大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさすらいます。

床屋ヴァイオリン

2016年09月30日 | 音楽

伊福部昭先生のインタビューを読んでいたら、大正時代だと思うが、

「当時、床屋ヴァイオリンといって、どこの床屋にもヴァイオリンやマンドリンが置いてあったものです」とあった。

これは、初めて聞いた説だが、アメリカには「バーバーショップ・カルテット」と言って床屋のコーラスがあり、ミルス・ブラザーズもそうだったと思う。

私が子供の頃、床屋に置いてあるのは、床屋雑誌と言われた『映画情報』というグラフ雑誌だったが、これで有名なのは3億円事件の時の、黛ジュンの水着姿の『映画情報』のページだったと思う。

江戸時代から浮世床と言う言葉もあり、床屋は人と情報が交流する場だったのだろう。

                

 

交流の場には、音楽が伴われるということだろう。

ただ、江戸時代は、歌舞伎の『髪結新三』のように、流しの髪結いが多くて、店を持つのは主流ではなかったようだ。

 

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神様、仏様、大谷様 日本ハム、優勝!

2016年09月28日 | 野球

日本ハムが、西武に勝ってパ・リーグ優勝を決めた。

レアードのホームランの1点でも十分だった。

まるで、昔の阪神の江夏みたいな迫力だった。

ほとんど、神様、仏様、大谷様だった。

               

 

言うまでもなく、この台詞は、昭和33年に巨人相手の日本シリーズで3連敗した後の西鉄の、稲尾の大活躍のものだが。

今日の大谷も、まさに大活躍で、そのスライダーは絶対に打てないだろうと見えた。

野村克也によれば、彼が見た投手でスライダーが一番すごかったのは、稲尾和久だそうだが、大谷のスライダーも凄いと思う。

勝手に日本シリーズを予想すれば、広島と日本ハムの対決になると私は思う。

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内山岩太郎知事は偉かった 図書館の丘をめぐる町歩き

2016年09月27日 | 図書館

先週の土曜日は、「図書館の丘をめぐる町歩き」で横浜市中央図書館から紅葉坂の県立図書館まで歩き、そこで守屋輝彦先生のお話の後、映画で図書館を見た。

雨の中、20人以上の方が来ていただき、本当にありがとうございました。

町歩きの方は、私は都合で割愛させていただき、野毛山から紅葉ヶ丘に向かう。

県立図書館の小林部長のご案内で館内も見学する。

その後、会議室に戻って、まず守屋先生からは、戦後最初の公選県知事で、5期務められた内山岩太郎知事についてお話をいただく。

                 

内山知事は、元は外交官で、戦後「これからの日本は文化国家を目指す」とのことで、昭和26年には近代美術館、

そして29年には図書館と音楽堂を建てたのである。さらに、相模ダムや汐見台団地も内山知事の企画とは初めて知った。

その後、石原裕次郎と浅丘ルリ子主演の1964年の日活映画『赤いハンカチ』と、園まりと高橋英樹の『夢は夜ひらく』、さらに1989年の斉藤由貴と山田邦子の『君は僕をスキになる』の図書館が出てくる部分を上映した。

                  

百聞は一見に如かずで、当時の県立図書館の1階の閲覧室は、現在のように書架が林立しているのではなく、広々とした空間であったことを見ていただいた。

また、1989年当時の横浜市中央図書館は、昭和2年に作られたもので、内部はともかく老朽化した建物であった。

さらに、この時はまだカード式で、大江千里が、貸し出しの際に、手紙を斉藤由貴に挟むなどと言うシーンもあり、大笑いだった。

県立図書館の先進性が皆さんにも映像としてよくお分かりいただけたのは大きな収穫だったと思った。

 

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『将軍家光と天下の彦佐』から酒豆忌へ

2016年09月23日 | 映画

珍しい新東宝映画が上映されるというので、日比谷図書文化館に行く。

元の日比谷図書館で、隣の野音ではロックのコンサートが行われていた。

1957年の新東宝の正月映画で、『戦雲アジアの女王』や『花嫁殺人魔』、『スーパー・ジャイアンツ』などと3本立てで、上映館ごとに違う組み合わせだったようだ。

                                                   

 

因みに、新宿昭和館では、この3本の上映である。当時、東京での新東宝の一番の館だった。

脚本は内田弘三で、監督は勿論中川信夫、家光は古川ロッパで、家光は中山昭二。

凄いのは、将軍の御前試合があり、若山富三郎が宮本武蔵で、宇津井健が荒木又右エ門で出てくる。正月用のサービスだろうが、この二人って違う時代でしょうね。

大久保彦左衛門は、古川ロッパの当たり役で、長谷川一夫とのマキノ雅弘の物は有名だが、舞台でも何度も演じていたらしい。

意外にも新東宝としては結構立派なセットで驚く、長谷川康志による『ロッパ日記』によれば、撮影は新東宝第二撮影所、後の富士映画、大蔵映画、そして現在はオークラランドでも撮影されたようで、「汚い!」と書いている。

さすが中川信夫なので、テンポがよく無理なく見られる。

だが、この時期に、古川ロッパに大久保彦左衛門を演じさせたのは、かなり興味深い。と言うのも、この時期のロッパは、すでに過去の人で、人気凋落していて、それは時代に遅れていて、まさに彦左衛門のようだったからだ。

長谷川氏によれば、かつて多く作られた彦左衛門ものだが、これ以後、作られていないそうだが、どういう意味があるのだろうか。

映画の終了後、中川信夫監督を追悼する酒豆忌が行われたので、出る。トークショーにも出られた音楽の渡辺宙明先生がおられたので、『東海道四谷怪談』について聞く。

あの作品の音楽の胡弓は珍しく、日本映画史上初めてではないかとお聞きする。

渡辺先生の大学時代の友人に小泉文夫さんがいて、彼の示唆で胡弓を使ったとのこと。

小泉文夫さんも、渡辺先生も、共に東大なのである。91歳とのことだったが、先生は大変にお元気。

新東宝の録音スタジオは結構立派だったことも聞く。恐らく大蔵貢以前の時代には、音楽映画も多かったので、設備されたのだと思う。

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「生誕100年 小林正樹展」

2016年09月18日 | 映画

知り合いから招待券を貰ったので、京王線の蘆花公園駅で降りて世田谷文学館に行く。

成城石井があるなど、非常に高級な住宅地である。

                                             

 

小林正樹は、監督としての新藤兼人と同様に、苦手な監督で、どうも異常にまじめなところが見ていて疲れるのである。

彼の監督作品は以下のとおりである。

こう並べてみると、結構変な作品もあり、『泉』なども、今見るとかなり意味不明の作品である。

やはり、『人間の条件』『切腹』『東京裁判』が彼の最高傑作だと思われ、どれも戦争が大きな影を落としてることが分かる。

一番変だったのは『怪談』で、ある種の化け物映画をリアリズムの宮島義勇のカメラで撮ったのは大失敗だったと思う。

勿論、『燃える秋』はほとんど論外だったが。

10月にユーロスペースで特集があるので見たいが、多分『食卓のない家』は上映されないだろう。MARUGENの映画は問題があって上映されないそうだから。

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「図書館の丘を歩く 神奈川県立図書館と横浜市中央図書館」を9月24日にします

2016年09月16日 | 図書館

 来週、9月24日に、「図書館の丘を歩く 神奈川県立図書館と横浜市中央図書館」として、横浜市中央図書館から野毛山、紅葉ヶ丘を歩きます。

村島正章さんと建物や景観について語り合いながら、県立図書館へ。県立図書館の中、書庫や作業場も歩きます。
そのあと、守屋輝彦さんには、建築家前川國男・鬼頭梓、初代民選知事内山岩太郎の県立図書館への思いを語っていただきます。
最後は、私の解説で映画の中の図書館を鑑賞します。

部分上映ですが県立図書館や昔の横浜市立図書館で、浅丘ルリ子や園まり、斉藤由貴が活躍しています。

                       

 

『赤いハンカチ』では、浅丘ルリ子が県立図書館の広い閲覧室で新聞を読みます。

『夢は夜ひらく』では、なんと園まりは、図書館の司書らしくカウンターにいます。そして歌が上手いので歌手になるというすごい話です。

また、斉藤由貴が横浜市図書館の司書を演じる『君は僕をスキになる』では、昭和2年に作られた昔の横浜市中央図書館が出てきます。

私も、こういう建物だったの、と初めて知りました。

百聞は一見に如かずで、特に建設当初の神奈川県立図書館が如何に優れた建物だったかが分かる貴重な映像を見る機会となると思います。

どうぞご参加ください。

主催 神奈川の県立図書館を考える会(https://www.facebook.com/KanagawaLib/
日時 2016年9月24日(土)13時から17時
集合 横浜市中央図書館1階 エントランス前 13時
定員 20名 申込先着順 
申込方法 メールで toshokan@kanagawa.zaq.jp  まで
件名に「図書館の丘を歩く参加申し込み」、本文には、お名前と電話番号(できればケータイ)を。
翌日までに参加の可否をご連絡します。

プログラム 
13:00-14:00 
図書館の丘を歩く 案内・解説 村島正章(神奈川県建築士会技術支援委員会委員長)

14:00-14:30
県立図書館の中を歩く 案内・解説 図書館スタッフ(調整中)+村島正章

14:45-15:30  県立図書館本館1階会議室
建築家前川國男・鬼頭梓と知事内山岩太郎 講演 守屋輝彦(神奈川県会議員・都市プランナー)

15:30-16:30  県立図書館本館1階会議室
映画の中の図書館  解説 指田文夫(大衆文化評論家)
部分上映映画
「赤いハンカチ」(’64 監督舛田利雄 出演石原裕次郎、二谷英明、浅丘ルリ子)
「夢は夜ひらく」(’67 監督野口晴康 出演園まり、渡哲也、高橋英樹)
「君は僕をスキになる」(’89 監督渡邊孝好 出演山田邦子、斉藤由貴)他

16:30-17:00  県立図書館本館1階会議室
ディスカッション 皆さん+村島正章+守屋輝彦+指田文夫

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中央卸売市場はなぜできたのか

2016年09月16日 | 政治

東京の築地市場の豊洲への移転問題で話題の中央卸売市場だが、これはいつどのような理由でできたのだろうか。

もちろん、一心多助が活躍する魚河岸のように、江戸時代にも市場はあった。

だが、現在の大都市にある近代的な中央卸売市場ができた原因は、なんと大正7年の米騒動なのである。

米騒動は、魚津から始まり、北陸から関西、さらに全国に波及し、最後は軍隊を出動させ戒厳令を敷いて鎮圧させる大騒動になった。

この年は、1918年のロシア革命が起きソ連共産政権ができた年でもあり、日本の支配層は重大事件として対応した。

その結果、作られた対策は3つで、米の流通の管理、いわゆる「食糧管理制度」だが、これはなかなか進まず、最終的にできたのは戦争直前になる。

だが、これはその後ずっと維持されていて、私が横浜市に入った1970年代には、区役所総務課の事務に「米穀通帳に関すること」という文言あがった。勿論、有名無実化していたが。

 

もう一つが、中央卸売市場の設置であり、これは各大都市に大正末期にでき、今日に至っている。

最近では、市場を通さず、生産者と販売社が直接に売買をする「場外流通」の比率が、スーパーなど増加しており、市場の役割の低下が言われている。

ただ、計画的に生産できる野菜等とは異なり、魚介類はその時々で漁獲高が上下するので、魚介類は市場流通に依存するだろうとみられている。

 

さて、もう一つの大きな対策は、「同和事業」の開始だった。

これは、特に関西の米騒動に参加した民衆の内の多くに、いわゆる被差別部落の人間がいたとのことで、政府は本格的に同和対策に努めるようになったのである。

                                      

 

この米騒動への部落民の参加については、『橋のない川』でも描かれていて、今井正の映画『橋のない川』では、伊藤雄之助を先頭に、地井武男らの若者が大阪の米商人の店の打ちこわしに向かっている。

この今井正の『橋のない川』は、部落解放同盟と日本共産党との間で紛争のあった不幸な映画だが、今見ると結構面白い映画で、TSUTAYAにもある。

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『愛情の決算・2』

2016年09月13日 | 映画

私は、基本的に同じ作品について、2度、3度書かないことにしているが、これは非常に面白くて、書き残したことがあるので書く。

まず、この作品の評価だが、非常に低く1956年のキネ旬の投票では誰も入れていない。

全体がメロドラマであること、さらに原作が今日出海であることが最大の問題だったと思う。

言うまでもなく、今日出海は、今東光の兄だが、弟とは違い秀才で東大出であり、若いころは新劇で、村山知義の心座にいた。

(以上のように書いたら、東志郎さんから、今日出海が弟で、今東光の方が兄とのご指摘をいただいた。今東光の弟、3人兄弟の末弟でした。文章を直すと東志郎さんのコメントもわからなくなるので、上はこのままにします)

誰の本で読んだか忘れたが、今日出海は狭量な男で嫉妬心が強くて、心座も彼のそうした性格も災いして潰れたとのことだ、本当かどうかは勿論わからないが。

その後、彼は保守派の文学者になり、戦時中は積極的に戦争協力したはずだ。

戦後は、逆にそうした経歴が災いして今日出海は文壇では主流ではなかったと思う。

映画『愛情の決算』の主人公の佐分利信の戦後社会になじめないのには、今日出海のそうした思いが反映されていると思う。

だから、今見ると「どうしてこんなにいじけているのか」と思ってしまう。

だが、1956年は、もう石原慎太郎・裕次郎の「太陽族」が出ていた時代なのだ。いつまでも戦争の思い出に浸り、床の間に銃弾で穴の開いた鉄兜を置いているのは相当に異常である。

ここでも、倉庫の外に佐分利が出ると、運河をモーターボートが走っていくのが見える。

この映画が評価されなかった大きな理由の一つは、三船敏郎と原節子がラブ・ロマンスを演じていることだと思う。

三船敏郎は、野性的なアクション俳優と思いこまれていて、こういう役柄は不適と思われていたからだ。

だが、三船敏郎は二枚目をきちんと演じているのはさすがというべきで、もともと三船は凄い二枚目なのだ。

彼が、原節子が好きで親切をするが、言葉ではなかなか言い出せず、最初にできてしまうが、結局その時は別れてしまう。

井手俊郎の脚本の運びも良いが、三船は非常に繊細に上手く演じている。

彼は、実はとても演技が繊細なのであり、同じ戦後派の役者でも、鶴田浩二のような型の演技はしないのである。

三船の世話で、原節子が最初に務める映画館の売店は、渋谷東宝だと思うが、どうだろうか。

あるいは、有楽座のような気もするが。ともかくこの映画は、戦後の東京の情景が沢山出てくるので、その意味でも大変に面白い。

ぜひ、DVD化してもらいたいものだと思う。

 

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『愛情の決算』

2016年09月12日 | 映画

先日の鎌倉市川喜多記念映画館での原節子特集で満員で入れなかった1956年の佐分利信監督の問題作。

                                                      

 

今日出海の『この十年』が原作で、戦後10年目の戦友たちの軌跡を描くもので、やや長くてテンポが鈍いが風俗が好きな私としては、実に面白かった。

外食券食堂、爆弾あられ、カストリ雑誌、ぬやまひろしの「若者の歌」などいろいろ出てくる。

東京港近くの倉庫で事務を執っている佐分利信は、生来の堅物と「戦争ボケ」で戦後の社会とずれていて、職場で上手く行っていず、若い上司の土屋嘉男に呆れられている。

息子と銀座で食事をするが、終わった時息子は母親の原節子が喫茶店から出て来たのを見てしまう。

そこからフィリピンの戦場に戻り、佐分利信以下、三船敏郎、小林桂樹、堺佐千男、千葉一郎らが米軍に追い詰められてジャングルにいて、戦争が終わったとの報の時、元画家の内田良平が餓死する。

佐分利は、息子と家に戻ると、そこに原節子も帰ってくる。

そしていう、「あの時、あなたは貧乏な私たちに同情してくれただけで、愛情ではなかった」という。

戦後すぐに戻り、バラックに原節子が幼い子と一緒に住み、貧乏暮らしをしている。

皆それぞれの働き口を見つけるが、一番は雑誌社の編集の佐分利信で、彼は原節子と結婚する。

だが、カストリ雑誌で、すぐに潰れてしまい、佐分利は失業する。三船は大学に戻ったが、卒業後新聞社に入る。

彼の伝手で、原節子は映画館の売店の売り子、さらに宝石屋の店員になり、職を得て一層きれいになって行く。

一方、佐分利は、戦後の社会に適応できず、闇成金になった小林桂樹の世話で、倉庫会社に入るが、堅物なだけで、社長の沢村宗之助相手にも囲碁では手を緩めないという変人ぶり。

要は、無口の堅物の典型的な昔堅気の男と、戦後的な行動的な男の三船敏郎との間で揺れる原節子であり、これは非常に興味深い。

最後近く、佐分利と息子が家にいるところに三船敏郎と別れたばかりの原節子が帰ってきて、別れ話を切り出し、原は一人家を出てゆく。

最後は、結局海外赴任をする三船敏郎と一緒になることを示唆して終わる。

佐分利信も、今日出海も、佐分利信のような戦前的な男は、もう及びでないよと言っている。

最後、隣家の明らかにオンリーだった賀原夏子と原節子が何年かぶりに電車で会うと、旦那らしき男が真面目な亭主らしい佐田豊であるのが良い。

今も生存しているのは、土屋嘉男と、闇市の汚い少年から美少女になり、当然のごとく小林桂樹が求婚する八千草薫だけだろう。

それにしても八千草薫は、この頃から少しも変わっていないのは、やはりすごい。

神保町シアター

 

 

 

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どんたた踊りの必要性 『世界大戦争』

2016年09月11日 | 映画

1961年の芸術祭参加作品の『世界大戦争』を見た。見るのは二度目で、一番印象に残るのは、中北千枝子が横浜から東京に戻る道で倒れた奥を団扇太鼓の列が通っているシーンである。

言うまでもなく、中北は、製作の田中友幸の妻であり、さすがにいい場面に出ているなと思う。両夫妻の息子に田中大三さんがいて、大学の映画研究会で2年上におられた。

                                        

 

さて、この団扇太鼓のシーンで気づいたのは、やはりこうした土俗的な音響や踊りが、特撮映画には必要だということだ。

アメリカの『キングコング』では完全に南国の原住民の踊りや習俗が出てくるし、『ゴジラ』でも大戸島の住民の踊りのシーンがある。

現在で見てみると、やや差別的であり蔑視も感じるが、こうした土俗的音楽や舞踏は、必要なのではないかと思うのだ。

その証拠に、『ゴジラ』から伊福部昭先生の、ダダダを除いたら、『ゴジラ』の魅力は半減してしまうに違いない。

要は、トーキー映画の魅力の半分は音なのだから、ある意味で当然なのだ。

1970年の『決戦! 南海の大怪獣』以後、こうした土俗的な「どんたた踊り」は姿を消してしまったそうだが、私は芸能山城組にでも依頼して、インドネシアのケチャを上手くアレンジして入れてほしいと思っている者のひとりである。

今回の『シン・ゴジラ』での唯一の不満は、「どんたた踊り」が見られないことである。

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タウンニュース南区版に書いたら 松山善三氏、死去

2016年09月10日 | 横浜

横浜、東京で出ているタウンニュース南区版の「さすらいヨコハマ」に「鶴見線が出てくる映画」を書いたら、脚本・監督の松山善三氏が亡くなられた。

初監督作品の『名もなく貧しく美しく』で、全部ではないがかなりのシーンが鶴見線の沿線で撮影されている。

鶴見線は、もともとは川崎鶴見臨港バスと同じ会社が作ったものだが、後に国鉄になり、現在に至っている。

昭和の名残の風景があった有名な鉄道で、特に国道駅下のガードは、よく映画に多少化粧されて出てくるので、見たことのある人も多いだろう。

「名もなく貧しく美しく」など、今の世の中に受け入れられないものだが、20世紀までの日本人の徳目の一つだったものである。

日本映画史に多大なご貢献をされた松山氏のご冥福をお祈りする。

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カイロでは一日も雨はなし

2016年09月08日 | 都市

アラビア語を習っている方の一人のSさんが、子供さんがいるエジプトのカイロに7月から行って戻って来られた。

この間1か月、一度も雨は降らなかったそうで、外から入って来る砂がひどく、毎日家の掃除していたそうだ。

世界最長の大河ナイルの水量は大変なものだが、日本の首都圏全体に降る雨量もほぼ同じなのだそうで、日本は本当に水に恵まれた国なのである。

                       

 

台風だ、集中豪雨だと文句を言ってはいけないのだとあらためて思う。

人間、そしてすべての生物は、水なしには生きられないものなのだから。

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身延線は時間がかかったが

2016年09月07日 | その他

「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」の後は、いつも行きとは別のルートで戻ってきている。

去年は、長野から普通で松本へ出て、途中の姨捨駅では、

「ここが『楢山節考』の場か」と思った。松本からは、時間がないので中央線で八王子に出て、横浜線で戻ってきたが。

『楢山節考』は、二度映画化されていて、1983年の今村昌平のはカンヌ映画祭グランプリも取っているが、木下恵介の1958年の作品の方が私は凄いと思ってる。

これは、全体が義太夫狂言風になっていて、柝の音が入って幕が上がる、という具合に始まり、全体が伊藤喜朔の美術の歌舞伎劇のようになっている。

最初に銀座の並木座で見た時、この前衛性に非常に驚いた、松竹ヌーベル・バークどころじゃないなと。

ただ、最後が当時の姨捨駅が出てきて、もうこんなことはないと説明しているが、当時の松竹では仕方のない言い訳だったと思う。

 

今度は、念願の身延線に乗って戻ってきた。

時間があったので、甲府で降り、駅ビルに入ると5階がカルチャフロアになっていて、本屋と喫茶店がある。

これでレコード屋があれば、完全に1970年代の雑居ビルのフロア構成だが、今や本屋もレコード屋も首都圏では姿を消しているのに、これはすごい。

甲府はまだ昭和なのだろうか。

身延線には、かの鰍沢があり、身延もあり、一度通ってみたかったのである。

別にどういうこともなくただ通っただけだが、富士川の脇を通りながら下っていくので、スピードがまったく出せない。

これだけカーブの多い路線も珍しいと思う。

                   

 

やっと富士宮に出るが、ここはやはり町らしく賑わって見えた。この近くの富士山の裾野には、私は1991年に3か月間「幽閉」されていたのであり、少々懐かしい。

富士から三島に出て、新幹線で新横浜に戻ってくる。

この北陸の高岡、富山に行って目に付いたのは、若い女性の二人組の旅行である。やはり、女性はまだ一人旅はなにかと心配なのだろうが、まあいいことである。

 

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『キングコング』

2016年09月06日 | 映画

1933年に作られた特撮映画の名作、同年夏に円谷英二は京都でこれを見て、本格的に特撮映画を作ることを決意する。

製作のRKOは、当時不振続きだったが、この1本で回復したと言われている。

映画製作者デナムが、南海の島の巨大なゴリラを連れて来ようと、ニューヨークから航海に出て、売れない女優のアン・ドワン(フェイ・レイ)を連れてゆく。

島の場所は、シンガポールの近くらしいので、マレーかインドネシア、ボルネオあたりだろう。

昔、旅行でジャカルタに行き、アートセンターで映画を見ると、次週公開の予告編をやっていて、それは怪獣物で、カリマンタン島が舞台のようだった。

その島には、原住民がいて、1930年代なので、その描き方、また島にいる恐竜の姿などは、今から見れば相当に違和感があるが、特撮はすごい。

                

 

そして、原住民が、アンをゴリラの人身御供に捧げてしまい、製作者や船長らが救出に向かうが、ゴリラと恐竜らとの戦いが続く。

『キングコング』というと、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルに登っているキングコングが有名だが、シーンとしては、ニューヨークの場面よりも、南海の島でのアクション・シーンの方が長くて、いろいろな手が展開される。

確かに、今見ても、どうやって撮影したのか、と思う程に特撮は上手く、円谷英二が驚嘆したのも無理はない。

最後、飛行機による機銃攻撃で、コングは地上に落下して死ぬ。

「美が野獣に勝ったのだ」

 アン役は、個人的には、1976年のリメイク版のジェシカ・ラングの方が好きだが、一応名作に敬意を表しておく。

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裏目読み批評の意義 「 映画は一人では作れない」

2016年09月06日 | 映画

2013年に出した『黒澤明の十字架』や去年の『小津安二郎の悔恨』について、裏目読み批評ではないかと言われることがある。

裏目読み批評とは、1960年代に『映画芸術』の編集長小川徹がとなえた批評法だが、私の意図は少々違う。

                        

 

よく言われることに、映画の製作の裏やもともとの意図などどうでもよく、できた作品だけで評価せよだとの説がある。

まあ、完璧な間違いではないが、それは映画と文学、音楽、美術などとを混同する間違えである。

なぜなら、基本的には作者個人の力で作品が作れるのが、文学、音楽、美術などである。

音楽でもオペラなどになれば、作曲家一人ではできないが、曲を作るのは、原則として一人でも可能だろう。

だが、映画や演劇にあっては、一人で作品を作れることはまずありえない。

スタンリー・キューブリックやオーソン・ウエルズ、あるいは黒澤明でも100%自分の考え方で作品を作ることができたことはないに違ない。

なぜなら、映画は、監督や脚本家の他、カメラ等のスタッフ、そして実際に役を演じてくれる俳優、そして膨大な費用を出してくれる金主、つまり映画製作会社が必要だからである。

つまり、できた作品は、多かれ少なかれ、作者の意図を100%表現されることはない。

様々な他人の考えが、結果として作品には入ってしまうものなのだ。

だから、映画の批評、評価にあっては、その作品の奥にあって、本当は作者たちが表現したかったものを考える必要があるのだ。

そこに「裏目読み批評」の意味があると私は思う。

 

 

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