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指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『新幹線大爆破』の豊かさ

2024年02月02日 | 映画

なんども見ているが、BS12で『新幹線大爆破』を見る。なんども見ているが、やはり面白く、またときどきで挿入される回想場面の抒情性がすばらしい。

              

この映画は、当初は菅原文太主演で企画されたが、文太が「新幹線が主役の映画なんかに出られるか」と断ったので、高倉健になったが、この交代は、作品の持つ抒情性からみれば大変によかったと思える。

菅原文太主演では、もっと殺伐としたドライなものになってしまっただろう。

そして、俳優の豊かさ、高倉健、宇津井健、丹波哲郎、千葉真一、永井智雄、志村喬、山内明、山本圭、郷英治と近藤宏、鈴木瑞穂、さらに元大映の伊達三郎と元日活の川地民夫など。

実に、豊かな俳優陣なのは、この1975年の頃、大映はすでに倒産し、日活が一般映画をやめたこと、そして新劇が興隆していたことが、この作品の俳優の豊かさを支えていたのだ。

皆、死んでしまっていて、ご存命なのは、小林稔侍と織田あきら、くらいだろう。

だが、見ていて一つ、問題点を見つけた。

それは、最後、床を高熱で切り取るために酸素ボンベを救援車から運び込む。

互いの非常口を開けて、そこから重い酸素ボンベを落ち込む。

こんなことができるなら、そこを使って乗客を別の車両に運べば、それで済んだのではと思うが。

ただ、時速80キロを越える速度の車両から、別の車両に移るには、トンネルのような物を作らねばならず、不可能だったか。

青山八郎の音楽もとても良いと思う。


筑波久子を最初に見た映画 『花影』

2024年01月31日 | 映画

筑波久子という「肉体女優」がいたことは知っていたが、見たことはなく、最初に見たのは、川島雄三監督の東京映画の『花影』である。

そこでは、彼女は、銀座のクラブのママの山岡久乃や池内淳子の同僚だったのだが、弁護士の有島一郎に金を出させて自分の店を持つちゃっかりした女としてでて来た。

その頃か、すぐ後に彼女は、日本を出てアメリカに行ったのである。

             

本当に頭の良い女性だったようで、肉体女優というには、あまりふさわしいようには見えなかった。

その第一が、やや舌足らずなセリフと声で、私には、後に初期の主演作を見てもちぐはぐな感じがしたのだ。


『メンゲレと私』

2024年01月28日 | 映画

この映画は、「死の天使」とよばれたナチスの医師メンゲレに気に入られ、数奇な運命の軌跡を送った少年・ダニエル・ハノッフォの独白である。

                   

リトワニアニに生まれた彼は、9歳でドイツ占領を体験し、ナチスの収容所に入れられるが、金髪の美少年だったことで死を免れ、さまざまな労働に従事させられる。

そして、連合軍によって解放され、オーストリアからスイス、イタリアで兄と再会し、パレスチナに行く。中では、オーストリアでの迫害がひどかったようで、またハンガリー人のカニバリズムも明らかにされる。

対して、イタリア人はきわめて友好的だったとのことは、意外だ。

現在は、各地で語り部として活動しているとのこと。

まさに20世紀最大の残酷な体験の一つを受けた人間の告白であろう。

ただ、驚いたのは、シネマジャック&ベティのベティの、この映画の館は、ガラガラだったが、反対のジャックは大混雑だったことだ。

『いまダンスをするのは誰だ?』という作品で、パーキンソン病になった元シンガーソングライターの記録のようだ。


『ラーマヤーナ』が上映される

2024年01月26日 | 映画

インドの大叙事詩の『ラーマヤーナ』のアニメ版が、3月に横浜黄金町のシネマジャックで上映される。

                

日本とインドのスタッフが協力して製作されたもので、日本での本格的な公開は初めてである。

日本中のインドファンは、黄金町で見よう。


『風と共に散る』

2024年01月26日 | 映画

とても面白い映画だった。1955年、ユニバーサルインターナショナル作品で、監督はドイツ出身のダグラス・サークで、アメリカ社会にかなり批判的。

            

ニューヨークのロック・ハドソンが秘書を募集するとやってくるのが、ローレン・バコール。

社長のロバート・スタックに合わせると、一目ぼれで求婚してしまう。

飛行場に行けば考えが変わると言い、飛行場に行くと自分で操縦し、本社のテキサスではなく、アカプルコに行き、ホテルに泊まることになる。

テキサスの本社は石油会社で、スタックの父親が石油を掘り当ててできた会社なのだ。

その金持ちぶりがすごいが、スタックはアルコール依存症で、それも町の上流が来るカントリークラブで出す正規のバーボンではなく、西部劇に出てくるような酒場でのコーン・ウィスキーを愛好する始末。

彼の妹は、色情狂で、町の男を誘惑しては警察に補導されている。

この娘が、テレビの『ペイトンプレイス』の母親のドロシー・マローンなのには驚く。

実は、彼女とハドソンとスタックは、同じ町で育った幼馴染であり、ハドソンが好きなのだが、彼も実はバコールが好きなのだ。

バコールは、ついにスタックと結婚し、彼は子供を望むが、すぐにはできず調べると「弱い」、つまり精液が薄くて、これまた悩む。

最後、なんとバコールが妊娠するが、スタックは、それは「俺のでなく、ハドソンの子だ」と疑う。

そして、家で争っている内に、ついにスタックは、自分のピストルを持ち出し、暴発で死んでしまう。

審判が開かれるが、マローンの証言で、ハドソンは無罪となり、二人が結ばれることを示唆して終わり。

バコールは、ボギーと死別後、民主党のアンドレー・スティブンソンと親交を深めるなど、進歩派だったので、このアメリカ社会への批判に納得したのだろうか。

国立映画アーカイブ

 


『愛・旅立ち』

2024年01月25日 | 映画

おそらく世界中のアイドル映画の中で、もっとも変わった映画だと思う。

           

近藤真彦と中森明菜のアイドル映画なのだが、その中身は臨死体験なのだ。

それは、映画製作を任された舛田利雄が、脚本の笠原和夫にいくつかの臨死体験があることから、そこを核にしてドラマを作ったのだ。

中森は、心臓疾患で、治療不能で、勝野洋の病院に入院してくる。両親はいなくて役所に面倒を見られているとのことで、生活保護だろう。

一方、近藤はカー好きのメカニック少年で、友人と改造車を走らせているとき、貨物トラック運転手らと争いになり、友人はトラックの下敷きで死んでしまうが、近藤は奇跡的に生き残る。

明菜は、小泉八雲の「耳なし抱一」が大好きで、同じ病室の認知症の老女北林谷栄に聞かせたりしているが、ついには抱一の霊が出て来て、明菜と対話するようになる。

この辺は、双方とも臨死体験的特撮映像が展開される。

子供に臨死体験と言うと奇妙に思えるが、私も小学校6年くらいの時は、死への恐怖に苛まれていたことがあり、子供イコール健康と言うのは誤解であり、むしろ死に近い存在でもある。

明菜は、一日で良いから死ぬ前に楽しい時間を過ごしたいと病院を出て、町の賑わいを抱一と体験する。

原宿のタケノコ族が出てくるのが時代である。

そこで、新宿の小田急デパートの屋上に立っている近藤を見つけて、飛び降りを阻止するために明菜は、屋上に上がり、近藤と会い、二人は、事故で運ばれたときに、同じ病院で会って一目ぼれしていたことを思い出す。

そして、幸福な時を過ごすが、当然にも二人はオートバイで海岸に行く。

だが、そこで明菜に発作が起きてしまい倒れる。そのとき、バイクのガソリンが切れていたので、スタンドにガソリンを求めて行っている内に、倒れている明菜は、親切な老人の車で病院に運ばれてしまい、ついに死んでしまう。

近藤は、病室に来て、死んだ明菜の死体を抱いて持ち出し、病院の研究室の運んで蘇生作業をする。

口移し呼吸などをするが、アイドル映画なので、ここでも性交はない。

そのとき、大地震が起き、研究室は潰れてしまうが、その廃墟から二人は救われ、なんと明菜は生き返っている。地震の振動で心臓が蘇生した奇跡なのだそうだ。

最後、明菜は海辺の福祉施設で働き、自動車の整備士の免許を取った近藤が島にやってくる。

そこは、徳之島で、住民がお盆の踊りのなかで、明菜と近藤も幸福に踊る。

なぜ、南島なのかは不明だが、この辺は海軍経験のある笠原の思いなのだろうか。

なんでもきちんとした映画にする舛田利雄はやはりすごい。

 


『仮面の女』

2024年01月23日 | 映画

1958年の日活映画で、主演は葉山良二と筑波久子で、この頃の二大スターである。

脚本は松浦健郎で、監督は阿部豊と当時は売れっ子だった連中だが、娯楽映画としては普通の出来である。阿部豊は、戦前は大監督だったらしいが、なにも残っていないので不明。まあ普通の娯楽映画の監督だった割には、名声があったとでも言うべきだろうか。戦時期、戦後の新東宝の作品はろくなものがないが、これはましな方だと思う。

飯坂温泉に行く列車内で、葉山と筑波が知り合うが、互いに何者かは不明。

東京に筑波が戻って来て、働いているキャバレーのラジオで、葉山の放送を聴き、大学の東洋史の教授であることを知る。

二人は、互いに引き合い、会ったりするが、筑波の身元はなかなか知れないが、南田洋子らが、ある晩「新宿女子大同窓会」と言っているので、新宿の赤線にいた女であることがわかる。

例によって葉山には、病弱な妻がいて、女としての務めを果たしていないことになっていて、筑波との関係が肯定されているのは、都合が良いと思える。

ついに「赤線の女」であることが知れて、二人は別れるが、最後は身を引いて故郷に帰る筑波を、葉山が追いかけてくるところで終わり。

             

新宿女子大の女に、金を貯めるだけの女がいて、奈良岡朋子で、途中で殺されてしまうが、その犯人は、最初はジゴロの岡田真澄だと思うと、女たちに小物を売り歩いて生活している小心者の大坂志郎と言うのが意外で面白かった。

赤線平最後の様々な女の風俗映画としてみれば面白かったが、原作の芝木好子の性だろうか。

芝木は、名作『洲崎パラダイス・赤信号』の原作者でもあるのだ。

 


観客が100分の一だった 『ゴジラの息子』

2024年01月23日 | 映画

朝日新聞に前田美波里の回想が載っていて、アメリカのテレビで『ゴジラの息子』を見て、彼女の父親と再会したことが書かれていた。

この『ゴジラの息子』を五反田の映画館で見たが、客は出演者の100分の一の25人くらいしかいなかった。

これでは、元は取れないなあと思い、映画界は大変だなあと思った最初だった。

           

私は、『ゴジラの息子』ではなく、内藤洋子の『君に幸福を』を見に行ったのだが。


『ラッキー百万円娘』

2024年01月18日 | 映画

1958年に新東宝から公開された映画だが、元は1949年6月に東宝から公開された『びっくり5人男』を美空ひばりの主演作のように見せて再編集して公開された問題作。

新東宝は、この手の改作が得意で、およそ著作権法無視だが、溝口健二の名作『西鶴一代女』も改作されて再公開されていて、このときは監督協会が新東宝に抗議したそうだ。

だが、新東宝にみならず、大松竹や大東宝も、改作・再編集は多くやっているのだ。

松竹の看板商品というべき『愛染桂』ですら、完全版はなく、今あるのは総集編と言うインチキ版のみなのだ。『愛染桂』は、全部で4部あるのだが、現存の版では、1,2部と3部を再編集したもので、田中絹代が歌舞伎座で歌って終りだが、本当は京都に逃げた彼女を上原謙が追ってきたり、最後は中国に行ってしまうのもあったのだそうだ。

また、東宝の榎本健一の代表作の『チャッキリ金太』は、スリの金太と目明しの追っかけで、江戸から京都に行くが、いつの間にか戻って来て、彰義隊と一緒になっていて途中がないのだ。

こうしたことはどうして起こったのか。もちろん、最初の公開時からいい加減だったわけではない。

それが、1945年の敗戦後、大変な映画ブームで、公開すればなんでも人が映画館に来た。

ところが、当時は電力や物資不足、さらにスタッフ、キャストも戦地から戻って来ない状況で、新作が作れなかった。そこでやったのが、戦前、戦中の名作の改作である。あるいは、戦時中は思想的に非公開とされた作品の公開などで、東宝系で作られた『煉瓦女工』が、松竹で公開されたりしている。

当時の事情を考えれば、再編集も仕方なかったろう。だが、その時に残りのネガを切って捨ててしまったのは、ひどいと言うしかないだろう。

さて、この『ラッキー百万円娘』は、美空ひばりとしては2本目なのだが、1本目の『のど自慢狂時代』が短縮版のみで、そこではひばりはカットされているので、現存するものでは最古参となる。

そして、ここでは二つ興味深いことがある。

            

一つは、1949年5月時点では、美空ひばりは、その他大勢の歌手だったことで、野外ステージでソロを取る女性シンガーは、野上千鶴子なことだ。

もう一つは、この反町公園の野外ステージの奥に見える「東日本博覧会」のパビリオンは、博覧会終了後は、横浜市役所として1958年まで使用された建物が見えることだ。

この二つが見られることで、この悪質改作映画は、意義のあるものになっている。

衛星劇場


西河克己説の正しさを再確認

2024年01月18日 | 映画

元日活の監督の西河克己は、「メロドラマは、『君の名は』や『風と共に去りぬ』などのように、戦争や革命などの大事件がないと成立しない」と言っている。

先日見た映画『花扉』は、1961年で、戦争も革命もない時代であり、佐々木功と初名美香のメロドラマは、どこか時代遅れにみえた。

             

唯一笑えるのが、佐々木功の母の沢村貞子の演技で、元夫の上司だった人の妻三宅邦子がやっている料理教室で働いてゐるが、できる料理が「いなり寿司」だけで、お情けで雇ってもらっているとしている。だから、三宅邦子の娘の瞳麗子が、佐々木に惚れて結婚を願っていると、「なんとかしてくれよ」と佐々木に懇願する演技がまことに凄い。後に、料理上手で有名になる沢村に、いなり寿司しかできない女とするのはどうしたものなのだろうか。

全体に、ここで描かれているのは、テレビ界への反感であり、財閥の娘の初名美香が、番組のスポンサーの杉浦直樹の力でCMガールに起用されたのだとされている。

ともかく相当にひどい映画であり、1961年の松竹のレベルは、こんなものだったのかと思える作品だった。

 

 

 


「無力の王・笠智衆」

2024年01月17日 | 映画

一昨日、松竹の1961年の『花扉』を見ていて、主人公の四一財閥の娘初名美香の父親は、四一財閥の当主で、 なにもしていないのは笠智衆で、「自分でなにもしていない」と言っている。

              

それは、小津安二郎の遺作の『秋刀魚の味』でも同じで、川崎の石油会社の監査役の笠智衆は、女性秘書らからは、「だれも見ないのに、きちんと見ている」とうわさされているほど無意味な存在である。

戦後の松竹映画の笠智衆は、無力で無意味な男、父親だったと思う。

だが、それが戦中期までの日本の父親だったように思うのだ。

無権力で無意味な存在、まるで天皇のように思える。

無力だからこそ強いのが天皇だと私は思うのだ。


『時よ止まれ。君は美しい』

2024年01月16日 | 映画

1972年のミユンヘン・オリンピックの記録映画で、8人の監督が作っている。

市川崑、クロード・ルルーシュ、アーサー・ペン、ミロシュ・ホアマン、ジョン・シュレジンジャーなどで、それぞれが、男子100メートル決勝、レスリング、棒髙とび、十種競技、マラソンを担当しているが、

マラソンだけは、イギリスの選手ロン・ヒルを追っているのは、監督がイギリス人だったからだろう。

だが、このときの金メダルは、アメリカのショーターだった。

もちろん、アラブゲリラのイスラエル人選手襲撃事件も出てくる。

中では、やはり市川崑とアーサー・ペンのが良いが、ミロシュ・ホアマンの十種競技も、わざと民俗楽器を付けたりして牧歌的にしている。

オリンピック映画と言えば、ベルリンのリーフェンシュタールの『民族の祭典』と、市川崑の『東京オリンピック』が最高だと思うが、これも良い出来だと思う。

この題名は、ゲーテの詩だとのことだ。


『野良犬』森崎東版

2024年01月14日 | 映画

1973年に松竹で、黒澤明版の『野良犬』をリメイクしたこの作品は、あまりできは良くなかった。

この映画の題名だが、長嶋茂雄が学生時代に後輩に向かって、

「黒澤明の「のよしけん」はいい映画だから見に行け」と言ったという都市伝説があったが、久保田次郎の本に本当に書いてあることだ。

久保田は、かなり虚言壁のある人だったようだが、これは本当らしい気もする。

             

さて、ここでは志村喬・三船敏郎の刑事コンビの代わって、芦田伸介・渡哲也になっている。

芦田の妻は赤城春恵で、娘は松坂慶子。

しかも、同じ署ではなく、渡哲也は目蒲署、芦田は警視庁の監察部門の刑事になっている。

渡が、数人の若者に拳銃を奪われ、それで撃たれて、逃亡される。

秘密捜査が進められて、その間で横浜の海浜地区に住む沖縄の若者たちであることがわかり、さらに立川での事件で拳銃が使用される。

沖縄の連中を追っている中で、芦田は川崎駅まで銃撃されて死んでしまう。渡は、仲間だった少女を追ってバスで川崎から新宿に行き、さらに乗り換えて晴海ふ頭に行く。

沖縄行きのフェリーにいるはずの最後の男に会い、死んだ仲間の骨を届けるためである。

私は、いつもここで躓いた。なぜなら、東急バスで川崎から東京へ北上するバスはあるが、五反田止まりで、新宿まで行かすのは無理である。

だが、今回新宿を出たバスが、四谷あたりから皇居のわきと警視庁を過ぎた時、「本当はここで、少女に拳銃を発射させていれば」と思った。

「沖縄の人間の敵は、大内山の彼方だ」と明確にメッセージでき、長谷川和彦の『太陽を盗んだ男』に先駆けたのにと思った。

今回、この映画を見に行ったのは、少女たちが住み込んでいる木造アパートがどこにあったものか、確かめたかったのだ。

大画面で見てもはっきりしなかったが、たぶん金沢区六浦にあった旧軍施設で、当時は「生保アパート」とよばれた市営住宅ではないか、と終了後に、『ディープヨコハマを歩く』の佐野亨さんと話したが、

「たぶん、そうでしょう」とのことだった。

シネマベティ

 

 


『ロマンスシート・青草に座す』

2024年01月13日 | 映画

1954年に、野村芳太郎が監督した美空ひばり映画で、大島渚が最初に助監督として付いた映画である。

野村は、この年に、美空ひばりで『伊豆の踊子』も撮っていて、これは戦前に五所平之助が田中絹代で作って以来の2本目の『伊豆の踊子』で、この後鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵と若手女優の作品となる。この野村芳太郎作品で注目されるのは、美空ひばりに一切歌を歌わせず、役者としてちやんと演技させていることだ。これは、五所の映画『たけくらべ』でも同様である。

              

話は、東京の住宅街に住む高校生のひばりの物語で、父は貨物船長の笠智衆、母は三宅邦子で、そこに笠の妹で、出戻り女の桂木洋子、さらに中学生の弟もいる普通の家庭である。

なかでは、彼らは居間でスクエアダンスを踊ったりしていて、ひばりはきわめて自然な演技を見せている。

私が見た範囲では、この野村芳太郎の2本、さらに川島雄三監督の1953年の『お嬢さん社長』(ここから、有名な「お嬢」ができた)などが、普通で自然な演技であり、美空ひばりは意外にも上手い役者でもあることがわかる。

ひばりの相手役は、同じ高校のテニス部員の田浦正巳で、彼らは大阪へ遠征試合に行き、勝利する。

テニス部の部長は英語教師の大木実で、彼は実は、桂木洋子の元夫の友人でもあるのだ。

だが、次第にこの大木と桂木が恋仲になり、いずれは結ばれるだろうと言うことになる。

ただ、大阪遠征に行ったひばりは、そこで父の笠が、中年の女性とアパートで暮らしていたことを知る。

最後は、父のもう一つの顔に驚愕していたひばりだが、母の三宅邦子が、素直に謝罪した笠智衆を許したことで、皆和解してめでたしめでたし。

現在からみれば、問題のところもあるが、できる限り洒落た意味ある映画にしているように想像できる。なにしろ音楽は、黛敏郎大先生なのだから。

黛が、ひばりの曲を書いているのは、驚きである。


美空ひばり・大島渚映画、2本

2024年01月10日 | 映画

美空ひばりを大島渚が監督した映画などない。

ただし、大島渚が、松竹に入って最初についた助監督の1本目と2本目が、美空ひばり主演映画なのだ。

1本目は、野村芳太郎監督の『ロマンスシート・青草に坐す』で、2本目は萩原徳三監督の『娘船頭さん』で、どちらもたぶん、サード助監督だったと思う。

この内、前者のチーフ助監督は杉岡次郎で、後者は、福島二本松藩の城主の息子の二本松華瑞なのである。二本松は、後に『ギララ』や『昆虫大戦争』を撮った方でもある。

萩原監督については、大島は「彼は良い映画を撮れるでしょうかね」と師匠の大庭秀雄さんに聞き、

「もちろん無理」との評価を得ている程度の作品である。

               

そこでは、ひばりは、水郷の船頭・市川小太夫の孫で、兄は片山明彦のラジオ少年で、小太夫の意見に反して東京の工場に行くが、事故で手を負傷して戻って来る。水郷の写生に東京から特出で朗画家の卵の石浜朗と友人の中川弘子が来る。彼らは完全に西欧化していて、そこには東京と地方の格差が明確にある。

最後、小太夫は、脳梗塞らしい病気で死んでしまうというもので、大島が言った

「貧乏、戦争、家父長制」に苦しめられる村娘の美空ひばりがいて、これは古いとしか言いようのないものだった。

この撮影のとき、大島は船を押していて、ドボンと川に落ちたそうだ。

するとひばりちゃんは、「あ、は、は」と、後の世界の大島を笑ったそうだ。

以下は、明日以降に