ベランダの植木鉢を動かしたら、下から小さなヤモリが飛び出してきた、体長は5センチほどなかなか可愛らしい元気なやつだ、大きくなると12センチぐらいになるらしいがどうも子供のようだ、しばらく観察をする、こう見えても眼光は鋭く野生の顔をしている。それにしても一体何を食べているのだろうか、きっと油虫や小さな昆虫のたぐいだろう、夏の夜など街灯の脇にへばりついて集まってくる虫を捕まえて食べているのをよく見かけたが、元気に育って欲しいことを願って放してやった。
4~5日前隣の住宅も最後の家族がどこかに引っ越して空になったと思ったらきのうから大工さんが来て一階全面にベニァ板を打ち付けて囲ってしまった。ここはもともと団地が出来た頃からの社宅用地で警察官舎であった4階建て2棟で48軒、そして反対側で我が家の南側は通商産業省の社宅で3階建て1棟で12軒、ここも空家ですでにベニア板で囲まれている。そして玄関の前は住宅公団が撤去されて更地だが買い手がつかないと噂が出ている。このような訳でWAKIのマンションの住民は戦々恐々としている。インターネットの「Google Earth」に住所を入れるとそのまま見ることができるのだから凄い、今のうちに保存しておこう。そして開発の工事が一斉に始まったらどうしようと思っている。財務省が一斉に国有資産を処分している一環でいずれも民間によって再開発される。
ひと口に50年と言ってしまえば短いが半世紀だ、ここ香里団地の開成小学校が開校して今年で50年になる、開校と同時に入学した子供ももう57歳その両親となるともう80歳前後という勘定になる。もともとこの地は陸軍用地で丘に囲まれた立地は弾薬の製造に適しており弾薬や砲弾の製造所であった、それが戦後朝鮮戦争の頃弾薬庫再開の動きも見られたが住民の反対運動もあって住宅地になり、当時最もモダンな団地が誕生した、モダンと言っても広さは2DKか3Kで水洗のトイレとバスがあってそれでもサラリーマンあこがれの住宅で団地族という言葉も生まれた。創立のまじかに暗殺されたロバート・ケネディーも夫妻でこの小学校に視察に訪れたほどであった。いまは老朽化した団地も民間のディべロッパーも入って再開発が進んでいる、小学校の後ろにも建て替えられた高層住宅が新たな景観を作っている。
けさは気をとりなおしてブログを書いている、ブログは日記だから、時たま気に入らないことも辛抱して書かねばならない、馬鹿馬鹿しくて取り上げるのも嫌だが、北京オリンピックの聖火リレー、多くの人がTVで見たことと思う、今までのように沿道で惜しみなく拍手で迎えたかったろうに、人垣にまもられて沿道の人たちは走者すら見えない、走者も欽ちゃんの言うように次第に顔がこわばってきたと言う。そしてやっぱり飛び出して取り押さえられた不逞の輩がいた、情けないことだ。目には目を、力には力をの繰り返しでは、根本の原因を収める事はできない、やっぱり警備は必要だったという口実を与えただけで全くもってしらけてしまった。
きのうの朝、テレビを見ていたらデロップが流れて「御堂筋線人身事故で運転停止」と出たと思ったら別の路線でも同じような事故で電車が止まっていた。世が世ならこんな事故も一向に減らない、むしろ増える傾向にあるのではと思う。この京都の地下鉄東西線の駅はホームには扉があって電車が到着と同時に開く構造になっていて乗客の安全が図られている。WAKIはなぜこのような構造に出来ないのか不思議に思う、昔、パリの地下鉄は電車が入ってくるとホームへの通路の扉が閉まって、電車が行ってから扉が開く構造になっていたが今はどうなんだろう。いろいろ工夫の余地はあると思う。大阪市内でも阪和線が莫大な費用をかけて高架になったがおかげで踏み切りの人身事故は無くなった。そろそろ電鉄会社も本腰を入れて考えて実行に移す時期に来ているとWAKIは思う。
ここはWAKIたちがいつもショッピングに行く隣り町、寝屋川市の「ふれあいプラザ香里」京阪の駅に隣接する寝屋川市の施設ですこぶる便利がよい。ちょうどここでシルバーパソコン教室のパソコンでの作品発表会が行なわれていた、写真、ポスター、チラシ、合成写真、イラスト、さまざまな作品が技巧を駆使して見ていて楽しい作品ばかりであった、なかに川柳を楽しく見せたものや、オーロラのようなグラデーションを表現したものがあってかなりハイレベルの作品が揃っていた。アカトンボは興味深々、WAKIもパソコン同好会で毎回作品を宿題でこなしているがこのようなユニークな創作を取り入れた宿題はない、これからはこのような作品をめざしてはどうかとひじょうに参考になったと思っている。
WAKIたちにも人並みに「ねんきん特別便」が来た。なかなか仰々しい封書だ「よう確かめておくなはれやっしゃ、これが最後の通達でっせ。」とは書いてないがWAKIにはそう取れた。はっきり言って特別でもなんでもない。が、念のため社会保険事務所に出向いた。役所は9時からだろうと読んで待つ覚悟で8時には着いた、するとどうぞ中に入ってお待ちくださいと言って用件を聞いて番号札をくれた。早かったので5番目であった。そして8時半から係員との相談が始まった。何人かの女性説明員は研修中の札をぶら下げていた、そのときはすでに6~70人の人が番号札を持って待合室にいた。5~6年前娘の代わりにある用件で書類を持っていったことがあったがそのときは随分待たされた挙句、女性職員が命令口調でけんもほろろで応対されたことを思い出したが、きょうはこれが同じ職場かと思うぐらい親切丁寧であった。WAKIは一貫して加入の記録は問題なかったが、アカトンボは育児で退職したため念のため確かめたがこれも問題はなかった。でもこのためにバスに乗って出向いた費用と時間僅かといえばわずかだが880円は当方負担であった。
朝の食事は御飯かパン、だいたい交互に摂っている。このところの春の陽気でプランターに植えた野菜ももう食べられるようになって食卓に色を添えている。丸いお皿に載っているのがそうだ、ラディッシュのあざやかな赤い色は葉っぱの緑と対比して鮮やか、食べるのが惜しいくらいだ。それに最近出スーパーにも出まわり始めた新種のレッドアジアンマスタード(イタリア)グリーンリーフレタス(フィリピン)それに水菜を小さくしたようなピリ辛みずな(イタリア)どれも栄養源を食べてるような気分になる。
早いもので今年ももう総会の時期が来た。WAKIが現役をリタイアしてもう11年にもなる、その間お世話になった社友会も29回目、来年は創立30周年を迎える、そして全国に散在する仲間も団塊の世代の人を迎えて3,660名を数える陣容となり、各地で社友による同好会活動も活発に行なわれそれぞれ第2の人生を謳歌されている。その代表も迎えての総会、来賓に会社代表も迎えて近々発表される決算予測や新工場建設の進捗状況など心強い現況も伺ったが、社友会の会長からは「皆で明るく楽しく・生きがいのある第二の人生・自分あるいは自分たちが他の人たちに存在を示せる何かに役立てる活動をプラスしていきたい・そしてPPCKで長寿でいこう。」と述べられた。WAKIは総会議長の大役を仰せ付かったが久しぶりに緊張した。今年は今までなかった懇親旅行をテーマにした作品も公募されて会場に花を添えて好評であった。
WAKIの住む香里団地開発されてかれこれ50年になる日本でも最も古い団地の一つだ、国民の三分の一が65歳以上の高齢者と言われるこんにち、街は再開発でものすごく変貌しつつあるが、このほど団地のど真ん中のいちばん中央に高層の老人ホームが完成した、そのすぐ前にはすでにケア付きのホテルのような施設もあってここは、訪問看護もやっている。どちらも入居の費用はかなりのもののようだが、どちらも入居できる人は恵まれているようだ。