聖書の「悪魔」や「サタン」は、英語の “devil”または“Satan”の訳である。
しかし、聖書は、もともと、紀元前にギリシア語やヘブライ語で書かれたものである。
キリスト教の旧約聖書は、ヘブライ語聖書をギリシア語に、あるいは、ラテン語に訳したものであった。もちろん、現在では、各国語の旧約聖書は、ヘブライ語聖書から直接訳されている。
英語の “devil”または“Satan”は、ヘブライ語聖書では、ともに、ヘブライ語の “שטן”(サタン)である。
その意味は、「邪魔する者」、「裏切り者」、「逆らう者」、「敵対するもの」という意味である。
すなわち、サタンに「悪魔」という意味はなかった。
「善」と「悪」の対決という考えは、ユダヤ教にはないのである。「善」と「悪」の対決はゾロアスター教の考えである。
サタンは、ギリシア語では、“διάβολος”(ディアボロス)と訳されたり、 “σατανᾶς”(サタナース)と訳されたりする。サタナースは、ヘブライ語の音をそのまま受け取り、ギリシア語風に語尾が格変化したものである。
ヘブライ語聖書『民数記』22章に「サタン」という言葉が2度出てくるが、「サタン」は「邪魔する者」という意味である。神の使いが、神の意を受けて、バラムという名の男が道を進むのを「邪魔する者」となる。ヘブライ語聖書は、約2300年前にギリシア語に訳されるが、このとき、διάβολος(ディアボロス)があてられる。
別に「神に逆らう者」という意味はなかった。
ヘブライ語聖書『ヨブ記』 1章と2章に出てくる「サタン」は、神の判断に逆らうが、神に逆らったり、敵対したり、したわけではない。『ヨブ記』は次のような物語である。
- - - -
神が「ヨブを善良な男だ」とほめるが、サタンは「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか」という。
すると、神は「ヨブをためしてみよ、だが、命を奪ってはいけない」という。
早速、サタンは神の意を受けて、ヨブを皮膚病におとす。
ヨブは かゆくて かゆくて 灰のなかを転げまわり、神をののしる。
- - - -
神とは、いばりくさって、くだらないものだという寓話である。あるいは、神を敬うのは自分の利益のためではないかという、仄めかしである。
サタンはヨブをためしたが、そのことは、神の意志でもあった。
後期のヘブライ語聖書には、神というものへの疑念が書かれるようになる。
新約聖書はギリシア語で書かれたものが原本である。
新約聖書『マルコ福音書』や『マタイ福音書』では、イエスが弟子のペトロを「サタン」と叱っているが、その意味は「この悪魔め」ではなく「邪魔するな」である。
マタイ福音書16章23節(新共同訳)
〈イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」〉
また、『ルカ福音書』22章3節のユダに「サタンがはいった」というのは「裏切った」という意味である。
『マルコ福音書』 『マタイ福音書』 『ルカ福音書』では、イエスは霊に導かれ荒れ野で試練を受ける。このとき、旧約聖書の『ヨブ記』をみならい、試練を与える者は、『マルコ福音書』ではサタナースであり、『マタイ福音書』や『ルカ福音書』はディアボロスである。
新約聖書の『ヨハネ黙示録』だけは、「悪魔」や「サタン」を他と異なるイメージで使っている。
2章、3章では、ユダヤ人のくせにユダヤ人に敵対する「非国民(裏切者)」という意味の「ののしり言葉」として使っている。(ヘレニストのための聖書のはずなのに、おかしな用法だと思う。)
ところが、12章、20章では、イエスや神に戦いを挑む者として、竜のイメージを与える。注意すべきは、サタンがはじめから竜であったのではなく、神に戦うために竜に変身したという、著者の妄想が書かれている点である。
このように、現在のゲームソフトやハリウッド映画の「悪魔」や「サタン」のイメージは、ユダヤ教や初期キリスト教とは関係がない。キリスト教がヨーロッパにはいって土着化したことで、生じたイメージである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます