W A K I の気ままなトンボの目

自分流の勝手な生き方ですが、何か気付いたことを書いてみます。
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脳裏に残る子守唄 「子守唄幼い自分重ねてる」

2009年03月19日 | 歴史
 いいかげん歳をとっても幼い子供の頃の郷愁が頭をよぎる、このまえ天満橋を渡り天満の天神さんまで歩いたら「淀川三十石船舟唄碑」と隣り合って「天満の子守唄」(別名大阪の子守唄とも言う)の歌碑があったのでしげしげと眺めながら、歌を口ずさんだ。♪ねんねころいーち、てんまーのーいーちで、だいこそろえーて、ふねにーつむ。ふねにつんだーら、どこまーでーいーきゃる、きづやなんばーのはしのーした・・・・このあたりはかつて旧淀川の水運を利用して大阪の商業が栄えた中心であった。WAKIが幼少の頃は家が市場で店を出していたので両親は忙しい毎日を商売に明け暮れた、だからたぶんこんな姿で兄弟は姉の背中に負われて育てられたことは間違いない。

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2 コメント

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郷愁・・・ (Hide)
2009-03-19 07:28:37
貧農で末っ子のHideもこんなんだったろうなぁ~。兄弟姉妹は今でも仲が良い。いろんな整理が進むにつれて故郷の想いが浮かび郷愁に駆られてれている。

子守唄も誰に教わった訳でもないのに、いまだに聞き覚えている。WAKIさんみたいに楽器が奏でられるといいのにと残念に思っている。

夜明けとともに、新聞をとりにでると、飛び石に語りかけるように、コゴメ花が咲いていた。
「庭先に、春が来たよと、コゴメバナ」・・・Hide



お互いさま (waki)
2009-03-21 09:14:53
WAKIの姉とは一回りもあいている、そして一番下の弟とは九つも開いている。どちらも健在で姉は私が背の低いのはあんたの子守のせいよと言われた、WAKIも一番下の弟を背負って子守をしたが泣き止まないときはお尻をつねってやった悪い子守であった。(反省)

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