まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

夕なれば 雲を追う萩 逃げる雲

2015年08月31日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は四国付近に停滞する前線の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所があるらしい。気温は22度から25度、湿度は97%から86%、降雨量はお昼前に1mm~4mm/hの少量の雨が少し。風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の9月1日は、山陰沖に停滞する前線や低気圧の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 で、朝から雨・・・。子供の頃は雨だろうが雪だろうが楽しくて楽しくて学校に走って行ったものだけれど、今は全く、そんな元気も勇気も覇気もない。若い頃には、「工事屋殺すに刃物は要らぬ、雨の三日も降ればいい」なんて言われたものだが、昭和の後半くらいだろうか、「雨具があるんだから仕事に行かんかい・・・」と言われ出して、雨の日も風の日も雪の降る日も、毎日毎日仕事に追い出された。

 

 こんな雨の日には、電話線に木の枝や竹の枝が倒れかかって混線や断線や「地気」が出た。電話線にだって電流が流れていて電圧がかかっていたから、下手に電話線に触ると、目から火花が出て地面に叩きつけられた。雪の日はもっと悲惨だった。昔の電話線というのは「硬銅線」というハリガネだったのだ。だから、雨の日も雪の日も、私には「厄日」に見えた。今もそうかも知れない。

 

 だから、「晴耕雨読」が一番だと、最近はパソコン三昧になる。今日は、重い腰を上げて、「十年日記」にチャレンジしていた。

 

 毎日毎日、こうしてブログをつけていると、「昨年の今頃は何をやっていたんだろう・・」と思ったりする。「一昨年の今頃には何をやっていたんだろう・・」と考えたりする。それだから、毎年の主立ったことをメモしてある。横軸が年数で、縦軸が月日である。それが十年分である。

 

 この十年日記を、ブログを参考にして、空白部分を埋める作業である。この基礎データは、毎年のダイアリーを参考にして入力してあるから、普通の日には何も記載がない。記載がないと言うても、生きていたのだから、何かを食べて何かをするためにどこかに行った筈。それをブログから探し出して埋めて行こうとしている。今日は、2012年の10月までの修正が終わった。

 

 本当ならば、こうしたものに、きちんと整理をしておけばいいのだろうけれど、そこまでの「几帳面さ」はない。また、そうして残しても誰も見たりはしないのだ。だから、電子的にエクセル・シートで10年メモを残そうとしているだけだ。

 

 わが家の「ごん」は、おばあさんにお座敷で飼われていたので、雨や音が大嫌い。そのおばあさんが亡くなって処分されるところを、わが家にもらわれてきたものだから、雨も雪も大嫌いだし、雷や花火が鳴ったら半狂乱で恐怖に泣き叫ぶ。だから、サルやイノシシには無抵抗だし、それらが近くに居ると身動きもしないで軒の下や車の下に隠れて動こうともしない。番犬にもならず、何の役にも立たない。だから「迷犬ごん」なのである。今日も雨の日はいやだといって散歩にも行かない。だから、私のストレスはたまる一方だ。

 

 収穫間近な水田では、昨日今日の連続の雨でばっさりと倒れてしまっていた。これを業界用語(?)で「倒伏」と言う。とんだときの秋雨ではある。だから、このあたりでは、お盆過ぎには一斉に稲刈りをやってしまう。台風や秋雨がやってこない間に刈り取ってしまうためである。

 

 今日は月曜日と言うことで、ほとんどの図書館や資料館・博物館や美術館がお休み。それだし、昨日まであたりで企画展とか展示物が交代する時期に当たっている。夏休みの終わりは、資料館や博物館の展示の終了時期にもなる。そして、しばらくのお休みというか、交代時期があって、今度は「秋の展示」に切り替わる。そんなで、私の活動も「端境(はざかい)時期」になる。

 

 山の植物たちも、夏の生き物から秋の植物へと移り変わっていく。わが家も三方が窓という涼しい「白い部屋」から二方が窓の暖かい「黒い部屋」へと布団を移した。白い部屋だと朝方が寒くて仕方がなくなったからである。それだし、夏場はシャワーだけで済んでいたお風呂も、今夜からは普通の湯船のお風呂に戻った。確かに、夏から秋へと移行している。

 

 今日の掲示板はこれ。「秋はまた 四方の紅葉を眺めても いずれ散りゆく我が身思わず」というもの。どこの誰の歌かはわからない。やがてまた、大きな望遠レンズを装着したおじさんたちが三脚を抱えて名勝地や景勝地を走り回る頃となる。あそこの萩がきれいだと言えばすぐにでも飛んでいく。あそこの菊花展がいいぞと言えば、一斉に飛んでいく。根香寺の紅葉だ、白峯寺の紅葉だ、大窪寺の紅葉だと走り回ってはいるものの、「いずれは散って行く自分の命のことは考えてみないのか」と、この作者はいうているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


秋雨に 削がれて遊びが 一つ消え

2015年08月30日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で太平洋側を中心に雨が降っている。気温は22度から27度、すっかりと涼しくなった。湿度は89%から78%、風は2mから3mの南の風が少しばかり。明日の31日は、前線や低気圧の影響で雲が広がり雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 「準備ができました」と言うので、「ほ~い」と、さぬき市津田町の公民館にやってきた。昨日は「津田町史」を借りて来たのだが、本当は「寒川町史」が欲しかったので取り替えてもらってきた。

 

 で、寒川町史を借りて来て、「真嶋正市」という人のことを調べていた。

 

 香川県下で最初の文化功労者で「応用物理学の父」と呼ばれる人であった。「銃器の発射に伴う金属の反射運動」とかという一風変わった物理学者さんだった。

 

 さて、寒川町史の下敷きになっている、これらの本。讃岐のおもしろ人物をまとめた本なんだけれど、この中に、こんな人のお話があった。「讃岐おもしろ人物図鑑パート2より」

 

 「丸亀万象園を再現・五重塔建築に才能」

 真鍋 利光 丸亀市中津に旧丸亀藩のお庭『万象園』があるが、この松を一本も枯らさず庭を再現、公開したのが真鍋利光である。

 

 昭和二年三豊郡詫間町に生まれ、県立三豊中学を卒業、建設業をはじめ昭和二十八年に富士建設を創業した。建設業は県内中堅企業にまでなったが彼は少年時代から抱いていた「文化」に強い関心を持ち、荒れ果てていた旧丸亀京極家のお庭を入手して再興、自費で公開するまでにこぎ着けた。経営する富士建設事業部の運営として資金をつぎ込んでいった。

 

 この庭に美術館を建設、館長になり、購入したバビルゾン派の絵画などの名画を展示する一方、定期的な企画展も開いてきた。

 

 本業の建設業に力を入れると共に芸術・文化に深い関心をもっていて美術館建設設は若いころから夢であった。園内には万葉集の柿本人麻呂の和歌の碑を建立したり、殿様の茶屋を再興するなど地方文化の向上に寄与した。臨海道路の延長で一部が削られるハプニングもあったが彼の意向通り園は新名所になっている。

 

 高知五台山の竹林寺の五重塔建築についてはその秘話を豪華本にまとめて出版している。塔を造るためにインドの仏塔の研究までし、工事の終わる間際に物凄い暴風雨が高知を襲った。彼は豪雨の中、塔の脇でずぶ濡れになってたたずんだが本体はびくともしなかった。五重塔建築を出来る業者は少ない。のちには茨城県の寺でも五重塔を建築した。また考古学の田村実造博士ら多くの学究にも知己が多く、彼の五重塔の本には専門家も寄稿している。もともと真鍋本人が学究肌で勉強熱心だったのである。

 

 古美術、西洋美術、陶器など幅広い知識の持ち主で、万象園内にも美術館のほかに陶器館、ひいな館なども作っていてオリエントについてはオリエント協会の香川県支部をつくり自ら事務局長になり、三笠宮崇仁親王をお招きしての講演会なども開いたりした。美術、歴史など幅広い文化人でもあった。

 

 病魔に侵され手術後、東京の三井記念病院に入院していたときも窓から見える東京の下町の風景を見ながら「バブル崩壊で不景気というがクレーンは林立しとる」と、建設工事の状況を分析するという根っからの建築屋でもあった。平成四年春六十四歳で死去。

 

 今日のさぬきは雨。明日も雨になるらしい。「晴耕雨読」が似つかわしい晩夏の風景である。

 

 今日の掲示板はこれ。「「思えば叶う」 そうなりたい そうなると信じる そのように努力する そうすればそうなる」という高橋福八さんの言葉から。そうなりたいと願い=願と、そのように努力する=行とが揃えば、「願行具足」ということで、ものごとは成就する。願いだけでは物事は叶わない。努力ばかりでも物事は叶わない。そうなりたいという願望と、そうしたいという行為があってこそ、物事が叶うのだと、高橋さんは言うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ヒグラシが よく啼く朝だ 伸びたひげ

2015年08月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっているし、夜は雨となる見込みらしい。雷もゴロゴロと響いていたし・・・。気温は22度から27度、湿度は96%から75%、風は1mから2mの南の風が少しばかり。明日の30日も、前線や低気圧の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。来週は全般的にお天気が悪くて曇り空らしい。

 

 朝から天候はパッとしなかったが、それでも朝方はなんとか秋めいていい季候かなぁと思っていた。

 

 このあたりの3分の1は稲刈りは終わっているし、今日あたりに稲刈りを予定している家もあるように聞いていた。5月の連休前に田植えをした田んぼは、この8月末に収穫する時期になっている。今日の午後からは天気が悪くなると言うので、あちらこちらで稲刈りが始まっていた。

 

 昨日でもって、NHKのラジオ子供科学電話相談が終わった。また、来年・・・ということだが、夏休みもおしまい、こども電話相談もおしまいになると、いよいよ8月もおしまいになるなぁと、なんか、大切なものを一つなくしたような気分になった。夏の高校野球もとっくに終わってしまっているし・・・。

 

 で、9月上旬提出の原稿の執筆に入った。400字詰め原稿用紙50枚の大作である。取りあえずは準備した材料の一挙羅列。おおよそ、90枚の落書きみたいなものである。これを整理しながらダイエットしていって、最終的に50枚に納めようというもの。

 

 途中で資料不足な点があったので、近くの図書館に出向いて本を借りてきた。

 

 ところがうっかりとして(最近はこんなことが多くなった)、「寒川町史」が必要なのに、係のお姉さんと話し込んでいる内に、違う町の「町史」を借りて来てしまった。それじゃ、ダメじゃん春風亭昇太。明日にでも交換に行って来なければ・・・。今度は間違いなく「寒川町史」でお願いします。

 

 お昼からは、薄暗くなったと思ったら、雷が鳴り響き、ものすごい「土砂降り」になってきた。

 

 早口言葉ではないが、「今年の雨はとにかくよく降る雨だ」。

 

 そう言えば、三日後の9月1日は、「二百十日」ということになる。台風の季節到来・・・ということか。農家も急ぐはずだし、雨も降る時期になっているのか・・・。

 

 8月だ、夏だ、お盆だ、海だ、山だと浮かれていたら、あっという間に「収穫の秋」だ。これでは遊び過ぎたキリギリスのように収穫も期待は出来ないというもの。

 

 それにしても、慌ただしい7月、8月だったなぁと振り返る頃。私のホームページの行事予定表を更新しながら、これを「絵日記」で書いて提出しなさいと言われたら、ほとんど思い出せなくなっているような事柄が多い。8月の上旬は、神戸の義兄夫婦のお引っ越しのお手伝い、戻ってPCの整理やらワード、エクセル、パワポの設定から調整から・・・。

 

 その後はボランティアのゴミ掃除やら島の家の草刈りやらをやってお盆。お墓の掃除やら仏壇の掃除やらをやって、盆礼という親戚一同が集まっての宴会をやって、それが終わればまたも島の家の草刈りやら台風対策やら。その合間に資料館通いと美術館巡り。精神的には収穫があったように思うが、お財布的には大赤字。

 

 今日の掲示板はこれ。「夢を現実にする一番良い方法は 眼を覚ますことだ」という、ポール・ヴァレリーの言葉から。英語では「The best way to make your dreams come true is to wake up.」と言うらしい。夢をみるのはいいことだと思うのだけれど、でも、「消え去る夢」にしないためには、目を覚まし、現実的にものごとを進めていく必要があるという意味なのだけれど・・・。昨夜、私は夢を見て何かうわごとを言うていたらしい。奥方が、私を揺り動かせて私のうわごとはおしまいになって、私の夢は終わったらしい。私は現実の世界に引き戻されたのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


揺れてみて 明日を迎える ススキの穂

2015年08月28日 | 今日はすっかりとアートの世界

 香川県地方は気圧の谷や湿った空気の影響で西部を中心に雲が広がり、弱い雨の降っている所があった。気温は21度から28度どまり、湿度は82%から63%、風は2mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の29日は、前線が北上してくるため雲が広がり、夕方からは雨の降る所がある見込みらしい。

 

 8月も残り少なくなって、小中学生の夏休みも終わってしまい、夏の終わりがしみじみと感じられるようになった。ふと、気が付けば、図書館で借りた本の返却期日が近づいている。そこで、恒例の「香川県立図書館」にやってきて、6冊の本を返却して5冊の本を借りてきた。

  

 昨日は、香川県東部を歩いたからと、今日は香川県中部へ向かうことにした。まずは、坂出市にある「東山魁夷(ひがしやま・かいい)せとうち美術館」に向かった。

 

 東山魁夷画伯の祖父が坂出市櫃石島の出身で、香川県とゆかりが深いことから、ご遺族より版画作品270点余の寄贈を受け、これら作品を広く鑑賞していただくため、香川県立東山魁夷せとうち美術館が整備されている。美術館では、画伯と香川県とのゆかりを紹介し、様々なテーマで所蔵作品を展示するとともに、他の美術館との連携を図り、画伯や画伯ゆかりの日本画家の作品を展示するなど、東山画伯に関連する多種多様な交流を積極的に推進している。

 

 7月から9月のこの期間には、「室内に広がる風景」ということで、宮殿や寺院、劇場などの障壁画や緞帳の原画などを展示してある。

 

 たとえばこれは、帝国劇場の緞帳の原画である「緑の詩」というもの。原画はリトグラフ。他にも唐招提寺御影堂障壁画「濤声」の原画などもあった。

 

  二階展示室には「技と美にの木版画」ということで、この「春雪」などの課程画像や原板が展示されている。このへんてつもなさそうな絵に見えるが、この画像を印刷するためには、実に436枚もの原板が作られ、436枚の摺りが積み重ねられているのだという。気の遠くなりそうな工程である。

 

 だから、原作者の東山魁夷先生と彫師、摺師の先生とで綿密な打ち合わせを行い、これを何枚の原板にするか、何色に刷り上げるかを入念に話し合うらしい。試し刷りをして修正して、OKが出れば本刷りになって、100枚単位で刷り上げて、東山先生が確認して、ようやく落款が押されるのだという。お値段もするはずだ・・・。

 

 時間があったので、ここにも寄ってみた。丸亀市中津町にある「中津万象園」である。

 

 ここの、「ひいな館」の一階で、「幕末土佐の異端絵師「絵金展」」をやっているというので、のぞきに来たと言う訳である。高知県が生んだ幕末の天才絵師「絵金」こと、弘瀬金蔵が描いた芝居絵の屏風(レプリカ)11点が展示されている。香川では目にする機会の少ない、極彩色の絵金の世界を、少しでも見ておきたいものだと、やって来たと言う訳である。

 

 入り口を入ると、いきなり、こういう屏風絵が置いてある。本当は「おどろおどろしい絵」なのであるが、そんなにもおそろしくはない。最近の現実社会の方が、もっと、「おどろおどろしいような気がする」からである。

 

 こういうのも、土佐の赤岡町の薄暗い路地先の、ろうそくのほのかな灯りの下で見ると迫力があるのだろうが、こんなにはっきりと、明るい照明の下ではなんともない。それよりも、幼い中学生男女をガムテープで縛って切り刻んだ男の方がもっと、怖いと思ってしまう・・・。

 

 今日も食欲はなかったが、ものはついでだからと、丸亀市飯野町にある「純手打ちうどん・よしや」に入ってみた。午前11時前だったから店内は空いていた。

 

 で、冷たいうどんを・・・ということで、「冷やかけうどん小」をお願いした。230円だっただろうか。冷たいお出汁がおいしいなぁと思った。

 

 今日の掲示板はこれ。「乗りかけた船には ためらわずに乗ってしまえ。」という、ツルゲーネフの言葉からである。人間いったんこうと決めたら、迷わずに突き進むべきだ。決めるまでには熟慮を重ねることが必要だが、決心がついたら、もう思いきって実行するしかない。決断と行動を促す言葉である。「決定して疑いあることなし」の仏教の言葉もある。私も優柔不断で、どうしようか、どうしようかと悩むことが多いが、いろんな講演会や原稿の執筆依頼を受けた時、「どうしようかなぁ」と思いつつも、二つ返事で担当させて頂くことにしている。ちょっと状況は違うけれど、奨められた船にも乗ってみるべきと思うのである。ためらわずに乗ってしまうことである。思い切って乗ってしまえば、もう、船からは降りられない。あとはなんとかなるものだ。そしていったん乗ってしまったら、あとは後悔しないようにひたすら努力するだけなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


気が付けば 蝉の音絶えて 日が落ちる

2015年08月27日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は20度から28度、湿度は92%から56%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり吹いていた。明日の28日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

  

 さて、昨日はわが家に戻って来るまではなんともなかったし、ブログもFBも普通に更新したのに、夕食を食べたとたんに気分が悪くなって、18時前から寝てしまっていた。食事もほとんど口にできなかった。

 

 疲れなのか、食あたりなのか風邪なのか・・・、二階の寝室で寝てみたり、涼しい書斎に布団を運んで寝てみたりして、目が覚めて起きたのは、朝の6時半だった・・・。実に十二時間も寝たせいか、首筋から背中から腰からが痛かった。奥方は気味悪がって一階のリビングで寝たらしい。

 

 これが、昨日食べた「花オクラなのよ」と、奥方は言うが、これが原因ではないのだろうか。とにかく、眠たくて眠たくて・・・・。ちなみに、花オクラと実オクラとは種類が違うし、茎も葉っぱもビミョウに違うし、この花の大きさは異様に大きい。これにベーコンとかハムとかを巻いて食べる。

 

 さて、昨日が西ならば今日は東だ・・・ということで、九月の「町あるき」の最終確認。リハーサルが9月の5日の土曜日だったはず。今回は津田の松原と大川町の「軒原庄蔵」である。

 

 この津田の松原には、多くの文人墨客らが訪れたし、映画俳優の嵐寛寿郎・浅丘ルリ子なんかも撮影のためにやってきている。そんな一角に、この「平山郁夫画伯写生の位置」という場所がある。このあたりを町あるきするのだそうだ。

 

 風景的にはこんな感じ。「白砂青松」というのは昔の話し。それでも、ここはよく松を生かせて有ると思う。多くの山やお庭では松枯れで松の木なんぞ見なくなってしまったのだけれど。

 

 ところが、もう一本の「棟方志功の松」というのが見つからない。高校生の頃には、この松原はお庭みたいな感覚で走り回っていたのだが、記憶の森は遠くに霞んでしまっている。

 

 道の駅まで戻って来て、ここの職員さんに聞いてみたが、「近くにいながら、松林は歩いたことがありませんの・・」と仰る。それじゃ、ダメじゃん、春風亭昇太。ここは観光案内所も兼ねているんでしょ。

 

 園内を散歩しているおじさんに訪ねたら、「洗心亭の裏側や」というので早速に向かってみると、「洗心亭」という料亭の西浦手に確かにあった。

 

 「おお、兄弟、ここにおったか!」。

 

 この頃になると、気温はぐんぐんと上がってきて暑くなってきた。ここの海水浴場の露店や桟敷席なども解体・撤収工事が行われていた。

 

 町内の「軒原庄蔵」についてはさらりと流して歩いてみた。これが、その「銅像」である。

 

 江戸時代末期ごろの掘削工事風景。こうして山にトンネルを掘って、農業用用水を通したというお話である。

 

 こちらが、そのトンネルの出口部分である。トンネルはこの下側にある。

 

 ここへ、わが家のすぐ脇を流れる水が、ここにまで注ぎ込まれて、この町の水田を潤しているのである。

 

 これが、わが家の横の水路であるが、今年は一度も、この水路に水が流されることはなかった。それだけ、雨が多かったということである。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は一人では人になれない 支えてくれる者があってこそ 初めて人であることを知るべきだ」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。子供の頃には、こんなことをよく聞かされたように思う。「人」という字は人が支え合う様子を表しているのだとかと。今でも、人は一人では生きていけない」と思うのだけれど、「おひとりさま」とか「ひとり旅」とか「都会の中の一人」とかと、ずいぶんと「一人で生きている」人が多くなった。都会のマンションの一人暮らし、避難先の仮設住宅での一人暮らし。でも、一人で生きると言うことと、「ヒトして生きる」ということは違うのだということをこの言葉は教えてくれている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


すぐそこに 百合の花あり 六地蔵

2015年08月26日 | ふるさと散歩

 丸亀地方は、湿った空気の影響で西部を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は24度から30度、湿度は84%から63%、風は5mから3mの西の風が少しばかり。明日の27日は、高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 台風騒動の中でも、合宿に来ている学生さんらは朝から元気に砂浜ではしゃいでいた。高校生かと思っていたら香川大学教育学部の学生さんだという。毎年、恒例で合宿なんだそうだ。

 

 さて、台風一過ということでさわやかな朝になった。で、朝から生ゴミ、燃えるゴミ、空き缶ゴミなんぞを片付けて、戸締まりをして・・・。8時35分発のフェリーボート、しわく丸に乗って帰ることにした。

 

 お盆明けの16日に島に来たときに、軽トラのキーがないということで、歩いて島の家に行ったことがあったが、その時のスペアーキーが右の物。緑の犬がついているもの。それとよく似たキーがあることにようやく気づいた。長さが若干違うが形は似ている。このキーを軽トラに差し込んだら、なんと動いたではないか。つまりは、すっかりと忘れていたが、これが本来の軽トラのキーだったらしい・・・。

 

 今日はもののついでに仏壇店に寄って帰ることにした。丸亀市塩飽町にある吉塚仏壇店のここが本店さんらしい。高松の三条店さんにはよく立ち寄ったものだったが、ここは初めてである。

 

 で、和ろうそくを買ってきた。 

 

 私のブログで、昨日の検索項目のトップがこれ。「川中うどんの火事」である。ここの火事はずいぶんと前のような気がするが、なんで今頃、そんな記事を探すんだろう。

 

 このお店になってからもずいぶんと年月が経っている筈・・・。まだ、10時過ぎだったが、ついでにここでおうどんを食べてみることにした。ここは元は美容室だったような気がしたが。

 

 おばあさんが一人でお店をやっているような感じ。ここのおそばが有名らしいが、今日は「ひやかけ小」をお願いした。ここはセルフサービスではない感じ。エッジのしっかりとしたおうどんでおいしいと思った。

 

 ふと、この道は満濃池に向かう道ではないぞ・・・ということに気が付いて、途中から山の中へ入り、満濃池の奥にあたる「五毛」という集落からまんのう公園の方に進んでみた。これは「五毛の二十四輩さん」である。

 

 昔取った杵柄で、あちらこちらと走って、かりん会館から満濃池に出てきた。

 

 満濃池から綾川町の旧綾上町」経由で高松空港でトイレ休憩。

 

 夏休みを楽しんでいる子供たちの声がよく響いてきた。でも、もう、夏休みもおしまいだ。

 

 今日の掲示板はこれ。町内の善楽寺さんの掲示板からで、「先祖からのいただきものは子孫からのあずかりもの」というもの。少し言葉が違うかも知れないが、「過去からの贈り物」と「未来からの預かり物」。ネイティブアメリカンに伝わることわざに、次のようなものがある。「自然は祖先からの贈り物ではなく、子孫からの預かり物である」と言う言葉である。多くの人々は「自然は祖先からの贈り物」と考えがちである。祖先が大切に守ってきてくれた自然を、現在の自分たちが受け継いでいるという考えである。一方、ネイティブアメリカンは、逆に「自然は子孫からの預かり物」と考えていた。では、なぜこのように考え方が違うのだろうか。多くの人の考え方では、現在から祖先という「過去」をみているが、逆に、ネイティブアメリカンは、現在から子孫という「未来」をみているのである。つまり、両者の考え方の違いは、視線の向かう方向が異なるのである。「過去」を見るか、「未来」を見るかの違いである。これを会社に当てはめてみると、「過去」を見た場合、「諸先輩の努力で現在の会社がある。自分たちはそれを受け継いでいる」。「未来」を見た場合、「自分たちは、未来の社員から現在の会社を預かっている」という見方の違いなのである。どうだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ススキの穂 台風一過の 武者震い

2015年08月25日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は、台風第15号が九州北部付近を北上しているため、雨が降り、雷を伴って非常に激しく降っている所があった。気温は26度から32度、湿度は84%から70%、風は3mから7mの東北東の風が吹き荒れていた。明日の26日は、台風第15号は日本海を北上し次第に遠ざかるけれど、湿った空気の影響で雲が広がりやすく、未明まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨夜はテレビの台風情報を眺めながら、島の夜を楽しんでいた。島の中学校跡地では、消防団の操法の訓練があって、島の男性のほとんどが集まっていた。というても、数十人という規模なんだけれど。若者たちは砂浜でキャッチボールやビーチバレーなんぞで楽しんでいた。台風前夜だという雰囲気は少しもなかった。

 

 で、テレビで情報を得ながら寝たので、このソファーが夏場の寝台になっている。夜中には落ちたのか下りたのか、床の上で寝ていて、慌ててソファーに横になったのを記憶している。夢だったかも知れない。

 

 暑いから網戸のままで寝たんだろうか、テーブルが雨で濡れていた。ということは、和室の畳も広縁も似たような状況になっていたのかも知れない。とにかく、朝方の強烈な風の音で起こされた。

 

 で、左のよこせ丸と一緒に、係留ロープを伸ばして、船を後方に引っ張っておく。あの箱形の船室が風を受けて岸壁に激突するのを防ぐためである。

 

 で、台風が過ぎれば、また、このロープを解除する。台風のたんびにこれを繰り返すのである。

 

 この、船の係留が終われば朝食になる。そして、台風は北上を続けて日本海へと出た。

 

 でも、風で手を挟んだとか、風でこけた(転倒した)とか、そんなことまでテレビやラジオで放送しなくても・・。普段だとニュースにもならないようなことを、何回も何回もNHKさんは繰り返して報道している。

 

 風が収まった時間帯に、島を少しばかり走ってみた。港周辺では、こうして「防潮堤」が完全に閉じられている。

 

 島のフェリー乗り場も閉鎖されている。だから、私たちは「孤島」で「孤立」しているということになる。おそらく、明日の朝でないと船は動かない。

 

 道ばたには、木の枝や葉っぱが風で散らされて落ちている。

 

 しばらく見なかったら、物置は足も踏み入れられないように散乱状態。みんな、使ったら使いっぱなしだし、上から上から投げ込むばかり・・・。

 

 少しばかり片付けてみた。釣り道具ばかりが盛り上がっていたので、そこを整理したら落ち着いた。もう、この島では釣りもできないほどに魚が激減した。やがてには、釣り道具もいらなくなってしまいそう・・・。

 

 水道の検診結果とともに「漏水していませんか」というハガキが入っていた。確かにどこかからか漏水している様子。このパイプの位置が少し低いのか、他の器具の調整具合なのか、ここからあふれた水が流れ込んでいるのも一因らしい。

 

 応急で処置をしたが、それでもまだまだ漏水している。トイレの元栓を閉めたら水の流れが止まったので、このタンクからの漏水であることは確かだ。来月のお祭りの時に、修理をすることにしておこう。

 

 今日の掲示板はこれ。「うれしいときも、悲しい時も、かけがえのない我が人生である。」というもの。うれしいときも、悲しい時も、辛いときも、苦しいときも、涙の時も、笑顔の時も、そういう数々のドラマあって、私たちの人生が綴られていく。楽しいばっかりでは飽きてしまうに違いない。悲しいことばっかりではこころが折れてしまうに違いない。そんなかけがえのない人生を、苦しくても、悲しくても歩き続けてゆくしかないではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


出掛かった ツノが縮んで セミが啼く

2015年08月24日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた、台風第15号が北上するため、夕方から雲が広がって来た。気温は22度から32度、湿度は92%から54%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の25日は、台風第15号の影響で雨が降りやすく、雷を伴い激しく降る所がある見込みらしい。

 

 テレビやラジオでは、「大きな台風15号が・・・」と言うてるのに、「そんな格好をして、どこに行くの?」と仰せになる。「何を言うてまんねん・・。先週から言うてますやん、台風でんがな・・」と言うと、「あかんよ。今日は善通寺市役所へ行ってもらわないと・・・」。

 

 孫のなぎちゃんとはやて君らが外国へ行くらしい。それで、夏休みの間にパスポートの申請をしておかねばならないのだとか。それで、必要書類を、善通寺市役所に取りに行け・・・と言うのだ。なぎちゃんの父親の本籍地が善通寺だから・・・仕方がないというので、なぎちゃんを載せて善通寺市役所まで行って来た。

 

 来たけれど、なぎちゃんのお父さんの「本籍地」の住所がわからない。善通寺市内のどこかだかはわかるのだけれど・・・健康保険証を見ても、それなりの書類を見てもわからない。奥方に携帯で連絡して、そこから、なぎちゃんのおばあさんに電話して・・・。

 

 ああだ、こうだ・・と、職員さんに相談しながら、「戸籍抄本」は出来上がった。すると、なぎちゃんが、「今度は、お母さんの御用で、『かたぱん』を買って来い・・と言うの・・」と、仰る。善通寺名物の堅パンである。で、善通寺さんの駐車場に車を置いて・・・。

 

 本坊境内を出てすぐのところにある「熊岡菓子店」に寄ってきた。

 

 いつもは行列ができているお店なんだが、今日はだぁれもいない。「定休日とちがう?」と、なぎちゃんに聞くと、「定休日は火曜日!」と言われた。こういう日もあるんだ。

 

 で、お母さんに言われたメモを見ながら、あれを、100g、これを100g・・・と買っていく。

 

 知ってる人は知っているのだが、知らない人はまるで知らないという、普通のお菓子店。善通寺の御用が終われば、なぎちゃんを屋島まで送って行く。なぎちゃんの中学校は、明日からが二学期だという。クーラーが入ったので、一週間、繰り上げになったのだとか。だから、今夜は必死で夏休みの宿題をやるんだとか。

 

 さぬき市から、高松市内の屋島西町まで行って、そこで孫のなぎちゃんを乗せて善通寺まで行って、そこで「堅パン」を買って、またも屋島西町まで戻って、そこから、今度は、丸亀市の丸亀港まで・・・。昼食時間なんぞ計算に入っていない。おかげで、今日の昼食はなし。

 

 丸亀港に着いたのが13時。その近くのスーパーで、今夜の飲み物や食材を買って・・・、14時10分の高速艇、「ニュービサン」に乗る。

 

 夏休みも終わろうとするのに、若者が20人近く乗り込んできた。食材やらをいっぱい、抱えてやってきた。島がにぎやかになることはいいことだ。

 

 若者たちの歓声を乗せて、ニュービサンは備讃瀬戸を突っ走る。海上15分でしわく広島江の浦港に着く。すると・・・。

 

 これまた、すごい若者たちの大歓迎。迎えてくれたのは先発隊らしい。高校生だろうか・・・若者たちの歓声はさみしい過疎の島にはうれしい声だなぁと思った。

 

 今日の掲示板はこれ。「有る角(つの)も 出さねば丸し 蝸牛(かたつむり)」というもの。誰だってそうだ。人間様には頭にはツノなんぞない。ツノなんぞ持ち合わせていないのに「ツノ」が出る。丸いまるいおつむなのにツノが出る。今日だって、「むむむ・・」と、ツノが出そうになった所に、奥方の先制パンチ。「お坊さんはツノなんぞ出さないわねぇ~」と言われたら、出掛かったツノが縮んでひっこんでしまった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


ひとしきり 夏の終わりを 噛みしめる

2015年08月23日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は22度から32度、湿度は88%から60%、風は1mから3mの北の風がすこしばかり。明日の24日は、引き続き高気圧に覆われて晴れますが、台風第15号が北上するため、夕方からは湿った空気の影響で雲が広がる見込みらしい。

  

 さて、昨日、バサラ花火大会やら婆娑羅まつりやらHOTサンダルの作品展やらがあるのに、急いで山の家に戻ってきたのには訳がある。というのが、街でいう「地蔵盆」、この集落では「お地蔵さん」の日ということで「寄り合い」があるのだ。

 

 私はここの生まれではないので全く由来も伝承も知らないのだけれど、この石段の上の祠(ほこら)に、「お地蔵さん」がお祭りされているのだという。どんなお地蔵さんだかも見たことはない。ま、石のお地蔵さんであることは確か。

 

 で、集落の10軒が総出で、7時からの掃除になるのだが、決まってご婦人方は30分前くらいから集まって、にぎやかに掃除を始めるのだ。

 

 で、30分ほどで掃除は終わる。そして、この場は解散になる。昔・・・と言うても戦後の20年代から30年代ごろには、この前の広場に、80人から100人ほどが集まって「お地蔵さん」を楽しんだ・・・という。戦後の娯楽も食べるものもない時代には、子供たちの楽しい「祝日」であったらしい。

 

 今は、夕方の15時から集会場での「おまつり」になるので、その間が手持ちぶさた。先の8月1日にしわく広島で中学生相手に「幕末歴史講座」をやったのだが、そのお礼状がお盆明けに届いていた。その、「お礼」ということで、その時に使ったスライド(パワーポイント)資料を本にしてプレゼントすることにした。

 

 パワーポイントのシートを全て印刷すると、106ページにもなった。それを両面コピーにして50枚少し。これを製本して、担当の先生に送ることにした。

 

 これこそ、「世界で一冊の本」、「本屋さんでは売っていない本」が出来上がった訳だ。表紙だけは「写真印刷版」でカラー印刷になっている。

   

 これを、明日、郵便局から引率の山地先生に送っておくことにした。

 

 このセミはメスなのか静かに網戸にすがっているばかりだったが、夕方には、「ミーン・ミーン」というミンミンゼミやヒグラシ、ツクツクボウシが啼くようになったが、その数もめっきりと減ったように思う。日が暮れたら、虫たちの合唱が始まる。

 

 15時からがお地蔵さんのおまつりなんだが、14時半にはほとんどが集まっていた。今日は日曜日ということで、農家の三軒が稲刈りだからということで欠席したので、7人だけというさみしい会になった。おまつりだからと言ってもお茶とパン二個しか出ない。

 

 今日は「開店休業やなぁ・・」ということで、早々に解散することになった。明日からは台風15号の影響が出そうだ・・・ということで、農家の人は稲刈りが優先だから仕方がない。結局の薬局で、なんのためにみんなが集まったのかもわからないような寄り合いになってしまった。「お地蔵さん」の意味も意義も役割も分からなくなってしまって、単なる座談会でおしまいになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなおとなたちも、一度はこどもだった。でも、そのことを覚えている大人はほとんどいない」というサン・テグジュベリの言葉から。王子さまと一緒に星々を旅すると、狭い世界しか見られない日常から大きく飛躍して、自由な精神世界を飛んでいるような昂揚感と喜びが感じられる。この“王子さま”は、砂漠でさまよう飛行士である“僕”の内面であり、作者であるサンテックスそのものであり、読者の心が形になった姿でもあると言えよう。いちばんたいせつなことは、目に見えないということなのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ヒグラシの 啼いて日記が 閉じられる

2015年08月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 丸亀地方は湿った空気の影響で、瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があったらしいが、概ね晴れていた。気温は25度から32度、湿度は94%から71%、風は3mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の23日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜の夜中・・・けいこばぁ宛てにメールが立て続けに入ってきて、19日から21日まで宿泊していた大学生が、マンションの鍵を島の家に忘れて来た・・・・ということらしい。私は「自己責任だな」と、隣の部屋に布団を引きずって行って寝てしまった。しかしのかかし、「大事なマンションの鍵らしいので見て来てあげて・・・」というので、朝一番に丸亀に向かった。

 

 ところが土曜日の朝は道路が空いていたのか、8時前には丸亀港に着いた。高速艇は出た後だし、フェリーには1時間余りも早すぎるし・・・ということで、そのまま、多度津町まで走って、桃稜公園に登って、コンビニで買ったパンと牛乳で朝食にした。

 

 ご存じ、「一太郎やぁい~」の銅像である。ジャストシステムファンにはたまらない「一太郎やぁい」の聖地である。地元民には案外と知られてもいない名所でもある。一時は「軍国の母」ということで、教科書にも載ったことで有名だった。

 

 港の周辺には、このようなシートが敷いてある。「あ、シートをしーとる」。何事かと聞けば、今夜、「バサラ・花火大会」があるので、その見物用の場所取りなんだそうだ。花火は、この目の前の海で打ち上げられるらしい。

 

 待ちかねて、9時20分発のフェリーボート、しわく丸に乗ってしわく広島に向かう。「炊飯器の保温のスイッチも切り忘れた・・・」とか言うてるし、「ガスの元栓も閉め忘れたかも・・・」という連絡が入る。よほど、京都からのお客さんは大急ぎで帰ったらしい・・。言うておくけれど、お盆明けの空いている日時だったので家を貸してあげたというだけで、宿泊費とかを頂いて貸した訳ではない。ま、管理人だから、仕方がないから、管理のために出向いてきただけのこと。そうは言うても、時間もカネも無駄といえば無駄なんだけれど。

 

 備讃北航路に見慣れぬ船がいると思ったら、海底浚渫(しゅんせつ)作業の警戒船である。航路の安全のために、海底の海砂を掃除しているらしい。

 

 島の家の隅から隅まで探したけれど、マンションのキーは見つからなかったし、炊飯器の保温スイッチも入っていなかった。ま、窓のロックを掛けたり、カーテンを閉じたり、洗濯物を片付けたりして、帰りの12時50分までの時間をつぶす。掃除機を掛け直したり、食器を元通りに片付けたり・・・。そうして、見慣れた私の家の風景に戻しておいた。

 

 ま、なんともないから良かったが、炊飯器が過熱したらどうしようか、とか、ガス漏れを起こしていたらどうしようかと、ま、心配はしたけれど、たいしたことなくて良かったのだけれど、肝心のマンションの鍵は見つからずじまいだった。それ以上は「自己責任」で解決してもらうほかない。

 

 それにしても、冷凍庫の中には、焼き肉用のお肉が4パック、唐揚げ用のお肉やらチキンナゲット、ピザの材料などがぎっしり・・。こんなものを置いておいても仕方がないので、全て処分することにした。あの、コストコで買ったのか、みんなでかい袋入りだから、処分するにも大量過ぎて・・・。缶ビールなどは腐らないので、そのまま、冷蔵庫から出して保管した。二泊三日で帰ったらしいが、まるで一週間分の食材の量だった。納豆や卵などは来週用にそのままにした。来週は台風が直撃しそうな情勢である。

 

 19日に島に入って、20日は雨だったので泳ぎもできず、釣りにもならず、21日の朝には、することもなくて早々に島を出たらしい・・・。だけれど、今日は良い天気になったし、丸亀市内では婆娑羅祭りだし、今夜は目の前で花火大会が見られたのに・・・。

 

 京都の大学生には、そんなものは興味もなかったのかも知れない。帰りに少しだけ、婆娑羅祭りをのぞいてきた。このチームは子供さんばかりのチームらしかった。

 

 大人たちは、焼きそばだ、生ビールだといい気分で見ていたが、私はそうもできないので、10分ほどで丸亀を後にしてさぬき市に向かった。

 

 今日の掲示板はこれ。「物事には 必ずそこに隠された理由がある。理由なくして物事は起きない」という指揮者・飯守泰次郎さんの言葉からである。飯守 泰次郎(いいもり たいじろう、1940年9月30日 - )は日本の指揮者。旧満州・東京生まれ。右派的な裁判官として知られた飯守重任を父とする。文部大臣、最高裁判所長官を歴任した田中耕太郎は伯父。桐朋学園短期大学指揮科卒。斎藤秀雄に師事。アメリカ留学中にミトロブーロス国際指揮者コンクールに入賞。のちにカラヤン国際指揮者コンクールに入賞した。

 

 大阪で中学生の男女が殺害されたが、人が殺された裏には理由がある。理由亡くして物事は起きない・・・。そう、感じながら、事件の推移を見つめている・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


日が落ちて つくつく法師の お説教

2015年08月21日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、前線に向かって流れ込む湿った空気の影響で、雲が広がっている。気温は24度から29度、湿度は96%から73%、降雨量は微量、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の22日は、前線が次第に南下するため、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 台風の影響なんだか、湿った空気がどんよりとして蒸し暑い一日になった。

 

 最近、野猿が見えなくなった・・・と思っていたが、栗の実が見えるようになると子猿たちがやってきて、これを器用に食べている。猿は不思議なことにはじけて落ちる前に食べてしまう。道具もないのに、このイガだらけの栗を枝から外して、イガのまんまをきれいに割って中の実をかじって食べている。手袋もなにもないのに痛くはないのだろうかと毎年、思う。

 

 さて、図書館で借りてきた親鸞さんの本を、スキャナーで読み取る作業を今日もやっていた。本を一冊、まるごとデジタル化するには二日も三日もかかる。いい加減、肩こりと首筋の凝りがひどくなってきた。

 

 読み込んでから、それを修正していく作業が面倒なのだ。「やっばり」とか「祈ら」とか、意味のわからん言葉になっているのを、ひとつひとつ修正していくのが面倒なことだ。

 

 こっちのデスクの方では別な作業をやっているし、検索とかfacebookを開いたりと、こちらも忙しい。

 

 で、気分転換に高松市仏生山町にある「仏生山法然寺」に行って来た。特に何があるからという事でもなくて、ただ、ふらりとやってきただけ・・・。

 

 言うちゃぁ、なんだが、この近辺では、ここの仁王さんが一番、迫力があっていいお顔だと思う。中学校の時の遠足以来、年も寄せず、迫力も衰えず、いいなぁと思っている。

 

 ここは観光寺院でもなく、真宗寺院のような窮屈さもない。拝観料を納めたら本堂や三仏堂にも入っていける。だからと言って案内役がつくでもなく、自由に拝観ができるのがありがたい。本尊は阿弥陀如来立像。合掌礼拝・南無阿弥陀仏。

 

 さすがに、この時期には「来迎堂」や「般若台」には登りたくない。書院、本堂、三仏堂を拝観させていただいて、五重塔から仁王門へ出ておしまい・・・。

 

 お盆が過ぎたら、少しは涼しくなるかなぁと思っていたが、昨日、今日の蒸し暑さはどうだ。今日の昼間はセミさえも啼くのをあきらめて暑さに耐えている様子。夕方になれば、つくつく法師やヒグラシがにぎやかに啼くことだろう。

 

 そうそう、昨夜、にぎやかに秋の虫たちが啼いているのを聞いていた。鈴虫とかコオロギとか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「見えそうで見えないものは 自分の短所と欠点である」というもの。あの、「笑点」の「大喜利コーナー」で、「見えそうで見えないものは」という「お題」ならば、いい物が出てきそうだが、この答えはつまらないなぁと思う。自分の短所や欠点なんぞはどうでもいいことではないかと思う今日このごろ。それがとりもなおさず、自分の長所と特徴ではないのかと思ってしまう。そんな、自分の短所やあら探しをせずに、堂々と歩いて行きたいものだと思ったりすることである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


縁により 大護摩の火を 撮っている

2015年08月20日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は24度から28度、湿度は98%から72%、降雨量は朝方の1mm/hのみ。風は1mから2mの南南東の風が少しばかり。明日の21日は、引き続き前線や湿った空気の影響で雲が広がり、明け方にかけて雨が降るらしいし、雷を伴う所もある見込みなのだとか。

  

 午前中は、図書館で借りてきた民話集を電子データに取り込む、「スキャニング」という作業をやっていた。とにかく、気になるところはデジタル・データとして確保しておくことにしている。そうすれば、いつでも加工ができるし、アナログ化もできるということで。

 

 そうそう、8月の頭に、しわく広島にやってきた善通寺の中学生に幕末歴史講演をしたのだが、そのお礼状が届いた。お約束通りに「まほろばさん」とか「まほろば工房の木村さん」という書き出しになっていたのがうれしかった。こういう子供たちが少しでも幕末史や塩飽史に興味を抱いてくれるとうれしいのだけれど。

 

 さて、今日は8月20日ということで、四国霊場88番札所の大窪寺に行く日である。その事前に、お昼はここになった。門前にある「八十八庵(やそばあん)」というお土産屋さん兼おうどん屋さんである。

 

 名物うどんはいろいろとあるのだけれど、私の夏場はこの「団蔵うどん」。細切りうどんのざるうどんである。細切りだからさっとゆがいてあって、うどんの味がしっかりと残っているし、食べやすい。あの、歌舞伎役者、市川團蔵にちなむおうどんである。

 

 その後、若葉の美しい境内へと入っていく。時間はちょうど、12時半。

 

 すると、本堂からこうした山伏たちが法螺貝とともに下りてくる。今日はカメラの設定を誤っていてきれいな画像が撮れていなかった。

 

 この方が大窪寺の住職さんで、参詣・参拝・協力者の皆さん方へのご挨拶。

 

 春のお彼岸の中日と、夏の8月20日には、こうして柴灯(さいとう)大護摩供養が行われる。この護摩供養は、修験道独自の護摩儀礼で、野外に護摩木や藁(わら)などを積み上げ、そこへ仏菩薩を招いて点火する。その火により修験者の煩悩を焼き尽くすとともに、天下国家安穏、家内安全、五穀豊穣などを祈願する。修験者自身の修行として行う場合もあれば,寺院の年中行事のとき、あるいは信徒の諸祈願にこたえる場合にも執行される。護摩木は人間の煩悩をあらわし,その護摩木を井桁に積み上げるのは,人間の罪垢が井戸のように深いからであると説明されている。

  

 この子たちも毎年見かけるようになった。こうした若者たちがいて、伝統行事が継続できるのだなぁと思ったことだった。まだまだ、所作に落ち着きがないが、これからの精進を期待したいものである。

 

 この頃になると、熱気と湿度とで汗まみれになってしまった。その後、火渡りなどがあるのだが、あまりにも暑いので失礼させていただいた。

 

 もう、みんな、暑い、熱い、あつい・・・。

 

 家に着くなり、冷凍庫からこれを取り出してかぶりついたが、あっという間に食べてしまった。それでも少しも涼しくはならなかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「つくべき縁があればともない、はなるべき縁あればはなるる」という「歎異抄(たんにしょう)」の言葉から。自分がどれほど力を込めて関わろうとも、また、離れないでほしいと懇願しようとも、離れていくような条件が整えば、事実として離れていくのである。ところが、その事実を認めることができない人間の我がままによって、この人は私が教えた弟子だから他の人の所へいってはいけないと主張をし、念仏申す人々の中で弟子を奪い合うといった事が起こってきたのである。そこには他人を自分の思い通りにしたいという人間のエゴがあった。坊さんの世界で起こるようなことは、世間一般でも似たようなもので、人は別れたり結びついたりするのだけれど、そこには、「縁」というものがあるからなのである、と、教えてくれているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


リコリスを 指折って詠む 俳句の日

2015年08月19日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で雨が降っていた。気温は23度から27度、湿度は96%から91%、降水量は2mm/hから10mm/hと、一時はすごかったが夕方には静かになってしまった。風も2mから1mの南南東の風が少しばかり。明日の20日は、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎにかけて雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 さて、今日は雨も降ることだし、恩師の絵画展でものぞいて来ようかと激しい雨の中を出かけて行った。9時からのオープンだからと少し早めに行ったのだが、雨が激しくて車から下りる勇気が出ず、20分間も車の中で待っていた。

 

 で、隣町の「21世紀館さんがわ」という施設に行ったところ・・・。

 

 こんな看板が掛かっている。どうにも集まってくる人たちが道具箱を持参しているのが気になっていたが、まるきり、お呼びでない展示会に来てしまったみたい・・・。

 

 よくよく見ると・・・、来月の15日からではないか。とんだ早とちりだったって訳だ。

 

 どうせだからと、その竹細工展を見せてもらった。もちろん、無料で撮影は可能ということだった。

 

 よくもよくも、こんなものを作るものだと感心するやら呆れるやら・・・。

 

 相当、竹の性格とか竹の習性とかを知らないとここまでの作品は作れない。

 

 これなどは竹を編んで鳥を作っている・・・。

 

 こういうカゴや編み物は女性の作品に多かった。

 

 竹細工を堪能した後は、東かがわ市にある県立病院に向かった。今日は11時半からの予約診察だったので、10時半に病院に入った。その後、胸部レントゲン検査と血液検査があって、11時45分からの診察になった。

 

 この頃になると患者さんの数も減ってきた。で、肝臓も血糖値もOKが出た。血圧も体重もOKだった。ずいぶんと節制もしたしなぁ・・・。暑い盛りにも「ノン・アルコール」で辛抱したし。

 

 この前に、神戸のあんちゃんところでいただいてきた、ヤマハのキーボード。どうしようかと思っていたが、アマゾンで中古のキーボード・スタンドを1200円で買った。それが届いたので組み立ててみた。

 

 純正ではないのか、固定するボルト穴が合わない。それでも、どうにか安定しているので、このまま使うことにした。したが、置く場所がない。しばしはここで待機しておいてもらおう。

 

 いずれは、一階のリビングの音楽コーナーに置かなければならないのだが、どうにも、置くスペースがイメージ出来ていないのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるうえで「悩み」はつきものです。まったく悩みのない人生などあり得ません。生きるということは、すなわち悩みと共に歩くことなのです。」という枡野俊明さんの言葉から。「いま確かに生きている。その実感を体中で受け止めてください。寒さや暑さ、痛みさえも生きている実感としてとらえてください。悩みが生まれる原因は一つ。それは何かにとらわれているからです。欲望や夢、ときには人間関係にさえも執着してしまう。その執着心にこそ、悩みの発端があるのです。これだけは手放したくない、これは絶対に手に入れたい。この思いが叶わない時に悩みが生まれます。人間の持つ悩みとは、自分自身で生み出しているものが多いのです。(後略)・・・・・」

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


まどろみを ミンミンゼミに 食べられる

2015年08月18日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は前線の影響で太平洋側を中心に雲が広がり、雨が降るとか言うていたが、雨なんぞは少しも降らなかった。気温は21度から28度とうんと涼しくなった。朝方は肌寒くて長袖のシャツを出したほど。湿度は93%から64%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、明け方から朝にかけて雨が降る見込みなのだとか・・・。

  

 恒例の毎週火曜日の「俵札調査」は8月いっぱいはお休み中。だから、今日は香川県立図書館にやってきた。この前に借りていた本の返却期日が「8月18日」になっていたものだから・・・。で、相変わらず、ここのセミは元気に啼いていたが、一時ほどの激しさはなくなっていた。

 

 開館前には50人ほどが並んでいたが、どこに消えたものやら人影はまばらだった。自習室とか自習机前に向かったのかも知れない。

 

 その後、夏休みの資料館巡りに出で、今日は高松市玉藻町にある「香川県立ミュージアム」にやってきた。ここの第一展示室では、「語り継ぐ戦争の記憶展」をやっている。

 

 これは直島に生まれた17歳の少年が一式陸攻に電信兵として勤務していた時の飛行服である。特攻寸前に終戦となって出撃することはなかったという人が今も大切に保存しているものだという。横の布袋の中には、電信用の「電鍵」や「送受信用紙」が入っていた。

 

 これは、三重高等農林学校に通っていた香川県出身者の卒業証書である。この学生は、戦局の長期化・悪化によって在学者の徴兵猶予がなくなったため、「仮」の卒業証書をもらって出征し、その後戦死した。 学生生活を打ち切られ、学徒出陣した多くの若者の命が失われた事実について考えさせられる。

   

 ここでは、出征してゆく若者を送り出すための赤タスキやのぼり、国旗、千人針などが展示をされている。

 

  これは、昭和18年5月高松城跡の桜の馬場で撮影された写真である。戦争の長期化とともに、武器弾薬の製造に使用するため、香川県内の学校や寺社、公園などから銅像が約70体集められ、壮行式が行われた時のもの。5月30日付の『香川日日新聞』には、銅像が「前線に総進軍」すると記され、出征していく兵士と同じように送り出されていた様子がうかがえる。

 

 この中に、西郷吉之助と親交のあった月照と信海の二人の銅像も入っている。。月照は、文化10年に吉原村下所に生まれ、10歳で牛額寺の蔵海(ぞうかい)に弟子入りし、20歳で京都清水寺成就院の住職となった。後に弟の信海に寺をゆずって勤皇運動に入り、幕府側に追われて九州へ逃げ、西郷隆盛とともに薩摩の海に身を投げた。西郷隆盛は助かったが月照は帰らぬ人となってしまう。弟の信海も牛額寺に弟子入りし、高野山で修業をつみ、成就院住職となるのだが、やはり勤皇運動で幕府にとらえられ、39歳で獄死した。もとはブロンズ製の像であったが、第2次世界大戦の金属応召で台座だけになり、昭和53年(1978年)に速水史郎氏作の石像に生まれ変わっている。

 

 ついでに、この特別展示(有料)ものぞいてきたが、こういうアニメを見ていないので、内容がわからなかった。

 

 近藤喜文さんは、1950年新潟県五泉市生まれ。1950年新潟県立村松高校卒業後、Aプロダクションに入社。アニメーターとして「巨人の星」「ルパン三世」「ど根性ガエル」「パンダコパンダ」などで活躍。「未来少年コナン」を経て、78年、日本アニメーションに入社。79年放映の「赤毛のアン」(演出:高畑勲)でキャラクターデザイン、作画監督に抜擢される。1980年テレコム・アニメーション・フィルムに入社。「名探偵ホームズ」の後、日米合作映画「リトル・ニモ」の共同監督の一人として準備を進めたが、降板。1987年スタジオジブリに入社し「火垂るの墓」のキャラクターデザイン、作画監督を務める。高畑勲、宮崎駿の信頼も厚く、以後も「魔女の宅急便」「おもひでぽろぽろ」「紅の豚」「平成狸合戦ぽんぽこ」などで活躍。95年公開の「耳をすませば」で、初めて劇場用長編の監督を務めた。1998年解離性大動脈瘤により、47歳の若さで永眠。メリハリのあるアクションから細やかな生活芝居まで手がける高い技術と、仕事に妥協を許さない姿勢は、多くのアニメーターに影響を与えた。

 

 今日の掲示板はこれ。「教えることは習うこと どちらも何度も繰り返し」というもの。戦争を語り継ぐということも、それを受け継いでいく方も、どちらも何度も繰り返していかなければいけないと思う。だんだんと風化がささやかれ、高齢者が少なくなって行く中で、どうやって、この戦争の記憶を残していくのかは大きな課題になってきているなぁと感じたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ものとせず 高砂ユリの ひたむきさ

2015年08月17日 | 自然ありのままに

 丸亀地方は前線の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は24度から29度、湿度は98%から67%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の18日は、引き続き、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 島の家の周囲の草刈りも終わったし、室内の掃除も終わったので、予定を大幅に繰り上げて、8時35分のフェリーボート「しわく丸」」で帰ることにした。缶ビールなどの空き缶やら空き瓶、燃えるゴミなどを手際よく片付けて家を出た。

 

 山の家にいると、「島の家に帰りたい・・」「帰りたい・・」と思うのだが、島の家にいると、「山の家に帰りたい・・」「山の家に戻りたい・・・」と考えるから不思議なものだ。島の家ができた当時は、一週間でも十日間でも島の家に居られたのに、最近は1日も居るとすることがなくなって帰りたくなってしまうのだ。

 

 朝の6時05分に丸亀港を出た、このフェリーボートは、6時50分に、この江ノ浦港に着き、その後、青木浦にも寄って、小手島(おてしま)、手島を経由して、今度は。その逆に折り返して戻って来て、8時35分発の丸亀港行きのフェリーになる。そのしわく丸に乗って帰る。

 

 今日は月曜日ということで、病院や買い物に出る人や、お盆を島で過ごした人たちが帰るらしく、久々に大勢のお客さんになっていた。

 

 いわゆる「お盆」も終わってしまい、世の中は普通の日常生活に戻った様子。私的には「お盆」らしいことは何もしなかったし、お盆という意識もなかった。それは子供の頃からで、お盆だから何かをする・・・ということはなかったと記憶している。唯一、「盆礼」という食事会があるということくらいなものだった。

 

 お盆だから家族で旅行に行く・・なんてことがなかったし、お盆だから出かけるということもなく、ボン・ダンスがあったわけでもないし、演芸大会があったわけでもない。最近の10年余りは、島の家に神戸からのお客さんがあって、みんなで魚釣りをしたり、クルージングをしたり、ウエークボードや海水浴で楽しんだりしたが、子供たちが大きくなると部活だ受検だということで、それらもやまってしまった。

 

 今日は久々におうどんでの昼食になった。この暑いのに、暑いおうどんなんか食べたくはない・・・と思うようになった。けれども、わが家に帰っても奥方はお仕事で居ないはずだから・・と、町内の「まるたけうどん」に寄ってみた。

 

 で、「おろしぶっかけ小の冷や」をお願いした。260円だった。

 

 12時過ぎになると、急に空が暗くなり始め、激しい雨や風が吹き出したので、大慌てで窓を閉めたり、洗濯物を片付けたりとバタバタとしたことだった。

 

 でも、大騒ぎをした割に、あっという間に雨は上がってしまったし、風も収まってしまった。で、後には「カナカナ・・」というヒグラシや「御免やっしゃ~」というつくつく法師が啼くばかりになった。

 

 こうして、朝晩は涼しくなって行って、少しずつ少しずつ秋に近づいて行くのかなぁと思ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「誓って破ってまた誓う 決まり文句は今度こそ」というもの。それが凡夫(ぼんぶ)たる我らの姿である。昔に流行った「スーダラ節」植木等の歌った有名な歌だ。「わかっちゃいるけどやめられない・・・」我らの素顔そのもの。それでいいのだ。「悪性さらにやめがたし こころは蛇蠍(じゃかつ)の如くなり」と親鸞さんも言うてなさる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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