大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさすらいます。

判官びいきはどこへ

2016年07月25日 | 政治

かつて日本人は判官びいきだと言われた。これは源義経など、弱いもの、権力に追われる者への贔屓であり、日本人の根本的心性だと言われた。

だから、選挙等で、ある方が優勢だとマスコミ等で報じられると、結果的には、その不利とされた側に同情票が集まり、形勢がよく逆転されたものである。

私が議長秘書として仕え、今の大官房長官の菅義偉氏によって横浜市会議員の座を追われた鈴木喜一先生は、

「新聞で鈴木有利などと書かれるのが一番困る」と言っていたが、これも判官びいきによるものだろう。

                 

 

だが、近年は逆に、ある方が有利と出ると、皆その勝ち馬に乗るという精神になっているようだ。

特に、30代以下の若者がそのように見える。

確かに無理もない。

彼らは生まれたときから、「失われた時代の人間」で、一度も良い目を見ていないのだから、少しでも良くなる方に付きたくなるのだろう。

特に、東京や大阪のような大都市へは、「いつか一旗上げてビックになろう」として地方から出てきたものが多く住む地域である。

いつかは、ロック、アニメ、トーク芸等でビックになれると妄想しつつ、日々はコンビニ等の非正規就労で働いている。

そうした人間に、弱い者の味方をしろと言っても、「それよりは俺の方をよくしてくれ」というだろう。

大阪維新の会の橋下徹のようなデマゴーグを自分たちの味方だと思う理由がそこにある。

本当は、非正規労働の人間など、最初に切り捨てる政策の連中なのだが、彼らを支持するという皮肉。

まるでドイツの市民がナチスを支持したようでもある。

 

 

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本当の不在者投票とは

2016年07月25日 | 政治

参議院選挙に続き、東京では都知事選も行われている。

すでに期日前投票をした方も多いだろうが、これは以前は不在者投票と呼ばれていた。

だが、本当はこれは例外的なもので、本当の不在者投票は別にあった。

                

 

ある区の総務課にいたとき、中年の人がきて、「不在者投票をしたいので、住所の秋田県の市に連絡してほしい」とのこと。係長に聞くと、不在者投票の要請で、本当の住所の市に投票用紙を送るように電話する。

つまり本当の不在者投票というのは、地方から出稼ぎなどで都市に出てきていて、本来の選挙区で投票できない人に、投票用紙を取り寄せてあげて投票するものだったのである。

「こんな制度があるの?」と聞くと、「これが本来のものです。まあ創価学会しか知らないでしょうけれどね・・・」

そして、現在の期日前投票になるわけだが、私も不在者投票の管理者をやった経験から見ても、期日前投票の半分くらいは、公明党への票だと思う。

昔、テレビ等で選挙の投票風景として、高齢者等を戸板に載せて運ぶ等が報道されたものだが、やりすぎとのことで、今は見ない。

だが、期日前投票ならば、毎日支持者に働きかけ、投票所に行くこともできる。

だから、選挙の報道で、期日前投票が増えたとされたときは、公明党が力を入れているということになると私は思う。

 

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『月・こうこう、風・そうそう』

2016年07月24日 | 演劇

「かぐや姫伝説」よりとサブタイトルされた別役実の新作は、期待にたがわぬ濃厚な台詞の劇だった。

演出は宮田慶子で、彼女は青年座でも比較的リアリズム、あるいは娯楽的語り口の劇が多かったようだが、こうしたような抽象的な戯曲の方があっているように思えた。

『かぐや姫』、『竹取物語』と言えば、加藤道夫の傑作に『なよたけ』があり、これは以前新国立劇場でも上演されているが、これはある青年貴族の失恋が物語を作り出すというものだった。

もちろん、そこには戦時下の悲劇的な青春をおくらざるをえなかった加藤道夫たちの世代の悲劇がある。

この別役の新作には、かぐや姫伝説の他、兄・妹の近親相姦の禁忌、竹林を支配する武士と竹取の翁、舞え舞えかたつむりの『梁塵秘抄』などが巧みに取り入れられている。

                    

 

別役の戯曲の特徴は、その台詞の裏と人間の内部を覗わせる中で、まるで内部感情を微分していくようなスリリングな時間がある。

竹藪で翁(花王おさむ)によって見つけられ、媼(松金よねこ)との手で数か月で美した姫(和音美桜)には、高貴な男たちが言い寄ってくるが、姫は彼らに課題をかして、皆落第してしまう。

原作の『竹取物語』では、この5人の男たちとのやり取りが話の中心になっているが、ここでは中心ではない。

むしろ、姫が抱えているのは、自分はどこから来てどこに行くのか、すべてが自分ではわからないという問いである。

また、盲目の女(竹下景子)が二人のことを様々に予言し、劇はさらに不条理世界に誘われていく。

もちろん、それに誰も答えるっことはできないが、できない内に、森のもののふの風魔の三郎(橋本淳)と、あるいは兄・妹かもしれず、夫婦になると死んでしまうという予言を受けるが、二人は夫婦になり、姫は子を宿す。

風魔の三郎が、竹林の王者を決するための戦いをするとき、三郎は引き絞った弓の矢じりを一度は姫の腹に向けるが、姫の声で、竹林の外に射てしまう。

姫は言う、

「一番弱い人間である子を救ったことで、ものもふは去ったのです・・・」

この台詞は、何を意味しているのだろうか、私の独断では、これは作者たちの「護憲意識」を示唆しているのではないだろうか。

それにしても、なにが起きても、誰かがこうこうしましたと側近が言っても、常に「ああ、そう」としか答えない帝(瑳川哲郎)の在り方は、じつに面白いものだとあらためて思った。

盲目の女が弾く月琴など、仙波清彦の音楽が強く耳に残った。

新国立劇場小ホール

 

 

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山川菊栄の生涯 『姉妹よ、まずかく疑うことを習え』

2016年07月23日 | 映画

山川菊栄と言えば、戦前の女性運動の一人で、理論家山川均の妻であり、戦後は厚生省の初代婦人少年局長になった方ぐらいは知っていた。

また、晩年には『武家の女性』『幕末の水戸藩』の著書があったことも、橋川文三の本で読んだこともある。

神奈川の県立図書館を考える会に、山川菊栄記念会の山田さんが参加され、同会が持っていた膨大な資料が、様々な経緯を経たうえで、現在では一応県立図書館に収蔵されていることの話を聞いていた。

そして、このこと等を記念して1990年に作られたDVDがあり、上映会があるというので、暑い中紅葉ヶ丘に行く。

時間があったので、「戦時文庫」の目録を閲覧するが、いろいろと面白そうな本がある。

                       

 

東京の麹町に生まれた菊栄は、津田塾を出た後、26歳の時、講演会で山川均に会い結婚する。

山川均は、言うまでもなく「山川理論」の山川均であり、現在からみれば大衆との共同運動を重視する彼の理論の正しさは当たり前だが、大学教授でむしろ難解な論理を駆使する福本和夫の「福本理論」が日本共産党の正統な理論とされたのである。

このときに、戦前の左翼運動の将来は決まっていたと言えるだろう。

無知蒙昧な大衆を上からインテリが教化する運動としての左翼運動だったのであり、それは日本共産党から1970年代の過激派にまで続いていた。

実際に山川均は在野の方だったようで、彼と菊栄の周辺には、運動をする若い男女が集まってきたが、そこには共産党の「ハウスキーパー」のような陰惨な関係はなかったようだ。

その意味では、今日のフェミニズムに通じるものがあったともいえるだろう。

英語に極めて堪能だった彼女は、与謝野晶子と平塚らいてふの間で交わされた「母性保護論争」に「母性保護と経済的独立」で参加するなど、言論で有名になっていく。

勿論、逮捕投獄の迫害の受けるが、夫妻は藤沢市に住み、うづらの養鶏で生活を支えつつ、言論活動を進める。そして凄いのは、戦時中も英米の女性関係の雑誌等の文献を収集し、研究をしていたことである。

 それは戦後、GHQの指導で、厚生省に婦人局ができたとき、最初の局長になり、全国の女性運動を指導することになる。

しかし、主として旧内務省から移行してきた厚生省の官僚とは上手くいかなかったようで、GHQの占領方針の変化、吉田茂内閣の「独裁」の進行に伴い、局長を退職させられる。

要は、やはり在野の人だったのだ。

その後は、雑誌『婦人の声』の発行や婦人問題懇話会の設立などで活躍される。

この山川夫妻の生き方は、今では当然のことのようになっている、在野の、民間の社会運動の先駆けだったと言えるだろう。

彼女が収集した膨大な内外の資料は、以前は江の島の女性センターにあったが、様々な経緯を経て、現在は神奈川県立図書館にすべて収容されている。

収蔵にまでのことについても聞いているが、それは書かない。ともかく公的に保存されていることは良いことだと私は思う。

 

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『リップバンウインクルの花嫁』

2016年07月22日 | 映画

岩井俊二の映画は大体見ているが、どうも好きになれない監督だったが、これは意外にも面白かった。

もちろん、黒木華の良さに助けられているが。

                   

 

中学の臨時教員をやっている黒木は、SNSで好みの男と知り合い、すぐに寝てしまう。次が結納の場面だったので、「あれっ」と思うが、その男と普通に結婚するのだ。

だが、彼女の両親の毬屋友子と金田昭夫は離婚している上、親戚も少なく、両家のバランスが悪いことから、友人の紹介で、何でも屋の綾野剛に依頼し、その場だけの親戚を作って式を無事乗り切る。

この辺は、従来の岩井俊二映画とは違ってテンポよく進むので、結構面白い。

毬屋友子ファンとしては、相変わらずぶっ飛んでいる彼女の演技を見るのは楽しいが、出番が少ないのは極めて残念。

黒木は、声が小さいという教師としては致命的な欠陥があり、臨時の職も失ってしまい、専業主婦になってしまう。

部屋を掃除している時、女性のピアスを見つけてしまい、夫の浮気を疑って、再び綾野に夫の素行調査を依頼する。

このときの部屋が少し豪華すぎる気もするが、映画なので良いだろう。

この辺から、この映画の感じは、映画『KEIKO』に似ているなと思うが、展開はその通りになっていく。

ネットで見ると、岩井は、クロード・ガニヨン監督の『KEIKO』が好きで、影響を受けているとのこと。

すると、見知らぬ男がいきなりやってきて、「あなたの主人は、私の恋人と不倫している」と言って来て、中学の卒業アルバムにある教師と学生の二人だという。

そして、ホテルで男と話を付けることになるが、強引にセックスさせられそうになる。

黒木は浴室に逃げて、再び綾野にメールして、助けを乞う。

これは綾野が黒木を落とすための罠ではないかと思うと、綾野が素早く現れて、強姦未遂男と交代するので、「ああやはり」と思うが、実はそうではなく、この辺は辻褄があっていない気がした。

このホテルでの件が、夫の親戚の葬式に行った時、母親からネット画像と共に暴かれて、逆に不品行な妻として離婚させられてしまう。

失意の黒木は、世田谷の自宅を出て、羽田空港近くを放浪し、ついには蒲田のラブ・ホテルの住み込み従業員になってしまう。

そして綾野は、夫の素行調査で、夫は超マザコンで、母親の原日出子と親密で、例のピアスも母親のものだろうと謎解きをするが、全部は納得できるものではなかった。

さて、この辺からいよいよ『KEIKO』になっていき、綾野から黒木に、郊外の大邸宅のメイドで100万円の仕事が来る。

そこには、もう一人AV女優の女性Coccoがいて、彼女と不思議な同居をすることになる。

そして、彼女は、黒木とウエデングドレスを二人で着て写真も撮影し、一つのベッドで寝た翌日にガンで死んでしまう。

彼女のお骨を黒木と綾野は、母親のリリィのところに持っていき、3人はCoccoを忍んで痛飲するが、ここは非常にリアリティがあって良かった。

新しいに生活に踏み出した黒木は、綾野が持ってきた不要品の家具で部屋を飾って自足して、とりあえずドラマは終わったようだ。

このAV女優の話は、実は実話のように思える。というのも、公式には明らかにしていないが、岩井俊二は、若いときAVビデオを監督していたことがあるのだ。

当時は、同じ横浜国大には、有名な黒木香もいて、彼女の主演作を撮っているというのだ。

この辺のことが、この映画の基になっているのだと私は思うのだ。

ちなみに、リップバンウインクルとはCoccoのSNS上のハンドルネームであり、レスビアン関係を示している。

横浜シネマリン

 

 

 

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8月6日の午後に、『魅力の国ブラジル』を大岡地区センターでやります

2016年07月21日 | 音楽

8月6日の午後に、『魅力の国ブラジル』を大岡地区センターでやります。

もちろん、音楽のみならず映画や、ブラジルの国や地域の魅力についてもお話しし、紹介するつもりです。

例によって、リオ・オリンピックへの便乗企画です。

 

                  

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大橋巨泉、死去

2016年07月21日 | テレビ

大橋巨泉が死んだ、82歳。多分、最初に知ったのは、NTVのジャズ番組の司会だったが、ラジオ関東の『昨日の続き』にも出てきた時だと思う。

ここには、先日亡くなった永六輔も出ていて、非常に面白い番組だったが、言うまでもなくトーク番組の魁である。

彼については、われわれの世代は映画『けんかえれじい』のマドンナ浅野順子を奪った憎い親父である。テレビで高橋英樹が、巨泉との交友を話していたが、これも『けんかえれじい』の縁だと思う。

大橋巨泉のテレビでの活躍については、誰もが知っているので書かないが、彼が2001年7月の参議員選挙に民主党から出た時のことにつて書く。

                         

 

私は、この投票日の2日前の金曜日に脳梗塞で倒れて病院に入院中で、選挙は棄権となった。

この年の4月に「自民党をぶっ潰す!」と言って橋本龍太郎に勝って自民党総裁になり、首相にもなった小泉純一郎人気が最高潮で、自民党は大勝した。

私は、病院のベットで結果を見て、「日本人はバカになったのか!」と思った。

このとき、自民党の比例区で第一位になったのが、舛添要一で、民主党は大橋巨泉、社民党は田嶋陽子だった。

中平まみや高橋三千綱なども出て、もちろん落ちたが、横浜市磯子区の太田正孝先生も、小沢一郎・自由党から神奈川選挙区で出て落ちている。

 

だが、私の子供二人は、「この大橋っていう人は誰? 大橋きょ・・・なんて読むの?」と聞いた。

中学生と小学生だった二人は、巨泉を知らないのだった。

確かに、21世紀になり、大橋巨泉はテレビにはレギュラーで出ていないのだから、若者が知らないのも当然だった。

因みに、巨泉とは俳号であり、早稲田大学時代の俳句会の同僚には寺山修司もいた。

1983年に亡くなっている寺山修司は、今も若者からも知られているが、大橋巨泉はどうなるのだろうか。

テレビ、ラジオ、ジャズ界に大きな足跡を残した巨泉の冥福を祈りたい。

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とうようズ・デイ 2016

2016年07月20日 | 音楽

連休最終日は、例年の「とうようズ・デイ」で、小平の武蔵野美術大学まで行く。国分寺までは、桜木町から横浜線で八王子まで行き、そこから戻る。

                  

 

今年は、中村とうようさんも好きで、師弟関係にあった山内雄喜さんとハイナップル・シュガー・ハワイアンバンドとサンディーの公演。

山内さんによれば、「師弟といっても私の方が師匠、ハワイアンのスラッキー・ギターをとうようさんに教え」、とうようさんは真面目にスラッキーを練習し、本の出版パーティーで披露したとのこと。

田中勝則さんによれば、その録音を持っているとのことで、いつか聞いてみたいものだと思う。

夏のビヤガーデンの親父向けの音楽と思われているハワイアンだが、戦前の灰田勝彦・晴彦兄弟から、戦後の大橋節夫、ポス宮崎、白石信、さらにマヒナ・スターズやパラダイス・キングに至るまで、ハワイアンは日本のポピュラー音楽の始りだった。

雪村いずみの父親も朝比奈愛三というハワイアンの音楽家だったが、日本のハワイアン・バンドの特徴は、比較的上流階級の子弟が多く、そのほとんどが大学のバンド出身であることだった。

その意味では、1960年代のカレッジ・フォークの先駆けだったともいえるかもしれない。

 山内さんは、ビヤガーデンの親父向けの音楽ではなく、本当のハワイアンの演奏を紹介されてきた方で、今年がバンド結成の40周年とのこと。

最初は、このコレクションの創設に尽力された柏木博先生のご挨拶、ある日突然、とうようさんから電話があってこの企画は始まったそうだ。

今年、田中勝則さんのご努力で、『とうようズ・レガシ―』という総目録が出たが、後々は、ネットで音が聴けるようにもしたいとのこと。

これは、中村とうようさんと私が、このコレクションを横浜で作ろうと話していた時、強く希望されていたことでもあったのだ。

皆高齢者のバンドで、非常にレイドバックした最高の雰囲気で、天国のとうようさんも、お喜びになる素晴らしいライブだった。

                       

 

そして、もちろん、とうようさんもファンだったサンディーの登場。

彼女も、本当のバックヤードから聴こえてくる音楽としてのハワイアンをやっている人が日本いもいると知り、ハワイから来たとのこと。

最後は、湯川れい子さんのご挨拶で「来年は7回忌になるので、ぜひまた会いましょう」

「ええ、もう5年になるの」という感じだった。

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石原慎太郎の反米の原点

2016年07月18日 | 政治

先日、BSフジの「プライムニュース」を見ていたら、石原慎太郎が出ていて、勝手なことを言ってた。

この「プライムニュース」は、フジテレビには珍しく公平で、きちんとした質問をするニュース番組である。

その中で、石原慎太郎は、非常に興味深いことを言っていた。

それは、彼が高校生の時、父親に連れられて市ヶ谷の「東京裁判」の傍聴に行った。かなり早熟な政治少年であり、当時は左翼的でもあったとものの本には書かれている。

                     

さて、その会場の階段を石原少年が下駄で上がっていくと、警備の米兵に蹴っ飛ばされて転がり、下駄がコロコロと階段を落ちて行ったというのだ。

その時、少年は敗戦国の悲哀を強く感じたそうだ。

以後、石原は、「NOと言える日本」に代表されるように、一貫して反米であり、弱腰の吉田茂以下の歴代の自民党と外務省官僚を批判している。

それは、彼が原作、脚本を書いた映画『狂った果実』を見ると本当によくわかる。そこでは、弟・津川雅彦と兄・石原裕次郎が惚れた女の北原三枝は、実は人妻であり、それも年寄りの米国人の妻なのである。

これは非常に屈辱的な男女関係であり、ここには石原慎太郎が、嫌悪する戦後の日本と米国の関係が象徴されていると言える。

かつて、戦前、戦中の『白蘭の歌』『支那の夜』『熱砂の誓い』では、日本人長谷川一夫は、中国人李香蘭に惚れられてハッピーエンドになる物語だった。

ここでも、勝利者日本と敗北者中国との関係が、男と女の関係に置き換えられている。

石原慎太郎が、こうした戦時中の映画を見ていたかどうかは知らない。だが、戦後の日本とアメリカの関係を自身の屈辱と結び付けて作品化したのは、やはり大変鋭いことと言わざるを得ないだろう。

根底にそうした感情があるからこそ、映画『狂った果実』は若い世代に受入れられ大ヒットしたのだと私は思う。

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ヨコハマ・モカンボ・セッション2016

2016年07月17日 | 音楽

主催の福島俊彦さんからご案内をいただいたので、にぎわい座に行く。

モカンボ・セッションとは、横浜伊勢佐木町にあったナイトクラブ・モカンボで1954年7月に行われたジャズセッションである。

ここには、秋吉敏子や渡辺貞夫をはじめ、沢田駿吾、杉浦良三、高柳昌行など、その後日本のモダンジャズを率いて行くミュージシャンが出ていた。それはアマチュア録音家岩味潔の紙テープの録音機によって録音され、貴重な記録になっている。

この日は、これにも出た今年84歳のアルト奏者五十嵐明要さんも出演された。

                  

一部は、五十嵐さんはじめ、レコード化に関わった岡村融さん、そして日本のポピュラー音楽の生き字引瀬川昌久さんの座談会。

二部は、中村誠一、板橋文夫を中心に、五十嵐さんも交えた若手等とのジャムセッションで、非常に面白かった。

                  

中ではアルトの山田拓児のグループの演奏に興味を持ったが、ちぐさ賞受賞の小川恵理沙も大変に良かった。

この日本ジャズ史に残るセッションだが、今日歴史的に見れば、この後、1955年以降から世はロックの時代になり、大衆的なジャズ・コンサートブームは終了していく。

言わば、このセッションはジャズが、ビ・バップからモダンジャズへと高度化してく切っ掛けの一つであり、一部の大学生等には熱狂的に受け入れられるが、大衆的には無関係の音楽になっていくのである。

因みにビ・バップは、音楽的には複雑な解釈があるそうだが、形で見ればジルバの伴奏音楽だということもできる。

終了後は、最近行きつけの医大通りのSで飲んで戻る。

部屋の廊下から花火が見えた。

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『日本で一番悪い奴ら』

2016年07月16日 | 映画

最近見た映画で一番笑った作品である。

だが、実話を基にしているのだというのだから、本当に笑ってよいのかと思う。

             

 

話は、柔道バカのような主人公綾野剛が、北海道警が全国大会で優勝したいというのでスカウトされて道警の刑事になる。

部署はススキノで、先輩のピエール滝に連れられてクラブに行き、そこで捜査術を伝授される。

それは内部通報者、S、スパイを作ることである。

彼は、その通りチンピラでDJのYOUNG DAISをスパイにして、彼の兄貴分の部屋に逮捕状なしに家宅捜索し、偶然拳銃があり、成果を上げる。

だが、違法捜査だとやくざの中村獅童に脅されるが、逆に突っ張って意気投合し、小樽のパキスタン人らも一緒になり、彼らの情報で拳銃、チャカの捜査に大手柄を挙げてゆく。

 

この辺が最高で、時まさしく国松孝二警察庁長官狙撃事件があり、拳銃摘発の総動員体制になり、ついにはロシアから金で拳銃を密輸して成果にするまでになる。

チヤかと覚せい剤のどちらが大事かになるが、この辺は完全にブラック・ユーモアで私は大笑いしたが、他の客はそれでもなかったのは、警察は正義の味方と信じているのだろうか。

 ソ連崩壊後のロシアは、大混乱していて、銃器は外国にたす売られており、オウム真理教もヘリや銃器を買ったはずである。

その間に、香港からの大量のチャカ密輸を巡って、警視庁との対立になり、まず相手を信用させるため、税関も巻き込んで覚せい剤を密輸する。

だが、中村獅童が覚せい剤を持ち逃げし、事件の責任を取らされて夕張に左遷され、最後は当然に逮捕される。

実際の北海道警裏金事件が基なので、リアリティがすごく、警察内の報奨金のやり取りも大変生々しい。

『6・4』などとは大違いで、正義など、ここには全く存在せず、金と色だけである。

私も、警察と付合ったことは二度ある。国際室の時で、ソ連や中国の訪問団が横浜に来ると、県警の外事課がきて日程等を聞いて行った。

逆に中国の代表団には事務局として偉いのだが何もしない者がいて、「あれは党の人間だ」と言われていたので、どっちもどっちに見えた。

だが、ある区にいたとき、夕方駅前の居酒屋に行くと、我々の前に必ずいるのが、警察署長と次長、さらに係長だった。署長は自宅ではなく官舎に住んでいないといけないので時間つぶしだったのだろうと思う。

いずれにしても、かつての過激派、オオㇺ真理教、中国・ソ連等の共産党がなくなった今日、日本の警察は暇だろうと思う。

平和で結構なことだが。

横浜ブルグ13

 

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知事は、どのような存在なのか

2016年07月16日 | 政治

2015年の4月、私は次のように書いた。

 

今週は日曜日は、統一地方選の投票日だが、全国で県会議員の無投票当選が増えたことが伝えられている。

当然である。

以前、横浜市内のある区にいた時、Mさんという県会議長もやられることになる県会議員がおられた。

この方は、ほぼ毎日昼前に区役所に来られて、いろいろと仕事をこなした後に、午後神奈川県庁に行かれるのである。

われわれ区役所の職員は、Mさんのことを「5人目の市会議員」と呼んでいた。

横浜市のような政令指定都市では、県会議員の仕事はほとんどない。

1970年代は、「県会議員の仕事は、交通事故のもらい下げ、もみ消ししかない」と冗談に言われた。

だが、今や情報公開やコンプライアンスで、議員の力など県に及ぶ時代ではないないので、本当に県会議員の仕事はないと思う。

もともと道府県は、明治時代に全国の市町村への国家意思の伝達のための機関として設置されたのである。

電話もろくにない時代、政府の指示・命令を全国に伝えるための媒介機関として作られたのだから、情報が発達した現在ではほとんど不要な機関なのである。

大阪の橋下徹が、府知事を辞めて、わざわざ市長になったのも、あまりにも府知事の業務が「閑職」で形式的だからだと思う。

アメリカで、昔クリント・イーストウッドが市長になったことがある。

アメリカの場合市長と議会の関係はいろいろな制度があるが、この市長は多分儀礼的な業務を務める市長職だと思う。

誤解されると困るが、この市長はある意味で日本の天皇のような存在で、行政には口を挟まず、市を代表する行事を執行すると言った職務を務めるのだ。

                                                

 

石原慎太郎も、余計なことを言わなければ、東京と言う大都市を代表する人間として、儀礼的に見れば東京都知事にふさわしいととも言える。

その意味では、私は道府県を廃止して道州制にすることに賛成である。

今や、道府県制度を根本的に考えなおす時期が来ていることは、この無投票当選が明らかにしていると思う。

 

                          

 

このように、道府県というものは、本来市町村を指揮命令する団体として明治期に作られたもので、その本質は戦後の地方自治法下でも変わっていない。

だから、かつての美濃部都政時代のように、保守・革新の対立時代ならともかく、元々地方自治では政治的対立は大きくないのだから、象徴的存在で良いのである。

石原慎太郎のように、銀行税、新銀行東京、さらに尖閣の国有化など余計なことをするのは、彼の個性で仕方ないが、本来無意味なことはしなくてよいのである。

今回の都知事選挙でも、有力3候補の政策に大きな差はないように見える。

では、どこの違いで選挙は行われるのだろうか。

小池百合子は、メディア戦略などは完璧だが、やはり作為が目に付くと言うべきだろう。この都知事選の次はどうするのだろうかと思う。

増田寛也は、岩手県などの地方なら適任だろうが、東京都知事というタマではあるまい。

事実、自民党の候補は桜井だったのだから。桜井も官僚なので、地名度は全くないが、桜井翔の父親だからというのだから、あまりだが。

辞退されたのも当然だが、この次の参議院議員選挙比例区への約束があったのではないかと思う。

さて、「究極の後出しジャンケン」の鳥越俊太郎だが、以前から民進党からの打診もあったが、高齢等の理由で辞退してきたようだ。

今回は、参議院選挙改憲派の勝利と、長野選挙区の杉尾と、鹿児島県知事での三反園の当選を見て出馬することにしたのだろうと思う。

テレビで彼の記者会見を見たが、非常に正直で好印象だったと思う。

日頃、政府よりの立場の田崎史郎も、「非常に良かった」と言っていた。

政策について聞かれ、「まだ分かりません」と言ったのも、田崎は

「正直で、普通こうは言えませんよ」と言っていた。

宇都宮健児が辞退したことについては、賛否あるようだが、普通に考えれば鳥越に有利になる。

参議院選挙の比例区得票では、与党と野党の得票数は、自公が少し上だが、次点以下の田中康夫と三宅洋次の票の半分以上は、反自民だろう。

このままいけば、鳥越の優勢が続き、彼の資質には特に問題はないので、都知事として適任だと思う。

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金子裕さんが脚本を寄贈

2016年07月15日 | 映画

夕方、野毛で友人と飲み、雷雨が上がったすきをついて家に戻りテレビを見ると、どこかで見た男が出ている。

映画研究会で同期だった金子裕さんである。頭を剃っていて風貌が変わっている。

                      

「ルパン三世」や「オバケのQ太郎」などの脚本を手がけた伊勢原市在住の男性が、自身が所蔵する台本など300点あまりを伊勢原市に寄贈しました。

伊勢原市在住の元脚本家、金子裕さんは、自身が手がけたアニメの台本など322点を伊勢原市に寄贈し、高山松太郎市長から礼状が贈られました。
金子さんは1972年に「巨人の星」でデビュー、「オバケのQ太郎」やテレビドラマ「太陽にほえろ!」などおよそ1000もの脚本を手がけてきました。
いまは現役を退いた金子さんですが、伊勢原市の要請でシナリオ講座の講師を務めたことから今回の寄贈が実現。
「できれば実際の映像とシナリオを見比べてもらえれば面白いと思う」と語っていました。
今回贈られた台本などは伊勢原市の市立図書館で公開されるということです。

 

非常に良いことであり、また彼と飲む話題が一つできた。

おめでとう、金子さん。

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天皇、生前譲位

2016年07月14日 | 政治

昨日のNHKニュースで、天皇陛下の生前譲位のご意向が報道されたそうだ。

                      

 

もちろん、ご自身のご健康のことからのご懸念もあるだろうが、順調に現在の皇太子に位を継承させたいとのことだろうと思う。

今の皇室典範上は、現皇太子だが、世には、男子を持つ秋篠宮への継承を言うバカ者もいるからであり、そうなると「壬申の乱」になりかねないからであろう。

実は、昭和にも「壬申の乱」になりかねない事件があったのだ。

言うまでもなく、2・26事件で、この事件の裏には秩父宮があり、昭和天皇と秩父宮、高松宮、三笠宮は、それぞれ父親が異なり、皇太后は秩父宮を寵愛していたからである。

だから、事件が起きたとき、昭和天皇は、すぐさま事件の鎮圧を命じたのである。

今上天皇は、今や日本最大の「護憲勢力」である。それは、天皇制の維持は、平和憲法と引換えだからである。

そのことは、昭和天皇も熟知していて、それは今上天皇も同じである。

さて、昭和天皇について言えば、生前に譲位が言われたことが二度ある。日本共産党ではなく、昭和天皇側近の近衛文麿と木戸幸一である。

近衛は、戦争に負けた直後に昭和天皇の退位を言っていて、また木戸幸一は米占領軍の占領が終了した時に言っている。

どちらも、天皇が日本帝国軍隊の総責任者である、統帥権の総覧者として、連合軍に負けたからである。

いずれにしても、参議院選挙で、「改憲勢力が2の3を越えた」と、安倍晋三首相らが浮かれている時に、この話題が出たのは非常に興味深い。

 

 

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『東京の女性』

2016年07月13日 | 映画

1944年、昭和14年に公開された東宝映画で、原節子が車のセールスマンを演じる。これを見ると、当時の昭和初期がモダン都市だったことがよく分かる作品である。

                                                                             

 

外車、ビアホール、郊外へのドライブなど西欧的な文化が続出してくる。

原節子の妹で、同じ会社の庶務に勤務することになるのは江波和子で、言うまでもなく江波杏子の母親で、この頃東宝の映画に出ていたが引退して結婚した。

最初、タイピストだった原は、自分が紹介した案件のコミッションを課長が多額に受け取っていたことから、「自分にも出来るのでは」と営業になる。

そこは当然、嫌がらせややっかみもあるが、彼女は順調に成績を伸ばしてゆく。

彼女の相手役は、東宝入社1回作品という立松晃で、互いに憎からず思っているが、なんと彼は江波和子と一緒になる。

仕事人間で、怖いような原は嫌だというのだが、それはそうだろう。

演出は自然で、画面構成もよく、テンポも心地よい、監督の伏水修は優秀で、名作『支那の夜』も監督するが、1942年に結核で若死にしてしまう。

この作品の時、原節子は19歳だが、実に堂々と演じていて、多分彼女はこういう積極的な女性を本当は演じたかったのではないかと思う。

伏水修は、原節子が唯一結婚したかった男性と言われているのも頷ける映画である。

原作は丹羽文雄で、戦後大映でも山本富士子主演で作られているそうだが、ぜひ見てみたい。

横浜市中央図書館AVコーナー

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