現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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除夜の鐘

2013-12-31 | 新日本語百科
除日 じょじつ その夜を除夜というそうだ。大晦日の夜のことになる。除夕とも。旧年を除く日の意のようだ。おおつごもりとも言うが、月籠り、晦日 つごもり となって、除夜は、除字により、旧を新に変える意である。字通より、祓除が原義、祓除の意より除去・除外・除任・除夕のように用いる。みな旧を棄て、新に就く意である、と見える。 . . . 本文を読む

6次産業

2013-12-31 | きょうのニューストピック
愛知の農業 6次産業化を 名古屋銀・7信金が支援資金 20131231中日新聞トップ記事、見出しである。リードには、農林水産物の生産から加工、販売までを手がける「六次産業化」を後押ししようと、名古屋銀行と愛知県内の七信用金庫が来春、十億円規模の地域ファンド(基金)を設立する、とある。この6次産業の名前は1次産業2次産業3次産業をかけあわせる6次産業になるというようなことである。トップ記事左の見出しには、エコカー免税3年延長 愛知県 消費増税の影響抑制 とある。記事の書き出しは、環境に優しい次世代自動車の普及に向け、愛知県は、本年度末までで期限を迎える独自の「エコカー免税」を三年間延長する方針を固めた、と見える。自動車保有による税は、EVで年額2万9500円、PHVで3万9500円かかっている。5年間の全額免除が実施されていて、この制度は東京都にあるが、それをさらに延長するというもの。 . . . 本文を読む

年越し

2013-12-31 | わくわく
紅白歌合戦はテレビ中継が昭和28年、1953年から始まっている。紅白の司会は宮田輝、高橋圭三とアナウンサーの名前もなつかしい。昭和31年のころから年末の国民行事となった。次いで司会者が紅組に女性が登場し、昭和32年に水の江滝子、昭和33年には黒柳徹子が勤めている。このときから年末は国民的行事はわたしの個人的行事になる。小学生だった、5年生だろう、その前年は記憶にない、日記をつけ始めたのであるが、この紅白の時間になるとわたしは茶の間を離れてその1年を振り返る日記をつけた。何を書いていたかは覚えていないが、華やかなコマ劇場の喧騒を横にして歌合戦を楽しむことのできない人のあれこれを綴っていた、そのひとりがわたしであったのだろうが。それから10年を経ても、20年30年と、いまなお個人的行事は続いている。10歳で目覚めた世の不公平をどうすればよいのかとかかえ続けるkとになる。それは紅白の歌番組のときだけではない。 . . . 本文を読む

敬う言葉遣い

2013-12-30 | 現代日本語百科
敬語は、敬う言葉遣いである。敬意表現として現代にふさわしく礼儀の言葉としてとらえる。敬語の語法には動詞語尾を変化させるもの、それにくわえて敬語語彙を表現法とする。敬語語彙を用いると文法的な制約、使い分けがある。敬語の語法と文法を分けるのは語法の動詞変化形には敬語としての使い方が必ずしも現れないからであるが、その変化形が文において用いられると敬語動詞の文法と同じくその用法に制約が見られる。つまり敬語は語法、敬語語彙において語形を学び、文において用いる敬意表現となる。敬語の使い方に語法、文法に加えて慣用としての言い方がいくつかある。これを例をもって示すと、持つという動作を、自分の行為とするときは、お持ちします と言い、相手の行為を言うときには、お持ちになります と言う。この言い方には、持ちます と言って、自分の行為と相手の行為といずれにも使う用法があり、それに対比して敬意表現の場面が現れる言い方になり、それには文法制約を受けることになる。 . . . 本文を読む

リハビリロボ

2013-12-30 | きょうのニューストピック
トヨタ リハビリロボ発進 20131230中日新聞トップ記事、見出しである。リードには、トヨタ自動車は二〇一五年にも、高齢者のリハビリを助けるロボットを製品化する、とある。横見出しには、歩行支援 15年めど製品化 とある。トヨタが医療・介護向けのロボットを製品化するのは初めて、と書き出している。医療ロボを車に続く事業とする。超高齢社会への戦略のようだ。中ほど記事の見出しに、名古屋めし ミラノ万博へ 愛知県・名古屋市 15年 共同出展 とある。りーどには、二〇一五年にイタリア・ミラノで開かれるミラノ万博に、愛知県と名古屋市が共同出展する見通しとなった、と見える。ミラノ万博は2015年5月1日から10月31日まで、地球に食料を、生命にエネルギーを テーマにして開かれる。紹介する料理には、きしめん、手羽先、みそ田楽などが検討されている。 . . . 本文を読む

倍返し 半返し

2013-12-30 | 日本語新百科
倍返しは、やられたら倍にして返す。ドラマによる流行語の現象は、それなりの意味内容を持って楽しんだのである。が、しかし、それを、もや語と言う番組で取り上げて、日本語の問題だとか言って、またしても、おかしな説明を許すことになってしまうのは、その取り上げ方にある。一億総まちがいなどと説明をしていたから、その解説は何をかいわんやである。ドラマの台詞、そのキメ台詞をその筋立てにしたがってどう受け止めるかということだけであって、倍返しのもとの意味はこれこれだなど、その解説は、倍額相当のお返しとなれば、言わずと知れたことであって、それがもじられて、ドラマでは現実以上の迫真をもたせたに過ぎない。お祝いの倍返し、お悔やみの半返し、この習慣の拠って来たる所はそれなりの美風があるのでそれをひねった台詞はおもしろかったのである。それが何とドラマを見たからみんな間違えてしまったと言うのは、それは解説するなら、なぜに100倍返しとなったかを心得ていないからですよ、倍返しには半返しにも言及しなければ説明にも何にもならないだろう・・・ . . . 本文を読む

歳末

2013-12-30 | わくわく
金融緩和、財政政策、成長戦略とアベノミクスに暮れる2013年である。消費増税が2014年4月に待ち構える。刈谷オアシスに出かけて庶民の財布を緩めるさまは束の間の歳末、年の瀬を渡ろうとする知恵がある。景気がよさそうには見えない。むしろ歳末の世相が見られなくなったような気がする。歳末セールなどの言葉が見られなくなった。そう思えば、年の瀬も見えない。歳末バーゲンはなつかしいことだ。年末セールとなり、すぐにも初売り福袋セールとなる。正月休業がなくなったのも久しい。商店が品ぞろえをして提供する。スーパーマーケットの手法がコンビニエンスストアーの大晦日、元旦開業に伴う社会変化だ。かまどに火をたかないことから、家族の正月料理は日持ちのするものがあって、お餅などの保存食が作り置きではなくなって、そのままに店で買えるようになった。商店街の通りにはシャッターがあっても街角そこそこのコンビニストアーが正月の風景を一変させた。 . . . 本文を読む

敬語の現実

2013-12-29 | 新日本語百科
敬語が使われるのは日本語の場面においてそれぞれである。日本語の言語現象に敬語を見るのは話し言葉、書き言葉のいずれにおいてもその使い分けがあることを知る。敬語という語法を日本語の現代語の現象に当てはめた尊敬、謙譲、丁寧の分類は変えられるべきである。時代的な社会構造には絶対の敬語、相対化した貴族の敬語、武家と臣下謙譲、公卿と民衆の丁寧、そして庶民に浸透する敬語が文法になったときに、身分における謙譲の区分を意味内容ともに捉えなおすべきであった。鎖された文化の果てに区別をしていた時代から市民の説明ににふさわしくないからであるが、それは1900年代の半ばまで社会的場面に当然のことととして謙譲そのものが機能していたのであるからその考え方を変えるのは難しい。謙譲をそのままに尊敬に対比して用い得るのは日本の時代において大まかなところで豪族貴族の世から封建制までであろうか。しかし近代化を遂げて身分制には平等が実現したかのようでありながら王族貴族の上層は形を変えて存続したために言語の現象に明らかに身分差別が存在する。 . . . 本文を読む

公共工事

2013-12-29 | きょうのニューストピック
公共工事 異変あり 続く入札不調 市民生活影響 20131229中日新聞トップ記事、見出しである。リードには、好況工事の入札が不調になるケースが各地で相次いでいる、とある。どうしてかと言うと、続けて、近年の不況で建設労働者が減る半面、東日本のの復興業者や名古屋駅前の三棟の高層ビル建設などで需要が急に増え、人件費が高騰、自治体が設定した価格では業者が行為を請け負えなくなっているためだ、と見える。左側のトップ記事には、「再生エネ転換を」「TPP影響怖い」 と見出しにして、首相夫人・昭江さんに聞く とある。また、中ほどには、桜花高校3冠 女子バスケ 東海対決制す とある。また下段には、日本史 高校必修化も 英語小3から 指導要領16年度改定へ とある。その左には、韓国、対日外交凍結へ とある。 . . . 本文を読む

歴史認識

2013-12-29 | 日本語百科
さかしらにことだてるものではないが歴史認識という語の使いようが違うのではないかと思い続ける。歴史に対する認識のありようと言うことで日本国内でのその認識は、第2次世界大戦に至る過程と大戦そのものをどのように認識するのか、という問題ともとらえられて、知恵蔵2013にある解説のように、歴史認識の具体的問題といえる教科書問題と靖国神社参拝問題になってしまっている、なってしまっているというのは、それが繰り返されるようになったので、ともすればいまさらに歴史事件を認識するといった時間が戻らないにもかかわらずそれを議論をするはめになっている。だから正しく認識せよと言われ続けるのだろうし、言う方も可逆的な結果にならないよう要求することになる。はたして歴史認識とはそういう問題であろうかと考えて、ふと気づいたことがあって、それは文明の生態史観をさぐってその学説から文明史における歴史認識の議論があることにたどり着いて、そういうことであったかと思った。トインビーによれば歴史認識はセオリーとしてある。 . . . 本文を読む