現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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文と句

2024-10-06 | 日本語文章
1006   主語があれば文になる。主語がなければ句となる。 文法は伝統的にそうとらえてきている。国文法しかり、日本語文法にも受け継ぐ。 文の定義を必須要素とする説明に対して、文成分のひとつと規定すれば主語のある文と、述語成分で成り立つ句と、句読法をとらえる。 それで文の分類、さらにまた下位の分類ができる。 文の集合には文章が単位となるとらえられる。、文と文が二つ以上、また文と句とその . . . 本文を読む

日本語の文を単位にする

2024-10-05 | 文章文法論
1005  日本語の文は主語と述語からなる。文章の単位にその単位文の主語を見つけることになる。文章は意味上の分析を以てその主語となる語句を分析する。単位文にその文単独で主語を表現しないときは単位の扱いを句とする。主語の有無によって文を規定することになるが、句読によって切れ目を持つ文と句とが文章の中で単位となる。文はまた文章に機能する主題を明示する語によってその単位として意味内容の表現を充足す . . . 本文を読む

日本語の句を文法単位にすると

2024-10-04 | 文章文法論
1004 句は日本語単位の言葉のまとまりである。どのようなまとまりをもつか、日本語資料を古代の歌集に求めれば、そこには多くの形態を認めることができる。万葉集に見る言語意識はそのあらわれとなる。そして長く日本語読みが続けられて分析されるものである。以降には、民間伝承、勅撰歌集の編纂、個人によるもの、さまざまそのことばのとらえ方には共通する句切れがある。さらに時代が下がれば短詩形(型)にジャンルを生み出す文学資料は日本語の事実を見る。 . . . 本文を読む

文章に必ず文の主語がある

2024-10-03 | 文章文法論
1003 文章を単位とする、文を単位とする、文章、文をともに単位とする、このいずれであるかを日本語で考えてみると、文章の単位は章句、章節にある古代中国文法の影響にあったが、いまでいう文の単位にはしなかったので、近代になって日本語に新たな考え方を入れた文法によって文章、文を文だけという単位の考えかたで説明しようとしてきている。 . . . 本文を読む

納得と共感には共有がありや

2024-10-02 | ほんとうのところは
まだ 10月も真夏日があると数える天気のお知らせにはクールダウンがなくなる日の訪れを心配することになる。ほどよいか加減の20前後には体調の管理に気を付けるようにと今から何やら思い始める。ところで政治記者は情報を得るのに機会をとらえては酒を飲むチャンスに近づいてネタをしこんでたようであるということがこの総裁選挙戦で明らかになった。そんなことはまああるに違いないと言ってもこれだけの情報合戦にその手法はやっぱりおかしなことでそんなふうにして得るよた記事を書いていたのかとテレビに出てくるコメンテータのかつてはそういう活動をしてきたのだろうと思わせる面々である。 . . . 本文を読む

天高くではない、物価高騰

2024-10-01 | まさごと
1001 神無月、旧暦の呼称は味わいがあるというか、新暦とのめぐりにあわせて、さまざま季節の移ろいを感じさせる。名前に表記が難しくもあり、そこには由来を求めて承継するものあり、かみなつき とは、ただに、かみのつき であったろう。連体という文法用語で見れば、まなこ、たなひら、みなもと、などなど、同様に語構成を見ることができるが、そこに、無し と知る、かみなしつき を読み込んだのは伝承をいれてきているからである。神無し、神在り、こう並べると、因縁めいてくる。万葉集の時代には神のお出ましがあったので、それはほほえましい。戦でもなく、巡幸でもなく、神はお出かけが好きであった、どこから、か、ねえぇ。 . . . 本文を読む