境遇や環境を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる」という、渡辺和子さんの著書、「置かれた場所で咲きなさい」の中からのことばである。「こんなはずじゃなかった」と思ったこと。あなたは、今日まで生きてきて何回あっただろうか。受験に失敗し不本意な進学をしたこと。目標を持ち、仕事をしていても会社に馴染めない自分。結婚し幸せになれると思ったが、理想とは違う現実。人生は嬉しいことも嫌なこともある。山あり谷ありだ。しかし、人は闇の中で、もがき苦しんでいるとき、自分も周りも見えなくなる。辛く悲しい気持ちは、脳を、身体をすべてを麻痺させる。今回紹介する本は、渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」というエッセイ集。著者はシスターであり、岡山市にあるノートルダム清心学園の理事長だった。聖書の教えなどを交え、生き方や人生の在り方を説いたこの本は、悩める人々の心の支えになった。160万部のベストセラーである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ススキの穂 けだるさばかりが 残る雨

2018年09月20日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で雨が降っていた。気温は今期最低の18.9度から22.3度、降雨量は1mmm/hから5mm/h、湿度は96%から90%、風は2mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の21日は、前線や湿った空気の影響で曇り、夕方から夜のはじめ頃にかけて雨が降る見込みらしい。

 

 朝から雨・・・。気圧は1008hPa、気温は18.9度、思わずにエアコンを暖房モードに切り替えた。湿度は96%、昨日とは打って変わって身体が重くて歩けない。今朝の体重は66.1Kg、血圧や体温などに変化はない。だから、病気というわけでもないらしい。

 

 昨日、「心不全」で死亡する人が増加しているとニュースで言うていたが、今すぐに心臓が止まるとかという問題でもないような気がする。かと言って、「気分の問題か」というと、事実、身体が重くて歩けないのだから気持ちの問題でもないように思う。

 

 朝一番に、自治会長さんが「広報さぬき」を持ってきた。今月は自治会費の集金月で、神社の祭典費やらで10,000円の出費になった。いや、そういう話ではない。今月頭かに、「ルンルン♪秋の紅葉 in 大窪寺となりきり遍路体験」というイベントの原稿を書いて出したのに掲載されていない・・・。あれは11月のイベントだから11月号でないと掲載されないのだろうか・・・。

 

 Qシートというものがある。正式には、「cue sheet」と言い、番組を予定どおり進行させるために、放送順序・時間・形式・方法などが時間単位で詳細に記載されている番組進行表。布教実習では上記のような進行表を使っていた。

 

 これはマラソンの実況中継用のものらしいが、こういう秒単位で管理するもの。ま、ラジオやテレビ番組でもそれぞれの様式が作られている。

 

 雨が降るし、体調がよくないということで、11月のイベントのQシートを作成していた。来月頭のスタッフ会議で担当役員の名前を決める。

 

 こちらは準備物のチェックリスト。準備物と担当者の確認用。ま、あれこれと準備するものも大変だ。

 

 参考にする出版物と・・・、

 

 昨年に作ったガイドマニュアルや参考書。

 

 昨年はパワーがあって、どんどんとこういうものを作れたのに、今年は手術後、全く、パワーが出ない。第一、歩けないのではどうしようもない。

 

 昨年に、私のパワーすべてを使い果たしたというのだろうか。今年のパワー不足にただ驚くばかり。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるということは 思い通りにならないということが はっきりとわかることです」というもの。真宗大谷派の「祖父江文宏」先生のことばである。この言葉を残された祖父江文宏さんは、長年、児童養護施設「暁学園」の園長を勤められた方だという。祖父江さんは子供を尊重し、「子供」と言わず、「小さい人」と呼んでおられたそうで、体を張って虐待をうける子供を保護してこられた、その姿勢は子供たちに伝わり、子供たちから親しみをこめて「園長すけ」と呼ばれていたとも聞いている。この掲示板の言葉は、その祖父江さんの姿勢をつらぬく芯のようなものではないかと思っている。この思い通りにならないからこそ、人は苦しみ、悩み、怒り、泣き、わめいて、暮らすのだ。それが「生きること」だからである。そのことをはっきりとわかれば、悩みも怒りも悲しみもそねみもやわらかくなるというのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


落ち栗は 食べられもせず 一個二個

2018年09月19日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は21.9度から28.0度、湿度は84%から61%。風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の20日は、気圧の谷や湿った空気の影響で昼前から雨が降る見込みらしい。

 

 ようやくに秋らしくなってきた。今朝のぽちの散歩も快調だった。

 

 まるで、「そよ風扇風機」みたいな心地よい風が流れていた・

 

 今朝の気圧は1010hPa、気温は25度、湿度は50%。やはり湿度と私の体調は関係するのかもしれない。

 

 ほら、昨日には67.4Kgもあった体重が、今朝には64.1Kgと 3.3Kg も減ったじゃないか。食事の量を減らしたわけでもないし、飲み物を減らしたわけでもない。

 

 それはさておき、朝の散歩は、このホームセンター。ここも案外と広いので、端から端まで歩くと、相当な距離になる。それを何度も往復してみた。昨日は数歩歩くと休んだものを、今日はいくらでも歩くことができた。ま、平坦ならば・・・ということなんだけれど。

 

 ここにも寄ってみたが、ここでも来年度用のカレンダー(卓上型)とかスケジュール帖とかは見えなかった。

 

 で、「ルンルン♪秋の大窪寺」ツアー用に参拝用品を買ってみた。使えるものかどうかの確認用。ま、良識あるゲストさんなら、お寺参りに来るのだから、お念珠くらいは用意してくるはずだと思うのだけれど。昨年は、自分用の白衣や笠、杖、納経帖から半袈裟や折り五条袈裟を用意していた人があったもの。

 

 ま、これはお念珠を忘れてきた方用・・・。

 

 そうそう、昨日、ダウンロードした納め札を裁断してみた。

 

 大窪寺の本堂と大師堂の二か所分の二枚ずつを15人分用、作ってみた。

 

 それを、昨日に作った経本の裏側に差し込んでおいた。サービスのいいことだ。

 

 ふと、通りがかった我が家のお墓・・・。周囲をきれいに草刈りをやってくれている。お彼岸前だからと、草刈り機で草を刈りはらってくれている。弟のどちらかがやってくれたものだろう。

 

 害虫によって落ちた栗の実。こういうものはサルも食べない。サルは枝になっている、まだ、緑色のイガグリを好んで食べるようだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「"人"の"為"と書いたら "偽り"という字になりました」というもの。「人の為」だと思って物事を為すことは尊いことである。「人の為」と思うからこそ、物事を為すことができるのかもしれない。しかし、たとえ純粋な想いで始めたことでも、いつの頃からか「お礼を言われなかった」「誉められなかった」「見返りがなかった」など、不平不満の気持ちが溢れて来るもの。そのことを否定する つもりは毛頭ないけれど、本当に「人の為」を想ってのことなのかどうか、自分を中心に考えていなかったか?不平不満が出たときにこそ、問い返されることである。「偽り」と表現すると、わたしの想いや行動を否定されるように聞こえるかもしれないけれど、そうではなくて鏡のことばとして受け止めよう。「偽り」とは、わたしの姿を映し出していることばなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山の子の 一人遊びや 彼岸花

2018年09月18日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は21.7度から28.3度、湿度は88%から67%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。今日も蒸し暑い一日になった。明日の19日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今朝も呼吸困難になって5時半前に起きてしまった。酸素圧縮機で鼻から酸素を吸入して寝ているのだが、それでも呼吸困難になる。奥方は定休日らしくゆっくりと寝ているものだから、隣の部屋で朝のニュースだかを見て時間を過ごしていた。

 

 で、気分が悪いのに、奥方が「このパソコン、立ち上がらないわよ」、「あれ、まだ、うごかないわよ・・・」とか「グーグル検索はどうやるの?」と、うるさく言うので、簡単に操作しておいて、「今日は前山出勤だから・・・」と、言い残して前山地区活性化センターに向かった。

 

 毎週火曜日には役員さんたちがそれぞれのお仕事をやっている。長らく入院していて、お仕事から遠ざかっていたために、私の当面のお仕事はない。ま、勘弁してもらっていて「病気療養中」・・・みたいなものだ。

 

 11月の大窪寺ツアーでは、「正式なお作法を学ぼう」ということで、「なりきりお遍路体験」というものをやる予定。そのために、お遍路用の白衣、輪袈裟、杖、傘、ろうそく、線香・・・など一式を貸し出す予定。でも、経本くらいはおみやげに持って帰ってもらおうということになった。で、経本を作った訳だ。

 

 で、チーフ・ガイドの前田先輩が、「散華も記念にあげたらエエだろう。それを、経本に挟むようにはできんやろか・・・」というので、あれこれと試行錯誤をやってみた。

 

 事務用の古い封筒がたくさん余っていたので、それを利用してみた。落ちないようにポケット状にするには手間が必要。ま、この経本を持って四国中を廻る訳でもないだろうし・・・ということで、三角シールみたいな袋にしてみた。

 

 表紙の裏面に、袋を貼り付けてみた。

 

 こういう案配である。皆さんは、経本を両面印刷にして欲しいとおっしゃるのだが、それには緻密な計算と実験が必要。だから、裏面は白紙状態。

 

 で、納め札と、散華(正式には「華芭(けは)」を収納できるようにしてみた。

 

 私の宿題は終わったようなものだが、肝心の「数珠」はどうするんじゃろうか。輪袈裟とお数珠は必需品だが、会のほうでもお数珠までもは用意していないはず。線香は我が家にもずいぶんとあるが、参拝用のローソクは我が家にはない。大先達さんに用意してもらおうか。

 

 納め札は、ネットからダウンロード出来た。市販の白札はお安いが、一束100枚綴りは多すぎる。会専用の納め札を作ろうかと考えたが、今回はパスした。

 

 役員さんたちは、封筒印刷がうまくいかないとああだこうだと実験中。うまく郵便番号が枠内に入らないのだとか。普通は、プリンターと封筒の大きさ(長形3号)とかを指定すればうまくいのだが、封筒が長いのか、設定がおかしくなったのか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分だけのために生きる人生は小さくてむなしいけれど、人のために生きれば人生は無間に広がるのよ」という有吉玉青さんの言葉から。有吉玉青(ありよし たまお)は、日本の随筆家、小説家。本名は清水 玉青。大阪芸大文芸学科教授。東京都生まれ。父は興行師だった神彰、母は作家の有吉佐和子。その「美しき一日の終わり」という小説の中の言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


世の中の 悩み重ねて 曼珠沙華

2018年09月17日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨の降る所がある見込みらしい。気温は23.9度から28.8度、湿度は88%から72%、風は2mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の18日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 昨日から湿度が高くて蒸し蒸ししていて気分がすぐれない。今日の気圧は1010hPa。ぽちの散歩についていくのがやっとだった。

 

 昨日、今日と体重も66Kgを超えていて、足が重く、おなかの調子も悪い。だから今日は休養日にした。いや、毎日が休養日なんだけれど。

 

 自宅にじっと引きこもっている訳にもいかないので、銀行だ、スーパーだ、文具店だのをのぞいてきた。ここは東かがわ市湊にある「文遊館」という文房具店。ここも久しぶりだ。

 

 で、探し物は、この和紙。例の経本の表紙に使っていた用紙が切れてしまったのだ。で、同じ柄のものはないかと探してみたのだが、同じものはなかった。

 

 で、小柄な紋様を選んで買ってきた。ところが、この和紙は、ゴムのように伸びて、切ったり、張ったりするのにはやや不向きなものだった。手触りまでは確認しなかったのが失敗。

 

 仕方がないから、残りの五部を作ることにした。余分な部分を切り落としたり、

 

 それを長く張り合わせて行ったり・・・

 

 それを。折り本のように折り上げていく。ま、根気のいる作業である。

 

 で、買ってきた和紙に、薄いボール紙を挟んで表紙を作る。この裏面を見ればわかるように、ゴムのようになっていて、わずかだが伸び縮みする。だから張り合わせるのが面倒になった。

 

 で、出来上がったのが、この四冊分の表紙である。これに、折り本部分を挟み込んで糊付けする。

 

 で、「題箋」を張りつければ完成になる。

 

 これで、予定の15冊の経本が完成したことになる。あとは、「Qシート」の作成になる。確かにこれは「売り物」にしたいようなものだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間の大きさは その人が出会っている世界の大きさ」であるという言葉。町内の善楽寺さんの掲示板からである。農業をやっている人はどこに旅行しても、稲のできばえとか野菜の育ち具合しか見ないという。会社の事務職員は自分の仕事の範疇しか知らないし、技術者は自分の担当している職場しか知らない。孫悟空がどこまでもどこまでも飛んでいったのに、お釈迦様の手のひらの中で遊んでいただけのように、「人間の大きさは、その人が出会っている世界の大きさ」なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


手を合わせ 初心忘れな 曼珠沙華

2018年09月16日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は23.8度から30.8度、湿度は92%から68%。風は2mから4mの西の風が少しばかり。明日の17日は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夕方は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨夜の宴会は21時半過ぎにお開きとなったが、奥方は明日もお仕事だからと20時過ぎから寝てしまい、弟たちも22時前には寝てしまった。

 

 残った私は、食器洗いから片付け、テーブルの整理、ゴミの片付け、お風呂の片付け、エアコンの停止・・・なんぞの後始末をやってから寝た。23時を過ぎていた。

 

 寝てからふと気がついたのだが、お昼からはトイレに全く行っていない。あれだけ食べて飲んで大騒ぎしたのに、トイレには行っていないということは・・・。

 

 夜中には頭痛がするし、おなかが張るし、トイレに起きても量はあんまり出ない。夜には酸素圧縮機から酸素吸入をやっているんだけれど、息苦しくて何度も起きてしまったし、朝の4時半には、もう、起きてしまった。おなかを圧迫されるようで苦しくて寝ていられない。

 

 で、朝の6時半からは集落内にある「山の神神社」の秋の例祭のお掃除である。この集落には10軒の家があるが、歩行困難の方と佛忌のかかったおうちとの二軒がお休み。残りの8人でおそうじすることになる。

 

 昔はここに拝殿があって、宵宮から集まっておこもりをしていたというが、今は礎石が残るばかりで再建されたこともないという。

 

 この頃の私は、おなかが張って歩けないし、動けない。このしめ縄を張って、紙垂(しで)を飾るのがやっとのこと。男性陣は倒れた松の木や竹の枝を切ったり片付けたりするのだが、私はまるで動けない。

 

 どうにかこうにか、おそうじができて、しめ縄が掛けられた。で、みんなで「二礼二拍手一礼」して、おしまい。昨年までは会堂に集まって、座談会のようなことをしていたが、今年からはやまってしまった。もう、山でたきぎや柴などを集めることもなくなったし、山仕事をするような人もいなくなって、信仰心も薄れてしまったような気がする。

 

 7時半過ぎに我が家に帰ってみると、奥方は出勤、弟たちは用事があるからと帰ってしまい、娘家族も帰ってしまった後だった。祭りの後はこんなものだ。私も気分が優れないもので、例の経本の折り本とか、表紙付けなんぞの作業をしながら気分転換。

 

 で、今日も五部の経本を折りあげて製本した。都合、10冊にもなった。

 

 薬を飲んでも、胃腸薬を飲んでも、漢方薬を飲んでも、トイレにしげく通っても、体調は少しも好転しない。昨日だって、そんなに多くを飲んだわけでなし、そんなに多くを食べた訳でもない。ただ、働き過ぎたかな・・という気はするのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「みようみまねで合わす手に やどるすなおな菩提心」というもの。仏さまの眼から見れば無心に遊ぶ子供たちの姿の中にも、菩提心はあるということなのだろう。そういえば、幼い子供は、みよう見真似で小さな手を合わせている。それにどんな意味があるのか、なぜそうなるのか知らないままに合わせる両の手。それでいながら、そこには不思議なほど仏さまの世界との一体感が感じられる。言い方を変えてみれば、大人より子供たちの合掌の姿の方がずっと絵になるのである。子供は純粋無垢という点で私たちより仏さまの世界に近いのかも知れない。だから素直な心そのものが菩提心だと受け止めてみてもいいのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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