W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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かれこれ二年 「七十の手習いなかなか難しい」

2009年03月20日 | 歴史
 WAKIは I 先生にもうかれこれ二年も習字や篆刻を習っている。題して「おもしろ書道」毎月一回2時間ほどだが頂いた宿題を皆の前で先生にみて頂き講義を受け、さまざまな資料もいただく。いままで行書の「千字文」に「蘭亭叙」を教えていただいて今は楷書を修めるものは必ず習うとされる「九成宮醴泉銘」を教わっている。臨書は字体を頭に叩き込んでそれを教科書の通り半紙に書くのだが正直これが実に難しい。漢字は文字どおり中国から日本に伝わった、書の大家は決して、書いたものを残すことはなく弟子はそれを写したり石に刻んで後世に伝えた、この「九成宮醴泉銘」も拓本がわれわれの教科書である。I先生はこれらの資料を惜しげもなく見せてくださり有り難いことだ。それにしても上達には書くことしか道はない、至難の業だ。


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3 コメント

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露鋒・・・ (Hide)
2009-03-20 12:12:10
漢字の習い始めは小学校で先ずは楷書からだった。ルーツも歴史も関係なくて、意志伝達、自己表現のツールとしてだった。

その後、習字の時間が設けられて、出来るだけ綺麗に勢い良く書いて、鑑賞してもらう味を覚えた。今時のような熟もなく、学校の先生の言われるままに書くことだった。

練習は新聞紙を切って使い、清書のみ2~3枚新しい半紙を使わせて貰ったものだった。

「おもしろ書道」にまいて貰って、象形~テン書~隷書~草書~行書~楷書と書体が変遷し、楷書のことを専門語で露鋒と言う・・・を学んだ。

お彼岸の中日、先祖の墓参に行こう。
「雪椿、木々の緑や、紅い花」・・・Hide

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それにしても・・ (waki)
2009-03-21 09:06:29
Hideさんの足許にも及ばない字ですが悪びれも無くBlogに出す厚かましさ、お許しください、それにしてもメンバーが増えましたね。
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ゆとりを・・・ (Hide)
2009-03-21 10:52:19
心にゆとりをもてた時、ツンと刺す墨の香りと、筆を持ち半紙に向かって書き出す最初の緊張感に魅せられてHideは書を習いたいと思い、楽しんでいます。

人はそれぞれでしょうが、仲間が増える事は喜ばしいことです。WAKIさん達のPCクラブの初級コースにお邪魔して
K女史に紹介されての入門でもう3年半になります。

みなさん、ありがとうございます。


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