大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさすらいます。

全部の資料を移動させましたので。

2017年02月17日 | その他

このブログを事情があり、別のサイトに移動させましたが、コメントも含めて全部移動させましたので、どうぞよろしく。

サイトは以下のアドレスです。

http://sasurai.biz/

 

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ブログ移転のお知らせ

2017年01月27日 | その他

 このたび事情があり、ブログを移転しました。

以前は、別にホームページを作っていたのですが、この間やっていて日々の記事は結局ブログが中心となったので、そこを中心にホームページを作ることにしました。

まだ、全部の記事が移動できていませんが、順次移動させていく予定ですので、よろしくお願いいたします。

あたらしいサイトはhttp://sasurai.biz/になります。


 

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不正受給はあるのか 生活保護問題

2017年01月27日 | 政治

小田原市の生活保護担当が不適切な文言のジャンパーを着ていて問題となっている。

だが、反対に生活保護についてよく言われるのが、所謂「不正受給」であろう。

虚偽の申請で多額の保護費を受給し、高級車を乗り回しているというのが、あたかも真実のように語られる。

だが、本当だろうか。

私は、横浜市のある区にいたとき、2年間保護費の支出の担当課長を務めたことがある。

その時は、平塚市で生活保護担当の職員が保護受給者とのトラブルで刺殺された事件があったが、私も不正受給の男が窓口で暴れたので、取り鎮めに行った際に、腕を噛まれたことがある。

こうした生活保護についてのトラブルには国に見舞金制度があり、私も厚生省の担当部長名の見舞金をいただいたものだ。

                       

さて、私が担当していた時、不正受給案件があった。

それは、ある生活保護担当係長が調べて摘発した案件だった。

どのようにして調べたかは忘れたが、ある高齢の女性が二重に受給していたというのだ。

その方は、夫が元軍人で、軍人恩給を受給していたのだが、それを隠し「高齢で生活ができない」とのことで、保護を申請し、数年間受給していたのである。

指摘して保護費の返還を命令すると、200万円をそっくり返してきた。すなわち、受給した保護費を全部銀行に預金してあったというのだ。

その区で、生保世帯は1,000件くらいだったから、その時の不正受給は1,000分の1となる。

まあ、その程度のものだろうと私は思う。

生活保護は、世界的にも大変に優れた制度で、日本では地震等の大規模災害が起きたときでも、略奪等が起きることは極めて少ない。

欧米では、大規模災害が起きると多くは、組織的略奪が起きることがある。

その差の大きな理由の一つは、この生活保護制度の存在ではないかと思う。これによって最低限の生活が保障されているからである。

 

 

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『若き日のあやまち』

2017年01月26日 | 映画

1952年の新東宝映画、脚本は植草圭之介と菊島隆三、監督は野村浩将で、主演は言うまでもなく左幸子、映画デビュー作。

昔、キネカ大森で開かれた彼女の特集のとき左幸子は、これと日活の『踏み外した春』は、まさに自分の人生を象徴しているような題名だと言っていたが。

女子高生の左は、父親は医者の十朱幸雄で、裕福な家である。

彼女は大学生松本朝夫らとスキーに行ったとき、彼とキスしたという噂をわざと校内で流行らせる、ませた娘である。

当時すでに20歳は越えていたはずだが、小柄で童顔なので、高校3年生はおかしくない。

             

 

校内では、彼女の言動が常に問題となっていて教頭の一宮敦子は厳しく対応せよと命じるが、担任の相馬千恵子はやさしく善導しようとしていて、友人の研究者竜崎一郎も同じ思いだった。

ある時、左はパチンコ屋で、不良大学生と知り合い、ダンスホールに誘われ踊っていると急に雨が降ってきて、ホテルに行くはめになる。

翌日の卒業試験を左は休み、ことがばれてしまうが、それでも相馬は左を信じている。

そして、実は相馬も若い時、あやって好きでもない男とあやまちを冒したことがあることを告白し、皆は感動する。

「だから、そんなこと関係なく強く生きていくのよ!」と左を励まし、左も無事卒業式に出る。

これは言うまでもなく、当時多く作られていた「性典もの」映画の1本であり、若尾文子のヒット作の先駆けである。

今から見るとどうということもなく、大して面白くもないが、当時いかにセックスの描写が中途半端であり、いわばおそるおそる触れるものだったかが分かる映画である。

8年後、1960年の大島渚の『青春残酷物語』では、女子高生の桑野みゆきが堂々と大学生の川津祐介と美人局で、金を得るようになるのだが。

衛星劇場

 

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石原裕次郎の最大の被害者だったが

2017年01月24日 | 映画

松方弘樹が死んだ、74歳とはあまりに若いが、ガンの一種であるリンパ腫では仕方がないところだろう。

「この男も、石原裕次郎の被害者だったな」と思ったのは深作欣二監督の映画『恐喝こそ我が人生』を見たときだった。

よく見れば、彼はすごい二枚目で(実際には大変な色気もあるそうだが)、そのままロマンのヒーローを演じればよいのに、わざわざ汚れ役の不良を演じている。

これは、1950年代に石原裕次郎がデビューし、日本映画の二枚目男優が追放されて以来の、スター男優の宿命であり、その一番大きな被害者が松方弘樹だったと私は思う。

菅原文太や渡哲也のような、本来は美少年に属する者も、裕次郎の被害者の一人であると思う。

裕次郎が出る前のスター俳優は、いうまでもなく二枚目で、女性に甘く愛をささやく、上原謙を代表に、戦後でも鶴田浩二と三船敏郎はマッチョな面も持っていたが、基本的には二枚目俳優がスターだった。

だが、石原裕次郎が大人気を得てからは、ただ甘いだけの二枚目は不要になり、日活でも葉山良二は二線級に、三橋達也は日活から去ることになった。

松方は、父近衛十四郎の力もあり、若くして東映に入ったが、決して十分な場所を得ていたわけではない。

一時は、亡くなった市川雷蔵の代わりとして大映で、「眠り狂四郎」や「若親分」、「忍びの者」などもやらせられたくらいで、まあ不遇だった。

その意味では結構器用な役者だったともいえる。

1960年代で最大のヒット作は、『893愚連隊』と『恐喝こそ我が人生』で、どちらもチンピラの役であり、大スターではない。

                                              

 

その大物ではないところが、群集劇である『仁義なき戦い』でヒットしたのだから、世の中は皮肉なものである。

話は変わるが、日本映画から二枚目を追放したのが裕次郎の日活なら、同様に映画から美女を不要にしたのもロマンポルノであり、これも日活である。

そこでは脱げば誰でもよいので、美女はいらなくなったのであり、さらに美女の持つ不自然な芝居もなくなってしまったのである。

だが、映画は基本的に美男美女を見せるものであり、それは韓流の人気がよく示していると思う。

さて、たぶんずっと石原裕次郎の影響を感じていたはずの松方弘樹が、裕次郎の影から脱したのは、テレビのバラエティでのひょうきんさであり、これは本来的にまじめで紳士の裕次郎にはできないものだった。

いかに彼が裕次郎の影響下にあったかの証拠に、船と海への執着があげられるだろう。

ここでも裕次郎のヨットの代わりにクルーザーがあり、海釣りがあった。

これは元々本人が好きだったようだが、石原裕次郎の趣味の延長線上にあったものだと思う。

かつて仁科明子を奪ってわれわれを悲嘆にくれさせた憎い男だが、どこか憎めないのも松方弘樹の良さで、それは育ちの良さだと思う。

ともかくご冥福をお祈りしたい。

 

 

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隠れた傑作 『昼下がりの暴力』

2017年01月24日 | 映画

監督の野口博志は結構いい監督で、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリーズなど当たりはずれの少なく、昔から好きだったが、これは傑作だった。

新宿の暴力団のボス菅井一郎は、最近の落ち目から麻薬の取引をすることになり、部下の水島道太郎にやらせる。

菅井の女は筑波久子で、当時(1959年)は日活のトップ女優だったが、いかにも腰軽なギャングの情婦にぴったりで、実は水島とできている。

                      

 

水島の子分でチンピラの川地民夫に手伝わせることにするが、彼は元は船員に憧れて上京してきた真面目な男で、バーの女稲垣美穂子と恋仲で、彼女は暴力団連中と手を切らせようとしている。

水島は、菅井の金を持って取引場所の箱根の山に行き、関西のギャングと麻薬を取引するが、水島は彼らを全部殺してしまい、現金と麻薬を取って逃亡する。

逃げた場所は、東京湾の島で、どうやら横須賀の猿島らしいが、今とはかなり形状が違う。

菅井は、海軍時代の戦友で殺し屋の宍戸錠に金を渡して、菅井をキャバレーで射殺させる。

最後、島に水島、宍戸、筑波、川地が集まり、さらに関西ギャングも来るが、その一人は後に鈴木清順作品によく出た長弘である。

宍戸と水島との銃撃戦では、音だけ聞こえて、二人の姿は見せず、宍戸が現れると花の匂いを嗅いで倒れて死ぬ。

あれ、どこかで見た映画だなと思うが、鈴木清順の名作『殺しの烙印』であり、この旧日本軍の軍事遺跡での銃撃戦といい、そっくりである。

鈴木は、野口のチーフ助監督だったこともあり、彼からの影響を言っているので、『殺しの烙印』のヒントの一つではないかと思えた。

撮影も永塚一栄で、音楽も山本直純と『殺しの烙印』のスタッフである。

もちろん、最後は水島、筑波は死に、関西やくざも警察に捕まり、川地は、稲垣美穂子の声に励まされて真面目に生きることが暗示されて終わる。

水島道太郎も菅井一郎も私のひいきの役者なので、見てるだけで楽しかった。

阿佐ヶ谷ラピュタ

 

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『アラビアの女王』

2017年01月23日 | 映画

20世紀の始まり、イギリスに生まれ、富豪の娘として社交界にデビューするが、相手が見つからないベルは、叔父が赴任していたペルシャ(イラン)のテヘランの大使館に行き、そこの美しさに魅了される。

また、アラブの人が誇り高く自由に生きているのにも感動する。

イギリスは、当時から今日に至るまで強い階級社会であり、多くの人はその階級の中でしか生きられないようだ。

そこから、中東の文物、地理、民族の研究、考古学に進み、後にカイロにあったイギリス・アラブ局の責任者になったガールトールド・ベルの生涯を描く作品。

監督・脚本は、ドイツの監督ベルナー・ヘルツウォークで、主演はニコール・キッドマン。

                          

 

ベルの業績で最大のものは、中東地域の境界線を決めたサイクス・ピコ協定の原案を作ったことである。

図らずも、今年はサイクス・ピコ協定締結100年で、今に続く中東の紛争の原因を作り出した元凶だとも言える。

だが、彼女や、アラビアのローレンスのT・E・ローレンスらが意図していたのは、もっとアラブの自治を認めるものだったようだ。

アラブの現地の撮影は、ヨルダンとモロッコで行われたようで、砂漠の景観は実に素晴らしい。

ただ、描写は比較的淡々としており、D・リーンの『アラビアのローレンス』のようなドラマ性を期待すると当て外れになる。

私の席の後ろでは鼾が聞こえた。

D・リーンも中東やアジアへの興味が強かったが、ヘルツウォークも南米での『アギーレ』『フィッツカラルド』など、異国趣味があるようだ。

古くは小泉八雲に代表されるように、欧州の人の中には、アジア、アラブ、ラテンアメリカ志向の人間がいるが、こうした方は、我々の先人で、その遺産に大いに感謝せねばなるまい。

文化人類学が植民地学であり、考古学もその源流の一つであったことがよくわかる映画である。

黄金町シネマベティ

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途上国ほど最新の技術が入る アジア・ポピュラー音楽講座・西アジア編

2017年01月22日 | 音楽

昨日は、サラーム海上さんをお迎えし、「アジア・ポピュラー音楽講座・西アジア編」を南区しみん活動多文化共生ラウンジで行った。

初めに、92年に行われたウォーマッド92から、中村とうようさんの今回の趣旨の説明の後、パキスタンのカワーリーのヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのライブを見た。

ヌスラットは、1987年の初来日以来、3回来て、日本中に大きな感動を与えたが、本来は来る予定だった福岡アジア文化賞へは結局病気で来なかったそうで、この1992年の来日が最後の日本公演になった。

さて、サラームさんは、先週までインドに行っていたそうだが、インドではお財布携帯がどこでも使用されているとのこと。

というのも、インドではタンス預金の調査と洗い出しのために、新紙幣への交換が行われているそうで、それもあってお財布携帯が急速に普及したとのこと。

一般に、新技術は途上国ほど早く普及するといわれている。

例えば、交通を考えれば、近代西欧社会では、鉄道、道路、港湾、空港と発展し、日本もほぼそうだった。

だが、途上国では鉄道や道路を整備するよりも、いきなり空港を作った方が安価で便利になる。

また、電話でも、膨大なケーブルを国中に敷設するよりも、高い鉄塔を立てれば、携帯電話は可能になるので、中国等の大きな国では急速に携帯電話が普及した。

サラームさんからは、実際に彼が現地に行き、撮影した映像、MTV、さらにネットの映像などで、イラクからイスラエルまでの古典と細心の音楽までもが紹介された。

中で、個人的にはエジプトの大女性歌手、ウム・クルスームのライブ映像には非常に驚いた。ユーチューブからのもので、大オーケストラを従えての歌唱で、LPは持っているが映像は初めて見た。

                      

 

さすがの貫禄の歌唱だなと思った。昔、英語を習ったときに、ケネディの平和部隊でエジプトでクルスームのライブを見たことがあるという先生の話を思い出した。

公演は夜9時ごろから始まり、夜中まで彼女は歌う。そして一旦彼女は家に帰るが、観客はずっと劇場で待っている。

そして、明け方にクルスームは舞台に戻ってきて再び歌うというのだ。

昔、小泉文夫さんは、「クルスームの公演の翌日にはカイロの人間のすべてが彼女の歌を口ずさんでいる」と書いていたが、どうも本当のことのようだ。

実は、サラームさんも、小泉文夫さんのラジオ番組で世界中の音楽を聴き好きになったとのこと、それは私も同じだった。私の場合は、小泉さんの前に、作曲家柴田皆雄先生の現代音楽の紹介があったのだが。

 

サラームさんのお気に入りはトルコのようで、カッパドキアの音楽フェステイバルは非常に面白そうだった。

まだ、2回目だが、例の奇蹟のカッパドキアで行われているフェスティバルで、そこにそこに相応しいジャンルの音楽を中心にした音楽祭とのこと。映像で見ても非常に興味深い音楽祭のようだ。

また、ジプシー音楽の最新のトリオのタクシン・トリオは非常に素晴らしい音楽だった。そこではエレキ・サズーが使われていた。

このように、伝統的な楽器をエレキ化して新しい音楽を作るのはインドから西アジア全般でよく行われていることだが。

トルコは実は多様な音楽があるそうで、これはトルコが中東地域で唯一、政教分離、世俗化を早期にとった国だったことが原因だとのこと。

だが、今のエルドアン首相は逆戻りをさせていて、それがISのテロを生むなど、非常に問題の政権であるとのこと。

最後はイスラエルのジャズ・トリオで、基本的にジャズだが、どこかイスラエル的というか、東欧のクレッチマー的なところが面白い。

ともかく、「アジアは一つではなく、どこの多様である」ことを改めて確認した。

「アメリカ、ファースト」のおかしさの極限の大統領も出たが、まさに世界をなにも知らない愚か者というしかないだろう。

 

 

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『花の幡随院』

2017年01月21日 | 映画

歌舞伎の幡随院長兵衛を主人公とした時代劇大作で、長兵衛は先代松本幸四郎、妻が山田五十鈴、白井権八が津川雅彦、吉原三浦屋の太夫小紫が嵯峨三智子、そして故郷の因幡で強引に愛人にされたのが中村珠緒で、彼女だけが大映。

監督は、当時松竹京都の時代劇の筆頭監督だった大曾根辰保、脚本は鈴木兵吾などで、1959年の芸術祭参加作品。

江戸で愚連隊のように暴れている旗本白柄組の頭領水野十郎左衛門が森美樹というのが少々弱い。彼は背も高く、ルックスもよく松竹京都のスターだったが大根で、嵯峨三智子とも恋仲だったが若死にした。

長兵衛と白柄組との対立を作り出すのが、津川の白井権八で、これには当時の太陽族の不良少年の影響が感じられる。

だが、ここではこの対立は、白柄組などの愚連隊の旗本を取り締まる松平伊豆守・大木実の計略という外形が用意されている。

最後、歌舞伎のとおり幡随院長兵衛は水野の屋敷の湯殿で殺されるが、森美樹以下、須賀不二夫、山路義人、天王寺虎ノ助らも切腹を命じられる。

                        

 

それを伝達するのは田村高広であり、この映画に出てないのは佐田啓二くらいだろう。

一つだけおかしいところを指摘すると、冒頭水野らは池上本門寺の祭礼に馬で乗りこんで来て、供物だとして犬の死骸を投げる。

だが、本門寺には96段の急な石段があるので、馬では登れないのだ。もし、馬で登れたら、まさに寛永三馬術である。

 

この頃が、松竹の、特に京都撮影所の最後の輝きで、1960年代の中頃には閉鎖され、子会社の京都映画社に代ったりする。

だが、テレビ映画で生き残り、今や完全になくなった松竹大船撮影所に代って多くの映画を作っているのは皮肉なことである。

関西人のしぶとさだろう。

衛星劇場

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『ロッシュフォールの恋人たち』

2017年01月20日 | 映画

古今東西に映画は多数あるが、これほど幸福な気持ちにさせる作品はないと思う。

               

 

いうまでもなく1967年のフランス映画で、監督はジャック・ドミー、主演はカトリーヌ・ドヌーブとフランソワーズ・ドルレアックの「世界で一番美しい姉妹」と言われた女優が、映画の中でも姉妹を演じている。

ドヌーブは、子供にバレーを、ドルレアックはピアノを教えているが、田舎町のロッシュフォールには飽き飽きしていてパリに行こうとしている。

そこの祭りに、旅回りのサーカスの一座が来て、そこのスターはジョージ・チャキリス。

また、ルグラン自身を思わせる作曲家でジーン・ケリーが出てくる。

冒頭から最後まで、町のすべての男女が踊っていて、またミシエル・ルグランのジャズが素晴らしい。

すべては寓話だが、そこには『シェルブールの雨傘』にも流れていた、男と女のすれ違い、青春の美しさと悲しみがあるのがミソだあると思う。

色彩とカメラが素晴らしいが、町中の建物は色を塗り直したそうだが、自由自在に動く撮影は、どのように撮ったのだろうかと思う。

この頃にまだハンディ・カメラはなかったので、複数のカメラを使って撮る、数少ないがフィックスの時はミッチェルで、移動撮影の時は特殊な撮影方法をとったのだろうか。

最後、すべてのすれ違いが収まり、ハッピーエンドに終わる。

娯楽映画はこうでなくてはいけないと思う。

私は、この映画は1978年に三鷹の映画館で見ている。

イマジカBS

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『青い夜霧の港町』

2017年01月20日 | 映画

日活のアクション映画のような題名だが、1956年6月の松竹大船映画、監督は溝口健二の書生をしていたこともある、酒井辰雄。

船が修理のために横浜に入港し、船員の大木実は上陸から港を見下ろす丘に行き、墓参りする。

すると女が来て、この女性もお参りする。大木は元ボクサーで試合で相手を殺してしまい、ボクサーをやめて船に乗ったのだ。

女性の島崎雪子は、その男の妻だったのだ。

                                                    

 

大木は、元いたジムに行き、ジムのオーナーの日守新一らと旧交を温め、彼は再びリングに立つことを薦めるが、大木はその気にはならない。

島崎雪子が水着でトレーニングしているので、なぜかと思うと彼女はモデルで、実際のファッション・ショーの場面もある。

当時は、女性がおすまししてシャなりシャなりと歩くもので、今のようないきなり飛び出してくるようなものではないのが興味深い。

島崎と大木はいろいろと再会し、恋心が募っていくが、島崎の義弟、つまり殺された男の弟の菅佐原英一は、「自分の夫を殺した男を好きになれるな!」と島崎を批難する。

なんと彼もボクシングをやっていて、日守が胃潰瘍で倒れた治療代のために、大木はボクサーに復帰し、興行師伊沢一郎の企みで、菅佐原との対戦に出ることになる。

結果は、大木の勝ちで、島崎と一緒になるかと見えるが、大木の船の修理が終わって出港するので、大木はボクシングを諦めて再び船員になって横浜港を出ていく。

ボクシングの場面も結構きちんとアクションしているが、大木、菅佐原の二人とももともとがメロドラマ的俳優なので、全体が非常に古臭い。

この作品の1か月前に、日活では石原裕次郎の『太陽の季節』が公開されて大ヒットし、翌月には裕次郎人気に便乗して初主演作品の『狂った果実』も公開されるのである。

つまり、時代は完全に日活のモダンで明るい世界に移行していくのである。

関係ないが、島崎雪子は、杉葉子、角利枝子と並び、藤本プロ3人娘と言われた女優で、大柄でルックスも悪くないが演技は下手で大成しなかった。だが彼女は、一度だけ大ニュースになったことがある。

それは松竹京都の助監督と結婚したという記事で、それはなんと神代辰巳だった。

神代の話では彼は、島崎の家の運転手よりも給料が低かったとのことだが、その後日活に移籍し、「渡り鳥シリーズ」の助監督として有名になる。

なぜかといえば、彼はチーフ助監督で、ロケ場所に先乗りして手配をするのだが、その場所の女性はみな神代のものになったことだったという。

また、監督の酒井辰雄は、溝口健二のところにいた経験を生かした女性映画で、嵯峨三智子主演の作品『こつまなんきん』は、結構いい作品だった。

島崎雪子と菅佐原英一は、まだご健在のようで、非常に喜ばしいことである。

衛星劇場

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『八十八年目の太陽』

2017年01月19日 | 映画

八十八年目とはなにかと思うと、この年、1941年は1853年嘉永6年に浦賀にペリーが来てから88年とのことだそうだ。

原作は高田保で、1940年12月に新国劇が東京宝塚劇場で上演したものの映画化で、1941年11月公開というまさに太平洋戦争直前の作品。

監督は時代劇が多いが、抒情的な作風の滝澤英輔で、彼は実は黒澤明に影響を与えていることは、彼の自伝に書かれている。

ここでの脚本は沢村勉で、チーフ助監督は田尻繁になっている。

海軍省後援、浦賀船渠協力となっているが、この浦賀ドックの工員、社員の話で、むしろ浦賀船渠の宣伝映画のような感じもする。

ミュージシャンとして家を出て東京にいた大日向伝が、妻の霧立のぼると浦賀に工員になろうと戻ってくるところから始まる。

彼の父徳川無声は、ドックの現場の係長で、先祖代々浦賀にいて為政者に仕えていたことを誇りにしている。

ドックでは海軍の駆逐艦が建造されていて、同時に商船も作られていて、造船所内は残業につぐ残業で皆頑張っている。

だが、戦時景気で好況の町工場から引き抜きがあるなど、横須賀の町は活況を呈している。

だが、工員は不足していて、同時に駆逐艦と商船の造船などは無理だが、皆精神でやり遂げようと威勢を上げる。

徳川無声の次男佐伯秀男が徴兵されて、盛大な出征の見送りの万歳が行われるのは湘南電鉄の田浦駅だろう。このときはまだ2両編成である。

大日向のところには昔の音楽仲間から、また楽団を作るから東京に来ないかとの誘いがあり、ある日大日向は浦賀を出て東京に行ってしまう。

 ついに浦賀を捨てたのかと思うと、大日向は工員を120人連れてきたのである。

そして、駆逐艦ハヤカゼは無事竣工するのである。

                                                              

 

まさに戦意高揚というか、増産運動映画である。飯島正先生は、「記録性と劇映画性が中途半端になっている」と批評しているが、むしろこの精神主義が不愉快だったのだと思える。

精神の高揚で増産ができるとは、まるで今の北朝鮮である。

放送大学の高橋和夫先生によれば、近代戦では人口と生産力で勝敗は決まるそうで、その最初がアメリカの南北戦争だったそうだ。

当初は兵士の士気が高く、将軍も優秀だった南軍が優勢だった。だが、次第に人口が多く、工業力の高い北軍が勝利する。

これは世界的に、第一次、第二次の世界大戦でも同じだったそうだ。

よく日本はアメリカの物量に負けたというが、物量の戦いことそが近代、現代の戦争なのである。精神主義で勝てるものではないのだ。

日本映画専門チャンネル

 

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大相撲の巧みな演出

2017年01月18日 | 相撲

久しぶりに大相撲に行って、その巧みな舞台演出に大変感心した。

                

 

前に行ったのは、15年くらい前で、パシフィコ横浜の社長の高木文雄さんが席が取れるからと、升席で見たのだが、偉い方と一緒だったのであまりよく見ていなかったのである。

まず、力士の呼び出しがよくできている。まず、呼び出しが東西の力士の名を呼ぶ。両者が土俵に上がると行司が改めて今度は非常によくとおる声で場内に叫ぶ。

さらに場内アナウンスがスピーカーで言う。

河竹黙阿弥は、芝居のセリフで重要なことは3回言え、と書いているが、ここでもきちんと3回四股名を呼んでいるのだ。

さらに、東西に電光掲示板があり、今どこで、今までの勝負の結果はどうだったかが一目でわかるようになっている。

そして仕切り、次第に盛り上がり、緊張してくる対決。

テレビでは、そこに来るとNHKが見せなく、また聞こえなくしてしまう懸賞だが、これも客の注意を高める。

「ああこれは注目の取り組みなのだな」と思わせる。

以前も、折口信夫説を引いて、相撲の本質は演劇だと書いたが、その運営方法も実に演劇的であるなと改めて非常に感心した。

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結局、中小企業の親父 ドナルド・トランプ

2017年01月18日 | 政治

アメリカ次期大統領のドナルド・トランプについて、いろいろ言われているが結局は中小企業の親父だろう。

不動産王というが、ただの大地主である。

一番よく似ているのは、北朝鮮の金日成である。あるいは、私がある局にいたときに付き合ったことのある小企業の社長だった。

そこは市と民間企業で共同で管理しているビルで、社長は民間企業の社長だった。

その方の経理報告では、年間何本の蛍光灯が切れるのかよくご存じで、「今年は2本切れたが、去年1ダース買っておいたので、支出はなかった・・・」等なのであるのには、感心すると同時に呆れた。

社長がそんなことまで把握しているのかと。

                   

 

昔、ポーランドの記録映画で『金日成のパレード』があったが、ここでのキム首領様は、国中の事柄にすべて口を出すおっさんなのであった。

あるホテルの客室で、ベッドの向きがよくないとして方向を変えさせたりして、係員は「首領様のご指導で直しました」と歓喜しているのだ。

今度の大統領就任式での演説も、トランプはスピーチライターは使わず自分で書くそうで、まさに中小企業の親父のセンスであると思う。

 

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稀勢の里、白鳳、鶴竜の3人が敗れる

2017年01月18日 | 相撲

一昨日は、両国の国技館に大相撲を見に行った。

1時過ぎで、幕下上位だった。順調に取組は進み、十両、幕内になり、さらに後半になった。

稀勢の里は、同じ大関琴奨菊で、6敗の相手に楽勝と思えたが、一方的に簡単に負けてしまい、「やはり期待すると駄目だな」と思う。

だが、続く大横綱白鳳も高安に負けてしまう。やはり、どことなく痩せているように見えたが、気のせいだろうか。

                              

 

すると、打ち出しの一番の鶴竜も勢のまさに勢いに簡単に敗れてしまう。

一日で、2横綱、1大関が負けるのは、まずないことに違いない。

大変に特別な日に行ったことになった。

それにしても、館内は外国人が多く、特に欧米系の人が、団体で見に来ていた。

これは非常に良いことだと思う。

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