指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『長屋紳士録』

2015年01月17日 | 映画
1947年、戦争から戻って来た小津安二郎が最初に作った作品で、松竹から「早く作れ」と言われて12日間で野田高梧と脚本を書いたというもの。
主演は荒物屋をやっている飯田蝶子の未亡人で、場所は東京の佃島あたり、築地の本願寺の向かいという設定である。
東京の下町の庶民の話で、戦前に坂本武が演じた「喜八もの」の飯田蝶子版ともいえるだろう。
そこに易者の笠智衆が、子供を連れてくる。九段で一人でいた男の子で、親と逸れてしまったという。青木放屁で、青木富男の弟である。
飯田は、邪険に扱い、男親を探して茅ヶ崎に行き、海岸では「貝を拾ってきてくれ」と嘘をついて巻こうとするが、青木はどこまでもついてくる。
極端に食料事情の悪いことが反映されていて、今見るとほとんど開発途上国の日常生活並である。
翌朝、飯田は青木がオネショをしたことを知り、ますます嫌になる。
だが、ある日干し柿を盗み食いしたと責めると、実は隣家の雑貨屋の親父河村粂吉の仕業であることがわかり、初めて飯田は青木に素直に謝る。
だが、翌日青木は姿を消してしまい、今度はどこに行ったのかと心配する飯田。
夕方、九段にいたと笠智衆が連れて戻って来て、飯田は本気で青木を育てる気になり、上野の写真屋で二人の記念撮影までする。
だが、その翌日、父親の大工の小沢栄太郎が来て、二人は一緒に帰っていき、本当に九段で逸れたのだという。
子供がいなくなり、長屋の住人、飯田の他、河村、坂本武、笠智衆、吉川満子らは、戦争が終わった後、自分たちの心がぎすぎすして、余裕を失ってきたと認め合う。
これは、多分戦地から戻って来た小津安二郎が、日本の社会に対して抱いた第一の感想のように思える。
それは、この作品と次の『風の中の牝鶏』によく現れていたと思う。
だが、この2作は、必ずしも好評ではなく、次の『晩春』で、小津は本来の彼自身の生活である、中流でも上層の生活を映画化して成功を収めるのである。
すでに東宝に移籍していたこともあるが、この作品以降、飯田蝶子は小津安二郎作品からは、姿を消すことになる。


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2 コメント

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いい作品ですけどね。 (松木完之)
2015-01-18 13:34:34
小津監督の作品の中では一番と言っていいほど好きな作品ですけどね。あまり評判が良くなかったんですかね?
戦前の喜八物の延長と思えばあまり違和感はないと思うのですが、終戦後すぐだともっと明るいものを見たかったのかもしれませんね。
難しいものですね?
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戦後復帰第1作ですから (さすらい日乗)
2015-01-18 17:06:26
多分、『戸田家の兄妹』のような作品を期待したのではないかな。
次の『風の中の牝鶏』もかなりシリアスで、これも評判が良くなくて、『晩春』での成功になるのだと思う。
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