10月を送る。かみなづき は、かんなめのつき または、かみ の つき ということだろう。いずれも神にかかわるのは、収穫の時だから、神に向かう気持ちが祖先にはあったと思う。かんなづき と熟するのも、発音変化であるから、みなづき のものとは異なると見たほうがいい。みず のつき と、かみ の つき とで、それぞれぞの意味内容と、時節が説明を加える。かみなづき には、神あり月 とした言い伝えが影響している。古代の豪族にはそれぞれに神が宿っていて、あるとき出雲に集結したという話は日本の創生に神話があっただろうかと想像すると、どこもかしこも、神の月であるから、かんなめ の行為があったとかんがえるとよい。それを伝え残したのは日本の伝統である。王室である。10月を送るに、人を送る話を記録しておこう。ホンダの車やさんと永くお世話になった、その店主が、1月26日に逝っていたのを9か月後の、きょう、知らされた。驚いて夕暮れの空を仰いだ。静かに寿命を全うしたようだ。ご冥福を祈る。夏を超えて車の点検のなかったことで、元気でいるとばかり思いこんで、アコードの点検にでかけて、おやじいるかな、と、声をかけたら、もう行ってしまった、と、天空を指した息子さんだった。 . . . 本文を読む
美徳は難しい語である。ほめるべき、うるわしい徳と言われようが、人として望ましいりっぱな心のあり方や行いと、辞書ふうの意義に説明しても、日本人からすれば、表立つことではない。それが謙譲の美徳である。用例に、忠君愛国等の名を以てして、国民最上の美徳と称するこそ不思議なれ、というのを福沢諭吉の一文に見ると、その徳行がどうとらえられてきたかをあらためて知る。君子に忠義を尽くす徳があったのである。儒教でいう、五常または五徳がある。5つの徳目は、仁、義、礼、智、信を指して、三綱、君臣父子夫婦間の道徳とあわせ、三綱五常と表現すると、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五倫の道となる。この美徳を悪徳に対することでながく守られようとしてきた。道義に外れた言行には、人倫の行いに照らして、いま、悪徳商法の用法がある . . . 本文を読む
カソリックの万聖節の日か、ハロウインのことではない。11月を迎えると、カウントダウンは150日がなくなる。いよいよ明日31日から150を切る。逆にこれまでを、13720日余と数えると、残すはその100分の一になるわけである。ということは、100年を生きてきた換算で、後の1年を過ごすことである。必要あってのこと、倉庫整理に棚の片づけ、本、書類、ノート、記録、そして写真など、てんやわんやの毎日である。まさごとに補遺を編む作業が進まないけれど、ほかにも講座などの記録が出てきた。気にしていたもの、それはほとんど記憶のかなたにあったのだが、国文学のものは、昭和60年7月27日、1985年、公開市民講座で、場所は蒲郡市勤労福祉会館、日本の文学第2回平安朝の時代と文学、源氏物語―宿世の文学と題して講義をしている。日本語教育のものは、1996年2月24日、平成8年、豊橋国際協会で、日本語指導者養成講座、わたしの教授法の講義をしている。 . . . 本文を読む
漢語の造語力と外来語の和製英語とを比べて、カタカナ造語力として考える。カタカナ語のその結びつきは、あるものは和製英語と呼ばれ、カタカナ語に疑似英語を見ることになる。たとえば、解説するところから、>狭い解釈では外来語を使った造語を指し、「フォアボール」「ベースアップ」「レベルダウン」「ファンタジック」のようなものを指す。これらは英語ではそれぞれ「base on balls」「pay raise」「level decrease」「fantastic」という。次に既存の語形を省略して作ったもの「ワープロ (word processor)」「パソコン (personal computer)」「エンゲージリング (engagement ring)」 ウイキペディアより この和製英語を含めて、カタカナ語による造語は広い意味で英語を用いていても日本語の文脈に移すと、その意味を拡大縮小することが行われて、もともとの用法に比べると日本語では限定されてしまって、そのほかの使い方ができなくなる。それを指して造語力を言うなら、日本語の仮名発音による意味の限定となる。 . . . 本文を読む
物理的語彙、社会的語彙、心理的語彙がこれまでの自律的な語彙に加わる。コーパス言語学、社会言語学、認知言語学、これらはコーパス意味論、認知意味論、批判的言語学、イデオロギー的なものとなる。言語記号を恣意性にとらえた、自律的な側面、自律的な語彙を重視してきたこれまでに対し、いかにあるかを問うだけでなく、なぜそうあるのか、なぜそれ以外はないのかを問う。単語の意味を、物理的、心理的、社会的にとらえる。あるいは単語にそういう側面のあることを、隣接する分野の研究が問うている。語彙を構造化するものを、なぜそうなのこと問う、追求する。ここで、社会言語学、その批判的言語学、フェミニズム言語研究に着目し、男性名詞の構造を挙げて、その現象を社会的な語彙がイデオロギーによって構造化されると考えることを指摘する。ここに至って、この概説が文法論と語彙論との間で起こる撞着を内容とするものがあって、いささか、これからの語彙論が追求するという事柄が隣接分野とのかかわりで、その議論に前提とする問題が起こるようである。 . . . 本文を読む
Trick or treat? いたずら嫌なら、いいもの頂戴、とばかりに練り歩く。死者か悪霊なのだから、お菓子ぐらいで済むならば、かわいいもんだ、有無、子供だったか。パーティーには、残念ながら・・・ I would really love to be there, but I'm afraid I can't make it. ところで、Treat me or I'll trick you. というのは、もともと悪霊のセリフだとか。おもてなしがなければ、お前たちを惑わせて困らせるぞ、と言うので、これは日本の年神さまとはおおきなちがいだね。万聖節の翌日に、万霊節があって、カトリック教会の典礼暦で、11月1日が諸聖人の日で、続く11月2日が死者の日となっている。死者の日は万霊節と呼ばれていた、ようだが、アイルランドやケルトの習慣に前の晩は、ハロウ・イブ Hallow Eve であって、Halloween となるのは、19世紀、移民たちがアメリカ合衆国に持ち込んだ習慣なのだそうである。 . . . 本文を読む
在宅ワーク、あるいは在宅勤務のことだが、自宅を拠点として仕事をすることに加えて、モバイル、サテライトオフィスなどでの、テレワークの一種となる。1990年代末から2000年代初頭にかけて、在宅ワークという語が流行った。この時の在宅ワークは内職商法と呼ばれるものが、一方でブームとなり、パートタイマーにさまざま、勧誘している商法があったようだ。そしてまたSOHO、ソーホーと呼ばれるブームが起こる。パソコンなどの情報通信機器を利用して、小さなオフィスや自宅などでビジネスを行っている事業者、という意味で使われ、Small Office Home Office スモールオフィス、ホームオフィス のことである。2000年ごろからSOHOの育成を、何らかの形で制度化している自治体が現れてきている、と説明がある。 . . . 本文を読む
核心 の語に、こういう用法があったと知ったのは、中国の共産党中央委員会での決定である。ニュース検索をして見ると、核心が革新となってヒットするのには、その情報性を思ったが、ヒットして、、証券会社のトピックスに出ていて、これは何だろうかと関心を持つ。日本経済新聞、外紙系ニュースと、その見出しにあるところから、>中国共産党の重要会議「第18期中央委員会第6回全体会議(6中全会)」が4日間の日程を終えて、10月27日に閉幕した。会議で採択されたコミュニケでは、習近平国家主席を「党中央の核心」と位置付けた。The Huffington Post 2016年10月28日 11時20分 JST を読む。コミュニケでの、>習氏が「率先して党の管理強化を全面的に推し進め、党内政治を浄化し、民心を獲得した」として、厳しい汚職摘発が「民心を勝ち取った」と評価。 のあったことを解説している。続いて、>これまで中国共産党において、最高指導者を「核心」と呼ぶ表現は毛沢東、鄧小平、江沢民の3氏にしか用いられていない。前国家主席の胡錦濤氏の時代は集団指導体制を重んじていたこともあり、「核心」という表現は使われなかった。 と見える。 . . . 本文を読む
日本文化論 ことはじめ
2016-03-01 22:19:33 | 日本文化論
日本文化という議論をはじめるなら、そのことはじめに、日本文化の通念である象徴をとらえてみる。
それには日本的な要素を持つということで、具象から上げる。
富士山、さくら、きものであろうか。それにかぎらず、武士道精神、武道、柔道、一転して、茶の湯、歌舞伎、浮世絵、能、狂言と、その代表的な文化事象とする例が上がる。
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まえがきによると、読者には大学生、大学院生を想定しているそうだ。これからの語彙論、齋藤倫明・石井正彦編を入手した。刊行の5年前に企画があり、ひつじ書房によって出版された、2011年12月の前書きである。いま、それを思えば、この書物を10年前のものとして受け止めることになる。それは、第3部の語彙論の可能性をこの時点で読むことになる。その第1章、1語彙論の位置に続く、2これからの語彙論である。その述べるところは、語、語彙のの有する様々な性質を明らかにすることだ、とあり、丹念に分析しなければならない、という。どうも研究分野における語の位置づけが影響しているようである。諸分野とのかかわりを個別に議論してのことで、第2章にある隣接諸分野と語彙研究に、これからの語彙論がある。 . . . 本文を読む