今年も初夏の味覚の代表格、実山椒の季節がやってきた、WAKIは毎年のことながらこの時期になると実山椒を買い求めて塩ゆでしてからこれを小さな小袋に分けいれて冷凍庫に保管して料理に使うようにしている。早速ちりめん山椒にしていただいた。これから出回るのは茗荷に生姜にらっきょうそれに辛み大根など香味野菜が食欲を刺激する。いずれも古来からの日本の伝統の味だ。WAKIはときどき紅ショウガの天ぷらをいただくが関東の人は見たこともないと驚くらしい。去年もほぼ同じころ同じ話題をとりあげた。
きのうは11時過ぎにTVのスイッチを入れたら鹿児島県口永良部島の火山が噴火大変なことになっていてびっくり仰天した。このところ列島各地で噴火や地震が多発していてなんだか不気味に思っていた矢先だ、口永良部島はもともと火山の噴火による試練を受けて防災対策も十分に取られてきたが今回は風向きも幸いして住民は避難することが出来、全員が町営のフエリーで屋久島に避難することができた。しかし気まぐれな火山活動のことひとつ違えばどうなっていたかわからない。ここに住む人たちは普段から噴火に備えて、訓練や避難施設の備えを行ってきたことが伺える。そしてこの迅速な対応を逐一TVが報じてくれてひとまず安堵することができた。
近頃の大阪市営地下鉄の変わりようには目を見はる、天王寺駅と心斎橋駅のホームの安全柵は完成して稼働したし他の駅でもホームに点滅するLEDが埋め込まれて試行されている。評判の悪かったトイレも順次改装中でどこのホテルかと見違えるほど綺麗になってきた。主要な駅にはご覧のサービスマネージャーも配置、最近急増の外国人観光客やお年寄りの手助けをしてくれる、そして抜かりなくベビーカーや車椅子への気遣いなど、乗客へのPRもしている。でも某駅の駅長手作りのポスターは鋭い指摘だ、とくに止めてほしいものの4位・5位は年頃のOLに多いのは何とかならないものかと思う。
古都京都は平安の昔から地下水が豊富で都の人々の暮らしを支えてきた、しかし明治になって都市の近代化のためには膨大な水資源が必要とするようになり、逢坂山にトンネルを掘って難工事のすえ琵琶湖の水を京都に引きこれを物資の輸送や発電や上水道に利用した、これが琵琶湖疎水である。昨年からこの通水トンネルを利用して観光資源にしてはと言うことからようやく実現の運びとなったようである。京阪電車のボデーに張り出された。この辺りには蹴上のインクライン、発電所跡、南禅寺の煉瓦の水道橋など歴史的な遺構が散在して船で巡るのも一見の価値がある。
きのうは所用の帰り難波で地下鉄に乗り換えたので道頓堀界隈を覗いてみた、目立つのはやはり中国人観光客、みんなカメラをぶら下げるかスマホを持っている、それにキャリアーか白い買い物袋。そして免税ショップは大人気で買い物かごには医薬品に化粧品にチョコ菓子などがわんさと入っている。レジの前は長蛇の列で支払いも実に気前が良い。一方「かに道楽」の通りのたこ焼き屋は大繁盛、でも路上やよその軒先で食べているのは頂けない。一方時を同じくして日本人観光客3,000人が訪中、政府要人が出迎えて歓迎の意を表したという、これは日中友好にとって極めていいことだ。
ベランダ菜園の2本のキューリ、条件が余ほど良かったのか次々と花が咲いて食べ頃となって収獲した。やはりもともと苗が良かったのと土壌に日照に水などいろいろの条件が良かったものと思われる。観察していると伸びる速さは目には見えないが朝起きてみれば前の日と全く違う大きさに成長していてびっくりする。一番成りはこの2本だけだが明石の蛸と酢のものにして美味しくいただいた。まだ小さいがサニーレタスも食べ頃になってきたので摘んでいただいた。
マンションの正面の土地の宅地開発が始まって先ず第一に植わっていた立木が取り払われた、道沿いに楓の木が並んでいたが切り払われて今まで見えていなかった景色が見えて新しい発見をした。青く見えているのが象のすべり台でその向こうが毎年花を咲かせる藤棚、そのまた向こうが野球場で時折り選手の喊声が聞こえる。こうして緑が失われた分、WAKIは定点観測をしながら別の楽しみを見つけて行こうと思っている。
ベランダ園芸をやっていて感じるのは、プランターの野菜たちにとって成長の大きな要素は何といっても温度だと思う。人間もそろそろ衣替えで半袖にしたいなーと思う頃、一斉に芽吹いた野菜はどれも競うように成長する。そうすると俄かに忙しくなるのがスーパーマーケットの園芸用品売り場、種や苗が所狭しと並んでいて平日と言うのにレジは長蛇の列だこうしてみると草花園芸と家庭菜園を楽しんでいる人は半々ぐらいの割合か。家庭菜園や園芸を楽しんでいる人が多いことはいいことだ、平和で安泰で何よりだ。
このほどWAKIの古里淡路島でなんと7個もの銅鐸が見つかった。銅鐸は今から2,000年以上も前の弥生時代祭祀に使われたものとされている。兵庫県教委などが19日、南あわじ市(淡路島)で見つかったと発表した7個の銅鐸は、海岸に近い場所で採取された砂の山に埋もれていたという。銅鐸の出土数が全国一多い同県でも、淡路島は、その3分の1が集中する「銅鐸の島」。何のために、なぜ淡路島で――。2000年以上も前の古代の遺物が、弥生の世へとロマンをかき立てる。WAKIが小学生の頃は神話で日本の国は、イザナギノミコトとイザナミノミコトが矛をかき回し、滴り落ちた潮水が固まってオノコロ島となり、そこから淡路島を始め、日本の島々ができた。と習ってそれを頭から信じていた、そう伝わる国生みの神話は「古事記」「日本書紀」に登場するらしい。銅鐸が出土したのは南あわじ市松帆地区。この松帆地区には今も脇田(わきだ)という地名があり郵便局もある。広田にある本家では脇田を今も(わきだ)と呼ぶ、ひょっとしてWAKIの先祖が関わっていたのではと考えるとなかなか興味深い話だ。
朝日なにわ柳壇 5月23日(土)朝日新聞朝刊掲載 西出楓楽 選
宿題「歪む」「兆候の地球の歪増えてきた」 WAKI 枚方市
きのうは義兄が入院したとの知らせをうけて急遽見舞いに行ってきた。便利なことに枚方市駅から朝8:30の高速バスにのれば3時間で淡路の洲本インターにつく、乗客は途中乗車の人も入れて10人足らず、洲本インターには妹が迎えに来てくれて病院へ、前は県病と呼んでいたが今は以前のカネボウ跡地に建て替えられて最新設備の病院になっていて屋上にはヘリポートもある、幸い風邪をこじらせた義兄は症状も回復して話すこともできたがお互い寄る年波には勝てず無理をしないでと見舞った。病院と対置する三熊山の洲本城は快晴のもと洲本の街を見守っていた。帰りは病院の直ぐ前のバスターミナルから三宮経由JRで帰ってきた。