車で行く寺社仏塔とA級B級すぽっと!
寺社、仏塔を中心に、車で行くA級B級スポット巡りです!
 



 「津島の御朱印巡り」というのをよく聞くように、変わった御朱印を発行される寺社がいくつもあるようです。(私の場合は、白髭神社の猿田彦神に「御朱印は集めるな」と言われたので(笑)やってませんけど。)そのひとつがこちらの「観音寺」。真言宗智山派のお寺ですが、稲荷ダキニ天とも書いてあるので色々とされてるんでしょう。HPには「津島断ち切り不動尊 牛玉山 観音寺」となっています。

 

 奥にある本堂。表の雰囲気に対して実にシンプル!

 

 この観音寺と津島神社楼門の間に小さなお堂があります。これが「円空千体仏」のお堂!一見、どこにでもあるお地蔵さん。あまりに「重要なものらしくない感じ」で大丈夫か?って思いますが、本来は街を守る仏さんってこういうものでしょうね。 本物は中にある厨子のそのまた中だそうで、横に見える円空仏っぽいのは違うようです。複製とか、調査時に同時に見つかったものとかの情報がありますが定かではありません。

 

 周辺には確かにお寺や古い町並みなど、見どころが多くあります。



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9月28日、超有名な愛知県の「津島神社」。岐阜からは車で1時間程度、駐車場は楼門前のほか南側に無料のがあります。私は南に置きましたが朝9:00から10:00頃はスッキスキでした。楼門は1591年の豊臣秀吉寄進とされるもの。楼門と本殿は重要文化財。

 

 

主祭神はスサノオ(須佐之男命・素戔嗚尊)。イザナギがみそぎをしたときに左目を洗ったときに生まれたのがアマテラスで、鼻を洗ったときに生まれたのがスサノオですね。それでなぜ「天王」かというと、「天王」というのは仏教で言う「牛頭天王」(ごずてんのう)のことで、もともとはインド仏教の守護神の一人。日本では神仏習合によりスサノオと同一視されていて、かつては「天王社」と言われていたことから。例の明治時代の神仏分離で仏教的要素は廃棄されたんですね。

境内、境外には摂社、末社がいくつも並びます。

 

境外末社。それから天王祭の舞台となる天王川公園。

 

さて、仏教的な要素は廃棄され・・と言えど、そこは守る人がいるもので、現在は楼門すぐ横に「宝寿院」という、元の神宮寺があります。

 

丸い形の地蔵堂、涅槃像などもあります。

 

それから、何も書いてないし資料もないけど、多分関係があるんだろうと思う「津島神社観音堂??」が楼門の南東に・・・。。あと、関係ありませんが、「堀田家住宅」という重文のお宅が南門横にあります。塀で囲まれてお金を払わないと見えません。300円、お宅拝見には高いわ・・・。

 





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 今日は滋賀県米原市にある「松尾寺」(まつおじ)。釣りや紅葉で有名な醒ヶ井養鱒場(さめがいようそんじょう)のすぐ横です。駐車場はその奥の料理屋兼お寺の管理所?「醒井楼」に置きます。

 

 「飛行観音」と書いてあるのは、開基の役行者が、空中より飛来して来た二体の観音像を洞窟に祀ったことに始まる寺院であって、航空機安全のご利益があると言われているためです。役行者ということは飛鳥時代からある古刹ということですね。さて、このお寺に来た目的は「重要文化財の九重の石塔」。それがどこにあるかという情報が無いので、とりあえず車を降りて周辺を回ってみました。六角のお堂があります。??ここは何だかよくわかりませんでした。

 

 次に現在の本堂のある方へ上ってみました。以前は車で行けたようです。よく見るとそこに何やら書いてあります。「登山、ハイキングに行く方は醒井楼に声をかけて・・・」とか。このときはまだ「そんな山の奥まで行く人がいるんだ」と思って通り抜けました。

 

 しかし新しい本堂周りには何もない。上に続く道があるし、わだちもあるのでもう少し奥かな?と思って5分ほど行ってみても何もない。仕方ないので、戻って看板を見ると、大雑把な地図がある。でも登り道がよくわからん!人も全くいない。そこで醒ヶ井養鱒場の駐車場まで降りて、そこのおばちゃんに聞いてみると、どうやら今の道で良いらしいが、かなり急な山を登らないと行けない、まさかそこ行くのか?気を付けてね。みたいに言ってきたので、ちょっと不安になったけどひとまず行ってみるか!・・・と、車に戻って飲み物と帽子を持って登って行ったのです。

 

 「一本道だからわかる、ハウスの方」と言っていたおばちゃんの言葉を信じて登る。登る。ところがなかなか着かない。グーグルマップで航空写真見ても山ばかり・・・だが確かにハウスっぽいものがあった。廃墟。ここまで約30分。滑落するほどの道でもないが、誰もいない山は、クマヤ蛇だけでなく、ススメバチとかマダニとか怖いものがいっぱい。天気がいいのと風が気持ちいいので何とか進める。

  

 それでも、「松尾寺跡0.7km」という標識があったので、まだ頑張って登る。かなりキツイ。すると、奥に石垣のようなものと登り道?が!

 

 何もなかった。その先は分かれ道もあるし、足元も悪くなってだんだんヤバそうな感じになってきた。でもここまで来たら行くしかないんだよ!

 

 そして少し行くと、「役行者が水を得るために気合で岩を割った」とかいう水の湧き出る場所と、寺院跡の看板。もう少し!

 

 本堂跡の標識!そして本堂前の石段と思われる階段!!手すりはあるけどしばらく人が歩いたような気配がない!行けるのか??崩れそうだけどやっぱり行くしかないんだよ!!

 

 登り始めて約1時間、本堂跡へ到着!!看板と仮堂みたいなのがある。お堂の中には綺麗な厨子のようなものが見えましたが、仏像は無し。

 

 その向こう側にありました。国重要文化財の「九重石塔」。鎌倉時代中期のもので彫刻の石仏もキレイ。重文の石塔って日本には40基以上あるし、山の中の廃寺跡もよくあるのですが、ほとんど何もなくなっている廃寺跡にポツンと残っているというのは凄くない?

 

 ちなみに塔の前の降りられそうな道は、途中で途切れてました。本堂前周辺からの眺めは良いです。なんだか中途半端に人の手は入っているけど、ほとんど人は来ない?といった様相。

 

 この先、山頂へはすぐのようでしたが、道がさらにヤバそうだったのでパス。なんたって今回はひとり。滑落まではなくても、転んで動けなくなったりしたら、この状況では死にますからね。誰にも声かけてないし、、。帰りは25分ほど。



 いや、なめてました。ほとんど登山。このあと米原のほかのお寺も周ろうと思っていたのもヤメ!しかし昔の人はほんと凄いね。








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