W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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後世に伝えたい 「64年風化しそうな時を経て」

2009年03月11日 | 歴史
 きのうは今から64年前に東京大空襲があった日で東京ではいろいろ追悼の催しが行われたようだ。3月10日の東京大空襲はB29爆撃機325機が飛来したと言われ都心は焦土と化した。大阪での3月13日の大空襲は90機が1,733トンの焼夷弾を投下、市中心部21平方キロ(阪神甲子園球場530個分)が焦土と化し13万6千戸が焼け、約4千人が死亡したときのうの朝日新聞には記事が載っていた。そしてきのうWAKIは青空文庫(Netで読める)で海野十三の敗戦日記を読んだが首都東京の空襲から終戦までの状況が実に克明に描かれている。WAKIは国民学校4年生でB29による空襲も艦載機による空爆も体験したがこれだけは一生忘れることはない。海野十三の科学推理小説も家にあったので何回も読んだ。

[速報] 元旦に千葉県鴨川を出航した比企啓之さんと間寛平の乗ったヨットエオラス号が無事ロスアンジェルスのロングビーチに到着した。快挙です、ご苦労さまでした、おめでとう!

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4 コメント

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快挙 (ANDY)
2009-03-11 07:51:46
WAKIさん、追伸に書いてあった間寛平さんの乗ったヨットが無事にLAに到着したとのこと、まさに快挙ですね。パチパチ
それと昔の焼け野原の写真。歴史ですね。最近では「終戦」というが、我々は「敗戦」と言ってました。嫌な時代でした。昭和20年には八王子にすんでいたけれど、頭上の成層圏をB29が編隊を組んで東京方面に飛んでいったのを見ていました。
昨日はゴルフの練習に行きました。今日は腰が痛いです。あかんなぁ。
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語り部・・・ (Hide)
2009-03-11 09:11:53
広島で背中にケロイドのあったあの叔父さんは今はどうされたのだろうか?白州次郎のTV放映を見りゃ良かったが寝てしまった。WBCとか欧州鉄道の旅だと遅くまで観ているのに・・・。

LA寄港されましたか!!blogへの書き込みが余りにも沢山なので腰がひけました。

見守りボランティア位が今のHideに丁度良いのかも。どなたかが学道路に水仙を植えていて今、盛りだ。
「水仙や、ほのかな香り、立ち姿」・・・Hide



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空襲とグラマン戦闘機 (Mont)
2009-03-11 09:37:27
1944年から倉敷の叔父の家に疎開していました。そこの学校では複式学級(3年と4年)が行われていました。家の裏山を越えたところに三菱の飛行場があるためか、グラマンが低空で飛んで来ていました。

空から爆弾や焼夷弾が降り注ぐような空襲体験はしていませんが、20~30km離れた岡山市内の夜の空襲は、まるで花火を見ているようだったことを覚えています。

こういう経験は嫌なものですが、それより、9月の始業式の時でしたか、当時の小学校の校長先生が、進駐軍を見たら隠れろ、平気で日本人を轢いたり、殺したりするかもしれないからと仰っていたのが妙に記憶に残っています。
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怖かった (waki)
2009-03-15 20:54:18
あの戦争の想い出も次第に風化しつつありますが、WAKIは疎開先(今は堺市)で体験し被災のまだくすぶっている中を歩いたのを忘れることが出来ません。
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