現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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日本語教育文法の研究動向

2013-06-28 | 日本語教育
日本語教育文法の研究動向という一文を読んだ。研究の動向であるので、日本語教育文法そのものではない、と感じた。あるいは、日本語教育文法がこういうふうになっているんだと思おうとしたが、それがまたわからないようなことになってしまっているというようなことが、読んだ結果、分かった。なぜだろうと考えてみたら、日本語教育文法の始まりが2003年とそれをきっかけにした2005年の出版物にあるとするあたりに、わからなくなる何かがありそうだ。それはなぜか、日本語教育文法が、コミュニケーションのため、とか、コミュニケーションに役立つ、とか、日本語学的文法から独立した、とか、学習者の習得を考慮した、とか、学習者の母語を考慮した、とか、コミュニケーション能力を高める、とか、聞くための、話すための、読むための、書くための、という修飾語句がいっぱいで、文法を肝心かなめにとらえようとしていない何かがありそうだ。そのなにかとはなんだろう。1980年代に興ったというコミュニカティブアプローチに依然として文法設計が変わらなかったことを言い、初級文法シラバスをすべて取り壊し再構築を図る必要があるとするところに、おかしなことだと感じる要因があった。 . . . 本文を読む

標準語と共通語の説

2013-06-28 | 日本語百科
標準語は規定されているのか、という一文を読んだ。それによって、常識、俗説が明らかになるようだが、果たしてどうか。標準語は1890年に岡倉由三郎が使ったという。次いで、上田万年が標準語に就きてを1895年に発表した。さらに1902年、国語調査委員会の調査方針に、方言を調査し標準語を選定することが決議された。これに対して、共通語はいつから使われだしたかというのが戦後初出の俗説のことらしいが、その俗説をはるかにさかのぼって、1933年、石黒魯平に見える、共通語という言い方を上げている。そして、戦後に共通語と標準語と区別したのは、1949年、国語研究所の調査であり、報告書が1951年に出されている。この時に、戦後初出論に対して新用法の戦後初出論とか言われるようになるようだが、これについても子細に検討をすると先の石黒魯平に戦後の用法のような言及があると言う。共通語の初例も用法も、ともに戦前になるわけである。そして実は戦後の使い方も1949年の八丈島調査の報告書に、共通語が使われているという。また1950年代後半、学習指導要領に共通語という用語が採用された。 . . . 本文を読む

健康診断

2013-06-28 | 日記
定期診断があった。年齢で相応のことがあるかと、尿検査に始まって、身長、体重測定、血圧測定と流れ作業で、はて、血圧はと思いつ、正常値で通過して、腹囲となった、85センチということで前の基準値ならメタボ症候群ぎりぎりのところ、昨年比を見て1.5センチ上回っているので、えぇ、増えていたと、驚いた。心電図と視力聴力と受けた。聴力で右耳が検査値の中で聞こえない音があって落ちているとわかった。これはこのごろのこと、右耳の高音部聞き取りに支障が出ている。内科検診を経て血液検査と一通りを済ませた。内科問診でのやり取りに、病歴と右わき腹を確認して、いつですか、去年いや一昨年のことです、そうですか、ここからですね、と切ったところを指して、まだ執行猶予中ですね、と話しかけてくれた。答えようもないので、はい、と言って終わった。執行猶予は、はて、何を意味するかと思ってしまった。 . . . 本文を読む

168 日をよる、日和

2013-06-28 | 日本語新百科
日本語誤百科 26 ページ  最悪のロケ日和 を、例題にしている。最悪のロケ日和好い天気なのか、悪い天気なのか、それをまたさし示すかどうか。この言い方だけではわからない。日和は、日和見という語もあり、日和を見る、日和をうかがうのように使うことができる。日和そのものは船を出すのに都合のよい天候ということで、海が凪いだ状態を指したものだろう。晴天だけとは限らないが、そこから、日をよる と言って、文字づかいを、和とあてたものだろう。古くに、日和 として、にわ と訓じているので、早くから文字づかいと意味を合わせて用いていたのだろう。表題の文脈を、ロケ日和が最悪になったと読むこともできる。ロケにふさわしい日和を選ぶことができなかった、というような、巡り会わせを嘆いているのかもしれない。 . . . 本文を読む

日本語教育史(13) キリシタン版 

2013-06-27 | 日本語教育の歴史
西洋人の日本語発見につき、日本語研究をキリシタンものと呼ばれる出版物にかかわる章を読んできた。16世紀末から17世紀初めにかけてのことである。キリスト教の布教のため、50点以上の出版物が刊行され、また東アジアではじめて西洋印刷術によって印行されたことが特筆される。印刷史上重要な刊行物であったとみられる。それについて、フリー百科事典ウイキペディアより、一覧を引用する。イエズス会の出版が多くを占める。 . . . 本文を読む

167  1年の間

2013-06-27 | 日本語新百科
現代日本語「誤」百科 822 完成に1年がかかった、例題にしている。この表現では、1年が を主語とみるかどうかである。数量表現で助数を使ってそのまとまりを見て言う日本語は動詞との関係で名詞また副詞の用法になる。すると、完成にかかった時間を強調して言う場合には主語の位置にたつことができる。正しくは、完成に時間が1年かかった となるべきところを、完成に1年の時間がかかった と言う。これをさらに、1年はかかった時間と分かるので、表現内容として、例題のようになって強調表現になる。時間を期間また間とだけ見るので、1年間と言えそうであるが、かかる という動詞でそれは分かることになるので、1年だけで良いのだろう。机にジュースが3本ある *つくえに3本がある 机に3本のジュースがある というふうに、数量を名詞とするので、3本の という使い方をする。形容詞であれば、3本ジュース のようになるが、これは言葉を並べただけになるので、3本のジュース と言うのは、~本 となる捉え方に日本語の特徴がある。これは鉛筆であるのか何であるかわからないので、そのものを明示する必要がある。 . . . 本文を読む

共通語

2013-06-27 | 日本語百科
共通語について説明を求めると、共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう、とある。さらに、日本における日本語話者の間で、方言の違いを超えて誰でも共通に理解しあえる言語のことを共通語というと説明を加えている。フリー百科事ウイキペディアによる。次いで同じく、同じく、1949年に国立国語研究所が福島県白河市で学術調査を行った際、東北方言と標準語の中間のような日本語を話す話者がいることが確認された、これについて国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる全国共通語であると評価し、共通語と呼ぶことにした、というような解説があって、この命名が問題のようである。言語の現象が地方によって、たとえばリンガ・フランカ、Lingua francaは、もともとはロマンス諸語、ギリシャ語、アラビア語の混成語のことであり、共通の母語を持たない人が意思疎通を行う際に使われる言語のことを指す場合がある。共通語、通商語ともみられて、いまでは国際通用語の英語がこれにあたると考えてよい。 . . . 本文を読む

標準語

2013-06-26 | 日本語百科
標準語と共通語の論は中央と地方の議論になる。集権が進み、中央優位の思想と地方の関係であろうか、標準語と方言が対比された時の様相である。それが標準語という語の用法に付きまとう標準ということによる解釈が共通語という用法を進めることになったと、素朴に思うところであった。それはまた、標準語を求めようとする国語の調査があったかどうかのことだろうが、国語が統一されるというのは方言を共通語にする方向として考えてよい、ということにはならなかった。ある民族、共同体、国家、組織、場などが標準とするといった説明の解釈には困難が生まれてくる。それは民族の規定、共同体の範囲、国家という組織の特定、そして言語の場を空間的にひとしなみにすることの問題だ。いつのころか標準を作るということが、中央のモデルを例示する形で決めると言う手続きがあったかなかったか、それはわからぬままに、共通語というわかりよいとされる語に収斂していったようだ。 . . . 本文を読む

日本語教育史(12)  日葡辞書

2013-06-26 | 日本語教育の歴史
これほどの辞書がこの時代に編まれたことは稀有のことであろう。布教のための日本語理解だとは言え、宣教師たちの言語に対するあくなき興味の現れだろう。総語彙数は25967語である。補遺の部6831語、これは6326語という数字も見えるが、合わせて3万のことばを収載している。ポルトガル語で辞書記述をする。1603年から1604年に刊行された。この辞書によって中世日本語が明らかになり、発音表記はポルトガル語のローマ字を手掛かりに復元することができる。しかし、この辞書の出版がのちに、仏語訳されて19世紀になってパリで出版されることになる。パジェスの日仏辞書として知られた。1862年から1868年のことである。いま、この日仏辞書にふれると、原本のままに見ることが困難であったので、その意義は極めて大きいと考えるが、それを利用したことがあってかろうじて、原本を思い合せていた。それを1980年に日本語訳として出版されて手にすることができた。 . . . 本文を読む

166  他人による自己の分析

2013-06-26 | 日本語新百科
現代日本語「誤」百科 821  他己分析 を、例題にしている。自己分析という。自己を他己としての、もじりである。しかし、この文字変換がワープロに出てくる。メモリーに登録されているらしい。検索してみると、他己分析はあるので、よく流通している。就活とキーワードがかさなるようだ。この語がいつ頃となると興味深い。少し前ぐらいから他人紹介ということが流行った。ゲームのようでもある。これは自己紹介の応用にも見える。自分から他人を紹介する、逆に、他人が自分を紹介する関係である。他己分析もそのように、自分が他人を分析するとでもなりそうだが、用法によっては、他人が自分を分析する。自己分析の方法であるとする。するとこれは、他人による自己分析という語かと思える。つまり、他人の自己分析である。自己に対して他己があるかということであろう。自己には他人であり、他者があり、それは絶対他者の語もある。自己と他己は日本語だからできた造語であろうか。自分に対して、他分はない。他者に対して、自者はないか、使いにくいし、自我という語について、他我という語は成り立つか、そういう関係を見ると語の成立にはそれなりの必然性もある。他己にする日本語には世間とか恥とかのかかわりがあるか。 . . . 本文を読む