大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさすらいます。

「映画監督・小林正樹」 小笠原清・梶山弘子 岩波書店

2018年01月19日 | 映画

小林正樹は、新藤兼人と並んで、私は苦手な監督である。理由は簡単で、すごいとは思うが、まじめすぎて息をつくところがなく疲れてしまうからだ。

この大著は、小林自身の自作解説もあり、非常に面白い。『人間の条件』の主役は、にんじん側は、南原宏冶と有馬稲子だったが、小林監督の意思で、仲代達矢と新珠三千代になったという。原作の五味川純平も有馬稲子が理想だったようだが、それでは仲代の意味は半減したと思う。当時、仲代は新人の無名の俳優だったのだから。小林は、後の『日本の青春』でも新珠を起用しているので、新珠のような清潔な女優が好みだったのだろう。

中では、にんじんくらぶにいて、映画『怪談』の時に助監督を務めた小笠原氏の話が非常に興味深い。

なぜ、『怪談』が大赤字になり、ついにはくらぶの倒産にまで行ったのかと言えば、この時の製作の内山義重と高島道吉の非力さにあったとしている。彼らは、五所兵之助や新藤兼人の貧乏プロで製作してきた方で、大作の経験はなかったのだ。

製作条件で言えば、『人間の条件』の方が、ロケやエキストラの動員などは大変だったが、そこでは松竹の助監督たちが現場にいたので、小林正樹や撮影の宮島義勇らのわが儘に静止を掛けることができたのだ。

また、『怪談』は、当初東宝の藤本真澄からは、宝塚映画撮影所を提供するからという話が途中で消えたのは、藤本の若槻繁への嫉妬からだとしているのは頷ける見方である。一俳優プロダクションにすぎないにんじんくらぶが、大作の『怪談』を作るのは不遜だという見方があったのも、当時後退期にあった日本映画界から見れば、当然のことのように思える。

ただ、私は所詮は化物映画の『怪談』を宮島義勇のリアリズムで撮ろうとしたことが最大の間違いだったと思うのだ。世界怪奇映画史上でも不朽の名作である、中川信夫監督の『東海道四谷怪談』は、弱小スタジオの新東宝だったので、全篇が黒澤治安の美術、西本正の撮影で幻想的に作られていて、新東宝の予算不足を見せていないのであるのだから。

私は、遺作の『食卓のない家』以外、小林の映画を見ているが、中では『からみあい』と晩年の『化石』が好きである。

どちらもそうは力まずに軽く撮っているからである。

いつかは、私たちは『食卓のない家』を見ることができるのだろうか。

 

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砂川捨丸が抜けていた 『昭和芸人七人の最期』

2018年01月15日 | 大衆芸能

笹山敬輔の『昭和芸人七人の最期』は、よく調べてある非常に良い本だが、一つだけ気になるところがあった。

それは、エンタツ・アチャコに触れて、漫才の歴史について記述しているとことである。

近代の漫才の初めを玉子屋円辰にしているのは良いが、砂川捨丸について一切触れていないのは、どうかなと思った。

捨丸は、江州音頭の音頭取りでもあり、鼓を持つという古式の形態でありながら、近代漫才のしゃべくり漫才もやった人で、大変に人気のある漫才で、中村春代などのコンビでラジオ、テレビにもよく出ていた。

この人で有名なのは、『串本節』で、「ここは串本、向いは大島・・・」は、大変有名な歌で、全国に和歌山の串本を知らせることになった。

笹山氏は、富山の生まれだそうで、富山は関西文化圏なので、砂川捨丸も聞いていると思っていたが、捨丸は1971年に死んでいるので、1979年生まれの笹山氏は聞いておられないのも仕方ないのだが。

 

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帯状疱疹になって

2018年01月14日 | その他

左足の付け根に発疹が出て、腰や筋肉に張りも出てきたのは、6日頃だった。これは、1月1日にバス旅行に行き、一日座席に押し付けられていて、さらに少し歩いたことの性だと思っていた。

でも、少し長引くので、近所の医者に行く。初めてだったが、なんと受付に3月30日で閉院すると書いてある。

「こりゃだめだ」と思い、中も相当に汚れていてお世辞にも綺麗とは言えない室内だった。

だが、先生は「こりゃ帯状疱疹だな、いろいろな出方があるので、典型的ではないが帯状疱疹なので、薬を飲んでくれ」と言われ、すぐ近くの薬局で処方薬を貰うが、1週間分で6500円と相当に高い。

まあ、仕方のないことだと思い、寝るときには腰が痛いので、ロキソニンで痛みを抑えて過ごしている。

遠くに行くのは嫌なので、黄金町のシネマ・ジャックで『永遠のジャンゴ』を見る。

              

入口には、梶原俊幸君もいたので、「今年もよろしく」と新年の挨拶を交わす。

ジャンゴ・ラインハルトは、1960年代からチャーリー・クリスチャンと並び、伝説のジャズ・ギタリストだった。

言うまでもなく、ギターは、イギリスやアイルランドの楽器ではなく、アラブ、スペイン系の楽器である。

だから、カントリーやフォークでは、当初はギターはなく、フィドル、つまりバイオリンがギターの代わりをしていた。

幕末にペリーが来航し、その時彼らは、黒奴踊り、ミンストレル・ショーを日本人に横浜で見せた。

その時の浮世絵について、音楽学者で横浜市の助役も務めた方が、その楽器編成について、

「ギター、バンジョー・・・」と本で書いていたのには驚いた。それはギターではなく、バイオリンを横にしてリズム楽器として使用していたのである。

クラシックの学者は、ギターの由来も知らないのかと驚愕したものだ。

そのようにギターは、スペイン系の楽器で、アメリカのポリュラー音楽に取り入れられたのは、非常に遅くルイジアナなどのスペイン、フランス地域から北上した。

そして、東部のアパラチア山脈の石炭の鉱山地帯で下層の白人や黒人たちと交流し、カントリーやブルースになったのである。

だから、アメリカではギター音楽の発展は遅れていたので、ジプシー音楽だったジャンゴなどからも多大な影響をジャズは受けたのである。

ナチス政権下のパリでのジャンゴから始まり、国境越え等が描かれるが、「音楽家と弾圧政権」という図式で、やや退屈で寝てしまった。

最後、解放後のパリで、ジャンゴは虐殺されたジプシーらを追悼して「レクイエム」を指揮する。

 

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『戦場にかける橋』

2018年01月09日 | 映画

フィルムセンターの新年は、ソニーピクチャーズ特集で、『戦場にかける橋』を見る。

これを見るのは3度目で、最初は、私の一番上の姉が1958年に結婚し、その新居に私の兄などと遊びに行ったとき、白楽の映画館に連れて行ってくれた。

超満員で私はどうにか椅子に座って見たが、最期に機関車が爆破された橋から落下すること以外何も憶えていない。

二度目は、数年前にテレビで、見たがあまり強い記憶にない。

今回見て、これはすごい台詞劇で、明らかに反戦映画であると思った。

ビルマの山中の収容所にイギリス人捕虜が連れられて来て、クワイ川の架橋作業に従事させられる。このコーラスは『クワイ川マーチ』として日本でも大ヒット曲だった。

収容所長は早川雪州で、典型的な日本軍人を演じるが、描き方はそうひどくない。日本、イギリスへの描写は結構公平である。

                                     

それは、脚本のカール・フォアマンが、赤狩りに掛り、ハリウッドからイギリスに移った者だからだろう。

最初、イギリス人捕虜で、将校を労役に従事させるか否かで、早川との対立がある。ジュネーブ条約では、負傷者と将校は労役除外なのだ。

当初、イギリス人捕虜らは、このバンコクとラングーンを結ぶ鉄道の完成は日本軍を助けるものなのでサボタージュする意識もあった。

だが、捕虜代表のアレック・ギネスは、自分たちの手で橋を完成することが、自分たちの意欲向上にも繋がるとして、橋の設置場所の変更や設計変更をして建設作業に邁進させる。

映画の前半は、この収容所でのドラマが中心に進む。このくだりはすごい台詞劇であることに感心した。

後半は、戦場から脱出してイギリス軍に助けられたアメリカ人ウイリアム・ホールデンらによる橋の爆破計画になる。

現地の人間の協力を得て現場に行く細かい経緯があるが、最初の列車が通過する時、彼らが仕掛けた爆弾が破裂して橋は崩れ、蒸気機関車も川に落下する。

この爆破の経緯も細かく、一度は爆弾が見つかり、日本側にいるイギリス人が爆弾を除去しようとし、格闘になり、爆破側は殺されるが、除去側のイギリス人が死ぬとき倒れてダイナマイトに電気を点火するテコの上に乗って押してしまい爆破になるという皮肉。

                              

つまり、戦争には勝者も敗者もないという意味である。

最初と最後は空を飛ぶ鳥の姿であり、人間の行為の虚しさを表現しているのだと思う。

撮影は、セイロン、今のスリランカで行われたそうだ。

監督のデビット・リーンは、非常に興味深い人で、このビルマの他、『アラビアのローレンス』ではアラブを、『ドクトル・ジバコ』ではロシアを、『ライアンの娘』ではアイルランドと、西欧以外を題材としている。

イギリスには、こうした人間がいるもので、日本に来て『怪談』などを書いたラフカディオ・ハーンもそうで、彼は来日の前に、ギリシャやカリブ海に行っていて、その非西欧的な文化を称賛している。その延長線上に日本文化への共感があったのだと思う。

デビット・リーンは、1950年代に日本の女優岸恵子にご執心だったそうで、それは上手くいかず、岸は結局フランス人のイブ・シャンピと結婚してしまう。

一方、デビット・リーンはインド人女性と結婚したそうで、彼のオリエンタル趣味は一貫していることになる。

 

 

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やはり、間違っているのではないか 安部晋三年頭記者会見

2018年01月06日 | 政治

一昨日の午後、NHKを見ていたら急に安倍首相の記者会見になった。

例によって大げさな表現で無内容な台詞の羅列だったが、憲法改正については根本的に間違っているように感じた。

彼は、憲法を「国のあるべき姿、理想の姿・・・」の定めと言っていたが間違いである。

憲法は、もともとは国民が権力(国家)の力を抑制するための最低限の事柄を決めたもので、国の理想像ではない。

ともかく、彼は「上から目線」で、国民に命令することが政治だと思っているようだが、これも完全な間違いである。

その意味では、安部晋三様は、北の国の首領様と大して変わりないことになる。

 

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『昭和芸人七人の最期』 笹山敬輔(文春文庫)

2018年01月05日 | 大衆芸能

七人の芸人とは、榎本健一、古川ロッパ、横山エンタツ、石田一松、清水金一、柳家金語楼、トニー・谷である。

エノケン、ロッパ、エンタツらについては、ほとんど知っていたことばかりだが、石田一松、清水金一、柳家金語楼、トニー・谷については初めて知ったことも多くあった。

そして、みな早世しているのだが、ロッパの57歳、石田一松の53、シミキン54歳は異常としても、エノケン65歳、エンタツ74歳、トニー・谷の69歳は、そう早かったわけではない。

当時の平均年齢から見れば、少し早いなという程度である。私の父は、1901年生11月まれで、1960年3月に死んだので58歳だった。脳梗塞で一度倒れたのに、ほとんど養生をせず、降圧剤も飲んでいなかったのだから再発したのも仕方なかったのだろう。要は、自分の体に自信があり、年をとったらそれなりの対応しないといけないという今の「健康思想」はなかったからである。

芸能人ではそれ以上で、体が悪いと知られると仕事が減るとして隠して活動し続け、病気が見つかった時は手遅れというのが普通だった。

この芸人に共通する要素として、今のテレビ芸人とはまったく違い、芸があることだが、音楽、特にアメリカのポピュラー音楽とダンスの素養があったことである。

柳家金語楼はどうかと思われるかもしないが、彼もジャズが好きで、金語楼バンドを持って実演したこともあるのだ。

まあ、芸人とは歌が上手いことが最低の条件で、それはタモリや渥美清、森繁久弥を見てもそうだろう。

作者は、アクションで人気者になった芸人が、泣かせる芝居になることを「堕落」のように見なしているが、それは体技が肉体に依拠している以上無理なことだろう。

それはチャップリンやキートンも同じで、チャップリンはドタバタ役者を辞めシリアス役者になって成功した。キートンはそれを拒否したので晩年は苦労しようだ。

               

「のんき節」の、タレント議員第一号の石田一松で、彼は1946年の戦後最初の衆議院選挙に出て当選し、以後国民民主党議員として活動した。三木武夫についていて、天皇の下で「民主と愛国」を実現させるものだったようだ。

読んで一番驚いたのが、「1951年の日米安保条約締結になる「講和条約締結」に際し、アメリカとの「単独講和」に反対していることだ。この時、中曾根康弘も投票を欠席したそうだ。中曾根の行動には、彼の日本自立論があったのだろうが。

さらに、驚くのは、石田は、1955年の砂川基地反対闘争の時、現場に来て「のんき節」で反対運動を激励したとのこと。

沖縄問題を何も知らないで平気な今井絵里子とはレベルが違うね。

さて、この七人の芸人たちが今のテレビ芸人たちと、まったく異なる体験をしているのは、言うまでもなく戦争である。

大岡昇平は『武蔵野』で「戦争を知らない人間は半人前である・・・」と書いたが、とすれば今のテレビ芸人は永久に半人前だろう。

 

 

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正月番組は大嫌いで、だからなるべく家にいないようにしています

2018年01月04日 | テレビ
お題「楽しみにしているお正月番組は?」に参加中!

正月番組は大嫌いで、なるべく見ないため家にいないようにしています。

二流芸人の、つまらないお遊びを見せられるのが嫌なのです。

正月は、前年の番組で評価の良かったものを再放送すれば良いと思う。

何も特別番組を作る必要はないと思うのです。

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深水三章、死去

2018年01月04日 | 演劇

朝刊に、俳優の深水三章が死んだことが出ていた。70歳。私とほぼ同じなのだ。

彼は、ミスター・スリム・カンパニーを主催し、そこは結構人気のある劇団だった。

                                  

日活ロマンポルノにも出ていたほか、テレビにも出ていて、女優の萩尾みどりと結婚していた時期もあった。

喪主となっている兄は、深水龍作なのだろうか、彼も俳優をやっていたはずだが。

まあ、お互い体には気を付けないといけないなと思う。

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『極楽島物語』

2017年12月31日 | 映画

1957年の東宝で公開された宝塚映画。原作は菊田一夫、監督は佐伯幸三、撮影は岡崎宏三で、カラー・スタンダードサイズ。

日本でも各社がシネスコになるのは、この年夏ごろからである。

始まってタイ舞踊のような踊りが披露されるが、タイトルがない。下村健さんによれば、これはプリント原版で、これにオプチカル処理をしてタイトルを入れたもので、そのオプチカル処理前の版だろうとのこと。

          

タイ舞踊から始まるが、、日本人との混血の宮城まり子の歌に「焼き鳥ソング」があり、きちんとサテーと言っていて、「テレマカシ」も出るので、インドネシアのことだろう。

南方に向かう輸送船が攻撃されて島に着く。船には、元刑事の三木のり平、スリの有島一郎、パーマ屋の谷晃、太刀川洋一など、多様な連中が乗っていて小隊長は河津清三郎。その他、岩井半四郎もあるが筋はなし。

要は、のり平と有島の掛け合いの芸、突如現れる森繁久彌のインチキ踊り、なぜかいる榎本健一とトニー・谷の宝探しの怪しげな二人組などの歌や踊りを見せるのが主眼で、テーマなどはどうでもよい。

一応、村娘の草笛光子と兵隊でインテリらしい佐原健二の恋愛もあるが。

最後は、もちろん、1945年8月15日の敗戦で、みなが帰還するところで終わり。

「昔の芸人は芸があったな」とつくずく思う作品だった。

ラピュタ

 

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なぜ醜い顔の連中がテレビに出てくるようになったのか

2017年12月29日 | テレビ

最近、テレビを見ていると、芸がないとか、下品とかいう以前に、顔自体が醜い連中がテレビに出ている。

なんとかジュニア、小藪なんとか、松本というのもよく見ると醜い顔であり、ひげ面は不快そのものである。

私の知合いは、春日なんとかの顔が嫌いだと言っていたが、まあそうだろう。

その点、明石家さんまは、なんといっても芸があり、いやらしさは感じられない。

どうしてこのように醜い顔の連中がテレビ画面上に出てくるようになったのだろうか。

                             

 

 

さて、私は佐野周二という役者が好きである。

佐野は、言うまでもなく戦前は、上原謙、佐分利信との松竹三羽烏だったが、戦後はフリーの立場で多彩な作品に出ている。

東映の内田吐夢作品に、近松門左衛門の浄瑠璃を原作とした『暴れん坊街道』がある。

ここで佐野は、零落する武士の悲劇を演じるが、中でお尻丸出しの褌の人足姿を見せる。内田監督は、佐野を「偉い」といったそうだ。

また、川島雄三監督で、池内淳子の主演の『花影』では、青山二郎をモデルとした、天才的骨董評論家だが実は金にいつも不自由していて、寸借詐欺的な男を演じる。よくも、かつての二枚目が、こんなひどい役を演じるのかと思うが、そこに少しの卑しさも感じられない。

この違いは、なんに基づくのだろうか。

私の考えでは、戦前までの映画界は、内部はともかく社会的には、きわめて評価の低い社会だった。

だからこそ、戦前の映画人は、「われわれはきちんとしているのだ」との誇りがあり、自己を律していたと思う。

しかし、今はテレビ界は日本社会の頂点にいるようだ。

だから、そこに出ている我々は偉いのだと錯覚しているらしい。

そのことがよく分かったのは、例の不倫問題で、宮迫なんとかが不倫現場を撮られた時の横柄な態度である。

そこには傲慢不遜しか感じられなかった。

だが、平家物語ではないが、驕るなんとかは久しからずである。

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『江戸の夕映え』

2017年12月26日 | 映画

1954年、松竹京都の時代劇だが、原作は大佛次郎、脚本久板栄次郎、監督は中村登である。

幕末の江戸の旗本の若者の市川海老蔵と尾上松緑、いずれも先代である。

           

海老蔵の叔父も、先代左団次で、今の左団次とは違い優男の二枚目で、謹厳実直で囲碁が趣味。

若者二人は鳥羽伏見には参加したが敗れて江戸に戻り、彰義隊には加わらず、海老蔵は榎本武揚の函館に行く。

彼には許婚の嵯峨三智子がいたが、彼女に去り状を渡して品川から沖に向かう。この辺の船頭の親父が江戸っ子の心意気で沖に逃がすあたりがいい。

五稜郭戦争も負け、行方知れずになった海老蔵。

松緑は、芸が身を助けるなんとやらで、芸者の淡島千景の世話になり、屋敷を引き払って裏町に時代だから仕方がないとと生きている。

左団次は、囲碁の教場を開くが、「肩が凝る・・・」と言って人が寄り付かない。

最後、海老蔵は江戸に戻っていたが失意の中で無頼の徒の中にいたが、偶然松緑と淡島に助けられ、嵯峨三智子とも再会できる。左団次は、妻の夏川静江とともに、徳川慶喜が行ったという静岡に行くことにする。

嵯峨三智子に横恋慕する東征軍参謀が近衛重四郎で、これも面白い配役。

大佛が、菊五郎劇団に当てて書いた戯曲なので、海老蔵、松緑、さらに左団次のニンをよく生かした劇になっていた。

また、戦後の日本の米軍による占領の状況が反映しているように見えた。保守的リベラリストだった大佛にとっても、戦後の米軍占領時代は不愉快だったのだと思う。

音楽は時代劇には珍しい黛敏郎。

衛星劇場

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まったりトーク 岡田則夫さん

2017年12月23日 | 大衆芸能

小島豊美さんの「まったりトーク」の案内が来て、講師が岡田則夫さんだったので、神保町のきっさこと言う店に行く。

基本はジャズ喫茶らしいが、ここで小島さんが主催する「よろず長屋まぅたりトーク」https://www.facebook.com/yorozunagaya/photos/gm.1980191135577447/514596265581426/?type=3

岡田さんは、多分日本で一番SPレコードを持っていると言われる方で、特に芸能や記録関係は日本一である。全部で2万枚はあるだろうとのこと!

この夜の話にもあったが、SPレコードのコレクターのほとんどは歌謡曲、流行歌だそうだ。岡田さんは元々は子供の時から落語が好きで、本郷に住んでいたので、洋服屋だった祖父に連れられて上野などの寄席に通っていたとのこと。

当時は落語の本などほとんどなく、唯一あった正岡容の本で、即魅了され彼の本やその他演劇関係の本や雑誌を読むようになり、実際の話を聞きたいとSPレコードに収録されたものを集めるようになったとのこと。

正岡は、早熟な少年で、詩や小説も書いたが落語が好きで本当に落語家の弟子になり、高座に上がりSPも出していて、まずはそれを聞く。決して上手いものではないが、私が知っている範囲では、昔の金馬に似た比較的わかりやすいしゃべり方である。

演説や講習のレコードも掛ったが、松下電機のサンマー電球の広告のSPも奇妙なものだった。ラジオでも流したようだが、電気店の店頭で再生してPRしたものでもあったようだ。その他、電話交換手の会話のレコード、算盤の読み上げなんて言うものもあるそうだが、この夜掛けたのは、大阪の小学生の読本の読み方の模範レコード。模範なので、関西弁の標準型で、言ってみれば中山千夏の台詞の抑揚に似ていた。彼女は生まれは宮崎のはずだが、すぐに大阪に来て、大変に人気の子役になる。

一番変なのが、戦時中の模範的国民の勧めのようなSPで、『海行かば』をバックに日本放送協会の和田信賢アナの荘重なお言葉。岡田さんのお話だと戦時中はよく掛けられていたもののようだ。いずれにしても、その時代がよくわかるSPである。

 岡田さんも、ヤフオクも使うこともあるようだが、能率的にやったのでは仕事みたいで面白くなく、いろいろと探してやっと見つけること、その過程が楽しいのだそうだ。要は遊びであり、道楽なのだとのこと。まったくその通りだと思う。

先日、黒澤明の『明日を創る人々』の小型のポスターがあり、私も10万円までは入札したが、バカらしいので止めた。なんと21万円だった。21万円なら、その分、映画や芝居を見る、あるいは本やLPを買う方が良いと思う。

 

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『ロマンス娘』

2017年12月23日 | 映画

墨田区千歳1丁目にある、渡辺信夫さんがやっている私立図書館「跳花亭」http://choka-tei.at.webry.info/の仲間の楽しい食事しながらの毎月の映画会。

1956年の東宝映画で、美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみの三人娘映画としては、『ジャンケン娘』に次ぐ2本目。

監督は杉江敏男、脚本は井手俊郎と長谷川公之、音楽は神津善行。

3人の相手役は、宝田明、江原達怡、井上大助。

女子高生の3人が夏休みにデパート(銀座松坂屋)アルバイトをする。彼女たちの対応が非常に親切だったとの投書があり、それは社長の小川虎之助。

そこに、孫だと偽って幼女を連れてくる詐欺師的男が森繁久彌。彼は実は、花井蘭子の別れた夫で、雪村いずみの父親であることが最後に分かる。

筋はどうでもよく、3人の歌と踊りを見せるのが主眼である。

今見ると圧倒的にひばりがどれも上手くて、チエミは悪くないが、いずみはほとんど素人のように見える。ただ、雪村の父親(朝比奈愛三)は、戦前に法政大学のハワイアンバンドのメンバーだったことがあり、SPも出ている。

最後は、3人と男が二人乗りの自転車(タンデム)でハイキングに行くところで終わる。

今回見て分かったが、3人の自転車のシーンは全部スタジオ撮影で、江の島らしい海岸道路の実景は吹替えのようだ。

実は、この映画は封切り時に池上劇場で見ているのだが、全部ロケーション撮影だと思っていた。

監督の杉江敏男は、黒澤明の助監督(『姿三四郎』)もやった人で、完ぺきなコンテ主義で効率的に作品を作ったようだ。非常によくできている映画で感心した。

この中で、ご健在なのは、宝田、江原の他、雪村いずみだけだが、ワンカット出てくる劇場支配人の佐田豊さんもご健在のようだとは喜ばしい。

 

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『奇跡の丘』

2017年12月19日 | 映画

イタリアの監督パゾリーニが最初に世界的な監督になった作品。

中身は、キリストの生涯で、マタイ伝等とほぼ同じ進行である。

役者はほとんどが素人らしいようで、当時に現場で撮影した本物のドキュメンタリーを見ているような気がしてくる。

もちろん、最後は磔にされて死に、埋葬されるが墓の蓋を開けると空で、キリストが現れる。

           

 

キリストの再生を信じる人はいて、プロテスタントの再洗礼派はそうだそうだ。

ほんとかしら、と言いたくなるが。

このキリストが復活した地が、エルサレムの聖墳墓教会である。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教がなぜこの地に聖地を持っているかと言えば、この辺が砂漠に囲まれた地域で、唯一水に恵まれた場所なのだからだそうだ。

大学での英文聖書の授業の時、唯一憶えていることである。

われわれ日本人には、理解しにくいが、水はすべての源なのだから一番重要なものなのだ。

パゾリーニは、大変な「スキャンダル監督」で、最後は同性愛の青年に殺された。

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『面影三四郎』

2017年12月15日 | 映画

藤田進と言えば、姿三四郎で、これと加藤隼戦闘隊の加藤大尉などの軍人役だけで映画史を生きた役者も珍しい。

他に印象に残る役と言えば、黒澤明の『隠し砦の三悪人』の、悪役から善人側に寝返る武士くらいだろう。

            

1949年の大映作品なので、ここでは姿三四郎に面影が似ている大学生の宇津木となっていて、大学選手権で小坂の伊沢一郎と対戦し、山嵐で勝つ。

その直後に召集令状が来て軍隊に行き、戦後4年目の廃墟のような東京に現れる。

宇津木が世話になっていたヤクザの親分見明凡太朗は、藤田の勝利の日に脳梗塞で倒れ、子分だった河津清三郎が縄張りを作って悪事を重ねていて、見明凡太郎の組を乗っ取ろうとしている。

河津は藤田を自分の組に入れようとするが、藤田は拒否して輪タクの運転手になる。

だが、そこにも河津の手が伸びてきて妨害されるので、最後藤田は河津らを撃退して、魚屋の娘の若杉須美子と一緒になることが示唆されて終わる。

この若杉須美子は、どこかで見た女優だと思ったら、後の新東宝の傑作『東海道四谷怪談』の若杉嘉津子だった。

監督は多様な作品の多い久松静児で、やはりうまい。

この人は、かなり訛りのひどい人で、撮影中も何を言っているのか、スタッフ、キャストはろくに分からず、それでも順調に撮影は進行したとのことで凄い言える。

横浜市中央図書館AVコーナー

 

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