ながく国語と称してきた。いまも変わらない。しかしそれは一方で国語教育の科目名として定着した。国語教育科目の覆うところ文学から評論に至る広い範囲にある。国語は近代になって自覚された自分たちのことばの統一にあった。漢語による言葉の学びがひとわたり行き届いたのである。それ以後、現代になって国語の見方は日本語へと移る。欧州からの言語、そして英語による言葉の学びになる。
国語の議論は漢文訓読に対する和語、和文をあきらかにしようとした。それは国語の学会が辿る。漢語、漢文は訓点語学が峻別して和語の世界との差異を分析していた。これはいずれの言語であり語法であるかというのであったが、ともに文献実証を文献学からおこなう。この30年はそのピークに達していた。演繹理論を用いるよりも規範学が行われ、国語において仮説による祖語の探求などは避けられた。
. . . 本文を読む
日本語誤百科 21 ページ くず物入れやご気分の悪いときにお使いください を、例題にしている。一読して文法がおかしいというようなものでもないが、解説では、明らかに文法的な間違いを犯している と言うのはいかがか。規範を言いながらそれを正しく理解することがあればこの用法は解釈ができるので、公共の場所での用い方としても成り立つけれど、これをおかしいと感じるのは文法の分析の仕方によるからだろう。例を検索するまでもなく飛行機に乗ればお目にかかるので、ブログにも丁寧に意見を述べている方がいる。それによると言いわけていくと、こうなる、というのがあって、それで理解はほぼいいだろう。表題は読点が足りないのか、くず物入れやご気分の悪いときに、お使いください、というほうが説明しやすい。~や並列助詞の捉え方である。 . . . 本文を読む
テンスとは時制と訳されていたものが文法範疇の語としてカタカナ語で使われるようになった。日本語では、時また時の表現である。時制に一致があるという言語の現象で文法規則を説明するときに使われるので、時制tenseとテンスが異なる場合があり、テンスはアスペクトと並べて説明することがある。いずれも日本語文法のカテゴリーに現われた名称で、相と位置づけられていたものがカタカナを用いることで現代日本語の文法用語になった。時の表現でいえば、様々な表現があって、それを時の流れで過去、現在、未来とするように言語形式にどのように表し、それを動詞が見せる活用変化の共通の形として説明できると、過去時制、現在時制、未来時制などのように見ることができるが、それを形式としてみるか、時間の概念として表現上のこと見るかで文法規則化できるかどうかである。時間が止まっているというようなことはないので、どの言語においてもその事象を表そうとする。 . . . 本文を読む
ヴァリニァーノは巡察師として1579年の来日をはじめ、以後、1590年、1598年と3度にわたって日本を訪れ、布教した。サヴィエルから40年後のこと、2度目の来日で印刷機を持ち込んだので、キリシタン版と呼ぶ印刷出版が行なわれた。この活字の製作は平仮名を日本国内で作ったようだ。ヴァリニァーノは日本人の言語能力を評価していたと言われる。1580年にイエズス会の教育機関を設置し、1582年には少年使節団をヨーロッパに派遣する。
アレッサンドロ・ヴァリニャーノAlessandro Valignano、1539年2月15日 - 1606年1月20日、は、キリシタン時代の日本を訪れたイエズス会員、カトリック教会の司祭。イエズス会東インド管区の巡察師として活躍し、天正遣欧少年使節派遣を計画・実施した。 . . . 本文を読む