ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

聴くこと

2006-04-20 19:51:48 | カトリックの信仰
 『話し上手は聞き上手』とよく言われます。人の話を上手に聞ける人は、相手が気持ちよく話すことができるので、会話が弾むのでしょうね。すぐに人の話を取ってしまって、自分の世界に引っ張り込んでしまったり、あげ足をとって不快感を抱かせたりは言語道断、聞き上手ではないということでしょうね。

 今日も和気藹々のお茶の時間、場を盛り上げて楽しい彼女ですが、次から次へと話題が繰り広げられて、一瞬の隙を上手く捉えられないと「ちっとも口を出すことが出来ない!」とクレームがでます。「そうそう、それが私の悪い癖!」といっていましたが、結局クレームをつけた人は口を開くことなくお開きになってしまいました。

 今日届いた、カトリック新聞に『イエスの耳となって、一生懸命話を聞く』という言葉があって、私はどっちかというと人の話をじっくり聞くタイプだと思っていましたが、そんな風に『イエスの耳となって』人の話を聞いたことはなかったなと思いました。その人の思いに心を寄せていようと心がけているつもりです。だから、苦手な人でもその人の思いを大切にしたいと思うようにしています。なかなかスムースに心を沿わせることは出来ませんが、でもいつの間にか壁が低くなっているような関わりになることは時々あります。

 『聴く』は、十四の心で聞くことだと聞いたことがあります。十四の心ってどういうことか、実はあまり深く考えたことはないのですが、人の話は一通りの受け取り方ではないほどその人の沢山の思いを含んでいるということでしょうか。どこかに『十四の教え』みたいな考えるヒントがあるでしょうか。

 神様から良いものを一人一人が頂いて、だから人間一人一人がいとおしくて、そんな人間だからとっても大切で、関わりをおそれないでいたいと思っている私ですが、今日『聞くこと』を考えていて、ちょっといい時を過ごせたかな。


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