猫じじいのブログ

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山極寿一の「気持ち伝わるコミュニケーション」が面白い

2021-08-06 22:17:20 | こころ

きょうの朝日新聞〈科学季評〉にまた山極寿一の気の利いた寄稿があった。『気持ち伝わるコミュニケーション 言葉に限界 五感をいかして』という見出しの寄稿だ。

「五感」とは「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」のことである。山極はつぎのようにいう。

《人間を含む猿や類人猿といった霊長類は、視覚優位の世界認識をもっている。視覚は五感のうちでまず物事を理解するのに用いられ、他者とたやすく共有できるからだ。》

べつに霊長類に限らず「視覚優位」だと思うが、たしかに、犬や猫では「嗅覚」も外界認識で重要な位置を占める。

山極が言いたいのは、「気持ちを伝えるコミュニケーション」は言葉だけでないということである。「気持ちを伝える」とは、「私があなたに敵意をもっていない」とか「私はあなたとと仲良くなりたい」とかいう気持ちを伝えることである。

山極はゴリラとのコミュニケーションに言葉がいらないというが、本当は、人間と人間とのコミュニケーションでも言葉によらないコミュニケーションがだいじだと言いたいのだと思う。

むかし、ニューヨークの郊外の駅に 夜遅く ひとりで私が降りたとき、案内のかかりの老婦人と目があった。そのとき、彼女は私を見つめたまま、唇で微笑んだ。私はホットして何か心が温かくなった。

私は NPOで はじめての子どもに会うときは いつも この言葉によらないコミュニケーションに気を使う。私はあなたに危害を加えない、あなたと仲良くしたいというメッセージは、言葉では白々しくなる。自分の気持ちを整え、表情や振る舞いに自然にそれがでるようにする。

これは はじめて会うときだけでもない。子どもをほめるときも、その気持ちが自然に顔にでるようにする。また、子どもだけでない。NPOの他のスタッフに対してもそうするようにしている。

もちろん、意識的に表情をつくることはむずかしい。心を整えて本当にそう思うことで表情や体に自然にでるようにする。私はあなたが好きだと言葉抜きで伝える。

引きこもりで、家族関係が崩壊し、家庭内暴力が生じたときは、この視覚優位のコミュニケーションが難しくなる。このようなときには、「どこどこにでかけるよ」とか「ただいま」とか「大丈夫」とか「お腹すいた」などという挨拶をかけることを一般に推奨する。これは、言葉の情報に意味があるのではなく、単に「聴覚」を刺激しているのである。挨拶かけでは、言葉ではなく音声の調子がだいじなのだ。これによって「仲直りをしよう」「愛している」という気持ちを伝えるのだ。ここでも、心がそうなっていないと、「挨拶かけ」も白々しくなる。挨拶かけを推奨する理由は、挨拶かけによって、自分の気持ちをコントロールするためでもある。

結論に はいろう。私は、山極がこの寄稿で菅義偉の問題を指摘しているのだと思う。コメンテーターは菅義偉が話下手だというが、私はそうだと思わない。菅は国民とコミュニケーションをとろうとしていない。国民のひとりひとりのことを思っているように見えない。言葉をとりつくろっても、本当の気持ちがテレビの画面を通じて、みんなに見えてしまう。国民は「視覚優位」なのである。

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