フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

辻邦生「風雅集」を読む

2011-08-04 | 濫読

今日は、暑くなった。といっても、空気が乾いて、澄んでいる。清々しい暑さともいえる日だ。
それならば、お盆に入ると混雑するので、少し早いが墓参りいくことにしよう。

こんな暑い日の日中の道は、さすがにすいている。暑い日差しをまともに受けて、お墓参りを済ませた。両親やその兄弟は、みんないなくなってしまった。一緒に暮らした、小学生の夏休みの光景が頭をかすめる。思えば、自分も遠くへ来たものだ。

その後、夕ご飯を一緒に食べようとおばあちゃんの家へ行く。「痩せはったの違います」「よう焼けてますね」、おばあちゃんのいうことは、いつも一緒だ。つい5日前に会ったことは、忘れてしまっているようだ。夕食までに時間があるので、おばあちゃんの家で、フルートを1時間少し練習した。おばあちゃんは、この夏の暑さにもまいらず、至って元気だ。食欲も十分で、明るく、よく食べるのでこちらも驚いてしまった。

夜は、辻邦生「風雅集」を読み終える。表題のとおり何とも風雅なエッセイ・評論集である。万葉集の東歌から始まり、平安の女流作家を論じ西行、芭蕉、蕪村。さらに俵屋宗達、本阿弥光悦、尾形光琳で「美」を論じている。やきものでは常滑、瀬戸、美濃を訪ねて、織部や志野が味わっている。

辻邦生のテーマは「美と現実、あるいは現実と精神、その二つの対立の中で、いかにして美が単に現実からの逃避ではなく、むしろ生活者たちにとって生きていく意味をささえるものかを探求してみること」であると語っている。芸術に実際的な力があるからこそ、秀吉が千利休を自刃に追い込んだのである。

文学の世界では、漱石の「文学論」が面白い。文学とは何かと、ロンドンで一人で悩んでいた漱石は、文学=F+fという公式に考えをまとめることにより、その悩みを解決した。Fとは焦点的印象または観念、fはこれに付着する情緒とのことである。

松本高校時代からの友人である北杜夫との交友録には心が温まる。辻邦生がフランスに留学する時、北杜夫が「いずれ、辻はどこかでのたれ死にするだろうから、ノートだけは克明につけて俺に残していけよ。書くことがなかったら物の値段だって何だっていいんだ」と言ったそうだ。彼に言われた通り、辻はパリでの生活を克明にノートに綴り、それを、「パリの手記」という形で出版した。「どんな幸運が私に与えられたか知らないが、少なくとも北杜夫と青春に会ったことだけは、私の生まれ星が幸運を指していることの証拠だといまも頑なに信じている」。
これだけのことを言える友人を持てるということだけでも幸せであろう。


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2 コメント

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Unknown (カタナンケ)
2011-08-06 09:35:22
お互いに尊敬し 啓発しあう友人、、
羨ましいですね、、
わたしには、、しみじみ考えてみましたよ、、
f=ゆらぎ ですね、、
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古い友達 (山栗)
2011-08-06 10:59:03
古い友達は気楽でいいですね。もっとも、次第にいい歳になってきたので、あっちこっち痛いという話が多くなりましたね。

暑い今日は、少し庭の木が「ゆらい」で欲しいのですが…。
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