日本語学は日本言語学とどう違うか。国語学は国学とどう違うか。学界によればその学の会合としてサイトの挨拶に触れてみて、国語学会が比して歴史を持つことがわかる。国語学会を改名して日本語学会にしたのはこの10年のことである。国語学はその分野の領域で国学の流れを持つようであるが、国語学は斯界の文献実証の祖のようにする契沖とのつながりを見て、やはり近代に興った学問である。その国語学の研究を歴史に見るのが国語学史でもあるようで少し異なる。国語研究史によればよい。国語国文学研究史なる書を見て、その裨益するところは大きい。国語学をそのままに日本語学にしたようなわけであるが、このような研究史大成を眺めていると日本語研究史というものはいかように作られていくのか、継ぎ足すことになるのだろうか。 . . . 本文を読む
1580年、コレジョ、セミナリョで日本語が教授されたようだ。有馬のセミナリョでは、日葡辞典が作成され、豊後府内のコレジョで教えた日本語教師は、日本人イルマン養方軒パウロであった。学習者はポルトガル人や日本人の修道士たちであるとされ、宣教師たちは日本語の習得に情熱を注いだことであろう。いくつかの日本語辞書、日本語文典が著わされる。そのうちに、ロドリゲスの 日本大文典 がある。1549年にサヴィエルが来日して以来70年のうちに、1595年 羅葡日対訳辞典 1598年 落葉集 1603年 日葡辞書 1604‐1608年 日本大文典 1625年 日本小文典 が著わされ出版された。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 816 シェフ見習い を、例題にしている。フランス語シェフは、長 の意味を表し、英語のチーフとなった語であると言う。そのシェフの意味が料理長ではなくて料理人の意味に使われる例があるようで、それはおかしいというのだが、はたしてどうか。見習いシェフ 素人シェフ など使い方に気を付けようと解説する。コックがあるのでそれを使えばどうかとするが、これは料理長見習いのストーリーであることからひろまっているようだし、素人が料理人を集めてやる、これまた素人料理人かと思われるような使い方で、コック見習いや素人コックとはまた違うようである。しかし、社長見習いという言い方は、特におかしいものではないし、厨房に男子入るべからずなどと古めかしいことを言って、その逆にまたあたらしい流行があるようだから、フランス語のシェフから入ったこの語はそのスタイルや調理現場の様子をふくめてプロの料理人を強くイメージしているようだ。 . . . 本文を読む