現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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書記表記

2013-05-31 | 日本語百科
書記言語と言っていた。記録された言葉を対象としていたからである。書記は官吏の名称でもある。秘書もこれに類する。書記官が総書記となって最高権力者を表すのはどういう経緯だったか。書記長と言う権力だろう。書記はまた文字をよくすると言うので祐筆でもあった。右筆とも書き文字を扱うことは格別なことでもあったろう。その語がそのままもとの意味のままに書記言語となると表記行動という語が対比されるようになった。対比するのは書記と表記とその文字の似通いにあるだろうがこれは似て非なるものとして書かれた言語に対して書かれようとする言語ということになる。しかし表記は表書きとしての語であり書き表された文字だあってこれだと書記と何ら変わらないことになってしまう。だから書記が行動の意味を持っていたのだが文字記録となり表記が行動を捉えて新しく進めようとしたのであろうけれど書き表されたものということになってしまっている。書記言語が記録された文字を見てそこに言葉を捉えるのは普通であろうけれど、表記と聞くと文字の種類を思い浮かべるので表記法としての規則立てをするようになった。 . . . 本文を読む

述語の変種  日本語の文法について  その39  述語19

2013-05-31 | 日本語文法
述語の変種  日本語の文法について  その39  述語19 述語は述べること、述べ立てることである。そのためには述語動詞を核において主語との関係を修辞における表現性に求めることになる。述語はすべてそうであるならそこに文法が成立して捉えることになるのはそのとおりであるが、主辞賓辞の対立だけに捉えない表現もありその特性をもつ言語があるのではないか。文法の論理において述語を変種とするものである。それが日本語にある体言止めである。 名詞止めとも呼ぶこの文章法は辞書で和歌、俳諧などの最後の句を体言で終わらせることとあり、余韻・余情を生じさせる効果がある、デジタル大辞泉、と説明がある。この技法は韻文における修辞のひとつであるが、文末を述語とする日本語の文でいえば述語相当に考えることがある。むしろこの文を修辞技法のひとつにおいて文に応用した述語扱いとすることが普通であり、日本語の文の種類とできる。 . . . 本文を読む

142 不審な荷物をば

2013-05-31 | 日本語新百科
日本語誤百科 14ページ 不審な荷物はお知らせください を、例題にしている。コラムが取り上げない、~は の使いかたである。解説は、不審な荷物をお知らせください と解釈していて、荷物を知らせる とは言えないとしている。車を知らせる 友人を知らせる と言えないのと同じだとしている。この例題には、不審な荷物を取り上げている。不審な荷物をお知らせください  と言って、何が伝わらないというのだろうか。知らせることの内容がより具体的なことがらになるなら、不審な と言えばそれを知らせることにもなる。事故を起こした車が見つかれば、その車をお知らせください といった内容で、車をお知らせくださいともいえるが、その車をお知らせください となっていえるか言えないかは微妙だろう。しかし、不審な車をお知らせください、というときは、それなりに、文脈がありそうである。そして、不審な車はお知らせください となれば、これは誤りとは言えない。 . . . 本文を読む

述敬語  日本語の文法について  その38  述語18

2013-05-30 | 日本語文法
これは述語句に用いられる敬語のことを指す。話法、法、敬語法とならべると敬語の使い方が話法にかかわることがわかる。敬語法が日本語話法の直接話法においてかかわる。話し言葉に丁寧とする文体の用法があるからである。書き言葉には書簡文に準じて丁寧な文体が使われてきた。すると敬語を法としてみるなら形態意味範疇に分類されるとみてきたが、日本語の敬語法ではどうか。 形態統語的範疇は印欧語の統語において法則とする特徴が顕著であるので統語にはそのほかの法則を見ることは難しい。例えば日本語の敬語法が統語の範疇にあるとすることはできないように見える。しかし日本語の文法で敬語を文法規則としてみるかどうかの議論で明らかにされてないことがあるとしたら、それは敬語の用法としてそんなものはあり得ないのだが、動詞述語としての扱いである。 . . . 本文を読む

文法の立場

2013-05-30 | 日本語百科
文法の立場をとること、立場を変えてはいけない、立場にあって理論なり術語を用いる、それが専門性というものだと教えられ教えてきた。その通りであるかどうか、はなはだこころもとない。自らの立場を作ればそれはまた他の理論と係わりあうのか、それは難しいことになる。いくつかの文法理論を学びながらそれを折衷するようなことがあって、それが理論の批判展開によるものなのか、ただ寄せ集めただけになるのか、見極めがいる。文法を眺めて古典文法には伝統文法なるものがあるやに思っていたが国文法となる解釈文法があった。それを日本語ではとくに歴史文法とは言わなかった。それに対して表現文法と言われるものがあって現代語文法になるのかと思っていたらそうでもなくて現代語の記述文法が見当たらなかった。国文法が古典語の文法になったわけではないが、すみ分けて文語文法から学校教育の文法となっている、そこに現代語の文法という言い方も現れて国文法の口語文法にとってかわって、いまではどういう文法が行われているのだろう。国語の文法と日本語の文法に何か違いがあるとしたら文法理論の材料に文献資料から帰納した書き言葉の規範性を追求した文法と文法理論の証明に記録だけによらない話し言葉をも実験材料にする演繹を用いた研究による文法というようなことであろう。 . . . 本文を読む

名古屋城本丸御殿玄関

2013-05-30 | わくわく
さぁ、400年前の夢、威風堂々、慶長20年、それは西暦1615年に建てられた書院造り、残念なことに消失して、昭和20年からいままで、天守は昭和34年に再建されていたのに対して本丸御殿はなかった。それから説明では天守再建50年の時に本丸復元工事に着手して平成30年完成を目指す。第1期に部分的な公開となった。玄関、表書院が、とりわけ書院造りの表書院がみものである。桧の香りが玄関に漂うなか、虎の障壁画があって、復元模写が素晴らしい。順次ぐるりとめぐる様子で上段の間にいたって、アット感激!空間を見ればその実感があってこれをこれからの広がる御殿内を想像させる。 . . . 本文を読む

141 歩行者との協力による事故

2013-05-30 | 日本語新百科
現代日本語「誤」百科 808 歩行者と事故を起こす を、例題にしている。歩行者を相手に事故を起こしたという意味であろう。歩行者とともに事故を起こしたということかもしれない。事故の被害が車と人であると、交通弱者である歩行者に及ぶことが多いので、いずれの場合でも事故原因がなんであったかが問われる。コラムの解説は、歩行者との事故 のように言えばよいとする。はて、その説明には、~と が必須の相手であること、また主体は一人でもかまわないから、この例題は歩行者と協力をして事故を起こすことにもなるそうだ。いわば加害者と被害者が一緒になって協力して事故を起こすということらしいが、当たりや稼業でもない限りそういう事故をつくろうとすることないだろうから、意味するところは非文に近いので、成立しない。さらに、歩行者との事故、ということになると、歩行者と事故 歩行者の事故 というふうにその意味内容が歩行者側に事故主体が移っていく意味合いがありそうであるから、その表現には加害者の責任を薄めるような主張をする時に使われそうだ。 . . . 本文を読む

述語と法  日本語の文法について  その37  述語17

2013-05-29 | 日本語文法
述語に法があるか。moodムードの捉え方で英語学習において仮定法があって直説法があると知る、またモダリティ、法性として日本語の現象が分析された。それは話し手の意図、聞き手に対する態度として断定、疑義、命令、可能と必然epistemic、許可と義務deontic、願望と要求propositional attitudeなどを表現に見るからである。命題の文法、証拠性などにもかかわる。 印欧語の法は直説法と命令法、接続法また仮定法、希求法、条件法、禁止法などがある。文法範疇を見た場合に、形態統語的な範疇の性、数、人称、格、そして形態意味的な範疇の定性、敬語など以上を典型とし、形態意味的な範疇として時制、相、法、態、極性、他動性、証拠性を分ける。法は形態意味的な範疇とする言語の捉え方であるとすると、日本語にはどのように現われるか。 . . . 本文を読む

140 十分と思わない

2013-05-29 | 日本語新百科
現代日本語「誤」百科 807 十分とは思っていない を、例題にしている。コラムは、十分だとは思っていない というふうにするのがよいと解説する。この例題で前後に文脈を持つか持たないかその内容によるところである。引用の、~と を用いる語法であるが、説明はいわば直接引用の文を指しているだけで、綺麗と思う 彼女は綺麗だと思う この用法からみて、綺麗だと思う というようにしなければならないとするが、説明の不足があるようだ。綺麗と思う 綺麗だと思う このふたつのどちらも言うことができるので、引用の語法を正しく見るべきだろう。彼女が綺麗だと思う 彼女は綺麗だと思う 彼女が綺麗と思う 彼女は綺麗と思う このどれもが文章の引用の語法を見て文脈に捉える解釈が可能になる場合がある。綺麗だと彼女が思う、のか、わたしから彼女を見てそう思うのか、その場合に応じた言い分けがあるからである。 . . . 本文を読む

生き急ぐ、死に急ぐ

2013-05-28 | 日記
死に急ぐとは、しなくてもいいのにそれをしたがために死んでしまうことである。それでは生き急ぐとはどういうことか。これもまた、いまはそんなにしなくていいと思われるようなことを必要以上にしすぎたために生きていることを終わってしまうようなことである。死に急ぐからできた言葉だという。要するに仕事を張り切りすぎたということか。これはよく考えてみるとどちらも寿命を全うしたようなことで、急いだわけでもないが、はたから見ればそう見えたことになる。そんなに無理をして体を壊すようなことであったのが通り越して死に至るわけでもあってどうしたかと死んでからまわりが述懐することである。どちらであっても寿命だったとすれば死に急いでも生き急いでも変わりはなかったことである。しかしどうしてこんな言葉ができたのだろう。これも気にいるようなことではない。も と言うのは死にざまからできたといわれる生きざまと話して来たことに似たような続きようだからだ。気にいることでなければうっちゃればよいがそうはいかないこともあってしぶしぶ書くようなことである。 . . . 本文を読む