横浜市役所に36年間いて、いろんな人にあったが、港湾局のS部長も印象に残る方だった。
非常にいい方で、技術屋なので、口下手で嘘のつけない真面目な人だった。
ただ、問題はあり、ときどき時間通りに出勤されないことがあった。
住所が東京で、通勤に1時間以上かかる上、夜遅くまで酒を飲んでいることがあるので、朝早く来られないのだ。
別に飲むと言っても、勝手に飲んでいるのではなく立派な仕事で、運輸省の役人と付き合っているのである。
横浜市の港湾の施設は、実はその多くは国有財産であることが多く、それを加工したり、変更・修正したりする時は、あらためて国の許可が必要なので、そのためには国の連中との交渉が必要になる。
特に、当時はみなとみらい計画が進行していたので、新興ふ頭や大さん橋などのほとんどは、国有財産なので、交渉が必須だったのだ。
事務レベルではわれわれ課長・係長クラスが国の担当者にお願いするが、S部長には、その上の段階の交渉をしてもらうわけだ。
そのために、午前中はなかなかおられないということが多かった。
要は、国、さらに横浜の地元関係者との「汚れ仕事」をかなりされていたのだ。
だが、ある日突然亡くなられたのには大変に驚いたものだ。
当時は、門外漢の係長だった私などは、まったく知らなかったが、後に自死だったとのことを知った。
今は、もう立派に運用されている南本牧ふ頭の埋立で、地元と局との板挟みの結果だったようだ。
それを聞いて私は、「これは、人柱だな」と思いいつつ、ご冥福をお祈りした。