まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

たんぽぽに 明日の予定を 問いかける

2015年03月03日 | 自然ありのままに

  さぬき市地方は東シナ海の低気圧が前線を伴い、四国の南海上を北東に進むため、昼過ぎから雨が降り出してきた。気温は1度から12度、湿度は90%から62%、風は1mから8mの南東の風が一時強かった。明日の4日は、寒気や気圧の谷の影響で雲が広がりやすく、未明は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝の散歩の時にニホンザルがオリに入っているのを見つけた。先日、わが家の迷犬ごんが脱走した事件があったのだが、なんと、このオリの中に閉じ込められていたらしい。猟師さんが気がついて釈放してくれたらしいが、まかり間違えば殺処分されていたかも知れないということだった。

 

 その近くの、小型の捕獲器にも小猿が入っていた。この捕獲作戦は3月31日まで続けられるそうだ。

 

 今日は天気がよくないということなので、香川県立図書館に行ってきた。ま、毎度の火曜日は図書館通いになっている。

 

 先週に借りた編集関係の本、五冊を返却して、今度は讃岐の句碑巡りとか俳句や歌碑についての本を五冊借りてきた。

 

 その後、ここにやってきた。高松市香南町にある「高松市香南歴史民俗郷土館」である。

 

 由佐城は、由佐氏の居城で、東は香東川、西に沼地の多い自然を巧みに利用した要塞で、天正11年(1583)長宗我部元親軍が攻め入ったが容易に落城しなかったと伝えられる堅城であった。由佐家に残る由佐家文書のなかに「由佐城絵図」があり、それによると、香東川の西岸に柳並木があり、それに接して「下之城」があり、その西に内堀を隔てて「上之城」が設けられていた。上之城を中心に周囲16町ばかりの中を外堀、内掘によって仕切り、各地区は橋で結ばれ、外との連絡も南、北、西に設けられた橋によって行われていたことがわかったらしい。城内には土塁が築かれ、櫓もあったそうだ。由佐家の居宅とした屋敷内には内堀、土塁跡を見ることができたそうで、今でも香南歴史民俗郷土館の敷地内、庭園西側には土塁の跡が残されている。周囲には南門という地名も伝えられている。

 

 ここで、山頭火などの句碑や歌碑の拓本展が行われているのだが、なかなかに碑文を読むのが難しいらしい。幾つか、誤って読んでいるものもあったので、おせっかいながら、私の調べた句碑集をプレゼントするためにやってきた。

 

 拓本を取ったものの、何が書いてあるのかわからない・・・という声を聞いたもので、さぬき市内の句碑や歌碑を調べたものを参考にしていただこうという訳である。副会長さんらが驚いて、こんな資料があったんですか・・と眼を丸くしていた。いや、そんな資料がないから、私が作ったんですよ・・・と言いかけたがやめた。

 

 今日のお昼はどこにしようかと、あちらこちらを走ったのだけれど、定休日であったり、開店前であったりして・・・、結局の薬局でここになった。高松市西植田町にある「麺通堂西植田店」。

 

 今日も気分的に「肉うどんの小」になった。これで420円だった。可もなく不可もなく・・・。

 

 その後も、春を探して走り回ってきたが大きな成果はない。途中の電気店で、印刷用紙(表紙用の厚めのマット紙)を買ってきたので、宿題の印刷を再開した。

 

 英国士官レキ研究を7冊、古川庄八研究を6冊完了した。これらは県立図書館と丸亀市図書館に恵贈するもの。「山頭火の句碑集」の増刷は少し後でもいい。「四国遍路の闇と影」 の原稿ができたので、試作版を明日にでもやっておきたいもの。

 

 今日の掲示板はこれ。「同じことでも 「なんだこれしかできない」と不満に思う人 「これだけできた」と喜ぶ人 喜ぶ人が幸せへ」というもの。。「3歩しか歩けない」と嘆くのか、「3歩も歩けた」と喜ぶかの違い。それが人生には大きなことで、1,000Kmしか歩けないのか、1,000Kmも歩けたと喜ぶのかみたいな差になって来る。人生は、そんな少しの差が大きな喜びに実って来るものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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