大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさすらいます。

日本映画学会第12回大会

2016年12月02日 | 映画

先週の土曜日は、大阪の豊中市の大阪大学で行われた日本映画学会第12回大会に参加した。

ここに来るのは2年ぶりだが、宝塚線の石橋から歩いて、30分近くもかかる広大なキャンパスである。

             

 

私は、今回出した『ゴジラは円谷英二である』を使って戦前、戦中、戦後の円谷作品の一部を上映して話した。

皆、その特撮のすごさ、実写との混合の上手さ等に驚いていたが、特に戦後の松竹映画の『君の名は』には非常に驚いたようだった。

京都大学の下梶さんの「メデイアミックスにおけるゲキ×シネの立脚点」 については、映画のメディアミックスは、サイレント時代からあったこと。サイレント時代、映画と同時に主役の台詞や主題歌等を編集したSP盤が出されていたことを言っておく。

この分野は、岡田則夫さんや保利透さんの専門だが、私も山田五十鈴主演映画のSP盤を持っている。

大阪府立大の藤谷さんの「映画祭の役割の変遷」については、この間の新人監督映画祭での経験を踏まえて、今や映画祭が映画の流通に大きな役割を果たしていることを説明した。

新潟大学の羽鳥隆英さんの「淡島千景資料」を使用しての五社協定下の俳優の動きは、非常に興味深い発表で、東宝の池部良、松竹の佐田啓二らが、会社を超えて俳優のつながりを作り出そうとしていたことが淡島千景さんの資料から実証された。

私もまったく同意で、戦後の独立プロ運動が、東宝を出た左翼独立プロから、1960年代の大島渚らの松竹脱退組のみで語られるのは不満で、いろいろな動きがあったことはもっと研究されるべきことだと思う。

昼食後は、小津安二郎についてが2本あり、相変わらずの小津人気の高さを知らされた。

京都大学の伊藤弘了さんは、小津作品の小道具や部屋の絵画等を手配していた北川靖記の役割についてのもので、小津の広い人脈が改めてよくわかった。

一橋大学の政清健介さんのは、『東京物語』における引き戸の音の処理についてで、大坂志郎の場面への入りの扱いが特別だったことが協調されていた。それは私の考えでは、小津は大坂志郎が嫌いで、そうしたのではないかと思った。

もし、小津が大坂が嫌いでなければ、原節子は次男の死の後、三男の大坂と結婚したはずだったからである。

戦後、男が戦争で死んだときは、その兄弟、多くは弟と再婚したものだったからである。それは、農家等では財産を家で保持するという意味も大きかったと思う。

京都大学の藤原征生さんの「芥川也寸志の映画音楽に於けるモチーフの流用」については、『たけくらべ』『赤穂浪士』『花のれん』等に同じメロディが使用されていることを実証したもので、優れた発表だった。

私の考えでは、芥川は、自己の戦争体験等から、時代に翻弄される人間の運命と言ったものに、あの『赤穂浪士』の良く知られたメロディーとムチの音を使ったのではないかと言っておいた。

シンポジウムでは「汚れ」の問題が、塚田幸光さんの司会の下、4人のパネリストからそれぞれの研究分野からの発表が行われた。

私は、優生学的問題について、かつてパシフィコ横浜で某国際会議を手伝った経験から、遺伝子研究の中にナチスドイツの人体構造に起因する優生学的研究がつい最近まで本当にやられていたことを報告しておく。

懇親会では、中国の映画研究者の李清楊さんと話したが、村上春樹が早稲田大学にいたとき、人形劇研究会にいて、9号館共闘会議にもいたことを話すが、初めて知ったとのことだった。

いろいろと有益な刺激をもらった一日だった。

 

 

 

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12月15日に、トークイベントをします

2016年11月30日 | 映画

今度出た『ゴジラは円谷英二である 航空教育資料製作所秘史』のトークイベントを12月15日にやります。

夜7時半からで、場所は関内のマルチエンタメ食堂の「スリーエス」です。

当日は、円谷と航空教育資料製作所に関連した『馬』、『ハワイ・マレー沖海戦』、戦後の浪人時代の『君の名は』、

そして東宝に復帰しての『ゴジラ』の特撮映像を見ながら円谷の魅力と功績を考えます。

今回は、神奈川新聞文化部の服部宏さんにお出でいただき、ご意見を伺います。

入場料は、ワンドリンク付き1,000円ですが、食事のメニューも豊富ですので、ビール片手に楽しんでいただければと思います。

どうか多くの方のご参加をお願いいたします。

 

          

 

 

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丸橋さんにお会いする

2016年11月29日 | 音楽

土曜日から大阪大学で、日本映画学会総会なので、金曜日の昼に新横浜を出て、大阪に向かう。

実は、新横浜で一つ前の列車に乗ってしまい席はないので、「参ったなあ」と思っていると車掌が来て、その列車の空いている席を取ってくれる。

3列の真ん中の席で、両脇は若いビジネスマンだったが、二人ともずっとパソコンを叩いて文章を作っている。

「今のサラリーマンは大変だなあ」と思うが、二人とも豊橋で降りてゆく。

新大阪から地下鉄で天王寺に行き、アベノハルカスに入る。

天王寺駅のすぐそばで、エスカレーターを二回乗り継いで、300メートルの展望台に。

さすがに凄い景観で、遠く京都タワーまで見える。すぐ近くに墓場が見えたので、係員に聞くと「市営の墓地」だそうだ。

ホテルは、心斎橋なので、地下鉄で戻り、チェックインするが、玄関がひどいところだったのには、唖然とする。今時、まだこんなホテルがあるのだ。

                       

 

アメリカ村を下って小さなお好み焼き屋で食事と酒。外人の夫、日本人の妻、それに二人の子がいたが、ニュージーランドから来て、京都や東京に行くのだそうだ。

中国人のカップルも来たが、私は1時間ほどで出て、アメリカ村の端のCDショップの「プランテーション」に行く。

ドアが閉まっているので、帰ろうかと思うと、人がやって来て開けるので、一緒に入る。

丸橋基さんである。

彼は、関西では非常に有名な方で、かつての花博の時の音楽イベントも担当された。

忙しそうなので、すぐに辞去するが、私が泊まっているホテルは、「元はホテルカルフォルニアと言った」というのには、笑えた。

夜中、隣の部屋で女性が盛んに咳をしていて、なかなか眠れず参った。

目を覚ますと7時半なので、急いで阪大のある阪急宝塚線の石橋に向かう。

 

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来週には注文できます 『ゴジラは円谷英二である 航空教育資料製作所秘話』

2016年11月24日 | 映画

私の本『ゴジラは円谷英二である 航空教育資料製作所秘話』が今月末にできます。前回の『小津安二郎の悔恨』と同じく、えにし書房からです。

注文制なので、東京でも東京堂や紀伊国屋などにしか置きません。

ご興味のある方は、ぜひご注文ください。

どうぞよろしく。

 

                     

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呑川の氾濫

2016年11月22日 | 東京

『シン・ゴジラ』で、ゴジラが最初に上陸するのは羽田の呑川の河口である。

この呑川は、洗足池から流れ出る小河川だが、私の実家の池上の真ん中を横切って流れていた。

1950年代当時は、護岸は木製で守られていたが、他は完全な自然状態で、夏には水草が生えているのが見えたものだ。

だが、この流域の池上2丁目は、川よりも低い「天井川」状態になっていて、多分ポンプ場も整備されていなかったのだろう、台風が来るとすぐに床下浸水になってしまう地域だった。

だから、秋の台風の時期になると、大雨で危険とのことで、小学校も午前中くらいで、学校閉鎖になり、生徒は家に帰るとなったものである。

そして、1958年9月27日は、凄かった。朝から大雨で、学校はすぐに閉鎖になり、われわれは喜んで下校した。

後に、狩野川台風とよばれる大型の台風だった。    

                                                   

                       

雨は、午後になってもまったくおさまらない。家では、兄や姉たちも戻ってきたが、父は当時大田区の馬込小学校の校長だったので、戻って来なかった。

夕方、ついに呑川が氾濫したらしく、川の水が流れてきて、家の床下を洗い出した。

                    

夜、その圧力で、雨戸が流れてしまうい、母が急いで飛んで行き、大学生の兄も続いた。

家の外も、濁流が腰の高さくらいまでに流れていた。家の入り口には7,8枚の雨戸があり、毎日の夕方それを閉めるのは、子供たちの仕事だった。

雨戸がなくなるとガラス戸で、これは脆弱なので、いよいよ心細くなる。

以前から、母はよく言っていた。「台風で雨戸がなくなり、空いたところに大風が来て、家が持ち上げられるて、次は抜けるので屋根が落ちてペシャンコになる」と。

だが、明治時代に建てられた木造の家屋には瓦と大量の土が入ってたので、雨戸がなくなり、風が吹き込んでも屋根の重さで家は、全く動かなかった。昔の家は、さすがによく出来ていたわけだ。

そして、母と兄が、雨戸を持って戻って来た。家の前にも住宅や商店があり、流れはそこでぶつかって左に曲がって流れていたので、そう遠くには行かなかったのだ。

やっとのことで雨戸を座敷に上げて一安心したが、水は少しも減らない。

雨はもう上がっていたのだが、それまでの降水で水位は少しも下がらないのだった。

そして、床ギリギリになった時、母が言った、

「全部二階に上げよう!」

火事場のなんとやらで、1階の座敷にあった箪笥、畳を母と子供たち5人で全部二階の部屋に、狭い梯子を使って上げてしまった。

二階には、普段は兄が寝起きしている屋根裏部屋の天井の低い部屋があったので、そこに運び上げて、みな寝た。

結局、床の少し上まで水は来たようなので、物を上げたのは良かった。

翌日が大変だった。箪笥が当然だが、とても重くて降ろせないのである。仕方なく、箪笥の中を抜き、一つづつ、別々にしてやっと下したのである。

本当に、「火事場の何とか力」だと思った。

その後、呑川は河川改修されて、この時のような洪水は起きていないようだ。

古代から、アジア各地では、大王の第一の仕事は、河川の管理だったそうだから、1960年代も治水は最優先の行政だったのである。

 

 

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曜日が全部わかる人

2016年11月21日 | その他

先日の映画『レミニセンティア』では、総ての曜日を当てられる女性が出てくる。

                            

 

だが、私の甥に、すべての時代の曜日を当てられる男がいる。

「何年の何月、何日はなに曜日?」と聞くと「はい、なに曜日」と答えられるのだ。

非常に真面目で、いわばオタク的な人間だが、小さいころからカレンダーが好きで、多くの家からカレンダー―をもらって日々眺めていたそうだ。

すると、カレンダーの曜日には、一定の法則があることが分かり、それを利用すれば、その年が、どのカレンダーの形かが特定できれば、あとは全部分かるのだそうだ。

それに閏年年等を入れれば良いのだそうである。

まあ、世の中にはいろんな能力のある人がいるものであるが、その意味では映画『レミニセンティア』は、嘘ではないのだ。

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『忠臣蔵の恋』

2016年11月20日 | テレビ

このところ、毎週NHKBSの土曜ドラマ『忠臣蔵の恋』を録画して見ているが、結構いい出来である。

                                                      

 

諸田玲子の原作、塩田千種の脚本、武井咲と福士誠治の恋物語で、美男美女でドラマを構成するのは、韓流ドラマだと思うが、脇役が良い。

辻萬長、平田満、笹野高史、石丸幹二など、やはり脇役が良いと劇は締まる。

忠臣蔵は、いつの時代も当たると言われているが、これはそう大ヒットを狙っていないのが良いのだと思う。

NHKのドラマは、大河と朝ドラが看板で、これらには良くも悪くも話題が集中するが、それだけではないのだと思う。

12月は、討ち入りになるが、どのように描かれるのかが楽しみである。

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『禁断』

2016年11月19日 | 映画

井上芳夫がこんないい映画を作っていたとは知らなかった。

彼は大映東京の監督で、そうひどくはないが、特に凄いと思う物も監督していなかったと記憶している。

原作は時の人石原慎太郎で、脚本は白坂依志夫、音楽は平岡清二でほとんどギターの演奏。

              

 

新進作曲家の宇津井健は、友人の高松英郎が自殺したとき、大学医学部に勤務している女医、と言っても臨床医ではなく研究医の叶順子と知り合う。叶というと叶姉妹という下品な連中しか知らないだろうが、叶順子は上品で可愛い色気で人気のあった女優である。

二人がどのように恋愛に行くかだが、非常に丁寧に、また緻密に描かれている。

というのも宇津井には、仁木多鶴子の妻と娘がいて、叶にも言い寄る同僚でまじめな仲村隆もいるからである。

構成は二人の交互のナレーションで進められ、フランスの心理小説のような細かい心理の動きがよく出ている。

この辺は、井上芳夫のものというよりは、脚本の白坂依志夫のセンスだろう。

二人が行く横浜のクラブで歌う歌手がフィリピン出身のビンボー・ダナオで、言うまでもなく淡路恵子の最初の夫である。

戦前からフィリピンのミュージシャンは日本のジャズに大きく貢献してきたが、多分彼が最後の世代だろう。

 

中盤に、ヨットで二人きりになり、やっとという時、

宇津井はさてという感じで「ブランデーがあるんだ・・・」

叶は言う「そんなものいる?」

勿論、二人はベットに倒れこむ。

 

この映画が優れているのは、この二人の一途な恋愛を、周囲が冷ややかに見ていることをきちんと描いていることである。

田舎の実家に戻った時、母親の滝花久子は、すべての事情を告げ口に来た仲村から聞いていて、叶にいう。

「犬みたい」まじめな滝花が言うので、非常にリアリティがある。1960年代前半の普通の人の性道徳はそのようなものだったと思う。

だが、ラストは突然やってくる。

叶は学会で京都大学に行き、宇津井は大阪で舞台の仕事が入り、用が済んだら京都で会おうと約束していた。

雨の中、町から戻って来た仲村は新聞を叶に見せる。

宇津井の乗った飛行機が浜松付近で落ち、全員死亡したというのだ。

最後、宇津井のヨットに乗った叶は、沖で船の錨の綱を切り一人沖合に出てゆく。

宇津井が売れっ子の作曲家で、豪邸の他、外車、そしてヨットと少し裕福すぎる気もしたが、傑作だろう。

日本映画専門チャンネル

 

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『レミニセンティア』

2016年11月18日 | 映画

今日で朝の上映が終わるというので、朝早く横浜を出て渋谷に行く。夜は、帰りは電車が異常に混むので嫌なのだ。

『レミニセンティア』は、日本最初のロシアで作られた劇映画で、監督の井上雅貴は、10年前にソクーロフの『太陽』でメイキング映像の作成をして、ロシアの素晴らしさに感動し、自己の第一回作品をロシアに選んだのだそうだ。

                                             

 

場所は、モスクワから250キロ離れたヴォルガ川沿いの都市ヤロスラブ、そこに作家で超能力者のミハイロフがいて、彼は人の記憶を消せるとのことで、つらい記憶を持つ人々がやってくる。

共同経営の友人に裏切られた男、夫に愛人が分かって別れた妻、娘を自分の不注意で死なせたと思っている母親、夜に車を運転している時、宇宙人の女にあったという男など。

タルコフスキーに『ストーカー』という名作があり、これも超能力と人間の幸、不幸を描いた作品だったが、そうした感じである。

ある日、逆に人の忘れた記憶を蘇えらせるという女マリアに会い、この後、ミハイロフには奇妙なことが起きる。いつも連れている娘のミラニーニャは、本当はいなくて、彼の幻想が作り出したものではとも思えてくる。

人の記憶の不思議さを大変うまく描いていて、またロシアの情景も良い。宇宙博物館のような建物が出てくるが、ここは世界初の女性宇宙飛行士テレシコワの生地で、彼女を顕彰した博物館なのだそうだ。

彼女の有名な言葉は「ヤー・チャイカ」である。

実は、この映画は去年行われた新人監督映画祭で、長編のグランプリを受賞したのだが、スケジュールの関係で私は見ることができなかったが、今日見て非常に良かった。

ともかくロシア人の役者が非常に良く、全員地元の劇団の役者らしいが非常に上手くて、また感じが出ている。

特に、宇宙人に会ったという、アメリカのジョン・カザールのようなきたない男が良い。

ユーロスペースのナイトショーは来週の金曜日まで、見て損のない作品である。

因みに題名のレミニセンティアとは英語のレミニセンスで、追憶と言った意味だそうだ。

 

 

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『将軍様、あなたのために映画を撮ります』

2016年11月17日 | 映画

非常に面白い映画だった。

                                            

 

主人公は、韓国から北に亡命したと言われていたが、実は拉致されて北朝鮮に行き、元夫で映画監督申相玉に再会した女優の崔銀姫。

彼女は韓国の大スターで、申相玉も大監督で当初はオシドリ夫婦だったが、申に愛人がいることが分かって二人は離婚する。

そして、申監督がいなくなり、さらに崔も1978年に行方不明になり、二人は亡命して北にいるとされ、その後二人は3年間に17本の映画を作る。

その1本が、北朝鮮の『ゴジラ』、『プルガサリ』で、1998年に私も見た。

                                                                         

 

日本から東宝の中野昭慶や薩摩剣八郎らが招かれて行き、特撮映画を指導した。

当時の指導者、金正日は、映画が大好きで、「北朝鮮の映画は泣いてばかりでつまらない」とのことで、韓国の申が狙われたのだそうだが、結構高い鑑賞眼を持っていたわけだ。

彼は、父親の金日成と違い芸術家タイプで、人前で話すのも下手で嫌いだったそうだ。

映画は、崔のインタビューで展開されるが、ともかく北の国の異常さが凄く、笑うしかない。

北では、首領の死に際しては、号泣しないと逮捕されるそうで、金日成や金正日の葬式で号泣する人の表情が凄い。まるで、古代の日本で、大王の死で、殉死の習慣があったと言われているみたいだ。

申相玉の北朝鮮での映画も一部紹介されるが、結構ダイナミックなアクション映画を撮る監督だったようだ。『プルガサリ』も、その一環で、結構面白い作品だった記憶がある。

最後、二人はウィーンで監視員の目を盗んで逃げ、アメリカ大使館に亡命し、米国に住む。申相玉はハリウッドで作品を撮ったが、そう成功ではなかったようで、北の時に結構いい作品を残しているのは皮肉である。

崔は、韓国に戻るが、かつても名声はもう得られなかったようだ。

 

 

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ドラマができるとき、あるいは作り方

2016年11月15日 | 映画

先々週から、東京の豊洲のユナイテッドシネマ豊洲で行われた「第3回新人監督映画祭」に行き、多くの作品を見た。

その前に、コンペティション部門の28作品を見て、グランプリの審査もやって非常に面白かった。

                    

 

玉石混淆という言葉があるが、まさにその通りで、

「こんなもの見せられることもそうだが、作ること自体が時間と金の無駄じゃないの」と思える作品もないわけではなかったが、「はっと」させられる作品もあり、貴重な体験だった。

さらに、審査会の議論や各作者の製作の事情等を聞くと、ドラマを作る瞬間が分かり、あらためてドラマについて考えた。

結論を言えば、物語性のないところにドラマはないということだ。

勿論、かつて1920年代の欧州で「純粋映画運動」があり、映像だけで映画を成立させる純粋映画や絶対映画があったが、結局物語性なくして映画は成立しないことが分かり、トーキーの発展もあり、それらは大衆とは無関係の一部の作家の実験として終わった。

また、日本でも、これは演劇の分野だが、演出家鈴木忠司は、「演劇は役者の演技のみで成立すべきで、テーマやストーリーなどは不要」と言っている。

だが、鈴木忠司は、演出家というよりは、役者のトレーナーであり、演技術の凄さを見せられても、それが演劇として面白いとは私には到底思えない。

彼は、たとえて言えば打撃コーチか投手コーチであり、監督として試合をい率いる者ではないので、彼の芝居は非常に面白くない。

この野球との比較で言えば、ドラマにおいて物語性とは、ルールのことであり、それはすべてのスポーツにルールがあるのと同じである。

もし、野球が9回で終了しなかったら、逆転劇も完封勝利もなく、そこにはドラマが生まれないと思う。

俗に野球は筋書のないドラマと言われるが、それも様々なルールの規制がある故である。規制のないところに自由もないのだ。

或いは、サッカーも、残り何分でリードしているから、時間経過の展開とのスリルも生まれるのだ。

だから、物語性のないドラマでは、そうしたスリルは絶対に出てこないのである。

勿論、野田秀樹のように、役者を集めてある期間、ワークショップをして劇を作るというやり方もある。

だが、そこでは概ね筋は決められているようで、さらに配役に合わせて修正すると言ったものであるようだ。

また、彼の場合は一流の俳優を使っているので、そこで新たな発見もあり、さらに劇を高められるようだ。

 

或いは、つかこうへいのように、与えられた役者の内部の屈折、劣等感と言った部分から肉体の持っている言語を引き出すという方法もある。

だが、彼もいくつかの作品では、劇にならず、中途で投げ出したものもあったとのことだ。

そのようにワークショップ的な方法から劇を作るのは結構難しいのであり、上手く行かず結局、演劇ごっこ、映画作りごっこに終わってしまうものもあるように思えた。

いずれにしても、映画や演劇の筋、物語など、目新しいものはなく、筋は大体似たりよったりである。要は、作者たちのセンスなのだというしかないだろう。

コンペティション部門の短編、中編、長編のグランプリ、凖グランプリ、さらに特別賞受賞作は、みな物語性が根底にきちんとある作品だったのは、実は当然のことなのだが。

それにしても豊洲の賑わいはすごかった。

 

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ヒラリー・クリントンについての有名な話

2016年11月14日 | 政治

2012年6月に私は以下のように書いた。

 

ヒラリー・クリントンが米大統領選に出るらしいことが、報道されていたが、彼女の有名な小話。

クリントンとヒラリーは、高校の同級生である。(これは間違いで、彼らは高校大学は別で、その後イェール・ロー・スクールで出会って一緒になった)

                                         


大統領になって2期目のある日、ヒラリーの高校の同窓会があり、二人で出かけた。彼女は大学は女子大だが、高校は共学高だった。

その夜、ホテルの部屋に戻ってきて、クリントンが言った。
「昼間、お前は変な奴と随分いちゃいちゃしていたな」
「そう、本当は彼が好きだったの」
「でも、俺と結婚してよかっただろう。あいつと結婚したら、ただのガソリン・スタンドのおばさんだ。俺と結婚したから大統領夫人になれた」
「彼と結婚していれば、彼を大統領にしたわ!」

本当のものとは思えないが、それほどヒラリーがやり手で、嫌な女性だと思われていたことを示すものだろう。

アメリカは全体としては、われわれが知っているニューヨーク、シカゴ、ロスアンゼルスなどの大都会のアメリカではなく、膨大な農業地帯のアメリカであり、きわめて保守的な人間たちによって構成されている。

アメリカ人のほとんどは、一度もニューヨークやシカゴなどには行かずに一生を終えるものだと言われているが、多分そうだろう。

今回は、そうした地方の票がクリントンではなくトランプに逃げたのだろうと思う。

意外にも総得票数ではヒラリーの方が上なのだから、大部分の州が、各州ごとの総取り方式なので、選挙人との差が生まれてしまうのだが。

 

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「横浜と映画」終える

2016年11月13日 | 横浜

弘明寺の大岡地区センターの自主講座・大岡サロンの3回目として「横浜と映画」を金曜日にやった。

これは、大岡地区センター副館長の鈴木幸子さんの前からの「映画と町歩きを一緒にできないものか」というご希望を実現化したもの。

前日夜からの小雨も昼には上がり、まず前半の町歩きは、河北直治さんにお願いする。

私は、後半の映画で、『わが恋の旅路』を中心に、同じく篠田正浩監督の傑作『乾いた花』、そして前田陽一の怪作『進めジャガーズ・敵前上陸』の一部を上映しつつお話をした。

今回やって見て新たに気づいたのは、『わが恋の旅路』では、横浜の元町だと思ってきた場面が伊勢佐木町であったことで、1961年のこの頃は、元町よりも伊勢佐木町の方が繫栄していて、そこを撮影場所としていたことだ。

また、『進めジャガーズ・敵前上陸』は、編集していてゴダールやオーソン・ウェルズのパロディなどがあり、これは言うまでもなく中原弓彦、小林信彦のものであり、全体としてそう悪い作品ではないと思えた。

                                 

 

途中で挿入される日本の前後の記録の歌は、井上ひさしの作詞で、非常によく出来ていると思った。

この『進めジャガーズ・敵前上陸』の併映作品は、大島渚の『帰って来たヨッパライ』で、全く理解不能の作品で、これ以後松竹は大島渚との手を切ってしまい、大島は以後ATGで作ることになる。

 

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トランプが大統領になるとは・・・

2016年11月10日 | 政治

昨日は、米大統領選の開票を見てしまったが、トランプが勝利したのには驚いた。

だが、これはトランプの勝利というよりも、ヒラリー・クリントンの敗北だと思う。

彼女は非常に優秀な女性のようだが、本来自分の喜怒哀楽を自然に表現することが苦手な人間のように私は前から見ていた。

選挙戦中、支持者らとハグし、喜びを表す時、私はいつも嘘くさい大げさな表現だなと思ってきた。

               

 

要は、素直に感情を表現することが苦手なのだと思う。

彼女は、ビジネスマンや官僚など、単に仕事をするだけなら、大変に優秀だと思う。だが、政治家や俳優など、感情を表現することが多い職業には向いていないのだと思える。

アメリカの大統領は非常に面白く、今のオバマもそうだが、無名の人間が予備選で急に候補になり、本選挙にも勝ち、大統領になってしまうことがある。

ヒラリーの夫のビル・クリントンもそうだったし、古くはジミー・カーターなども、全国的に有名な存在ではなかった。

そう考えると、アメリカは常に新しい、新鮮で素直な人間を求めていることになるが、トランプの暴言はひどいが、自己の感情を素直に表現している点では、ヒラリーよりも嘘つきではないと思われたのだと思う。

ロシアのプーチン、中国の習近平と言い、結構変な人間が大国の長となる時代になったのだろうか。

 

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菊慈童は、ピーターパンだろうか

2016年11月09日 | 演劇

なんでも見ることにしているが、苦手が二つあり、シャンソンと能である。

下賤な生まれなので、おシャンソンと能楽には縁がないのである。

さて、誘われたので鎌倉能舞台に行く。冒頭、中森勘太氏の解説がある。この形式は、父の故中森昌三氏が始めたもので、当初は批難ごうごうだったそうだ。中森氏は、レーザー光線能など常に新しい試みをされた方で、能の世界では異端だったようだ。

                   

 

能は、本来は武士の式楽で、下賤のわれわれ庶民は江戸時代は見られなかったものなのである。

さて、狂言の次の能は『菊慈童』で、これは蜀の文帝の時代のことで、ある山の水が不老長寿だとの噂があり、帝の命を受けた家臣が山に行く。

そこには菊慈童という美少年がいる。聞くと周の時代に帝王の怒りをかって流されて来たとのこと。

何んと700年前で、700年も美少年のままということになる。

これでは、不老長寿への願いというよりは、死ねない少年ピーターパンの悲しみのように見えて来た。

能を見るのは、実は3回目だが、初めて最後まで寝ないで見ることができた。

日曜日の鎌倉は大変な人出だった。

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